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みゃ~お…その声は誰の鳴き声じゃ?=仮名垣魯文の「猫々奇聞」に題するの言(1)

仮名垣魯文(1829~94)の名前はご存知でしょう。江戸に誕まれ、幕末から明治維新期を完全に生き切ったと言える戯作家です。65歳の生涯は当時とすれば長い方です。特に開化期の世相風俗を題材にした『西洋道中膝栗毛』『安愚楽鍋』などの戯文が代表作。また、新聞人でもあり、政治・社会問題に対して論陣を張る「大新聞」の向こうを張って、所謂まちネタのほか、演劇界や花柳界のゴシップといった“パパラッチ”(ちょい古い?)的なイエローペーパーネタを中心に編輯された「小新聞」を主宰しました。

魯文は大の愛猫家で知られ、「猫々道人」(みょうみょうどうじん)の別称を持っており、彼が1875年に横浜で創刊した「仮名読新聞」に「猫々奇聞(みょうみょうきぶん)」というコラムを連載して好評を博していました。そのぴりりと風刺の効いた戯文が一冊の本にまとめられました。成島柳北は「朝野新聞」で連載している自身の雑文と気脈通じるところがあったようで、魯文から頼まれて、渠の本に対して、「猫々奇聞題言」と題する小文を贈って絶賛しています。

劈頭のくだりを読んでいただくと、「伯楽」?「千里ノ馬」?あれれ、どこかで読んだような……。そう、韓愈の「雑説」ですね(蛇足ですが、このキーワードで検索して弊blogにお越しいただく方は非常に多いですよ)。柳北が本家本元として捩った対象は蘇軾や杜牧、屈原にとどまらず、韓愈にも及んでいたのですね。ただし、蘇軾の「赤壁賦」をパロった「辟易賦」などのように、本家の一字一句を真似ていく形式は採っていません。

それほど長い文章ではないのですが、諸事情あって一日当たり沢山のヴォリュームをしたためることが困難な状況なので、4回に小分けして連載いたします。ご容赦ください。その代わりじっくりとかみ締めて翫わっていってください。例によって近代デジタルライブラリー所収の「柳北全集」から採録しております

「猫々奇聞題言」(1)

世ニ伯楽有テ然後ニ千里ノ馬有リ、世ニ魯文有テ然後ニ奇妙ノ猫有リ、奇妙ノ猫ハ常ニ奇妙ノ所為有ルモ、魯文ニ非ザレバ之ヲ捜索シ之ヲ筆録スル有ル能ハズ、其レ猶千里ノ馬ノ常ニ有ルモ、伯楽無ケレバ空シク1)ソウレキノ間ニ2)ヘンシスルト一般ノミ、魯翁ノ猫ニ幸スル蓋シ厚シト云フ可シ、古人曰ク3)キキ一日千里、此レ4)シシツナリ、然レドモ鼠ヲ5)ヘシメバ曾テ百銭ノ猫ニ如カズト、






1) ソウレキ=槽櫪。馬のかいばおけ。転じて、馬小屋。「櫪」も「かいばおけ」の意。

2) ヘンシ=駢死。首を並べて死ぬこと。「駢」は「ならべる」。駢拇枝指(ヘンボシシ=駢拇は、足の親指と第二指がくっついていることで、親指の横に余分な指のあること、いずれも役に立たないもののたとえ)は必須四字熟語。

3) キキ=騏驥。千里を走る名馬、よく走るすぐれた馬。駿馬。

4) シシツ=至疾。このうえもなく素早く走ること。「至」は「最高の、このうえなく」の意で「至~」の熟語は数多い。至愚(シグ=非常に愚かな人)。

5) 擒へ=とらへ。「擒える」は「とらえる」。とりこにする。「とりこ」とも訓む。網や包囲網の中に閉じ込めてとらえる。行動を封じていけどりにする。音読みは「キン」。擒縦(キンショウ=とりこにすることと、放して自由にすること)、七縦七擒(シチショウシチキン=敵をとらえたり逃がしたりして味方にする、三国時代・蜀の諸葛亮孔明が敵将の孟獲を七回擒にして、七回放ったところ、ついに背かなくなったという「三国志」に見える故事)、擒生(キンセイ=とりこになったもの、いけどり)、擒捉(キンソク=つかまえる、捕捉)。




柳北がいうところの魯文の「奇妙ノ猫」とは何を指しているのでしょうか。韓愈の伯楽に対する「千里ノ馬」に相当するのですから優秀な猫なのでしょう。しかし、「奇妙ノ所為」とも言っており、行動・振る舞いは奇妙のようです。魯文がいないと搏まえることができないのですが、伯楽がいないと千里ノ馬も飼い葉桶で野垂れ死にするしかないというのに比べればまだ幸せな方。しかも、走らせればどこまでも行くかのごとく素早いことこの上ないが、ネズミを搏まえさせれば「百銭ノ猫」には到底敵うべくもない。百銭ノ猫は千里ノ馬の語呂合わせなのでしょう。通常なら二束三文もしない野良猫でも柳北の念頭に存るのでしょうかね。この「百銭ノ猫」が曲者なのです。もちろん何かを含意しているんです。その点に注意して読み進めて行きましょう。
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操よ操よ何処へ逝く?何処にも往かぬ何時も居る=「節婦阿多誉ノ伝」(下)

成島柳北の「節婦阿多誉ノ伝」の後半です。「金太郎飴」のように何処を切っても同じ顔を出す、そんな「節操」を変えない「阿多誉」こそ、女性の鑑だという柳北。所詮、飴は飴であって人間は飴のようにはいかないと思うのですが、昨今の婦人たちの行動たるや、余りにも外見を気にして扮りたてて装い、自分を安く売る人の多いことに、半ば呆れ半ば危機感を募らせ、もっと阿多誉のような婦人になれと言いたいのでしょうか。


「節婦阿多誉ノ伝」(下)  (近代デジタルライブラリー「柳北全集」から)

抑此阿多誉ハ今功徳ヲ府下ニ鳴ラセル阿加誉ノ親族ナルカ、何ゾ其レ功徳ノ7)カンゼンス可キ無キヤ、我レ8)ホウコン世間ノ風俗ヲ視ルニ人家ノ嬢子9)ケイチョウ蕩逸ニシテ、娼妓ノ態度ヲ学ビ俳優ノ打扮ヲ慕ヒ、而シテ父母ニ順ナラズ兄弟ニ友ナラズ、其醜行見ルニ堪ヘ難シ、甚シキニ至テハ自ラ甘ンジテ歌妓トナリ10)ガイショウトナリ地獄トナル、今日ハ富商ノ11)ショウセイ明日ハ官吏ノ側室、千変万化一去一来、12)チンセキヲ人ニ薦ムル宛モ器ヲ人ニ貸スガ如シ、嗚呼甚矣哉、而シテ父母モ咎メズ親戚モ諫メズ、其夫トナリ客トナル者素ヨリ其13)インイツヲ喜ビ其14)ケイフヲ楽シム、嗚呼天下婦女ノ徳実に15)カイラン極マレリ、然ラバ則チ彼ノ阿多誉ノ如ク能ク一ニシテ変ラザル者、豈録シ伝ヘザル可ケンヤ
野史氏曰ク、世ノ婦女若シ己レノ行ヲ慎ミ己ノ操ヲ守ラント欲セバ、必ズシモ読ミ難キ列女伝ヲ窺フニモ及バズ、一銭ヲ投ジテ阿多誉ヲ買ハバ以テ婦徳ノ16)キカンヲ得可シ、而シテ能ク其味ヲ玩ハバ彼レガ如ク誉多キ婦人ニナルモ難キコトハ非ジカシ




7) カンゼン=間然。すきまを指摘する、疑わしいところや欠点をとりあげて非難すること。
この「間」は「すきま」の意。間断(カンダン=あいだがとぎれて、絶え間や切れ目ができること、切れ目)、間言(カンゲン=人を非難して仲をさくことば)。

8) ホウコン=方今。いま、現在。「方に今」(まさにいま)の意。

9) ケイチョウ=軽佻。落ち着きがなくて軽はずみなこと。「軽佻浮薄」(ケイチョウフハク)でこれを略して「軽浮」(ケイフ)が同義語。軽窕(ケイチョウ)とも書く。「佻」は「軽はずみ手うわついているさま」。「篤」「厚」が対義語。佻巧(チョウコウ=軽薄で、外面だけうまく取り繕うこと)、佻然(チョウゼン=かるがるとしていて、すばやいさま)、佻佻(チョウチョウ=ひとり離れていくさま、軽薄で苦労も分からないさま、ひとりで憂い悩むさま)。

10) ガイショウ=外妾。本宅以外にかこっておくめかけ。「妾」は「めかけ」。↓と同義。

11) ショウセイ=小星。正妻に対して、妾の称。「小さい星」と控えめなところが「日陰の女」っぽくていじらしい表現ですね。詩経に見えるれっきとした漢語です。このまえの「外妾」、このあとの「側室」のほか「権妻」も類義語。「外」とか「小」とか「側」とか「権」とか、いずれも二番手、準メイン、都合のいい男の「本質」が滲み出ている言葉ですね。いすれもあまり響きのいい言葉ではない。

12) チンセキ=枕席。まくらと敷物、転じて、寝具を指す。男と寝ること。

13) インイツ=淫佚(淫逸)。度を越えてみだらなことにふけること。淫湎(インメン=酒色にふける)、淫猥(インワイ=下品で、みだらなさま)、淫蕩(イントウ=酒色にふけってだらしがない)、淫溺(インデキ=物事にふけってやめられなくなること)、淫巧(インコウ=程度を越えてはなはだしく飾ったやり方)、淫哇(インアイ=みだらな気持ちをそそるような音楽)、淫雨(インウ=とめどなく降り続く雨、ながあめ、淫霖=インリン=)。

14) ケイフ=軽浮。↑「軽佻浮薄」の略。≠畦夫、荊婦、荊布、系譜、継父。

15) カイラン=壊乱。秩序など、整っている事柄をこわして乱す、また、こわれて乱れること。壊爛ならば、「組織がこわれてくずれてしまうこと」の意。

16) キカン=亀鑑。てほん、模範。亀鏡(キキョウ)ともいう。吉凶を占う亀甲と、物を照らして見せる鑑(かがみ=鏡)とは、ともに人の模範となることからいう。「亀~」の熟語では、亀胸(キキョウ=高く突き出ている胸、はとむね)、亀玉(キギョク=カメの甲と玉、貴重なもののたとえ)、亀甲(キコウ・キッコウ=カメの甲、六角形をつなぎあわせたような模様)、亀紫(キシ=黄金の印と紫の印綬)、亀筮(キゼイ=占いに使う、カメの甲と筮竹、それを用いた占い、亀策=キサク=)、亀紐(キチュウ=カメの形をきざんだ印のつまみ、亀鈕とも)、亀鼎(キテイ=天子の位のたとえ)、亀背(キハイ=カメの甲、背中が曲がって小さい人)、亀趺(キフ=カメの甲に刻んだ、石碑の台石)、亀鼈(キベツ=カメとスッポン、人を卑しめて言う侮蔑語)、亀卜(キボク=カメの腹甲に熱を加えて行う占い、熱を加えて甲にあらわれたひびの模様で、吉凶を判断する、亦の名を「ふとまに」、中国殷代から始まったとされる)、亀竜寿(キリョウのジュ=人の長寿を祝うことば)、亀齢(キレイ=カメの年齢、転じて非常に長い寿命)、亀手(キンシュ=こごえてひびのきれた手、かめのこ模様の亀裂の生じた手を解すれば「キシュ」と読んでもOK)、亀裂(キンレツ=手足のひびぎれ、あかぎれ、「キレツ」と読めば、カメの甲羅に熱を加えてできたさけめに似たひびわれ)。



柳北が見る昨今の「世間ノ風俗」の「嬢子」(=若い女性)の行動の特徴はこうです。軽はずみで締まりがない。遊女の媚を売る姿態を手本として、あやしげな女優の「打扮」(ダフン)=「おしゃれ、メーキャップの意。中国語でしょう。「扮装」と同義か」を真似する。父母に従順ならず、兄弟に親しまない。見るに堪えない醜い立ち居振る舞い。。。。この辺はさすが旧奥儒者の柳北らしい記述ですね。剰え、(真似るにとどまらず)うたいめ、おめかけに成り果てて、自ら地獄に至る始末。きのうは金持ち商人の二号かと思えばあしたは政府高官の傍に寄り添い、自由自在の軽いこと。一緒に寝るのもまあ軽いこと軽いこと。恰も物の貸し借りをするかのよう。そんな娘を見て見ぬふりの家族に親戚。何も言わない、言えません。客や夫の男どもは固よりその淫乱な性格が大好きで(それは柳北はん、あなたでっしゃろ?とツッコミ入れる)、ああ、婦女の美徳はどこへ行く~。。。

