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駄弁るだけの冗員は切るのみ!=王融「永明十一年、策秀才文五首」2

中国名文を囓んで玩わうシリーズは、南朝斉の王融が作成した「永明十一年、策秀才文五首」(永明十一年、秀才に策する文 五首=明治書院発行「新書漢文大系35 文選<文章篇>」)の2回目です。本日のお題は余剰官員の整理。古くて新しい問題です。現代日本ならさしずめ公務員制度改革ですね。さぁ、枝野行政改革担当大臣、どう答える?

【2】
又問う。惟れ王の国を建つるや、惟れ典(つね)に官に命ず。上は星象(セイショウ)に叶い、下は川岳に符(かな)う。必ず1)テンシャク具に脩まり、人紀ア)く事あるを待ちて、然る後才に「氵+公」(よ)りて職を授け、務めをイ)りて司を分かつ。是を以て五正朱宣に置きて、下民忒(たが)わず。2)キュウコウ黄序に開きて、庶績其れ凝る。周官三百、漢位兼ね倍す。ウ)を歴て以降、游惰エ)に繁し。若し閑冗オ)く弃(す)つれば、則ち3)オウギ已むこと無く、カ)冕笏澄まずんば、則ち坐談弥々積まん。何の則か脩む可き。善く其の対を詳らかにせよ。

1)テンシャク=天爵。人が定めた位・名誉である「人爵」に対して、天から授かった爵位。つまり、自然に備わった人徳のこと。

2)キュウコウ=九工。中国古代の国務大臣の総称。大人は司空(総理)以下、九人いた。九官(キュウカン)ともいい、後に九卿(キュウケイ)と呼ぶようになった。

3)オウギ=横議。道理にはずれて勝手な議論をすること、また、そうした議論。「横」には「わくをはみ出る、道理に従わず勝手である、異常で無茶なさま」との意味がある。

ア)咸く=ことごと・く。おしなべて皆。「咸」は「みな」とも訓む。

イ)揆り=はか・り。「揆る」は「はかる」。はかりごと、計画の意。百揆(ヒャッキ=もろもろの計画、国の政治)、首揆(シュキ=国の計画を主宰する宰相)、揆度(キタク=全体をおしはかる、揆測=キソク=)、一揆(イッキ=程度、種類、方法などが同じであること)。

ウ)茲=ここ。「ここに」「これ」「この」とも訓む。音読みは「シ」「ジ」。「しげる」との訓みもある。今茲(コンジ=今年)。

エ)寔に=まこと・に。本当に。音読みは「ショク」。

オ)畢く=ことごと・く。全部、もれなく。「ことごとく」はほかに、「悉く、咸く、侭く、儘く、尽く、殄く、殫く、竭く、悉尽」。「つくす」「おわる」「おわんぬ」とも訓み、音読みは「ヒツ」で、熟語は畢業(ヒツギョウ=卒業)、畢竟(ヒッキョウ=要するに)、畢世(ヒッセイ=一生涯を掛けて、畢生)、畢命(ヒツメイ=死ぬこと、命の限り)、畢力(ヒツリョク=熱心に努力すること)。

カ)冕笏=ベンコツ。官僚をいう。「冕」は「官僚の着ける礼装のかんむり」で、「笏」は「官僚が天子に拝謁する際に持つ板(日本ではシャク、さく)」。いずれも官僚の代名詞、否、代“名刺”。冕者(ベンシャ=官僚)、冕服(ベンプク=官僚の制服)、冕旒(ベンリュウ=かんむりの前後に垂れ下げる飾りの連珠)、袞(衮)冕(コンベン=袞服と、飾り玉のある下げてある礼装用のかんむり、あるいはその総称、高級官僚そのもの)。

(解釈)また問う。王者が建国した場合、賢良に命じて官職を任じる。その職は、上は天にある星辰に適合し、下は地にある川や山に符合するものまでさまざまであるが、必ず仁義忠信の天爵がすべてそなわり、人の守るべき綱紀もすべて実践されるのを待って、その後初めてそれぞれの才能にふさわしい官職を授け、任務を勘案して職司を分かち与えるものである。かくして金天氏少昊は五正の官を置いて人民は道に違わず、帝舜は九官を開き設けて多くの功業が成った。ところが、周代で300あった官職が、漢代になってほとんどその二倍に膨れ上がった。そしてこれ以降、現在に至るまで遊び怠ける役立たずの官僚が大層増えてしまった。もしも無益な官職や余剰人員をのこらず廃棄したならば、(既得権益者たちが)勝手な議論を囂囂と噴出させてやまないだろう。かと言って、閑職冗員を整理しなければ、それこそ仕事もしないで無駄なおしゃべりの類ばかりがいよいよ盛んになるであろう。どのような方策を取ればよいものか、諸君は詳しくこの問いに奉答せよ。

必要かどうかの吟味を仔細にすること無く、徒に「仕事」を増やして、官僚の数を増やす。ポストあって責任なし――。かつての日本の霞が関と同じですなぁ。

それにしてもキャリア官僚の給料高いですよ~。若い頃はそうでもないけれども、本省の課長クラスで幾らもらっているかご存知でしょうか?リアル数字は敢えて出しませんがとんでもない高給取りですよ。しかも、再就職、年金……リタイアしてからがまた手厚いことこの上なし。人事院勧告制度が間違っています。民間賃金に準拠しているというのですが、この「民」が曲者。所謂、大企業をベースとしている。これじゃあ、「世の中」の実態を正確に表していないですよね。とにかく恵まれ過ぎ。

それに比して彼らの仕事内容と言えば、愚にもつかない補助事業を創設して地方自治体を手懐けるばかり。将たまた国会議員を籠絡して思うがままの「金」を操る仕組みを画策する……。なかには高邁な理想を掲げて切瑳琢磨している若手官僚もいますが、 競争意識の無い“安住の地”で次第に腐っていくのが目に見えている。

政治家も同じです。衆議院、参議院の議員数は多過ぎやしませんか?日本のような狭い国土に比して明らかに冗員だ。高い報酬払ってまで隈無く地域の代表なんて必要があるのでしょうかね。

することがなくて駄弁っているだけの無駄な役人は切るべし。それしかないでしょ。無暗に切れないなら家族が路頭に迷うわない程度にまで給料を下げるべきでしょ。
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秀才よ、危機を乗り越える策を考えてくれ…=王融「永明十一年、策秀才文五首」1

明治書院発行の「新書漢文大系35 文選<文章篇>」を読んでいたら、皇帝が官吏候補として人材登用を図る際に出題する問題文が出ていました。それが南朝斉の王融(467~493、字は元長)が作成した「永明十一年、策秀才文五首」(永明十一年、秀才に策する文 五首)。後の隋代に始まる官吏登用試験、「科挙」に通じる「原型」のなのでしょう。

諮問調の文章で、政治問題を取り上げてその解決策を自由に答えさせるものですが、現代社会でも立派に通用する難問ぞろい。時の皇帝が握髪吐哺、一饋十起ならぬ、人材を真剣に求めていた姿が髣髴とします。斯くも皇帝は日夜、難局を克服するため課題に向き合っていたのですね。

