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怨霊なのか?はたまた学問の神なのか?=無念と歴史を残した菅原道真

♪とおりゃんせ、とおりゃんせ~
ここはど~この細道じゃ~
天神さまの細道じゃ~♪

天神さまと言えば菅原道真。彼が11歳のときに詠んだという漢詩が大阪天満宮のHPに載っています。そのまま引用いたします。

月耀如晴雪   月の耀きは晴れたる雪の如し
梅花似照星   梅の花は照れる星に似たり
可燐金鏡轉   憐れむべし金鏡転じ
庭上玉房馨    庭上に玉房馨れるを


お月さまはきらきらかがやく雪みたい
梅の花はぴかぴか光る星みたい 
ああすてき空にはお月さまの光がきらめき 
庭には梅のいい匂いがただよっている(11歳らしい訳になっている)

五言絶句。11歳らしいと言えばらしいですが、その才能の片鱗は十分にうかがえる作品。月と梅を巧みに、雪と星とに置き換えて詠み込んでいます。


さて、次は一気に飛んで56歳のときに詠んだ「不出門」(門を出でず)。どんな状況でどんな心境を詠んだものかじっくりと味わってみてください。

一從■■在■■    一たびタクラクせられてサイケイに在りしより
萬死兢兢■■情    万死兢兢たりキョクセキの情
都府樓纔看瓦色    都府楼はかに瓦の色を看
観音寺只聽鐘聲    観音寺は只鐘の声を聴くのみ
中懐好逐孤雲去    中懐は好し逐わん孤雲の去るを
外物相逢満月迎    外物は相逢う満月の迎うるに
此地■身無■■    此の地身にケンケイ無しとイエド
何為寸歩出門行    何為れぞ寸歩も門を出でて行かん





タクラク=謫落。罰して辺境の地へ左遷すること。「謫」は「せめる」「つみする」。謫降(タクコウ)、流謫、配謫。謫徙(タクシ=とがめを受けて官位を落とされ、地方へ左遷されること、謫遷=タクセン=)、謫戍(タクジュ=罰せられて国境などの辺地の守備要員にさせられること)、謫所(タクショ=流罪されて住んでいる場所、配所)、謫仙(タクセン=天上界から人間界に流された仙人。すぐれた人を褒めていうことば、謫仙人)、謫堕(タクダ=退けられておちぶれる)、謫官(謫宦=タッカン=罪や過失のため、その罰として役人が地方へ左遷されること)、謫居(タッキョ=罪をおかし、その罰として遠方へ流されること、そこでの侘び住まい)。

サイケイ=柴荊。しばといばら、転じて、粗末な家、あばら家。柴扉(サイヒ=しばでつくった粗末な戸)、柴門(サイモン=小枝を編んでつくった門、粗末な家)、柴折戸(しおりど=しばや竹をたばねてつくった簡単な戸)。

キョクセキ=跼蹐。跼天蹐地・局天蹐地(キョクテンセキチ)の略。「テンにせぐくまりチにぬきあしす」。天に頭がつかえないかと身をかがめて歩き、地面がへこまないかとそっと歩く。非常におそれてびくついているさま。詩経・小雅・正月に「謂天蓋高 不敢不局、謂地蓋厚 不敢不蹐」がある)。「跼」は「せぐくまる」とも訓み、跼躅(キョクチョク=かがんだり、足がつかえたりして行き悩むさま)、跼足(キョクソク=足をかがめる)、跼頓(キョクトン=とんとつまずく、つんのめる)、跼歩(キョクホ=身をかがめてこそこそ歩く)。「蹐」は「ぬきあし」とも訓む。

ケンケイ=検繋。束縛すること。辞書に掲載無し。「検」は「とりしまる」、「繋」は「つなぐ」。

イエドも=雖も。たとえ~であっても、かりに~であっても。逆接の仮定条件の意。音読みは「スイ」ですが、幸いなる哉、熟語は見当たりません。

纔かに=わずかに。やっとのことで、はじめて。音読みは「サイ」。方纔(ホウサイ=はじめて、やっと)。旁の「ク・ロ・ヒ(比)・メン(免)・テン(、)」は「親兎の腹の下に子兎がもぐりこんで、やっと少し顔を出したさま、糸偏で、糸の端がやっと少しのぞいたことを示す」。




【解釈】 ひとたび左遷されて配所の門に入ってからは、罪万死にあたるを思い、戦々兢々と只管謹慎の日々を送っている。近所の都府楼は瓦の色が少し見えるだけで一度も登ったことはない。観音寺も鐘の音が聞こえるばかりで訪れたことはない。胸の内の切なる思いは孤雲の行方を追い都へと馳せるが、今、わたしを迎えるのは都の使者ではない。窓から見える満月なのである。この地は左遷と言っても束縛されることはない。だからといって、一歩たりともこの門を出て歩こうなどとは思いもしないのはなぜだろうか。

都府楼とは大宰府の楼を指しています。何とも悶々とした思いが滲み出ている詩です。大宰府に流された道真。菅原家は彼の祖父が空海と共に遣唐使として入唐するほどの名門として知られていました。33歳で博士となり、のち、宇多上皇に認められ、蔵人頭、右大臣にまで上り詰めます。出来る奴ほど睨まれるのは世の常。昌泰4年(901)、醍醐帝の退位を計画したとの廉で、時の権力者、藤原時平の讒言に遭います。無実の罪に遭った道真はただ罪を恐れ宿所となった浄妙院に謹慎する日々を送り、三年後に病没しました。

中唐の大詩人、白居易にも「不出門」という同じ詩題の作品があります。道真自身も白居易の影響を受けたことは間違いないところです。頷聯にある「都府樓纔看瓦色 観音寺只聽鐘聲」は同じく白居易の有名な「遺愛寺の鐘は枕を欹てて聴き 香鑪峰の雪は簾を撥げて看る」(枕草子で清少納言も影響を受けている)を換骨奪胎したものと思われます。かくも才ある人物が無実の罪で憐れな最期を遂げるとは世の無常もこの上ない。

ところが、道真が追われた後、都では異変が相次ぐ。まず藤原時平が延喜9年4月、39歳の若さで病歿、4年後には右大臣源光も亡くなります。また宇多上皇を皇居に入れなかった藤原菅根も変死。更に延喜23年3月には時平の妹穏子と醍醐天皇の間に生まれた皇太子保明親王が21歳で死去、追い討ちを掛けるように2年後にはその保明親王と時平の娘との間に生まれた幼い新皇太子慶頼王まで亡する。世の人々は道真公が自分を追いやった時平公の縁者に祟っているのだと噂します。醍醐天皇も恐くなって道真を右大臣に戻す詔を出したりしますが、怪異は収まる気配がありません。

