スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「砲」と「艦」、普通に読んじゃ詰まらないなぁ~=「鎗ケ嶽探険記」(18)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの18回目は、「その九 鎗ケ嶽二回登山の記 上 第一回の登山」の四回目です。

初めの予定はここにて一泊するに在りしが、時漸く1)なるを以て、余らは登山説を主張し、大石屋はここに一泊して新鋭の気を養ひ、明朝を以て絶巓を窮めむといふ、さきに急湍を渉るとき、彼は少壮より「川飛び」「山駈け」の名人なりしを負ひて、屈曲斗折せる山流を先駆し、つねに我らを七、八間後に捨て去りて、はては影をも見せざることあり、幾ど自己のために登山するものに似たり、ひとり市三郎の我らを懇ろに2)フエキするものありて、幸ひに全きを獲たるなり、而して今俄に沮むものは、行を緩うして3)ヒヨウ銭を多く貪らんがためのみ、余が性気急短は彼がおもしろからぬ挙措によりて、一倍の熱を加へたれば、今日これより絶巓に登り、蒲田の谿谷を4)りて、飛騨に入るに何の手間暇あらむといきまく、大石屋はひた呆れに呆れて円らなる5)ドングリマナコを張り「おめへッち、途方もねえことを、どうして往かつしやるだ」と冷笑す。余また怒る、刀あらばまさに按じたるなるべし、市三郎間に介まりて交も6)キュウカイし、一個の折衷案を提出して曰く、ともかくも日なほ高ければ今日これより絶巓へ登ることとすべし、しかれども蒲田越えは到底むづかしければ、ここまで引き返して、今夜はここにて一泊することにすべしと、衆議即ちこれに一決し、鍋や米やを挙げて、この巌屋に托し、結飯をのみ腰に括りて直に発す。

深林の間の7)サイケイ――おそらくは巌屋の主人が拓きたるものならむ――に踏み入り、「タケ8)グミ」といひて、9)ヤマブドウめきたる黒紫の実を結べるものを採りて、行々これを10)ふ、はじめは気味悪しくおもひて毒なきやと問へるに、市三郎は「嶽に11)るものに、毒のあるもなあ、ねえだよ」と。その12)コウフン殆ど我らの無知を憫れむごとし、林ははや白檜(しらべ)帯に入りて、朽ちたる13)僵木路に横はりて交叉し、スギゴケの潤苔を14)て辿るに足を辷べらす、頻に啼くものは閑古鳥かあらぬか、15)メイドよりの使者に似たり。

深林を突破してまた川となる、山頂の雪は日に溶けて、魔女の紡げる白髪の如く、取次に乱流して歩々量を増し、石を盪かして風雨の声をなす、しかも大石16)犖确として上下に突兀し、17)を抛ち18)を倒しまにして水を逆ふるを以て、前の川の如く足を濡らすに及ばず、石より石を伝ひてはや七合目ほどのところに到れば、水19)れて雪は瑠璃洞を作る、その上を渉るに固きこと冷鉄の如く、歩々杖にて二、三寸を掘り、足場を作りてはまた上る。



問題の正解は続きにて。。。

続きを読む

スポンサーサイト

美味しいものを食べた時、これを打ちますよね?=「鎗ケ嶽探険記」(17)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの17回目は、「その九 鎗ケ嶽二回登山の記 上 第一回の登山」の三回目です。


川を束ねて環峙せる1)キホウは、半腹に鳩の斑の如き白を被ぶる、はじめは雪とおもゐたりしが、後に皆花崗の白礫なるを知り得たり、水いよいよ深くして渉るべからず、昨日の霞沢に比して流峻しく底深く、河幅また濶けれど、幸ひに崖は彼が如く2)テイバツせざるを以て、多くは崖の熊笹を押し分けて路を作りたりしが、笹の物たる、由来山国自由の3)ケンジ、到底人の脚下に伏するを肯んぜざるもの、たとひ力を極めてこれを圧倒するとも、一たび足を挙ぐれば4)カンゼンとして猛力に反撥し、触るるものをして仰ぎ仆れしむ、我らために困憊して幾んど起たず、辛うじて導者らの肩に負はるるが如く、身を5)モタせかけ、彼らが6)ヒビして行く蹤に7)コンズイす、この間の一里、実に我をして北海道の深山に入りたるかを想はしめぬ。


横尾といふところにて川は左右に岐る、我らはその右に沿ひて渉り、一の俣二の俣と追分を作るところにて、河原に石を敷いて踞し、8)吼雷の如き水声を聴きながら、結飯を嚙み、笹を折りて箸を作り、杏の鑵詰をつつきて舌を9)す、偶ま小木を削りて作りたる10)メイトの11)を、河原に挿めるものあるを見る、禿び筆に認めて曰く「右やりがたけ、これより絶頂まで四時間」と。けだし一週日前、参謀本部の吏、人夫を引率して三角測量標を12)サンテンに13)ぶべく、登山したる時に樹てたるものならむといふ。