翻って、日本の政治家。彼らも選挙に出ることばかり考える前に、これらの問題について深く考察させてから、答えをまとめた者だけを候補者とした方がいいのではないかと思えますね。「被選挙権」はだれでも平等に在る権利ですが、その任に堪えるかどうかは別問題。義務も祁いにこなさなければならない。出られるから出るというのでは単なる子供にすぎない。別の人気があれば選挙民を瞞すことは簡単。しかし、政治家は人気じゃない。弁舌じゃない。顔じゃない。美人過ぎるかどうかじゃない。基礎問題を積み重ねた応用問題が解けて、その上で、その解答を実行に移せるかどうか。深い洞察力。迅速な決断力。果断な行動力。あらゆる面で実力が問われるのです。簡単に選挙になんか出られるものではない。出られるけど出ないのが大人なんです。

王融は当時の大貴族、王氏の家に生まれ、幼少期より文才があり神童とうたわれ、皇帝の信頼も厚かった。ところが、斉の武帝の跡継ぎに竟陵王蕭子良を立てようと謀って失敗。鬱林王蕭昭業が位に即くと死を賜りました。享年27歳の若さでした。可惜才ある若者の早過ぎる死でした。

弊blogでは中国名文シリーズを敢行していますが、新シリーズとして、この難問5題を順次味わうことといたしましょう。文章としても格調の高い一品。そして、単に文章として味わうのみならず、その解答を現代日本の政治問題に置き換えて考えてみるのもいいでしょう。その代わり「正解」はないですよ。んなもんあったら、鳩山首相に成り代わってこの国の政治を動かせますよ。

まずは第一問。そのテーマはずばり「経済・農業の振興策」。「秀才」は筆記の一次試験に合格している者。いわば配属をどこにするかを決めるため、論文・面接の二次試験を受けさせて適性を見極めようというのでしょう。
おっと、漢字の問題も忘れずに……。

【1】
秀才に問う。朕ア)をイ)り天に御し、枢を握り極に臨む。五晨空しく撫(したが)い、九序未だ歌わず。政を明台に思い、道を宣室に訪うに至りて、墜つるが若きウ)み毎に勤め、傷つくるが如きの念い恒に軫(めぐ)る。故に貧をエ)み賦を緩くし、徭を省き獄を慎む。幸いに四境慮り無く、三秋式(もっ)て稔りあり。而うして黍多く稌(いね)多きも、両穂の謡を興さず。褐無く衣無く、必ず七月の嘆きをオ)つ。豈政を布くこと未だ優ならざるか。将た1)ヒミン業を難んずるか。爾を朝に登(あ)げ、是に宏議を属す。心を同じうし、以て厥のカ)を匡さざること罔かれ。

1)ヒミン=罷民。つかれた人民。「罷れる」は「つかれる」。

ア)籙=ロク。未来を予言した文。予言書。未来記。権力の象徴であった。讖(シン)。胡籙(コロク=やなぐい。矢を入れる道具)というのもある。

イ)秉り=と・り。「秉る」は「とる」。権力を握ること。音読みは「ヘイ」。秉燭夜遊(ヘイショクヤユウ=人生を享楽的に過ごすこと)、権秉(ケンペイ=権柄)、秉彝(ヘイイ=天から与えられた正しい道を守ること、秉夷)、秉権(ヘイケン=権力を握る)。

ウ)惻み=いた・み。「惻む」は「いたむ」。いつも心について離れない、ひしひしと心に迫る。音読みは「ソク」。「惻隠之心、仁之端也」(孟子・公上)。

エ)恤れみ=あわ・れみ。「恤れむ」は「あわれむ」。気の毒な人に思いをめぐらす。音読みは「ジュツ」。恤民(ジュツミン=たみをあわれむ)、恤兵(ジュッペイ=金品を贈って出兵兵士を慰問する)。

オ)盈つ=み・つ。みちる、いっぱいになる。たっぷりあるさまをいう。音読みは「エイ」。盈満之咎(エイマンのとがめ・とが=物事が極点に達すればかえって災いを招くこと、盈則必虧=エイソクヒッキ=、盛者必衰=ジョウシャヒッスイ=)、盈溢(エイイツ=みちあふれる、盈羨=エイセン=)、盈厭(エイエン=みちたりる、満足する)、盈科(エイカ=水の流れが穴いっぱいになってから先へ進むように、学問も一足とびに高い所に至ろうとせず、順を追って進めるべきでるというたとえ)、盈貫(エイカン=弓をいっぱいに引き絞ること、転じて罪に罪を重ねること)、盈虧(エイキ=みちかけ、盈虚=エイキョ=)、盈月(エイゲツ=満月)、盈縮(エイシュク=みちることと、縮むこと)。

カ)辟=きみ。人々を平伏させておさめる人。君主。また、その位。音読みは「ヘキ」。辟王(ヘキオウ=君主)、復辟(フクヘキ=君主の位に復帰する)、辟公(ヘキコウ=天子に仕える公卿・大臣、天子の諸侯)、辟書(ヘキショ=天子や役所からの呼び出し状)、辟雍(ヘキヨウ=周代、天子がたてた大学、礼義・音楽・古典などを教えた)。

(解釈)汝ら、秀才の諸君に策問する。朕は天命をうけ天子となって天下に君臨した。しかし庶政はいまだ全からずして春夏秋冬の季節は空しく移り変わるのみ。六府三事の秩序を謳歌するほどには治まりきってはいない。明堂におっては政事について憂思し、宣室におっては政道のことを問い尋ねるのであるが、いつも塗炭の苦しみに落ちるような思いで勤め、傷つき痛むような感情が心中にめぐり流れる。このため、貧民を慈しみ税を軽くした。そして、徭役も減らし刑獄もなるべく慎むようにしたところである。幸いに辺境は平穏で夷蛮戎狄の族に特段の動きはない。秋の実りは豊かであった。かくして黍や稲など五穀の収穫は満ち足りたものであったのに、いま、人民はめでたい「両穂」の謡を歌わないのはなぜか。「褐もなく衣も無い」と嘆じるばかりで豳風(ヒンプウ)「七月」の嘆きでいっぱいであるのはいかなることであろうか。政治を敷き行ってまだ十分でないためなのであろうか、それとも疲弊した人民は産業を起こしがたいためなのであろうか。ここに、諸君を朝廷に登げ、大義に参ぜしめて意見を求めたいのである。全員が心を同じくして、この君を救い正して欲しい。

「両穂の謡」は豊作をよろこぶ歌。麦穂両岐(バクスイリョウキ=麦の穂が二またになって実るさまをいう)という言葉が「後漢書・張堪伝」に見えます。豊作の前触れ、すなわち善政をたとえます。「豳風(ヒンプウ)」は詩経の一篇で、このうち「七月」は冬支度前の用意をする時期を表す。そこそこの収穫があっても思う存分食べることはできない。それはこれから始まる長い冬に備えておかなければならず、とても心からは喜べないというのです。

