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「学ぶ」こととは詩文をつくり本を読むことではない!=学習継続への「啓発録」(4)

2010年の大晦日です。幕末の越前藩士、橋本左内の「啓発録」(講談社学術文庫、伴五十嗣郎全訳注)シリーズの4回目は「勉学」。最後まで手を抜かず勉めましょう。


■学に勉む(勉学)

学とはならふと申す事にて、総てよき人すぐれたる人の善き行ひ善き事業を迹付して習ひ参るをいふ。故に忠義孝行の事を見ては、直にその忠義孝行の行為を慕ひ1)ひ、吾も急度その人の忠義孝行に負けず劣らず、勉め行ひ候事、学の第一義なり。然るを後世に至り宇義を誤り、詩文や読書を学と心得候は、笑かしき事どもなり。詩文や読書は、右学問の具と申すものにて、刀欛鞘や、二階の2)カイテイの如きものなり。詩文読書を学問と心得候は、恰も欛鞘を刀と心得、カイテイを二階と存候と同じ、3)センロ4)粗麤の至りに候。

 学と申すは、忠孝の筋と文武の業とより外にはこれ無く、君に忠を竭し親に孝を尽すの真心を以て、文武の事を骨折り勉強致し、御治世の時には、御側に召使はれ候へば、君の御過ちを補ひ5)し、御徳を6)イヤマシに盛んになし奉り、御役人と成り候時は、その役所役所の事首尾能く取修め、依怙贔屓致さず、賄賂請謁を受けず、公平廉直にして、その一局何れもその威に畏れ、その徳に懐き候程の仕わざをなし申すべき義を、平生に心掛け居り、不幸にして乱世に逢ひ候はば、各々我が居場所の任を果して、7)コウゾクを討平げ、禍乱を克ち定め申すべく、或ひは太刀鎗の功名、組打の手柄致し、或ひは陣屋の中にありて謀略を賛画して敵を8)にし、或ひは兵糧小荷駄の奉行となりて万兵の飢渇致さず、兵力の減らざるやうに心配致し候事など、かねがね修練致すべき義に侯。

これ等の事を致し候には、胸に古今を包み、腹に形勢機略を9)ソランじ蔵め居らずしては、叶はぬ事ども多く候へば、学問を専務として勉め行ふべきは、読書して吾が知識を明らかに致し、吾が心胆を練り候事肝要に候。然る処年少の間は、兎角打続き業に就き居り候事を厭ひ、忽ち読み忽ち廃し、忽ち文を習ひ武を講ずといふやうに、暫くづつにて10)ケンタイ致すものなり。これ甚だ宜しからず。

勉と申すは、力を推し究め打続き推し遂げ候処の気味これ有る字にて、何分久しきを積み思ひを詰め申さず候はでは、万事功は見え申さず候。まして学問は物の理を説き、筋を明らかにする義に候へば、右の如く11)ケイコツ粗麤の致し方にて、真の道義は見え申さず、なかなか有用実着の学問にはなり申さぬなり。且又世間には愚俗多く候故、学問を致し候と兎角12)キョウマンの心起り、浮調子に成りて、或ひは功名富貴に念動き、或ひは才気聡明に13)り度き病、折々出で来候ものにて候。これを自ら慎み申すべきは勿論に候へども、茲には良友の14)キシン、至つて肝要に候間、何分交友を択み、吾が仁を輔け、吾が徳を足し候工夫これ有るべく候。






この項の劈頭で左内は厳しい一言を我々に与えてくれます。
「然るを後世に至り宇義を誤り、詩文や読書を学と心得候は、笑かしき事どもなり。」

学の意味を取り違えてはいけないという。詩や文をつくったり本を読むことは学ではない。あくまで手段であって目的ではないということを強調します。おっしゃるとおりでしょう。詩文や読書は、刀の外装を飾る欛(つか)や鞘(さや)であり、二階に上がるための階段である。刀の本分は切れ味鋭い刃であり、二階は高みの位置をいうのであってその道程は目的ではない。したがって、左内によれば、学はまねること、ならうこと。優れた人物の跡を追うこと。そこに到達できるよう負けじ魂を発揮することこそが学問の目的であると言い切ります。学ぶことの意味をもう一度ここに原点に立ち返り噛み締めたいと思います。

忠孝の精神と文武の道。この二つを追い求めることに尽きる。戦時であれ平時であれ、どちらにあってもこの二つを心掛け念頭に置くこと。そのために日頃の修練がある。その手段として読書がある。知識を広め深め心胆を練り上げておくこと。一心不乱に続けることが大事である。継続が勉めること。学問を鼻にかけたくもなろう、出世や富、名声を求めたくもなろう。しかし、これは病気だ。慎むべきであるのは論を待たない。誰にでもあるので悲観することはない。病気だから。良い友人から戒めてもらうのが一番だ。だから、こうした友人を択び、自分の徳を補ってもらうよう心掛けることが必要となる。


問題の正解は続きにて。。。




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人はどうでもいい、世の中と関わろうと志を立てよ!=学習継続へ「啓発録」(3)

幕末の越前藩士、橋本左内の「啓発録」(講談社学術文庫、伴五十嗣郎全訳注)シリーズの3回目は「立志」。心の甘えを捨て去り、自分に負けまいと心に決めた次に大事なことは自分の心を何処に持っていこうかと決めることです。揺るぎない方向性をはっきりと見出すことです。ぶれない。簡単ではありませんよ。厳しく身を律しながら、どんな困難にも立ち向かい、逃げずに一歩一歩前にだけ進むことが求められるのです。さあ、振り返りましょう。自分が志した物は何だったのか?

