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紀行文の大家としては認めるがその文体の癖はどうにも我慢出来ぬ=麗水の紀行文を評す(11)完

明治のアルピニスト、小島烏水の「『日本名勝記』を読みて麗水の紀行文を評す」(近代デジタルライブラリー、「銀河」所収)の11回目目、いよいよ最終回です。烏水は、麗水の特技である形容詞用法に一目を置いているものの、やはり好きではないのです。玉石混淆というか、千三つ。適切なるものはすくなくほとんどが屑ばかりと手厳しい。酷評します。


 さはれ、余は麗水氏の形容詞を用うることの豊富なるこそ服すれ、その形容詞を作る方法と、作られたる形容詞とに向ひて悉く1)コウトウすることを能くせざるなり。氏の形容詞抱負なりといへど、多大の屑を併せ貯へて徒に分量の多きと、目先の変れる珍品の多きに甘んずると見たるは2)ヒガメか。余は麗水氏が形容を作る方法を教ふ、景象を賦するに方り、兵糧として個々の小符調を製造し、之を準備し置き、某の土偶には某の鬘を冠らせ、某の衣裳を着せしめて可なるかの外形に専念にして、土偶に魂を入れること、土偶を舞はして一場の性格劇を演せしむることには、さまで謹慎ならざりしが如し。されば雲も、波も、暗礁も類似の色を認めしより、手帖の中なる「い」の何番道具方より朱兜金兜、「ろ」の何番人形方と餡と砂糖とを一盆に掻き回されては、舌も胃も3)フランして竟には閉口するなり。且つ張喩、活喩は虚飾と比隣すること、又密接する性質あること、磁石と鉄と相吸引するが如く然り、殆い哉。

 嘗て麗水氏の小説を読む、いかゞはしき形容詞の頻繁なること、必ずしも「めざまし草」の一評家が戯に萃めたる麗水形容詞4)ジイを待て後に之を知らざるなり。今にして5)カンゼン6)ヒョウシャクするを得たり、氏の小説は紀行より来る、水を形容し、石を形容し、只だ本来の主格を離れて、その手挌に類似の景物を求むるの習慣、殆ど先容を作り、紀行に臨むの眼と、紀行を草するの手を以て小説に傾注す、形状千様万態なる水石にこそ必要もあれ、形容を借らずともあるべき同じ四肢五体の人間をまで、成るべく7)ヒギ傍引、「一」の字を引くにも曲線にし8)ラセンにし、却てそお本質を9)るをも顧みず、「日本名勝記」にも、「店婦等鳩の如く迎へ、燕の如く顧み」「飯を喰ふこと流星の如く」「舟子、10)ボタモチ数個を喞みたるより脹やかに其頬を膨らせ」とは、何等の滑稽ぞや。

 これより氏が小説の用語に及べば、蜆貝の如き眼、柿の11)の如き燈火、玉黍の如き毛等12)ムイの形容詞、一一引用に倦む、紀行文の病的菌子が13)バイゲツしたる小説の毒は、竟に払拭す可らざる耶。

 14)遮莫、当代の作家15)ヒンピンたるが中に、紀行文に於ては麗水氏16)キョハクたるべし、殷なるかな。




眼新しい言葉遣いが多いのに違和感を覚える。彼が形容する方法をみると、魂より外見を優先させる。すなわち、言葉の意味よりも言葉の新奇さを前面に出す。お餅と餡子と砂糖を一つのお盆で掻き回されたようであると喩える。そして、胃が爛れ凭れるようなもので閉口する。派手な喩えは一つ間違えると虚飾である。麗水の紀行文はそういった危うさを孕んでいるのだ。

麗水は小説家としても名を馳せていますが、烏水によると、「いかがわしい」形容詞がかなり多いという。それは彼の紀行文に由来する特徴であることを漸く見抜くことができた。石や水なら形容詞を駆使してもいいが、同じ人間を表現するのに一々、直線を曲線にしたり、渦巻状にしたり敢えていわば歪曲する。人の態を喩えるのに「鳩の如く」や「燕の如く」「流星の如く」などわざわざ直接的な表現が多すぎて滑稽であると扱き下ろしています。

紀行文で培った悪い癖が人間描写にも及んでいる。小説に現れる奇妙奇天烈な形容詞群が読むに堪えない。それでも麗水氏は紀行文の大家であるのは間違いない。烏水はその美文には敬意を表しています。

最後に結論ではないですが、漢文調の誇張表現は明治の後期から大正にかけて姿を消します。言文一致体が主流となります。人々の自由表現に対する渇望がそうさせたのだと思います。西洋流の人間描写が日本人の手にも伝播したのです。必然、自分の感情を押し殺す漢文体が廃れる。漢詩も廃れるのと軌を一にしているでしょう。そうして日本人は自由と引き換えに言葉を失って行く。どっちがいいのかは分かりません。その弊害の答えはまだ出でいないでしょう。失った物と得た物の差引勘定はプラスかマイナスか。常に自問自答してこのblogをしたためています。紀行文における文体の変化はその答えの示唆を与えてくれるのではないでしょうか。烏水自身が麗水に敬意を表しながらも非難するのは自分自身に対するものでもあります。なんとなれば、烏水自身、雄渾な漢文調の紀行文を書いているからです。それが「鎗ケ岳探険記」。吃驚する位に豊富な語彙、それこそ形容詞軍の羅列は麗水に勝るとも劣りません。そんな彼が麗水の文章をこれほどまでに扱き下ろすのは得心がいかない面もあります。しかし、烏水は明らかに漢文体を捨て去ります。蠟燭の炎が燃え尽きる前の最後の燃え盛りだったようにも思えます。渾身の筆。次回以降はしばらくこの探険記を瞥見していくこととします。お楽しみに。

問題の正解は続きにて。。。




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ぴりりと引き締まった形容詞の連続は注意力を倹約する=麗水の紀行文を評す(10)

明治のアルピニスト、小島烏水の「『日本名勝記』を読みて麗水の紀行文を評す」(近代デジタルライブラリー、「銀河」所収)の10回目です。簡潔な漢文表現は「倹約」だという。さまざまで意妙な変化のある物を的確に言い表すには便利だとも見ている。麗水はそのスペシャリストなのです。このあたりには烏水も敬意を表しています。例えばということで「石」を引き合いに出しています。

 こゝに石ありとせよ、一切の形容を1)カンせられて文を作るとせよ、数は何百何千、大なるものは縦横何尺何寸、形は方、円、楕円、尖、平、色は何に何を配合し、位置は何との間にありなどゝ書きては、明瞭は或はあらむ、正直もあるべし。而も字句を累ぬること徒に多く、想像力は左扯右牽せられ、幾多の諸元素を追加し随伴するに忙はしく、石といふ題目は忘却せらるにあらずんば微弱に了らんのみ。寧ろ「石皆2)蠢然として起ちて羊となる」的に無生を有生にして、「石の形3)缺甕を立てたる如し」と誇大にすることの倹約なるに如かず。麗水氏さすがに能く兵を知れりといふべし。