いやはや今の日本そのものですね。将来不安から生活意欲が縮んでおり、何をするにも楽しくない。年金はもらえるのかしら?消費税が上がるのではないかしら?給料は上がらない、会社も潰れる?溢れるのは老人ばかりで、子供はどこにもいやしない。。。こんな時代にどうして「豊作を喜ぶ歌」などが歌えるものか。「冬の時代」に備えて萎縮するしかないではないか。多くの日本国民の共通の叫びです。

大きく立ちはだかるのは「格差の問題」。難局を乗り切るためには、全国民が一丸とならなければいけないのに、一部の富裕層の潤沢な生活ぶりが、国民の間に不満を募らせているのです。頑張った人が成果を得て収入を増やすという当たり前の社会にしなければいけない。チャンスは均等に与える。

特効薬は税制でしょうね。金持ち優遇をやめて(累進課税の強化)、それと同時に所得税、住民税、法人税など、あらゆる税目を減税する。これが先行的に大前提と言えるでしょう。そして、目的を明確にしたうえで消費税など増税をする。消費をすることが国を支えるのだという意識を植え付けるのです。無駄なものは買わないように生活様式も切り替えるのです。絶対に必要のない物まで買っているはずですから。

消費税は国民に真に必要な「筋肉質の生活」を求めることとなるでしょう。しかし、それは決して「萎縮」することを求めるのではない。「楽しい国づくり」に参加するという明確な意識付けをすることなのです。そこには教育も必要でしょう。子供だけではない。各世代に於いて改めて「教育」することが求められる。「減税」と大喝一声すれば、国民のやる気は引き出されると思います。「幸せ」の定義の再構築も必要だ。表層の物質的なものだけではない、もっと内面の、心の安寧を優先させることも大事でしょう。新しく生まれ変わるくらいの気持ちで人生を謳歌する。そんな契機としたいものです。

信ずる道を貫き通した結果に悔いはなし=韓愈「仏骨を論ずる表」9・完

中国の名文を味わうシリーズは、韓愈の「仏骨を論ずる表」(明治書院「新書漢文大系シリーズ30 唐宋八大家読本・韓愈」)の9回目、最終回です。仏教を扱き下ろしているうちに、自らの言辞、論理に酔ってしまった韓愈。皇帝の宸念を忖度することも忘れて、不浄なる「仏の骨」を燃やしてしまうように上奏します。そして、それは自らの運命を大きく変遷させることとなるのです。

乞う、此の骨を以て、之を有司に付し、ア)を水火に投じ、永く根本を絶ち、天下の疑いを断ち、後代の惑いを絶ち、天下の人をして、大聖人の作為する所、尋常を出ずること万万なるを知らしめん。豈に盛んならずや。豈に快ならずや。仏如し霊有り、能くイ)禍祟を作し、凡そ1)オウキュウ有らば、宜しく臣の身に加うべし。上天2)カンリンす。臣怨悔せず。感激3)コンコンの至りにウ)うる無し。謹んで表を奉りて以聞す。

1)オウキュウ=殃咎。わざわいと、とがめ。「殃」は「わざわい」「そこなう」と訓む。禍殃(カオウ=殃禍、わざわい、災難、殃害=オウガイ=)、池魚之殃(チギョのわざわい=罪もないのにその巻き添えに遭うこと)。「咎」は「とがめ」「とがめる」と訓む。咎殃(キュウオウ=さしさわり、災難)、咎悔(キュウカイ=とがめと後悔、さしつかえ)、咎罪(キュウザイ=罪、過失、とがめる、咎過=キュウカ=、咎愆=キュウケン=)、咎徴(キュウチョウ=天のとがめのきざし、災いのしるし)、咎犯(キュウハン=春秋時代、晋の大夫)。

2)カンリン=鑒臨。かがみに照らしよく調べて臨むこと。

3)コンコン=懇悃。ねんごろで真心があること。赤心。やや難語です。「悃」は「まこと」。愚悃(グコン=馬鹿正直、自分の真心の謙遜語)、悃願(コンガン=心をこめてのぞみ願う、懇願)、悃悃(コンコン=ねんごろなさま)。「まこと」はほかに、「允、亶、孚、忱、恂、悾、惇、愨、款、洵、衷、諄、諒、諦、慎」であり、本番でも訓み問題で頻出です。要チェック。

4)諸=これ。近称の指示代名詞。表外訓み。「これ」はほかに、「此、之、是、伊、惟、斯、焉、維、這」などがあります。

5)禍祟=カスイ。わざわいとたたり。「祟」(鬼神が人に得体のしれない災いを及ぼすこと、また、その災い)の音読み熟語は非常に珍しい用例と言えるでしょう。慣れていないからなかなか「スイ」とは読みづらい。しかし「たたり」は必須、是非とも書けるように。「崇」(スウ)と似ているので努々間違えないように。二段目の「山」(もちろん「出」の一部として)と「宀」の微妙な差異です。中国でも間違いやすいようで漢字源にも「参考」とあって、「崇(スウ)と混同しやすい。祟は『出+示』。崇は『山+宗』で『たかい・たっとぶ』などの意味を持つ字」とある。

6)任うる=た・うる。「任える」は「たえる」。重みや仕事を引き受けてがまんすること。表外訓みですがやや特殊。

明治書院の「背景」(P114)によると、「この表を読んだ憲宗は大いに怒り、韓愈に死を申し渡そうとしたが、側近の斐度、崔群が弁明してくれたという(『新唐書』韓愈伝)。果たして、正月14日、韓愈は潮州刺史に任ぜられる。これは左遷ならぬ流罪であり、韓愈は早々に一人、南へ旅立たねばならなかった」とあります。

当然の帰結でしょう。本来なら死罪のところを、周囲の執り成しで辛くも「恩赦」が下った格好です。韓愈も半ば「確信犯」的だったかも知れません。恐らく、憲宗皇帝の日ごろの振る舞いは仏教信奉に限らず、あらゆる点で儒家の彼にとって相容れない部分が目立っていたのではないでしょうか。でなければ、かくも果敢な内容を、筆鋒鋭く突くことはしなかったような気がします。

時の皇帝の“キャラ”によって政治はいとも簡単に翻るのです。しかしながら、歴史は皮肉な物で憲宗皇帝はこの翌年、元和15年(820)正月27日、部下の宦官に毒を盛られ世を去ります。そして、韓愈の身を挺した「諫言」は後に、中国宗教弾圧史上でも名高い「会昌の弾圧」(845年)へと繋がり、実を結びます。そのことは、最後の遣唐使のメンバーの一人、円仁法師の「入唐弘法巡礼行記(ニットウグホウジュンレイコウキ)」に詳しいことが書かれています(エドウィン・O・ライシャワー氏の「円仁 唐代中国への旅」=講談社学術文庫=のP341を参照)。円仁は当時、遣唐使の同僚らが帰国したのをよそに一人だけ、中国本土に残り、悟りの旅をしていました。ちょうどその時に仏教の大弾圧の模様を目撃するとともに、自身も弾圧の一端を体感しています。

ライシャワー氏の同書には韓愈の諫言について次のように書かれています。

……はっきりと仏教に対する知識階級の反撃を惹起する最初の導火線となったのである。そして、その動きは、11世紀と12世紀の新儒教の誕生となってその絶頂に達するのである。すなわち、中国古来の哲学が、中国の知識階級の生活態度を完全に支配する地歩を再び確立することとなるのである。……