■志を立つ(立志)

 志とは、心のゆく所にして、我がこころの向ひ趣き候処をいふ、侍に生れて忠孝の心なき者はなし。忠孝の心これ有り候て、我が君は御大事にて我が親は大切なる者と申す事、聊かにても合点ゆき候へば、必ず我が身を愛重して、何とぞ我こそ1)キュウバ文学の道に達し、古代の聖賢君子・英雄豪傑の如く相成り、君の御為を働き、天下国家の御利益にも相成り候大業を起し、親の名までも揚げて、酔生夢死の者にはなるまじと、直ちに思ひ付き候者にて、これ即ち志の発する所なり。

志を立つるとは、この心の向ふ所を急度相定め、一度右の如く思ひ詰め候へば、弥々切にその向きを立て、常常その心持を失はぬやうに持ちこたへ候事にて候。凡そ志と申すは、書物にて大に発明致し候か、或ひは師友の2)コウキュウに依り候か、或ひは自分患難憂苦に迫り候か、或ひは憤発激励致し候かの処より立ち定まり候者にて、平生安楽無事に致し居り、心のたるみ居り候時に立つ事はなし。志なき者は、魂なき虫に同じ。何時まで立ち候ても、丈ののぶる事なし。志一度相立ち候へば、それ以後は日夜おひおひ成長致し行き候者にて、萌芽の草に3)コウジョウをあたへたるがごとし。

古より俊傑の士と申し候人とて、目四つ口二つこれ有るにてはなし。皆その志大なると、逞しきとにより、遂には天下に大名を揚げ候なり。世上の人、多く4)ロクロクにて相果て候は、他に非ず。その志太く逞しからぬ故なり。

志立ちたる者は、恰も江戸立ちを定めたる人の如し。今朝一度御城下を踏み出し候へば、今晩は今荘、明夜は木の本と申すやうに、逐々先へ先へと進み行き申し候者なり。譬へば、聖賢豪傑の地位は江戸の如し。今日聖賢豪傑に成らん者をと志し候はば、明日明後日と、段々にその聖賢豪傑に似合はざる処を取去り候へば、如何程段短才5)レッシキにても、遂には聖賢豪傑に至らぬと申す理はこれなし。丁度足弱な者でも、一度江戸行き極め候上は、竟には江戸まで到達すると同じき事なり。

扨右様志を立て候には、物の筋多くなることを嫌ひ候。我が心は一道に取極め置き申さず候はでは、戸じまりなき家の番するごとく、盗や犬が方方より忍び入り、とても我一人にて番は出来ぬなり。まだ家の番人は随分6)ヨウジンも出来候へども、心の番人はヨウジン出来申さず候。さすれば自分の心を一筋に致し、守りよくすべき事にこそ。兎角少年の中は、人人のなす事、致す事に目がちり、心が迷ひ候て、人が詩を作れば詩、文をかけば文、武藝とても朋友に鎗を精出す者あれば、我が今日まで習ひ居たる太刀業を止めて、鎗と申すやうに成り度ものにて、これは7)ショウガク取らぬ第一の病根なり。

故に先づ我が知識聊かにても開け候はば、8)トクと我が心に計り、吾が向ふ所、為す所をさだめ、その上にて師に就き友に謀り、吾が及ばず足らはぬ処を補ひ、その極め置たる処に心を定めて、必ず9)タタンに流れて、多岐10)ボウヨウの失なからんこと、願はしく候。凡て心の迷ふは、心の幾筋にも分れ候処より起り候事にて、心の11)フンラン致し候は、吾が志未だ一定せぬ故なり。心定まらず心収まらずしては、聖賢豪傑には成られぬものにて候。

 何分志を立つる近道は、経書又は歴史の中にて、吾が心に大に12)カンテツ致し候処を書抜き、壁に貼じ置き候か、又は扇などに認め置き、日夜朝暮夫を認め13)め、吾身を省察して、その及ばざるを勉め、その進むを楽しみ居り候事肝要にして、志既に立ち候時は、学を勉むる事なければ、志弥々ふとく逞くならずして、14)ヤヤもすれば聡明は前時より減じ、道徳は初めの心に慚づるやうに成り行くものにて候。