 或はいはむ、くだくだしき形容、4)佶屈聱牙なる難文字を用ゐずして自然を描けるもの橘南谿の「東遊記」以下、貝原益軒の「木曾路記」の如き、其例に乏しからずと。試に易軒先生の「木曾路記」より一文を5)バッショウせむ。

 寝覚の床の大岩は、西の方木曾川に臨みて、其の石岸屏風をたてたるが如し、むかひにも大岩あり、両岩の間、水の幅は三間、瀬ありて瀧の如くみなぎり流る、大河かくの如くせはく流るゝ故、深きことはかり難し。その両岩のせはき所、長五十間ばかりあり、上の水の落口の岩を上岩といふ、河中にまな板石とて一の石あり、川むかひの大岩の上に三の穴あり、一の大なるを大釜といひ、二の小さきを小釜といふ、皆そらに向かへり、むかひに屏風岩とて屏風を立てたるが如き岩あり以下岩の名を略す川向ひに岩山あり、其の上に檜、6)モミ、7)ツガ、松など茂りてうるはし、およそこの地は他所の勝れたる風景にもこえて奇妙なる風なり、いつくしく潔きこと心にもしるしがたく、ことばにものべがたし。

まことに簡浄明瞭、水石の配置形状掌を指すが如くに白描せられたるものから、石の奇恠の状をなして起倒せるさま、水勢の雹狠雨狂せるさまは、この文に活現せりやと人の問ふあらば、古人に8)ネイする僕の如きも手を額に加へて9)シュンジュンせざるを得ず、而して寝覚の床を撮影する所以のものは実にこの石と水とに活を入れることにあらざりしか。所謂活を入れるもの、形容詞を借らずして他にありや。若しあらば其人必ず絶代の大詩才、大詩才一人の故を以て修辞学の一原理を抹殺することを得ず。藍より青きもの出づるとも、藍の青きは永久に失はざるなり。

麗水の特技は形容詞にあること前にいひき。「不二の高根」の一節。

 静に起ちて扉を推せば落月袂に在り、寒星人親しむ。微茫のうち物あり、簇々として来りて石室を去ること数尺のところを過ぎる、白衣冠して白馬に騎するものあり、素車に乗るものあり、白幡をくるものあり、庵を度りて声なく寂として行く、岳上の鬼物、この夜闌け10)ジンライ絶ゆるの時に出でゝ遊ぶなからんや。燈を執りて之を照せば馬や幡や車や忽ち消え、青紗の如きもの袖辺を掠めて飛び、一気あり、水より冷かに来りて燈を吹き滅し、一団の白気上峰に向て去る。蓋し夜雲の行くなり。

の如き、張喩、活喩の11)キンショウ自在、光彩12)リクリたるものあるをおぼゆ。初めよりして雲をいはず、只だ「物あり」といひて雲といふ実体を確定せず。一読して之を「岳上の鬼物」に繋ぎ、再転して所謂岳上の鬼物を読者の心中に負い行きて漸く雲らしき想像を形成せしめ、遂に「葢し夜雲の行くなり」と憂然白し去る。人は明かに教へらるより、教へられるゝあるものを辿らんとする好奇心あるものなり。故に説明する形容は、説明せらるゝ物体の前に立ちて読者をおびき出さゞる可らず、或は言はむ、かくの如く長く複雑なるは倹約にあらずと。形容詞或場合にありては時間の倹約にはあらざらむ、然れども確に注意の倹約たるを失はず、感触の倹約たるを妨げじ。この漸層法によりて確に雲なる物体を活躍せしめ、13)ハイゼン禦ぐ莫らしめたるは数千言の水蒸気の講釈に勝る。


☆左扯右牽(サシャユウケン)=「扯」は「ひく、ひっぱる」の意。左に右にふらふらゆれるさま。ここは、自分の想像力が一定しないことをいう。


事物、風景を言葉で描写する上で形容は便利。麗水はこの勘所を心得ていて自在に言葉を操って形容するのが大得意なのです。いささか「くだくだしい」感は否めないが。。。

これに対して貝原益軒を引き合いに「難文字を用ゐずして自然を描いた」例として挙げています。
「まことに簡浄明瞭、水石の配置形状掌を指すが如く」と絶賛。しかし、形容詞が一切ないため水の動きが「活写」されていないという。これに対し麗水の「不二の高根」。形容詞のオンパレード。あまりに多いので鍵鑰ではないと言われるかもしれないが、確かに時間を倹約できていないが、読者の注意力は倹約できている。麗水の「漸層法」はまさに読むものをして文章に入りこませる効果は絶大である。だらだらと述べるよりはびしっとしまった漢語による形容によって、美文か麗水の真骨頂がここにあるのだと喝破します。しかし、烏水は麗水の紀行文は嫌いなのですが。。。。

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嫌いではあるが形容詞で飾る力量は認めざるを得ない=麗水の紀行文を評す(9)

明治のアルピニスト、小島烏水の「『日本名勝記』を読みて麗水の紀行文を評す」(近代デジタルライブラリー、「銀河」所収)の9回目です。麗水の文体における最大の特徴は「形容詞」だと見抜きます。語彙力豊富なだけにあらゆる形容詞を自在に駆使しているという。形容詞と言っても単純に「赤い」や「広い」といった類ではなく、ある名詞を言い換えたり、比喩的な表現を指しています。麗水の紀行文では「提喩」(全体と部分との関係に基づいて構成された比喩、花といえば桜をさす、換喩ぼ一種)、「換喩」(あるものをあらわすのに、これと密接な関係のあるもので置き換えること、角帽といえば学生をさす類)、「明喩」(直喩と同義、たとえば、あたかも、なががら、ごとしなどの語を用いて直接たとえるものとたとえられるもののを比較する、堅き事鉄の如しの類)、「張喩」(誇張表現、白髪三千丈の類)、「活喩」(擬人法)が多く、「暗喩」はほとんど見られないといいます。紀行文特有の性質によるものだと烏水は説きますが、麗水の場合はそれだけではなくやはり、漢文の素養が大きいとみています。漢文は直截性が命。回りくどい表現は好まないからです。烏水は麗水のこの特質については容認しています。

