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イギリスかロシアか幕末に手を結ぶべき同盟国はどっち?=左内書簡

橋本左内が残した書簡に、同じ越前藩士の先輩、村田巳三郎氏壽(うじひさ)にあてたものがあります。講談社学術文庫の「啓発録」(伴五十嗣郎全訳注)に採録されており、その「解題」(P232)によりますと、「安政四年(一八五七)八月以降、江戸にあって主君松平春嶽を助け、対米条約勅許をめぐる外交問題と、内政充実のための将軍後継者決定という、内外二大案件を解決するため、寝食を忘れた活動を展開中の先生(迂生注・左内のことをいう)が、その抱懐しておられた内政外交策を、国許福井の同志村田氏壽に、余すところなく論じられたもので、現存する書簡中、最も名高い」とあります。さらに、「洋学者としても、当時一般の学力を有していた先生ならではの的確な世界情勢の分析や、幕府・親藩・外様といった個々の利害を超越して、日本国中を一家とみなし、世界の中の日本という立場を自覚した気宇の壮大さには驚歎せざるを得ない」と続け、瞠目しています。

「西城」とは解題にいうところの「内政充実のための将軍後継者決定」、すなわち徳川将軍家の世継ぎ問題であり、「亜墨利加一条」とは「対米条約勅許をめぐる外交問題」、すなわち日米修好通商条約勅許のことであり、いずれも当時の日本国にとって国の進路を左右する一大事です。左内の国家観、世界観が綴られていますが、明らかに徳川幕府を軽視する内容で、為政者サイドからすれば「目の上のたん瘤」となっていたことが伺えます。二年後に斬首されるわけですが、命を賭けた若者の迸りでもあり、現代社会においてこうした提言の声が上がることを期待したい。

聊か長いですが、それほど驚嘆すべき語彙はありません。漢字学習には丁度よいでしょう。全文を一挙掲載します。細かな字句の解説は講談社学術文庫などを参照してください。幕末史の苦手な方は苦痛かもしれません。御飛ばしください。


安政四年(1857)十一月二十八日

村田氏壽あて

書籍二冊相廻し申し候。これは復斎へ、包物は宿へ願上げ奉り候。相替らず復君・長谷へは宜しく願ひ奉り候。

 本月十一日発の御翰相達し、厳寒の節に御座候処、先づ以て恐悦し奉り候。随つて拝賀し奉り候。次に御休情下さるべく候。井上・埴原着の由云々拝承。助教仰付けらるの一条、これ亦拝承。外塾へ出張の事、これ又拝承。何れもおひおひ御都合宜しかるべしと同慶し奉り候。今便は殊の外取込み候間、一々詳答仕らず候。

 さて、西城一件は、過日石原罷越し大半御瞭然と存じ奉り候。昨廿七日朝始めて上田へ御逢対入らせられ候処、誠に御都合宜しく、先より今日は西城の義にて入らせられ候やと尋ねられ、さてそれにつきては段々の御懇志、誠に感服に候。何分この度亜墨利加一条相澄み候はば、直ちに上様思召をも伺ひ、何とか趣向相付け候積りに御座候。過日来、堀田・久世へも御咄の趣、実に以て感心云々と申す事、くりかへし申し述べられ候。

 因りて橋公御様子御咄し御座候処、これも貴慮の如く、水老公とは模様相違の由、如何にも御温順なりに御気象は御1)タクリツの由に候へば、至極御尤もなる御見込みに候。さて老公とは如何様の御交に候やと問はれ候につき、至つて懇意に候へども、老公は一寸時世に暗き御人かと存じ奉り候。それ故議論合はざる事どもも数々これ有り、さりながら中々御英物には相違なく存ずる由仰せられ候処、上田申され候は、如何にも左様、この方も老公には毎々困り切り申し候。全く時勢は御了解なき御方にて、御果断は格別なる御方に候。この節も大船御作り成され度き御願ひこれ有り候へども、これも只だ沿海警衛と申すまでにて、さしたる御見留はこれ無き塩梅に候。何分橋公とは大御相違に御座候。