韓愈の諫言は少し早すぎただけなのです。中国社会では結局、仏教はそのままの形で根付くことなく、儒教を再興する“起爆剤”として中国風にアレンジされていったのです。この辺りの思想史は門外漢です。いずれまた誰か別の古人之糟魄を借りて紹介する場面もあろうかと思います。

さて、配流された韓愈。「潮州へ向かう途中、藍関(長安東南の藍田関=現在の陝西省藍田県)あたりで韓愈を追ってきた人物がいる」(明治書院P115の「背景」)という。韓愈の二番目の兄、韓介の孫で、十二郎(韓老成)の忘れ形見、韓湘でした。当時の韓愈にとって数少ない戚(みうち)の一人で可愛がっていました。一緒に潮州に連れて行ってほしいと殊勝なことを言うのです。そんな韓湘に贈った詩があります。それを紹介して韓愈の「仏骨を論ずる表」を締め括りましょう。(NHKカルチャーラジオ「漢詩をよむ」テキストP104~106)

「左遷至藍関示姪孫湘」(左遷せられて藍関に至り 姪孫湘に示す)=七言律詩

一封 朝に奏す 九重の天

夕べに潮州に1)ヘンせらる 路八千

聖明の為に弊事を除かんと欲す

肯て衰朽を将て2)ザンネンを惜まんや

雲は秦嶺に横つて 家 何くにか在る

雪は藍関を擁して 馬 進まず

知る 汝が遠く来る ア)に意有るべし

好し 吾が骨を収めよ 3)ショウコウの辺

1)ヘン=貶。官位を下げて流すこと、左遷、配流。貶竄、貶流、貶謫、貶逐、貶斥、貶黜、貶退。「貶」は「おとす」「そしる」「けなす」「おとしめる」「さげすむ」などと訓読みが多いので要注意です。

2)ザンネン=残年。残りの生命、老人の残り少ない寿命。転じて、老い先。残念ながら「残念」では不正解です。

3)ショウコウ=瘴江。毒気の立ち籠める大川。「瘴」は「毒気、マラリアなどの病気の基と考えられた」。瘴毒(ショウドク)、瘴氛(ショウフン)ともいう。熱帯地方、亜熱帯地方の代名詞でもあり、この詩の「PUNCH-LINE」です。都から遠く離れた南方に流される不安な気持ちを込めているのです。おれはそこで死ぬのだ。

ア)応に=まさ・に。「まさに~すべし」と訓読し、「~すべきである」と訳す。当然・認定の意を示す。あるいは「~してやりなさい」と訳し、勧誘を表すこともある。ここはそのいずれも可か。

一通の上奏文を今朝 奥深い宮中の天子様にたてまつった。
夕方にはもう 八千里も南の潮州へ流されることとなった。
徳高き陛下のため よからぬ事を取り除いて差し上げようと思っただけだった。
この衰え疲れた身で 老い先の短い命など惜しむ気はさらさらない。
雲は秦嶺の山並みにたれこめて 我が家はどこにあろう。
雪は藍田の関所を覆い尽くして わが馬も行き倦むばかり。
お前が遠路はるばる来てくれたのは きっと覚悟するところがあるのだろうね。
だったら私の骨は 毒気の立ち籠める南の地の川べりでていねいに拾ってくれたまえ。

あくまで己の信念を貫き通したのだと揺るぎない韓愈の悲壮な気持ちが読みとれます。悔いはない。韓愈の「男気」がたっぷりと感じられます。見習うべき部分と反面教師とするべき部分がありますね。

忘我の幽体離脱で陥穽に嵌まる=韓愈「仏骨を論ずる表」8

中国の名文を味わうシリーズは、韓愈の「仏骨を論ずる表」(明治書院「新書漢文大系シリーズ30 唐宋八大家読本・韓愈」)の8回目です。「鬼神を敬して之に遠ざかる」――。韓愈にとっては最高の師である孔子様の「論語」(雍也第六)にある弁を持ち出します。仏教は得体のしれないものである。先生は、そんなものは大切にしながらも近づかないのが得策である、それが智であるとおっしゃっているではないか。

況や其の身死して已に久し。1)コキュウの骨、ア)凶穢の余、豈に2)キュウキンに入らしむべけんや。孔子曰わく、鬼神を敬して之に遠ざかると。古の諸侯、弔を其の国に行うや、尚3)フシュクをして先ず桃茢を以て不祥を4)フツジョせしめ、然る後に進み弔す。今故無くして朽穢の物を取り、5)シンリンして之を観る。フシュク先んぜず、桃茢用いず、群臣其の非を言わず、御史其の失を挙げず。臣実に之を恥ず。

1)コキュウ=枯朽。かれ腐る。枯魚銜索(コギョカンサク=親には孝養を尽くすべきであるという教え、枯魚は「魚の干物」)、枯槁(ココウ=痩せ衰える、槁項黄馘=コウコウコウカク=)、冢中枯骨(チョウチュウのココツ=無能で役立たず、枯骨は「死人、故人」)、古木栄を発す(枯木に花が咲く、衰えた物が再び盛んになるたとえ)、枯落(コラク=おちぶれる)。古邱、姑舅、狐裘、胡弓ではないですが、いずれも重要です。

2)キュウキン=宮禁。宮中のこと。一般の人が入ることを禁じていることから。窮窘、球菌、給金、泣菫、九听ではない。

3)フシュク=巫祝。神に仕えて祭事や神事をつかさどる者。みこ、はふり、かんなぎ。「巫」は一字で「みこ」「かんなぎ」。

4)フツジョ=祓除。神に祈って、けがれ・災いをはらい除く、また、その儀式。「祓」は「はらう、はらえ、はらい」と訓む。祓禊(フッケイ=けがれをはらうため川で身を清める行事、みそぎ)、祓禳(フツジョウ=神に祈り、災いをはらい除く)、祓飾(フッショク=古くなったものを取り払って新しくかざる)。

5)シンリン=親臨。天子などがその場に臨むこと。

ア)凶穢=キョウアイ。不吉でけがれているさま。凶訃(キョウフ=悪い知らせ、訃報、凶音=キョウイン=、凶聞=キョウブン・キョウモン=、凶報=キョウホウ=)、凶旱(キョウカン=ひでり)、凶瑞(キョウズイ=わるい前兆、凶兆=キョウチョウ=)。「穢」は「けがれ」。

仏陀は外国の賓客であるのは言うまでもないが、加えて、既に骨になっていることがどうしても韓愈には許しがたいことでした。そんな垢れた仏骨を宮中に迎え入れるという行為が、如何に儒教の道から外れたことであるかを孔子の言葉を引いて皇帝に説諭するのです。「鬼神である」と。。。そしてまた、古の葬礼の在り方を「礼記」檀弓篇にも求めます。後半のくだりにある「桃茢」(トウレツ)は、「桃の木と、アシの穂で作ったほうき、ともに悪気を祓うのに用いる」。不祥なものを取り払って葬祭を執り行うどころか、陛下のおやりになっていることは自ら進んで穢らわしい物を手にとってご覧になっておられる。回りの群臣も誰も何も言わない。だから、不肖この韓愈が恥ずかしながら諫言申し上げるのです。。。