 既に1)コウカ相半したる特色を説く、今一層特色なるものを2)くに最も際立ちたる分子は形容詞なることを認めたりき。当代の文士中、麗水は最も形容に豊富にして駆使自在なり提喩(シネクドーク)、換喩(メトニミー)、明喩(シミリー)、張喩(ハイパーボール)、活喩(パーソニフィケーション)いと多かる中に、暗喩(メタフホーア)の少きは紀行文の性質、比喩を言語文字の中に埋蔵含蓄して隠約の間に人をして模索せしむるの要なく、(西詩には叙景にも多けれど)且つ漢文脈の系統を享くること多き麗水氏には御宗旨違ひのためなるなからんや。而して提喩は鎌倉の章に「和田義盛が白首3)ギョウユウ云々、刀折れ馬斃れ云々」のごとき、老人といはずして白首といひ、力尽き兵敗れといはずして刀折れ馬斃れといふ、全体に換ふるに、その全体中の首脳なる一部分を抽きておのが抱ける観念を他に伝ふること一層便利ならしめ、精確ならしめたるものなり。換喩の例は、少しく適切ならざれども江の島の条に「大岩の上を蝸附猿攀し」のごときなり。附攀にても通ずるところなれども、動詞のみにては強からねば、その動詞に随伴すべき性質の有形名詞、蝸と猿と捉へて一層具体ならしめたるものなり。これらの例は多く見えざるにあらねど、切に言へばこれ普通人の慣用せるところ、寧ろ麗水氏に特色を許す可けむや。只だ明喩、殊に張喩、活喩等粧飾に用ゐられたるものは、毎章十を以て算すべく、例を挙げんには其4)ハンルイに堪へざるなり。麗水氏の文を評するもの動もすれば浮華といひ、虚飾といふ。焉んぞ知らむ世の所謂真率といひ、樸茂といふは、多くは感動あまりありて之を表彰するの術に乏しく、浮華といひ、虚飾といふは技に裕かなるため、吾が包抱せる観念の大サより尚多くを潤色皇張し得るものなるを。浮華虚飾の如きは実用の文、吊傷の文、論策の文などにこそ禁物なれ、美文にありては、殊に紀行文にありては、山容水態の変幻出没に伴ひて、文亦雲烟を湧かし、或は頓旋して無生物が有生物になり、或は抑弛して一尺のものが一丈になり、5)シュウゼンとして兎起ち6)倒れ、水落ちて石露はれ、7)痩せて沙肥えゆる底の排列を許すは修辞学上、明かに許すところ、要は「白髪三千丈」の如くあまりに不釣合なるを避くれば足るのみ。形容詞、殊に張喩、活喩を以て虚飾視し、大袈裟視するやからは、写真器械に種板、暗箱、薬品の用あるを知りて、凡ての物体を倒写する透玉(レンズ)を忘れたるのみ。形容とは、精神の労を省くため、特殊の意象を喚起するため、尋常の題目を詩的性質に高むるため、「二に二を加へて四となる」的の理窟を避けて一飛躍に主格、もしくは主格の分身を攫み、之を面前に開展するをいふ。さればスペンサーは定義を規して「形容は倹約のためなり」といひき。(「文体論」)この言葉して8)ショウシツせりや否やと知らざれど、少くとも網を以て煙を9)ふものにあらじ。


提喩や換喩の例も枚挙に遑がないが、これらは通常の人の紀行文でもよくあること。むしろ、「麗水氏に特色を許す可けむや。只だ明喩、殊に張喩、活喩等粧飾に用ゐられたるものは、毎章十を以て算すべく」といいます。誇張表現こそ麗水の真骨頂。したがって、世間の麗水評は「動もすれば浮華といひ、虚飾といふ」。ここは烏水が反論します。「焉んぞ知らむ世の所謂真率といひ、樸茂といふは、多くは感動あまりありて之を表彰するの術に乏しく、浮華といひ、虚飾といふは技に裕かなるため、吾が包抱せる観念の大サより尚多くを潤色皇張し得るものなるを」。

つまり、世間の凡人が感動を文章にする場合、その表現すべき言葉に乏しいがために朴訥なものにしかできていないだけであるのです。翻って、麗水は豊富な有り余る語彙があるが為、観念を凌駕する潤色、誇張の表現になってしまうのです。これは持って生まれた力量の違いだろうから致し方なし。

「実用の文、吊傷の文、論策の文などにこそ禁物なれ、美文にありては、殊に紀行文にありては、山容水態の変幻出没に伴ひて」。実用文ではアウトだが、美文の範疇においては最大の武器である。風景を誇張できるのだから。

「形容とは、精神の労を省くため、特殊の意象を喚起するため、尋常の題目を詩的性質に高むるため、「二に二を加へて四となる」的の理窟を避けて一飛躍に主格、もしくは主格の分身を攫み、之を面前に開展するをいふ」。

形容という詩的価値の向上。その能力は誰あろう麗水が最高のものを有していることは疑う余地はない。「形容は倹約のためなり」というスペンサーの言葉は知りませんが、麗水の紀行文の特徴を的確に言い表しているのです。簡素な表現に盛られた過大な形容語彙の数々。支那諷味のきらいは強いものの、風景を飾っているのは間違いない。好き嫌いで言うと嫌いなのだがその力量は認めざるを得ない。といったところでしょうか?

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支那風書き換え、わざわざする必要あんのかぁ?=麗水の紀行文を評す(8)

明治のアルピニスト、小島烏水の「『日本名勝記』を読みて麗水の紀行文を評す」(近代デジタルライブラリー、「銀河」所収)の8回目です。麗水の文体分析が始まります。具体例に即して揚げ足を取ります。やはり支那風味が気に入らないようです。ここは日本だぁ。。。ってかぁ?

 是に於て余は、麗水氏が実に遠かるども文の潤色に専念なる事実を列挙すべき責を担いぬ。先づ擅に地名をA)四角張らしたる、富士の「馬返し」を回馬阪、塩原の「見返りの瀧」を回顧瀧などゝ拙く評したる、これらは先人にも説ありし江戸を荏土と唐様の1)コウフンをまねびたるに似たるものから、振仮名には俗称のまゝを附したるもあれば氏を2)はすに足らずとせむ。団子なる通俗向きを糕子と3)ね、河鹿を4)金襖子と洒落たるたぐひは、実用文ならぬ美文にありては俗眼に遠き文字を5)して雅味を保つ一手段なるべけれど、海老をカイラウと呼びて魚売人を閉口させたる村夫子の昔話に似たらずや。これらは瑣細なることどもなり、「松島に遊ぶ記」の一節、「群童あり、手を聯ねて6)を作し、且つ舞ひ且つ歌ふ、旗亭綵花燈を簷に懸けて薄花糕子を置く」に至りては、誰か松島のほとり7)ヒナびたる一村落なりと想はむ、支那か朝鮮に於ける仲秋なり。「処士が百宝の花髷を被り、紅凰の花鞋を穿ち、霞衣を披きて舞ふ」の句も似たり。小田原城内小峯の梅林や、8)ボウオク三五菜畑を夾み槎枒たる古梅樹多けれども、地は残濠を隔て市街に接し、甚だ9)ユウスイならず、麗水氏文を華にして曰く「小峰の梅林あり、春風吹き度りて寒雲山を偸却す」と、10)エンゼン信飛山中の景なり、吁嗟、これ麗水氏が実に遠かりてまで極力潤色したるものにあらざりしか、而して又これ他に見る可らざる麗水氏の特色にあらざりしか、文癖にあらざりしか。

