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助さんや角さんや仏・伊・英の漫遊記の始まり始まり~=成島柳北「航西日乗」1

元幕臣で明治維新を機に下野、隠居して一私人として仏・伊・英・米各国を漫遊した成島柳北(1837~84)。岩波文庫から昨年10月に「幕末維新パリ見聞記」(井田進也校注)が発刊され、柳北の漫遊の模様を日記にしたためた「航西日乗」が採録されています。井田氏の解説によると、柳北は幕末最後の慶応4(1868)年、騎兵頭と経て外国奉行、会計副総裁の要職に就いていたのですが、維新後は向島須崎村に隠棲、東本願寺の法主現如上人(大谷光瑩)が浅草本願寺内に設けた学舎に迎えられ、明治5(1872)年8月、上人から宗教事情視察の旅への随行をにわかにもちかけられました。同年9月12日午前、諸般の準備のため一行に先発して横浜に赴きます。この日はちょうど日本最初の鉄道が新橋~横浜間に全通し、お召し列車が横浜に到着した。残念ながら柳北は最初の乗客の一人ではありませんでした。翌9月13日、横浜香港間を就航する仏郵船・ゴダヴェリー号(Godaveri)に搭乗して出帆します。ところが彼は家族の誰にも長期間の漫遊に出掛けることを知らせずにいわば、失踪した形となりました。その「妻にも友人知己にも秘した理由は定かではない」と井田氏は言います。

本日はまずその書きだしの一節から。もちろん柳北の日記の原文は漢文です。彼が主宰した文芸雑誌「花月新誌」に連載され、これを底本としているのことです。

余の欧米に航遊せしは、実に明治五年壬申の九月に1)カイランし、翌年七月に帰朝せしなり。其際見聞したる事共甚だ2)オビタダしけれど、客中匆忙筆記の暇無くして、空しく雲烟過眼に属せしもの頗る多く、今日に至りては遺憾やる方無し。去れど旅中鉛筆にて其の概略を記し置きたる日乗三巻有り、3)此比之を4)キョウテイより取出でたれば、此に載せて5)コウコの同人に示す。其の文の拙劣なる素より論無し、唯だ其の情況を有りのままに写したるのみ。折々得たりし悪詩も亦6)サンジュンを加へずして其の間に挿入す。識者の7)シショウは固より免れ難かる可し。






1) カイラン=解纜。船出、出帆のこと。「ともづなをとく」とも訓読できます。収纜(シュウラン)ともいう。対義語は繋纜(ケイラン)

2) オビタダし=夥し。数や量が非常に多い。音読みは「カ」。夥人(カジン=仲間)、夥多(カタ=非常に多い)、夥党(カトウ=仲間、くみ)、夥伴(カハン=仲間、つれ)。

3) 此比=このごろ。「比」は「ころ」と表外訓み。

4) キョウテイ=筐底。書物入れに深くしまっておくこと。「筐」は「はこ」「かたみ」。

5) コウコ=江湖。世間、世の中。

6) サンジュン=刪潤。文章・字句の一部を削り手を入れること。文章の校正をいう。「刪」は「けずる」とも訓む。刪改(サンカイ)、刪革(サンカク)、刪修(サンシュウ)、刪正(サンセイ)、刪節(サンセツ)、刪定(サンテイ)、刪省(サンセイ)、刪約(サンヤク)、刪略(サンリャク)、刪削(サンサク)ともいう。

7) シショウ=嗤笑。あざわらうこと。「嗤」は「わらう」とも訓む。嗤誚(シショウ=あざけりなじる)、嗤詆(シテイ=わらいそしる)、嗤鄙(シヒ=あざわらって卑しむ)。



「雲烟過眼」は、雲や霞が目の前を次々通り過ぎていくことで物事に執着しないことをたとえる言葉。漫遊中は何かと忙しく、目まぐるしく次から次へといろんなことを見聞し、多くの人に遇って多くの知識や経験を得たが、ゆっくりと咀嚼している暇はなかったということです。だけど日記にはあたかも書き殴った走り書きのようではあるが書きあげ三巻になるという。「日乗」とは日記のことで「日誌、日録」ともいう。折節、漢詩も挿入されてあるのですが、詠んだまま添削もしておらず恥かしい拙劣なる「悪詩」であると大層ご謙遜されておられます。これがなかなか即興で詠んだ割には味わい深いのが多い。さすが元儒学者、徳川将軍に儒教の授業を施しただけの力量はある。ざっと数えて八十首、いずれも七言絶句です。すべては紹介しきれませんが、なるべく多くの作品を取り上げていくつもりです。

のちに朝野新聞で論陣を張るジャーナリストとしての資質は、この漫遊記の記述からもうかがえます。すなわち、何でも見てやろう、聞いてやろう、食べてやろう(本当にいろんなものを食べますが…)という旺盛な好奇心。しして、フットワークの軽さ。頭でっかちより寧ろ脚の方が先に動いてしまうのです。いわば政権交代に伴い権力側から転落した悲哀もあったと思われます。道中、岩倉遣欧使節団とも合流する場面があります。大久保卿、木戸卿と称しているのは世が世なら立場逆転ですからね。そうした悲哀も好奇心の裏返しで反骨精神を養ったのではないでしょうか。生硬な文章の端々にそれは感じられます。そうした点に注意しながら柳北の日記を味わってみてください。
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二番煎じのパロディーに蘇東坡も苦笑?=今度は「後辟易賦」

蘇東坡の「赤壁賦」にその続篇とも言うべき「後赤壁賦」があるように、讒謗律を批判するため、パロディーとして捩った成島柳北の「辟易賦」にも「後辟易賦」があります。明治8年(1875)10月15日の朝野新聞に掲載されました。今度は西郷隆盛らが主張した「征韓論」に反対する内容です。本日は「後辟易賦」と「後赤壁賦」の両者を一挙掲載します。「後赤壁賦」は一度味わったことがあるのでそちらを参照してください(ここ)。


是歳十月之望。本社ヨリ歩ミテ将ニ1)ヘイオクニ帰ラントス、暴客予ニ伴ツテ京橋ノ脇ヲ過グ、殺気既ニ露ハレ毛髪尽ク竪ツ、大刀腰ニ在リ怒テ我顔ヲ見ル、顧ミテ之ヲ恐レ、行々論ジ相答フ、已ニシテ嘆ジテ曰ク、国有レドモ兵無シ、兵有レドモ金無シ、敵弱ク我強キモ此ノ遠征ヲ如何ン、客曰ク今ヤ士族国ヲ挙ゲテ兵ト為ラン、武勇絶倫、勢ヒ清正ノ如シ、顧フニ安ンゾ金ヲ得ル所有ン乎、令シテ之ヲ民ニ取レ、予曰ク民ニ租税有リ、之ヲ納ムル久シ、以テ君ガ2)ザショクノ禄ヲ送ル、今ニ於テ金ト米トヲ出シ復タ朝鮮ノ海ニ投ズ、民力限リアリ難渋千万、費多ク益小ナリ財竭キ災生ズ、曾テ豊閤ノ3)フクテツ、而シテ全捷モ復タ識ル可ラズト、予頻リニ口ニ任セテ説キ、4)ガンロンヲ破リ、迷想ヲ開キ、道理ヲ弁ジ得失ヲ5)ス、征韓ノ6)キタイヲ挙テ攘夷ノ7)オウセキニ比ス、蓋シ暴客モ答フル能ハズ、8)ボツゼントシテ大喝スレバ、石橋モ震動ス、腕ヲ扼シ眼ヲ怒ラシ鞘脱ケ刀迸ル、予モ亦愕然トシテ驚キ9)ズイゼントシテ恐レ、10)リンコトシテ其レ留マル可カラズ、急イデ脚ニ任セ横町ニ匿レ、其ノ往ク所ヲ窺ツテ立ツ、時ニ夜将ニ戌ナラントス、11)シコ12)セキリョウタリ、適マ巡査有リ棒ヲ提ゲテ南ヨリ来ル、形チ仁王ノ如シ、A)玄裳黒衣、泰然トシテ徐行シ、予ガ顔ヲ13)メテ北ス、須臾ニ客去リ予モ亦車ニ乗ル、途ニ一壮士怒気奮然、人力ノ足ヲ止メテ予ヲ14)ヤカシテ曰ク、征韓ノ勢ニ服シタル乎、其ノ姓名ヲ問ヘバ黙シテ答ヘズ、嗚呼噫々我レ之ヲ知レリ、十年ノ前鎖港ニテ我ヲ困ラセタル者子ニ非ズヤ、壮士愧ヂテ退ク、予モ亦危ク免レタリ、振リ返ツテ之ヲ視レバ其形チヲ見ズ

1) ヘイオク=敝屋。自分の自宅を謙遜していう言い方。「弊屋」と言い換え可能。弊宅、弊家、弊居、弊廬(ヘイロ)ともいう。拙宅。この「敝」は自分のことに関することばにつけて謙遜する意をあらわすことば。敝国(ヘイコク=わが国)、敝邑(ヘイユウ=わがまち、わが領土)、敝賦(ヘイフ=諸侯や大将が自分の国の軍隊をへりくだっていうことば)。「やぶれる」「つかれる」の訓読みもある。敝履(ヘイリ=やぶれた草履)、敝衣破帽(ヘイイハボウ=みすぼらしい身なり、弊衣破帽)、敝垢(ヘイコウ=やぶれたり、あかじみたりしていること)、敝人(ヘイジン=卑しい人、自分の謙称)、敝腸(ヘイチョウ=くさったはらわた、悪い心のこと)。