だから「阿多誉」のように「一ニシテ変ラザル者」を皆さんにお伝えする責務がわたしにはあるのだという。どうしたらそんな婦人になれるのか。古来名高い婦人を集めた難解窮まり無き「列女伝」を読むよりも、一銭を払ってこの阿多誉の飴を買ってごらんなさい。嘗めてごらんなさい。さあ、貴女も立ちどころに、節度を持った、操を失わない阿多誉になれること請け合いなり~。

って、これ単に「阿多誉」飴の宣伝広告に加担しただけってことはないですよね。飴を持ちだして節婦になれと言われても今一つ説得力に欠けるきらいが感じられるのですが。比喩的におっしゃりたいことは分かりますがね。要は、明治初期も二十一世紀の現代も実は人間自身は何の進歩も無いし、いや、進歩しようもないということですわ。技術や物質的な発展と、人間の本質は別だということ。ここを錯誤すると、とんでもない方向に人類は歩むような気がします。

いまさら儒教の教えをまんま当て嵌めようとはさらさら思いませんが、儒教という教えがあって、その教えが一定の効果を上げ、しかし、永続的には牛耳きれなかったという歴史を改めて認識しておくのは必要なことでしょう。婦人の節度に限らず、人間の本質は古来何も変わらないのです。それが表に現れやすくなっているのかどうか、その違いだけ。明治も平成も同じなのです。柳北のいささか強引かつ牽強付会かつ説得力に欠ける言辞を読んで改めて感じました。だから、どうせいとは何も言いませんし、言うことはできません。こうした現実を改めて認識できたことに意義があると考えています。

でもやっぱ柳北にこの話は語ってほしくなかったなぁ。。

あ~ら、どの口がおっしゃってますのかしら。あなたさまに言われたくないですわ、柳北先生。おほほほほ~。

って、もしも柳橋の芸妓に話した途端、即座に反撃にあいそうですもん。。。

金太郎飴宜しく何処を切っても同じ顔でなければならぬ=「節婦阿多誉ノ伝」(上)

江戸・柳橋や新橋の茶屋街で芸妓遊びを嗜んだ成島柳北ですが、意外や意外、その「女性観」は結構保守的なものだったようです。自分の放蕩は棚に上げて、女性には節操を持つべきことを称えました。凡そ遊冶郎・柳北らしからぬ「節婦」の理想像が「節婦阿多誉ノ伝」に見ることができます。例によって近代デジタルライブラリーの「柳北全集」から。本日は前半部分を味わいましょう。

「節婦阿多誉ノ伝」(上)

近来一個ノ隠君子アリ、1)コウメン2)ヘイイニシテ街上ニ往来シ、木魚ヲ叩キ口ニ阿保陀羅尼経を誦ス、五音ノ節ニ中リ三絃ノ調ニ合ヒ、其声洋々トシテ我耳ニ盈テリ、我謹デ其経ヲ聴クニ婦人阿加誉ノ美名、日々夜々木魚ト共ニ府下ノ3)シハクニ鳴レリ、而シテ吾ハ更ニ一個ノ節婦アルヲ世人ニ報ゼントス往昔ヨリ都下ニ飴売先生アリ東奔西走シテ飴ヲ売ル、飴ノ形円クシテ長ク中ニ一個ノ婦人アリ、其名ヲ阿多誉ト云フ、常ニ4)イイトシテ楽ムノ色アリ、先生手ニ小5)ショウヲ敲イテ謡テ曰ク、飴ノ中カラ阿多誉ガ莞爾笑テ飛ンデ出タヨ、市人買テ之ヲ見レバ阿多誉飴ノ中ニ欣々タリ、試ニ刀ヲ以テ之ヲ切レドモ亦阿多誉ノ面ナリ、之ヲ切リ之ヲ折リ、薄キ葉ノ如キニ至テモ亦同ジ阿多誉ニシテ、所謂百折千磨スレ共少シモ其操ヲ変ゼズ其節ヲ改メザル者、豈之ヲ貞節ノ婦ト云ザル可ンヤ、而シテ彼レ更ニ傲ルノ色無ク、常ニイイトシテ温柔ナル婦徳ヲ守ルノミナラズ、老ヲ養フテ能ク6)ガンイノ楽ミヲ保タシメ、幼ヲ憫ンデ能ク7)テイキノ苦ヲ救フ、(続)




1) コウメン=垢面。あかでよごれた顔、あかだらけの顔。「クメン」とも読む。蓬頭垢面(ホウトウコウメン=身だしなみが悪くむさくるしいようす)で用いることが多いが、「蓬髪垢面」(ホウハツコウメン)もある。弊衣破帽(ヘイイハボウ)は類義語。「けがら」「はじ」の訓読みもある。刮垢磨光(あかをけずりひかりをマす=人の欠点をけずりとって、知徳の光を発揮させる、人材育成のこと→韓愈「新学解」)、垢汚(コウオ=あかがついてよごれる、よごれ、垢穢=コウアイ)、垢脂(コウシ=あせやあぶらのよごれ、垢膩=コウジ=)、垢滓(コウシ=あかとかす、よごれたもの)、垢弊(コウヘイ=あかじみて、やぶれる、その着物)、垢離(こり=神仏に願い事を託する時、水を浴びて心身のけがれを取り去ること、水垢離、もと印度の風習)。
2) ヘイイ=敝衣。「弊衣」に同じで「いたんで破れた衣服」。「敝」は「やぶれる」の意。敝履(ヘイリ=破れた草履)、敝垢(ヘイコウ=やぶれたり、あかじみたりしていること)、敝人(ヘイジン=卑しい人、身分の低い人、自分の謙称)、敝腸(ヘイチョウ=くさったはらわた、邪心)、敝賦(ヘイフ=諸侯や大将が自分の国の軍隊を遜る言い方)。

3) シハク=市陌。まちなかの道。東西に走る小通り。「陌」は「みち」。街陌(ガイハク)・街路と同義。陌上(ハクジョウ=あぜ道のあたり、転じて農地)、陌阡(ハクセン=田畑の中のあぜ道、阡陌とも、「阡」は南北のあぜ道)、陌頭(ハクトウ=あぜ道のそば、道端、「はちまき」の意もある)。

4) イイ=怡々。心配事がなく、心穏やかになごむさま。「怡」は「よろこぶ」の意。怡悦(イエツ=なごやかなよろこび、また、よろこぶ、怡懌=イエキ=)、怡衍(イエン=よろこび楽しむ、怡予=イヨ=)、怡顔(イガン・かおをよろこばす=顔色をやわらげる、にこにこする)、怡然(イゼン=なごやかによろこび楽しげなさま)、怡暢(イチョウ=のんびりとなごむさま)。

5) ショウ=鉦。音楽で用いる打楽器の名。たたきがね。鉦鼓(ショウコ=打楽器、浅い皿形をしており、つりさげて叩く)。軍隊で用いた場合は「鉦」は「とまれ」の合図、「鼓」は「すすめ」。

6) ガンイ=含飴。あめを口に含むこと。老人がのんびりと隠居生活を送るさまをいう。「含飴弄孫」(ガンイロウソン)から来ていると思われます。

7) テイキ=啼飢。お腹がすいて泣き騒ぐこと。「啼」は「なく」。啼泣(テイキュウ=涙を流してなきつづける)、啼血(テイケツ・ちになく=血を吐いてなく、ホトトギスの鳴き声の悲痛なさまをたとえる)、啼哭(テイコク=大声でなく、なき叫ぶ)、啼痕(テイコン=なみだのあと)、啼粧(啼妝、テイショウ=化粧法の一つで、顔に白粉を塗って目の下の部分だけを薄く拭い取り、涙を流して憂えているように見せる狙い)、啼鳥(テイチョウ=鳥の鳴き声)。



日夜、「阿保陀羅尼経」を唱える隠君子の歌い文句の中に聞こえる「婦人阿加誉ノ美名」。「阿加誉」という名前が木魚の音と共に大阪中を席巻しました。「アカヨ」と響きの似た「アカヨ」、乃ち「阿多誉」という名の「節婦」が東京にいることを皆さんにお伝えしなければならないと柳北は言う。彼女は「飴ノ形円クシテ長ク中ニ一個ノ婦人アリ」。そう「飴」の中に居るという。

飴売りの歌い文句は「飴ノ中カラ阿多誉ガ莞爾笑テ飛ンデ出タヨ」。にっこり笑った阿多誉さん、飴の中から飛び出してきたよ。「試ニ刀ヲ以テ之ヲ切レドモ亦阿多誉ノ面ナリ、之ヲ切リ之ヲ折リ、薄キ葉ノ如キニ至テモ亦同ジ阿多誉ニシテ」。切っても切っても阿多誉の顔。切って折っても、薄く切っても同じ阿多誉。要するに金太郎飴です。

そして、柳北はそんな阿多誉が「所謂百折千磨スレ共少シモ其操ヲ変ゼズ其節ヲ改メザル者、豈之ヲ貞節ノ婦ト云ザル可ンヤ」と大絶賛。どんなに折っても摩っても節操を変えることのない、その姿こそまさに「貞節の婦人」と云うべきではないかといいます。そればかりか、老人が嘗めれば楽しい気分になるし、お腹を空かした子供が嘗めれば忽ち泣きやむこと必定。こんなに役に立つ女性はおりゃせんわい。称賛の嵐です。一体全体、柳北はどこまで真面目で、何を言いたいのでしょうか?次回をお楽しみに。。。

リスク取らぬ国家に未来無し=ビジョンつくり行動を―富翁の「長策」(下)

明治初期の「朝野新聞」社長・成島柳北が掲載したコラム、「富翁ノ長策」(近代デジタルライブラリーの「柳北全集」から)後半の「転」と「結」です。大金持ちでありながら貧乏暮らしをする富翁が妻孥に示した不可解な行動。ありったけの紙幣を見せるだけ見せて今にも豪邸を建てんばかりの勢いでありながら、勝手に「火事だ、火事だ」と紙幣をそそくさとしまい込みました。一体、何がしたいのでしょう。驚きの余り訝ることすらもできない妻と子供に語り始めた衝撃の狙いとは…?そして、柳北がこの奇聞で言いたいこととは何?

「転」

翁先ヅ金函ニ鎖ヲ下ダシ、而後襟ヲ正シウシ徐々妻児ニ諭シテ曰ク、卿等試ニ14)シイセヨ、夫レ資金有テ15)タイカ高楼ヲ築クハ、何レノ時ヲ問ハズ16)トッサニ弁ズ可シトス、然レドモ一朝火発セバ17)キョマンノ費忽チ化シテ18)カイジント為リ了ル、若シ金ニシテ函中ニ蔵メ、時々出ダシテ絶美ノ邸宅ヲ我ガ前ニ起コシ、緩急有レバ忽チ一掬シ去テ之ヲ函中ニ収ムレバ、千百年を経ルモ豈火災ヲ憂ヘンヤ、之レ19)乃公ノ長策ナリ妻児答フル能ハズ、長嘆大嗟シテ止ミシト是我ガ親シク見聞セシ一奇事ナリキ、



14) シイ=思惟。おもう。深く考える。「シユイ」と読めば、仏教語で「心を一心にこらして静かに自分の心を考察すること」。≠弑、恣意、緇衣、四夷、徙倚、尸位、祗畏、脂韋。

15) タイカ=大廈。大きな建物。「厦」は「いえ」。広廈万間(コウカマンゲン=なん間もあるような広いいえ)、大廈高楼(タイカコウロウ=豪壮な建物のこと)。

16) トッサ=咄嗟。物事の急なこと、またたくまであること。

17) キョマン=鉅万。金銭や財産などが非常におおいこと。「巨万」でももちろんOKですが、やはりこちらを押さえておきましょう。「鉅」は「おおきい」とも訓み、鉅公(キョコウ=天子、偉大な人物のこと)、鉅卿(キョケイ=年長者を尊敬していうことば)。

18) カイジン=灰燼。灰と燃えさし、燃えかす。転じて、物が焼けてすっかり滅びてしまうこと。「燼」は「もえさし」とも訓む。燼滅(ジンメツ=燃えてなくなる、滅びて絶えること)、燼余(ジンヨ=燃え残りのもの、戦争や戦災のあとに生き残った人々)。

19) 乃公=おれ。目上の者が、目下の者に対して自分をいう自称のことば。「ダイコウ」とも読みますが、ここはやはり「おれ」でしょう。乃今(ダイコン・いま=このごろ)、乃者(ナイシャ・さきに=以前に)。