★「糕子」(コウシ)=こってりした蒸し餅の類。外郎の一種。

★「槎枒」(サガ)=木の枝や石が、角張って引っかかるさま。槎牙とも。




下線部A)はどういうことか。説明せよ。

麗水が「潤色」作業に躍起になっている例証を挙げます。地名や普通名詞を殊更、漢語仕様にしているのが多いという。江戸時代の荻生徂徠の「古文辞派」にみられたスタイルでしょう。高野蘭亭、服部南郭、平野金華らの漢詩を読めば一目瞭然です。麗水の支那癖も影響を受けているのでしょうか?

烏水は麗水がわざわざ迂遠な形で文章を支那風に潤色しているといいます。完全に麗水の紀行文の特色であると。このわざわざというのが味噌。いったん書き上げた文章を推敲のプロセスにおいて書き換えているというのでしょうね。どうにも気に入らないようです。わざわざ。。。んなことする必要あんのかぁ?てな感じでしょうか。





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なくて七癖あって○○癖。。。いくら何でも多過ぎでしょ=麗水の紀行文を評す(7)

明治のアルピニスト、小島烏水の「『日本名勝記』を読みて麗水の紀行文を評す」(近代デジタルライブラリー、「銀河」所収)の7回目です。ほぼ同時代を生きた紀行文家、ジャーナリストの遅塚麗水が書く紀行文を仔細に分析した中で、烏水が最も合点の行かないのは、言葉遣いがルーズなことです。その言葉自体は漢籍に裏打ちされた見事な物なのだが、あまりにも多用し過ぎており、何でもかんでもに当て嵌めてしまっている結果、いわば上辺だけが綺麗な陳腐な支那風味の景色がかたちづくられている。そんな捉え方をしているようです。言葉に溺れているというのは言い過ぎか。かつて陸機の「文賦」を味わった時に、心の底からほとばしるものを文字に表せ、朝咲いた花が夜には萎れるように、陳腐なフレーズは厳に戒めよ、(若干正確ではないですが)といったことを文章を書く際の基本とせよと学んだ記憶が残っています。これを参考にしてもいいかも。。。

 他の方面より之を何とか見つる、曰く大概の詩人に免れがたき用語癖なるべしと、或は用語癖なるべし。然れども若し小説家ありて十六七の女を皆文金の高髷に結はせ、容貌を沈魚落雁羞月閉花の一天張に形容して退くれば、その軽便にして無造作なる、世亦之に若くものあらじ。さるからに、この七人以上の影武者を有する女将門は、恐らくは土偶たるを免かれざらむ。紀行文の死活を司る叙景の文句を用語癖によりて塩梅するは、山水を型中に鋳るものなり。かの「西遊記」に見えたる金角大王の瓢に盛られたる人の必ず水に溶け去りけむごとく、その作家の手に成れる山水は一種鋳型の置物となりて玩ばるに至らむ。かくては数千言を費して1)彫鐫を力めたる大文章も一短幀の文人画、生気2)エキエキ気韻浮動せるものに劣ること万々。麗水氏豈之を知らざらむや、余氏に代りて自問自答一の解式を案せり、そは麗水氏の文体なりき。

 「なくて四十八癖」を有する人は行文にも3)幾何の癖あり、その癖たる、己にのみ存して他に見る可らざる一個自然生の特色なり。世人往々他を評してその長所は則ちその短所の言ある、能く癖の正体を看破したる言なり。実にや曲れる蓬も、おもしろからねど、直なる麻も猶妙ならず、一寸瘤のある枝こそ瓶に挿みて興あるべけれ。文を以て一家を成せるもの、誰かこの癖あらざりける。癖はやがて文体の脈を成し骨を組む。熟ら麗水氏の文詞を窺ふに漢文の4)チョクセツにして5)カンケイなるはあり、洋文の曲折にして6)ウヨなるは未だし、手っ取り早く抽象し去ることはあり、気魄未だ寓するに及ばざるを奈何。肉眼は色彩を視るに敏、容態を写すに長ず、然れども色彩なり容態なりを天真流露するは敢て肯ぜざるにあらざれども、何となく物足らぬ心地すればにや、その物足らぬ心地とは吾特色を発揮するに都合悪しければにや、一木一草も必ず之を潤色す、潤色して実に遠ざかるを患へず、只だ潤色の足らざらむことを患ふ、足らざれば特技を用うること7)セイチュウせられたる如く、セイチュウさるれば文は美ならず、むしろ華ならず、景と文と8)カンカクしたるときは吾文に従ふなり、意と文と阻碍したるときは意を9)ジュウリンするを忍ぶ。麗水氏是の如くして紀行文の名家なり、余故に半ば服し、半ば服せず、果然、長所は則ち短所なりき、然れども角を矯めて牛を殺し、苗を10)きて根を枯らすは余の与みせざるところ、11)ヒャクソウ千孔、麗水氏夫れ之を甘受するに吝かならざるなり。


「なくて四十八癖」は正確には「なくて七癖あって四十八癖」。どんな人にでも最低でも七つくらいの癖がありある人だと四十八もある。麗水とてそれはある。しかし、自分にだけあって他人に無い癖であるならば、それは立派な個性と言えるだろうが、長所は短所でもあるという通り、その癖は大いなる欠点でもある。真っ直ぐな麻畑に生えいる曲がった蓬、ちょっと瘤のある枝も生けて妙味がある者。誰にだって癖はつきものです。文章上の癖は、文体上の根幹となって骨組となってしまう。麗水の場合はどうでしょう。