2) ザショク=坐食。働かないで遊んで暮らすこと。座食とも。坐致(ザチ=苦労しないでなしとげる、苦労しないで手に入れる)。「坐職の禄を送る」とあるのは、当時の明治政府高官に対する痛烈な皮肉でしょうね。尸位素餐、伴食宰相といった言葉も浮かびます。

3) フクテツ=覆轍。先人が犯した過ち、失敗の例。ここでいう「豊閤ノ覆轍」とは、1592~98年、二度にわたり豊臣秀吉が行った朝鮮出兵のこと。文禄・慶長の役と言います。いずれも失敗に終わりました。

4) ガンロン=頑論。かたくなでせまい考えの論理。

5) 喩ス=さとす。疑問を解いてはっきりと分からせる。「諭」と同義。

6) キタイ=危殆。非常に危ない状態。危地、危脆(キゼイ)とも。

7) オウセキ=往跡。物事があったところ、古跡。往迹ともいう。

8) ボツゼン=勃然。むっとして顔色を変えるさま。勃如(ボツジョ)とも。

9) ズイゼン=惴然。びくびくするさま。「惴」は「おそれる」。惴慄(ズイリツ=おそれ震えること)。

10) リンコ=凛乎。りりしいさま、きっぱりと毅然としたさま。凜秋(リンシュウ=心がぴりっと引き締まるような秋の季節、早く到来してほしいですなぁ、今年は特に待ち焦がれます)。

11) シコ=四顧。あたり、四方。≠刺股、茨菰、市賈、鴟顧、四股、市虎、指呼。

12) セキリョウ=寂寥。音も無く人影も無くひっそりとしているさま。寂歴ともいう。「寂」も「寥」も「さびしい」。

13) 睨メテ=ねめて(にらめて)。にらむ、横目または伏し目でにらむ。音読みは「ゲイ」。睥睨(ヘイゲイ=城壁のくぼみから敵情をのぞき見ること)。「睨まえる」(にらまえる)とも。

14) 劫カシテ=おびやかして。「劫かす」は「力で相手をおじけさせる」の意。劫殺(キョウサツ=おびやかして殺す)、劫脅(キョウキョウ=おどす、おびやかす)、劫盗(キョウトウ=おどして盗む者、劫賊=キョウゾク=)、劫掠(キョウリャク=おどして奪い取る、劫略=キョウリャク=、劫鈔=キョウショウ=、劫奪=キョウダツ・ゴウダツ=)。

A) この「玄裳黒衣」は柳北お得意のパロディー。本家本元の蘇東坡「後赤壁賦」の「玄裳■衣」を一字だけもじったものです。■に当て嵌まる漢字は何でしょうか。



正解は「縞」。しろぎぬ、かとり。細い糸で縫った白い生絹。「しろい」とも訓む。「玄裳縞衣」は「くろいもすそにしろいうわぎ」で、鶴の姿の形容としてこの赤壁賦以降、文人墨客が折に触れて用いています。それが柳北にかかると、「黒衣」。これだとお坊さんの意味(正確には「コクエ」と読む)です。「くろいもすそにくろいうわぎ」と黒ずくめ。一体何者?といった雰囲気が醸し出される上手い表現です。

是の歳十月の望、雪堂自り歩して、将に臨皐に帰らんとす。二客予に従いて、黄泥の坂を過ぐ。霜露既に降り、木葉尽く脱つ。人影地に在り、仰いで明月を見る。顧みて之を楽しみ、行歌して相答う。

已にして嘆じて曰く、「客有れども酒無く、酒有りとも肴無し。月白く風清し、此の良夜を如何せん」と。客曰く、「今者の薄暮、網を挙げて魚を得たり。巨口細鱗、状は松江の鱸に似たり。顧うに安くにか酒を得る所ぞ」と。帰りて諸を婦に謀る。婦曰く、「我に斗酒有り、之を蔵すること久し。以て子の不時の須を待てり」と。是に於いて酒と魚とを携え、復た赤壁の下に游ぶ。

江流声有り、断岸千尺、山高くして月小さく、水落ち石出づ。曾ち日月の幾何ぞや、而るに江山復た識る可からず。予乃ち衣を摂げて上る。巉巌を履み、蒙茸を披き、虎豹に踞し、虬竜に登り、棲鶻の危巣に攀じ、馮夷の幽宮に俯す。蓋し二客は従うこと能わず。劃然として長嘯すれば、草木振動し、山鳴り谷応えて、風起こり水涌く。予も亦た悄然として悲しみ、粛然として恐れ、凛乎として其れ留まる可からざるなり。反りて舟に登り、中流に放ち、其の止まる所に聴せて休む。

時に夜将に半ばならんとし、四顧寂寥たり。適たま孤鶴有り、江を横ぎりて東より来る。翅車輪の如く、A)玄裳■衣、戛然として長鳴し、予の舟を掠めて西せり。須臾にして客去り、予も亦た睡に就く。一道士を夢む。羽衣翩僊として、臨皐の下を過ぎ、予に揖して言いて曰く、「赤壁の遊楽しかりしか」と。其の姓名を問うに、俛して答えず。「嗚呼噫嘻、我之を知れり。畴昔の夜、飛鳴して我を過りし者は、子に非らずや」と。道士顧みて笑う。予も亦た驚き悟む。戸を開いて之を視るに、其の処を見ず。

全般に「赤壁賦」と「辟易賦」の場合と同様に、忠実に捩りながら微妙な違いに面白みを感じさせるテクニックは相変わらずです。しかし、どうでしょうか、やはり「辟易賦」ほどの切れは感じられないのは迂生だけでしょうか。どこか二番煎じのムードが漂っており、笑いの度合いも辟易賦ほどではありません。以前、諸葛亮孔明の「前出師表」のときも「後出師表」がそれほどの感動を感じさせない内容(→カテゴリー欄の「諸葛亮」シリーズをご覧ください)でした。第二作目というのはどうしても初回のインパクトを凌駕できない宿命にあるようです。



さて、愈次回からは成島柳北の「航西日乗」を熟読玩味いたします。お楽しみに。

息づく批判精神のDNA=赤壁賦と辟易賦もう一度読み比べ・復習篇

さあ、成島柳北の「航西日乗」と行きたいところですが、もうしばらく我慢をば。。。折角の「赤壁賦」と「辟易賦」。あっという間に終わってしまいました。それぞれもう一度一挙掲載しますので、読み比べてみてください。そして、今度は書き取り問題で復習もしてみてください。いささか長くなりますがご容赦ください。


(赤壁賦)

 ジンジュツの秋、七月の既望、蘇子 客と舟を泛べて、赤壁の下に遊ぶ。清風徐ろに来って、水波興らず。酒を挙げて客に属し、明月の詩を誦し、ヨウチョウの章を歌う。

 少焉にして、月東山の上に出で、斗牛の間にハイカイす。白露江に横たわり、水光天に接す。イチイの如く所を縦にして、バンケイの茫然たるを凌ぐ。コウコウコとして虚に馮り風に御して、其の止まる所を知らざるが如く、ヒョウヒョウコとして世を遺れて独り立ち、羽化してトウセンするが如し。

 是に於て酒を飲んで楽しむこと甚だし。舷を扣いて歌う。歌に曰く、「桂の櫂蘭の槳、空明に撃ちて、流光に泝る。ビョウビョウたり予が懐い、美人を天の一方に望む」と。

 客にドウショウを吹く者有り、歌に倚って之に和す。其の声、オオゼンとして、怨むが如く慕うが如く、泣くが如く訴うるが如し。余音ジョウジョウとして、絶えざること縷の如し。ユウガクセンコウを舞わしめ、孤舟の嫠婦を泣かしむ。

 蘇子シュウゼンとして、襟を正しキザして客に問うて曰く、「何為れぞ其れ然るや」と。客の曰く、「『月明らかに星稀れに、ウジャク南に飛ぶ』とは、此れ曹孟徳の詩に非ずや。西のかた夏口を望み、東のかた武昌を望めば、山川相い繆い、ウッコとして蒼蒼たり。此れ孟徳の周郎に困しめられし者に非ずや。其の荊州を破り、江陵を下り、流れに順いて東するに方りてや、ジクロ千里、セイキ空を蔽う。酒を釃(した)みて江に臨み、サクを横たえて詩を賦す。固に一世の雄なり。而るに今安くに在りや。況んや吾れと子と、江渚の上にギョショウし、ギョカを侶としてビロクを友とし、一葉のヘンシュウに駕し、ホウソンを挙げて以て相属し、フユウを天地に寄す。渺たる滄海のイチゾクなるをや。吾が生のシュユなるを哀しみ、長江の窮まり無きを羨む。飛仙を挟みて以てゴウユウし、明月を抱きて長えに終えんこと、驟かには得可からざるを知り、遺響を悲風に託せり」と。

 蘇子曰く、「客も亦た夫の水と月を知るか。逝く者は斯の如くなれども、未だ嘗て往かざるなり。エイキョする者は彼の如くなれども、卒にショウチョウする莫きなり。蓋し将た其の変ずる者自りして之を観れば、則ち天地も曾て以て一瞬なること能わず。其の変ぜざる者自りして之を観れば、則ち物と我と皆尽くる無きなり。而るを又た何をか羨まんや。且つ夫れ天地の間、物各おの主有り。苟くも吾の有する所に非ざれば、イチゴウと雖も取ること莫し。惟だ江上の清風と、山間の明月とは、耳之を得て声を為し、目之に遇いて色を成す。之を取れども禁ずる無く、之を用うれども竭きず。是れ造物者の無尽蔵なり。而して吾と子との共に食う所なり」と。