これより左に折れてまた崖に登る、市三郎は猪の穴を発見したりとて大悦措かず、余の疾く疾くと促すを、恨めしげにうち見やりて去らず、蛇の道は蛇なりと笑ふ、また熊笹の部落となりて箭襖の中に入るや、一行その尖(きつさき)に多少の傷を負はざるはなし、昨夜炉辺の14)カンダンに、老猟師らが動もすれば熊笹熊笹と、気にかくるを、熊ならば怖れもせめ、熊笹何かあらんと腹の中にて嘲りたりしが、今に迨びて初めてその15)カカン言にあらざりしを知りぬ、鎗ケ嶽登山中、16)キュウタンの険と熊笹の悪とに至りては、到底富士、御嶽、立山、白山などの能く拓けたる高山にては、見るを得ざるところなり。

笹道を押し分け、石道三十五度の傾斜を以て聳ゆるところを17)づるに、石磊々として足を挙ぐるごとに、石と石と相触れ、相撲ち、喧噪して谷底に下る、後人の頭を敲きはせずやと顔色変ずること幾回。樺の立木を目標として、横ざまに路を18)ひ、灌木叢に切れこみ、ここにて一つの小舎を見出しぬ、小舎といへど一枚巌の崖より19)の如くさし出たるを、そのままに屋となし、藤蔓を樺の木に結びて、壁を作り、蓆を入口に懸垂したるものにして、この方より呼べば応とこたへて、骨骼逞しく、20)シュハツ鬖々(サンサン=髪が乱れているさま、乱れ髪)たる猟師一人出で来る、導かれて内に入り、小憩す。


問題の正解は続きにて。。。


続きを読む

荘周が蝶になって舞い飛ぶさまが「ククゼン」=「鎗ケ嶽探険記」(16)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの16回目は、「その九 鎗ケ嶽二回登山の記 上 第一回の登山」の二回目です。

1)アサゲは済みたり、登山準備ははや整ひたり、上りて今夜は山中に一泊し、明日またここに下りて一宿する計画なれば、我らは各外套一領と食糧品の必須なる分量をのみ、導者らには負はせて、担荷の十の七を小舎の老猟師に托しつ、山林吏たに一揖して立ち出でぬ。

時に聖き山の蘇りたる誕生を2)キンガする如く、空は瑠璃色に霽れわたり、灝気(コウキ=天上の清らかな気)は残る隈なく充ち満ちて、天心より大地まで垂直に洗ふが如く透りたり。日もはや昇りたるならむ、大岳崇領の屏風にて、四囲を繞ぐらしたる谿底なれば、茜さす空はあらざりけり、ただ3)ランセイのみ瑠璃嵌めたる金剛石の如くに晃めきたりしが、空は微白より明白に明けゆくにつれて、4)コウボウ次第にすがれゆき、樅林の中に5)げる鳥の翥(はばた)きを聴く。黒松の峻直なる間、灌木の6)エンエイせるところを行くに、屍の臭ひの如きもの7)プンとして鼻を撲つにおどろき、回避して去りしが、今にその何といふことを知らず、路に往々野牛の音立つるばかりに笹の葉を嚙めるを観る、灌木尽くるところこれ梓河の畔。川の濶さ約二百間、その水とろりとして膏を凝らし、一万尺の山肩を擁してその重さに流れを停めたる如くなるに、試に一脚を投じたるに、かの淙々として石を嚙み雪を噴く浅瀬よりも、おもて静にして、しかも水底はかへつて石を動かし沙を走らし、我らの脚は根の揺ぎたる杭の如く、8)ナビいて僵れむとす、駭いて互に棒と棒とを繋ぎ合せ、手長猿の水を渉るが如くして辛うじて向岸に達したるが、その間中央にて水の深さ膝より股に及び、寒剣を以て歩々に斫る如く、冷味を過ぎて痛味となり、殆ど泣かんとしき。

向岸といふは根曲り竹の丈、七、八尺なるもの、こんぐらがりて人を没し、その間に痩せよろぼいて、骨と皮ばかりになりて立てる黒松、それに並べる山毛欅は、楕円の大葉を傾けて銀の天漿を領元に飜ぼすこと、9)シュウウより豪なり、幾んど足を地に着けざる根曲りの竹の中を泳ぐが如くして、右に迷ひ左に惑ひ、再び岸頭に出づれば、寒流梭より10)く、その底自ら花崗の大石を11)して礀(たに)を作り、玻璃の中に太古の雪を秘めたる如し、河幅狭きを以て躍り越ゆるに決し、力任せに地を蹴ると同時に、向ふへ六尺ばかり飛ぶ、余の手際頗る鮮やかならずして、渚に尻突き、渓水を跳り損ねたる12)ビロクの如くに、腰より下を13)湿ほしたりしかば、一同手を拍つて大笑す、しんしんたる木下闇、木魅石鬼また和してどよめき、翠雨紛として飛ぶ。

この時紅玉の日は高く躍出して、穂高山の左肩に掩へる血の如き濃雲は、千年万年これらの名山を望んで、大聖の膝下に14)ケイケンの念を馳せたる山村幾万の生霊が心血の漂へるが如く、山は覩るうちに微妙なる情火の全身に沁み渡る如く明るくなり、衣の皺の百千条を一時に15)するや、東の方、大霊の在ませるあり、山色水光を一時に揺がす、見よ、清醒は現生に来れり。