翁の言い訳がましい弁がふるっています。

「いいか、豪邸なんてものは建てようと思えば金があればあっという間さ。なんてことない。ところが、ひとたび火事が起こってごらんよ。これもあっという間に家も金もおじゃんだ。だから、金庫に金をしまっておいて、いましがたやったように時々出しては並べて家を建ててつもりになって、『火事だ』と言ってはすぐにしまう。何年たとうが火災の心配はいらんよ。これがおれさまの先を見通した“長期ビジョン”だよ」。

啞然とするしかない妻孥の二人。こっちは長~い溜息しか出なかったとさ。。ちゃんちゃん。



「結」

今ヤ世ノ国会ヲ興シテ公議輿論ニ従フ可シト談論スル者多シ、而シテ其ノ弊害有ランヲ憂慮スルヨリ、未ダ容易ニ之ヲ行フ可カラズト為ス有リ、焉ンゾ知ラン其ノ憂慮スル所或ハ此ノ富翁ノ火災ヲ畏ルルト20)ドウテツナラザルヲ、若シ火ヲ万一ニ失スルヲ憂慮セバ、則チ翁ハ死ニ至ル迄長ク醜陋ナル家屋ニ栖止シテ止マンノミ、是レ果シテ長策カ、余輩ハ之ヲ知ラザル也吁



20) ドウテツ=同轍。同じ車の輪の跡。同じ方法、同じ振る舞いのこと。「轍」は「わだち」。轍迹(テッセキ=物事が行われたあと)。




「今ヤ世ノ国会ヲ興シテ公議輿論ニ従フ可シト談論スル者多シ」。柳北は富翁の例を持ちだして国会開設を求める自由民権運動に与しようとしていたのです。国民の要求に対して明治政府は、「失敗したら大変なことになる。時期尚早だ」と及び腰。柳北は、「火事が起きてもいないうちから火事の心配をするのでは翁が死ぬまでみすぼらしい家で暮らすしかないのと同じことではないか」と指摘します。国の体制が変わったのだからやってみたらよかろうというのでしょう。既得権益を開放したくない思いが見え見えだから、失敗の懸念を言い訳にするなと突き付けている。

御一新とはかくまで保守的なことではあるまい。権力が徳川から薩長土肥に遷るだけが維新ではないだろう。徳川を政権から落とすことが目的だったのか?苟も政権を担ったのであるなら、自分たちだけの「狭い世界」にとどまらず広く国民一丸で国づくりを進めようという体制を構築してこそ、本物の国家と言えるのではないか。権力から転落した人ならではの意見でしょう。

「長期的に視野に立ってリスクを取る」とは何かを柳北は問うたのです。富翁のように「リスクを取らない」ことが「長期ビジョン」だと言われて、それが通ってしまっては何も始まらない。いや、もう既に終わっていると言えるでしょう。百数十年以上も前に柳北が指摘したことは、現代社会でこそ改めて噛み締める必要があるのではないかと考えます。ビジョンとマニフェストを混同している民主党政権に、このお話を聞かせて背中を叩こうではありませんか。権力が自民党から民主党に遷るだけが政権交代ではない。政権を握ったのなら、見えない敵に恐れる前にリスクを取って自ら動け。動くためのビジョンをつくれ。そして、国民を動かせ。狭い世界にとどまらず国づくりを国民一丸となって進めよ。この国はもはや富翁が栖み続けた「醜陋ナル家屋」と化しつつあるのですから、急がなければならないのです。

お金があっても貧乏暮しその訳は…?=ある富翁の不可解な「長策」(上)

わが国の政治には、選挙目当ての「マニフェスト」(=戦術)はあっても、将来を明確に見通した「ビジョン」(=戦略)のないことが、国家を衰退せしめている元凶だと迂生は考えています。昨今の尖閣諸島をめぐる中国を主役とした一方的な「諍い劇」を傍観していてもそう感じざるを得ません。普天間問題も然り。あっちふらふらこっちよろよろ。「骨」がないんですよね。金も稼げなくなった昨今は国際社会において主役を張れなくなっている日本。政治家が人心を掌握できなくなっている。要するにビジョンを語れる人材がいないんです。政権交代が未だ「目的」の範疇を越えない限り、この国は先へ進めない。時間は限られているというのに危機ですよね。

さて、成島柳北が社長を務める「朝野新聞」の名物コラムに書き連ねた数々の「雑文」を、「近代デジタルライブラリー」所収の「柳北全集」から採録して玩わっていますが、ここにまた、「富翁ノ長策」という逸品を見つけました。「長策」というのは、先のことを考えたいわば「長期ビジョン」。明治維新期の政府にも果たしてあったものなのか?「富翁」なる人物がその大切さを教えてくれます。ちょっと不可解な形ではありますが…。

起承転結に分けて味わいましょう。本日は、前半の「起」と「承」です。

「起」

余ノ旧ト相識ル一富翁有リ、其性1)ケンリンナル古今2)ヒリン罕ナリ、平素3)アクイシテ悪食シ、妻児ハ殆ド4)サイショク有ルニ至ル、其ノ家亦5)ワイロウ甚ダシ、壁壊レ牀朽チテ敢テ修繕セズ、風雨至ル毎ニ妻奔リ児叫ビ、戸ヲ柱ニ縛シ盤ヲ席ニ陳ネテ以テ之ヲ避ク、全家6)テンシツシテ寝食スル能ハザルモ翁ハ自若タリ、而シテ其ノ私ヲ省スレバ黄金白銀累々トシテ筐ニ囊ニ7)ジュウイツセリ、一日其妻児輩を率キテ翁ノ前ニ進ミ、哀請シテ曰ク、良人久シク富裕ノ名ヲ以テ郷党ニ鳴ル、而シテ此ノ8)シュウロウ幾ド乞児ノ窩ト一様ナル家屋ニ住シ、常ニ風雨寒暑ニ苦シム、縦令自カラ忍ブモ妻児ノ困墊ヲ憫ム無キカ、翁頷シテ曰ク善シ、我レ卿ノ為メニ一大邸宅ヲ築カン、卿試ニ看一看セヨ、妻大ニ喜ビ児輩喜デ拝謝ス、




1) ケンリン=慳吝。ものおしみすること、しみったれ、けち。慳惜(ケンジャク)・慳嗇(ケンショク)ともいう。「慳」は「おしむ」と訓む。

2) ヒリン=比倫。くらべる、同類。比類とも。「倫」は「たぐい」の意。

3) アクイ=悪衣。そのあとの「悪食」とあわせて「そまつな着物とそまつな食事」。粗衣粗食ともいう。悪意ではないので注意しましょう。

4) サイショク=菜色。あおい色、飢えた顔色にたとえる。顔面蒼白。

5) ワイロウ=矮陋。家が小さくてむさくるしい。「矮」は「みじかい」の訓み。矮屋(ワイオク=粗末な家、陋屋=ロウオク=)。

6) テンシツ=沾湿。ひたひたとぬれる。また、雨などでぬらす。「テンシュウ」とも読む。「沾」は「うるおす」とも訓む。

7) ジュウイツ=充溢。みちあふれる。

8) シュウロウ=醜陋。みにくくせまい。「陋」は「せまい」。陋薄(ロウハク=物がそまつなこと)。


「困墊」(コンテン)は難語で「疲れ苦しむこと」。



富翁は名前の通りお金持ちであるのに襤褸家に住んで、着るものにも食べるものにも汲汲とする生活を送っています。堪えかねた妻と子供が「お金はあるのにどうしてこんな暮らしを送らなければならないのでしょう。あなたさまはよろしいでしょうが、わたしたちのこともお考えくだされてもよろしいのではないでしょうか」と平身低頭して哀願します。「それでは…」と切りだした翁は「お前らのために大邸宅を建てようではないか。見ておれ」。わ~い、わ~いと喜ぶ妻孥の無邪気さは当然としても、翁の言う「看一看」とはおかしくないですか?そんなに簡単に家など建てられっこないっしょ。。。何かあるぞこりゃ。。。



「承」

翁乃チ一金函を啓キ、金貨9チョヘイヲ攫出シ来リ其ノ前ニ排列シ、指ヲ以テ席ニ書シテ曰ク、此処ニ一堂ヲ造ル其価千円、乃チ千円の金ヲ点ス、彼処ニ一楼ヲ起ス其価千五百円、乃チ千五百円の金を点ス、金庫ハ左ニ築キ10)米廩ハ右ニ設ク、其価若干、又若干ノ金ヲ点ス、園池ノ費門牆ノ11)、皆多少ノ価金ヲ配置シ、忽チ一大宏壮ノ邸宅ヲ眼前ニ書出セリ、而シテ之ヲ造ルノ金額現ニ累然堆積シテ函内幾千円予備銭ヲ剰セリ、翁自カラ快ト叫ブ、於是乎妻ハ欣々トシテ楽ミ児ハ嘻々トシテ笑フ、既ニシテ翁管ヲ援テ烟ヲ喫ス、喫一喫俄然絶叫シテ曰火起々々、ソレ収束々々ト、忽チ膝前ニ点書セル金幣ヲ両手ニ12)キクシ去テ之ヲ函中ニ収ム、席上復タ一銅銭ヲ留メザルナリ、妻児13)サクガクシテ一語ヲ発スル能ハズ、




9) チョヘイ=楮幣。紙幣、さつ。楮鈔(チョショウ)・楮券(チョケン)ともいう。「楮」は「さつ」とも訓む。「こうぞ」と訓めば、紙の原料となる木の名。

10) 米廩=こめぐら。「廩」は「くら」。倉廩(ソウリン=くら)、廩倉(リンソウ=廩庫)。廩粟(リンゾク=倉庫にある米)。

11) 賚=たまもの。上の者から下の者へたまわったもの、いただきもの。音読みは「ライ」。賚賜(ライシ=さずけ与える、また、そのもの、賚錫=ライセキ=)、賚与(ライヨ=品物などを与える、賚予=ライヨ=)。

12) キクシ=掬シ。すくう。両手をまるくしてそのなかにのせる。

13) サクガク=錯愕。思いがけないことに当面してあわてる。




翁のやったことは、金庫の紙幣を並べ立てて、席(むしろ)に手で画をかきます。ここに邸、ここに楼、ここに米蔵、ここに池。。。それぞれいくらいくらと金を置いていく。千円とか簡単に言っていますが相当な高額ですよ。それでもまだ予備のお金は金庫に残っているという。「どうだ~」と叫ぶ翁に、妻孥も「わ~いわ~い」と連呼する。あたかも大邸宅がすぐさま出来そうな勢いです。「これで貧乏暮らしとオサラバじゃ~」。ところが、翁は突然、煙管に火をともし煙草の煙を吹かしはじめます。そして、「火事だ~」。「かたずけろ~」。並べた紙幣を慌てて撤収させ金庫にしまい込みます。席の上には一銭も無くなりました。ぽか~んと口をあんぐりの妻孥は何が起きたのか理解するのに時間がかかるようです。

さて、翁の行動の真意や如何に。。。続きは次回をお楽しみに。

Hな芸妓も義理堅い芸妓もわしに任せろ=漢文ぐらいしっかり学ぼうよ

成島柳北の代表的な著作に「柳橋新誌」というのがあります。いまでいう浅草、吉原の近所にある茶屋街での遊蕩風情を書きあげています。吉原に入り浸った柏木如亭の「吉原詞」みたいな感じでしょうか。「柳北全集」にも採録されているのですが、嗟夫、残念なことに漢文なのです。読み下されていない。筋を追っていくことは不可能ではありませんがblogで紹介するには骨が折れる。だれかが一般向けに文庫化してくれるのを翹望いたしましょう。

芸妓好きの柳北ですから、全集にも芸妓遊びのシーンはふんだんに登場します。その中から、本日は「芸妓辞」を取り上げます。実はこれも屈原の「漁父辞」を捩ったパロディー。「漁史辞」(リンク)の二番煎じです。構成は全く同じです。当時の粋な芸妓のトークが炸裂して最後は大いに笑えますよ。色っぽいだけじゃ務まりません。切り返しの当意即妙こそが求められるのです。