ここの言辞はもうアウトですね。憲宗皇帝は怒り心頭に発しているでしょう。この「表」を持っている手が小刻みに震えている姿が目に浮かびます。「朽穢じゃとぅ?どの口が朕に向かっていっておるのか?」其の非、其の失……明らかに言葉が過ぎる。韓愈も自分のロジックに酔っているとしか思えないですね。言葉は選ぶべきだ。同じことを伝えるにもほかに言い様はあるでしょう。自信家・韓愈の「坎穽」は、その「饒舌」に在ったと言えるでしょう。失言、舌禍。。。。自らに厳しい儒家は人にも厳しいのです。孔子先生の「仁」の精神がこの時ばかりは「幽体離脱」してしまったようですね。忘我の境地で陶酔する韓愈でありました。

口にするのも悍ましい仏の教え…=韓愈「仏骨を論ずる表」7

中国の名文を味わうシリーズは、韓愈の「仏骨を論ずる表」(明治書院「新書漢文大系シリーズ30 唐宋八大家読本・韓愈」)の7回目です。ここで韓愈は仏陀(ブッダ)が異国の人物であり、中国固有の教えである儒教のことを何も知らないことを強調します。あくまで外国人の賓客の一人として接するべきであると、況んや……。

夫れ仏は本夷狄の人なり。中国と言語通ぜず、衣服製を1)コトにし、口に先王の法言を言わず、身に先王の法服を服せず、君臣の義、父子の情を知らず。ア)仮如其の身今に至るまで尚在り、其の国命を奉じて2)ケイシに来朝すとも、陛下イ)れて之に接するに、宣政に一見し、礼賓に一設し、衣一襲を賜い、ウ)って之を境に出だすに過ぎず、衆を惑わしめざるなり。


1)コト=殊。「殊にする」は「異にする」と同じ意で「普通と全く違う」。殊裔(シュエイ=遠い果ての国)、殊遇(シュグウ=特別の礼を尽くしてもてなす待遇)、殊寵(シュチョウー天子の特別の寵愛、殊眷=シュケン=)、殊尤(シュユウ=特に優れている)、殊死(シュシ=死に物狂い、死刑、死刑囚)。

2)ケイシ=京師。天子のいるみやこ、首都のこと。京洛(ケイラク)、京都(キョウト)、京兆(ケイチョウ)、京城(ケイジョウ)ともいう。

ア)仮如=たとい、もし。物事を仮定していうときのことば。たとえ~であっても、もし~ならば。仮令、縦令、仮若、仮使。「仮」は「いとま」と訓む時がある。

イ)容れて=い・れて。ゆるす、ききいれる、受け入れる。容喙(ヨウカイ=くちばしをいれる、そばから口出しすること)、容膝(ヨウシツ=ひざをいれる、場所が狭いたとえ)。

ウ)衛って=まも・って。「衛る」は「まもる」。「まもる」はほかに、「戍る、捍る、擁る、秉る、防る」などがある。

仏陀(ブッダ)がもし生きていたとして、インドの国王の命を受けてわが中国に派遣されたと仮定しよう。陛下のなさるべきことは、①宣政殿で一度会見する②礼賓殿でひとたび賜宴を設ける③衣服をひとかさね賜る④護衛をつけて国境まで送ってあげる――この4つだけでいいのだ。仏陀を礼拝して民衆を惑わせることはしてはならない。

あくまで仏教を小馬鹿にして軽く扱う。国賓として最低限の接遇はするものの、その教えをどうのこうのと口にするのも悍ましい。。。

「陛下、漢民族の誇りをお見せくだされ」=韓愈「仏骨を論ずる表」6

中国の名文を味わうシリーズは、韓愈の「仏骨を論ずる表」(明治書院「新書漢文大系シリーズ30 唐宋八大家読本・韓愈」)の6回目です。仏教如き如何わしい宗教に民が戯れているのをいいことに放っておかれている。「冗談が過ぎますよ、陛下」と韓愈はシニカルな笑いを浮かべて「仏教弾圧」を促します。その言いぶりはもはや皇帝に対するものではないですね。心の底から仏教が憎いのです。儒教にとっては相容れないものだからです。言論弾圧、思想信条の自由を侵すことすら厭わない。古来、中国にはそうした「癖」があったのでしょうね。おっと迂生もあまり強く書くと「検閲」を受けそうですが。。。あくまで「韓愈」のこと以外に何も含意はないですからね。

然れども百姓は1)グメイにして、惑い易くア)し難し。苟くも陛下の此の如くなるを見ば、将真心仏に事うと謂い、皆言わん、天子大聖すら猶一心に敬信す。百姓何人ぞ。豈にイ)に更に身命を惜しむべけんと、頂を焚き指を焼き、百十群を為し、衣を解き銭を散じ、朝より暮れに至り、転た相2)ホウコウし、惟時に後れんことを恐れ、老少3)ホンパして、其の4)ギョウジを棄てん。若し即ち5)キンアツを加えずして、更に諸寺を歴ば、必ず6)ダンピ7)レンシン、以て供養を為す者有らん。風を傷り俗を敗り、笑いを四方に伝うるは、8)サイジに非ざるなり。

1)グメイ=愚冥。おろかで物の道理に暗いさま。愚昧(グマイ)、愚蔽(グヘイ)、愚蒙(グモウ)、愚暗(グアン)ともいう。

2)ホウコウ=倣傚。くらべてまねること。倣効(ホウコウ)。倣模(ホウモ=模倣)ともいう。「倣」は「ならう」。「傚」は「まねる」「ならう」。「効」も「ならう」。傚古(コウコ=いにしえにならう、古人を真似て学ぶこと)、傚慕(コウボ=人と同じようになりたい、したいと思う、この「慕」は「手本としてまねる」)。さまよう「彷徨」、雄たけびを上げる「咆吼・咆哮」、宝ばこの「宝匣」とは違うので要注意。いずれも重要。

3)ホンパ=奔波。波が打ち寄せるようにどっと押し寄せること。「奔」は「はしる」。奔渾(ホンコン=川の流れが急ですさまじい)、奔竄(ホンザン=走り逃げ隠れる)、奔車(ホンシャ=無鉄砲な状態を譬える→奔車之上無仲尼、覆舟之下無伯夷=危難のおそいかかる国には賢者聖人がいなくなること「韓非子・安危」)、奔湍(ホンタン=早瀬)、奔馳(ホンチ=馬に乗り勢いよくはしり駆ける、奔駛=ホンシ=)、奔北(ホンボク=戦いに負けて逃走すること、敗走=ハイソウ=、敗亡=ハイボウ=)、奔浪(ホンロウ=激しく荒れる波)。

4)ギョウジ=業次。仕事のある場所、仕事そのもの。やや難語。この場合の「次」は「広く物のやどる場所」という意。胸次(キョウジ=むねのところ)、席次(セキジ=席のある場所)。