奔(ホンコウ=川の波がぶつかるさま)せる山流を夾んで、穂高山一脈の崇嶽、天に攙(サン=中に割り込む)し溯りゆくものは我ら四人、しかも水は上下に乱流して往々分解したる花崗の16)ハクレキを堆積し、菱形に洲を作りて、水楊17)スイハツをそよがし、黄蝶18)ククゼンとして山吹の花の19)リョウランする如く飛ぶ、月明の夜は化現して山姫の20)リョウカンとなり、村家の少女が夢に入りなむか。

続きを読む

嗚呼ピンチ!熊に囲まれたと思いきや何とそれらは…もう大変?=「鎗ケ嶽探険記」(15)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの15回目は、「その九 鎗ケ嶽二回登山の記 上 第一回の登山」の一回目です。これからが本当の蔗境です。

午前三時醒む、老猟師は主人顔に豆火のなほ消えやらぬ炉を吹き起して1)ホタをさし燻べ、大石屋や山林吏の導者らが、車座になりて一つの炉を取り囲み、飯を炊き乾魚を炙るに忙はしき間、本日登山の急先鋒を承はりたる市三郎は、これより2)セイロのこととて、少しも油断なく老猟師に山中の絵図を引きてむやと乞ひたるに、彼は3)ダイコウ掌上の螺紋といはんばかり得意満面に快く4)ひ、我が与へたる改良判紙をためつ透かしつ視て5)つこいなあと嘲りつつ、昨宵山鯇(やまめ)の腹を6)ホフれるときにや用ひたる、血痕したたかなる俎板を裏返しにして、その上に展べ、同じく我の貸したる鉛筆にて幼児のいたづら書きのごとき枯枝やうのもの五、六本を無造作に引き、ここの筋は一の谷の俣、かまへて踏み入りそと語気荒らかなれど懇ろに教ふるを、大石屋も向き直り額を7)めて聴いてゐたり。老猟師はいふ、我らの仲間が三日前の雨に下山したるとき、荷になるが邪魔なりとて米三升ばかり、赤岩の小舎に置き去りにしたと聞きたれば、なほあるべし、万一8)カテ足らずばそを借るも可からむと。山林吏の案内者も、このときは已に相談仲間に加はりて、五、六日以来梓川の水量嵩まりたれば、この衆たちにやむづかしからむといふにぞ、我らは窃に胸を痛め、先途を気遣へる大石屋の主人も率然として色を変じける。市三郎独り頑然として肯はず「水が多きやあ、多いやうにして越す法があるによ」と運用の妙は一心に存すの意気を示す、けだし炉辺のA)■■(まどい)に、市三郎らが鎗ケ嶽不知案内なる旨を9)して、教へを乞ひたるに、山林吏の案内者、我がために弔して「大野川の衆でも伴れて来れば宜かつたになあ」といひたるに、利かぬ気の市三郎が10)テキガイシンを挑発したりとおぼし。大石屋は市三郎を11)ケンゾク視して、12)ガイを張れど、我らの信任はかへつて繋がりてこの壮佼(わかもの)に在り、彼を待つこと13)鵯越の鷲尾三郎も14)ならず。

顔洗はむとて山嵐に胴震ひを堪へながら、戸外に立ち出でたるに、何物とも知れず背後よりのさりのさりと覗ひ寄るものこそあれ、駭いて振り向けば小山の如き巨獣の揺き出でたるなり、15)として我にもあらず二、三歩避けたる時は、既に遅し、わが両腋を挟んで舌舐めずるもの鼻を16)ウゴメかすもの四、五頭に及ぶ、熟視するに牛なり、少しは胸おちつきたれど、さすがに気味宜しからねば、踵を17)メグらしたるに、また一頭二頭と、小舎より弓杖ばかり隔たりて結び繞ぐらしたる粗朶の18)ラチを超ゆるもあり、潜るもありて、我が小舎に入りたる後を追ひ来り、角にて戸を突き破らむばかりなるに、老猟師は戸を啓けざまにホタを抛ち、次ぐに19)ダイシツを以てしてこれを走らしぬ、聞くところに拠れば横一里縦七里のこの神河内の牧野に、約百五十頭の牛を放飼せりといふ。


■和訓語選択。

A) 「まどい」→コンラン・ケンラン・ドンラン・タンラン・ダンラン・ビンラン

問題の正解は続きにて。。。


続きを読む

「オウシャク」「テンシャク」似て非なるものたち=「鎗ケ嶽探険記」(14)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの14回目は、鎗ケ嶽登攀の佳境シーンの一つである「その八 梓河畔に立ちて穂高山を観ずる記」のその三です。嵐の前の静けさ。鎗ケ嶽登攀直前の静寂の場面です。

1)タソガレの眼には確に見解けられざりしが、山の大体心臓(ハート)形なる五個以上の大塊より成り、その頭はいづれも2)キョシ状に尖りて、錯出すれども、互層して半腹一に合するを以て、3)ケンコウはいと濶く、鎗ケ嶽の頂上の如く切截鉛錐形に孤聳することなし、千山の冷たき土窟に醸されたる新しぼりの八千渓水は、石に叫び木魂に響いて、山の麓なる梓川に落ち合ふなり、静かなる夕を歌はんがために、威力ある大君の前に舞はんがために。