 客喜びて笑い、盞を洗いて更に酌む。コウカク既に尽き、杯盤ロウゼキたり。相共に舟中にチンシャして、東方の既に白むを知らず。


(辟易賦)

 オツガイ之秋八月既望、社主僕ト机ヲ並ベテ燭台ノ下ニ集ル、投書頻リニ来タツテ編輯終ラズ、紙ヲ展ベ筆ヲ握ツテザンボウノ律ヲ調ベ条例ノ文ヲ誦ス、

 少焉アツテ汗両腋ノ下ヨリ出デ、横腹ノ辺ニ沾滴ス、心配胸ニ横タハリ困苦肝ニ銘ス、一身ノ置キ所ヲ失ヒ万事ノ茫然タルヲ覚ユ、リツリツコトシテ邪ヲ受ケ風ヲ引キ、其ノ寝タ所ヲ起コサルヽガ如シ、ズイズイコトシテ一生懸命軽業デ綱渡リスルガ如シ、

 是ニ於テ筆ヲ投ジテ嘆クコト久シ、机ヲ敲イテ之ヲ歌フ、歌ニ曰ク、猫ノ説狸ノ話、空論ヲ出シテ流行ニ連レル、漸々ニシテ予レ凌ギ、ヒイキヲ国ノ四方ニ望ム、

 僕ニホラヲ吹クノ癖有リ、口ニ任セテ之ヲ書ク、其事アイマイゼントシテ眠ルガ如ク酔フガ如クウナサルルガ如シ、其種少々ニシテ絶エザル糸ノ如シ、幽霊ノ虚説ヲ録シ情死ノ痴情ヲ記ス、

 社主シュウゼントシテ眉ヲヒソメ、小声デ僕ニ問フテ曰ク、何為レゾ其困ルヤ、僕ノ曰ク、罪重ク罰速カニシテ末広家ニチッス、是レ日新堂ノ咎ニ非ズヤ、北日報ヲ望ミ東報知ヲ望メバ、双方相ヒ並ンデウツウツトシテショウショウタリ、是レ編者ノ分庁ニ呼バレタル訳ニ非ズヤ、其ノ刑事ニ及ビ口供ヲ奉リ、仰セニ従ツテ下ガルニ至テハ、罰金何円禁獄科ニ応ズ、口ヲ極メテエンヲ訴ヘ臂ヲ張テ理ヲ弁ズルモ誠ニ無益ノ事ナリ、而シテ何ノ為メニ成ランヤ、況ヤ吾ト子トハ貧乏ノ社ニ開業シ、許可ヲ願テハツダヲ事トス、一本ノトクヒツヲ執リ報告ヲ得テ以テ相認メ、愚説ヲ天下ニ示ス、厳シキ条例ノ一件、吾ガ性ノ臆病ナルヲ哀シミ、御威光ノ窮リナキヲ感ズ、戸長ニ向テ以テ閉口シ役人ヲ望ンテ長ヘニ恐ル、迚モ勝ツ可ラザルヲ知テ泣ク子ト地頭ニ比ス、

 社主曰ク、卿モ亦屁ト瘡トヲ知ル乎、出ル者ハ斯クノ如クニシテ未ダ嘗テ尽キズ、膨腫ル者ハ彼レガ如クニシテ急ニ引込ムコト無シ、蓋シ其ノ悪クム者ヨリ之ヲ観レバ、則チ片時モ以テ用捨スル能ハズ、其ノ悪マザル者ヨリ之ヲ観レバ則チ人モ我レモ皆罪無キ也、又何ゾ危ブマンヤ、且夫レ天地ノ間人各心有リ、苟モ吾レノ是トスル所ニ非レバ、一寸デモ引クコト無シ、圧制ノ旧習ト頑固ノヘンジントハ、耳之レヲ聴ケバ腹ヲ立チ、目之レヲ視レバ色ヲ変ズ、之ヲ諭シテモ益無ク、之レヲ説テモ聴カズ、是レジョウイ家ノ無法者也、而シテ吾レト子ト共ニ嫌フ所ナリ、

 僕驚イテ黙シ墨ヲ磨ツテ之ヲ記ス、蝋燭既ニ尽テ座敷真ツ暗ナリ、相共ニ机辺ニ仮寝シテヤブカノ頻リニ刺スヲ知ラズ




時の流れの速さと瞬間瞬間を生きるわれわれ人間の儚さを対比してとらえた蘇東坡の赤壁賦。歴史を振り返れば人をおセンチにさせるけれども、そんな自分もまた後世から見れば歴史になるのです。どうやっても造物主には勝てない人間のちっぽけさを知ることが大事。だからこそ、生きている今を精いっぱい生き抜くことが求められている。一方、言論を封じようとする明治新政府に対峙する成島柳北の辟易賦も同じことを言っている。どうやってもお上に勝つことはできないかもしれないが、今は精いっぱい生き抜くことしかできない。後世の歴史が我々の主張が正しかったことを証明してくれるはずだから。いずれも己の信念を曲げずにスタンスをぶれることなく生きよと教えてくれます。その実践こそが生きることなのだと感じざるを得ません。辟易賦は単なるパロディーではない。時代の変革期にあった日本人のちっぽけながら脈々と息づいている批判精神のDNAを感じさせてくれます。

「出物腫れ物所嫌わず」造物主の為すがままに=「辟易賦」⑤・完

成島柳北の「辟易賦」の5回目、いよいよ最終回です。「コト」「シテ」の記号が出ないので、それぞれ片仮名で表してあります。

(赤壁賦) 蘇子曰く、「客も亦た夫の水と月を知るか。逝く者は斯の如くなれども、未だ嘗て往かざるなり。盈虚する者は彼の如くなれども、卒に消長する莫きなり。蓋し将た其の変ずる者自りして之を観れば、則ち天地も曾て以て一瞬なること能わず。其の変ぜざる者自りして之を観れば、則ち物と我と皆尽くる無きなり。而るを又た何をか羨まんや。且つ夫れ天地の間、物各おの主有り。苟くも吾の有する所に非ざれば、一毫と雖も取ること莫し。惟だ江上の清風と、山間の明月とは、耳 之を得て声を為し、目 之に遇いて色を成す。之を取れども禁ずる無く、之を用うれども竭きず。是れ造物者の無尽蔵なり。而して吾と子との共に食う所なり」と。

(辟易賦) 社主曰ク、卿モ亦屁ト瘡トヲ知ル乎、出ル者ハ斯クノ如クニシテ未ダ嘗テ尽キズ、膨腫ル者ハ彼レガ如クニシテ急ニ引込ムコト無シ、蓋シ其ノ悪クム者ヨリ之ヲ観レバ、則チ片時モ以テ用捨スル能ハズ、其ノ悪マザル者ヨリ之ヲ観レバ則チ人モ我レモ皆罪無キ也、又何ゾ危ブマンヤ、且夫レ天地ノ間人各心有リ、苟モ吾レノ是トスル所ニ非レバ、一寸デモ引クコト無シ、圧制ノ旧習ト頑固ノ偏人トハ、耳之レヲ聴ケバ腹ヲ立チ、目之レヲ視レバ色ヲ変ズ、之ヲ諭シテモ益無ク、之レヲ説テモ聴カズ、是レ攘夷家ノ無法者也、而シテ吾レト子ト共ニ嫌フ所ナリ、


「夫の水と月を知るか」―。蘇東坡の客に対する問いかけが始まります。一方の社主も僕に対して「屁ト瘡トヲ知ル乎」と問いかけます。かたや「水と月」、こなた「屁と瘡」。自然の事物と人間の出物。ここは、風流なものと俗物を対比させる柳北の真骨頂です。

「逝く者は斯の如くなれども、未だ嘗て往かざるなり。盈虚する者は彼の如くなれども、卒に消長する莫きなり」。水は流れゆく先でなくなるのではない。月は盈ち虧けするが消えたり大きくなったりはしない。「出ル者ハ斯クノ如クニシテ未ダ嘗テ尽キズ、膨腫ル者ハ彼レガ如クニシテ急ニ引込ムコト無シ」。屁は出てゆく先でなくなるのではない。腫れ物は一旦できたらすぐに引っ込むことはない。

「蓋し将た其の変ずる者自りして之を観れば、則ち天地も曾て以て一瞬なること能わず。其の変ぜざる者自りして之を観れば、則ち物と我と皆尽くる無きなり。而るを又た何をか羨まんや」という赤壁賦。「蓋シ其ノ悪クム者ヨリ之ヲ観レバ、則チ片時モ以テ用捨スル能ハズ、其ノ悪マザル者ヨリ之ヲ観レバ則チ人モ我レモ皆罪無キ也、又何ゾ危ブマンヤ」という辟易賦。自然の変化という立場からすると、一瞬たりとも不変ではありえないし、変化しないという立場からすると、自然も人間も尽き果てることはない。どっちもどっちで羨む必要などない。哲学でげすな。

一方、屁や瘡を嫌う人から見れば、いついかなるときも不要だと思われるし、別にいいではないかと思う人から見れば、人間だれでも罪はないと思うもの。どっちもどっちで危険に思うことはない。変化しようと変化すまいと立場の違いこそあれ自分が信じる立場を取ればいい。同じように主義主張は異なれども自分が信じる立場を信じればいい。相手が嫌いなら嫌いでいいではないか放っておけば。。。これが柳北の本音です。政府よ、国民の意見は放っておけばいい。「出物腫れ物所嫌わず」というではないか。統制を図ろうと思うのが間違いの元である。