5)キンアツ=禁遏。行為を差し止めてやらせないこと、禁止すること。「遏」は「とどめる」「さえぎる」とも訓む。遏悪揚善(アツアクヨウゼン=悪事を禁じ善行を勧める)、遏雲(アツウン=空を流れゆく雲までもおしとどめる、すぐれた音楽や歌声の形容、出典は「列氏・湯答篇」)、遏絶(アツゼツ=一族を全滅させる、押しとどめて物事をさせない、遏止=アッシ=)、遏密(アツミツ=鳴り物をやめて静かにする)。

6)ダンピ=断臂。千切れた腕、あるいは腕を切り落とすこと。「臂」は「うで」「ひじ」。慧可断臂(エカダンピ=なみなみならぬ決意を示すこと)、猿臂(エンピ=さるのうで)、臂環(ヒカン=腕環)、臂使(ヒシ=思うままに人を使うこと、下級官僚、臂指)、剋臂(ひじにこくす=固く約束すること)、把臂入林(ひじをとりてはやしにいる=親しい者といっしょに俗世間から離れて住む)。「ひじ」は「肘、臂」もある。

7)レンシン=臠身。身をズタズタにすること、あるいはズタズタにした体。「臠」は「細かく切れ目を入れた肉、挽き肉、肉の切り身」のことで「きりみ」とも訓む。特殊な読みとして「みそなわす=見るの最高敬語、ご覧になる」とも訓む。臠巻(レンケン=互いに絡み合い、引き合っていること、攣巻=レンケン=)、臠殺(レンサツ=ずたずたに切り裂いて殺す)、臠婿(レンセイ=天子のむすめむこ、また、後世、科挙の、進士の及第者の中からむこをえらぶこと)。

8)サイジ=細事。ささいな事柄。細故(サイコ)ともいう。「肌がきめ細かいさま」をいう「細膩」、疑う意の「猜弐」とは違うので要注意ですが、両熟語とも超重要です。

ア)暁し=さと・し。「暁す」は「さとす」。はっきりと分からせる、明白に知らせる。「さとす」はほかに、「諭す、喩す、譬す」。暁示(ギョウジ)、暁暢(ギョウチョウ=物事や道理によくつうじている、暁達=ギョウタツ=、暁通=ギョウツウ=)、暁寤(ギョウゴ=はっきりと悟る、暁悟=ギョウゴ=、暁解=ギョウカイ=)、暁喩(ギョウユ=よくわかるようにさとす、暁譬=ギョウヒ=)。

イ)合に=まさ・に。漢文訓読語法。「まさに~すべし」と訓み、「~すべきである」と訳す。当然の意を表す。「まさに」は「将に、当に、且に、応に、方に、鼎に、雅に」もあります。


韓愈が最も心配しているのは、愚昧な人民が熱狂的になり国に反旗を翻すことです。自分の身をも顧みず、むしろ犠牲になってまでも仏に帰依しようとする。その見境のない態度は身分制度を根幹とする中国王朝、儒教にとっては最大の脅威。皇帝自らが心酔するとは呆れてものが言えないのでしょう。仏教による「鎮護国家」という政治のやり方も本邦ではありました。中国でも時の政権によっては仏教を利用した時もあった。

しかし、仏教の隆盛によって風俗が乱れ、ひいては王朝の滅亡に至ってしまうと韓愈は考えています。仏の骨を宮中に迎え入れるという「愚行」こそが、人民を惑わす大元。だから皇帝としての威厳を見せて、率先垂範して仏教を排除してほしいと考える。それが人民の上に立つものの務め、国家元首たる責任ではないかと韓愈はいうのです。

それにしても過激な言辞の連続。いかにも漢民族の宮廷官僚らしいスタンスですね。

皇帝の供養命令に唖然忿怒=韓愈「仏骨を論ずる表」5

中国の名文を味わうシリーズは、韓愈の「仏骨を論ずる表」(明治書院「新書漢文大系シリーズ30 唐宋八大家読本・韓愈」)の5回目です。819年、憲宗皇帝が「鳳翔」(地名、現在の陝西省にある県。唐代から府が置かれた=恐らく大きな寺院があるのでしょう)にある「仏骨」を、多くの僧侶を派遣して宮中に運ばせてご自身は「楼」から、それをご覧になっているという。そして、各地の寺に順繰りに(=逓)供養の儀式を執り行わせているということを韓愈が聞きつけたのです。

今聞く、陛下群僧をして仏骨を鳳翔に迎えしめ、楼に御して以て観、ア)きて大内に入れ、又諸寺をして逓迎供養せしむと。臣愚なりと雖も、必ず陛下の仏に惑いて、此の崇奉を作し、以て1)フクショウを祈らざるを知るなり。イ)年豊かに人楽しむを以て、人の心に狥い、京都2)シショの為に、3)キイの観、4)ギガンの具を設くるのみ。安んぞ聖明此の如くにして、肯て此等の事を信ずること有らんや。

1)福祥=幸い。福祚(フクソ)ともいう。「祥」は「さいわい」とも訓む。

2)シショ=士庶。士人と庶民。官吏と一般大衆のこと。日本の場合は、江戸時代の武士と百姓・町人。

3)キイ=詭異。普通と違っていてあやしいこと。詭怪(キカイ)、詭譎(キケツ)ともいう。「詭」は「いつわる」「せめる」「たがう」とも訓む。ここでは「普通と違うさま」の意。詭遇(キグウ=正しくないやり方で狩りをして獲物をとる)、詭計(キケイ=悪だくみ、詭策=キサク=、詭謀=キボウ=)、詭激(キゲキ=言うことや行いが普通の程度をこえてはげしい、言行が過激であるさま)、詭詐(キサ=いつわりあざむく)、詭辞(キジ=うそ、こじつけ)、詭随(キズイ=人の善を悪く言い、人の悪に従う)、詭説(キセツ=うその話、こじつけ、キゼイ=こじつけて説明する)、詭答(キトウ=こじつけて答える、詭対=キタイ=)、詭道(キドウ=いつわりの道、近道)、詭服(キフク=いつわって表面だけ付き従う)、詭弁(キベン=正しくないことを正しいように言う言葉、道理に合わないこじつけの論理)、詭妄(キボウ・キモウ=こじつけたうそ、出鱈目、詭誕=キタン=)。

3)ギガン=戯玩。たわむれもてあそぶこと、なぐさみもの、おもちゃ。戯弄(ギロウ)ともいう。ペットは正に戯玩物ですね。「戯」は「ざれ」とも訓む。

ア)舁きて=か・きて。「舁く」は「かく」。二人で物を担いで運ぶこと。駕籠舁き(かごか・き)。音読みは「ヨ」ですが、熟語は見当たりません。もし見つけたら大発見です。

イ)直=ただ。漢文訓読語法。「ただ~だけ」と訳す。通常は文末に「~のみ」と訓読する。

皇帝の行為に耳を疑った韓愈。よもや心の底からご信奉遊ばせているのではあるまいと畏れます。京都、すなわち長安の都の人民が太平をむさぼっており、あたかも見世物や娯楽を楽しんでいる慰みのために付き合って居られるだけであろう。これほど聡明なお方が、こんな噓っぱちの物の言うことを心から信ずるものか――。言っているうちに体のうち震えが止まらなくなるのを禁じ得なかったのではないでしょうか。人民らの熱狂的な姿に唖然とする韓愈でした。