「芸妓辞」

先生既ニ騙サレテ柳橋ニ遊ブ、船宿ニ1)リュウレンシ、顔色憔悴形容枯槁セリ、芸妓見テ之ニ問テ曰ク、子ハ2)トウガイノ役人ニ非ズヤ、何ガ故ニ茲ニ至ル、先生曰ク世挙ツテ皆遊ベリ、我レ独リ堅シ、衆人皆奢レリ我レ独リ吝(ケチ)ナリ、是ヲ以テ嫌ハル、芸妓曰ク、通人ハ物ニ凝リ固マラズ、能ク世ト推シ移ル、官長皆遊ババ何ゾ其ノ髭ヲ撫デテ其尻ヲ3)ゲザル、同役皆奢ラバ何ゾ其酒ヲ掠メテ其肴ヲ荒ラサザル、何ノ故ニ遠慮会釈シテ自ラ嫌ハルルニ至ルヤ、先生曰ク吾レ之ヲ聞ク、新タニ売リ出ス者ハ必ズ客ヲ弾ク、新タニ弘メヲ為ル者ハ必ズ男ヲ振ルト、安ンゾ能ク妓ノ4)カンカンスルヲ以テ我ノ5)ジン張リヲ楽シムルコト有ラン乎、寧ロ島原ニ赴イテ地獄ノ堂上ニ弄セラルルモ、安ンゾ能ク少々ノ禄ヲ以テ大層ナ請托(ネダリゴト)ヲ蒙ラン乎、芸妓莞爾トシテ笑ヒ、絃ヲ皷シテ騒グ、乃チ歌テ曰ク、月給ノ高少ナケレバ以テ吾ガ面ヲ拝ム可シ、月給ノ高多ケレバ以テ吾ガ尻ヲ売ル可シ、遂ニ去テ復タ与ニ言ハズ



1) リュウレン=流連。遊楽に耽ってなかなか家に帰らないこと、いつづけ。ある場所にとどまってよそへいかないこと。船宿に入り浸りになることです。

2) トウガイ=等外。定められた等級に入らないこと。ここでは、明治政府の官僚ではないということで、旧幕臣という身分を暗に言っている皮肉です。

3) 掀ゲザル=もちあげざる。「掀ゲル」は「もちあげる」「あげる」。高く上にあげること。音読みは「キン」。

4) カンカン=侃々。性格などが強く、のびのびとして正直なさま。侃侃諤諤(カンカンガクガク=剛直で、遠慮せずにありのままをずばりとのべること)、侃然(カンゼン=気質が強く正直なさま、のびのびとしてうちとけるさま)。「侃」は「性格などが強いさま、のびのびとしてひるまないさま」。

5) ジン=腎。「腎張り」(じんばり)とは、「性欲の強いこと、淫乱な人」の意。要は、ど助平。



気の強い姐肌の芸妓に柳北もタジタジです。幕府から下野したため、生活にも困窮する柳北ですが、芸者遊びだけはやめられないようです。気弱な屈原が柳北先生。一方、芸妓は隠者然たる漁父。「粋な人ならみんなが遊んでいるなら上手いこと付き合ってご相伴に預かればいいのよ。なにを慎み深そうに遠慮しちゃってケチだなんだと嫌われてんのよ」。思わぬ叱咤激励に柳北は「そんなこと言ったって、お前さんがた芸者はデビューしたって男さんを選ぶでしょうが。金がない奴には目もくれないではないか。偉そうな啖呵を切るばかりで、この助平爺には歯牙も掛けないではないか。金がないからだろ。柳橋でこんな詰まらない思いをするよりも島原にでも行っておねだりでもした方がましというものさ」(ここは今一つ意味が不明です)。おほほほほ~。芸妓は気違いのように琴を弾いたり、鼓を打ったりしながら歌い出します。

「♪給料少ないお方はあたしのお顔を見てるだけ~♪給料多いお方はあたしのお尻も何も好きにして~♪」。

唖然とする柳北の顔が目に浮かびますな。

ところで粋な芸者衆の話については森銑三が「明治人物閑話」(中公文庫)でも「成島柳北と名妓たち」と題して紹介しています。森は「『新柳情譜』は、成島柳北の著作中の第一に推すべきものだと思う。私は以前から、一人極めにそう極めている」(同書、81頁)と冒頭述べているのですが、全集にも採録されておらず意外に知らない人が多いと嘆いています。

この「新柳情譜」は、初篇、二篇の二部から成り、共に明治十二年に著わすところだといいます。「柳北はその初篇と二篇とに、二橋(新橋と柳橋)の芸妓十二人ずつを選んで月旦して、二十四番花信に擬しているのであり、全体で四十八人という多数の歌妓が取上げられている」とし、「四十八章には、七絶の一首ずつが添えられていて、詩と文と相俟って、余韻の尽きざるものがある。そうしてこの書は、繰返して読んで、飽くことを知らぬ好著となっているのである」(同書、82頁)と評しています。残念ながら、手元に原典がないので森の文章を借りて一つのお話を引用します。

柳橋の錦八(同書、83頁)

「戊辰1)カンカの後、余、二三の幕僚と縦酒懐を遣り、毎飲妓を徴す。識る所数十人、而して今にその存する者、唯だ錦八一人たり矣。当時錦八、嬌小にして2)キショウ、酒を飲むこと数斗、酔へば則ち放言人を罵る。勢ひ当るべからず。余呼んで隼姐といふ。其の小にしても鋭なるを以て也。嘗て濹の魚十楼に飲む。余に愛狗あり、尾して来る。乃ち与うるに肉を以てす。衆犬皆な環視3)ダイす。しかれども余を畏れて動かず。錦八、既にして酔ふ。4)りて曰く、何ぞ偏なるやと。手ずから盤肉を攫み、尽く衆犬に5)投畀す。一坐皆驚く。しかれども錦八、志操亦た人に過ぐる者ある也。深川の豪商美濃善、錦八を6)し、竟に7)ひて小星と為す。後ち善の家道漸く衰へ、其の妻妾皆な棄て去る。錦八、独り去らずして曰く、旧恩豈に報ぜざるべけん乎と。乃ち復た籍を掲げ、技を8)りて以て善を養ふ。善、錦八に衣食する三五年、竟に往く所を知らず。錦八、今猶ほ善く飲む。然れども酔へば則ち大息して曰く、妾老いたり。復た肉を攫んで狗に投ずるの意気無し也と。余、為めに9)シュウゼン

一肱旧夢十余年。樽酒相逢且黯然。縦使身非10)タッキョ客。青袗11)エンルイ聴哀絃。」







1) カンカ=干戈。たてとほこ。転じて、戦争。燹、兵戈とも。ここは戊辰戦争のこと。

2) キショウ=奇捷。不意をついて敵に勝つ。危勝ともいう。

3) ダイ=朶頤。あごを動かして食べようとするさま。「イをダす」とも訓む。ほしがるさま。

4) 瞋り=いかり。「瞋る」は「いかる」。目をわくいっぱいに開く。かっと目をむく。音読みは「シン」。瞋恚(シンイ・シンニ=目をむいて怒る)、瞋目(シンモク・めをいからす=怒って目をむく)。「いかる」はほかに、「怫る、嗔る、噁る、嚇る、忿る、恚る、悁る、愾る、慍る、馮る」。

5) 投畀=トウヒ。なげあたえる。「畀」は「あたえる」。

6) 暱し=ジッし。「暱」(ジツ)は「昵」と同義。なじむ、ちかづく。身近に親しむ。暱比(ジッピ=肩を並べて親しみ合う)、暱懇(ジッコン=仲好く懇意である)。

7) 贖ひて=あがなひて。「購う」は「あがなう」。買うこと、ここは芸妓を請け出すこと。音読みは「ショク」。贖罪(ショクザイ=金銭や品物を出して罪をまぬかれること)、贖刑(ショクケイ=金銭を出して刑罰をのがれる)。

8) 售り=うり。「售る」は「うる」。物を売る、あきないをする。音読みは「シュウ」。售価(シュウカ=うり値)。

9)シュウゼン=愀然。顔をしかめるさま、心配そうなさま。愀愴(シュウソウ=心配するさま、がっかりするさま)。「赤壁賦」及び「辟易賦」でも出てきました。

10) タッキョ=謫居。罪をおかし、その罰として遠方へ流されること。「謫」は「せめる」「つみする」とも訓む。謫所(タクショ=流罪にされて住んでいる場所)、謫落(タクラク=罰して辺境の地へ左遷すること)。

11) エンルイ=掩涙。なみだをおさえる。「なみだをかくす」とも訓読する。




豪快かつ繊細な芸妓ですね。依怙贔屓だとか阿諛便佞だとか、曲がったことが大嫌いな真っ直ぐ生きた芸妓。義理堅い。柳北が最後に詠じた漢詩は哀切さに満ちており涙が零れる。人情たっぷりのお話でした。

森は続けて「秋風道人」なる人物の附評を紹介しています。

「漁史(柳北)、嘗て幕府の貴官たり。鞠躬尽瘁、蓋し亦た労せり矣。時勢一変、官を棄てて顧みず。放浪自ら娯む。而して裁抑すべからざるの気あり。時に筆端に見はる。則ち此篇、啻に一歌妓の為めに嘆を発するのみならざる也」。

森によると、「新柳情譜」は、「世上の自ら粋客を以て任ずる徒の筆を弄した花柳の評判記の類とは、おのずからその選を異にするのである」といいます。確かに、軽妙な筆勢ながらしっかりと人物の気風をとらえている。人間を描いているということです。ドラマですね。自分が何様だ、通人だなどは関係ない、相手を見詰める眼差しが輝いている。

森が最後に苦言を呈しているのが面白いです(同署、89頁)。

とはいえ、せっかくの「新柳情譜」も、漢文ではといって投げ出す人があるのでは心細い。多少は厄介かも知れないが、明治に入ってから、同じ日本人の書いた文章くらいは、読む練習をして貰いたい。何人か集って、この種のものを読み合う会でも拵えて見たらどうだろうかなどともいいたくなる。

森の文章が書かれたのが昭和46年ですから、その後40年近くが経過し、日本人の「漢文読解力」は劣化している一方でしょうね。迂生も森と同じ危機を感じます。せめてこのblogを通じて「どげんかせんといかん」と思ってキーボードのキーを連打する毎日ですが、いかんせん微力、いや無力な存在ですから。。。漢文を読むことは古人之糟魄を嘗めるための大切な手段だというのに。。。。。隔靴搔痒の感を禁じ得ません。

alas。

わが新居誇大称揚したとて何が問題じゃ?=弟子と繰り広げる珍問答

成島柳北が幕臣時代に住んだ自邸を「松菊荘」と称したことが、「濹上隠士伝」に記されていたのは既にご紹介いたしました。「松菊」といえば聊か無理矢理ですが陶淵明が想起されます。「帰去来兮辞」にある「松菊猶存」のフレーズは、そのまま淵明の境遇を言う代名詞ともなっています。官僚生活を倦んで、すべてを捨てて戻った田園の自宅には昔と変わらない松と菊がそのままの姿であったという。柳北の境遇とも重ねると徳川幕府に生涯忠誠を誓い、明治政府には「二君」に仕えることとなる故、仕えなかった。「天地間無用の人」を宣言したのですから。その自宅の名称を「松菊荘」(聞きようによっちゃあ旅館の名前でもありますな)としたのは、淵明を「範」としたことは、何処にも見えませんが強ち邪推の領域にはとどまらないでしょう。

さて、その「松菊荘」ですが、新築したころに弟子(門生)と「珍問答」を繰り広げたことを雑文に書いています。「近代デジタルライブラリー」の「柳北全集」から、全文掲載、漢字もたっぷりです。

ちなみに、冒頭の「念八日」は「二十八日」のこと。ミスではありません。「念」には「二十」の意があります。「廿」と同義です。先の「濹上隠士伝」によれば、慶応3(1867)年7月28日のこと。「松菊荘」と名付けた邸に柳北一家が引っ越ししてきました。弟子が訪ねてきて「先生おめでとうございます……」。文章はそこから始まります。