 且又貴兄亜米利加への御返答、御相談の御返答未だこれ無し、外々はおひおひ相済み、貴兄御一人遅延致し候故、もしや御時態に合はざる無理論仰立てられ候にてはこれ無きやなど、御懇話これ有り候由、依りて御答に、小拙は別段見詰これ有り、態と晩れて指出し申し候。即ち廿六日指出し申し候。その趣意は云々と仰せ述べられ候処、誠に御同意の由、その趣ならば安心に候と仰せ聞かされ候旨に御座候。先づ右の御様子、御同慶の至りに御座候。

 さて又去る十三日夕、亜米利加使節申立並に応対書和解二通御渡しに相成り候。直ちに拝見仰せ付けられ、例に依り事理分明。その中英夷とは段々内談もこれ有る塩梅、且は2)キョカツも御座有るべく候へども、何分一々我が弊に中り候処、恐るべし恐るべし。この義は実に神州の御大事、今度彼の二個条御許しに相成り候と、即ち御国体変遷の姿に候。さりながら只今と相成り候て、鎖国独立致すべからざるは、固より識者に於ては瞭然にこれ有るべく候へば、固より拒絶相成らざるは論を俟たず候へども、唯如何せん、3)ビョウドウ上の小児輩、とてもその辺の咄出来候者一人もなし。

 就きては、責めて我が君なりともと存じ奉り候故、参政と共に種々苦言直言毎々高聴に入れ奉り、おひおひ御工夫も在らせられ候処、流石にほぼ御考も相立ち候。さりながら兎角4)ジュウダイの御旧弊、未だ5)カクゼン御脱却成されかね、只管参政並に小拙辺申上げ候処にのみ、御手寄せ遊ばされ御6)カノウと申すまでにて、御自身様より御発出薄き姿に御座候、近来は一切この方より申上ぐるは相止め、頻りに御難詰のみ申上げ居り候。しかしこれまでよりは一段御工夫は絶えず遊ばされ御塩梅、御策の程は実に感じ入り奉り候。尤も御上書も十が九は御自身様にて遊ばされ候丈にて、当日までには凡そ四五度も御草稿相替り、色々御7)スイコウ御座候故、御当日に到り小拙聊か御添削申上げ、今般の運びに相成り候。これは執政より御内見成さるべく候。

定めて御地執政方も、御上書は一寸御退避成さるべく存じ奉り候。君上にはその辺の御勇断は充分在らせられ候へども、天下の8)カンユウ豪傑をも、9)ロウラク遊ばされ候御手段に御乏しく、唯御誠心一片に帰し、仁柔の風勝ち10)ハツランの御器量に相成らざるかと存じ、その処を不足に存じ奉り候。

 さて海外の御処置に付きては、君上にも種々御考へ在らせられ候へども、近来は先づ小拙の所見と御同様に成らせられ候故、先づ小拙の存じ申上げ候。御賢判の上、御可否仰せ下さるべく候。

 当今の勢ひ、日本の事務、国内の御処置と、外蕃御待遇との二件に帰すべく存じ奉り候。外蕃御待遇に付きては、海外の事情第一に御推察これ有り度く候。方今の勢ひは行々は五大洲一図に同盟国に相成り、盟主相立て候ひて四方の11)カンカ相休み申すべく相運び候はんと存じ奉り候。右盟主は先づ英・魯の内にこれ有るべく候。英は12)ヒョウカン貪欲、魯は13)沈鷙厳整、何れ後には魯へ人望帰すべく存じ奉り候。

 さて日本はとても独立相叶ひ難く候。独立に致し候には、山丹・満洲の辺・朝鮮国を併せ、且亜米利加洲、或は印度地内に領を持たずしては、とても望みの如くならず候。これは当今は甚だ六ケ敷候。その訳は、印度は西洋に領され、山丹辺は魯国にて手を付掛け居り候。かへつて今の内に同盟国に相成り然るべく候。