ちなみに、見慣れない漢字ですが「狥」は「したが・う」と訓む。「徇」の異体字です。音読みは「ジュン」。徇行(ジュンコウ=あちこりめぐり歩く)、徇斉(ジュンセイ=うまれつき才能がととのっていること)、徇地(ジュンチ=めぐり歩いてその地方を服従させること)、貪夫徇財(タンプジュンザイ=欲深い者は、金の為なら何でもする)⇔烈士徇名(レッシジュンメイ=道理の通った正しい行いをする人は名誉の為に命を賭ける)=徇利(ジュンリ=利益の為に命懸けで努力する)、徇道(ジュンドウ=正義を守るために命懸けで努力する)。「殉」と同義です。

時の皇帝に「諷り」が過ぎやしませんか?=韓愈「仏骨を論ずる表」4

中国の名文を味わうシリーズは、韓愈の「仏骨を論ずる表」(明治書院「新書漢文大系シリーズ30 唐宋八大家読本・韓愈」)の4回目です。ここからは身近な唐王朝、延いては憲宗帝と仏教の関わり方について論じます。最初は帝を高く持ち上げるのですが、次第に激昂する韓愈。かなり危険コードすれすれの「きわどい表現」が続きます。

高祖始めて隋の禅を受け、則ち之を除かんと議す。当時群臣、ア)材識遠からず、深く先王の道、古今の宜を知り、聖明をイ)推闡し、以て斯の弊を救う能わず。其の事遂に止む。臣常に恨む。

伏してウ)るに、睿聖文武皇帝陛下、神聖英武、数千年已来、未だ1)リンピ有らず。即位の初め、即ち人を度して僧尼道士と為すを許さず。又2)ジカンを創立するを許さず。臣常に以為らく高祖の志し必ず陛下の手に行われんと。今エ)い未だ即ち行う能わずとも、豈に之を恣にし、3)ウタた盛んならしむ可けんや。

1)リンピ=倫比。仲間、同類。倫匹(リンヒツ)、倫輩(リンパイ)ともいう。ここでは「並ぶ物がいない」という意。

2)ジカン=寺観。仏教の寺と道教の寺。「観」は、道士が修行した高い見晴らし台のことを言う。

3)ウタた=転た。副詞用法。時が起つにつれて程度がだんだん激しくなるさま、ますます。「愈」が類義語。

ア)材識=サイシキ。才智と識見。「素質や才能」の意味の場合は「サイ」と読むことに留意。「才」に充てたものでしょう。材幹(サイカン=すべて物事を処理する能力、腕前)、材質(サイシツ=うまれつきの素質)、材武(サイブ=才能があって武勇にも優れていること)、材吏(サイリ=能力のある官吏、腕利きの役人)。

イ)推闡=スイセン。おしひらくこと、真理などを深く尋ね窮める。推究闡明(スイキュウセンメイ)の省略。やや難語。「闡」は「ひらく」「あらわす」と訓む。闡究(センキュウ=研究して明らかにする)、闡校(センコウ=明らかにしてただす)、闡発(センパツ=ひらきあらわす、はっきりと表に出す、明らかにする)、闡明(センメイ=わかりにくいものをはっきりと明らかにする、闡揚=センヨウ=)、闡幽(センユウ=かくれたことを明らかにする、潜んでいるのをはっきり表に出す)。

ウ)惟る=おもんみ・る。和訓。思うに~である。音読みは「イ、ユイ」。既に何度も取り上げています。書き問題でも要注意でしょう。

エ)縦い=たと・い。接続語法。「たとえ~とも」「万が一~とも」。縦令、縦使と用いても同じ意味。

唐の初代皇帝・李淵(高祖=隋王朝から禅譲を受けた)は仏教を擺脱しようとしたのだが、当時の群臣に慧眼鋭い者はおらずに、それは叶わぬこととなった。このことを平素からわたくし韓愈は口惜しいと考えていた。「睿聖文武皇帝陛下」、すなわち今の憲宗皇帝が即位なされた。その高祖にも匹敵する志の高いお方であられるから、高祖の宿志を陛下こそが自らの手で行われるものと常々思っていた。。。

「褒め殺し」という言葉もありますが、ここのくだりがまさにあてはまります。シニカルな見方をすれば「当て擦り」(=諷り)か。さんざん賞め倒して、それなのにどうして仏教を野放図にされているのであろうかと言うのです。唐王朝の初代皇帝の気高い志を努々お忘れではありますまいに……。何を愚図愚図されておられるのか?

韓愈の歯軋りが聞こえてきます。。。

都合のよいロジックを構築、それが宗教論=韓愈「仏骨を論ずる表」3

中国の名文を味わうシリーズは、韓愈の「仏骨を論ずる表」(明治書院「新書漢文大系シリーズ30 唐宋八大家読本・韓愈」)の3回目です。伝説の時代より下っても古代中国の皇帝の長寿の歴史はまだまだ続きます。殷湯、太戊、武丁、文王、武王、穆王。彼らは仏教をまだ知らない頃のことであります。

其の後殷湯も亦年百歳、湯の孫太戊位に在ること七十五年、武丁位に在ること五十九年、書史其の年寿の極まる所を言わざれども、其の年数を推すに、蓋し亦俱に百歳に減ぜず。周の文王年九十七歳、武王年九十三歳、穆王位に在ること百年なりき。此の時仏法亦未だ中国に入らず。仏に事うるに因って然るを致すに非ざるなり。

中国の国家は「殷」が始まり(その前の「夏」も実在性が向上)、「周」と続き、この前半が西周、後半が春秋・戦国時代となります。ここはまだ仏教が伝来していない。だから仏教に帰依することが長寿を齎すのではないという証明だと言うのです。いささか強引ですが、長寿を極めた古の帝に対する畏敬の念が大層強かったのでしょう。そして、仏教伝来後の皇帝がどうだったかを検証します。

漢の明帝の時、始めて仏法有り。明帝位に在ること纔に十八年のみ。其の後乱亡相継ぎ、1)ウンソ長からず。宋・斉・梁・陳・元魏以下、仏に事うること漸く謹むも、年代尤もア)る。惟梁の武帝位に在ること四十八年、前後三度身を捨てて仏に施し、2)ソウビョウの祭に、3)セイロウを用いず、昼中一食、菜果に止まる。其の後竟に侯景のイ)まる所と為り、台城に餓死して、国も亦ウ)いで滅ぶ。仏に事えて福を求めて、乃ち更に禍を得たり。此に因って之を観れば、仏の事うるに足らざることも、亦知る可きなり。

1)ウンソ=運祚。天から授けられた、天子としての運命。御代、御世、在位。類義語問題に注意。「祚」は「祖先から伝わる王朝の君主の位」。「さいわい」とも訓む。

2)ソウビョウ=宗廟。祖先の位牌を祀るみたまや。転じて、国家を指す。天子・諸侯が宮殿を建てる時には、まず宗廟を建て、それをすべてに優先させて重んじていた。したがって、宗廟が破壊されたときは国家が滅びたときと考えられており、国家=宗廟という意識が強かったため。類義語は社稷(シャショク)ですね。