そしてとうとう延長8年(930)の6月26日、内裏に落雷があって大納言藤原清貫と右中弁平希世をはじめ何人もの殿上人と女官が雷に撃たれて死亡するという事件が起きます。醍醐天皇はショックで病に倒れ、3ヶ月後この世を去ってしまいました。道真公が雷神と化した「怨霊」伝説のうわさが専らになります。しかし、道真が世に恨みを残したことは間違いないでしょうが、オカルト現象は後世の人の作り話にすぎないでしょう。権力闘争の陰には憑き物です。屹度、時平一族の栄転をねたんだ側の仕組んだことに違いありません。

そして、道真は京都・北野天満宮に祀られます。現代には「学問の神様」と言った方が通りがいいでしょう。なんか中国文学の先駆けとなった屈原と似ています。讒言に遭い失意のうちに自殺をした。思いが届かない。そんな恨みを残して姿は消してもその魂はこうして脈々と伝わっているのです。それが歴史です。
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唐王朝に名を馳せた一流のグローバル日本人=故国を二つ持つ阿倍仲麻呂

6世紀末から7世紀にかけて聖徳太子が隋の煬帝に使いを派遣しました。中国文化の摂取が目的である遣隋使の始まりです。以後、300年間にわたり遣隋・遣唐船が十数回往来し、中国のさまざまな文化・思想・制度・宝物を急速に吸収するプロセスを辿ります。日本人にとって、漢詩の伝来、模倣もこのころが最も盛んだったのではないでしょうか。日本最初の漢詩集「懐風藻」が編まれたのは751年、まさに天平文化全盛期のことでした。儀礼の場で詠まれた模倣が中心で独創的な着想に基づく作品はまだ見られないものの、異国の文化を何とかものにしようという意気込みが感じられました。(明治書院「新書漢文大系 7 日本漢詩」(猪口篤志著、菊地隆雄編)から)

「懐風藻」の劈頭の作品が大友皇子(648~672)の「侍宴」(宴に侍す)。

皇明光日月      
帝徳載天地      
三才並泰昌
万国表臣義



天智天皇の子である大友皇子は、叔父の大海人皇子と争い(壬申の乱)、一敗地に塗れて24歳の若さでこの世を去ります。この作品は「天智天皇の即位礼(668)の後の饗宴で詠まれたものか。現存する最古の日本漢詩」(P5)とあります。続けて「典雅な詠いぶりではあるが類型的であることも否めない。経書『中庸』の語を多く用いる」(同)とやや辛口の評も見えます。しかし、日本人が中国の文化を摂取しようと苦労する姿の一過程であると見れば、なんとも微笑ましい詩ではありませんか(皇子には失礼ですが)。特に難解な言葉も無く、漢字の問題にする必要は無いでしょう。ただ、日本人が詠んだ最古の漢詩として記録にとどめておきます。

さて、本日の本題。阿倍仲麻呂はご存知でしょうか。717年、第八次の遣唐使節団のメンバーに留学生として加わりました。16歳の初な青年です。吉備真備も同乗しています。彼は唐代の科挙に合格するほどの秀才でした。時の皇帝玄宗も彼の才を惜しんで手放すことをしませんでした。帰国を臨みましたが許されず、第十次の遣唐使節団の帰国のメンバーに入りましたが、辞職ではなくあくまで唐王朝からの派遣という捩れた形でした。ときに51歳。その際の経緯を記した詩が「銜命使本国」(命を銜んで本国に使いす)です。


銜命将辞国    命を銜んで将に国を辞せんとするに
菲才恭侍臣    菲才侍臣を恭うす
天中恋明主    天中に明主を恋い
海外懐慈親    海外に慈親を懐う
伏奏違■■    伏奏してキンケツ
騑驂去玉津    騑驂もて玉津に去る
蓬萊■■遠    蓬萊のキョウロ遠く
若木故園隣    若木は故園の隣
西望懐恩日    西望して恩を懐うの日
東帰感義辰    東帰して義に感ずるの
平生一宝剣    平生の一宝剣
留贈結交人    留贈す交わりを結ぶの人に





キンケツ=金闕。天子の宮殿。宮城。宮闕(キュウケツ)とも。この「闕」は「天子のいる所、宮城」の意。禁闕もあり。

キョウロ=郷路。郷里に伝わる道。匡廬ではない。
違り=さ・り。「違る」は「さる」。離れさる、あわない、仲たがいする。表外訓みとして覚えておきましょう。

辰=とき。時刻や日のこと。音読みは「シン」。辰極(シンキョク=北斗星)、辰刻(シンコク=とき、時刻、「たつのこく」と訓めば、今の午前8時および前後2時間)、辰巳(シンシ=南東の方向、たつみ)、辰砂(シンシャ=鉱石の名、赤い絵の具の原料)、辰宿(シンシュク=星のやどる所、星座)、辰星(シンセイ=水星の別名)、辰良(シンリョウ=物事を行うのによいとされる日、吉日)。



【解釈】 天子の命令を受けて唐を出て故国日本に帰ろうとしている。それにしても、これまでも才能に欠けていたこの身をもってかしこくも天子の傍に仕える役をこなすことができたものだ。唐王朝にあって絶大英明なる天子をお慕いする心は格別だが、海外に在す慈悲深き両親を思う心もまた切なるものがある。そこでこの天子に伏してお願いして懐かしい宮城を出て四頭立ての馬車にのって立派な港・蘇州に赴くことができた。故郷日本へ帰る路は遠く、かの太陽が昇るという神木若木、日本は故郷の隣にある。いつか西のかた長安の都を望んでは永年唐で受けた恩を思う日があろうし、東のかた故国日本に帰っては唐で受けた諸君らの義を感ずる時もあろう。そこで私が平素から宝として佩びていた剣を親しく交わった友に贈り、記念として欲しいと思うのである。

この中で「騑驂」は「ヒサン」と読み、「四頭立ての馬車で、外側の二頭の馬のこと」。「そえうま」とも読む。転じて、馬車を牽く馬全般をいう。「玉津」は「りっぱな港」、つまり日本へ向けた舟が出発する蘇州を譬えています。「蓬萊」は中国から見て東にある日本をいう言葉。いつの間にか中国の方を「故園」と称しています。このように仲麻呂にとって故郷、故国は一つではありませんでした。生れてから16年しか住まなかった日本に対して、その後の70年の人生の大半を唐で過ごしたわけで、どちらかというと唐の方が思い入れは大きいでしょう。結局仲麻呂は船が難破して今のベトナムの辺りに遭難。結局、唐王朝に再び使え、日本に足を踏み入れることはありませんでした。


