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ピカドン!…日本最後の漢詩人とも呼ばれる土屋竹雨のど迫力の漢詩はいかが?=「原爆行」

日本漢詩シリーズの最後は土屋竹雨(1887~1958)の「原爆行」。竹雨という漢詩人については、明治書院・新書漢文大系シリーズ⑦「日本漢詩」(P235)によると、「山形県鶴岡の人。数多くの詩社に関係し、昭和の前半を代表する漢詩人であった」とありますここ。ネットで検索すると「日本の漢詩は竹雨で終わった」のコメントも見えます。庄内藩士の家に生れ、戦後現在の大東文化大の学長も務めました。

前置きはともかく詩を味わってみてください。日本最後の漢詩人はさすがにど迫力ですよ。

怪光一綫下■■
■■地震天日昏
一刹那間陵谷変
城市台榭帰■■
此日死者三十万
生者被創悲且■
死生■■不可識
妻求其夫児覓親
阿鼻叫喚動天地
■■血流屍横陳
殉難殞命非戦士
被害総是■■民
広陵惨禍未曾有
■■更襲崎陽津
A)二都荒涼雞犬尽
壊牆墜瓦不見人
如是残虐天所怒
■■更過狼虎秦
君不聞■■鬼哭夜達旦
■■雨暗飛青燐

怪光一綫1)ソウビンより下る、
2)コツゼン地震うて天日昏し。
一刹那の間陵谷変じ、
城市台榭3)カイジンに帰す。
此の日死する者三十万、
生ける者は創を被り悲しみ且つ4)ウメく。
死生5)ボウボウとして識るべからず、
妻は其の夫を求め児は親を覓む。
阿鼻叫喚天地を動かす、
6)ハクトウ血流れて屍横陳す。
難に殉じ命を殞とすは戦士に非ず、
害を被るは総て是れ7)ムコの民。
広陵の惨禍未だ曾て有らず、
8)コグン更に襲う崎陽の津。
A)二都荒涼雞犬尽き、
壊牆墜瓦人を見ず。
是の如き残虐は天の怒る所、
9)キョウボウ更に過ぐ狼虎の秦。
君聞かずや10)シュウシュウとして鬼哭し夜旦に達し、
11)ザンカク雨暗くして青燐を飛ばすを。





明治書院(P240)によりますと、「漢詩というスタイルがこのような表現力を持っていることに、まず驚きを禁じ得ない。私たちが目にする漢詩の多くは、一言で言えばあらゆる意味において名場面を描いている。春の花、秋の夕暮れ、山中での悠々たる生活。この詩はそうした漢詩の持つイメージを一変させる。すべて一四三字、たったこれだけの文字で原爆の惨状をかくまで写す詩を他に知らない」と解説されています。続けて、「事は誰もが知っている同時代の出来事であるだけに、読者の胸に圧倒的な力をもって迫ってくる。叙事詩とは本来そういったものなのであろう」とあります。

逐一の細かな解釈は省きますが、冒頭の「怪光一綫」はまさに原爆の異称である「ピカドン」と符合する。週刊少年ジャンプで連載された漫画「はだしのゲン」の世界ですね。「一閃」ではなく「一綫」。「綫」は「線」の異体字。ひとすじの怪しい光。「陵谷変じ」は、詩経・小雅にある「高岸為谷、深谷為陵」が出典で「物事の激しい変化・盛衰をたとえる言葉」。滄桑之変ともいう。「陵」は「みささぎ・おか」の意。「台榭」(タイシャ)は「土を盛り上げた見晴らし台と、屋根のある見晴らし台、高殿」。「横陳」は「横たわり並ぶこと」。死体の数が多いさまを言う。「雞犬」は「にわとりといぬ」ですが、陶淵明の桃花源記のタームで「街が平和である象徴」。「壊牆墜瓦」(カイショウツイガ)は「垣根が壊れ、屋根瓦が崩れたさま」をいう。「狼虎の秦」は、米軍の残虐な行為を中国の秦の暴謔に喩えた言葉。狼や虎のように残虐無比である。最後の「青燐を飛ばすを」は明治書院の読み下しでは「青燐飛ぶを」となっていますが、「飛ぶ」は自動詞でなく他動詞で読むべきでしょう。「君不聞」は唐詩で頻出の表現。楽府体の詩の常用語です。読者に向かって「君」と呼びかけて、同意を強く求める効果があり、読者を臨場感たっぷりに詩の世界に引き込んでいくのです。