漢文のシンプルな美文です。ヨーロッパのくどくどしさに比べれば何とも簡潔であるがあまりにも具象を抽象化していて気迫が感じられないのはなぜか。目で色を見てそのさまを文章に写そうとする。どこか物足りなくて「潤色」を施す。その結果、最初に見た色やさまから離れるようなことがあっても構わない。むしろ、まだまだ「潤色」が足りないと心配する。特技、美辞麗句で飾ることですが、これを用いてはダメだと心の中で葛藤があったとしても、文は美しくなければだめだ。風景を描写しようとして文章が平凡になってしまったときは、文を優先させる。文が美しければ意味が伝わらなくても我慢できる。――これが麗水の真骨頂、最大の癖だと烏水は看破します。半分尊敬もするが、半分は軽蔑もする。麗水の最大の特徴ではあるが最大の欠点でもある。だからといって彼からこの美文を特技を奪ってしまうと全体の文章は読むに堪え得ないものとなってしまうことはわたしにはよくわかっているという。だからこそ「なくて七癖あって四十八癖」。麗水とて馬鹿じゃあるまいしそんなことくらいお分かりのはずでしょう。

そこで「文賦」。文章の基本は内なる心の迸り(魂の発露)をいかに大事にして言葉として、文字として表せるかどうかに尽きるでしょう。そこにいろんな色を塗りたくってしまえば原型をとどめなくなる。新鮮な気持ちこそが真の文章につながるということです。麗水の紀行文を読んで烏水がどうして「潤色」だと称したのかは今一つ鮮明ではありません。ただ、確かにに多様な形容が多いのは事実であり、支那風味になっているのも免れないところではあります。

用語癖。作家独特の言葉のくせというものはあるでしょうが、うら若き乙女がみな高髷を結って「沈魚落雁羞月閉花」(いずれも美人の常套句)で飾ってしまう小説家がいたら、安直過ぎるのは言うまでも無いことです。「この七人以上の影武者を有する女将門は、恐らくは土偶たるを免かれざらむ」とは突然ですが、どれが本物なのだか分からなくなるということでしょう。土偶か?欧米か?。。。次が重要で「紀行文の死活を司る叙景の文句を用語癖によりて塩梅するは、山水を型中に鋳るものなり」。紀行文は叙景の文句がすべてだから、用語癖などというもので左右されるのであれば、それはあたかも山水の風景を鋳型に納めてしまうもの。ステレオタイプの陳腐な代物が出来上がる。鯛焼きの型に入れて出来あがって鯛焼きはどれも同じように美味いが、味は同じだということです(ちょっと違うか?鯛焼きは美味ければ何でもいいか)。「一種鋳型の置物となりて玩ばる」と辛辣です。

数千言を費やした大文章も、一幅の山水画には活きのよさでは勝てない。そんなことは麗水も百も承知であろうと烏水はみています。彼に代ってその欠点を論います。それは文体です。



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違う物は違う描写で、同じ物でも違う描写で=麗水の紀行文を評す(6)

明治のアルピニスト、小島烏水の「『日本名勝記』を読みて麗水の紀行文を評す」(近代デジタルライブラリー、「銀河」所収)の6回目です。自然を描写する際、言葉を峻別することの重要性を説きます。


 天地間の森羅万象皆特色あり、特色は自らなる区別を劃す、同じく山を描くも、1)カコウ岩と火山岩とは、一は麗、一は壮、一は錦画の如く、一は文人画の如く、一は和歌の如く、一は唐詩の如かるべし、星月夜鎌倉山より眺めたる七里ケ浜と、2)コサ吹く風に曇る春の夜のおぼろ月を漂せる陸奥の海とを比すれば、一は3)ソウロウなるべく、他の一は4)インメイなるべく、一は妖嬈なるべく他の一は5)ゴウトウなるべし。只だ混沌として石の大をいひ、水の壮を説くとも、そは姝の髩と姫の眉を区別する眼力なくして、ボンヤリと塗り立てたる麗人に恍惚たると一斑のみ。

 余が諸家の紀行文を査する、私に眼を着くるところは旨としてこゝに存したりき、麗水氏の文を誦する亦然りき。氏が構文に巧なる、造句の奇なる、用語に富める、いづれも凡に超ならざるはなきものから、何とて只だ特殊の景象、即ち龍にありては睛、仏にありては6)ビャクゴウ、人にありては性格ともいふべき特殊の景象を閑却せるかを疑はずんばあらず。由井ケ浜も、瀬戸明神も、千本松原も、三保松原も、所謂「白砂青松」とか、「蟹荘蜑舎」とかいふ一種の符合(シンボル)に過ぎざる名詞を7)サクソウして大づかみに輪郭を画し、余は多少の手加減を施したるのみ、富士に登れば雲を形容していふ、「金剛力士の金兜を戴き朱甲を擐し」伊豆石廊崎の8)ハトウを形容していふ「銀兜素甲の軽騎」同国外浦の乱礁皆赭色なるを形容していふ「朱色金兜の金剛力士の9)ゲキシュして」この類のみ。又江の島龍窟を「10)谺然として人を呑まんとす」熱海錦浦を「巨巌谺然として海を呑まんとす」妙義の金洞山を「洞谺し雲を呑み」と、この例尚序を逐ふて十を挙ぐることを得べし。同一の形容詞を累出すること斯の如き、他人にありては或は文字に11)しく用語に貧なりとなるものもあらむ、用語に12)フセンなる麗水氏に負はすに至りては、断じて13)フゲンとして之を14)ヒンセキするを躊躇せざるなり。

★「妖嬈」(ヨウジョウ)→妖艶でなまめかしいさま。




「余が諸家の紀行文を査する、私に眼を着くるところは旨としてこゝに存したりき、麗水氏の文を誦する亦然りき」。烏水が紀行文で最も大事な点は同じ事物、風景でもその描写のありようはその時々の状況や気持ちによって全く違うということです。いわんや、違う事物であるならばなおさら異なるはず。ところが、麗水の紀行文では全く違う事物の描写に同じ表現が幾つも取り入れられている。あたかもぼんやりとお化粧を施した支那の麗人の如く。。。

ただし、烏水が麗水に一目を置いていることは「氏が構文に巧なる、造句の奇なる、用語に富める、いづれも凡に超ならざるはなきものから」でお分かりだと思います。文章は美味い、語彙も豊富、所謂美文という奴であることは間違いない。それだけに紀行文としての価値が貶められているのではないか。そんな不満が募っているのです。

例えば、「蟹荘蜑舎」。これは漁村の風景には必ず出てきたのを覚えています。面白い言葉だとは思ったものですが、支那風味たっぷりすぎて日本の漁村には似わないきらいもあります。烏水は麗水を尊敬しているからこそ、あまりにも単調な形容が多くて、日本の風景を書いていないと閉口している。芭蕉を見習えとでも言うのでしょうかね。

作家がに多様な語彙や表現を多用するのは文体や一種の癖のような気もしますが、烏水にすれば、あまりにも麗水のスタンスがアバウトなので耐えられなかったのでしょう。

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ここしかない「花橘も茶の匂ひ」は駿河路、「山吹も巴も出づる田植かな」は木曾路=麗水の紀行文を評す(5)