この夕、我れ河畔に立ち、4)ぎもせで偉大なる穂高山を観ず。

我が脚を立つるの地は、接続より成れること、年代また年代を追へる歴史のそれの如くにして、歴史が巨人の紀年碑なる如く、地の最高最後の暘(ひので)は山なりき。

げに山なりき、爾は兀々たる自然の大書籍なり、人に在りての書籍は聖書、地に在りての書籍は爾にあらずや、我は仮に爾をここに「山」と呼ぶ、しかも爾の山なるはその外皮のみ、爾が挟める一木は5)オウシャクよりも尊く、爾が秘める一弁の花は、6)テンシャクの栄あり、爾は高し、しかれども爾の高さを測り得べきものは三角術にあらずして、大なる聖霊ならずんばあらず、何となればバイロンも言ひけむ如く、高山は我に取りて絶大なる感情なるをや。

ああこの夕、日は没して現界より他界に移るとき、ここに立てる一個の人影は、かしこに7)キツリツせる一個巨人の影に圧せられ、屏風倒しに折り累なりて、大地に落つるときここに8)コンゼン融和して、我は天地の一部なる如く、山は我の一部なるが如し。

彼9)し、山は10)ハリ函中に秘められたる11)キキョウの大弁の如くなりぬ。そのハリいよいよ厚さを加へぬ、ああ12)コントン

今や爾は13)スイシの聖徒の如く失せむとす、なほかつ爾の前に頭を擡ぐるものやある、14)ショウフクせざる何物か在る、我今かくの如く絶叫す、爾いかなれば寂として声なきや、しかも黙して爾を15)テイシするとき、我ただ、16)ソウボウ万古の意を覚ゆ、ああ、爾は永劫に活く。

恍惚は天授なる哉。

日全く没して星一つ二つ17)めくにつれて、遠近の山は脈拍し、全渓谷は18)コゾウし、木立は19)シュンショウす、而して禽謡はず、熊歩まず、20)リス躍らず、一葉囁かず、ああ森厳!穂高山麓縦七里の非人寰は、21)エンジョとして日本のヨセミテ渓谷なり。

飯既に熟したりと、導者の来り促すに心駭かされて、小舎にかへりぬ、串刺しにされたる岩魚は、かの容貌の醜きと反比例に、心ざまのしほらしき老猟士の手に炙られて膳に上りぬ、22)チンシュウなりき、彼は、やをら立ち上りて「お茶を御馳走しべいか」と、この舎にはふさはしからぬブリキ鑵を隅より持ち来りぬ、一撮の茶、山気の爽絶なるに適ふ。

夜寒うして白樺の枝を燈の代りに、★炉(コウロ)にさし23)べながら、我ら八人車座になりて熊狩の冒険談より岩魚釣の話に移りぬ、かの猟師は壮年の折、岩魚を釣らんとして、険流を渉るとき、過ちて足を辷べらし、押し流されて水中の岩石に半面を24)サッパせられ、彼が如き大傷を蒙りたるなりといふ。

夜更けて囲炉裏の傍に雑魚寝したれど、一味の高寒25)シフより迫り来りて、外套にて包まれたる身も、夢を包むまで、山林吏が纏ひたる毛布の端を、をりをり我に着せられたる情のほどぞ、世にありがたかりける、夜もすがら戸外の山流の音冴えたるに引き入れられて幻となりしが、醒めて山姫がうたふ催眠歌にあらざりしかと惑ひぬ。

我は終生、この万山環峙中、南北二十里間の、趣ある唯一孤屋を忘れざるべし。


★=火+工。かまど、あるいは煖炉のことと思われますが辞書には掲載がない。

続きを読む

「真景累ケ淵」の女主人公に擬えられた老猟師=「鎗ケ嶽探険記」(13)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの13回目は、鎗ケ嶽登攀の佳境シーンの一つである「その八 梓河畔に立ちて穂高山を観ずる記」のその二です。

小舎(こや)の軒には古く1)ススびたる板札を釘付けにしたり、黄昏の微明に透かし視るに「一人一泊五銭」とぞ記されたる、戸を開くれば吹き入る山嵐に、囲炉裏の烟は横になぐれたるに、あなやと組みたる胡坐をくづし、うしろ手を着きながら我らが方を2)キッと睨まへたるは、この舎の主人かからぬか、右の眼よりかけて頬の半面は皮剝の刑に遇ひたる罪囚が、3)旧瘢の蔽ひも隠されざる如く、その方面の前額より頭にかけては赭く禿、三、四毛をそよがせたるのみ、かかる夕、かかる深山の孤屋に、かかる奇醜の容貌を睹たるもの、宮本武蔵にあらずして、誰か悚然二の足を踏まざらむ、我も呆れて躊躇したるが、導者の心安げに挨拶するに、聊か安堵して内に入れば、彼はこの舎の主人といふにはあらず、猟の片手間、岩魚や山鯇(やまめ)を釣るために、ここを仮りの宿としたるにて、平生は留守居とてなく、ただかかる深山の中にて、ともかくも人家らしきはここの一軒のみなれば、いはば「お助け小舎」の如くに保存せられつつあるものにて、かの板札に記されたる如き宿料は、何年前よりの定めなるかを知らずといふ、狭き小舎ながら室と言はば言ふべかりけるもの、三間に4)りて在り、床板の上に、5)フルムシロ一枚敷きたるのみにて、よろづの体たらく物置小舎より無造作にして汚さ苦し、我らはその一室に草鞋を6)きたりしが、隣りての室には洋服を着けたる山林巡廻の7)二人、導者一人と倶に在り。「今夜はえら賑ふこつたぞ」とあたり構はず大笑したるは、かの8)を男にして見まほしき老猟師なりき、我らが導者は荷を解くや否逸早く、手分量にて米を何合か、齎せる鍋へ量り入れ、磨ぐべく急瀬淙々たる梓川辺へ立ち出でたるあと、我も9)キャハンの紺の滲みに汚れたる足を洗ふべく、つづきて立ち出でたるが、軒を圧してむくむくと天に参せる10)大華表の如き霊山こそ、衝き立ちたれ、川の両岸よりは樅樛の木立黝色になりて、大男の大股踏みしめ、臂を張りたるが、今にも歩み寄らんとする如く、森厳凄惨の気は、この北の方中俣嶽、北俣嶽、烏帽子嶽、抜戸嶽、南の方、硫黄嶽、焼嶽など、一万尺を出入する、山の頂の錐の如く尖りて、破線状の鉄壁を容くれる内に深沈として、をりから天父の唇より洩れたる11)アイキに肌いと寒かりしが、12)ムセイを破れる咳一つ、かの万山中の孤屋よりぞ聞えける。