玄宗皇帝の時代は詩の世界で言う「盛唐」です。仲麻呂は王維や李白らとも親交がありました。この作品は唐詩を網羅した「全唐詩」にも採録され、その才たるや世界に誇るべき日本人の一人と言っても言い過ぎではないでしょう。最後の「結交人」とは恐らく王維を指すものと思われます。王維は仲麻呂の送別会で次のような詩を詠んでいます。

「送秘書晁監還日本国」(秘書晁監の日本国に還るを送る)

積水不可極   積水 極むべからず
安知■■東   安んぞ知らん ソウカイの東
九州何処遠   九州 何れの処か遠からん
万里若乗空   万里 空に乗ずるが若し
向国惟看日   国に向かって惟だ日を看
帰帆但信風   帰帆 但だ風に信すのみ
鰲身映天黒   鰲身 天に映じて黒く
魚眼射波紅   魚眼 波を射て紅なり
郷樹■■外   郷樹 フソウの外
主人孤島中   主人 孤島の中
別離方異域   別離 方に異域
音信若為通   音信 若為でか通ぜん





ソウカイ=滄海。
フソウ=扶桑。
若為か=いかでか。



【解釈】 ひろびろとした海はきわめようもない。東の海のさらに東、君の故国のあたりのことなどそうして分かろうか。中国の外の九大州のうちでどこが一番遠いのだろう。君の故国への万里はるかな旅路は、空中を飛んで行くように心細いものだ。故国へ向かってただ太陽を目印として見るばかり。帰途につく船は、ただ風に任せて進むだけ。途中、波間にオオウミガメの甲羅が大空を背景に黒々と見え、大魚の眼の光は波頭を射指すように輝いて紅に光る。君の故郷の木々は扶桑の国のかなたにしげり、その故郷の家のあるじである君は孤島の中に住むことになる。これからお別れしてしまえば、まさしく別々の世界の住人となるのだ。便りもどうして通わせることができようぞ。(以上、石川忠久氏編の「漢詩をよむ 王維一〇〇選」(NHKライブラリー))

秘書監(宮中の蔵書を管理する役所の長官)は仲麻呂のことです。「晁」とは「晁衡」の略で仲麻呂の中国名です。王維は日本のことをかなりおどろおどろしいものとして描写しています。これは当時の中国人の日本観だったのでしょう。黒々とした得体のしれない海のさらに東にある国。途中にはオオウミガメや奇怪な魚がいる。蔑みすら感じられます。おい友よ、そんな不気味なところに帰るなんてバカなことはおよしよ。とでも茶化し気味に別れを惜しんでいる。それほど気心の知れた異国の友だったのでしょう。グローバル時代のいまでこそ当たり前の交流かも知れませんが、1200年以上も前の渡航技術もままならない日本では稀有なる人でした。いまでいう国際人の「魁」とも言えましょう。こうした人材こそどんどんと育て世界に送り出していかなければいけないと思います。

ブッポーソーと啼くのは仏法僧なの?=空海の悟り

やっぱ漢詩。日本人の漢詩を味わいましょう。そもそも、いわゆる「漢詩」なる言葉は中国人が編み出したわけではありません。いや、元来、漢詩と言えば「漢代」の詩のことを指しています。この時代はむしろ「賦」が全盛期であり、「詩」はその他の文体の一つでした。その後、唐代に全盛期を迎えたと言っていいですが、それは「詩」です。敢えて漢詩などという人は誰もいなかったでありましょう。漢字と共に詩が日本に輸入されて、それが「漢詩」と銘打たれた。つまり、「漢字で綴った詩」のこと。それが日本国の知識人の間で熟れて行く中で「中国ふうの詩」や「からうた」と呼ばれるようになります。和歌に対する呼称です。

大陸(中国)文化の伝来の中でも最大の影響力を与えた文字であるところの漢字。日本人が平仮名を編み出したのも漢字があってのことです。音声としての言葉はあったもののオリジナルな文字は持っていなかった。陸機が「文賦」を書くことができたのも文字を持っていたからです。日本人がその思いを書きとどめることができたのも文字を得たからです。言い換えれば、文字を持つ以前の思いは何処にも記録が無い。つまり、思いが「存在」しなかったとしか言いようがないのです。その文字を使った文章の表現方法の一つに漢詩がありました。

このblogでテキストとすることの多い、お馴染みの明治書院「新書漢文大系」シリーズにも「7 日本漢詩」(猪口篤志著、菊地隆雄編)があります。その冒頭に掲げた「日本漢詩について」(同書P3~4)によると、漢詩は「漢字の特性を最大限に生かした芸術である。もとよりその主な作者は中国人である」との基本定義が示されています。そして、日本では「いくつかの高まりをみせながら長い間作られ続け、日本の時事や日本人の心情を映す重要なジャンルであった」といい、続けて「それが正当な評価を受けてこなかったとは昨今よく言われるところである」。

時折しもNHK大河ドラマ「龍馬伝」が放送されていますが、幕末の勤王志士や佐幕派の武士たちはいずれも教養として漢詩を詠んで残しています。「文学的には価値が劣る」との評価もあるのはやむを得ないところですが、時代が大きく動いた中で迸った日本人の魂の叫びが投影されているとも言え、読む者の胸を打ちます。そして、同書は「今や日本の漢詩は遠い時代の遺物になろうとしている。こうした時期にこそ優れた作品を読み、漢詩の面白さを再認識し、新たな漢詩の高まりを作ることが求められているのではないだろうか。幕末を扱った小説はよく読まれる。龍馬と共に涙を流し激論した人々の漢詩が、面白くないはずがない」と、日本漢詩への愛情がたっぷりと込められた筆勢で結んでいます。

迂生もそう思います。古人之糟魄を嘗める弊blogはこれまでも日本漢詩を断片的に賞翫してきました。中国との懸け橋でもあるとの思いと共に体系的に味わいなおしてみましょう。さすがに本家本元に比べると「質的」には一枚も二枚も落ちるのは否めませんが、「日本人らしい漢字の詩」として見直すのも乙ではないか。漢字学習にも最適であることはいつものように最後に付記しておきます。