明治のアルピニスト、小島烏水の「『日本名勝記』を読みて麗水の紀行文を評す」(近代デジタルライブラリー、「銀河」所収)の5回目です。動かしがたい自然を写し取るのが紀行文。烏水は続いて松尾芭蕉の例を挙げます。奥の細道の有名な一節をご覧あれ。

嘗て芭蕉の句を読む、「駿河路は花橘も茶の匂ひ」さまでの秀吟とはおもはれねど駿河路の三字、茶を待て一篇の好風土記をなす、鏃の石に没したるごとく援く可らず。三河路と改むるも不可、相模路武蔵路も同じく適せず。今の静岡ならではこの七五を下す可らず。然れども若し冒頭より駿河路と地名を冠らせたるは露骨に過ぐといはゞ、許六の「山吹も巴も出づる田植かな」とはいづこの道中に於ける即興ぞ、日本六十余州木曾路を措て他にこの句を活かす土地はあらじとぞおもふ。古池の蛙、枯枝の鳥はわが庭にもあり、詩才あるもの膝を抱きA)吟髭を捻断して苦悶一日なれば即ち獲るに難からず、只だ花橘も茶の匂ひと活を入れるに至りては衣袂1)イッコクの玉露を浴びせられる心地して2)ホウクン怡ぶべく、これB)杖と草鞋との厚賚なり

芭蕉が「奥の細道」に高館の古跡を吊したる一文と、仙台の俳人大淀三千風が平泉中尊寺に詣でたる文とを3)テキメンに対照せよ。

 三代の栄耀一睡の中にして大門の跡は一里こなたにあり、秀衡が跡は田野になりて金鶏山のみ形を残す、先づ高館にのぼれば北上川南部より流るゝ大河なり、衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落ち入る。泰衡等が旧跡は衣が関を隔てゝ、南部口をさしかため夷を防ぐと見えたり、偖も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢となる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷て時のうつるまで涙を落し侍りぬ。

 夏草やつはものどもが夢の跡 芭蕉

古人の成句を交へたるところあれど、さすがに山河縈帯せる4)キントウの固めも今は牧童の夢を安んずるに過ぎざる威愴はほのかに見えたれど、

 いつしか老松枝を垂れて御坂をかくし、蒼蘿蕗ざれては参詣の履を滞む、杉外の一燈5)コウコウとして神寂びたり、石室金床いつしか蛍蜹の閥となり、百房千舎いたづらに臥猪の宿と成にけり。  三千風

に至りては文の6)ベンレイ巧ならざるにあらず。而もこれ水滸伝に見まほしき一古刹の7)コウリョウ、平泉の中尊寺にはあらざりき。実に山水は其普通名詞を描くことの難きにあらず、某の山、某の水と指れたる固有名詞を写すことの難きなり。されば絃を放れたる箭の金的を洞するか、銀的を貫くか、抑も大地を8)ふて土を穿つかを自ら弁へざる臆病武士の傍目にをかしきは、春か、秋か、砥石か、9)コンニャクか、錦繡の10)か蒔絵の盆かを11)ケンベツす可からざる恠物を絵くゑせ風流の文人といづれ。

★「恠物」は「カイブツ」。怪物。「恠」は「怪」の異体字です。




芭蕉の「駿河路は花橘も茶の匂ひ」は「花橘」、「茶の匂ひ」と続け、駿河路を詠んだ風景はこれしかないとぴったり当て嵌まっている、と烏水は言います。前回、「動きが取れぬ」と言ったのですが、この意味を敷衍しています。これしかない。冒頭に「駿河路」と地名が置かれていてあまりにも露骨であるかもしれないというのなら、森川許六の「山吹も巴も出づる田植かな」を見るがいい。これなら地名は何処にも出てこない。けれども誰がどう見ても全国で「木曾路」をおいてこの句が描写した風景は浮かぶはずはないという。「山吹」も「巴」も木曾義仲の愛妾を諷喩しているからです。風景を描写する言葉の必然性。どれにでもあてはまるステレオタイプではない。これこそが紀行文が描くべき世界であると烏水は考えます。何処にでもあることばを此処にしかない風景に当て嵌めてこそ紀行文の真髄であるとでもいうのでしょう。わざわざ足を運んだ結果なのだ。自分の眼で見て感じて言葉に表した。想像で誰もが浮かぶ言葉で置き換えてはいけない。言葉が浮ついているだけだから。

芭蕉が「奥の細道」の高館の古跡を詠んだ一節と、三千風が同じ場所を四六騈儷体のようか美文で詠んだ一節とを比べて見てもこのことが如実に分かると烏水は言います。芭蕉はさすがに日本の風景を杜甫の詩を織り交ぜながら詠んでいるが、三千風は完全に水滸伝。もはや支那の風景であって中尊寺のそれではない。文章は確かに美しいが、自分の眼で見たものと言うよりは中国の古典に置き換わってしまっている。だから、紀行文というものは、普通名詞を詠むのには適しており難しくはないが、故事来歴のある土地や名所を写し取るのは難しいという。戦のさなかに自分の役割が何なのかをわきまえない臆病な武士のように、季節がいつなのか、固いのか柔らかいのか、ふくさなのかぼんなのか、自分の見たものをはっきりと区別できずに絵を書いてしまう似而非文人墨客と言えるのである。見たものを言葉にするのは簡単ではない。ここをしっかりとわきまえて紀行文を書くことに臨まなければならなと考えている。麗水の漢文体の美文にはそこのところが弱いのではないかと烏水の眼には映っているようです。

この辺りは迂生には論じ切れません。麗水の美文とて故事来歴を弁えて自分の見た風景を写し取っているように思えます。烏水は日本の風景は日本の言葉で写し取りたいと考えているのでしょう。しかし、それは簡単なことではないのです。自分の知っている言葉で置き換えてしまうのは誰しもやること。それが麗水の場合は漢籍の素養に裏打ちされた言葉だというだけのような気がします。したがって、紀行文とは呼びたくない代物になっていると烏水は見ているのではないでしょうか。




下線部A)、B)をそれぞれ解釈せよ。


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「動きの取れぬ」描写こそ心掛けよ=麗水の紀行文を評す(4)

明治のアルピニスト、小島烏水の「『日本名勝記』を読みて麗水の紀行文を評す」(近代デジタルライブラリー、「銀河」所収)の4回目です。烏水は、自分の眼で見た物を見たまま写し取ることが紀行文の神髄だと説き、詩人が自宅にいて想像力を働かせるように書くべきではないと主張します。麗水とて想像では書いておらないはずですが、彼のアバウトな紀行文は、美辞麗句で飾る事に腐心していることから紀行文としては一枚落ちるというのでしょうか。