「松菊荘ノ略記」

濹上松菊荘ノ新築全ク功ヲ1)ル、濹上子乃チ七月念八日ヲ以テ2)サイドト3)キンショトヲ携ヘテ移リ住ス、門生来リ賀シ且ツ曰ク、夫子ノ新室成ル、何ゾ是レガ記ヲ作ラザル、濹上子曰ク、我レ4)近比文才大ニ退キ、序記論説ノ若キ面倒ナル者ヲ綴ル能ハズ、我レ将ニ之ヲ5)ソウシキノ諸大家ニ託セントス、然レドモ今ヤ天暑シ、俸金ヲ沢山取ル官省ノ職務サヘ休暇ヲ得テ家ニ午睡スルノ日ニ於テ、焉ンゾ我ガ有無敢テ妨ゲ無キ記文ヲ乞フ如キ無情ノ事ヲ為ス可ケンヤ、新涼入郊燈火可親ノ好時節ニナラバ、諸大家必ズ我ガ為メニ書イテ寄贈セラル可シ、門生曰ク、然ラバ何故ニ6)ショケンヲ此ノ新室ニ請フテ之ヲ落セザル、其ノ室ヲ観ズシテ之ヲ記スルハ決シテ能ハザルコトナリ、濹上子曰ク、然リ、我レ亦之ヲ慮ル、然レドモ目今午熱7)クガ如ク、而シテ我ガ村落晩来蚊雷大ニ起ル、我レ猶之ヲ畏ル、況ヤ賓客ヲヤ、故ニショケンヲ招テ室を落スル亦新涼ノ候ヲ待タントス、門生曰ク、然ラバ則チ夫子新室ノ記容易ニ成ルヲ望ム可カラズ、濹上子曰ク、我レ試ニ其ノ粉本ヲ写シ、以テショケンニ寄セン、ショケン必ズ午睡ノ際ニ於テ我ガ為メニ予メ8)フッコウヲ成サンカ、乃チ筆ヲ援キ其ノ概略ヲ記ス、曰ク、我ガ松菊荘ノ9)モンショウハ10)キュウカンニ仍ル、門ニ入テ右スレバ園ニ入ル、左スレバ11)ニ到ル、中央ハ磚石ヲ列シ、以テ客ヲ堂ニ延ク、堂ニ面シテ梅数十株ヲ栽エ、尽ク雑樹ヲ外園ニ移ス、堂ノ左ハ12)スイショウ白桜若干株ヲ排列シ、下ニ蘭菊ヲ13)テンテイス、旧14)汙池有リ、之ヲ疏鑿シテ外渠ニ通ジ、以テ墨江ノ潮ヲ引ク、15)水潦ノ腐敗シテ毒氛ヲ生ズルヲ畏ルル故ナリ、池中ニ金魚赤鯉ノ類ヲ16)ハズシテ尋常ノ17)ギョベツヲ放ツ、釣客ヲ延テ馳眺18)カンゴシ、且ツ春日墨堤ノ花ヲ望ンデ会飲セント欲スルナリ、楼南ハ我ガ梅花ニ対シ、東ハ我ガ桜花ヲ19)シ、西ト北トハ遠ク堤上ノ花ヲ望ム、命ヅケテ四顧皆花楼ト云フ、楼下ハ即チ主人読書ノ室ニシテ、其ノ背ハ家人ノ20)セイソクスル処ナリ、東隅ニ浴室ヲ設ク、濹上子浴ヲ好ム人ニ過グ、暑則チ浴シ、寒則チ浴ス、一日モ浴セザルノ日無シ、然レドモ才徳更ニ日新ノ効無ク、日ニ以テ21)ウフ、是レ嘆ズ可キ也、我ガ新居ノ結構概略斯クノ如キ22)而已、門生曰ク、夫子ノ之ヲ記スル何ゾ誇張スルノ甚ダシキ、小子ヲ以テ之ヲ視レバ其ノ23)ショウドウスル所頗ル実に過ギタリ、濹上子曰ク、否々汝言フ勿レ、某先生嘗テ某公ノ為メニ其ノ堂ニ記シ、某老人亦某君ノ為メニ其ノ園ニ記スルノ文ヲ観ルニ、其ノ24)コウソウ華麗ナル洛陽ノ名園ト雖モ及バザルガ如シ、我レ往テ之ヲ観レバ多クハ尋常ノ25)エンユウ26)ドウウナリ、其ノ他墓誌ノ功徳ヲ称シ、祭文ノ勲業ヲ述ルガ若キ、亦皆27)モウタン28)アユ人ヲシテ噴飯シテ絶倒セシムル者有リ、何ゾ特リ我ガ新居ニ私スルヲ咎メンヤ、門生曰ク、29)






1) 竣る=おわる。工事がおわる、すっくと立つ。竣功(シュンコウ・コウをおわる=建物が高くたつことから、工事が完成すること、落成、竣工=シュンコウ=、竣成=シュンセイ=)。

2) サイド=妻孥。つまとこ。妻子、妻児。「孥」は「つまこ」とも訓み、「主に対して、家中の女性や子供を指す」。孥稚(ドチ=幼い者、幼児)、孥戮(ドリク=夫や父親の罪によって、その妻や子供までも罰すること)。≠再度、彩度、済度。

3) キンショ=琴書。琴と書物。ともに知識人にとって必要なアイテム。「帰去来兮辞」でも淵明が「楽琴書以消憂」として、憂さ晴らしの書かせないものとしていました。このほか、琴棋(キンキ=琴をひくことと、碁をうつこと、文人の風流な楽しみ、琴奕=キンエキ=)、琴詩(キンシ=琴をひくことと、詩をつくること)、琴樽(キンソン=琴と酒樽、文人が酒宴を開いて詩文をつくること、琴酒=キンシュ=)、琴鶴(キンカク=琴とツル、ともに世俗を離れた高尚な人の好むものとされる)。。。。ことほど左様に「琴」は文人・知識人の嗜みであり、隠者然たる生き方に欠かせないもの。さらに淵明の場合は「無絃琴」といって絃の張っていない琴を抱えて、琴を弾けなかったものの酒を飲んで気分のいい時は「エア・ギター」ならぬ、……、あれ「琴」は英語で何と言えば……、「チャイニーズ・ハープ」?でいいか、「エア・チャイニーズ・ハープ」を楽しんだくらい「スタイル」に拘ったのです。≠禁書。

4) 近比=ちかごろ。「比」は「ころ、ころおい」とも訓む。「このごろ」とも訓み、「ちかごろ」と訳す。比来(ヒライ)、比今(ヒコン)も同じように「このごろ」とも訓み、「ちかごろ」と訳す。

5) ソウシキ=相識。知り合い、知人。≠葬式、総指揮。

6) ショケン=諸賢。賢人たち。「諸」は「もろもろ」。諸彦(ショゲン=多くのすぐれた人たち)、諸姑(ショコ=父の姉妹たち)、諸妄(ショモウ・ショボウ=さまざまな煩悩、心の迷い)。

7) 燬ク=やく。はげしい火で、やきつくす。音読みは「キ」。

8) フッコウ=腹稿。「フクコウ」とも。文章をつくったり、演説をしたりするとき、前もって心の中で考えておいた草稿。腹笥(フクシ=心にしまってある本箱、しまいこんであるたくさんの知識、博学多識なこと)。

9) モンショウ=門牆。門と土塀。門の両わき。転じて、学問をおそわる尊敬すべき師をたとえます。「牆」は「へい」。

10) キュウカン=旧慣。以前からのならわし・しきたり。旧貫とも書く。≠泣諫、急患、休刊。

11) 厨=くりや。一定の所を仕切って設けた料理場。食物をたくわえておき、必要に応じて出してくる台所。音読みは「チュウ」。庖厨(ホウチュウ=だいどころ)、厨芥(チュウカイ=調理場から出る料理くず)、厨子(チュウシ=料理人、厨人=チュウジン=、厨宰=チュウサイ=)、厨房(チュウボウ=台所、料理室、厨下=チュウカ=、厨室=チュウシツ=)。

12) スイショウ=翠松。青々とした松。「翠」は「みどり」。翠阜(スイフ=青々とした丘)、翠被(スイヒ=カワセミの羽でつくった着物)、翠翹(スイギョウ=カワセミの羽、それでつくった髪飾り)、翠雨(スイウ=青葉に降る雨、穀物の生長を助ける雨)、翠柳(スイリュウ=青々とした柳)、翠楼(スイロウ=青く塗った高殿、翠館=スイカン=)、翠鬟(スイカン=輪型に巻いた、美人のつやつやしたまげ)、翠靄(スイアイ=青みを帯びたもや)。≠水晶、吹笙、水漿、推奨。

13) テンテイ=点綴。「テンテツ」(慣用読みで推奨はしません)とも。点をうったようにあちこちに散らす、また、ほどよくとりあわせること。

14) 汙池=オチ。水たまり、たまり水の池。「汙」は「汚」の異体字。「低いみずたまり」の意。

15) 水潦=スイロウ。水たまり。雨水、雨。「潦」は「にわたずみ」とも訓み、「路上や庭にたまった水」の意。「ながあめ」の訓みもあり。潦水(ロウスイ=雨が降って、庭などにたまった溜り水、にわたずみ)、潦草(ロウソウ=なげやりで、そそっかしいこと)、潦倒(ロウトウ=老衰して張りをなくしてだれたさま、落魄れるさま、容姿がみやびやかで奥ゆかしいさま、こせこせしないさま)。「潦」は「リョウ」ではなくて「ロウ」と読むことに最大の注意を払いましょう。

16) 畜ハズ=やしなわず。「畜う」は「やしなう」。たいせつにしてかばう、かばってやしなう。この意味では音読みは「キク」となることに注意。畜養(キクヨウ=かばってやしなう、大事に育てる)。家畜などを「かう」とも訓み、畜養(チクヨウ=家畜を飼う、子供を養育する)。この読み分けに最大の注意を払いましょう。

17) ギョベツ=魚鼈。サカナとスッポン。転じて、魚全般の総称。

18) カンゴ=歓晤。にぎやかに楽しく会話する。楽しく語らう。歓言(カンゲン)・歓談(カンダン)とも。「晤」は「あう」と訓み、「面と向かって話し合う」の意。面晤(メンゴ=対面すること)、晤言(ゴゲン=顔を合わせて語る、面と向かって話す、晤語=ゴゴ=)。

19) 揖シ=ユウシ。「揖す」は「ゆうす」。敬意をあらわすために、両手を胸の前で組み、囲みをつくった形にする。揖譲(ユウジョウ=手を組み合わせてあいさつをし、へりくだること、争いごとも無く天子が位を禅譲すること、反対に兵力・武力で天子の位に就くことを「征誅」=セイチュウ=という、要は「揖譲」と「征誅」は対義語の関係)。

20) セイソク=栖息。棲息と同義。さらに、生息と同義。生活する、生きていく。生物がある所にすむこと。「栖」は「すむ」。

21) ウフ=迂腐。まわりくどくて実際の役に立たないこと。迂誕(ウタン=いうことが現実とかけはなれていて、大袈裟なこと)、迂緩(ウカン=物事をするのにぐずぐずしてのろい)、迂愚(ウグ=世事にうとくて愚かなこと)。

22) 而已=のみ。~だけ、それ以外はない。強い限定・断定の意をあらわす漢文訓読語法。「のみ」はほかに、「也已、也已矣、焉爾、焉耳、耳矣、耳、已」。

23) ショウドウ=称道。ほめていう、ほめたたえる。「称」は「ほめる」、「道」は「いう」。≠聳動、竦動、倡道、衝動、唱導、唱道。しかし、やや難語か。

24) コウソウ=宏壮。ひろくて堂堂とした風情をたたえていること。宏贍(コウセン=ひろく大きくて、内容が充実していること)、宏猷(コウユウ=大きな計画、宏図=コウト=、宏規=コウキ=、宏謨=コウボ=)。

25) エンユウ=園囿。花園と、鳥獣を飼っておく所。広い庭園。

26) ドウウ=堂宇。壮大な建物、殿堂。堂屋(ドウオク)ともいう。

27) モウタン=妄誕(ボウタンとも)。うそ、でたらめ。「誕」は「いつわる、うそ・でたらめ」の意。

28) アユ=阿諛。おもねりへつらう。人の気に入るようにふるまう。阿諛曲従(アユキョクジュウ=自分の意志を曲げてへつらう)。

29) 唯=はい。かしこまって急ぎ答える返事をあらわすことば、はいはい。類義語である「諾」は「考えてゆっくり答える返事」。唯々諾々(イイダクダク=事の善し悪しにかかわらず他人の云う通りになるさま)。唯諾(イダク=人に呼ばれたときなどの返事、承諾の返事をして承知する)。。




いかにも“すっ呆けた”風の柳北のキャラが滲み出ているお話ですね。このころは新築の家を誉める文章を記すという風習があったというのは面白い。今でいう所の引っ越し祝いみたいなものかな。柳北に対して弟子が「先生も書かれたらよろしいでしょう」と勧めるのですが、「我レ近比文才大ニ退キ、序記論説ノ若キ面倒ナル者ヲ綴ル能ハズ」とらしからぬご謙遜の逃げ口上。その後、溢れる才であれだけの文章の数々をものするのですから、嫌味としかとれませんね。裏を返せば、「んなつまらんもん誰が書くか」としか解釈できません。