左内は武士ですから、これから自分が為すべきことを十五歳の時点ではっきりとさせたのです。主君と両親を大事にして、その両者に自分がいて良かったと思って貰えるようにする。そうすれば、つまらぬ一生を終えることができなくなる。志を高く掲げて、地に足を付けることから始めようではないか。呑気に安逸をむさぼっていては魂のない虫螻と同じ。十五歳で目標を決めて進めというのは多様化した価値観の広がる現代社会ではなかなか困難です。しかし、一つに決めることはない。社会とどうやって関わろうかという一点でいいと思います。左内が言った主君と両親。これこそが社会との関わりではないでしょうか。シンプルでいい。あれこもれもやろうとするから虻も蜂も取れないのである。何でもかんでもできるスーパーマンは今の世の中には必要ないでしょう。自分はこれで生きる、これこそが自分だとう確乎としたものがあればいいのではないか。心の迷いにつながるから。志が立たないのは迷いが多い証左でもあります。左内は言う。志を立てる上での捷径は、聖賢の教えや書物を読んで深く感じ入ったことを書き抜いて壁に貼り付けておいたり、いつも使う物、扇だとか、に書き記しておいたりすることだという。常にそれを眺めて内省を繰り返す可し。自分には足らないことが多いことを自覚して、それを埋めていく努力を続けること。それこそが学問であるという。学習であるという。自己の存在を世と関連付けて歩むこと。結果は付いてくる。結果を追い求めることが志を立てるのではないということは留意する必要がある。学問に励むこと、学問とは俗に言う勉強ではない。ここの勘所が難しいのです。左内の次の弁に依りましょう。


問題の正解は続きにて。。。



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今こそ負けじ魂を見せてくれようぞ=学習継続への「啓発録」(2)

幕末の越前藩士、橋本左内の「啓発録」(講談社学術文庫、伴五十嗣郎全訳注)シリーズの2回目は「振気」。稚心を棄て去った後になすべきことは、精神を奮い立たせて持続することです。高みへ高みへと自らを鼓舞することのなんと難しいことでしょう。去ったはずの甘えの心がまたぞろ頭を擡げてくるのを禁じ得ないばかりか、徒に安きに流れてしまうことも止めようがないのです。士気が低下しないようにするにはどうすればよいのでしょうか。左内の熱弁に耳を傾けることと致しましょう。

■気を振ふ(振気)

 気とは、人に負けぬ心立てありて、恥辱のことを無念に思ふ処より起る意気張りの事なり。振ふとは、折角自分と心をとゞめて、振ひ立て振ひ起し、心のなまり油断せぬやうに致す義なり。この気は生ある者には、みなある者にて、1)キンジュウさへこれありて、キンジュウにても甚しく気の立ちたる時は、人を害し人を苦しむることあり、まして人に於てをや。人の中にても士は一番この気強くこれ有る故、世俗にこれを士気と唱へ、いかほど年若な者にても、両刀を帯したる者に不礼を致さざるは、この士気に畏れ候事にて、その人の武藝や力量や位職のみに畏れ候にてはこれなし。

 然る処、太平久しく打続き、士風柔弱2)ネイビに陥り、武門に生れながら武道を忘却致し、位を望み、女色を好み、利に走り勢ひに付く事のみにふけり候処より、右の人に負けぬ、恥辱のことは堪へぬと申す、雄雄しき丈夫の心くだけなまりて、腰にこそ両刀を帯すれ、太物包をかづきたる商人、樽を荷うたる樽ひろひよりもおとりて、纔に雷の声を聞き、犬の吠ゆるを聞きても3)キャクホする事とは成りにけり。4)偖々嘆くべきの至りにこそ。

 しかるに今の世にも猶未だ士を貴び、町人百姓などお士様と申し唱ふるは、全く士の士たる処を貴び候にてはこれ無く、我が君の御威光に畏服致し居り候故、拠どころ無く5)のみを敬ひ候ことなり。その証拠は、むかしの士は平常は鋤鍬持ち、土くじり致し居り候へども、不断に恥辱を知り、人の下に屈せぬ心逞しき者ゆゑ、まさか事有るときは、吾が大御帝或ひは将軍家などより、募り召し寄せられ候へば、忽ち鋤鍬打擲げて、物具を帯して千百人の長となり、虎の如く狼の如き軍兵ばらを指揮して、6)ヒジの指を使ふごとく致し、事成れば芳名を7)セイシに垂れ、事敗るれば屍を原野に暴し、富貴利達死生患難を以て、その心をかへ申さぬ大勇猛・大剛強の処これ有るゆゑ、人人その心に感じ、その義勇に畏れ候へども、今の士は勇はなし、義は薄し、8)ボウリャクは足らず、とても千兵万馬の中に切り入り、縦横9)ムゲに駈廻る事はかなふまじ。況や10)イアクの内に在りて、11)を運らし勝を決するの大勲は、望むべき所にあらず。

 さすればもし腰の両刀を奪ひ取り候へば、その心立て、その分別、尽く町人百姓の上には出で申すまじ。百姓は平生骨折を致し居り、町人は常に職業渡世に心を用ひ居り候ゆゑ、今もし天下に事あらば、手柄功名はかへつて町人百姓より立て、福島左衛門大夫・片桐助作・井伊直政・本多忠勝等がごとき者は、士よりは出で申さゞるべきかと思はれ、誠に嘆かはしく存ずる。

