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弟子の出世を喜ぶ師匠=熊沢蕃山を阮籍ばりの青眼で送った中江藤樹

我が国の陽明学の祖である中江藤樹(1608~1648)は案外短命でした。“親孝行”の代表選手として戦前の修身の教科書には欠かせない人でした。綽名が近江商人、もとい近江聖人。生まれた近江で私塾をひらいて朱子学に目覚め、格物致知を究めました。代表的な門人に熊沢蕃山(1619~1691)がいます。「藤樹書院」に入塾したのは蕃山23歳の時の8カ月と短かったですが、一番弟子と言っていいでしょう。本日の日本漢詩は藤樹の「送熊沢子還備前」(熊沢子の備前に還るを送る)です。「還る」とあるのは蕃山が二度目の岡山藩出仕であるためです。名君の誉れ高い池田光政侯に仕えるのです。

旧年無幾日    旧年 幾日も無し
何意上■■    何ぞ意わんキテイに上らんとは
送汝■■器    汝がウンショウの器を送りて
嗟吾■■齢    吾がケンバの齢を嗟く
梅花■辺白    梅花 ビン辺に白く
■■眼中青    ヨウリュウ 眼中に青し
惆悵■■上    惆悵すソウコウの上
西風教客醒    西風 客をして醒めしむ





キテイ=旗亭。酒屋、料理屋。看板として旗を立てたから。≠毀詆、奇挺、揮涕、亀鼎。

ウンショウ=雲霄。空のこと。「霄」は「空のはて」。雲翔だと「雲がそらをかける、雲のように速く走る、あちこちに群がっておこる」と少し意味が異なります。

ケンバ=犬馬。「犬馬之歯(よわい=齢)」(ケンバのよわい)で「自分の年齢を謙遜していうことば、犬や馬が何もすることなく年を加える」という意味で、「馬齢を重ねる」も同様の意の用法です。

ビン=鬢。頭の左右側面の耳際の毛、びんずら。鬢髪、鬢毛ともいう。

ヨウリュウ=楊柳。カワヤナギとシダレヤナギ。ヤナギの総称。

ソウコウ=滄江。広々と、深緑色に見える川の水。「滄」は「あおい」とも訓む。「楚辞・漁夫」に「滄浪之水清兮、可以濯吾纓」があります。滄海之変(ソウカイのヘン=滄海が桑畑に変化する、世の中の移り変わりのはげしいこと)、滄海之一粟(ソウカイのイチゾク=大海中の一粒の粟、非常に大きいものの中の、非常に小さい一つのもののたとえ)、滄海遺珠(ソウカイのイシュ=大海中に取り残された珠、世に知られずに埋もれている賢者のたとえ)、滄洲(ソウシュウ=東方の海上にあり、仙人の住むといわれた場所)、滄波(ソウハ=深緑色の瀾、あおあおとした波、滄溟(ソウメイ=あおあおとした海のこと)。≠草稿、蒼昊、綜絖、叢篁、妝匣、漕溝、痩硬、箱匣、糟糠、艙口、蒼惶。





【解釈】 日月矢のように過ぎ去り、今年も余すところ幾日も無い。このようなときに、この料亭に上って君の送別会を開くことになろうとは思いも寄らなかった。君が今天にも昇るべき大才を抱いて、再び備前侯に仕官するのを送るにつけ、(君は前途有為の人だが)わが身の為すことも無くいたずらに歳を重ねたことを悲しく思う。わが髪は梅花のように白いが、君を見送る眼は楊柳のように青く、うれしいのである。ただ、離別はやはりつらいもので、川のほとりに杯をあげると、西風は身にしみて冷たく、酒の酔いも冷めんばかりである。


中江藤樹と熊沢蕃山ですから何ともスケールの大きな師匠と弟子。そうした二人の師弟愛に溢れた詩です。頷聯にある「雲霄の器」とは弟子を持ち上げ過ぎ、さらに「犬馬之齢を嗟く」というのは謙遜も甚だしいですね。少き弟子と老いた師匠の世代交代を醸し出しています。一方、「梅花鬢辺白 楊柳眼中青」という頸聯の対句は面白い。「梅の花の白」と「柳の緑」を対比させている。柳は別れの餞の象徴であると同時に、「眼中青」は、かの竹林の七賢の一人、阮籍青眼の故事を捩ったもの。気に入らない奴には白眼で迎え、お気に入りの人には青目で接するという、人の好き嫌いの激しかった阮籍です。師匠を上回る弟子の出世を心から喜ぶ一方、己の老いへの失望も感じているという複雑な二律背反の気持ち。最後の「教」は漢文の使役用法、「~させる」。近江から備前に西へと旅立つ弟子に送る送別の詩です。




さて、オマケ、王粲の「登楼賦」の3回目、最終回です。

日月の逾え邁くを惟い、河の清むを俟つに其れ未だ極らず。冀わくは王道の一たび平らかなりて、高衢を仮りて力を騁せんことを。匏瓜の徒らに懸からんことを懼れ、井渫の食らわれざらんことを畏る。歩みて棲遅して以て徙倚し、白日忽として其れ将に匿れんとす。風蕭瑟として並び興り、天惨惨として色無し。獣狂顧して以て群れを求め、鳥相鳴きて翼を挙ぐ。原野闃として其れ人無く、征夫行きて未だ息まず。心悽愴として以て感発し、意忉怛として憯惻たり。堦除に循いて下り降り、気胸臆に交憤す。夜参半までにして寐ねられず、悵として盤桓として以て反側す。


【解釈】 月日が過ぎ去って戻らないというのに、太平の世を待つわたしの願いは満たされていない。願わくは、王道が実現された世に出会って、その政治に参加し、力を振るいたいものだ。ひさごが、空しくぶら下がっている状態や、井戸をさらって清らかにしたのに誰も飲んでくれないという状態こそ、わたしの恐れるところである。まるで飼い殺しではないか。ゆっくりと、ぶらぶら歩いているうちに、いつのまにか、太陽が沈もうとしている。風は一斉にもの寂しく吹き起こり、空は暗くなって、光を失った。野のけものたちは狂ったように振り返りながら、仲間の姿を探しており、鳥たちは鳴き交わしながら飛び去って行く。野原は静まり返り、人の姿は見えず、ただ旅人だけが只管道を急いでいる。心中は悲しみに溢れ、いつまでも思い悩むばかり。楼台の階段に沿って降りてきたが、まだ胸中の感情が静まらない。その夜半ばまで眠ることもできずにあれこれ思いめぐらしながら、寝返りばかりを打っていた。

不遇の身をどうすることもできないもどかしさに打ち拉がれている思いを詠じています。漢代の賦に在りがちな難語は見えませんが、味わい深い、心にとどめておきたい語彙が目白押しですね。敢えて問題にはいたしませんが、このまま漢検の文章題にしてもいい良文ですね。「日月逾邁」「百年河清」「井渫不食」「俟つ」「高衢」「匏瓜」「棲遅」「蕭瑟」「冀わくは」「徙倚」「闃として」「悽愴」「悵として」「盤桓」「輾転反側」。。。いずれも必須です。
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char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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