だから、知り合いの「名文家」にでも代わりに書いてもらおうと考えた柳北ですが、いまは盛暑のさなか。「俸金ヲ沢山取ル官省ノ職務サヘ休暇ヲ得テ家ニ午睡スルノ日ニ於テ」=「莫大な給料を食んでいるくせに暑いからといって有給休暇をもらって家で昼寝をしている明治政府の高官たちもいるほどだ」とチクリと一刺しを入れつつ、秋の涼しいころにでも家にお招きしてしたためていただこうと言います。

ところが、弟子も引き下がらない。「そんな悠長なことではもう新築の記ではなくなりますよ」と負けずにチクリ。それならば、と柳北は自分で邸の紹介を滔々と語り始めます。(なんじゃい。要は自分で書くじゃないかよ~との突っ込みは読んでいる我々が入れましょう。)弟子君は呆然として聞いているだけです。人の家の自慢話なぞだれも聞きたくないのに。。。

柳北はここぞとばかりに美辞麗句を連ねまくります。あれこれは書きませんが一つだけ。この中では、柳北が「風呂好き」であることも明かされます。一日として風呂に入らないことはないという。あの「航西日乗」で洋上、船中で風呂に入ったときの心地よさげな描写はこんなところでつながってきます。

さて、一通り礼讃の説明が終わると、弟子は「夫子ノ之ヲ記スル何ゾ誇張スルノ甚ダシキ、小子ヲ以テ之ヲ視レバ其ノ称道スル頗ル実に過ギタリ」と、先生の御説明はいささかオーバー、誇張が過ぎやしませんかと諷ります。柳北のことを本当に尊敬しているのか?と疑いたくもなるくらいに、ツッコミを入れまくりの弟子です。「甚だしき」「過ぎたり」と、暗に(そんなに大層なものではないでしょうが)と口が裂けても言えない台詞が喉まで出かかっているかのよう。

すると、柳北はニヤリ。「おまえな、そんなこと言うけど、この間、某大先生や某老人が人に書かせた自分の家の自慢話の文を読んでごらんよ」と続けます。「其ノ宏壮華麗ナル洛陽ノ名園ト雖モ及バザルガ如シ、我レ往テ之ヲ観レバ多クハ尋常ノ園囿堂宇ナリ」。中国・洛陽の都の大庭園も見劣りするほどだと書いてあるんだが、行って観たけれど、何のことはない普通の庭付き一戸建て。喩えてみれば、「墓誌」や「祭文」だね、ありゃ。だって、死んだ人に唾を吐きかけるようなことは言わないではないか。他人にとってはどうでもいいような「功徳」や「勲業」を連ねるだけ。読む人によっちゃ、惘れて恥かしくて卒倒しかねない噴飯ものだよ。

「何ゾ特リ我ガ新居ニ私スルヲ咎メンヤ」――。お前な、おればかりを非難しちゃいけないよ。いまはそんなくだらない「見栄」ばかりが跋扈する風潮なんだよ。明治新政府で俄に金持ちとなった輩が巷に横行している世の中に、鼻持ちならなかった柳北の渾身の風刺だったのでしょうね。

はいはい、おっしゃる通りでございます。。。柳北先生。

琉球王国の日本への併合を強く望みま~す=屈原「漁父辞」で力説

明治維新創世期を駆け抜けた稀代の諷刺コラムニスト、成島柳北は、中国最初の詩人とも言われる屈原の「漁父辞」も捩っています。タイトルは「漁史辞」。ここでいう「漁史」とは柳北自身を指します。

かたや「漁父辞」は「放逐されて河辺をさまよっていた屈原が、隠者らしい老漁父と交した対話体の散文詩。今日では屈原の作ではあるまいとする説が有力である」(岩波文庫「中国名詩選(上)」松枝茂夫編、134頁)。こなた「漁史辞」は琉球の帰属問題を取り上げています。

屈原については、以前、「離騒経」をロングランシリーズで連載しました。「漁父辞」も取り上げたいなと思っていたので、その機会が柳北のお陰で到来したようです。

まずは本家本元の「漁父辞(漁父)」から。底本は岩波文庫「中国名詩選(上)」。漁父は「年老いた漁師」の意で、いかにも隠者然とした雰囲気を醸し出しています。左遷され彷徨する屈原と顔を合わせてやり取りが始まります。

屈原 既に放たれて、
0)コウタンに遊び、
行々沢畔に吟ず。
顔色1)ショウスイし、
形容 2)ココウせり。
漁父見て 之れに問うて曰く、
「子は三閭太夫に非ずや、
何の故に斯に至れる。」
屈原曰く、
「挙世 皆濁り、
我独り清めり。
衆人 皆酔い、
我独り醒めたり。
是を以て放たれたり。」
漁父曰く、
「聖人は物に 3)ギョウタイせずして、
能く世と推移す。
世人 皆濁らば、
何ぞ其の泥を淈(みだ)して、
其の波を揚げざる。
衆人 皆酔わば、
何ぞ其の糟を餔いて、
其の釃(しる=酒糟で作った薄酒)を4)らざる。
何の故に深思高挙して、
自ら放たしむるを為すや。」
屈原曰く、
「吾之れを聞く、
『新たに沐する者は必ず冠を弾き、
新たに浴する者は必ず衣を振うと。
安んぞ能く身の察察たるを以て、
物の汶汶たる者を受けんや。
寧ろ湘流に赴いて、
江魚の腹中に葬らるるも、
安んぞ能く皓皓の白きを以て、
世俗の5)ジンアイを蒙らんや。」
漁父 6)カンジとして笑い、(エイ=櫂)を鼓して去る。
乃ち歌って曰く、
7)ソウロウの水 清まば、
以て吾が8)エイを濯ふ可し。
ソウロウの水 濁らば、
以て吾が足を濯う可し。」
遂に去って復た与に言わず。







0) コウタン=江潭。川の、深い淵。「潭」は「ふち」「ふかい」とも訓む。潭影(タンエイ=ふかいふちの色)、潭思(タンシ=ふかく思う)、潭湫(タンシュウ=ふかい池)、潭心(タンシン=ふかいふちの底)、潭深(タンシン=ふちがふかい、学問などがふかいこと)潭潭(タンタン=水を深くたたえているさま、忘れ難いさま)、潭府(タンプ=水を深くたたえているところ、大臣のいる役所や、役人の邸宅)。

1) ショウスイ=憔悴。悩みや病気のためやせ衰える、疲れ苦しむ。「憔」は「やつれる」。

2) ココウ=枯槁。やせおとろえる。「槁」は「かれる」。槁梧(コウゴ=琴の別名)、槁骨(コウコツ=日にさらされて肉のなくなった骨)、槁悴(コウスイ=草木がかれしぼむ、病気や貧乏などで、やせたり、やつれたりすること)、槁暴(コウバク=生木が野ざらしになってかわくこと)、槁木死灰(コウボクシカイ=からだは枯れた木のように、心は灰のように生気のないさま)、槁項黄馘(コウコウコウカク=貧乏などでやつれきった顔)。

3) ギョウタイ=凝滞。こだわる、かかずらう。拘泥。

4) 歠らざる=すすらざる。「歠る」は「すする」。ずるずると続けて汁をすする。音読みは「セツ」。「すする」はほかに、「啜る、哈る、歃る」。

5) ジンアイ=塵埃。ちりとほこり、この世の穢れ、転じて、俗世間をいう。

6) カンジ=莞爾。まろやかに笑うさま、にっこり。莞然(カンゼン)とも。この「莞」は「まるい、まろやか」の意。

7) ソウロウ=滄浪。あおあおと澄んだ水の色。

8) エイ=纓。冠のひも、冠の両脇から顔を取り捲き顎の下で結ぶ。纓冠(エイカン=冠のひもを結ぶ、冠をかぶること)、纓紳(エイシン=冠のひもと大帯、転じて貴族や高官)、纓絡(エイラク=珠玉をつないでつくった首飾り、世の中の煩わしいかかわりあいのたとえ)。「纓」にも身分や立場でいろいろあって、例えば、立纓(リュウエイ=天皇がつけるひも)、垂纓(スイエイ=文官がつけるひも)、巻纓(ケンエイ=武官がつけるひも)、細纓(サイエイ=六位以下の者がつけるひも)などがあります。





「漁史辞」(これといった漢字は尠ないです)

琉球 既ニ潰サレテ
後悔ヲ極ム、
各処ニ寄合フテ
顔色ショウスイシ
心中当惑セリ、
漁史見テ之ニ問フテ曰ク、
子ハ旧幕ノ親方ニ非ズヤ、
何ノ故ニ斯ニ至ル、
親方曰ク、
世挙ツテ皆開ケタリ
我レ独リ頑ナリ、
衆人皆智アリ
我レ独リ愚ナリ、
是ヲ以テ潰サレタリ、
漁史曰ク
通人ハ昔ニ9)コウデイセズ、
能ク世ト推移ル、
世人 皆開ケバ
何ゾ其ノ尻ニ附テ
其ノ真似ヲ為サザル、
衆人 皆智有ラバ
何ゾ其髯ヲ払テ
其ノ機嫌ヲ取ラザル、
何ノ故ニ拙ク謀リ
堅ク拒ンデ自カラ潰サレシムルヲ為ス、
親方曰ク
吾之ヲ聞ク、
矢鱈ニ強ガル者ハ
必ズ尻尾ヲ出シ、
矢鱈ニ誇ル者ハ
必ズ鼻ヲ折ラレルト、
安ンゾ能ク細工ノ流々タルヲ以テ
跡ノ云々有ルヲ知ランヤ、
寧ロ支那ニ赴イテ
10)ベンパツノ足下ニ蹈ミ付ケラルルモ、
安ンゾ堂々ノ体ヲ以テ東京ノ支配ヲ蒙ランヤ、
漁史カンジトシテ笑ヒ臀ヲ敲テ去ル、
乃チ歌テ曰ク、
11)トウロウノ斧強ケレバ
以テ吾ガ命ヲ拒ム可シ、
トウロウノ斧弱ケレバ
以テ吾ガ足ヲ戴ク可シ、
遂ニ置テ復タ更ニ問ハズ






9) コウデイ=拘泥。物事にこだわって自由な判断・行動ができないこと。「凝滞」は類義語。

10) ベンパツ=辮髪。頭髪をあむ、また、頭髪をあんで背後にたれさげた髪型をいう。中国北方の民族の風習で、満州族(女真族)にもこの風俗があり、清朝は漢民族に対して辮髪を強制しました。「辮」は「あむ」「くむ」とも訓む。

11) トウロウ=螳螂。かまきり。「蟷螂」でもOK。「螳螂之斧(蟷螂の斧)」は「微弱な者が自分の力をかえりみず強者に立ち向かうたとえ」をいい、この場合は琉球藩が明治政府に帰属するのかしないのか態度で表すことを指しています。




琉球王国は江戸時代を通じて、薩摩藩と清国の両方に帰属していました(=両属)。明治4(1871)年の廃藩置県に伴い、鹿児島県の傘下に入りました。ところが、翌年、明治政府は、琉球国王尚泰を琉球藩王に封じ華族とし、琉球藩としました。ここで琉球王国がなくなり、琉球だけが藩として県から漏れてしまったのです。柳北が「旧幕ノ親方」と称しているのは時代遅れの「藩」であることを言っている。柳北は清国との関係を絶ち切って早く日本だけに帰属し、沖縄県となることを主張しているのです。「寧ロ支那ニ赴イテ、辮髪ノ足下ニ蹈ミ付ケラルルモ、安ンゾ堂々ノ体ヲ以テ東京ノ支配ヲ蒙ランヤ」いう親方の台詞に事寄せて物語っています。「辮髪」と清国を侮蔑した表現が印象的。当時の日本人の中国感を表しているのでしょう。近い将来勃発する「日清戦争」への香りも臭います。


むろん、政府は将来は県にするつもりで、段階的な「併合」を目論んだのです。それは清国とも朝貢関係のあるという「二重構造」だったからです。1879年には琉球藩を廃し沖縄県への移行を宣言します。結局は「螳螂之斧」は「弱」かったがために、その「足」が明治政府によって「戴」かれてしまったわけです。

権妻囲う旧幕藩のお殿様は真の「阿房」=杜牧「阿房宮賦」で揶揄せよ

晩唐の詩人・杜牧が、秦の始皇帝の奢侈淫佚を諷喩した「阿房宮の賦」。弊blogの中国名文シリーズでも連載いたしました(第1回第2回第3回第4回第5回第6回第7回第8回)。始皇帝が天下統一後に、贅の限りを尽くし造営を始めた宮殿でしたが、楚の項羽によって完成を観ることなく破壊されてしまいます。