「東関記」の著者釈沢庵、鎌倉に遊びて大塔宮の遺跡を吊ひ、七絶を賦して曰く、「親王遺跡見残塋。土窟陰々春草生。堪憶豼貅三十万。将軍躍馬入威京」と。「親王遺跡見残塋。土窟陰々春草生」は疑もなき東光寺の古蹟、帝子1)を嚼みて千古の恨を遺したるところ、2)ドンソウ短くして露華滋き風物を想起せずんばあらず。而して「将軍躍馬入威京」と結ぶに至りては、今まで読める太平記を半途より奪はれて史記を代与せられたる感あり。蓋し一部鎌倉史を詠ぜんとして聯想を扶蘇の囚に及ぼし、却て扶蘇を主にして親王を客にし、鎌倉を仮の舞台と定めたるは、紫に朱を奪はれ、月を捉へんとして水を濁したるにあらずや、決して本題目に忠なるものにあらざるなり。この点に於ては山陽の詩3)コウチを欠くと雖、最誦するに堪へたり。句は都て自然なるを要す、4)ムホウなるこそ好ましけれ、5)デイソの如く自在に焼継ぎするはおもしろからず、大地に生へたる磐石の如く6)スイバンするも7)ロウコとして揺かぬところに価あり。この「動きの取れぬ」ところ、小説にありては個人性となり、紀行にありてはその特殊の風物を発揮したるをいはずや、「天雲もいゆきはゞかり、飛ぶ鳥もとびものぼらず、繚る火を雪もて消ち、降る雪を火もてけりつゝ」と詠ぜられたる富士は、万葉集の名を削るとも、誰か万葉時代の活火山たる富士山を推測して、震爆の声雷の如く烈㷔(レツエン=烈火)磊磈(ライカイ=山が高くけわしいさま)の焦土を飛ばす豪壮を想はざらむや。下りて「白扇倒懸東海天」に至りては優美にして8)タンゲンたる鎮火山の彷彿せざるを得ず。「動きの取れぬ」といひたるはこゝなり。


★豼貅(ヒキュウ=古代中国の伝説の獣、虎、熊に似ており飼い馴らして戦争に用いた、「史記」に出てくる)。




その土地、その風景ならではの描写がある。「動きの取れぬ」、動かし難い。どの風景にでも当てはまるありきたりの描写では言い尽くせないのだ。「東関記」の著者釈沢庵の例では、幽閉先の鎌倉・東光寺で心ならずも斬首され討ち果てた護良親王(=大塔宮)と中国・秦代の扶蘇を同列にしたところに誤りがある。かたや後醍醐帝の息子、こなた秦の始皇帝の息子。ともに次代を担う天子として将来を嘱望されたのですが、いずれも父親との確執、周囲の思惑もあって不遇の死を遂げる。烏水が「今まで読める太平記を半途より奪はれて史記を代与せられたる感あり」というのも、日本から舞台が急転、中国になってしまった。文学の風味が変じてしまったと嘆くのです。「決して本題目に忠なるものにあらざる」。主客転倒。日本が中国に乗っ取られたようなものか。これは作者の釈沢庵が悪いのか?太平記なら太平記を通せばいい。ここに史記を持ちこんだところに不満があるのではないでしょうか。とりもなおさず漢文ですから中国直輸入の文学ですから無理からぬところでしょう。言い換えれば、本邦の紀行文を表現するのには適していないということでしょう。

続けて、同じ漢詩でも「句は都て自然なるを要す」という大日本史を著した頼山陽について記述しています。かれも全国を行脚して各地の風物を詩に詠みました。「紀行にありてはその特殊の風物を発揮したる」という紀行文だったと言います。古来、紀行文家が題材とし続けてきた富士山。万葉集の時代の「不尽山を詠ずる首」。活火山の豪壮なイメージ。翻り、江戸初期の石川丈三の「富士山」。中国風味だ。丈山は中国の漢詩にヒントを得て詠んでおり、万葉時代富士とは全く異なる世界を演出している。烏水は、「動きの取れぬ」といひたるはこゝなり、と論じます。いずれも富士山には違いない。どちらも本当の富士山である?

続いて松尾芭蕉の例を登場させます。



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美辞麗句で飾らず自然を写しとるべし=麗水の紀行文を評す(3)

明治のアルピニスト、小島烏水の「『日本名勝記』を読みて麗水の紀行文を評す」(近代デジタルライブラリー、「銀河」所収)の3回目です。烏水は、遅塚麗水の紀行文が固有名詞の誤りが多く、季節感もいい加減でアバウトだと非難していますが、まあまだ許せる範囲だとしています。ところが、自然の描写に関しては譲れないぞと。。。。本当に自分の眼で見て観察して描いているのか甚だ疑問なのだ。。。詩じゃないんだから。。。

 難きは自然を叙する法なるかな。之を雲に見る、始めは浮々焉として鞠の飛行するごとく、把りて袖に蔵すべしと思はるもの、布の如くに拡まりて山に漲り、巨巌を繞り、危「石+敖」を包み、果てはいづこが雲か山かを弁へず、1)シュクコツにして風吹けば帷を颺げて走り、中ごろより紛々断して綿となり絮となり、神仙を聞くか、遂にその徂くところを知らず。仰げば2)コウビョウたる大荒の中、神秘あり、詩人の之を拉し去るを須つものゝごとし。詩人自ら天賦の想像力あり、先づ脳に容くりてその俤を紙に吐くを得べし。只だ至難なるはその雲を借りて或特殊の地方に特殊の風物を描くに在り。某の山に低迷するごときの3)モウロウ、某の海に垂れて波に横はるときの4)コウヨウ、雨ふるとき、晴るとき、若くは旭日昇るとき金箭を射るごとの棼乱なる大観は、到底「歌人は坐がらにして名所を知る」的の杓子を以て規る可からず、机上の仙人5)ぞ造化の6)ヒヤクに触ることを容るされむや。この特殊の地方に於ける特殊の風物を描くにあらずんば、血肉を具備せざる土偶、性格の判明せざる人間を製造する小説家を何ぞ撰ばむ。


★危「石+敖」(キゴウ=石がそびているさま)。
★棼乱(フンラン=みだれたさま)。



烏水は自然の情景をいかに写し取ることが出来るかが紀行文の最大のポイントだとみているようです。麗水のやや誇張がかった美文は、ある特定の事物を描写しているのではなく、山と言えば何、雲と言えば斯くあるべしみたいな感じで美辞麗句で飾り立てているだけ。どの事物にも当てはまってしまう表現でしかないため、ある日ある瞬間に自分が見たままのものとは言えない。紀行文とは作者自身の眼に映った物を書くもの。詩人が書斎に坐らにして想像で描くものは紀行文ではないということです。