同書は、日本漢詩について、①奈良・平安期②鎌倉・室町期③江戸期④明治維新後――の4つの時代区分で概観しています。

まずは①奈良・平安期。一発目は空海の「後夜聞仏法僧鳥」(後夜仏法僧鳥を聞く)。「性霊集」に所収されている作品です。七言絶句。さすがに仏教臭が芬々とします。


閑林ドクザす草堂の暁

サンポウの声一鳥に聞く

一鳥声有り人心有り

声心雲水俱にリョウリョウ


閑林■■草堂暁

■■之声聞一鳥

一鳥有声人有心

声心雲水俱■■








ドクザ=独坐。ただひとりで座っている。転じて、おごり高ぶっていて相手にしないこと。ここはもちろん前者の意味ですが、空海自身が俗世に塗れた後者の気持ちを持つことを戒めている含意もあるかもしれません。「独~」の熟語では、独往(ドクオウ=俗人とつれずに、ひとりで行く)、独擅(ドクセン=ひとりでほしいままにする)、独擅場(ドクセンジョウ=その人だけが活躍する場所、ひとり舞台、「擅」を「壇」と誤りが流布して、俗に「ドクダンジョウ」(独壇場)とも読むようになりましたが、これは覚えない方が賢明でしょう。お里が知れますよ。独知之契(ドクチのケイ=相手に知らせないで、自分だけがそのつもりになっていること)、独酌(ドクシャク=ひとりで酒を飲むこと、独侑=ドクユウ=)、独楽(ドクラク=自分一人でたのしむ、ただそれだけをたのしむ、日本の熟字訓では「こま・こまつぶり」)。独立不慚于影(ドクリツするもかげにはじず=ひとりでいても、他人に見られて恥かしいような振る舞いはしない、「影」は「自分の影」)、独活(ドッカツ、うど=ウコギ科タラノキ属の多年草)、独行(ドッコウ=ひとりでいく、自分の考え通りに行う、他人の力をかりないで自分の力だけで行う)、独歩(ドッポ=他に匹敵する者がないほどすぐれた者、ひとりで歩く、他人の助けを借りないで自分一人で行う)。

サンポウ=三宝。仏教の世界で得難い大切な三つの物ということで、仏・法・僧をいう。また、孟子では大切にすべき三つの事物として「世の中を治めるさいの土地・人民・政治」をいい、老子では「生きていく時に慈悲深いこと、倹約すること、でしゃばらないこと」をいう。いずれも「三方、三法、三報、三峰」ではないので要注意。大事な大事な「たから」です。

リョウリョウ=了了。あきらかではっきりしているさま。瞭瞭でもいいかもしれません。了恕(リョウジョ=事情に同情してゆるす、了当(リョウトウ=すっかりおわる、完了する)。



【解釈】 静かな林の中、暁の草堂の中に独り座っていると、どこからともなく仏法僧、仏法僧と鳴く鳥の声が聞こえてくる。鳥は無心に鳴いているが、人には感ずる心があって、何ともありがたく思われる。この鳥の声と人の心とが感応し、またこの霊山の雲水と融け合って、一切真如の実相が明瞭に感得されるのである。

場所は高野山。詩題にある仏法僧は「コノハズク」。「ブッポーソーと啼くと思われていたが、実際にそう啼くのはコノハズクだと分かり、“姿の仏法僧”と呼ばれている」(漢検漢和辞典)とあります。いわゆる「ブッポウソウ」と呼ばれる鳥は別にいて夏鳥として渡来し、林に住む。「ギャーギャー」「ゲッゲッ」とうるさく鳴く。空海は霊山である高野山に籠り、コノハズクの鳴き声があたかも、「仏宝」(釈迦)、「法宝」(釈迦の教説)、「僧宝」(僧侶)と語らいかけて来るかのように聞こえたのでしょう。

以前、漢検1級の試験を受けたとき明治期のジャーナリスト、紀行文家の遅塚麗水の「幣袋」のが文章題に出題され、仏法僧が鳴くシーンが登場していたのを思い出しました(既にして思案駕籠に載せられて来る、共に浴室に赴く、大釜を浴地となす、膝を抱いて坐するも湯は腰の没するに過ぎず、竹筧水を引いて槽に落す、濺々として縷のごとし、僅かに塵垢を洗ひ去りしといへども、既に浄地に在りて心身自から清和、雛僧、膳を進む、豆腐、椎茸、芋、筍子、而も調味の妙を見る、一陶の盤若湯を乞うて而る後飯す、思案は別に粥を求めて啜る、太静、太寂、相対して隻語なし、山気水のごとく座に入り来る、人間は今や盛暑、山中既に秋意の浩蕩として動くを覚ゆ、共に衾を擁して臥す、障子を隔てゝ前栽の筧水鳴りて琴筑の如し、夜闌けて夢覚むれば、仏前に経を読むの僧あり、磬を打つ余韵嫋々として低迷す、起つて障子を推せば月正に天心、中庭白うして水のごとく、岫雲凝つて流れず、風樹も亦た声を収む、夜気陰森のうちに彷彿として仏法僧の啼くを聞く、端りなく上田秋成の雨月物語にあるところ仏法僧の文を想ひて、結跏して禅を修すれば心境一致、寂莫して寤寐の中に在ること幾時かを知らざりき、
)。

さらに、斎藤茂吉の小説に「仏法僧鳥」というのがあり、「運好くば聴ける、後生の好くない者は聴けぬ。それであるから、可なり長く高野に籠つたものでも、つひに仏法僧鳥を聴かずに下山する者の方が多い。文人の書いた紀行などを読んでも、この鳥を満足に聴いて筆をおろしたものは尠いのであつた。」(青空文庫)とある。ブッポウソウ、もといコノハズクの鳴き声をリンクしておきます(仏法僧の鳴き声)。確かに「ブッポーソー」って啼いてますね。上田秋成の「雨月物語」にも「仏法僧」が登場すると遅塚が言っています。いつか探してみましょうか?

いずれにしましても、斎藤茂吉も遅塚も上田秋成も、そして空海も聴いたという「ブッポーソー」の鳴き声の持ち主は木の葉木菟(コノハズク)なのです。

Twitterよりもっと文章を…=陸機「文賦」番外編5・完

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の番外編の五回目です。

▼…夫の応感の会、通塞の紀の若きは、来れども遏む可からず、去れども止む可からず。蔵るること景の滅ゆるが若く、行くこと猶お響きの起こるがごとし。天機の駿利なるに方たりては、夫れ何の紛たるとして理まらざる。思いは風のごとくに胸臆に発し、言は泉のごとくに脣歯に流る。紛として威蕤として以て馺遝たり、唯ゴウソの擬する所なり。文は徽徽として以て目に溢れ、音は泠泠として耳に盈つ。(第二十一回

▼…其の六情底滞し、志往き神留まるに及びては、兀たること枯木の若く、豁たること涸流の若し。営魂を攬りて以て賾きを探り、精爽を頓めて自ら求む。理はエイエイとして愈々伏し、思いは乙乙として其れ抽きいずるが若し。是を以て或いは情を竭くして悔い多く、或いは意に率いて尤寡なし。茲の物の我に在りと雖も、余が力の勠わする所に非ず。故に時に空懐を撫して自ら惋む、吾未だ夫の開塞の由る所を識らず。(第二十二回