明治書院には書かれていませんが、この詩は明らかに杜甫の「兵車行」を本歌取りとして詠まれています。杜甫が四十歳の時、出征兵士との問答形式で玄宗皇帝の領土拡大政策を批判しました。兵車行の表現が随所に鏤められています。今回は省きますが、機会があればこの詩もご紹介したいですね。ただ一点だけ。兵車行は唐代の事なんですが、漢代の武皇と称し、漢代の批判をしているところがミソ。竹雨の「原爆行」も「胡軍」や「狼虎の秦」などの言葉を用いており、どこにも米軍の「べ」の字もありません。いかにも中国風にアレンジしているのです。日本の地名も支那風味で採り入れています。恐らく戦後間もなき頃に詠まれた詩であり、GHQの検閲も厳しかったことから、直接的な表現を控えたものと思われます。むろん、元々が漢詩であって支那風味になっているので原爆投下という怖ろしい風景が三国志か何か遠くの国の出来事のようにしている点がさらに恐ろしさを増している。竹雨は決して米軍批判をしたいがためだけで詠んだのではないでしょう。そうした事態を招いた日本政府の無為無策。歴史の隘路。常に政治の犠牲者は罪のない国民であり、国が変わらなければならないことを訴えたかった。「殉難殞命非戦士 被害総是無辜民」。

明治書院の最後には「漢詩というスタイルが今なお重要な表現手段であることを再認識させる詩として長く記憶されねばならない作品である」と結んでいます。この言辞は噛み締めたいと思います。このblogが存在する限り、折に触れて漢詩を紹介していくつもりです。


■下線部A)の具体的都市名を詩中より抜き出して書け。

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「頭数だけ揃えるんじゃねぇ!志持てよ」って言いたくなる憂国の漢詩はいかが?=「党人歎」

「消費増税する前に国民に信問え」「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加なら解散しろ」――。相も変わらず国会論戦が低レベルの極みを続けていますね。今が勝てると思えば(国民の票が取れると思えば)、野党議員は選挙、選挙の連呼です。今の政治家は思考回路が短絡過ぎる。それは政権を獲ることだけが目的化されているからです。二大政党による政権交代が初めて現実化したばかりで「やられたらやり返す」といった怨念しかないのが見え見え。政党ってなんだろう?小選挙区制が政治家の質を落としたと今更詮方ない繰り言も聞かれますが、そんなことはない。小であれ中であれ大であれ、要は個人の資質の問題。志に関わるものです。政治家の質は、政党政治が始まった明治期から低かったのです。そんな混沌とした離合集散が繰り広げられていた創世記に、堕落した政党人を歎いた漢詩人がいました。彼の名は安井朴堂(1858~1938)。明治書院・新書漢文大系シリーズ⑦「日本漢詩」(P223)によると、「朴堂は通称の小太郎を用いて、安井小太郎と呼ばれることが多い。安井息軒の外孫。島田篁村の門に学び、明治・大正・昭和の三代にわたって子弟の教育にあたり、その講義録が主な著作になっている」という人物。

同書に所収されている朴堂の詠じた「党人歎」は、「明治三十一、二年ごろの政党人の対立、抗争、謀略に憤慨して作ったもの。この時期の政界は、伊藤博文の立憲政友会結成の前夜で、大隈重信、板垣退助、山形有朋、松形正義らが抗争をくり返していた」とあります。