さて、成島柳北がこの「阿房宮の賦」を捩って「阿房山の賦」と題した雑録を「朝野新聞」にて発表しています。蘇東坡の「赤壁賦」「後赤壁賦」と同様に、換骨奪胎のパロディーです。杜牧の「阿房宮の賦」は、古の暴君・始皇帝を持ちだして、自分の生きている唐王朝の足元が揺らいでいることに警鐘を鳴らしたものですが、同じように柳北も明治新政府、というより政府に取り込まれた旧幕藩の面々に警告を発し、恥を知れと罵っているのです。これを味わいましょう。底本は近代デジタルライブラリーの「柳北全集」。これも原文は追い込みですが、長いので適宜切っていきます。

「阿房山の賦」

王政興ツテ四海一ナリ、廃藩速ニシテ布告出ヅ、三百余家ヲ一変して華族と改称ス、家来国ニ残ツテ独リ召サレ直チニ東京ニ赴ク、身分楽々トシテ流レテ遊蕩トナリ、酒宴ニ一酌1)ギロウニ一泊、細帯漫ク回シテ洋帽高ク戴ケリ、各美人ヲ抱テ放心逸楽、快々焉タリ欣々焉タリ、2)テントウ散財積ンデ其幾千万両ナルヲ知ラズ、柳橋ニ涎ヲ垂ラスハ未ダ陰ナラザルニ何ノ雨ゾ、金春ヲ空ニ歩行クハ眠ラザルニ何ノ夢ゾ、大抵酩酊シテ東西ヲ知ラズ、芝居ノ見物桟敷満々タリ、花火ノ遊山屋形広々タリ、一日ノ内一月ノ間ニシテ物入リ少ナカラズ、芸妓3)ホウカン役者話家、媚ヲ献ジ気ニ入ラントシテ争ツテ邸ニ来ル、




1) ギロウ=妓楼。遊女屋、娼家。「妓」は「あそびめ」「わざおぎ」。

2) テントウ=纏頭。芸妓に対する祝儀、かずけもの。「はな」とも訓む。

3) ホウカン=幇間。酒席をとりもって客の遊興をたすけることを職業とする者、たいこもち。


旧幕藩のお殿様連中が新政府から「華族」の称号をもらって東京に住み、二号さんを囲ったり酒宴を催したり、お金を湯水のごとく使っている現状を憂えている。それはまるで秦の始皇帝の阿房宮造営と同じではないか。取り巻き連中も集りに集っている。


家令扶従は真ノ唐人タリ、三絃ノ珍々タルハ誕生ヲ祝フ也、太鼓ノ鈍々タルハ稲荷ヲ祭ル也、奥向キデ涙ヲ流スハ本妻ヲ棄ツル也、腹ノ立チ角ノ生ルハ焼餅を焚ク也、新宅ノ忽チ建ツハ4)ゴンサイヲ迎フル也、飄々トシテ遠ク遊ビ、茫トシテ其往ク所ヲ知ラズ、一去一来愚ヲ尽シ、拙ヲ極メ、多ク飲ミ深ク溺レテ景ヲ好ム、見ルニ堪ヘザル有ルトテ三百六旬、相伝ノ5)ジュウモツ数代ノ蓄蔵先代ノ遺訓、幾世幾年カ其家ニ伝来シテ積累山ノ如シ、



4) ゴンサイ=権妻。側妾。「仮の妻」の意で、明治初期の言い方。「ゴン」と呼ぶのは日本風で「律令制に於いて定員以外に臨時に任ずる官。後には副官のように用いられた」。

5) ジュウモツ=什物。秘蔵の宝物。什宝(ジュウホウ)とも。「ジュウブツ」と読めば、「日用の器物」。




一朝其品ガ潰滅スルニ忍ビザルモノ有ラン、刀ヲ薪トシ玉ヲ石トシ、金ハ泥ノ如ク銀ハ土の如ク、投ウチ棄テ、6)ロウゼキタリ、主人之ヲ視テ亦甚ダ惜マズ、嗚呼一人ノ奢ハ千万人ノ羨ミナリ、己レ逸楽ヲ好メバ人亦其ノ行ヒヲ10)ル、何奈ンゾ之ヲ賜ハル恩沢ヲ忘レテ、之ヲ遣フ湯水ノ如クナルヤ、妓ヲ揚ゲル玉ヲシテ玉川ノ砂利ヨリモ多ク、妾ニ投ズル金ヲシテ深川ノ藪蚊ヨリモ多ク、了簡ノ浮々シタルハ海ニ在ル7)水母ヨリモ軽ク、鼻ノ下ノ延ビ過ギタルハ電信ノ張銕ヨリモ長ク、智慧分別ハ雨夜ノ蛍火ヨリ少ナク、8)ギョウセキノ見苦シキハ折助ノ附合ヨリ甚シカラム、天下ノ人ヲシテ敢テ言ハズシテ惘レシム、




6) ロウゼキ=狼藉。乱暴なこと、無法なこと。

7) 水母=クラゲ。海月とも。人のことを「水母」といった場合、「確固たる主義のなくて、常に意見が動揺する人」と揶揄する言い方です。骨がないからよ~ん。

8) ギョウセキ=行跡。人がある物事を行ったあと。行迹(ギョウセキ)とも。ただし、行迹の方は「コウセキ」と読めば、「あしあと」の意。微妙な違いに注意しよう。


「張銕」は「ハリガネ」。「銕」は「鉄」の異体字で「かね、くろがね」とも訓む。鼻の下がびろ~んと伸びてまるで電信のはりがねのように長くてだらしないという。「折助」は「武家に奉公する仲間の異名。

ここのくだりでは、本家本元の「阿房宮の賦」で有名な成句がありました。鼎鐺玉石(テイトウギョクセキ)、金塊珠礫(キンカイシュレキ)。「贅沢の限りを尽くすこと」を譬える言葉として今に伝わっています。これでいくと柳北は刀薪玉石(トウシンギョクセキ)、金泥銀土(キンデイギンド)と様変わり。もちろん意味するところは杜牧と同じ。おバカな元殿様の金遣いの荒いさまを揶揄しているのです。




痴呆ノ心ハ日ニ益増長セリ、開花進ンデ家禄取ラレ、公布ノ一紙ニ憐ム可シ乞食、嗚呼自分ヲ9)ボス者ハ自分也天ニ非ズ、禄ヲ失フ者ハ時也天朝ニ非ズ、嗟夫レ華族ヲシテ各其身ヲ愛セシメハ以テ家ヲ保ツニ足ル、己レ能ク無用ノ費ヲ節スレバ則チ一生ヲ送リ、子孫ニ至テモ富ヲ有ス可シ、誰カ敢テ10)ヒギセンヤ、当人自ラ哀シムノ心無クシテ一類之ヲ哀シム、一類之ヲ哀ンデ而シテ之ヲ諫メズンバ、亦世人ヲシテ一類ヲ哀マシメン




9) 亡ボス=ほろぼす。なくなる。亡聊(ブリョウ=なんとなく気が晴れない)、亡骸(ボウガイ=なきがら、遺骸)。

10)ヒギ=誹議。あれこれと悪口を言う。「誹ル」は「そしる」。誹毀(ヒキ=悪口を言って他人の名誉をきずつける、誹譏=ヒキ=)、誹謗(ヒボウ=悪口を言う、そしる、そしり)、誹謗之木(ヒボウのボク=天子のあやまちを人民に書かせる立て札)、誹誉(ヒヨ=悪口を言うこととほめ


やはり本元の原文と突き合わせないと微妙な言い換えの面白みが分かりませんな。ぜひとも上記のリンクをご覧いただき比較してみてください。「天地間無用の人」を宣言した柳北からすれば、でれでれ、へべれけになった骨も何もない軟体動物のようにしか見えなかったのでしょう。腹が立つやら呆れるやら。新聞人とすれば紙上で茶化すことこそ己の本分であると見つけたのでしょうね。気持ちは分かります。時代の変化に乗ったはいいが、明らかに使う方向を間違っている人はいつの世にもいるものです。でも、そんな奴等は必ず消えるさ。泡沫のようにね。

「天地間無用の人」宣言は旧幕府人のスピリッツ

「明治の人と時代を掘りおこした、碩学の評伝集」である森銑三の「明治人閑話」(中公文庫)。ここで彼が、「綺羅星のごとく輝いた明治人」の一人に、わがblogのここもとの主役である成島柳北も取り上げられており、全320頁中26頁とかなりの紙幅が割かれています。

柳北の新聞人・言論家としての才について、森は「明治前半期の新聞人の有した精神を、柳北も有した。柳北も気概気節の士として、決して人後に落ちない」(同書、79頁)と称しています。世間一般には「風流才子」と評言され、人の金で欧米を見聞し、招かれた朝野新聞で斜に構えた戯れ文を数多く発表していることから、いかにも「遊冶郎」然たる人物と目されている柳北ですが、森は「その境涯は幾転変しても、柳北はその置かれた境涯に於て、自己の面目を発揮している。柳北は行詰まらぬ人だった。その点に於て才人だったことは否定すべくもない。しかし柳北はただの才分だけで、世と共に推し移ったのではない。居常徳川の遺臣たることを忘れず、心の奥底には一脈の哀愁をたたえていた。柳北の文章に悲寥な気分の裏附けせられているのは、そうした心境から来ている。そして柳北その人は、旗本の殿様としての気位を持ち続けている。少しも卑屈に堕してはいない」(同書、79~80頁)として、浅薄な見方として却けています。

以前も紹介しましたが、柳北は幕府の奥儒者の家に生まれ、二十歳そこそこで十四代将軍家茂の家庭教師役を務め、達者な口が災いして籠居の憂き目にも遭いますが、窃かに洋学を修め、文官から武官に転ぜられるという異例の「快挙」も成し遂げます。フランス式兵隊制度の確立を献策するも容れられず職を去るにもかかわらず、不死鳥のように甦り外国奉行に挙げられ、会計副総裁まで上り詰めます。いまでいうなら財務副大臣。政権中枢の一角を確実に担ったのです。ことほど左様に溢れる才能が彼をして上へ上へと引き上げていった。無論、徳川幕府末期のこと故、「人材払底」という客観的な情勢も加味しなければならないでしょうが。そして、彼は幕府瓦解と同時に「三千円の俸給と副総裁の職とを返上」し、三十二歳の若さで自ら進んで「隠居の身」となります。

柳北が明治元年の秋に書いた「濹上隠士伝」というのがあります。これはいわば旧幕臣・柳北が「天地間無用の人」になることを宣言したのであり、森によれば、「新政府に仕えて、一身上に新しい進路を開こうなどとするを欲せざることを明言した」(同書、67頁)、「徳川の遺臣として世を終ろうと決意している。その一事にも、柳北の人物の義理に堅かったことが認められよう」(同)と述べています。残念ながら、「明治人閑話」には一部しか抜粋されていません。本日はこの「濹上隠士伝」全文をご紹介しようと思います。近代デジタルライブラリー採集の「柳北全集」の劈頭を飾っています(リンクはここ、22コマ目)。旧字体は新字体に改めますが、旧仮名づかいはそのままにしておき、傍点や丸点は省略します。本文は追い込みですが、適宜改行して切っていきます。

「濹上隠士伝」

濹上の隠士、その名を惟弘といひ、字を保民と呼ぶ、幼名は甲子麻呂、長じて甲子太郎と改む、天保丁酉の年二月甲子に生れし故なり、冠して温字叔と称せしかど、諱むべき事ありて、今の名に改めたり、其別号は甚多し、確堂は、艮斎翁の与えしなれど、三河の老公にふれし故に廃せり、柳北は、柳原の北にすむより称せなり、誰園は、其園の名、春声楼は、其書楼、不可抜台は、その書室、我楽多堂は、去年造りし1)イチウの称なり、濹上の荘は、松菊荘とて記文あり、

注)天保丁酉=天保8年(1837年)。
確堂、三河の老公=元津山藩主・松平確堂。三河は松平家の知行地。
艮斎=儒学者、安積艮斎(漢詩は紹介したことあり)。





1) イチウ=一宇。一むねの建物・家。家一軒。「宇」は「家」の意。八紘一宇(ハッコウイチウ)は「全世界を一つの家と考えること」。

隠士は、東岳先生の孫にして、稼堂君の子なり、幼より書を読み、和歌を詠ず、2)シフは景好む所なり、十七の冬父にわかる、十八の春、温恭大君の侍講見習となり、幕朝実録編輯の事を督せり、二十歳の冬侍講となり、昭徳公に読書を授け奉る、廿一の冬3)ホイを命ぜらる、昔の六位にあたるなるべし、後鑑三百七十五巻訂正の労を賞せられて、黄金御衣を賜ひ、実録編輯の4)に因て、俸を新に増し給へり、十年文字を以て、内廷に奉仕し、君恩の5)ユウアクなるに感泣せしが、一朝6)ヒンセキをうけて、散班に入りぬ、そは風流の罪過によると、或は云ふ7)ケンチョクに過て衆謗を得ると、或は洋学を主張するの故なりと云ふ、何れにてもよしとして、三年8)ロウキョ、西学者に就て、専ら英書を攻む、大に9)カイゴせしことあり、