▼…伊れ茲の文の用為る、固より衆理の因る所なり。万里を恢いにして閡無く、オクサイに通じて津と為る。俯しては則を来葉に貽し、仰ぎては象を古人に観る。文武を将に墜ちんとするに済い、風声を泯びざるに宣ぶ。途遠きとして弥らざる無く、理微として綸めざる無し。霑潤を雲雨に配し、変化を鬼神に象る。金石に被らしめて徳広く、管絃に流して日に新たなり。(第二十三回

以上、陸機の「文賦」でした。これ以上は諄諄と申し上げません。人間として生を享けた証として自分の思いをどんどん文章にしようではありませんか。ま、Twitterもいいけどね……。

陸機「文賦」番外編4

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の番外編の四回目です。

▼…或いは理を遺てて以て異を存し、徒に虚を尋ねて以て微を逐う。言は情寡なくして愛鮮なく、辞は浮漂して帰らず。猶お絃の么にして徽の急なるがごとし、故に和すと雖も悲しからず。或いは奔放して以てカイゴウし、務めて嘈囋として妖冶たり。(第十六回

▼…徒に目を悦ばせて俗に偶するも、固より高声なれども曲下る。防露と桑間とを寤る、又悲しと雖も雅ならず。或いは清虚にして以て婉約、毎に煩を除きて濫を去る。大羹の遺味を闕き、朱絃の清氾なるに同ず。一唱してサンタンすと雖も、固より既に雅にして豔ならず。(第十七回

▼…夫の豊約の裁、フギョウの形の若きは、宜に因り変に適い、曲さに微情有り。或いは言は拙にして喩は巧みなり。或いは理は朴にして辞は軽し。或いは故きに襲りて弥々新たにして、或いは濁れるに沿りて更に清し。或いは之を覧て必ず察し、或いは之を研きて後に精し。譬えば猶お舞う者の節に赴きて以て袂を投じ、歌う者の絃に応じて声を遣るがごとし。是蓋し輪扁の言うを得ざる所にして、故より亦華説の能く精しくする所に非ず。(第十八回

▼…辞条と文律とを普くするは、良に余が膺の服する所なり。世情の常の尤を練い、前脩の淑しとする所を識る。濬く巧心に発すと雖も、或いは「山+欠」いを拙目より受く。彼のケイフと玉藻とは中原の菽有るが若し。橐籥の窮まり罔きに同じく、天地と並び育す。(第十九回

▼…此の世に紛藹すと雖も、嗟予が掬に盈たず。挈缾の屢々空しきを患い、昌言の属り難きを病む。故に短垣に踸踔し、庸音を放ちて以て曲を足らす。恒に恨みを遺して以て篇を終う、豈盈を懐いて自ら足れりとせんや。塵をに叩くに蒙るを懼れ、顧て笑いを鳴玉に取る。(第二十回

陸機「文賦」番外編3

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の番外編の三回目です。

▼…或いは仰ぎて先条に逼り、或いは俯して後章を侵す。或いは辞害ありて理比び、或いは言順にして義妨ぐ。之を離せば則ち双びに美しく、之を合わすれば則ち両つながら傷る。殿最を錙銖に考え、去留を毫芒に定む。苟くもセンコウの裁する所ならば、固より縄に応じて其れ必ず当たる。(第十一回

▼…或いは文繁く理富めども、意指適せず。極まりて両致無く、尽きて益す可からず。片言を立てて要に居らしむれば、乃ち一篇のケイサクなり。衆辞の条有りと雖も、必ず茲を待ちて績を効す。亮に功多くして累寡なし、故に足るを取りて易えず。(第十二回

▼…或いは藻思綺のごとくに合い、清麗千眠たり。炳たることジョクシュウの若く、悽たること繁絃の若し。必ず擬する所の殊ならざれば、乃ち闇に曩篇に合す。予の懐に杼軸すと雖も、佗人の我に先んずるを怵る。苟くも廉を傷りて義に愆えば、亦愛むと雖も必ず捐つ。(第十三回

▼…或いは苕のごとくに発し穎のごとくに豎ち、衆を離れ致すを絶つ。形は逐う可からず、響きは係を為し難し。塊として独り立ちて特り峙ち、常音の緯する所に非ず。心牢落として偶無く、意ハイカイして揥る能わず。石玉を韞みて山輝き、水珠を懐きて川媚し。彼の榛楛の翦ること勿きも、亦栄を集翠に蒙る。下里を白雪に綴るも、吾亦彼の偉とする所を済す。(第十四回

▼…或いは言を短韻に託し、窮迹に対して独り興る。俯しては寂莫として友無く、仰ぎてはリョウカクとして承くる莫し。偏絃の独り張るれるに譬う、清唱を含めども応ずる靡し。或いは辞を瘁音に寄せ、徒に言を靡にして華ならず、妍蚩を混じて体を成し、良質を累ねて瑕を為す。(第十五回

陸機「文賦」番外編2

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の番外編の二回目です。

▼…澄心を罄くして以て思いを凝らし、衆慮を眇かにして言を為す。天地を形内に籠め、万物を筆端に挫く。始めは燥吻にテキチョクし、終には濡翰に流離す。理は質を扶けて以て幹を立て、文は条を垂れて繁を結ぶ。信に情貌の差わざる、故に変ずる毎に顔在り。思い楽しみに渉れば其れ必ず笑い、方に哀しみを言いて已に歎く。或いは觚を操りて以て率爾たり、或いは毫を含みて邈然たり。(第六回

▼…伊れ茲の事の楽しむ可き、固より聖賢の欽む所なり。虚無に課して以て有を責め、寂寞を叩きて音を求む。綿邈を尺素に函み、滂沛を寸心に吐く。言之を恢いにして弥広く、思い之を按じて逾々深し。芳蕤の馥馥たるを播き、青条の森森たるを発す。粲として風のごとくに飛びて猋のごとくに豎ち、鬱として雲のごとくにカンリンに起く。(第七回

▼…体に万殊に有り、物に一量無し。紛紜キカクとして、形状を為し難し。辞は才を程りて以て伎を効し、意は契を司りて匠と為る。有無に在りて僶俛し、浅深に当たりて譲らず。方を離れて員を遯ると雖も、形を窮めて相を尽くすを期す。故に夫の目に夸る者は奢を尚び、心に愜う者は当を貴ぶ。窮を言う者は隘なること無からんや、達を論ずる者は唯曠し。(第八回

▼…詩は情に縁りて綺靡たり、賦は物を体してリュウリョウたり。碑は文を披きて以て質を相け、誄は纏綿として悽愴たり。銘は博約にして温潤、箴は頓挫して清壮なり。頌は優遊として以て彬蔚、論は精微にして朗暢たり。奏は平徹にして以て閑雅、説は煒曄にして譎誑たり。区分の茲に在りと雖も、亦邪を禁じて放を制す。辞達して理挙らんことを要す。故に冗長を取る無し。(第九回