「且つ夫れ天地の間、物各おの主有り。苟くも吾の有する所に非ざれば、一毫と雖も取ること莫し」という蘇東坡は、物にはそれぞれ所有者があるから、かりに自分の物でなければ毛筋と雖も取ってはいけないと戒める。「一毫」は「イチゴウ」で「毛すじ一本」のこと。ただしここは否定文に用いて「まったく~ない」の意。自然を賞でる気持ちはそれぞれでいいのだ。

「且夫レ天地ノ間人各心有リ、苟モ吾レノ是トスル所ニ非レバ、一寸デモ引クコト無シ」という柳北は、人にはそれぞれの気持ち、考えがあるから、かりに人の意見が自分と同じでなかったとすれば、少しも引いてはいけないと戒める。考えはそれぞれでいいのだ。

赤壁賦によれば、「惟だ江上の清風と、山間の明月とは、耳 之を得て声を為し、目 之に遇いて色を成す」。河の上を吹く清風と山あいに上った明月は誰のものでもない。耳でひびきを賞でて、目で美を楽しめばいい。辟易賦によれば、「圧制ノ旧習ト頑固ノ偏人トハ、耳之レヲ聴ケバ腹ヲ立チ、目之レヲ視レバ色ヲ変ズ」。上から圧力を掛けた言論統制と頑迷固陋の偏った考えの人はほかでもない、その意見を聞けば腹も立つし、姿を見れば怒りで顔色も変わってしまう。

「之を取れども禁ずる無く、之を用うれども竭きず」という赤壁賦。「之ヲ諭シテモ益無ク、之レヲ説テモ聴カズ」という辟易賦。自然を賞でる気持ちは誰にも止められないし、どんなに玩わってもなくなりはしない。分からず屋を諭しても土台無理な話で、どんなに説得しても意は通じない。

「是れ造物者の無尽蔵なり。而して吾と子との共に食う所なり」というのは、蘇東坡の名言です。「造物者」は、天地の間に存在するすべてを創造したと考えられる抽象的な人格のことで、「荘子」・大宗師篇に「偉なるかな、造物者」と見える。蘇東坡が好んで使うターム。「無尽蔵」とは、共有物は永遠になくなることがないということ。中唐の白居易も「遊雲居寺贈穆三十六地主」で、「勝地本来亭主無」と詠じ、美しい自然はそれを愛する人々が共有するものだと説きました。

翻って、「是レ攘夷家ノ無法者也、而シテ吾レト子ト共ニ嫌フ所ナリ」とは、柳北の大いなるボヤキ節です。明治維新政府は、幕末に蔓延った「攘夷」主義者と変わらない、われわれ言論人にとっては大敵である。

(赤壁賦) 客 喜びて笑い、盞を洗いて更に酌む。肴核 既に尽き、杯盤 狼籍たり。相共に舟中に枕藉して、東方の既に白むを知らず。

(辟易賦) 僕驚イテ黙シ墨ヲ磨ツテ之ヲ記ス、蝋燭既ニ尽テ座敷真ツ暗ナリ、相共ニ机辺ニ仮寝シテ薮蚊ノ頻リニ刺スヲ知ラズ



こうした蘇東坡の説に客は頷いて大喜び。もっと酒を飲みましょうよと「盞」(さかずき、サン・セン)を献じてくる。時がたち、「肴核」(コウカク)が尽き、つまり、たかつきに盛った酒のさかながなくなり、「杯盤狼籍」状態だと言います。狼籍は狼藉とも書く。さかずき(杯)やおおざら(盤)が乱雑に散らかった風景をいいます。客と蘇東坡は船で「枕藉」(チンシャ)して、枕を敷いてかさなりあうように眠りこけること。

一方、社主の説を聞いて僕は驚き言葉が出ない。墨を磨ってその言葉を記事にするしかなかった。気がつけば蝋燭の明かりが消えて座敷は暗闇の中。二人ともデスクでうたたねしている。

「東方の既に白むを知らず」という蘇東坡に対して、「薮蚊ノ頻リニ刺スヲ知ラズ」という柳北。朝日が射しかかる中、船の上で眠り続ける大らかな自然の風景。暗澹たる中、藪蚊が「ぶうぅ~ん」と五月蠅く、人の血を吸うに任せて睡り続ける光景。三国志の激闘の址でいい気分に浸る蘇東坡。讒謗律の激闘の渦中で反吐が出そうな成島柳北。蘇東坡対柳北。彼らの対決の軍配はどちらに上げられますか?

「泣く子と地頭には勝たれぬ」と諦めムードも=「赤壁賦」を捩った「辟易賦」④

元幕臣の成島柳北の珍文「辟易賦」シリーズの4回目です。今回はちょっと長め。本家本元の「赤壁賦」ともども、じっくりと玩味いたしましょう。魏呉蜀の三国志ファンも歴史を思い起こし、かつ、明治維新ファンも歴史に浸りましょう。「シテ」の記号文字が表示されないので片仮名に改めておきます。


(赤壁賦) 蘇子 愀然として、襟を正し危坐して客に問うて曰く、「何為れぞ其れ然るや」と。客の曰く、「『月明らかに星稀れに、烏鵲 南に飛ぶ』とは、此れ曹孟徳の詩に非ずや。西のかた夏口を望み、東のかた武昌を望めば、山川 相い繆い、鬱乎として蒼蒼たり。此れ孟徳の周郎に困しめられし者に非ずや。其の荊州を破り、江陵を下り、流れに順いて東するに方りてや、舳艫千里、旌旗 空を蔽う。酒を釃(した)みて江に臨み、槊を横たえて詩を賦す。固に一世の雄なり。而るに 今 安くに在りや。況んや 吾れと子と、江渚の上に漁樵し、魚鰕を侶として麋鹿を友とし、一葉の扁舟に駕し、匏樽を挙げて以て相属し、蜉蝣を天地に寄す。渺たる滄海の一粟なるをや。吾が生の須臾なるを哀しみ、長江の窮まり無きを羨む。飛仙を挟みて以て遨遊し、明月を抱きて長えに終えんこと、驟かには得可からざるを知り、遺響を悲風に託せり」と。

(辟易賦) 社主愀然トシテ眉ヲ顰メ、小声デ僕ニ問フテ曰ク、何為レゾ其困ルヤ、僕ノ曰ク、罪重ク罰速カニシテ末広家ニ蟄ス、是レ日新堂ノ咎ニ非ズヤ、北日報ヲ望ミ東報知ヲ望メバ、双方相ヒ並ンデ鬱々トシテ悄々タリ、是レ編者ノ分庁ニ呼バレタル訳ニ非ズヤ、其ノ刑事ニ及ビ口供ヲ奉リ、仰セニ従ツテ下ガルニ至テハ、罰金何円禁獄科ニ応ズ、口ヲ極メテ寃ヲ訴ヘ臂ヲ張テ理ヲ弁ズルモ誠ニ無益ノ事ナリ、而シテ何ノ為メニ成ランヤ、況ヤ吾ト子トハ貧乏ノ社ニ開業シ、許可ヲ願テ発兌ヲ事トス、一本ノ禿筆ヲ執リ報告ヲ得テ以テ相認メ、愚説ヲ天下ニ示ス、厳シキ条例ノ一件、吾ガ性ノ臆病ナルヲ哀シミ、御威光ノ窮リナキヲ感ズ、戸長ニ向テ以テ閉口シ役人ヲ望ンテ長ヘニ恐ル、迚モ勝ツ可ラザルヲ知テ泣ク子ト地頭ニ比ス、



「愀然」は共通ターム。訓み問題。「シュウゼン」と「ショウゼン」のどちらもありです。「顔をしかめるさま、心配そうなさま、表情をひきしめるさま」。「愁然」と同義です。「愀愴」(シュウソウ)も押さえて「心配し、がっかりするさま」。蘇東坡は「襟を正し」、柳北は「眉を顰め」。「危坐」は「端坐、正坐」の意です。「危」には「高くそそり立つ」の意があり、危檣(キショウ=たかくそびえたつ帆柱)、危然(キゼン=ひとり正しくしているさま)、危楼(キロウ=たかくそそりたった楼閣)。

客の吹く洞簫の音色の哀切な響きに胸打たれる蘇東坡。「どうしてかように哀しいのですか」と客に尋ねます。これに対して、辟易賦の社主は読者の投書を前にさえない表情の柳北に「どうしてかように困っているのですか」。

まず客の答え。「月明らかに星稀れに、烏鵲 南に飛ぶ」という曹孟徳の詩を持ちだします。曹孟徳は魏の曹操のことです。「文選」巻27にある「短歌行」の一節。「烏鵲」は「からすとかささぎ」で、寄る辺なく異郷に身を置く境遇を譬えている。一方、柳北の答えは「罪重ク罰速カニシテ末広家ニ蟄ス、是レ日新堂ノ咎ニ非ズヤ」。いよいよ、ここが辟易賦のポイントです。「末広」というのは、東京曙新聞主筆の「末広鉄腸」で、「日新堂」というのはその発行所であり曙新聞を指す。讒謗律と同時に布告された新聞紙条例を批判した廉で禁錮(2か月)・罰金(20円)を科せられました。柳北と同じ主張で讒謗律や新聞紙条例を批判して逮捕された鉄腸の境遇を引き合いに出し、近く訪れるであろう自らの運命も悟っているかのようです。