 然る処、亜国その外諸国は交り置き候も苦しからず候へども、英・魯は両雄並び立たざる国故、甚だ以て扱ひかね申し候。その意は既に「ハルレス」口上にも歴然、その上近来争闘の迹にて明白に御座候。これに依り、後日英より魯を伐つ先手を頼み候か、又は蝦夷・箱館借し呉れ候旨願ひ出づべく候。その時、断然英を断り候か、又は従ひ候か、定策これ有るべき事。

 小拙は是非魯に従ひ度く存じ奉り候。その訳は、魯は信あり、隣境なり、且魯と我れとは14)シンシの国、我れ魯に従ひ候はば、魯我れを徳とすべく候。さすれば、英怒り我れを伐つべし、これ我が願ひなり。我れ孤立にて西洋同盟の諸国に敵対は致し難く、魯の後援有れば、たとひ敗るるも皆滅に至らざるは了然に候。然れば、この一戦、我が弱を強に転じ、危を安に変じ候大機関に御座候て、これより我が日本も真の強国に相成るべく候。その上、その戦争までには、是非魯国並びに亜国より人を倩ひて、我が国の大改革始め、水軍陸戦とも精励致さすべしと存じ奉り候。

 さて右様魯の15)シンジツを得候には、所謂報じ難きの恩これ無くしては相済まず候。魯国へ我れより使節を以て和親を乞ひ候積り、その段には種々心算これ有り候へども、筆にては述べ難く候。

 さて魯に国を託し候までに、外より16)ジョウラン致され候ては相成らず候故、それまでは何分亜墨利加を願ひつけ、英夷の17)バッコ18)キョウリョウ等は成るたけ拒み貰ひ候事。これ亦色々の工夫も御座候へども、何も応答言辞の間になくしては、口にも述べ難く存じ奉り候事。これに依り交易、ミニストル指置の二ケ条相許し、その中交易は矢張り官府交易に致し度く候間、勝手交易は相断り申し度く候事。阿片並に借地の事は断り、港は堺・神奈川・箱館・長崎の四個所位に極め置き申し度き事。何分亜を一ケの東藩と見、西洋を我が所属と思ひ、魯を兄弟シンシとなし、近国を掠略する事、緊要第一と存じ奉り候。

 さて、右様大変革始め候に就きては、内地の御処置、これまでの19)キュウトウにては相済まず、第一建儲、第二我が公・水老公・薩公位を国内事務宰相の専権にして、肥前公を外国事務宰相の専権にし、それに川路・永井・岩瀬位を指添へ、その外天下有名20)タッシキの士を御儒者と申す名目にて、陪臣処士に拘はらず撰挙致し、これも右専権の宰相に派別に致し付け置き、尾張・因州を京師の守護に、その指添に彦根・戸田位、蝦夷へは伊達遠州・土州侯位相遣し、その外小名有志の向を挙用候はば、今の勢ひにても随分一芝居出来候はんかと存じ奉り候。

 その上魯西亜・亜墨利加より、諸藝術の師範役五十人ばかり借り受け、諸国に学術稽古所相起し、物産の道を手広に始め、内地の乞食雲介の類に頭を立て、相応の賄遣し蝦夷へ遣し、山海の営致させ、往来は重に海路より致し候はば、蝦夷も忽ち開墾相成るべく、航海術も直ちに熟すべく存じ奉り候。因りて一句を吟じ申し候。

  人間自ら適用の士有り 天下何ぞ為すべきの時無からん(人間自有適用士、天下何無可為時)

 嗚呼これ等の事、夢にも見難く存じ奉り候。その中、薩の事は御不同意にもこれ有るべく候へども、これは小拙大いに所見これ有る事に御座候。畢竟日本国中を一家と見候上は、小嫌21)サイギには拘るべからざるは、勿論に御座候。