▼…其の物為るや姿多く、其の体為るや屢屢遷る。其の意を会するや巧みなるを尚び、其の言を遣るや妍を貴ぶ。音声の迭いに代わるに曁びては、五色の相宣ぶるが若し。逝止の常無く、固に崎として便じ難しと雖も、苟に変に達して次を識らば、猶お流れを開きて以て泉を納るるがごとし。如し機を失いて会に後るれば、恒に末を操りて以て顚に続く。ゲンコウの袟敘を謬り、故に淟涊として鮮やかならず。(第十回

陸機「文賦」番外編1

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)は番外編として続行します。改めて訓み下し文のみ掲載、これはという言葉だけ漢字問題としておきます。全23回を小分けにしましょう。読めない言葉や意味不明のくだりはそれぞれの回に戻って復習しておきましょう。文賦という名文は何度も何度も搦手からでも玩わうのがお得。漢字学習はもちろん、文章の達人にもなれます。中国の古典にも造詣が深くなりますよ。兎に角お得。お得の一語です。

「文賦」(陸機)

▼…余才子の作る所を観る毎に、窃かに以て其の用心を得る有り。夫れ言を放ち辞を遣るは、良に変多きも、ケンシ好悪は、得て言う可し。自ら文を属る毎に、尤け其の情を見る。恒に意は物に称わず、文は意に逮ばざるを患う。蓋し知ることの難きに非ずして、能くすることの難きなり。故に文の賦を作りて、以て先士の盛藻を述べ、因て文を作るの利害の由る所を論ず。佗日に殆ど其の妙を曲尽すと謂う可し。斧を操りて柯を伐るに至りては、則を取ること遠からずと雖も、夫の手に随うの変の如きは、良に辞を以て逮び難し。蓋し能く言う所の者は、此に具うと云う。(第一回

▼…中区に佇みて以て玄覧し、情志を典墳に頤う。四時に遵いて以て逝くを歎き、万物を瞻て思い紛る。落葉を勁秋に悲しみ、柔条を芳春に喜ぶ。心懍懍として以て霜を懐い、志眇眇として雲に臨む。世徳の駿烈を詠じ、先人のセイフンを誦す。文章の林府に遊び、麗藻の彬彬たるを嘉す。慨として篇を投じて筆を援り、聊か之を斯文に宣ぶ。(第二回

▼…其の始めたるや、皆視を収め聴を反し、思いに耽り傍々訊う。精は八極に騖せ、心はバンジンに遊ぶ。其の致れるや、情曈曨として、弥鮮やかにして、物昭晣として互いに進む。群言の瀝液を傾け、六芸の芳潤に漱ぐ。天淵に浮かびて以て安流し、下泉に濯ぎて潜浸す。(第三回

▼…是に於て沈辞は怫悦として、遊魚の鉤を銜みて重淵の深きより出ずるが若く、浮藻はレンペンとして、翰鳥の繳に纓りて曾雲の峻きより墜つるが若し。百世の闕文を収め、千載の遺韻を採る。朝華を已に披けるに謝し夕秀を未だ振るわざるに啓く。古今を須臾に観、四海を一瞬に撫す。(第四回

▼…然る後義を選びて部を按じ、辞を考えて班に就く。景を抱く者は咸叩き、響きを懐く者は畢く弾ず。或いは枝に因りて以て葉を振るい、或いは波に沿いて源を討ぬ。或いは隠に本づきて以て顕に之き、或いは易きを求めて難きを得。或いは虎変わりて獣擾れ、或いは竜見れて鳥瀾る。或いはダチョウにして施し易く、或いは岨峿して安からず。(第五回

「配霑潤於雲雨 象變化乎鬼神」のごとく変幻自在な文章を書くべし=陸機「文賦」23・完

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の23回目、長かった文章読本も愈々オーラスです。自分の思いだけでもダメ、古人の文章を手本に真似していい部分と反面教師とするべき部分を見極めて生かす。そして、オリジナルなものを生み出す。それを言葉にして後世のために残す。そうやって人類が歴史を繋いでいくことが大事であると陸機は言います。

伊れ茲の文の用為る、固より衆理の因る所なり。万里を恢いにしてア)無く、1)オクサイに通じて津と為る。俯しては則を来葉にイ)し、仰ぎては象を古人に観る。文武を将に墜ちんとするに済い、風声をウ)びざるに宣ぶ。途遠きとしてエ)らざる無く、理微としてオ)めざる無し。2)テンジュンを雲雨に配し、変化を3)キシンに象る。金石に被らしめて徳広く、管絃に流して日に新たなり。

1)オクサイ=億載。一億年、非常に長い年月のこと。「載」は「年」。千載(センザイ・センサイ=千年、ちとせ)、万載(バンサイ=万年、よろづよ)。

2)テンジュン=霑潤。ひたひたと一面に濡らすこと、湿らすこと。「霑」も「潤」も「うるおう」「うるおす」。均霑(キンテン=平等にうるおう、ひとしく利益を受ける、ひとしく利益を与える)、霑汗(テンカン=にじみ出た汗)、霑濡(テンジュ=びっしょりぬれる、恩恵を受ける)、霑酔(テンスイ=全身にしみわたるほど酔う)、霑被(テンピ=うるおう、うるおす、恩恵をこうむる、恩恵をほどこす)、霑露(テンロ=つゆ、また、つゆにぬれる)。潤膩(ジュンジ=うるおいがあってなめらかなこと、潤滑=ジュンカツ=)、潤下(ジュンカ=水の別名)、潤身(ジュンシン=教養を高め、人格をりっぱにする、みをうるおす)、潤筆(ジュンピツ=筆をしめらせる、書画をかくこと、書画の書き賃で生活すること、揮毫料=キゴウリョウ=)。

3)キシン=鬼神。目に見えない、人間離れしたすぐれた能力を持つ神霊。

ア)閡=かぎり(ガイ)。「とざす」。戸を閉める、つっかえ棒をしてとびらをしめる。「垠」と同義。

イ)貽し=のこし。「貽す」は「のこす」。あとにのこす。「おくる」の訓みもあり。音読みは「イ」。貽訓(イクン=祖先が子孫のためにのこした教え、遺訓)、貽厥(イケツ=子孫、詒厥とも)、貽謀(イボウ=よい計画を子孫に残す、また、その計画)。

ウ)泯び=ほろび。「泯びる」は「ほろびる」。ほろんでなくなる、尽きてなくなる。音読みは「ビン」。泯然(ビンゼン=ほろびるさま、はっきりしないさま)、泯泯(ビンビン=おろかで道理にくらいさま、水の清らかなさま、ほろんでなくなるさま、乱れて見分けがつかないさま)、泯没(ビンボツ=ほろびる、なくなる)、泯滅(ビンメツ=ほろんでなくなる、泯絶=ビンゼツ=、泯尽=ビンジン=)、泯乱(ビンラン=道徳や秩序が乱れる)。