今にも軒に落ちかからむずるこの巨人は、海抜一万一千五百余尺と測られて、鎗ケ嶽と臂を把つて中州に13)ゴウゲイせる穂高山、夕の空は霽れて水の如く、しかも蒼色より水色に、猫眼石の如く次第に変化するや、夕の色は冷色なれば、何物も目より退く如く見ゆ、それかあらぬか、蒼海原より澄みわたりたる虚空に14)れるこれらの大瑠璃山は一秒ごとに二、三寸づつ我より遠ざかりて、しかもなほ森厳なる15)センエイ点は、半空16)ボアイの水平線を突破したり。


問題の正解は続きにて。。。


続きを読む

「ルイバ」を「エイバ」と読んではいけませぬ、岩波さん!=「鎗ケ嶽探険記」(12)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの12回目です。今回は「その八 梓河畔に立ちて穂高山を観ずる記」のその一です。


これより霞沢山を北西に下るに決す、下り終るところは即ち穂高山の麓なる神河内にして、穂高山と肩を駢べてわが鎗ケ嶽あり。

下るといふもいづこより抜足すべきか、山の頂より七合目ほどのところまで、白檜や樅や栂の針葉樹は、鎗襖を作りたらむが如く、犇々と囲める中を1)クウケンに闘ひ、木々を揺り動かしつつ空翠を十里の外に刎ね飛ばして、四人先を争ひ喧嘩して下る、一里ばかり喬樹蓊欝、灌木2)エンエイ、互に柯を交へて解れず、枝と枝と相触れ、葉と葉と擦れ合ひて緑の大濤3)れをうつ中を、立泳ぎして緑冷の気骨に入るをおぼえぬ、森漸く開けて石となり、石漸く多くして水の奔るもの次第に急激、崖壁高く懸りて突兀空を摩する下、碧潭の小なるもの、往々藍を湛ふるに至る、石は磊々落々たる花崗の大岩、半ば水に沈んで径尺の断水の如きもの、苔衣破れて石膚に心臓形の4)リョウカクを突起するもの、畳十ひらは優に敷き得べしと思はるるほどに濶くして、5)カオク状を成すもの、水中に頭を潜め、肱を曲げて緑蔭を貪るもの、神斧に割られて襞の尖りを波立てたるもの、6)ヒャクタイにしてしかも自ら大小高低、不規律なる石の階段を作る、下るに水深ければ石を繞ぐりて避け、避けてはまた石に乗らんとして手を石に、腰を石に、足を石に凭せかけ、石と石と重畳する間に7)まり、あるいは8)サンボクの下、純水の中に裸身の人の浴を9)れる如く、10)ルイバの横はり11)すが如き石群の間を爪立して飛び飛びに越ゆ、石漸く少く、崖となりて路絶ゆるや、友の足は水湿の12)センタイに辷べりて、谷13)タデを尻の下に根こそぎにしたるまま、三、四間引き摺られ、崖の下に14)モンドリしたるときは、我ら手を額に加へたるまま、為む術を知らず、幸ひに潭浅くして友の這ひ出たるに安堵して、互に顧みたるとき、導者の顔色土の如く蒼かりしは、椎の葉の15)サバたる木蔭に佇みたる故にはあらじかし。

かくの如くして我らは高山より谷底に入り、谷底の窪口より水と倶に吐き出されたるなり。

川漸く濶くして分解されたる花崗岩の白沙は、水晶の屑を堆積したる如く、一万尺余の高山環峙の中、かくの如き沖積土を見むとはおもひかけざりし、しかもその間を黒松落々として峻直に斉列し、林道濶うして砥の如し、導者は逸早く岩魚釣りの足痕を認めたりと叫びたれど、我らには物色せられず、足許漸く昏くして黒松の枝を16)フシドにしたる怪禽は、はたはたと(はばた)きして人を喰ふかや、17)セイソウの声帽廂に落ちかかる下を、梓川の畔なる神河内の孤屋へと辿り着く。

続きを読む

「ヨウチョウ」は「窈窕」でないことは分かるのですが…=「鎗ケ嶽探険記」(11)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの11回目です。今回は「その七 霞沢の急湍を渉る記」の四回目です。