 け様に覚のなきものに高禄重位を下され、平生安楽に成し置かれ候は、扨扨君恩のほど申す限りなきこと、辞には尽しがたし、その御高恩を蒙りながら、不覚の士のみにて、まさかのときに我が君の恥辱をさせまし候ては、返す返す恐れ入り候次第にて、実に寝ても目も合はず、喰うても食の咽に通るべきはずにあらず。ことさら我が先祖は国家へ対し奉り、聊かの功もこれ有る可く候へども、その後の代代に到りては、皆皆手柄なしに恩禄に浴し居り候義に候へば、吾吾共聊にても学問の筋心掛け、忠義の片端も小耳に挟み候上は、何とぞ一生の中に粉骨砕身して、12)ロテキほどにても御恩に報ひ度き事にて候。

 この忠義の心を13)タワまさず引き立て、迹還り致さぬやうに致し候は、全く右の士気を引き立て振ひ起し、人の下に安んぜぬと申す事を忘れぬこと肝要に候。さりながら只この気の振ひ立ち候のみにて、志立たぬ時は、折節氷の解け酔のさむる如く、迹還り致す事これ有る者に候。故に気一旦振ひ候へば、方に志を立て候事、甚だ大切なり。



負けじ魂を奮い立たせて弛緩することなく奮励することを説きます。武士が本来備えていた士気がいつしか失われたしまったことに危惧の念を強めます。出世や遊興、損得勘定ばかりが優先される。武士の本文を見失った輩は町人百姓よりも劣るのだと扱き下ろします。伴食宰相ではないか。人には負けないという気概こそ今再び思い起こせ。安きに流れるな。世のため人のためとは言わない。まさに自分自身の価値のために粉骨砕身、主君の忠義に報い切る覚悟こそ必要であろう。途中に出てくる「福島左衛門大夫・片桐助作・井伊直政・本多忠勝」は豊臣秀吉に仕えた福島・片桐、徳川家康に仕えた井伊・本多のこと。武士の代表であり、いまこそ見習うべき存在として出しています。

悔しさを忘れてはいけません。長い人生です。偶には失敗もあるでしょう。しかし、負け癖がついてしまったら何の前進もないのです。失敗から最大限学ぶこと。負けたら次は勝つという気概が必要。この世に生を享けた証です。気持ちを強く持つこと。そして、志をしっかりと立てること。何のために己は存在するのか、行動するのかをしっかりと見極めよと左内は言う。次回は「立志」です。「志」こそが学習の継続には最も欠かせないことでしょう。


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稚心を捨て去ることから始めよう=学問の道を志す「啓発録」(1)

本日から数回にわたり、幕末の越前藩士、橋本左内の「啓発録」(講談社学術文庫、伴五十嗣郎全訳注)を取り上げます。これは嘉永元年(1848)左内が十五歳の時に、偉人英傑の言行や精神を学んで、自らを鞭撻するための「戒め」としてメモっておいた文章ですが、あらゆる学問を志す者のための「手引書」とも言える単純明快な内容です。「啓発」の二字は「論語」述而篇に見える孔子の言葉「憤せずんば啓せず、悱せずんば発せず」から取られたものです。いまここに学習者としての原点に立ち返るために味わってみることにします。2010年も終わり、新しい2011年を新たな気持ちで迎えることを祈念してしたためます。啓発録は五つの内容で構成されています。まずは学問に対する甘えの心を棄て去るために「去稚心」を説きます。


■稚心を去る(去稚心)


 稚心とは、をさな心と云ふ事にて、俗にいふわらびしきことなり。菓菜の類のいまだ熟せざるをも稚といふ。稚とはすべて水くさき処ありて、物の熟して旨き味のなきを申すなり。何によらず、稚といふことを離れぬ間は、物の成り揚る事なきなり。

 人に在りては、竹馬・紙鳶・1)ダキュウの遊びを好み、或ひは石を投げ虫を捕ふを楽み、或ひは糖菓・2)ソサイ・甘旨の食物を貪り、怠惰安佚に耽り、父母の目を窃み、藝業職務を3)り、或ひは父母によしかゝる心を起し、或ひは父兄の厳を4)ハバカりて、兎角母の5)シッカに近づき隠るゝ事を欲する類ひ、皆幼童の水くさき心より起ることにして、幼童の間は強ひて責むるに足らねども、十三四にも成り、学問に志し候上にて、この心毛ほどにても残り是れ有る時は、何事も上達致さず、とても天下の大豪傑と成る事は叶はぬ物にて候。源平のころ、並に元亀・天正の間までは、随分十二三歳にて母に訣れ、父に暇乞して初陣など致し、手柄功名を顕し候人物もこれ有り候。これ等はみな稚心なき故なり。もし稚心あらば、親の6)の下より一寸も離れ候事は相成り申すまじく、まして手柄功名の立つべきよしは、これなき義なり。
 且つまた稚心の害ある訳は、稚心除かぬ時は士気は振はぬものにて、いつまでも腰抜け士になり居り候ものにて候。故に余稚心を去るをもつて、士の道に入る始めと存じ候なり。