赤壁賦では、建安13年(208)の赤壁の戦いにおける曹操ら英雄たちを詠じたくだりが続きます。「西のかた夏口を望み、東のかた武昌を望めば、山川 相い繆い、鬱乎として蒼蒼たり。此れ孟徳の周郎に困しめられし者に非ずや」。「繆い」は訓めますか?「まとい」。音読みは「ビュウ」。気持ちがからみつくさまを言う「綢繆」も必須です。「鬱乎」は「ウッコ」。樹木がこんもりと茂っているさま。書き取り問題で出したいところ。「蒼蒼」は、あおぐらく茂っているさま。「曹操」と掛けているかもしれません。ここで出て来る「周郎」とは、呉の孫権の部将である「周瑜」、すなわち、赤壁の戦いで80万と称する俄か仕立ての曹操軍が、周瑜帥いる僅か3万の軍勢の火攻めの計に遭って大敗したことを指しています。「困しめ」は表外訓み。「くるしめ」。

一方の辟易賦では、明治8年(1875)の讒謗律・新聞紙条例における言論の自由を奪われた新聞人たちを詠じたくだりです。「北日報ヲ望ミ東報知ヲ望メバ、双方相ヒ並ンデ鬱々トシテ悄々タリ、是レ編者ノ分庁ニ呼バレタル訳ニ非ズヤ」。「日報」とは「東京日日新聞」、「報知」は「郵便報知社」で、いずれも当時の新聞社の名称。「悄々タリ」は「ショウショウタリ」。しょんぼり、しおしおと。各新聞社の編集者たちが挙って警察に呼ばれて事情聴取を受けたことを指しています。

「其の荊州を破り、江陵を下り、流れに順いて東するに方りてや、舳艫千里、旌旗 空を蔽う」。「荊州」は蜀の治めるエリア。赤壁の戦いに敗れる前、ここで曹操は劉表の子劉を破った。「江陵」は、荊州の要衝の地。そこを目指して長江に沿って軍艦を大挙して劉備を討つべく、曹操軍が「からうしの尾」を飾りながら意気軒昂なさまを「舳艫千里、旌旗空を蔽う」と活写しているのです。このフレーズは超有名ですね。

「其ノ刑事ニ及ビ口供ヲ奉リ、仰セニ従ツテ下ガルニ至テハ、罰金何円禁獄科ニ応ズ」。一方の柳北の説明では、刑事の取り調べに対して申し開きをし、言われるがままに罰を受け入れ、罰金いくら、禁錮・投獄に甘んじる。なんとも哀しい現実でしょう。何を言っても聞き入れられない苛立ちに明治政府に対する怒りが充満しているかのようです。

「酒を(した)みて江に臨み、槊を横たえて詩を賦す。固に一世の雄なり。而るに 今 安くに在りや」。「」は難語ですが、濁酒を竹かごで漉して注ぐこと。長江の水神を祭る儀式です。戦捷を期すために行うのです。「槊」は読み問題。「サク」。もちろん訓読みなら「ほこ」。「槊を横たえる」とは「戦いから離れること、すなわち、移動する間など戦場に居ない時のこと」。曹操は名詩人(さきほどの「短歌行」も有名)でもあり、多くの詩を残しています。曹操は「横槊の詩人」とも呼ばれています。そんな文武両道を窮めた当時の英雄ではあっても、いまはいったいどこでどうなっているというのでしょうか。「固に」は表外訓み。「まことに」。当時から800年以上もたった時代の変遷に思いを遣り、嘆息しています。

翻って柳北。「口ヲ極メテ寃ヲ訴ヘ臂ヲ張テ理ヲ弁ズルモ誠ニ無益ノ事ナリ、而シテ何ノ為メニ成ランヤ」。「寃(冤)」は「むじつのつみ」。「枉」とも書く。冤罪(エンザイ=冤枉)、冤獄(エンゴク=無実の罪で投獄されること)、冤訴(エンソ=無実の罪であることを主張する、冤訟=エンショウ=)、冤抑(エンヨク=無実の罪におとされる)。「臂」は「ひじ」。口角泡を飛ばし身ぶり手ぶりで理論立てて説明しても無意味なこと。何を言っても聞き入れられない。いったい奴らはなんのためにこんなことをやっているのか。同じ嘆息でも蘇東坡と柳北は乾坤の違いがあります。

「況んや 吾れと子と、江渚の上に漁樵し、魚鰕を侶として麋鹿を友とし、一葉の扁舟に駕し、匏樽を挙げて以て相属し、蜉蝣を天地に寄す」。「江渚」は「コウショ」、「漁樵」は「ギョショウ」、「魚蝦」は「ギョカ=さかなとエビ」、「麋鹿」は「ビロク=オオジカとシカ」。ここ長江のほとりで漁りときこりを生業にしつつ、魚やしかとたわむれ遊ぶ。蘇東坡と客の現在の境遇を隠者風に喩えている。「扁舟」は「ヘンシュウ」、「匏樽」は「ホウソン=ひさご、ひょうたん」、「蜉蝣」は「フユウ=かげろう」。一艘の小舟に揺られて、ひさごの樽の酒を酌み交わし、カゲロウのようなはかない命を生きている。

「況ヤ吾ト子トハ貧乏ノ社ニ開業シ、許可ヲ願テ発兌ヲ事トス、一本ノ禿筆ヲ執リ報告ヲ得テ以テ相認メ、愚説ヲ天下ニ示ス」。朝野新聞というちっぽけな新聞社でぎりぎりおまんまを食べている。お上からお許しを得て発行している身。「発兌」は「ハツダ」。書物などを印刷して発売すること。「禿筆」は「トクヒツ」。禿びた鉛筆で原稿を書いて自らの考えを世間に伝えるのが仕事なのだ。ジャーナリズムの原典ではありますが、お上の検閲を受けて中身が制約されて果して自由な言論が保障された新聞と言えるのか。まるで政府の広報紙ではないか。

赤壁賦の「渺たる滄海の一粟なるをや」。これは必須です。「滄海一粟」(ソウカイのイチゾク)。大きな海の中にある一粒の粟(あわ)。非常に大きな物の中のちっぽけな存在を言います。これを受けた辟易賦は「厳シキ条例ノ一件」。まさに讒謗律のこと。「吾が生の須臾なるを哀しみ、長江の窮まり無きを羨む」(赤壁賦)に対して「吾ガ性ノ臆病ナルヲ哀シミ、御威光ノ窮リナキヲ感ズ」(辟易賦)。いのちのはかなさをかなしみ、長江の流れが永遠であることを羨ましく思う。気の小ささをかなしみ、お上の威力の永遠であることを身にしみる。

「飛仙を挟みて以て遨遊し、明月を抱きて長えに終えんこと、驟かには得可からざるを知り、遺響を悲風に託せり」と赤壁賦。仙人となってあちこち飛んで遊び回り、明月とともに一生を終えたい。「驟かに」は訓み問題。「にわかに」。「遺響」は「余韻が残る洞簫のひびき」。哀切な風に音がいつまでも消えない余韻嫋嫋であるさまをいう。しかるに「戸長ニ向テ以テ閉口シ役人ヲ望ンテ長ヘニ恐ル、迚モ勝ツ可ラザルヲ知テ泣ク子ト地頭ニ比ス」と辟易賦。町内会の会長を前に黙し、警察を一生恐れて、とても言いくるめる気がしない。それはあの「泣く子と地頭に勝たれぬ」という諺がぴったり当てはまるではないか。道理や理屈が通らない相手に何を言っても始まらないから。暗澹たる気持ちに打ち拉がれる柳北でした。

ちなみに、末広鉄腸はこのあと1875年10月、朝野新聞の編集長に迎え入れられ、社長の柳北と机を並べます。翌2月には、井上毅、尾崎三良を誹謗した廉で、看板の2人とも投獄、罰金の憂き目に遭います。こうなると彼らも引かずに確信犯として投獄や罰金が一種の名誉みたいなものとなっていったようですね。

「情死」も載せちゃえ!草場の陰で北叟笑む蘇東坡先生?=成島柳北の「辟易賦」③

明治維新創業期に世の悪評高き言論統制法である「讒謗律」を揶揄った、成島柳北の珍文「辟易賦」シリーズの3回目です。本家本元、北宋の蘇東坡大先生の名作「赤壁賦」を忠実かつ微妙にずらせながら、讒謗律がいかに愚かしい法律であるかを描写しています。この柳北のユーモアのセンスは一体どこから生まれてくるのでしょうか。

(赤壁賦) 客に洞簫を吹く者有り、歌に倚って之に和す。其の声、嗚嗚然として、怨むが如く慕うが如く、泣くが如く訴うるが如し。余音 嫋嫋として、絶えざること縷の如し。幽壑の潜蛟を舞わしめ、孤舟の嫠婦を泣かしむ。

(辟易賦) 僕ニ法螺ヲ吹クノ癖有リ、口ニ任セテ之ヲ書ク、其事曖昧然トシテ眠ルガ如ク酔フガ如ク魘サルルガ如シ、其種少々ニ  (=シテ)絶エザル糸ノ如シ、幽霊ノ虚説ヲ録シ情死ノ痴情ヲ記ス、


ここでも珍しい合字(合略仮名)である「 メ-、」が用いられています。「シ」と「テ」を合わせたもので「シテ」と読みます。パソコンの機種によっては表示されないかもしれません。カタカナの「メ」の右下の部分がない形状の記号です。前回の「コト」も出ない方がいらっしゃったようです。「-」+「|」を組み合わせたかぎ状の記号です。