【白文】
党人党人汝何職
飢則■■飽則黙
党利甚重国利軽
■■幾百尽臧獲
巧言如■■為烏
手握利権虎有翼
天子待汝以国士
盍致臣節任■■
山可抜兮鉄可磨
嗟乎党人如汝何



【読み下し文】

党人党人汝何の職ぞ、
飢うれば則ち1)ホウコウし飽けば則ち黙す。
党利甚だ重くして国利軽し、
2)トウロ幾百尽く3)臧獲
巧言4)コウのごとく5)サギを烏と為す、
手に利権を握れば虎に翼有り。
天子汝を待つに国士を以てす、
6)ぞ臣節を致して7)ホヒツに任ぜざる。
山は抜くべく鉄は磨すべし、
8)嗟乎党人汝を如何せん。



朴堂は、聊か侮蔑的なニュアンスを含みながら「党人」と呼びかけます。もちろん彼らは国民の代表である代議士でもあります。しかし、何のために政党があって議員がいるのか分からなくなる。そんな風体に呆れて「党利」と「国利」を天秤に掛けます。一体君らはどちらが重いのか分かっているのかい。頭数だけ多い国会議員に業を煮やす。まるで盆暗の奴隷のようだと扱き下ろす。口先だけ御上手。白い物までみんな黒と言い含められるテクニック。奴らは弁論のテクだけは長けているのだ。そして、いったん政権を取ってしまえば鬼に金棒、虎に翼。為虎傅翼。明治時代の風景がそのまま100年以上たった現在の姿に重なりませんか?まるで進歩がないのです。最後の四句はそのままいまの国会議員に贈りたい。天皇陛下はいまや国民の象徴ですが、国民の代表であるはずの「国士」がどこにもいないではないか。国を憂うべきであろう。そうすれば何をどうすればいいか自ずと判然とするではないか。政党や議員は単なる手段にすぎぬであろう。民主主義が数合わせのゲームにすり替えられている。志のある奴はおらんのか。気がつけば国がなくなりかねないとも限らないのに、そうした危機感のある奴は一人もおらんのか?

朴堂は子弟教育に生涯を捧げました。人材の払底こそが国力の衰退を招くとの危惧を持っていたのです。それは眼前の政治に代わる新しい政治の担い手を育てたいという一心しかなかったのではないでしょうか。日本国が大きく姿を変えた幕末維新を目の当たりにした人だからの視点だった。幕末の推進力が変形していったことが看過できなかった。経済破綻が世の中を揺るがす昨今、新しい政治が必要であるのは言うまでもない。それを担える人材を育てることこそ求められているのではないでしょうか。そんな思いを新たにさせてくれた憂国の思いに満ちた漢詩でした。


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「この恨み晴らさでおくべきか」…恐怖のどん底に落ちる漢詩はいかが?=「牛蠱行」

横井也有の「鶉衣」シリーズはまだ終えるつもりないですが、一方で満腹感も出てきたのが正直なところ。一つの作家やジャンルにこだわることなく、鶉衣も含めて、思い付くままにさまざまな文献を不定期に取り上げることといたします。過去に御紹介したものでも面白い物があれば再登場もあるかも。その中で以前連載した日本漢詩シリーズですが、明治以降の作品が疎かでした。欧米文化が浸透するにつれ隅っこに追いやられ現在に至る漢詩。その筋肉質な文体は簡にして要。言いたいことをズバズバと言える勝れ物です。敢えて言います。これを翫わわずして「漢字学習者」を語る勿れ。

今回から三回シリーズで「へぇ~、漢詩ってこんなものまで詠めるんだ」と漏らすこと必定の三作品を取り上げます。第一回は、大須賀筠軒(1841-1912)の「牛蠱行」(明治書院・新書漢文大系シリーズ⑦「日本漢詩」所収)。同書によれば、筠軒は磐城平(現在の福島・いわき市)の人。江戸・昌平黌に学び、安積艮斎の指導を受け、明治維新後、仙台に住み、第二高等学校の教授を務めました。中央に出ることはなく生涯を東北の地で過ごし、子弟の教育に当たりました。