「わらびしき」とは「わらべしい(童しい)」の俗語。子供じみた、おさないという意味。物が熟して美味しくなる前、すなわちまだ完成しない水っぽい感じであることをいう。遊びばかりに夢中になり、食べ物も甘い者や好物ばかりをお求める年頃です。親の眼を偸んでは勉強や稽古事をなまけて母親の陰に隠れて甘える甘ちゃん。これらはすべて「稚心」から生じていると左内は言う。しかし、十三四歳にもなって学問を志すとき、この心がちょっとでも残っていたら何をしても上達しない。源氏や平氏が活躍した時代、織田信長ら戦国武将が群雄割拠したころまでは子供も親元を離れ初陣に参加し、敵を討ち取っては武名を轟かせる者も多少はいたものだ。それは稚心がすっかり取り払われていたからである。腰抜け侍から一生脱しきれなくなる。学問を志すにはまずこの稚心を棄てるべきだ。孤独な学問に身を投じる覚悟を問うています。だれに頼ることもできない。信じるのは自分だけ。成功しても失敗しても自分の責任であり手柄である。人に凭り掛かる姿勢を根本から拭い去らなければ学問をやる価値がない。適当に遊びでお茶を濁せばいい。それは単なる飯事でしかないのだが、それはそれで遊ぶ価値はある。一生甘えていれば楽だよね。左内は最後武士道に入る覚悟が稚心と永訣することが第一歩だとしていますが、武士道は現代社会にそぐわない。やはり学問でしょう。厳しい道を選ぶべきであり、一歩入ったが最後戻ることは許されない。誰も助けてはくれない。政治家にも与えたい言葉です。「稚心を捨てよ」。

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冷静に考えれば結論はあっさりと出るさ…

本日の岩波文庫「菜根譚」(今井宇三郎訳注)は、人間の気持ちの本質を突きます。なまじお金があるが為に、なまじ肉親であるが為に、人に対する気持ちが揺れ動いてしまう。この気持ちの取り扱いを誤ればとんでもないことになってしまうと警告を発します。


【前集一三五】

■■之態、富貴更甚於■■、■■之心、骨肉尤於外人。此処若不当以■■、御以平気、鮮不日坐煩悩障中矣。

1)エンリョウの態は、富貴更に2)ヒンセンよりも甚しく、3)トキの心は、骨肉尤も外人よりも4)し。此の処若し当たるに5)レイチョウを以てし、御するに平気を以てせざれば、日に煩悩障中に坐せざること鮮からん。



【解釈】 人情の暖かさや冷たさの変化は、(利害の対象が大きいので)金持ちの方が、貧乏人よりも一層激しい。また、ねたみそねむ心は、(事情に通じているので)肉親の方が赤の他人よりも一層激しい。この点について、もしも冷静な心で当たり、平静な気持ちで制御していないと、毎日毎日、絶え間なく心身が悩まし苦しめられるだろう。

失敗した人間に対する気持ちの変化はその事情を知れば知るほど激しくなるものです。信頼していればいるほどきつくなる、それが人情というものです。それほど人の気持ちはか弱い。愛が深ければ深いほど裏切られた気持ちになった時、憎しみにも変わってしまう。その起伏をどうすれば抑えられるのでしょう。冷静な気持ちでいられるのでしょう。無関心いればいいのか。なるべく関わらないようにすればいいのか。その点について菜根譚は直接的な解決策は明示していません。逆に言えば、金があるほど、肉親であるほど気持ちが動くことに注意せよと事前に戒めることでそうならないようにさせようとしています。煩悩の俘になってしまうから。それは自分自身のため。利害関係を抜きにして人と付き合うことができるかどうかを問うていると言っても過言ではありません。

支持率低迷に喘ぐ菅政権。必殺小沢切りに動き出しました。輿論に勝てなくなったのです。小沢派の議員も菅首相の本気度を目の当たりにして苦悩し始めていることでしょう。強制起訴の重みを感じなければなりませんから。離党勧告に踏み切る模様です。どんなに小沢が選挙の恩人であれ、選挙民の心が離れて次があるはずはありません。炎涼の態、妬忌の心はそれぞれの議員を苛み始めています。しかし、冷静になれば選挙民の声に耳を傾ければ自ずと答えは出るでしょう。あれだけの金の疑惑が取りざたされた政治家はかつていたでしょうか。たとえ法的な証拠はなくともグレーであれ、ここまで塗れた政治家が生き残れるとは到底思えない。刑事責任は問われずとも道義的責任は回避できまい。菅首相の判断はその一点に収斂してきたようです。


問題の正解などは続きにて。。。




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バブル弾けて後悔残る、後悔残さず日常を慎むべし

本日の岩波文庫「菜根譚」(今井宇三郎訳注)は、“人間バブル”崩壊の戒めとバブルにならないための“行住坐臥”の大切さを説いた連続二編を取り上げます。

【前集一〇九】

老来疾病、都是■■招的。■■罪孽、都是■■作的。故持盈履満、君子尤■■焉。

老来の疾病は、都て是れ1)ソウジに招きし的なり。2)スイゴの3)罪孽は、都て是れ4)セイジに作せし的なり。故に盈を持し満を履むは、君子尤も5)キョウキョウたり。



【解釈】 老後の病気はすべて若い時に摂生しなかった報いであり、下り坂になってからの災いは、すべて盛んな時に無理をした罰である。そこで君子たるものは、羽振りの良い満ち足りた時に当たって、特に恐れ慎むことが求められるのである。




