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「デンシャ」が走る?いえ垢抜けないんです=兆民「続一年有半」⑭

中江兆民「続一年有半」シリーズの14回目です。兆民シリーズもお忘れなく。。。迂生も忘れていませんよ。。。忘れかけても思い出して。。。

 

 

 (六) 空 間

 

 前にほぼ一、二言して置た空間と時との二意象である。空間とは、文字の指示せる如く、目前実物の占取し居る場所、即ち①イッシの筆あればその筆が容れられて居る場所等より広漠たる太虚を幷せて、およそ大小実物の容れられつつあり、また容れられ得べき②キョゲキを合しての総称である。

 

 ①『一子、一矢、一糸、一指、一紙、一枝、一誌、一死、一視』から適切な「イッシ」を選べ

〔 一 枝 〕→意味〔一本、「」は筆を数える言葉〕・「巣林一枝」(ソウリンイッシ)は〔分相応に満足すること、「荘子」が出典で「飲河満腹」も同義〕

 ②〔 虚 隙 〕→意味〔うつろなすきまのこと〕

 

 道近きにありこれを遠きに求むで、古来達識の哲学者がこの空間てふ一事について、③ゴウゴウシュウショウして居るけれど、吾人を以てこれを観れば誠に見やすき事である。そもそも空間なるものは、世界の容器と言へば一番早分りである。万物いやしくもあれば場所を㋐げつつあるに極つて居る、而してこれら場所の総べてを指して空間といふ以上は、これ空間は正に世界と一を為して居る、即ち空間も無辺無限であつて、パスカルの言つた如く、到る処真中で縁なき円球である。

 

 ㋐〔ふさ・げ〕→「塞ぐ」が正式・「ふさぐ」は他に〔雍ぐ、閼ぐ、錮ぐ、湮ぐ、栫ぐ、怫ぐ、壅ぐ、堙ぐ、欝ぐ、柴ぐ、杜ぐ、塡ぐ、抑ぐ〕などがある

 ③〔 嗷 々 〕→意味〔やかましく大声で騒ぐさま〕・「」は〔かまびす・しい〕とも訓む・「嗷訴」(ゴウソ)は〔集団となって訴え出ること、強訴とも〕

 ④〔 聚 訟 〕→意味〔みんなでわいわいといいはる、あつまって言い争う〕・「就牀」「習誦」「周浹」「周章」ではない

 

 或る者はいふ、空間とは真にその物のあるのではなく、特に吾人の精神がこの物あるが如くに想像して万事を理会することとなつて居ると。これ何たる言ぞ、世界万物なるものは、真にこれあるに違ひない、よも③クウゲ幻影とは言はれまい、いやしくも世界万物ある以上は、或る場所をいで居るに違ひない、即その場所は空間であるとすれば、吾人の精神を離れて、別にいはゆる空間なるものが存在して居ることは言ふまでもない。然るをかくの如く論道するときは、その弊や竟に医すべからざる懐疑の一派に陥いることを免れない。

 

 ③〔 空 華 〕→意味〔かすんだ目で見ると、空中に華があるように見えること、仏教語〕・類義語は〔妄 想

 

 また空間は紙に譬へても良い、而して万物は絵に比しても良い。空間なる紙の上に④スンゲキもなく描かれてある絵が、即ち万有の森然たるものである。仮にこの世界に人類なしとしてもいやしくも他物ある以上は空間のなき訳には往かぬ、かつたとひ世界茫々無一物でも空間のなき訳にはやはり往かぬ。物あると物なきとに管せず、物の容れられ得べき場所の総てを空間と号する以上は、到底如何に想像するもこの物なき訳には往かぬ。

 

 ④〔 寸 隙 〕→意味〔ちょっとのすきま〕・当然ながら「寸劇」ではない

 

 

 (七) 時

 

 また時といふ問題がある。これまた空間と同じく古来シュウショウの一問題であつて、やはり吾人の精神にのみ存するもので、真にその物があるのではないといふ哲学者がある。これまた懐疑の一派に陥いる恐れがある。

 

 いやしくも物があればその物が経過する時間がある。たとひその物は不滅にして窮已なしとしても、甲の形を保つ間の時間があり、また乙の形を保つ時間がある。山の芋の時間もあれば、鰻の時間もあるといふ勘定だ。即ち時とは万物を載せて、この刻限より彼の刻限に運び行く車の如きものである。

 

 これに由て言へば、空間は世界の大いさを意味して居り、時は世界の久しさを意味して居る。

 

 それ空間なり、時なり、或る哲学者は、真にその物があるのではなく、特に吾人の精神がこれありとして、事物を了解する根本的条件となして居るのだ、といふかと思へば、また他の哲学者は、空間の意象や、時の意象や、吾人の生れざる以前より伝はり来つたもので、いはゆるセイチの意象である、人より告知せられて始て得たる意象ではない、而してこの意象こそ、唯一神が吾人の精神に対してその兆朕を見はして居るのだといふ。乃ち空間と時とを以て神の一資格と為し居る、奇怪の極といふべきではないか。

 

 ⑤〔 生 知 〕→意味〔生れながらにして仁道を知っていること〕・「中庸」に「生知安行」(セイチアンコウ)があり〔生れながらにして人のふみ行うべき道を熟知し、心安んじてそれを行うこと〕

 

 おおよそ生知の意象といふべきは一もないはずである。人生れて後、日々種々の事物を視聴し、⑥キュウミし、接触して、各種物体の意象自然に発生して深く記憶に入るのである。生れながらにして即ちいまだ外物に接せずに居て、一の意象も生ずべきはずがない。かつ空間といひ時といひ、少数なる哲学者にして始て理会すべき、否な哲学者の講釈を聴きて理会すべきもので、児童や⑦デンシャジンの徒は始よりこの意象は所持して居ない。然るを生知の意象とは何に㋑りて言ふのであるか、これ皆荒誕無稽の甚だしい〔も〕のである。而してかく謬戻を致すについてはまた主観客観の論がシュウショウして居る。

 

 ㋑〔・り〕→「縁る」→「縁木求魚」(エンボクキュウギョ)は〔りてむ〕=〔不可能なことのたとえ〕=「敲氷求火」(コウヒョウキュウカ)

 ⑥〔 嗅 味 〕→意味〔においをかいであじわうこと〕

 ⑦〔 田舎人 〕→意味〔粗野で愚直な、いなか者〕・「田舎漢」(デンシャカン)ともいう・無論「電車人」ではない

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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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