「只だ至難なるはその雲を借りて或特殊の地方に特殊の風物を描くに在り」。同じ雲でも別の風景にあっては違う雲であるはずなのに、麗水は雲と言えば「始めは浮々焉として鞠の飛行するごとく、把りて袖に蔵すべしと思はるもの、布の如くに拡まりて山に漲り、巨巌を繞り」のような一点張り。ステレオタイプなのです。逐一を写し取っていない。写実で無いということでしょう。漢語の連続、美辞麗句ありきで当て嵌めている。麗水とはまた別の例が次に続きます。

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そのアバウトさが鼻持ちならぬのだ=「日本名勝記」を読みて麗水の紀行文を評す」(2)

明治のアルピニスト、小島烏水の「『日本名勝記』を読みて麗水の紀行文を評す」(近代デジタルライブラリー、「銀河」所収)の2回目です。小説家であり紀行文家である遅塚麗水は1898(明治31)年8月、「日本名勝記」上巻を発刊しました。明治期後半の紀行文の大家として知られており、大ベストセラーともなったのです。全国を旅した麗水の文章は当時の庶民の憧れの的でもあったのです。自宅に居ながらにして全国各地を曾遊の地に出来るというまさに紀行文が持て囃されたのでした。ところが、そこに陳ねられている文章は漢文の美辞麗句に過ぎない。真の風景を叙したものではないと反感を持ったのが小島烏水でした。彼自身も漢文素養たっぷりであったのは前回の文章の冒頭を瞥見しただけでお分かりだと思います。だからこそ、漢文体の限界をも体感していたのでしょう。麗水の「日本名勝記」に真っ向から反論する文章が続きます。まずは誤りが多すぎることが看過できなかった。


 然れども是れ恐らくは、多く著者の知ろし召さゞるところ、1)は只だ本書にあるべし、延いて著者に繋ぐ可らず。往々地名などにこそ、著者の誤聞とおぼしきものあれ、純粋に麗水氏を評論せんと欲せば文を以てすべし、殊に紀行文を以てすべし。僅に「不二の高嶺」「富士川の急瀬を下る記」「松島に遊ぶ記」の三篇に過ぎざれども、仔細に検すれば、他も氏の旧稿を2)センサイし潤色し、首尾を綜合して長短緩急順排序列その宜しきを得しめたるに似たり。余、麗水氏の文を読むこと多からざれども、「多摩川の西岸」なる一章が全然「多摩の左岸を下る記」を借り、「碓氷の東」が「上毛の三山」より3)ひ来りたるを指すに難からずとせば他は知るべきのみ。されば本書は麗水氏の紀行文に於ける技能を代表するものと見て不可なかるべし。たゞし白河関北は編纂の順序より捨つ可らずして之を収めたれど、実は著者親しく4)トウシュウの地にあらざりしか、或は気懈り骨弛び急遽匆忙筆を騙りしか、斎藤竹堂、橘南渓、川田甕江、幸田露伴諸家の紀行を抄したるに過ぎず。されば最も多く油の乗りたる前半につきて言を立てたり。

 凡そ紀行文は新体詩や、小説の如く全く空想の大自在を許されてその上に土台を据ゑられたるものにあらねば、或点までは地理や歴史と親類附合の関係なかる可からず。瑣細なることながら江の島の龍窟を「造化の巧みを弄するに驚き」とは不詮索なるを免れず。江の島の龍窟なるものは人工に成れるのみ、或はいふ、古代金を採掘せる跡なりと。其証は今見当らねど、藤原惺窩先生の由井ケ浜偶成の引に曰く「今日見由比之堀金、沙汰5)簸揚唯謹、曰似者多。而真者少。故択之精一。不精一、則終日営々。不得秒忽云々」詩に曰く「寂寞貧窮由井浜。平生嘗尽幾酸辛。民択黄金君択士。吾干心地要求珍。」と。されば由井ケ浜より江の島一帯は今日の金崋山の如くなりしに、其後採掘し竭くして止めたるならむ。6)任他、麗水氏は詩人なり、三保の松原に天女の7)ゲイショウを掛けたるを伝へて「秀麗の地由来神話多し、故らに穿鑿せざるを妙とす」と庇ふに至りては氏の脳髄は乾にあらずして湿、区々たる事実は頓着せで止みたるものゝごとし。さればにや腰越の満福寺を満願寺と誤り、鎌倉の紀中円覚寺の妙香池「今尚紅蓮白蓮の妙香を放つ」といひて一ページを翻へせば頼朝の墓を叙して「屍蟬落葉多し」とある、かなたは夏、こなたは凩吹きすさぶ冬景色なり。素より首尾を通したる紀行にあらざれば、物に依りて季を定め、景を換へ、人の感触に易からしめたるなり。大人気なくこれらを8)ツイジョウするは余の好まざるところ、氏の本意にあらざるべし。



地名の誤りはもともと土地の人などから間違ったものを聞いていた可能性がある。地名の誤りよりも紀行文としての価値を論評した方がいいと烏水は考えました。「日本名勝記」に採録された数々の文章は麗水のかつての文章を寄せ集めたものであり、中には紀行文として名を馳せた他の文人のものを参考にしたものも多いと見破っています。今で言うなら盗作すれすれのパクリと言うところでしょうか。参考と模倣は別ですからね。そうした作品は論評に値しないとして、前半の脂の乗ったころに書かれた作品を中心に論考していきます。

まず、紀行文の最大の特徴は空想で書いてはいけないということです。自分の眼で見、耳で聞き、肌で感じたことをそのまま書く。地理や歴史の事実と符合していなければならないことを説きます。しかし、麗水の日本名勝記では事実に即していない部分が散見され、細かい点には無頓着であることを指摘しています。風景描写でも夏と冬が混在していて一貫性がないことも論います。しかし、麗水が「小説家」でもある点を斟酌して、多少の換骨奪胎的な季節性の置き換えなどは大目に見ようといいます。読者を意識して読者のお気に入りになるように迎合した部分は多少は仕方ないということでしょう。

ここまでの烏水の批判はどうやら紀行文とは兎に角、徹頭徹尾「正確」であらねばならないということですね。麗水のいわば、アバウトな記述に対しては鼻持ちならなかったようです。烏水と麗水の性格の違いが浮き彫り出ている感じもします。鷹揚とした麗水に対し、神経質なまでに細かい烏水。この対比はこの論文の最後まで続きますねで気に留めながら読み進めていきましょう。


問題の正解は続きにて。。。



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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
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