【前集一一〇】

私恩、不如扶公議。結新知、不如旧好。立■■、不如種■■。尚奇節、不如謹■■。

私恩を6)るは、公議を扶くるに如かず。新知を結ぶは、旧好を7)くするに如かず。8)エイメイを立つるは、9)イントクを種うるに如かず。奇節を尚ぶは、10)ヨウコウを謹むに如かず。



【解釈】 個人的な私恩を売るよりは、天下の正論に味方した方が良い。新しい友人を求めるよりは、古い友人とのよしみをあたためた方が良い。はでな名を立てるよりは、かげで陰徳を施しておく方が良い。奇特な節義を尊ぶよりは、日常の行いを慎む方が良い。

諄諄言うのはやめましょう。若いころは無理がきくんですよ。でも、それは後々にちゃあんと付けが回っているんですね。バブルは弾けたあとが怖い。反動が大きいから。要は大局観を持てるかどうかなんです。調子のいい時こそ身を慎めというのは言うは易し行うは難し。できなくてもいいんです。あとで後悔すれば。まだ間に合うでしょう。何度も何度痛い目に遭わないと人間は成長しませんから。羹に懲りて膾を吹くのが結局はいいのでしょうね。

そのためには、天下の正論を唱えたり、古い友人との仲を温めたり、ひそかに善行をしたり、日常生活を慎んで送ったりするのが無難。これらの逆もいいが、長持ちはしませんよ。やってみれば分かる。とにかく突出したことをやるとあとで竹箆返しを食らうのが落ち。委縮する必要はないが、過度な分不相応な行いは身の破滅の元です。菜根譚が教える処世訓は難しいことは何もない。その通りに噛み締めればいいのです。噛んで噛んで味が出てくるまで噛み続けることで身に沁み入るのですから。。。


問題の正解は続きにて。。。


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チャンスはピンチに胚胎する…順風満帆が一番危ういぞ

本日の岩波文庫「菜根譚」(今井宇三郎訳注)は、ピンチとチャンスが交互にやってくるのは当然としても、それぞれの予兆はそれぞれの前の段階で胚胎しているということを説きます。禍福は糾える縄の如し。ピンチはピンチなりに人を磨く。チャンスはチャンスなりに人を盪かす。さてさて、どっちがいいのでしょう。いや、どっちも来ない方がいいのでしょうか。


【前集九九】

居逆境中、■■皆鍼砭薬石、砥節礪行、而不覚。処順境内、■■尽兵刃■■、銷膏靡骨、而不知。

逆境の中に居らば、1)シュウシン、皆鍼砭薬石にして、節を砥ぎ行を礪きて、而も覚らず。順境の内に処らば、2)マンゼン、尽く兵刃3)カボウにして、膏を銷し骨を靡して、而も知らず。



【解釈】 人間、逆境にあるときは、身のまわりのすべてがはりや薬で、それで節操をみがいているのであるが、しかも本人はそれを知らずにいる。これに対して、順境にあるときは、目の前のすべてが、刃や戈で肉を溶かし、骨を削られていることに気付いていない。


逆境と順境。有卦に入る、無卦に入るという易の世界の言葉もあります。それぞれ長く続くことはあっても永遠に続くことはないというのが大前提。少なくとも迂生は一生逆境だった人、一生順境だった人がいたことをしりません。知らないだけかもしれませんが、それを公言した人は知りません。となると、どちらも無い方がいいのかもしれません。平坦に、抑揚無く、生きることができればそれに越したことはないのかも。しかし、残念ながらそうはいかない。人間は喜怒哀楽するために生きていると言っても過言ではない。したがって、順境、逆境は多少の長さにちがいはあれど交互にやってくる。しかも、逆境は人にさまざまな教訓を教えてくれるので、それを乗り越えた暁には一歩成長している。ところが、順境は順境で、人知れず肉を溶かし、骨を削る、つまり、知ってはいけないこと、知らない方が良かったことを教え込んでしまう。慢心ですね。気がつけばとんでもない事態を招いている。高みにあると勘違いしてしまう時が人生で一番危い時なのです。一気に落ちる。速い。ジェットコースターのようです。平坦がいいのですが、それは無理。ジェットコースターは落ちる時は怖いですよね。どうすればいいのか。天狗にならないことです。どんなに自分に有利な風が吹いていようとも、有利だと思ってはいけない。不必要に卑屈になったり弱気になる必要もないが、根拠も無しに、今の自分の境遇を受け入れるのだけはやめましょう。どこに落し穴が潜んでいるかは分からない。どんな利益も不利益になるということを常に肝に銘じることです。人生、何十年なのかは分かりませんが、毎に学ぶことです。いいことも、悪いこともひっくるめて学びなのです。年齢上下は無関係。時間は平等。使い方で差が出る。体も調子も大事だ。心地の良い人生は棺の蓋を覆うまで訪れないと思った方がいいのです。


正解などは続きにて。。。


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心の欲望に打ち勝つには…最悪をシミュレーションせよ

本日の岩波文庫「菜根譚」(今井宇三郎訳注)は、強欲さが身の破滅への入り口であることを戒めます。一生を台無しにする恐れがある。だから、昔の人を引き合いに出して、欲を丸出しにするなと言います。