「洞簫」は読み問題。「ドウショウ」。これは「尺八に似た管楽器」。蘇東坡は「歌に倚って之に和す」のですが、柳北は「法螺ヲ吹クノ癖有り」、「口ニ任セテ之ヲ書く」。かたや笛を吹いて優美な音色を奏でるかと思えば、こなたは虚言癖があって口から出まかせの嘘八百を並べ立てるのです。「嗚嗚然」は「オオゼン」。低音で泣き叫ぶさま。柳北は「曖昧然」(アイマイゼン)。出まかせを書いたが本当かどうかは微妙だと言っている。否、寧ろ出鱈目というニュアンス。

そして、笛の音が奏でる音楽は「怨むが如く慕うが如く、泣くが如く訴うるが如し」。すなわち「怨・慕・泣・訴」。一方、出まかせの文章は「眠ルガ如ク酔フガ如ク魘サルルガ如シ」。すなわち「眠・酔・魘…」。あれれ、柳北としたことが、一個忘れています。忠実にパロってきたのにここは「~如く」を抜かしてしまったようです。「魘サルル」は書き問題としたいところ。「うなさるる」。音読みは「エン」。

頻出四字熟語の「余音嫋嫋」(ヨインジョウジョウ)は「音声が鳴り止んでもなお残るひびきが、細く長く続くさま」(「音」は「韻」とも)は、この赤壁賦が出典です。「嫋嫋」(細く長く続くさま)は書けるように。「擾擾」「擾攘」「丞丞」「囁囁」「攘攘」「烝烝」「穣穣」「茸茸」「条条」「上場」「上々」「情状」ではない。これに呼応する辟易賦は「其種少々」。ちょっと苦しいか?今一つ意味がとりにくい。「ネタモトの真偽が怪しい」くらいの意味か。

赤壁賦の「縷」は訓み問題。「いと」。辟易賦では「糸」とそのまんまです。細々とつながってとぎれてはいない。でも、いつ切れてもおかしくないくらいに弱々しい存在だというのです。

「幽壑の潜蛟」は「深山の谷あいの淵にひそかにすむみずち」。客の洞簫の音に誘われて姿を現し、くねくねと舞います。「ユウガク」は書き問題にぴったりですが、「センコウ」は難問でしょうね。「餞行」や「穿孔」などが浮かぶでしょうか。これを受けた辟易賦では、「幽霊ノ虚説ヲ録シ」とあり、「ありもしない幽霊話を載せる」。赤壁賦の「孤舟の嫠婦を泣かしむ」が「つれあいを亡くした寡婦(=嫠婦・リフ=やもめ)が彼の所有していた船で泣いている」と白居易の長編詩「琵琶行」の名場面を踏まえて描いているのに対して、辟易賦は「情死ノ痴情ヲ記ス」とあり、なんと「心中した男女の色話も載せている」という。そう、本来新聞は何でもアリなのだ。ああそれなのに、それなのに。。。。讒謗律が邪魔をする……。

蘇東坡が描いた哀切漂う洞簫の音色。柳北が描いた讒謗律に引っ掛かる読者の投稿。陰と陽のコントラスト。柳北の方は淡淡と連ねているだけに面白みが増しています。それにしても本家の蘇東坡が800年後の日本人によって斯くも自分の名賦がパロられていると知ったらどう思うでしょうかね。いやいや、怒るどころか北叟笑むかも。よくぞ、やってくれた。名も知らぬ日本人よ、上手い!ってかぁ。

お~い注意しろよ~!投稿をうっかり載せると逮捕だよ~=成島柳北の「辟易賦」②

元幕臣でジャーナリストの成島柳北のパロディー、「辟易賦」シリーズの2回目です。

本家本元の北宋の大詩人、蘇東坡が11世紀に詠じた「赤壁賦」を捩って、明治維新期に世の悪評高き言論統制法である「讒謗律」を揶揄っています。当時彼が主筆を務めていた「朝野新聞」(1875年8月17日付)に掲載したものです。

注目すべきは、なぜ彼がほかならぬ「赤壁賦」を捩ったのでしょうか。そのころ新聞を読もうという人は、相応の教育を受けた「インテリ層」と言えるでしょうから、蘇東坡の「赤壁賦」は“マスト”な教養だったに違いありません。「赤壁賦」も知らない人々に向けて書くことは幾らなんでもしなかったでしょう。読者が知っているという前提だったと思われます。だからこそ読者に理解され、迎え入れられたのです。恐らくこの記事の掲載を機に、インテリ読者層から拍手喝采を浴びた朝野新聞は、発行部数を伸ばしたのではないでしょうか。


(赤壁賦) 少焉にして、月 東山の上に出で、斗牛の間に徘徊す。白露 江に横たわり、水光天に接す。一葦の如く所を縦にして、万頃の茫然たるを凌ぐ。浩浩乎として虚に馮り風に御して、其の止まる所を知らざるが如く、飄飄乎として世を遺れて独り立ち、羽化して登仙するが如し。

(辟易賦) 少焉アツテ汗両腋ノ下ヨリ出デ、横腹ノ辺ニ沾滴ス、心配胸ニ横タハリ困苦肝ニ銘ス、一身ノ置キ所ヲ失ヒ万事ノ茫然タルヲ覚ユ、慄々乎トシテ邪ヲ受ケ風ヲ引キ、其ノ寝タ所ヲ起コサルヽガ如シ、惴々乎トシテ一生懸命軽業デ綱渡リスルガ如シ、


「少焉」は蘇東坡は「ショウエン」、柳北は「しばらく」と訓ませている。あるいは漢文訓読では「しばらくして」と訓んでもいいかもしれません。「月」が「東山の上に出で」、「斗牛の間に徘徊」した「赤壁」に対して、「汗」が「両腋ノ下ヨリ出デ」、「横腹ノ辺ニ沾滴」した「辟易」。風流な「月」を「汗」に読み替えた柳北はノリノリ、絶好調です。

「一葦」(イチイ)は「一艘の小舟」の意で、蘇東坡と客が乗っている船を指しています。「如く」は訓めますか?正解は「ゆく」。「縦」は「ほしいまま」で「船が流れに行くに任せている」という意味。「擅、恣、亶、侈、宕、専、放、淫、肆、蕩、誕、驕」も同義(これらの「ほしいまま」と訓む漢字を羅列して検索してくる人が6月辺りから増えています。何故でしょう?TVか雑誌かで問題が出たのでしょうかね)。「万頃」は書き問題にしたいところですが、「きわめて広いさま」。「馮り」は「憑り」と同義で「たよる」の意。「浩浩乎」も「万頃」と似た意味で「空間が無限に広がっているさま」。「飄飄乎」は「風に吹かれて空間をさまようさま」。「飄」は「つむじかぜ」の意。「遺れて」は表外訓み。「わすれて」。頻出四字熟語の「羽化登仙」(ウカトウセン)はこの「赤壁賦」が出典です。「酒を飲むなどしてよい心持になり、翼が生えて仙人となって天上界に上らんばかりの夢見心地の境地になること」。

ことほどさように蘇東坡は船に揺られて月を賞で、仙人にもなったかのようにいい気持になっています。ところが柳北はとんでもない。脇汗が腹のあたりまでタラタラ流れ落ち、居ても立ってもいられないほどそわそわと落ち着きをなくしています。「慄々乎」(リツリツコ)は書き問題にぴったり。「恐ろしくて震えているさま」。「慄然」「慄烈」「戦慄」は必須です。風邪を引いたような寒気を感じています。そして、寝入り端を叩き起こされた嫌な気分にも囚われています。「惴々乎」。「惴慄」も同義。訓めますか?これは訓み問題でもOK。「ズイズイコ」。「びくびくおそれおののくさま」。なぜなら軽業師でもないのに細い綱の上を渡るような危い気持ちだからです。仙人の夢見心地と、似而非軽業師の綱渡り。似ても似つかぬ気持ちの懸隔。でも、実は表裏一体ですな。「仙人になって天上界に上る」というのは、裏を返せば「現実からの逃避」と言えるのではないでしょうか。讒謗律を目の前にして新聞を主宰する自分にとって命取りともなりかねない事態。酒を飲んでも酔えずに、天界に上るどころか、地上の現実社会で綱渡りの会社運営を余儀なくされるかも知れない、と怖気づいている柳北でした。

(赤壁賦) 是に於て酒を飲んで楽しむこと甚だし。舷を扣いて歌う。歌に曰く、「桂の櫂 蘭の槳、空明に撃ちて、流光に泝る。渺渺たり 予が懐い、美人を天の一方に望む」と。

(辟易賦) 是ニ於テ筆ヲ投ジテ嘆クヿ久シ、机ヲ敲イテ之ヲ歌フ、歌ニ曰ク、猫ノ説狸ノ話、空論ヲ出シテ流行ニ連レル、漸々ニシテ予レ凌ギ、贔屓ヲ国ノ四方ニ望ム、


ここのくだりで、柳北は「ヿ」という特殊な記号を用いています。動詞の後ろに付されて「~すること」の意。これは片仮名の「コ」と「ト」を組み合わせた「合字」と呼ばれるものです。「コト」とよみます。踊り字と呼ばれる「々」もこの類。これからもしばしば登場しますので覚えておいてください。明治期の文章で流行ったのでしょうね。インテリ知識人同士の間の隠語みたいなものでしょう。