さて、この「牛蠱行」ですが、人間の怨念に満ち満ちており、何ともおどろおどろしい内容になっています。「牛」は「丑の刻」のこと。草木も眠る丑三つ時。「蠱」は「のろい」。もともとは、まじないに用いる虫のこと。一つの器に虫を入れて共食いさせて、生き残った虫の毒気でかたきをのろう迷信から来ています。ここから転じて女性がその色香によって男性を惑わす意味が派生。蠱惑(コワク)の語が生まれました。蠱疾(コシツ)とは、「女性関係から来る心の乱れ」を言います。同じ「コシツ」でも、「煙霞痼疾」とはまた別の代物ですよ??

【白文】
草木夜眠水声冷
神灯欲死痩於星
千年■■半身朽
仄立■■鬼気腥
纏素娘子藍如面
頭戴■■手鉄釘
長髪■風鬅鬆乱
石壇無人影伶仃
泣掣鈴策拝且訴
此恨不徹神無霊
※釘響絶夜■■
■■一声山月青

※=「手ヘン」+「豕の下に一」→「うつ」と訓読。音読みは「タク」。

【読み下し文】
草木夜眠って水声冷やかに、
神灯死えんと欲して星よりも痩せたり。
千年の1)ロウサン半身朽ち、
仄立の2)コビョウ鬼気腥し。
素を纏える3)娘子藍如たる面、
頭には4)ギンショクを戴き手には鉄釘、
長髪風に5)クシケズって6)鬅鬆乱る、
石壇人無く影伶仃。
泣いて鈴策を7)いて拝し且つ訴う、
此の恨み徹らずば神も霊無しと。
釘を※つ響き絶えて夜8)ゲキセキ
9)老梟一声山月青し。



同書によりますと、鬼気迫る「丑の刻まいり」を詠んだ詩とあります。「嫉妬深い女が、人を呪い殺すために、丑の刻(午前二時ごろ)神社に参り、頭上に五徳(三脚の金輪)をのせ、ろうそくを灯して、手に釘と金鎚を持ち、胸に鏡を吊るし、呪う相手の人形を神木に打ちつけると、七日目の満願の日にはその人が死ぬと信じられていた」といいます。京都の貴船神社が有名。

前後の文脈はあるのでしょうが、この漢詩だけいきなりぽんと出されると何とも怖ろしいですね。「伶仃」(レイテイ)は「一人ぽつんと立つさま」。「零丁孤苦」(レイテイコク)という成句が李密の「陳情表」が出典であることは以前学習しました(ここ)が、この「零丁」と同義です。とにかく孤独なのです。

「此恨不徹神無霊」――。聖なる神をも威嚇する鬼気迫るフレーズ。まさに鬼の形相とはこの事を言うのでしょう。最後の「老梟一声山月青」はいかにも漢詩という一節ですが、その情景と余韻はこの詩を読み終えた人を恐怖のどん底に落し入れますね。もしも自分が誰かに恨みを買って呪われていたら…?そんな空恐ろしい妄想すら現実感を伴って襲い来ることを止められません。漢詩の持つ一定の単調なリズムが却って恐怖心を煽ります。七日目の夜の描写なのでしょうね。最後の釘を打ち終えた後、牛と出逢うらしい。そして、その牛を乗り越えた暁に願いがかなうといいます。まさに「牛蠱行」。こんなに怖ろしい漢詩を読んだのは初めてです。人の心理描写にはあまり向いていないとされる漢詩ですが、そんなことはない。かくも内面を描写できる漢詩の持つ潜在力に圧倒されました。少し寒くなってきました。この辺で終えておきましょう。