エ)弥ら(ざる)=わたら(ざる)。「弥る」は「わたる」。端まで届く意から転じて、A点からB点までの時間や距離を経過する。音読みは「ビ(ミ)」。弥天(ビテン=空の端から端まで一面、満天、志が高遠なさま)、弥漫(ビマン=一面に広くはびこる)、弥綸(ビリン=あまねくおさめる)、弥歴(ビレキ=月日がたつ)。

オ)綸め=おさめ。「綸める」は「おさめる」。この訓みは手元の漢和辞典(学研の漢字源)には載っていません。漢検漢字辞典の意味欄の②に「おさめる。つかさどる」があり、経綸(ケイリン)が用例にあります。やや特殊な訓みか。音読みは「リン」。「いと」「おびひも」とも訓む。綸言(リンゲン=天子のことば、みことのり、詔勅、綸音=リンイン=、綸旨=リンジ=)、綸言如汗(リンゲンあせのごとし=汗が出たらもどらないように、天子が一度発したことばは、とりけすことができないこと)、綸子(リンズ=地が厚く、つやのある絹織物)、綸綍(リンフツ=青いおびひもと、ひつぎを引く太い綱、転じて、詔勅を指す、「礼記」緇衣篇の「王言如綸、其出如綍」が出典、「綍」(フツ)は「おおづな、太い綱」)。


伊茲文之為用,固衆理之所因。恢萬里而無閡,通億載而為津。俯貽則於來葉,仰觀象乎古人。濟文武於將墜,宣風聲於不泯。塗無遠而不彌,理無微而弗綸。配霑潤於雲雨,象變化乎鬼神。被金石而廣,流管絃而日新。



【解釈】 そもその文の働きは、様々な道理を表現できることにある。万里の遠くにまで、遮られることなく意を伝え、何万年離れた時代をも、結びつけることができる。後の世に教えを残し、過去の聖賢から手本を受け取ることができる。文王・武王の文化が、地に落ちるのを防ぎ、王者の風教を継いで、滅びないようにする。いかなる高遠な道でも包括できるし、いかなる微妙な理でもきちんとまとめられる。文章の徳は、恵みの雨を降らす雲にも似て、変幻自在な鬼神にも似る。金石に刻めば、徳を広く伝えることができるし、音楽に乗せれば、常に新しく理解されていくのである。

「恢萬里而無閡,通億載而為津」。これこそが文章の最大の効用。時代を越えて、過去と現代が思想や考えを共有するのです。過去と現代の対話とでも言えましょう。お互いが認め合い、お互いが役目を果たし合う。バトンを繋ぐ。「配霑潤於雲雨,象變化乎鬼神」と、文章が恵みの雨であり、あらゆるものに姿を変え得る鬼神だともいう。金石に刻みこめば、徳を伝え、音楽に乗せて語れば、新しいく生まれ変わる。文章の効用は一つではない。生活に根差し、心を豊かにし、人間が人間であることの意味を明らかにしてくれる。動物とは違う存在であることを認識させてくれる。自然に対して畏敬の念は持ちつつも、万物に対して優位性をも示す。それが文章です。陸機がわれわれ現代人に教えてくれる文章に対する思い。これを受け止めて、心の奥底にある自分というものに目覚めようではありませんか。そして、今だから表現できるものを精いっぱい文章にしたためて、後世の未来人に残そうではないですか。たとえそれが「反面教師」であってもわれわれが生を享けて古の先輩から教え導いてもらった「恩返し」ではないでしょうか。人類というラインに生きることの証ではないでしょうか。ひとまず文賦の本篇は終わりますが、次回以降且く「番外編」として続けようと思います。折角の名美文です。勿体無いですよね。

「雖茲物之在我 非餘力之所戮」―文章は自ら制御できず=陸機「文賦」22

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の22回目です。

其の1)リクジョウ底滞し、志往き神留まるに及びては、2)ゴツたること枯木の若く、3)カツたること涸流の若し。営魂をア)りて以てイ)きを探り、4)セイソウをウ)めて自ら求む。理は5)エイエイとして愈々伏し、思いは乙乙として其れ抽きいずるが若し。是を以て或いは情を竭くして悔い多く、或いは意に率いて尤寡なし。茲の物の我に在りと雖も、余が力のエ)わする所に非ず。故に時に空懐を撫して自らオ)む、吾未だ夫の6)カイソクの由る所を識らず。

1)リクジョウ=六情。喜怒哀楽愛悪の人間が持つ六つの感情。≠陸上。「六~」(リク~)の熟語は要注意が多い。六言六蔽(リクゲンのリクヘイ=六つのことばがあらわす六つの害→仁・知・信・直・勇・剛を好んでも学問を好まないならば、愚・蕩(とりとめない)・賊(人や自分をそこなう)・絞(きゅうくつ)・乱(乱暴)・狂(狂気の沙汰)という弊害に陥ると、孔子が子路におしえたことば、論語・陽貨)、六尺之孤(リクセキのコ=十四、五歳で父に死別したみなしご)、六纛(リクトウ=六本の大きな旗、天子や諸侯が軍隊で用いた)、六韜三略(リクトウサンリャク=兵法書)、六花(リッカ=雪のこと→結晶が六角形)、六合(リクゴウ=東西南北上下の六つの方角)、六義(リクギ=「詩経」の詩に見られる三種の詩体、風・雅・頌と、三種の表現方法、賦・比・興とをいう)、六軍(リクグン=天子の軍隊、周代の制度では、一軍は一万二千五百人、天子は六軍で七万五千人をもつ、≠陸軍)、六芸(リクゲイ=君子の教養とされた六つの技芸、礼・楽・射・御(馬車を御す術)・書・数)。

2)ゴツ=兀。高く突き出たさま。突兀(トッコツ=突き出ている)、兀兀(ゴツゴツ=山などの上が高くて平らなさま)、兀坐(コツザ=からだを動かさずにじっとすわっている、ぼんやりとすわる)、兀者(ゴッシャ=足をきる刑を受けて、一本足になった者)、兀然(コツゼン=無知であるさま、自分勝手でおごるさま、孤立して動かないさま、高く突き出ているさま)、兀立(コツリツ=一つだけ高く突き出ている)。

3)カツ=豁。からっとひらけたさま。「ひろい」の意。あけすけであるさま。豁爾(カツジ=ひろびろとひらけたさま、酔いや眠りなどからさめて、さっぱりするさま)、豁如(カツジョ=心がひろくて大きいさま)、豁然(カツゼン=土地などがひろびろとひらけているさま、疑いや迷いが、さらりと解けて物事がはっきりするさま、豁然貫通)、豁達(カッタツ=けしきなどがひろびろとしているさま、心が大きく物事にこだわらないさま)、豁達大度(カッタツタイド=ひろくて大きな度量)、豁然大悟(カツゼンタイゴ=とつぜんさとりをひらくさま、豁悟=カツゴ=)。