このをりより水尽きて河原――むしろ石原となり、大石小石起伏重畳したる上を踏んで、石壁を登りゆくに、伏流の1)リンロウたるを聴く外には、峰より峰をわたる老鶯の声のみ。

石壁半にして顧れば、我が徒渉し来る霞沢は、山流の特徴なるS字形に曲折して、銀鎖を繋ぎ合せたる如くに畝ねり、両山倚仄したる間を悠々として蛇行す、はじめ谷の底より仰ぎたるときは、聳ゆる大嶺は細皺波の如く、2)ワキョクには3)スイガイ藍光を宿して、万緑雲の如くなるを覚えたりしが、今ここまで登りてみれば、遠近の山は雲の如くよどみ、その雲の上に立つまことの雲は、西側に沿ひて段々上層に向ひ、山上更に尖山奇峰を乱立兀立、その低きものは二重三重にして御供へ餅の如く、高きものに至りては竜巻の天を衝いて騰る如く、或ものは潤ひの中に火色を銜みて、まことの山を焼かんとす、その状観世音菩薩が逆さに建てたる五本の指柱の如く、およそ三千米突より七千米突ばかりはあらむとおもはるる高さに在り、望むべくして翼ありといへども飛行すべきにあらず、葉にあらずして4)ウッソウたるものは、それ雲か、しかもこの裡自ら大熱情を蔵す。

いよいよ霞沢山の頂に近づくまで、路ならぬ路――5)ヨウチョウといふはなほ路あるなり、これは則ち然らず――を草分にして上る、前人の足は後人の額と相6)ぎ、石身7)ヘキレツ圭角稜々、草鞋を嚙み、峻嶮三十度にも及ぶところを、汗みづくになり、喘ぐ息と悶ゆる声と相交はりて上る、8)羅漢柏翠緑滴らんとし、9)山毛欅の木亭々、石松その下に舗き、赭岩は鳶色の秋の日光を浴びて10)素袗を纏ひたる如く、密枝は横斜直上して鍵を掛け合せたる如くこんぐらかり、万葉は海の如く、水の如く、空気の如く、我らは葉にも埋もれて、この中に呼吸する二手三足の11)ヨウビなる虫の如く、かしこに這ひて、ここに懸り、時には岩罅にへたばり伏して石長生に頬を擦りつけ、心臓の早鐘を衝くばかりなる鼓動を抑へてまた上り、蔓には巻いて攀ぢ、枝には擁いて僵れ、人は互に呼べども面も見ず、ただ振かへれば白檜の枝を揺り動かして、緑葉の波に黒鍋の底を上にして浮沈するを見て、導者の12)き到りたるを知るのみ。

漸く霞沢の絶頂に這いつきたるは午後一時、山頂は白檜帯の諸樹13)オウウツとして白日を穿透せしめざるを期したりしが、さすがに、山高ければには、木も漸く14)キソとなり白雲裂けて自ら文を成すところ、15)タイランの尖山奇峰――かれこそは穂高山よ、その肩に頤を載せて尖れる額を突き出せるは、我が鎗ケ嶽にあらずや――隅々を縫ひて、その縫ひ目の鮮やかに16)を成せるところより、天日は光の脚を十方に注ぐ、手を額に加へて17)カンカするに、さきの天壁の如く、雪山の如くなりし雲の峰は、あるいは歪み、あるいは頽れかかり、あるいは五分十分と見る間に飛び去んぬるあり、ああ、時かくの如く侵掠す、「千年」「万年」これ何物を充たすべき、あだし名なるぞや。

膝を投げ出せる我らの上を覆ふものは、白檜の短木にして、その枝より枝へと蜘蛛の巣の如く禽の網をかけ放しにしたるは、何年前のものなりや知らねど、その上に高低出没せる信濃の高山、その中にひと際雄なるは穂高山、その下に銀を敷きつめたる如き狭長き平原を串通して、一文字に流るるは、問はでも知るき梓川、導者指点していふ、かしこの白沢を過ぐれば、神河内にして、則ち今夜我らの野宿するところなりと。

どつかと尻を据ゑて弁当を開く、実に第二回目の昼餐なり、日高けれど木蔭なれば露いまだ乾かず、手の触るるところ、露顆凝つて瑠璃の如きもの、大粒小粒墜ちて声あり、清いかな18)「自然」の涙、何を恨みて人間の掌へはふりかかりけるぞ。

この時この処、日光三分、蔭七分。



問題の正解は続き以下にて。。。



続きを読む

鎗ケ嶽にも人が棲んでいたぁ。。=「鎗ケ嶽探険記」(10)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの10回目です。今回は「その七 霞沢の急湍を渉る記」の三回目です。人に遇う事はないだろうといった矢先に早速裏切られます。鎗ケ嶽にも人が棲んでいたのです。