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無力な人間どもよ 大自然を前に神に祈るしかないのだ=「鶉衣」(26)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの26回目は、「送咳気神表」(後編下一七九、下巻217~219頁)を取り上げます。「咳気神」とは「せきの神」。現代で言うインフルエンザのことでしょう。「秋の初かぜ」とあるから七月の比。この文章が書かれたのが也有、三十二歳・享保十八年(1733)のことで、インフルエンザが大流行しました。この間、所謂江戸四大飢饉の一つ、「享保の大飢饉」の真っ最中でもあり、天変地異に人々が苦しんだのです。

今年秋の初かぜ身にしみわたるより、老となく若きとなく1)エッキになやみて、注1)清涕(みづばな)の露草葉を争ひ、穂薄のかしらふらつきて、喰物の味もいさしら河のそれならずも、とめがたきA)●●に苦しみぬ。上は玉だれのひまより2)センヤクのかほりほのもるゝより、下はあやしの柴ふる人までも、かしらをからげずといふ事なし。芝居入りなうして盆狂言の3)ヤグラマクいたづらにしぼり上げ、色里客たえて夜見世の行燈かゝぐるによしなし。葛西の瓜畑も下冷に守る人なければ、隅田川の渡守も発熱にこがれこがれて、水馴竿のB)細元でを流す。祈禱の法師も長髪に4)ニンニクの姿を失ひ、注2)貴禰(きね)の祝詞の声うらがれたり。医者・売薬の門のみ賑ひて、C)きのふ剃りの匕先も、5)ショウキサンにやすむひまなく、かれらは時を得たるに似たれど、さして手柄の療治ならねば、はかばかしき薬代もよるまじ。

噫、此秋いかなればかゝる災を下して、6)リミンにくるしみをかけ給ふぞ。願はくは天神7)チギ愛愍の注3)眸(まなじり)をめぐらして、咳気の8)ジャシンを速かに西の海へ送り給へ。さらば臣等9)幣帛のむつかしきわざはしらずとも、笹の葉にしで切りかけ太鼓をならして、及ばずながらちからを合せ奉るべしと、10)タンセイを抽でて、告げ奉る。11)ビシをそれみそなはし給へ。




この文章の表題にある「表」は、「臣下が王を悟らしめるために明白に文章に表わして奏上する意」(岩波)。血気盛んな也有が神に祈って、この流行を遏めていただきたいと上申したことを含意しているのです。当時彼は江戸で勤務していました。神に祈るしか手がなかったのでしょう。それほどインフルエンザが流行し、拱手傍観するばかりだった。ちっぽけな人間たちは、自然の猛威が当時のみならず現代社会においても収まることはことはないことを身に沁みるのです。地震の揺れ、津波、大震災を受けた原子力の恐怖などもその類でしょうか。「笹の葉にしで切りかけ太鼓をならして、及ばずながらちからを合せ奉るべし」――。無力な人間はここにおいても神頼みしか手はないのか。


注1) 「清涕」の「涕」は「なみだ」。「はな」ならば通常「洟」の字を充てますが、涙と洟が一緒に出てくるのは生理上の道理。「清」を被せて、じゅるじゅると粘りがあるよりは透明感の強いさらさらの「みずばな」と訓ませている。

注2) 「貴禰」は、「禰宜」(ねぎ)をひっくり返した「宜禰」(きね)に同じ。神主の意。「巫覡」(フゲキ)を「きね」とも訓むのでここからの連想も。

注3) 「眸」は通常、「ひとみ」。目玉の意味ですが、ここは「まなじり」と訓ませています。これは「目じり」のことで通常は「眥」か「睚」を充てる。素直に「ひとみ」と訓ませていいのではないでしょうか。それとも当時は「ひとみ」の訓みはなかったのか?「ボウす」と読めば、「目を見開いてよくみる」の意。恐らくこの連想から、決眥(まなじりをケッす)を充てたものと思われます。

下線部A)●●には、平仮名で二文字の掛け言葉が入る。記せ。
下線部B)の意味を記せ。
下線部C)の意味を記せ。

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char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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