 昨日も川路の咄聞き候処、これも右までの見は承らず候へども、何分日本に於て遠大の処置これ無くしては相済まず、就きては魯と和親を結び、且建儲を致し、根本を固め候腹はこれ有る塩梅に御座候。さりながら、全く風波を恐れ居り候由、その内、実に難渋なる咄どもこれ有り、計らずも感慨落涙仕り候。何分この後何等の辺へ落付き申すべきや、22)トンと計られず、実に志士憤慨すべきの秋に御座候。

 因州・土州二侯には、容易ならざる御感慨、土州などは御国政一変の御思召候由、この間中、我が君上と頻りに御高論御座候。小拙も蔭ながら周旋仕り、折角我が君を23)セイコクに仕り掛け申し候。これ聊か賤臣の微忠にて、これにて何卒御英果御憤の御覚相立ち、已後如何様の大事落ち来り候とも、御踏堪らへ出来候やう致し度き心得に御座候。

 出立前御用立申し置き候『回天詩史』、御廻し下され候やう願ひ奉り候。相成り候はば、次鴻に願ひ度く候。『野史』の事おひおひ相調べ候処、この地には一向これ無く候。水府も同断。熊本一条、縷々御示諭の趣、承知致し候。如何様御尤に存じ奉り候。しかしこの表の御評議、唯見込過ぎと申すにてこれ無く候へども、過日彼方よりの追書の趣にては、先づ別段一応御往復御座候方、然るべく存じ奉り候。この節は西城やら、亜墨利加やら、一橋公の御講究やら、列公の御研究やらにて、御暇これ無く候。小拙も分外取込み候故、ここに24)カクヒツ仕り候。

 十一月廿八日          景鄂
 戇堂兄

 再伸、御国は雪も少く候由、この表は異常の暖気、この間は日々降雨、寒暖計四十七八度、五十度位に御座候。以上




注目してほしいのは左内の世界観、国家観のエッセンス。面白いのは、当時の世界を牛耳っていたイギリスとロシア。このいずれかを選ぶかについてはロシアと関係を深くするべきであるという点です。国境も接していることから馴染みのあるのはこちらだという。殖産興業・雇用創出の観点から、蝦夷地の開拓にも目を付けており、さらには中国やモンゴル印度などにも目星を付け、将来的には日本国の「領土拡大」を目指すべきであると考えています。長らく鎖国をしていたせいで国力が弱いのでアメリカなどと同盟を結んで、その力を借りなければならない。しかし、いずれは外に打って出るべきであると考えている。その手段としてアメリカと貿易の関係を結ぶべきだ。ただし、あまりに広げ過ぎると反って乗っ取られるので、開港する港を極力絞るべきだ。亜米利加を我が日本の東の一藩と見る位の気概が必要であるというのも興味深い。ロシアは兄弟、唇歯輔車の関係である。遠くの親戚より近くの他人ということでしょうか。

人材の養成も大事である。日本が足りない分野の人材をロシアやアメリカから借りてきて全国各地に広める。上意下達、国が一つにまとまって外と対峙しなければならない。薩摩藩も仲間に取りこまなければならない。この点はやはり外様の雄だけに幕府内にも懐疑的な声は強いことを左内は十二分に承知しています。西郷などとの親交で得たことでしょう。結局は幕府を倒す方に動くのですから、左内の死は痛かった相違ありませんね。結局、大局観のない幕府は目先の小事に拘泥し、自らの首を絞めたのです。ロシアとの和親は結局、不孝な日露戦争という形になって現れ、現在も領土問題という深い溝を抱えています。左内存命であればこの点でも違った展開があり得たでしょう。それほどに彼を失ったこの国は大きな損を抱えたのです。中国についてはあまり触れていませんが、アヘン戦争でぼこぼこにされた大国を目の当たりにして反面教師として西洋列強と付き合うべきだという考えに傾いていったのです。日本は中国に対しやや務りの態度を見せたのでしょう。その意味でも不孝な大国との関係ではありました。現在までに暗い影を投げかけている。ロシア、中国の問題は現在の局面打開に於いては重要なカギを握っているのは間違いなく、左内があと五十年存命であればと思わずにはいられません。



問題の正解は続きにて。。。


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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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