【前集七八】

人只一念■■、便銷剛為柔、塞智為昏、変恩為惨、染潔為汚、壊了一生人品。故古人以不■為宝、所以■■一世。

人は只だ一念1)タンシなれば、便ち剛を銷して柔となし、智を塞ぎて昏となし、恩を変じて惨となし、潔を染めて汚となして、一生の人品を壊了す。故に古人、2)ムサボらざるを以て宝となすは、一世に3)ドエツする所以なり。



【解釈】 人はほんの少しでも欲張る心を起こすと、強い気象も弱くなり、澄んだ知恵もにぶくなり、愛情も残酷な心になり、潔白な心もよごれてしまって、生涯の品格をすっかりこわしてしまう。そこで古人も、欲張らないことを宝としたが、それが俗世間を超越したわけである。

欲張りは人格を変えてしまう。「剛」が消えて「柔」に、「智」が塞がって「昏」に、「潔」が「汚」に染まり、人品が壊れ去る。少しならいいだろうとか思わない方がいい。「剛」「智」「潔」というポジティブな性格がすべてネガティブなものに姿を変えてしまう。ほどほどがいいんです。分不相応の欲を求めても禄な結果にならないからです。だから、昔の人は強欲を戒めて、清貧を宗としたのは俗世間の誘惑から己の身を守るためだったのです。あの陶淵明が田園に帰ったのもそうだというのでしょう。ある意味早々に見切りをつけた。世の栄達の空しいことを見抜き、本分に従って生きることこそ自分自身を守ることだった。物理的な隠者にならなくとも、心の中で隠者になることはできる。世の中から逃避するのではなく、世の危険から身をも守るために。。。



本日は二つ目も。そうした欲をどうすれば防げるのか。

【前集七九】

耳目外聞為外賊、情欲意識為内賊。只是主人翁、■■不昧、独坐中堂、賊便化為家人矣。

耳目外聞は外賊たり、情欲意識は内賊たり。只だこれ主人翁、4)セイセイ不昧にして、中堂に独坐せば、賊便ち化して家人とならん。



【解釈】 聞いたり見たりする欲は外部から侵入する賊で、欲情や我意は心の内部にいる賊である。ただ主人である自分さえ、さとく明らかで欲にくらまされることなく、心の中央に端坐しておれば、内外の賊はそのしもべとなるであろう。

目を閉じて耳を塞いで外の敵を防ぐ。内なる敵は心を静かに澄みきらせて安らかにしておく。そうした敵を奴隷にする。難しいですよ。誘惑は多いし、心は弱いし。水は低きに流れます。大勢に流されます。自分をしっかり持つことしかないでしょう。心の坐禅。外に振らされす、内にたゆたわせず。己を一心不乱に磨く而已。「耳目外聞」や「情欲意識」と言っているうちはまだまだ甘い。万が一、欲を出し過ぎて最悪のケースが起きたことを想定してみる、そうした事態をシミュレーションしてみるのも手かもしれません。怖くなっておのずと心は静まるかもしれません。耳も目もおのずと窒がることでしょう。


問題の正解などは続きにて。。。



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心配の種は奥深く隠さずに適度に表に出しましょう

本日の岩波文庫「菜根譚」(今井宇三郎訳注)は、自分の思う通りになる人生、ならない人生を論じます。暴れ馬を御すにはどうすればいいか。病気がないことは果たしていいことなのかどうか。長い人生における処世訓です。

【前集七七】

泛駕之馬、可就■■、■■之金、終帰型範。只一■■不振、便終身無個進歩。白沙云、為人多病未足羞。一生無病是吾憂。真■■也。

1)泛駕の馬も、2)クチに就くべく、3)ヤクヤの金も、終に型範に帰す。只だ一に4)ユウユウして振わざるもの、便ち終身個の進歩なし。白沙云う、「人と為り多病なるは未だ羞ずるに足らず。一生病なきはこれ吾が憂なり」と。真に5)カクロンなり。




【解釈】 車をひっくり返すような暴れ馬も、御し方一つでうまく走らせることができる。鋳型から跳びはねる金も、最後には鋳型に収めることができる。ただ、のらりくらりと日を過ごし少しも奮起することのない者だけは、一生涯、進歩というものが期待できない。陳白沙が言う所では、「生まれつき多病なことは恥じることではない。むしろ、生涯無病であって、病の何たるかを知らない方が自分には心配の種である」と。ほんとうにしっかりした意見である。


どんな暴れ馬も、人間が鞭なり食べ物なりで御すことは出来ます。それが教育かもしれません。鋳型に入らない冶金だっていつかは大人しく型にはまり立派な金属になって役に立ちます。ところが、ただ徒に生ける屍のように生きているのか死んでいるのか分からない生き方をしていれば、前に進んでいると言えるのでしょうか。多少、口が先走っても自分の主張がはっきりと表に出ている人の方が人間は扱いやすい。御せるから。偶には大声で世の中の矛盾点を叫びましょう。声は出さなければ届かない。どうせ、という台詞は単なる逃げ口上にすぎません。