蘇東坡が「扣いた」のは「舷」。柳北が「敲いた」のは「机」。「舷」は訓読みで「ふなばた」。「扣く」「敲く」も「たたく」。ほかには、「叩く、抃く、搗く、擣く、款く、殴く」もあります。赤壁賦の歌は「カツラの棹にランの槳(かい)、うすあかりに棹さして、ふりそそぐ月光をこぎのぼってゆく。はるけくひろがりゆく私の思い、美しい人を天の遥かに思いやる」。「櫂」は「さお」。「槳」(音読みはショウ)は「船をこぐ櫂」。「泝る」は「遡る」と同じ訓み。これに対して辟易賦の歌は「化け猫のはなし、タヌキに化かされたはなし、ほんとかうそか分からぬような噂話が世間では流行り、吾が新聞に読者からの投書が殺到。それでもそろりそろりとかわしながら、これは面白いとお気に入りの投書がたくさんある」。「贔屓」は「ひいき」。しっかりしないとうっかり誹謗中傷の投稿を載せてしまったら、讒謗律に引っ掛かって検挙されてしまうぞ~、と注意を怠れない始末で疲れ果てるのです。文字通り辟易しているのです。もっと自由に新聞を作りたいのに……。

「讒謗律」に戦戦兢兢=蘇東坡をパロった「辟易賦」①

予告通り、成島柳北の「航西日乗」シリーズに入りたいのですが、その前に頭の体操はいかがでしょう。ある作品を通じて柳北の為人を知ろうではありませんか。

その底本となる岩波文庫「幕末維新パリ見聞録」(井田進也校注)のP186に「柳北には、『赤壁賦』をもじって明治8(1875)年の讒謗律を揶揄した『辟易之賦』がある」というくだりに目が留まりました。

「ヘキエキのフ」…?

確かに蘇東坡に「赤壁賦」(セキヘキのフ)があるのはご存知ですよね。魏呉蜀の“レッドクリフ”…で有名です(実は、劉備・孫権連合軍VS曹操の合戦の舞台となった赤壁とは場所が異なるんですが……)。


弊blogではかつて鶴を題材にした記事で「後赤壁賦」を取り上げたことがあります(ここ)が、肝腎かなめの「赤壁賦」はいまだ取り上げていませんでした。これ幸いです。このパロディー「辟易賦」を紹介しがてら、本家本元の「赤壁の賦」も味わっちゃおうという欲張り且つチャレンジングな試みをやろうと思います。

「もじって」とあるように、柳北の「辟易賦」はまさに蘇東坡の「赤壁の賦」の一句一句をベースにちょっとだけ変形して茶化しているのです。すなわち、「辟易賦」を賞玩するためには、「赤壁賦」も知っておかないと「ぷっ」とも笑えないのですよ~。

さて、どこから「辟易賦」の原文を入手しようか。こんなとき役立つのが近代デジタルライブラリーです。成島柳北の漢詩を紹介した記事で取り上げた「柳北全集」(ここ)に載っていました。そして、本元の「赤壁賦」は岩波文庫「蘇東坡詩選」を底本といたします。

岩波文庫によれば、本元の「赤壁賦」(正確には「前赤壁賦」となっています=蘇東坡が後日に詠じた「後……」があるからです)が、意味のまとまりごとに切ってあるので、これに歩調を合わせて「辟易賦」を並べて記載していきましょう。漢字の書き取り問題にしてしまうと面白みが味わえなくなる可能性があります。したがって、折々、読み問題限定ということにしましょう。

まずは出だしの一節から。

(赤壁賦) 壬戌の秋、七月の既望、蘇子 客と舟を泛べて、赤壁の下に遊ぶ。清風 徐ろに来って、水波 興らず。酒を挙げて客に属し、明月の詩を誦し、窈窕の章を歌う。


(辟易賦) 乙亥之秋八月既望、社主僕ト机ヲ並ベテ燭台ノ下ニ集ル、投書頻リニ来タツテ編輯終ラズ、紙ヲ展ベ筆ヲ握ツテ讒謗ノ律ヲ調ベ条例ノ文ヲ誦ス、


本家とパロディーがそれぞれいつのお話なのか?「壬戌」と「乙亥」が対比されています。

音読みは容易ですな。「ジンジュツ」と「オツガイ」。それでは訓読みで訓みましょう。十二支十干の訓みはマストです。



かたや「みずのえいぬ」、こなた「きのとい」。

すなわち、1082年(北宋の元豊5年)と1875年(明治8年)です。讒謗律が布告されたのが明治8年6月。この法律は、新聞や出版物で他人を誹謗中傷することを禁ずるもので、当時の言論界では言論の自由を奪うものと反対運動が起こりました。事実無根なら言うまでも無いことですが、事実に即したことでも明治政府や皇族の批判はダメだという点が引っかかります。

赤壁賦では「蘇子」、辟易賦では「社主」が主人公。「赤壁の下」が「燭台の下」に、「清風」が「投書」に、「徐に」が「頻リニ」にそれぞれ微妙に変換されています。蘇東坡が「明月の詩を誦し、窈窕の章を歌う」のに対して、柳北は「讒謗ノ律ヲ調ベ条例ノ文ヲ誦ス」というのですから、格調の高さを比べたら何とも対照的ですなぁ。。。

ところで、讒謗律の条文を見ておきましょう。う~ん、ここも問題にしておきたい箇所があります。2箇所だけ。


第1条 凡ソ事実ノ有無ヲ論ゼズ人ノ栄誉ヲ害スベキノ行事ヲ摘発公布スル者、之ヲ讒毀トス。人ノ行事ヲ挙ルニ非ズシテ悪名ヲ以テ人ニ加ヘ公布スル者、之ヲ誹謗トス。著作文書若クハ画図・肖像ヲ用ヒテンカンシ若クハ発売シ若クハ貼示シテ人ヲ讒毀シ若クハ誹謗スル者ハ、下ノ条別ニ従テ罪ヲ科ス。

第2条 第1条ノ所為ヲ以テジョウヨヲ犯スニ渉ル者ハ、禁獄3月以上3年以下、罰金50円以上1000円以下〈2罰并セ科シ或ハ偏ヘニ1罰ヲ科ス。以下之ニ倣ヘ〉。

第3条 皇族ヲ犯スニ渉ル者ハ、禁獄15日以上2年半以下、罰金15円以上700円以下。

第4条 官吏ノ職務ニ関シ讒毀スル者ハ、禁獄10日以上2年以下、罰金10円以上500円以下、誹謗スル者ハ、禁獄5日以上1年以下、罰金5円以上300円以下。




テンカン=展観。物を平らに並べて多くの人に見せること。展覧、展示とも。

ジョウヨ=乗輿。天子の乗る馬・乗り物、転じて天子、天皇陛下を指す。



以下、次回に続きます。兎に角、読み比べてその微妙な違いの諧謔性を玩わってみてください。成島柳北という元幕臣のジャーナリストとしてのセンスが髣髴とします。

あの素晴しい日本漢詩をもう一度=復習篇⑦・完結+新シリーズ予告篇

本日で復習は終了です。日柳燕石、前原一誠、西郷隆盛、桂小五郎、成島柳北、草場船山の6詩人、10作品です。

①「問盗」(日柳燕石)

問盗何心漫害民    盗に問う何の心ぞ漫に民を害すと
盗言我罪是■■    盗は言う我が罪は是れセンジン
錦衣繡袴堂堂士    錦衣繡袴堂堂の士
白日公然剝取人    白日公然人を剝取すと

②「夜登象山」(日柳燕石)

崖圧人頭勢欲傾    崖は人頭を圧し 勢傾かんと欲す
満山霊気不堪清    満山の霊気 清に堪えず
夜深天狗来休翼    夜深く天狗来たりて翼を休む
十丈■■揺有声    十丈のロウサン揺いで声あり

③「逸題」(前原一誠)

■■鉄衣過一春    カンバ鉄衣一春を過る
帰来欲脱却風塵    帰来風塵を脱却せんと欲す
一場残酔曲肱睡    一場の残酔肱を曲げて睡る
不夢周公夢美人    周公を夢みず美人を夢む

④「辞世」(前原一誠)

今我為国死    今我国の為に死なんとす
死不負君恩    死して負わず君の恩
人事有■■    人事ツウソク有り
乾坤吊吾魂    乾坤に吾が魂を吊るさん

⑤「偶成」(西郷隆盛)

幾歴辛酸志始堅    幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し
丈夫玉碎恥■■    丈夫玉碎センゼンを恥ず
一家遺事人知否    一家の遺事人知るや否や
不為児孫買美田    児孫の為に美田を買わず

⑥「山行」(西郷隆盛)

駆犬衝雲独自攀    犬を駆り雲を衝いて独り自ら攀じ
豪然長嘯断峰間    豪然として長嘯す断峰の間
請看世上人心険    請う看よ世上人心の険なるを
■■艱於山路艱    ショウレキするは山路の艱きよりも艱し

⑦「偶成」(西郷隆盛)

再三■■歴酸辛    再三のリュウザン酸辛を歴たり
病骨何曾慕俸緡    病骨何ぞ曾て俸緡を慕わん
今日退休相共賞    今日退休して相い共に賞す
団欒情話一家春    団欒の情話一家の春を

⑧「偶成」(桂小五郎)