また1)トセツして磧に下る、導者絶叫して曰く、人あり人ありと、オーイと呼べば彼の同語を2)ゆる、げに山彦にはあらざりけり、ざんぶとばかり水を乱りてその声する方に辿りつく、大石磊々たる間に小舎あり、ここに髯むしやにして面は銅色に燬け、アイヌ人の如き風采ある岩魚釣一人棲めり、この小舎の建てざまは、大木の枝あるものを柱とし、枝より枝へと3)やうの細き生木を懸けわたすこと横に六本、縦に八本、樹皮の縄にて結び(藁縄の如く腐りやすからざればならむ)更に一、二尺ばかりの木を何本となく天椽より吊るし、その尖の枝を鉤形にして「自在」竹に代ふ、また柱より柱へと薄板の棚を釘付けに釣り、茶碗鍋なんどを並べ、毛皮にて作りたる胴着や袴を隅に押し丸めあり、床もなく茣蓙二枚、その間に焚火するだけの空地を剰せるのみ、入口のみは開け放したれど、四周には逆茂木的の丸木塀を囲ひたり、殊におもしろきは手作りの下駄にて、杉板を豆腐形に鋸り、焼火箸にて三ツ穴を無造作に明け、縄をすげて鼻緒となす、この小舎を借りて4)チュウサンすることに決し、市三郎は山刀を揮つて5)ソダを削り、瞬めく間に四人分の箸を作り終りしが、やがてかの槻の皮袋より、乾魚を三、四枚取り出し、予めちぎり置きたる★冬の葉に盛りて、饌に備ふ、「旅にしあれば椎の葉に盛る」の古歌人を欺かず、この間に大石屋の主人は、小舎の裏を捜索して木耳を採り来り、火に炙りて我にも勧めたれど、これのみは気味悪しかりければ肯はず、茶の如き贅沢品はなき代りに、鍋を提げて前の渓流より、水を一杯溢るるばかりに汲み来り、茶碗にてすくひ飲みに飲む、光景真に原人時代のもの、この小舎は6)キョウアイなれど一木一縄皆純潔にして、「いぶせき」といひ、あるいは「賤の伏屋」といふたぐひの感は起らず、岩魚釣の主人は猟を以て本業となす、聞く、この山には蜂蜜多きためにや、熊もまた多く「野猿ボ」などは平常に来ると、かかる深山に独居して怖しきことはなきやと問ひたるに、彼は友公の怪談を物語りぬ。

友公はこのわたりの山村に生れたる壮佼(わかもの)にして、岩茸採りを以て7)ナリワイとなす、岩茸のものたる、見あぐるばかりなる断崖絶壁に生ずるをもて、これを採るものは縄を腰に結び、その一端を岩石または立木に括りて、猿の如く下りゆくなり、時には仲間を語らひ、モツコに座して虚空に吊されながら、庖丁にて掻き取ることあり、彼はこれに妙を得て、人にも推され自らも許したりしが、或日例のごとく岩茸採りにと出でゆきたるまま、帰らざること一週日にも及びたれば、はじめは疑はざりし村人も、こはただごとならじと、手を分けて百方捜索したるに、無残やな、この谿にて屍となりたる彼を発見しぬ、8)ヤツガレもそのをり頼まれたる一人なりしが、今もなほ夕になりて水音の澄みわたるをりは、彼が人を喚ぶ声、しんしんたる木魂に響いて、このときのみ毛穴の立つおもひぞするといふ、我は結飯を囓ぢりながら、この話に耳傾けゐたりしが、山中の気味漸く人に迫るを覚えぬ。前の渓流は9)ソウソウとして花崗の白礫活きて走り、10)筧声の如く、11)杼機(   )の咿啞(イア)たる如く、村女の12)私語の如く、荒涼なる山村を琳々として駅鈴の渡るが如し。

飯し了りて立ち出づ、これより渓澗の石燕を追ひ、流水をZ字形に横斜断し、灌木13)ソウモウの間に出没して、絶壁の下、14)紫蕨の山葵の世をすねたる冷嘲者(サタイリスト)の如く、眼前15)シセキの天地を領して、16)アンジョたるを見ては無性におもしろがりぬ。

なほ登る、導者は叫んで曰く、熊の足痕足痕足痕。

と。就いてこれを見る、杭を抜き去りたる跡の柔土の如く、掘り上げられたる恐ろしさに思はず足を停めたりしが、しかも余窃に信ぜず、なほ行くこと七、八町ばかり、独活の六尺以上なるもの、人身を没するばかりに満山に簇生したるが、こはいかに、野分に吹き撓められたらむ様に、右に左に捩じ伏せられて、17)カイにて爬き去られたる後の蒼海原に、皺の痕を止めたる如くなるさへあるに、その独活の或ものは茎の半よりポツリと嚙み截りたる痕あざやかなるにおどろかされ、独活は最も熊が嗜むものなりと聞くに及び18)ショウゼンとして気色ばむ、熊出でたらいかにすると問ひたるに、市三郎は19)カカ豪笑して曰く「出れば占めたもんだ」と。その状、頑童が土竜を狙ふより無造作なり。

★=「草冠+款」。ふき、蕗。



問題の正解は続きにて。。。



続きを読む

「愿愨」と「黝色」の読みに要注意ですな=「鎗ケ嶽探険記」(9)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの9回目です。今回は「その七 霞沢の急湍を渉る記」の二回目です。いよいよ鎗ケ嶽。「これからは、もう人ッ児、ひとりに遇ふでねえ」。大石屋の主人の一言がアルピニストの緊張感を否応なしに高めます。