4)セイソウ=精爽。心が明るくさわやかである。後に「精神」を指すようにもなる。ここも「精神」の意味に近い。

5)エイエイ=翳翳。物事の本質が奥深くにあって知りにくいさま。もともとは「ほの暗い影の生じるさま」をいう。翳然(エイゼン=かげに隠れたさま、荒れ果ててひっそりしているさま)。

6)カイソク=開塞。開いたりとじたりするさま。開闔(カイコウ)、開閉ともいう。≠楷則、快速、快足、会則。「開~」の熟語では、開筵(カイエン、むしろをひらく=宴会の敷物を広げる、宴席を設けること)、開豁(カイカツ=心が広くて物事にこだわらない、豁達=カッタツ=)、開闊(カイカツ=ひろびろとしている、押し開いて広くする、開廓=カイカク=、開曠=カイコウ=)、開顔(カイガン=表情を明るくする、楽しく笑うこと、開顔一笑=カイガンイッショウ=)、開襟(カイキン=えりをひらく、本心を打ち明けて話すこと、胸襟を開く)、開欠(カイケツ=官吏が職をさる、退職)、開寤(カイゴ=さとりをひらく)、開春(カイシュン=春になる、春の初めごろ)、開霽(カイセイ=雨がやんで、すっかり晴れ渡る)、開拆(カイタク=荒れ地や山野をはじめてきりひらいて田畑をつくる、転じて、これから活動すべき新しい分野・方法を見つけて、その基礎を築くこと)、開龕(カイガン=ふだん閉じておく厨子の戸を開いて仏体をおがませること)、開誘(カイユウ=導いてさとあらせる)、開闢(カイビャク=天地ができた世界のはじまりのとき)、開敏(カイビン=心が広くさとい)、開緘(カイカン=手紙や封印されたものの封を解く、開封)、開物成務(カイブツセイム=世の中の人知を開発し、それによって世の中の事業を成し遂げる、ものをひらきつとめをなす、開成、開務)、開落(カイラク=花が咲くことと散ること、開謝=カイシャ=)、開朗(カイロウ=あけっぱなしで明るい)。

ア)攬りて=とりて。「攬る」は「とる」。集めて手に持つ、とりまとめて持つ、とり集める。音読みは「ラン」。攬筆(ランピツ=筆を手に取る、詩や文を作る、ふでをとる)、収攬(シュウラン=とりまとめる)、承攬(ショウラン=一手に請け負う)。

イ)賾き=ふかき。「賾い」は「ふかい」「おくぶかい」。幽深で、はっきりと見定めにくい。また、そのような道理のこと。音読みは「サク(ジャク)」。「賾」は配当外で部首は「貝」、画数は十九画。玄賾(ゲンサク=おくぶかくて真理が見えないこと)。

ウ)頓め=とどめ。「頓まる」は「とどまる」。ずしんと腰を下ろす、腰をおろして動かない、とんとおく、とんととまる。音読みは「トン」。困頓(コントン=疲れて止まり、動きがとれない)、整頓(セイトン=ととのえて落ち着ける)、頓躓(トンチ=どんとつまずく、つまずいてたおれる、転じて、苦しい境遇におちいること)、「頓」の和訓はおおくあり、「ぬかずく」「とみに」「ひたぶる」「とんと」「ひたもの」。頓挫(トンザ=文章の調子が急に変わってゆるやかになること)、頓萃(トンスイ=苦しむ、また、苦しめる)、頓弊(トンペイ=物がいたんでだめになる)、頓仆(トンボク=どすんと倒れる)。

エ)勠わする=あわする。「勠せる」は「あわせる」。分散した力を寄せ集めて一つにする。音読みは「リク」。「戮」(リク、ころす)にも同様の意味があります。戮力=勠力(リクリョク=協力する)、勠力協心(リクリョクキョウシン=力をあわせ心をそろえる、戮力協心)。

オ)惋む=うらむ。残念がる、もだえて惜しがる。「怨」と同義。惋惜(ワンセキ=残念なことだと惜しむ)、惋恨(ワンコン=残念なことだとうらむ)、惋傷(ワンショウ=嘆き悲しむ、惋嘆=ワンタン=、惋慟=ワンドウ=、惋怛=ワンダツ=)。「惋」は配当外ですが覚えたいところ。


及其六情底滯,志往神留。兀若枯木,豁若涸流。攬營魂以探賾,頓精爽於自求。理翳翳而愈伏,思乙乙其若抽。是以或竭情而多悔,或率意而寡尤。雖茲物之在我,非餘力之所戮。故時撫空懷而自惋,吾未識夫開塞之所由。



【解釈】 反対に、あらゆる感情が鈍り、意志だけ先に進んでも、精神がついてこない状態になると、心は枯木のように動かず、干上がった谷川のように空虚になってしまう。自らの魂をつかんで、心の奥底を探ってみるのだが、文の発想は隠れ去ってしまい、無理に引き出そうとしても出てこない。そういうわけで、ある場合には、情熱を傾けて書いても、不満が残り、ある場合には、意の赴くままに書いても、欠点が無い。文章というものは、自らの手で作るものではあるが、意図的な努力でどうにかなるものではない。そこで、時には空っぽの胸を撫でながら、怨み悲しむこととなる。このように創造力の淵原が開閉する。その原因は、わたしにはまだよく分からない。

「底滞」(テイタイ)は「ふさがって滞ること、停滞」。「底」は「とどまる」とも訓む。「涸流」(コリュウ)は「水が無くなって流れなくなった川」で、ぞの前段の「枯木」(コボク)と対比しています。うつろな状態で生気が無くなるさま。ここでは書きたいという意欲があっても、精神が病んでいると文章が生まれないことを戒めている。営魂(=営魄)、たましいを込めようとしても浮かばない。スランプ……。文章を書く場合は精神の安寧が大切です。ところが、「是以或竭情而多悔,或率意而寡尤」といい、そんな状態で書き上げた文章ではあるが、時には満足することができなかったりするが、かといってさらさら書いた割には失敗も無くうまいこと行く場合もあったりする。意図していい文章を書こうとしてもその通りにはならないし、勝手に名文ができ上がったりもする。陸機は半ばあきらめ気味に「吾未識夫開塞之所由」と、文章を思い通りに制禦なんてできないと言っております。さぁ、いよいよ次回最終回です。いい文章を索めるべく、最後まで気を引き締めましょう。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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