そして、明代の文人、陳白沙の台詞です。彼の著述である「白沙子」巻六に出て来るものですが、多少病気があった方が手の施しようがある。しかし、病がないということは実は病があることよりもっとひどいのではないかというのです。つまり、病気がちであればケアをするから大事にはならない。一見、何もないといいように思えますが、表面化した時は大事かもしれません。これは日常生活にも当てはまります。適度につまずきを経験することが注意深くさせてくれます。むろん、つまずきはない方がいいに決まっています。人生経験上、それはあり得ないとなれば、災いを転じて福と為すことは必要でしょう。表面的なことと奥深く潜行することは表裏一体です。表面上何もないと云う事は表面化した時に手遅れであることはままあります。なぜか。表面化しない限り気付かないわけですから、病状は進むだけ進むからです。こんなに恐いことはありません。ジェットコースターのようですよ。落ちる時は一気です。容赦ありません。菜根譚はこのように人間の弱さを逆手にとって生きることの大切さを教えてくれます。

人の心に痛みを知りましょう。そして、知るだけでなく、自分に置き換えて痛みを最小限に和らげることが大切です。弱さを隠さずに出しましょう。それは甘えではなくて、身を守るための方便と言ってもいい。人とかかわり、本音をさらけ出し、抱え込まない。抱え込むようなことはしない。密かに潜行することはしない。公明正大に生きることこそ長生きの秘訣です。

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政治家に士君子たることを求めるのは酷なのか?

本日の岩波文庫「菜根譚」(今井宇三郎訳注)は、普段から身綺麗にすることの効用を説いています。人それぞれに限界はあるでしょうが、出来得る限りの節制を心掛けるべきだというのです。事前に予測できない、いざというときにそのことが生きてくる。そうなってみて初めて普段の生活の大事なことを悟るのです。菜根譚の数ある至言のほとんどはシミュレーションをせよと言っている。最悪の事態をどれだけ事前に織り込めるか、そうすれば最悪の事態だけは避けうる。もちろん、自分で最悪と思ってもそれを上回る、さらなる最悪はあるから、つねに想定に満足せずに、リバイズすることが求められるのは言うまでもありません。人生生きている限り、これでいいというのはないのです。常に自分の経験を大事にして、その積み重ねで生きろと叱咤しています。


【前集八四】

貧家浄払地、貧女浄梳頭、景色雖不艶麗、気度自是風雅。士君子、一当窮愁寥落、奈何輒自廃弛哉。

貧家も浄く地を払い、貧女も浄く頭を1)クシケズれば、景色は2)エンレイならずと雖も、気度は自からこれ風雅なり。士君子、一たび窮愁3)リョウラクに当たるも、奈何ぞ輒ち自から4)ハイシせんや。




【解釈】 あばら家でもきれいに庭を掃除し、貧しい女もきれいに髪をとかしておれば、外見はあでやかに美しいとは言えないまでも、品格は自然に趣を得てくるものである。そこで一人前の男として、万一、困窮の憂いや失意の悲しみに落ちたときでも、どうしてそれですぐ、自分から投げやりになってよかろうものか。

ここでいう「景色」(ケイショク)とは「外見、様子」という意。「気度」とは、「品格、度量のこと」。「士君子」とは中江兆民の論文に頻出しますが、「一人前の男子」という言葉です。学問、教養、徳行すべて備わった優れた人物を指しますが、なかなか到達できないレベルではあります。「窮愁」とは「困窮した憂い」のこと。「奈何」(いかん)は反語用法。

貧乏や外見の貧しさは実はマイナスではない。そのこと自体を卑下する必要は全くない。卑下した時点で負けだと思います。貧乏に満足するのではない、貧乏を卑下するなということを迂生は言いたい。そうではなくて、日常の行いこそが大事となる。引け目に感じる暇があれば自らを厳しく、正しく律して最大限の力を発揮して生きる姿勢が求められる。貧乏でも身綺麗に。不細工でも小奇麗に。これは勿論喩えですから、それぞれの一見、引け目に感じられがちなことを引き合いに出していいのですが、品格を重んじて、他者から後指が刺されないように振る舞うこと。必要以上の富や美は要らないのです。前段と後段のつながりがスムーズではないですが、ピンチになっても冷静になれというのは当たり前としても、普段の行いが生きてくるということを言いたいのでしょう。


政治家一人一人はもちろん、国民一人一人が普段の行いを慎み、過度な贅沢を求めず、身綺麗に小奇麗に生活を送る、仕事をする、子育てをする、趣味をする。いまこの国はそうした節度を求められているのではないでしょうか。所詮多少儲けても人の金を掠めたにすぎません。そんな金は身につくはずがない。借金だらけの上辺だけの辺幅を飾ってもいつか破綻するのは目に見えている。国民がためたお金をどう使うのか。国家は自暴自棄になってはいけない。そうならないためにも普段の行いが大事。老若男女、斉しく士君子になる必要はないですが、政治家に士君子たることを求めるのは酷なことなのでしょうか。菅政権はとっくに正念場に立たされています。ここからが真価の発揮どころではないでしょうか。


問題の正解などは続きにて。。。



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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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