注)東岳先生=奥儒者、成島司直。
稼堂=奥儒者、成島良譲。
温恭大君=徳川十三代将軍家定のこと。
昭徳公=徳川十四代将軍家茂のこと。
散班=窓際の閑職。







2) シフ=詩と賦。ともに韻文の一種。柳北の得意な分野は景色の叙述だという。

3) ホイ=布衣。律令時代以降、六位以下のものが着る無紋の狩衣、転じて、六位以下の官吏を指します。江戸時代では、武士の大紋に次ぐ4番目の礼服となり、転じて、それを着ることのできる御目見(おめみえ)以上の身分の者を指します。旗本の身分の代名詞。また、「フイ」と読めば、中国で「官位のない一般庶民」をいう。

4) 勲=いさおし。かぐわしい手柄。「いさお」でもOK。勲業(クンギョウ=てがら、勲績=クンセキ=)、勲閥(クンバツ=てがら)。

5) ユウアク=優渥。天子の恵みが手厚いこと。「渥」は「うるおいがこもっていること」。

6) ヒンセキ=擯斥。おしのける、のけものにする。擯棄(ヒンキ)・擯却(ヒンキャク)ともいう。「擯」は「しりぞける」とも訓む。擯介(ヒンカイ=主人と客の間にたって、案内し介添えする人、取り持ち役、擯相=ヒンショウ=、擯詔=ヒンショウ=)。

7) ケンチョク=狷直。片意地で偏屈な性格。「狷」は「かたいじ」とも訓む。狷介(ケンカイ)、狷急(ケンキュウ)、狷狭(ケンキョウ)、狷隘(ケンアイ)、狷者(ケンシャ)、狷忿・狷憤(ケンフン・ケンプン)、狷戻(ケンレイ)などはいずれも、不本意なことを拒んで行わない、臍曲がりであることをいいます。

8) ロウキョ=籠居。家の中にとじこもったきりでいる。蟄居。

9) カイゴ=開悟。迷いが解けて悟ること。開寤(カイゴ)もOK。≠介護、悔悟、乖忤。

二十九の秋、突然歩兵頭並に10)でられ、家になかりし千石の禄を賜ふ、其冬騎兵頭並に転じ、仏蘭西騎兵伝習の事を建言し、其命をうけて、翌年より横浜に陳営を造り、大に操練の事を督せり、営築の事、三兵の管轄、みな隠士の手にあり、仏国の教師謝農安は至て親しかりし、三十一の夏に、騎兵頭に登り、二千石に加俸す、その秋、騎兵奉行の事をつとむべきよし命あり、隠士11)ヒッケンに成立したれども、時運に深意ありて、陸軍一局に非常の精神を費やせしかど、竟に其志の如くならざるを憤り、病に臥して職を辞しぬ、

注)謝農安=シアノアン。シャルル・シャノワーヌ(Charles Chanoine、1835~1915)。慶応元(1865)年、幕府からフランスへ派遣された使節団の正使柴田剛中の要請によりフランスから来た軍事顧問団の団長。のちの陸軍大臣。柳北は1972年の仏蘭西漫遊した折、巴里で再会を果たします。






10) 擢でられ=ぬきんでられ。

11) ヒッケン=筆硯。ふでとすずり、転じて、文筆を職業とする人の生活をたとえる。文官。


家に臥す僅三十日にて、慶応戊辰の早春に、外国奉行に栄転し、従五位下大隅守に叙任す、其月の末に会計の副総裁に進み、参政の班に加はれり、此時は大阪敗走の後なり、隠士会計局の12)クウボウなる折に逢ひ、奮てなせし事もあるべし、其詳はしらず、大君の東台に蟄し給ふ後、隠士三千円の俸金と総裁の職を返し奉りて隠る、時に年三十二、其家は養子信包に譲て、市籍に入るとの風説なり、是より後のなりゆきは、13)キッカイとなるか、王侯となる歟、草野に俄死するか、極楽浄土に生るるかもはかり難し、







12) クウボウ=空乏。物などが何もないこと、貧乏なこと。空匱(クウキ)・空耗(クウコウ)・窮乏。ただし、空房ではない。

13) キッカイ=乞丐。こじき、物もらい。乞人(キツジン)・乞児(キツジ)・乞食(キッショク・コツジキ)ともいう。「乞」も「丐」も「こう、ものごいする」。丐子(カイシ=物乞いする者、丐夫=カイフ=、丐児=カイジ=、丐者=カイシャ=)、丐取(カイシュ=ねだって手に入れる)、丐命(カイメイ=命の助かることを願う、助命を求めること、乞命=キツメイ=)。

「草野に俄死する」は「野垂れ死にすること」。「俄」は「餓」の誤りかとも思われますが、突然死んでしまうという意も包含しているかもしれません。


大痴公曰、隠士生れて、人に短なる所少なからず、色を好むこと甚し、酒を14)タシナむこと亦甚し、百般の遊戯好まざる所なく、好て人を罵り、世に悖る、何事をなしても、無益の勉強をなさず、ややもすれば、15)ランマンを楽しんで、撿束せず、これ其短所なり、然れどもまた長処あり、人と争ふ事を好まずして、人に欺かれず、己に私すると雖も、人の害となることをなさず、16)ユウトウに耽るといへども、常に家国の安危を心にとどめり、これ長ずる所ともいふべき歟、






14) タシナむ=嗜む。すきこのみ、それに親しむことが長い間の習慣となる。音読みは「シ」。嗜玩(シガン=好みもてあそぶ、愛玩する)、嗜虐(シギャク=残虐なことを好む)、嗜好(シコウ=たしなむ、すき好む、好み)、嗜僻(シヘキ=特に好む傾向)、嗜眠(シミン=眠りたがる、むさぼり眠る)、嗜慾(シヨク=見たい、聞きたい、食べたいなどという欲望)。

15) ランマン=懶慢。ものぐさで、だらしがないこと。懶惰(ランダ)の同義語。「懶」は「おこたる」「ものぐさ」とも訓み、懶困(ランコン=ものうくてつかれる)、懶婦(ランプ=不精の女、コオロギの別名、嬾婦=ランプ=)。≠瀾漫、爛曼、爛縵、爛漫。

16) ユウトウ=遊蕩。節度を失って遊ぶ、酒色にふける。

「大痴公」が誰を指すかは未詳です。「撿束」(ケンソク)は「検束」とも書いて、「行いをつつしみ、自分の身を引き締める」の意。自制して禁欲的な生活を送ることです。柳北はそれは到底できない性分だという。「撿」は「しめる、ひきしめる」の意。

隠士妙齢より今日に至るまで、遊戯連年、いまだ其倦たるけしきを見ず、古の所謂情痴者なる者歟、隠士風雲花月の妙処に逢ふ時は、涎を流し、魂を飛し、酒を把て、陶々として楽む、時に詩歌を草す、所謂風流客なる歟、隠士盛宴に臨み、17)コウクン前に満るに当て、時として感激18)ヤクワン、19)嬌娜の色も眼に上らず、痛憤按剣の志あり、所謂忼慨悲壮なる者歟、隠士頃者一書を読まず、一事を為さず、空々として日を渉る、所謂馬鹿者なる歟、蓋隠士の言に曰、われ歴世20)コウオンをうけし主君に、21)ガイコツを乞ひ、21)ビョウランの極、真に天地間無用の人となれり、故に世間有用の事を為すを好まずと、それ或は然らむ、それ或は然らむ、

明治元年秋の末     東京 野史氏しるす







17) コウクン=紅裙。あかいもすそ、転じて、それを着た美しい女性、特に芸妓をいう。紅裾(コウキョ)ともいう。「裾」は「すそ、もすそ」。

18) ヤクワン=扼腕。自分の腕をおさえて、残念がったり、いきごんだりするさま。切歯扼腕(セッシヤクワン)で用いることが多いですが、こうして二字熟語もありです。意外に難問かも。「扼」は「おさえる」とも訓み、「圧力を加えて自由に動けないようにすること」。「やくする」の和訓もあり。扼喉(ヤクコウ・のどをヤクす=のどをおさえる、急所をおさえて敵の動きをとれないようにする)、扼殺(ヤクサツ=のどをおさえて絞め殺す、搤殺=ヤクサツ=とも)、扼襟(ヤッキン=えりもとをしめつける)。

19) 嬌娜=キョウダ。女性があでやかでなまめかしいさま。「嬌」は「なまめかしい」、「娜」は「たおやか」。嬌嬰(キョウエイ=愛らしい赤ん坊)、嬌客(キョウカク=はなむこ、好きな人、芍薬の別名)、嬌児(キョウジ=かわいらしい子、愛児)、嬌羞(キョウシュウ=愛らしくはにかむ、嬌恥=キョウチ=)、嬌女(キョウジョ=なまめかしく、かわいらしい女)、嬌笑(キョウショウ=なまめかしい笑い)、嬌艶(キョウエン=あでやかでなまめかしい、そのような女の姿)、嬌態(キョウタイ=なまめかしいようす、人の気持ちをひくようななまめかしい姿、嬌姿=キョウシ=、嬌容=キョウヨウ=)、嬌痴(キョウチ=愛らしくあどけない、おぼこ)、嬌鳥(キョウチョウ=かわいらしい鳥)、嬌名(キョウメイ=なまめかしいうわさ、美人であるという評判)、嬌面(キョウメン=なまめかしく、かわいらしい顔、嬌顔=キョウガン=)、阿嬌(婀嬌=アキョウ=愛人や若い女性を親しみを込めて呼ぶことば)、婀娜(アダ=なよなよとして、なまめかしく美しいさま)、娜娜(ダダ=なよなよと揺れ動くさま、しなやかなさま)。

20) コウオン=鴻恩。大きなご恩、大きな恩み。鴻沢(コウタク)・鴻恵(コウケイ)ともいう。「鴻」は「おおきい」の意。もちろん、「ひしくい」「おおとり」の訓みもある。鴻業(コウギョウ=帝王の大事業の基礎、丕基=ヒキ=)、鴻荒(コウコウ=おおむかし、太古)、鴻号(コウゴウ=天子という立派な名称)、鴻才(コウサイ=すぐれた才能)、鴻儒(コウジュ=りっぱな学者)、鴻藻(コウソウ=立派な文章)、鴻猷(コウユウ=大きな計画、丕図=ヒト=、鴻図=コウト=)、鴻博(コウハク=学問・知識の広いこと、博学)、鴻範(コウハン=大きな規模)、鴻筆(コウヒツ=大文章を書くこと)、鴻名(コウメイ=大きな名誉、りっぱな名前)、鴻烈(コウレツ=大きなてがら、大功)。

21) ガイコツ=骸骨。「乞骸骨」(ガイコツをこう)と用いて、「君主につかえている自分だが、その老いさらばえた骨だけはいただいて帰りたいと願い出る、辞職を願うこと、辞表を提出すること」の意。乞身(キッシン)・乞骸(キツガイ)ともいう。「骸」は「むくろ」とも訓む。

22) ビョウラン=病懶。怠け病。「懶」は「なまける」。





最後にある「真に天地間無用の人となれり、故に世間有用の事を為すを好まず」というくだりが森銑三が指摘したところの、「徳川家から受けた御恩を、改めて身に沁みて感じているのであり、天地間の無用の人となったからには、世間有用のことには従事せざるべしと自ら誓ったのである」(同書、67頁)。下野してからさまざまな職に従事する中で、仏蘭西・伊太利・英吉利・亜米利加への漫遊にも出かけ、見聞を広げるとともに、新聞紙上で戯れ文をものするのです。これが柳北の宣言した「天地間無用の人」の真骨頂。世の中は御一新となり、丁髷は落としても、刀は納めても、地位も名誉も捨てても、徳川幕府の一員であるスピリッツだけは忘れようとしなかった。時代の狭間にあって二つの顔を持つこともできず、そこはある意味不器用だったがゆえに、宛ら陶淵明のように時代に背を向けて隠者のような暮らしを追い求めたのでしょう。


讒謗律を揶揄する「辟易賦」も世間に対する精一杯の抵抗だったかもしれません。そして、渠の雑文は実は赤壁賦のパロディーだけではなかったのです。それは次回のお楽しみに。。。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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