なほ行くと一里ばかり、霞沢の1)シンケイ漸く近うして、農家らしき孤屋に衝き当りぬ。枝折戸の傍には桐一本、暦日なき山中に歳月の「みをつくし」の如く高く標立し、この枝の小俣より垣へと斜にかけわたしたる棹には、樹の皮を細長く剥ぎたるを、幾十筋となく乾しあるが、初めは蛇のたくる(のたうつ)かとおどろかれぬ、一庭の畑には2)紫苣の葉油ぎりたるやうに濃く、桑畑その隅に錯はりて3)ソウセイす、濶くもあらぬこれらの畑を前に控へて、椽側長く、4)ロウオウ一人踞りて針仕事をしてありき、導者らは茶碗を宿より齎すことを忘れたりとて、この家にて四個を借り受け、荷を拵へ直しつつある間に、余は背戸の後なる筧に唇をあて息をも吐かず、冷水を飲むことおよそ三升、準備もはや整ひたり、渋茶なりともと押し止むる媼を辞して立ち出づるに「しんびやう(神妙)に、ためらうて、ようお出でなされ」と別れを惜しみて、目送すること、十年の知己の如し、山中の人、風俗5)愿愨にして親しむべきかな。

「これからは、もう人ッ児、ひとりに遇ふでねえ」

と我らを顧みてにやりと気味悪しく笑ひたるは、大石屋の主人なりき。

これより間もなく渓流の側に出づ、紫の組橋亭々として高く澗上に架し、自然石の柱はその両端に尖り出で、その上を竪に横にヤマモミヂは、鳶色に焦れたる櫨の木蔭より水を覗うて、ここなる水の一分は茜色に流れ、早秋の6)ゴウカ、川を焼いて「自然」に7)シュクサツの涙あり。

橋を渡り8)の間に拓かれたる路を拾うて、いよいよ霞沢に下る、9)ホンタン雪を噴きて、石を走らし、その中に全澗を圧するばかりなる一枚岩は、大魚の人立する如く躍り出づ、無色の水も層を成すに随ひて、はじめ透明水晶の如かりしもの、紫乳を搾りたる如くになりて、かしこに渦まき、ここによどむ、磧に沿ふこと四、五丁ばかりにして、石は叫び水楊は10)き、潤緑滴らんとする四壁に反響し、11)ヨウエイしどろに乱れて、寒流の上を白馬と紫騮と、相嚙み、相吼えて奔る。

一同ここにて新しく草鞋を換へ、水を渉る便宜のために、水楊の皮を剥ぎて早速の縄を作り、担荷を緊しきが上に厳しく括り合せ、やをら水中に踏み入りたるに、流迅くして危石も転ばすばかりなれば、両脚抗すべからず、重量を着けむがために石を抱へたれど、かへつてそのためによろめきて水中に顚踣(テンボク)せんとし、辛くも導者に扶けられて吻と息を吐きたりしが、かくして水を横断すること数次、時には深くして膝より臍に及べるを以て、紫蟹の如く崕に這い上り、12)れたるヤマハンノキを踏みたりしに、枝ポツキと折れて余は崖より三尺ばかり辷べり落ち、鉛筆は飛んで旋へらず、ポツケツトに土沙入ること約五合なるに苦笑したることありき。

かくの如き険流犇湍を、13)トショウするの便法は、一本の長棒を把り、14)リョリョク強き導者らをして、その両端を持せしめ、余ら二人その央を握り、「目指し」的に一文字に列なり歩調を揃へながら横ぎるを以て最も安全となす、もし人々個々に渉らば、体量軽きを以て脚を15)サラはれ、あるいは踏みかけたる石の転ぶと共に、前に16)俯める患ひあるなり、余従来高山に登れること多しといへども、渓流の険絶悪絶を極めたるは、実にここなる霞沢を以て無上となす。


およそ梓川七里の長さ、東より流れてまた西に旋ぐる、霞沢より神河内(17)ドゾク略してカミウチと呼ぶ)まで三里半の間、この急流乱山相仄する間を18)バッショウするなり、水いよいよ深く断崖およそ百米突、鉄鉱褐色を成して水を夾むや、水は蛇紋の碧に加ふるに、19)黝色の薄皮を以てし、膏の如くとろりと澄む、ここに至りて一歩も前む能はず、再び崖に攀ぢ登り、懸崕の腰を繞ぐりて大木の雲を衝く中を潜りゆくに、崕と谿との間に樹皮を組み合せたる屋状のものあり、鹿垣にもあらねば熊の栗垣ともおもはれず、聞くにここは「ネヅミ落とし」と呼び、冬に入りて山頂より斫り落す材木を受け留むるところなりといふ、崕の半腹を20)リョウジョウすること三十町余、危峰交も天を衝いて回転し、急湍怒吼して人語を乱るところ、偶ま大屏風の急斜面より珠を噴くごとく、蒲の穂の狂ふごとく、瀑水の高さ十丈ばかりなるもの、鮮緑を洗ひて直下するに行き遇ひぬ、その二段に折れたる間に突き出でたる巌を、しぶきに濡れながら危ふく踏みて、向ひの巌へと跳りたりしが、瀑布を横断したる旅行もこれをもてはじめとす。

☆紫騮(シリュウ)=栗毛の馬。「騮」は「くりげ」。

☆顚踣(テンボク)=つまずいて倒れること。「踣」は「たおれる」。






問題の正解は続きにて。。。


続きを読む

profile

char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

calendar
05 | 2011/06 | 07
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
recent entry
recent comment
category
monthly archive
search form
RSS links
links
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。