3)セイロウ=牲牢。いけにえ、犠牲。常用漢字である「牲」ですが表外では「いけにえ」と訓む。牲殺(セイサツ=いけにえ、必ず殺して用いるから)、牲牷(セイセン=祭りに用いるいけにえ、「牷」<配当外>は、毛の色が一色で、まだらのない、五体そろって完全な牛のこと)、牲幣(セイヘイ=いけにえと、供え物)。「いけにえ」はほかに、「牢、犠、生贄」。

ア)促る=せま・る。表外訓み。長さや幅がぐっと縮むことをいう。促坐(ソクザ=間隔をつめてすわる)、促膝(ソクシツ=ひざをつきあわせてすわる、間柄が親密なことを言う)、促歩(ソクホ=せわしく歩く)、促急(ソッキュウ=せっかち)。「せまる」はほかに、「逼る、薄る、拮る、拶る、拶る、瀕る、煎る、窘まる、蹙る、遒る、遽る、齪る」などがあります。

イ)逼(ま)る=せま・る。すぐそばまで近づく、言うことを聴くように強いる。音読みは「ヒツ」。逼近(ヒッキン=ひたひたとせまる、危険な物が近づく)、逼塞(ヒッソク=蛭間の出入りを禁じる刑罰)、逼迫(ヒッパク・ヒョクハク=金銭が乏しく苦しいこと)、逼奪(ヒツダツ=君主に迫って君位を奪うこと、簒奪=サンダツ=)。

ウ)尋いで=つ・いで。接続詞用法での特別な表外訓み。「それに続いて、間もなく」という意。よく出ます。

明治書院の「背景」(P108)によると、「仏教が中国に伝来した時期については諸説あるが、韓愈は後漢の明帝の時代を挙げている」とあります。「後漢書」西域伝には、「明帝の夢枕に後光のさした金人が立った。群臣にあれは何であったかと意見を求めたところ、一人が『ブッダです』という」と記されており、韓愈はこの逸話をベースにしているようです。

その明帝は在位18年に過ぎませんでした。国が乱れ始めて、南朝の宋・斉・梁・陳や北朝の元魏より以降は、仏に帰依することが次第に減っていくものの、王朝の年代が短く短くなっていきます。ただ例外は梁の武帝。在位48年と長かったのです。三度も仏に身を捧げ、僧侶となった。昼間の一食だけの食事は野菜や果物だけ。その後は餓死しててしまい、国も滅びたのです。

韓愈は言う。「仏に仕えて幸福を求めた結果が、より一層の災いを蒙ったではないか。仏に仕える値打ちなど一銭も無いではないか」。牽強付会の感も否めないですが、都合のよい事実だけを切り取って論じれば「仏教は国家にとって繁栄を齎すものとは限らない」とは言えるでしょう。しかしながら、逆も真なりですけどねぇ~。仏教が嫌いな人の論理としては仕方ないでしょう。ところが、仏教信者は全く逆のロジックで果敢に攻めると思いますよ。儒教や道教がいかに国家をダメにしたかを。。。。宗教や思想は信奉するか否かで全く立場を異にするものです。論理じゃない、結論ありきです。堂々巡りの水掛け論か…。政教分離なんてありえへんなぁ。。

五帝のみならず民衆は皆「ジュコウ」だった=韓愈「仏骨を論ずる表」2

中国の名文を味わうシリーズは、「信念と硬骨の人」韓愈の「仏骨を論ずる表」(明治書院「新書漢文大系シリーズ30 唐宋八大家読本・韓愈」)の2回目です。俠気のある韓愈が時の憲宗皇帝に仏教の信奉を諫めた上奏文。聊か筆鋒が鋭過ぎた結果、皇帝の逆鱗に触れて、即座に南海地方の潮州に流謫されてしまいます。前回は潮州で詠んだほんわかムードいっぱいの詼けた詩を味わいましたが、52歳の官僚詩人の「本心」は如何ばかりだったでしょうか?

さて、前回の復習です。明治書院の「背景」(P105)に藉りましょう。「長安の西、鳳翔の法門寺に釈迦の指の骨が収められていた。時の皇帝・憲宗はその釈迦の骨を宮中に迎え入れ、三日間内裏に留め置いた後、諸寺へ巡回させるようにと下賜した。果たして正月一三日、仏骨は宮中にむかえられたのである」。元和14年(819)のことです。仏舎利の供養を大々的に宮中で采り行ったのです。「三十年に一度のことに加え、皇帝もお迎えしたとなれば、是非とも拝みたいと民衆は寺に詰めかけた。中には財をなげうってお供えしたり、身を焼いて供養する者もいる始末」だったといいます。熱狂的な仏教信者が数多くいたのです。儒家の韓愈には我慢がならなかった。当時の彼は刑部の次官に在り、司法と警察を司っていました。恐らくは皇帝への諫言なども業としていたのでしょう。冒頭の一説は、仏は「夷狄」と貶んだ上で、後漢に輸入されたものであり、古代中国にもともと存在していた代物ではないと嘲りました。本日はその次から。

昔は黄帝位に在ること百年、年百一十歳。ア)少昊位に在ること八十年、歳百歳。顓頊(センギョク)位に在ること七十九年、年九十八歳。帝嚳(コク)位に在ること七十年、年百五歳。帝尭位に在ること九十八年、年百一十八歳。帝舜及び禹、年皆百歳なり。此の時天下太平、百姓安楽1)ジュコウなりき。然り而うして中国に未だ仏有らざりなり。


1)ジュコウ=寿考。長生きのこと。「考」はやや難語で「老、腰の曲がった年寄り、高齢の」といった意味があります。確かに部首は「おいがしら(老)」ですね。「亡くなった父」という意味もありましたね。先考(センコウ=亡父、対義語は先妣=センピ)。

ア)少昊=ショウコウ。人名ですが「昊」はなかなか「コウ」と読めませんね。どうしても音符である「天」が「コウ」とは読めない。かなり練習して慣れる必要があります。「なつぞら、おおぞら、そら」という意味もあって、昊天(コウテン=空、おおぞら)、蒼昊(ソウコウ=青空)。「あかるい」とも訓む。

「中国最初の正史『史記』は五帝本紀、黄帝の記述から始まる」と明治書院の「背景」(P106)にあります。ここのくだりは、中国本来の大元を繙いています。すなわち、黄帝(在位100年、御年110)、少昊(在位80年、御年100)、顓頊(在位79年、御年98)、帝嚳(在位70年、御年105)、帝尭(在位98年、御年118)、帝舜及び夏の禹(ともに御年100)と、中国の始祖である帝方はいずれも長寿を誇ったというのです。中国人民ならだれでも知っている歴史です。韓愈は敢えて記することで中国の正当性を明らかにしようとしました。天下泰平で人民も皆長寿であった。そう、まだ仏教は伝来していなかったから。ああ、それなのに、それなのに……。短めですが続きは次回にて。
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不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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