一穂寒燈照眼明    一穂の寒燈眼を照らして明かなり
沈思黙坐無限情    沈思黙坐すれば無限の情
回頭知己人已遠    頭を回らせば知己の人已に遠し
丈夫畢竟豈計名    丈夫畢竟豈名を計らんや
世難多年万骨枯    世難多年万骨枯る
廟堂風色幾変更    廟堂風色幾変更
年如流水去不返    年は流水の如く去りて返らず
人似草木争■■    人は草木に似てシュンエイを争う
邦家前路不容易    邦家の前路容易ならず
三千余万奈蒼生    三千余万蒼生を奈んせん
山堂夜半夢難結    山堂夜半夢結び難し
千嶽万峰風雨声    千嶽万峰風雨の声

⑨「那耶哥羅観瀑詩」(成島柳北)

客夢驚醒枕上雷    客夢驚き醒む枕上の雷
起攀老樹陟崔嵬    起って老樹を攀じて崔嵬を陟る
夜深一望乾坤白    夜深一望乾坤白し
万丈■■捲月来    万丈のシュレン月を捲いて来る

⑩「桜花」(草場船山)

西土牡丹徒自誇    西土の牡丹徒に自ら誇る
不知東海有名■    知らず東海に名有るを
徐生当日求仙処    徐生当日仙を求めし処
看做祥雲是此花    看て祥雲と做せるは是れ此の花



草場船山まででお浚いは終了です。ところで、復習をしていて一点、大きな誤りに気付きました。

元幕臣でジャーナリストの成島柳北。彼の詩では、8月16日付の本編の記事ではもう一つ「塞昆」をご紹介いたしました。

夜熱侵入夢易醒    夜熱人を侵して夢醒め易し
白沙青草満前汀    白沙青草前汀に満つ
故園応是■■節    故園応に是れソウコウの節なるべし
驚看蛮蛍大似星    驚き看る蛮蛍の大いさ星に似たるを



その前段の「那耶哥羅観瀑詩」と合わせて明治6~7年(1873~74)に欧米諸国を漫遊した際に詠じたものでした。それは間違っていないのですが、明治書院にあった解説を引用して「…サイゴンはヨーロッパから帰郷する際の寄港地。ここで船を休め、あとは香港に寄るだけ。…」とあったものですから、迂生が勝手に解釈して「先ほどの外遊の帰途の一齣でしょう」とやってしまいました。これは間違いです。柳北はこのサイゴンの時点では欧米の旅に赴く途上にあったのです。帰途ではありません。欧州はまだまだ前途です。明治書院につられ確認もせずに記してしまいました。日本を離れてまだアジアではあるものの、「ああ日本ではそろそろ霜の降りる頃だというのにかくも暑いものだ」と、巨大な蛍の放つ光を見ながら、次第におセンチになって行くさまを描いたものだったのです。

これに何故気がついたか?と言いますと、実は某所の書肆において岩波文庫の「幕末維新パリ見聞記」(井田進也校註)を見つけました。柳北の外遊日記である「航西日乗」のほか、栗本鋤雲の「暁窓追録」が採録されています。これを読み進めたところ、誤りに気付きました。この「航西日乗」は新約克(ニューヨーク)に到着した明治7年6月1日のくだりで終わっており、「那耶哥羅観瀑詩」は残念ながら掲載されていませんでした。

しかし、この日記は面白い。漢文調で(実際に彼が書いたのは漢文なのでしょう)事物や行動が淡淡と書き連ねられているのみならず、いちいち、漢詩も書かれています。柳北の律儀な性格と観察眼が表れているのですが、明治維新初期の日本人が海外で何を思い、何を感じ取ったのかがよく分かります。柳北にとって漢詩は特別なものではなくむしろ日記を書くための道具だったのです。すばらしい教養と言えるでしょう。

この文庫本が刊行されたのが2009年10月ですが、知りませんでした。こんないい本が出ていたんですね。岩波書店に限らず、昔の出版物にもっと容易にアクセスできるよう復刻するなり、どんどん出してほしいと思いますね。「宝の持ち腐れ」ですよ。出版界は、「●上春■」の如き売り上げにばかり阿るような作品ではなく、われわれ素人の知ろうという意欲をどんどん掻き立てる作品をもっと世に出してほしいものです。しかもそれは現代に限らず、過去において既に世に一度は出ていたものなのです。切に願います。お金を出せば読めるのでしょうが、いかに廉価にできるかが勝負ですから。

そこでなんですが、折角の「邂逅」です。この成島柳北の日記「航西日乗」の一端をしばらく味わうことといたします。次回から成島柳北の新シリーズのスタートです。もちろん、漢詩はたっぷり。130年以上前のパリをはじめとする欧州各国やアジア諸国の風物も面白い。そして、元儒学者である柳北の教養あるユーモアも混じった文章。これは面白いですよ。ところで、日本漢詩シリーズは忘れていません。明治期のプロ漢詩人や文化人らの漢詩がまだ残っています。秋めくころにまた戻ろうと思いますので、ご容赦ください。

あの素晴しい日本漢詩をもう一度=復習篇⑥

①「春簾雨窓」(頼三樹三郎)

春自往来人送迎    春は自ら往来して人は送迎す
愛憎何事別陰晴    愛憎何事ぞ陰晴を別つ
落花雨是催花雨    花を落とすのは雨是れ花を催すの雨
一様■■前後情    一様のエンセイ前後の情

②「過函嶺」(頼三樹三郎)

当年意気欲凌雲    当年の意気雲を凌がんと欲す
快馬東馳不見山    快馬東に馳せて山を見ず
今日危途春雨冷    今日危途春雨冷やかなり
■■揺夢過函関    カンシャ夢を揺るがして函関を過ぐ

③「獄中作」(橋本左内)

二十六年如夢過    二十六年 夢の如く過ぎ
顧思平昔感滋多    顧みて平昔を思えば感滋々多し
天祥■■嘗心折    天祥のタイセツ 嘗て心折す
土室猶吟正気歌    土室猶お吟ず正気の歌

④「絶命詩」(黒沢勝算)

呼狂呼賊任他評    狂と呼び賊と呼ぶも他の評に任す
幾歳妖雲■■晴    幾歳の妖雲 イッタンに晴る
正是桜花好時節    正に是れ桜花の好時節
桜田門外血如桜    桜田門外血桜の如し

⑤「出郷作」(佐野竹之助)

決然去国向天涯    決然 国を去りて天涯に向かう
生別又兼死別時    生別 又た兼ぬ死別の時
弟妹不知阿兄志    弟妹は知らず阿兄の志
慇懃牽袖問■■    慇懃に袖を牽きてキキを問う

⑥「竹」(藤森天山)

■■千竿竹    ユウケイ千竿の竹
相依積雪時    相依る積雪の時
低頭君莫笑    低頭君笑う莫かれ
高節不曾移    高節は曾て移さず

⑦「獄中作」(児島強介)

愛読文山正気歌    愛読す文山正気の歌
平生所養顧如何    平生の養う所顧うに如何
従容唯待就刑日    従容として唯だ待つ刑に就くの日
含笑■■知己多    笑いを含むキュウゲン知己の多きに

⑧「送吉田義卿」(佐久間象山)

之子有霊骨    之の子霊骨有り
久厭蹩★群    久しく厭う蹩★の群れ(★=薛+足=サツ)
振衣万里道    衣を振るう万里の道
心事未語人    心事未だ人に語らず
雖則未語人    則ち未だ人に語らずと雖も
忖度或有因    忖度するに或いは因有り
送行出郭門    行を送って郭門を出ずれば
孤鶴横■■    孤鶴シュウビンに横たわる
環海何茫茫    環海何ぞ茫茫たる
五洲自成隣    五洲自ら隣を成す
周流究形勢    周流して形勢を究めよ
一見超百聞    一見百聞に超えん
智者貴投機    智者は機に投ずるを貴ぶ
帰来須及辰    帰来須らく辰に及ぶべし
不立非常功    非常の功を立てずんば
身後誰能賓    身後誰か能く賓せん

⑨「囚中作」(高杉晋作)

君不見死為忠鬼菅相公    君見ずや死して忠鬼と為る菅相公を
霊魂尚在天拝峰       霊魂尚在り天拝峰
又不見懐石投流楚屈平    又見ずや石を懐いて流れに投ず楚の屈平
至今人悲汨羅江       今に至るまで人は悲しむ汨羅江
自古■■害忠節       古よりザンカン忠節を害す
忠臣思君不懐躬       忠臣君を思うて躬を懐わず
我亦貶謫幽囚士       我亦貶謫幽囚の士
憶起二公涙沾胸       二公を憶起して涙胸を沾す
休恨空為■■死       恨むを休めよ空しくザンカンの為に死するを
自有後世議論公       自ら後世議論の公なる有らん

⑩咏西行(高杉晋作)

破衣破笠一■■    破衣破笠一ソウアイ
到処青山骨欲埋    到る処の青山骨を埋めんと欲す
石枕夢冷孤渓月    石枕夢は冷かなり孤渓の月
古寺魂暗五更懐    古寺魂は暗し五更の懐
見生如死死即生    生を見ること死の如く死は即ち生
自言我是方外客    自ら言う我は是方外の客
無情淡心玩咏歌    無情淡心咏歌を玩ぶ
曽拠高位不肯惜    曽て高位を拠り肯えて惜しまず
休道老仏虚無術    道うを休めよ老仏虚無の術
天下能害幾何人    天下能く幾何の人を害す
雖然使僧不学仏    然りといえども僧をして仏を学ばざらしめば
千載誰称西行僧    千載誰か称せん西行僧
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char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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