昼の枕でいい夢見ていい詩を吟じよう=漢詩学習
本日から「如亭山人遺藁 巻二」(岩波書店刊行)に入ります。
「癸酉の初夏、京を去りて琵琶湖上の最勝精舎に寓す」。「癸酉」は「みずのととり」、文化十年(1813)の十干です。如亭は暑い暑い京都を離れて琵琶湖で避暑をしたようです。最勝精舎というのは、近江膳所の最勝院。住職の桑野吽庵と親交し、禅を教わる代わりに詩を伝授した。そうした交流の様子を琵琶湖の風景とともに四首詠っています。承句にある「静院」は最勝院、「僧」というのは桑野吽庵のことです。
京華 首を回らせば重城を隔つ
静院 僧に寄りて暫く寄生す
春夢将に円かならんとして誰か喚び起こす
1)スイヨウ深き処2)ザンオウを着く
○
満眼の新林 水郷暗し
鏡山雲掩ひて雨3)ボウボウ
落花 4)ヒジョ 春は帰り去る
湖面 今朝 5)タンショウを学ぶ
○
後圃の時新已に餐に入る
一杯且く客心をして寛からしむ
寺厨 今日 更に清供
6)トクカク 児拳 斉しく盤に上がる
○
7)チュウチン 香銷えて夢後ア)間かなり
満湖の返照 松関に入る
清茶8)イッセツ 暗に事を生ず
対面す 詩思無数の山
1)スイヨウ=垂楊。悴容、水曜、水溶ではありませんが、浮かびますか?季節が初夏だというのがミソで、垂れ柳のこと。イトヤナギ。「垂柳」ともいう。
2)ザンオウ=残鶯。晩春のウグイス。ここも初夏がミソ。季節の移り変わりで春の末期に在る風物詩を詠っているのです。お寺で座禅している如亭がうつらと夢の中を彷徨い、気がつけば春が終わろうとしている。
3)ボウボウ=茫々。雨が降り続いて、ぼんやりと霞んださま。ここでいう「鏡山」というのは、近江国蒲生(いまの滋賀県蒲生郡)にある鏡山。標高385メートル。古来の歌枕として有名。
4)ヒジョ=飛絮。風に乗って飛ぶ柳絮、ヤナギの花。晩春の風物詩。「絮」は「わた」。ここではヤナギの花についている綿毛のこと
5)タンショウ=淡粧。薄化粧のことで、当然ながら蘇軾の「飲湖上初晴後雨」にある「欲把西湖比西子、淡粧濃抹総相宜」がモチーフ。中国四大美女の西施の薄化粧バージョンですね。晩春の雨に煙る琵琶湖の風景が「淡粧」だということに初めて気がついたというのです。
6)トクカク=犢角。これは難問でしょう。意味はそのまま「仔牛の角」ですが、比喩的表現です。ここではその形状をとらえて「筍」に譬えている。次の「児拳」(ジケン)も文字通りは「子供のこぶし」ですが、「蕨」の比喩。確かに似ていますよね。北宋の黄庭堅の「春陰」に「竹筍初生黄犢角,蕨芽初長小児拳。試尋野菜炊春飯,便是江南二月天。」があり、これを踏まえた表現とみられます。タケノコとワラビはセットです。
7)チュウチン=昼枕。昼寝のことですが浮かびますか?晩唐の趙嘏(806~853)の「杜陵貽杜牧侍禦」に「紫陌塵多不可尋,南渓酒熟一披襟。山當昼枕石床穏,泉落夜窗煙樹深。白首尋人羞問計,青雲何路覓知音。唯君懐抱閑於水,他日門墻許酔吟?」が見えます。
8)イッセツ=一啜。「清茶」とありますから、一説、一節ではありませんね。お茶をひと啜りすること。
ア)間か=しず・か。表外訓み。ほかには、静か、寂か、寞か、寥か、恬か、惺か、澹か、蕭か、謐か、閑か、闃か。「間澹」(カンタン)は、ゆったりしていて欲がないこと。「間園」は静かな庭園。「間房」は静かな部屋。
「京華」は京都、「重城」は城市。古代中国にの城市には外城があり、その中に内城を建てたことから「城を重ねる、重ねた城」という。
「後圃」(コウホ)は裏山のはたけ。
「時新」というのは、時節のはしりの食べ物。
「寺厨」(ジチュウ)は、庫裏(クリ)のこと。お寺の台所です。類義語に要注意。
「清供」(セイキョウ)は、清雅な食物を用意すること。「盤」は皿のこと。
「詩思」は詩作の心が掻き立てられること。如亭によれば、昼寝をして目が覚めると琵琶湖の湖面の照り返しが松の木々の間に射し込んでいるのが見える。そして、お茶を一杯啜ると、体の中に不思議な力が湧いてきて、琵琶湖を取り巻く山々の風景を目の前にして詩作に耽らないわけにはいかないのだというのです。
「癸酉の初夏、京を去りて琵琶湖上の最勝精舎に寓す」。「癸酉」は「みずのととり」、文化十年(1813)の十干です。如亭は暑い暑い京都を離れて琵琶湖で避暑をしたようです。最勝精舎というのは、近江膳所の最勝院。住職の桑野吽庵と親交し、禅を教わる代わりに詩を伝授した。そうした交流の様子を琵琶湖の風景とともに四首詠っています。承句にある「静院」は最勝院、「僧」というのは桑野吽庵のことです。
京華 首を回らせば重城を隔つ
静院 僧に寄りて暫く寄生す
春夢将に円かならんとして誰か喚び起こす
1)スイヨウ深き処2)ザンオウを着く
○
満眼の新林 水郷暗し
鏡山雲掩ひて雨3)ボウボウ
落花 4)ヒジョ 春は帰り去る
湖面 今朝 5)タンショウを学ぶ
○
後圃の時新已に餐に入る
一杯且く客心をして寛からしむ
寺厨 今日 更に清供
6)トクカク 児拳 斉しく盤に上がる
○
7)チュウチン 香銷えて夢後ア)間かなり
満湖の返照 松関に入る
清茶8)イッセツ 暗に事を生ず
対面す 詩思無数の山
1)スイヨウ=垂楊。悴容、水曜、水溶ではありませんが、浮かびますか?季節が初夏だというのがミソで、垂れ柳のこと。イトヤナギ。「垂柳」ともいう。
2)ザンオウ=残鶯。晩春のウグイス。ここも初夏がミソ。季節の移り変わりで春の末期に在る風物詩を詠っているのです。お寺で座禅している如亭がうつらと夢の中を彷徨い、気がつけば春が終わろうとしている。
3)ボウボウ=茫々。雨が降り続いて、ぼんやりと霞んださま。ここでいう「鏡山」というのは、近江国蒲生(いまの滋賀県蒲生郡)にある鏡山。標高385メートル。古来の歌枕として有名。
4)ヒジョ=飛絮。風に乗って飛ぶ柳絮、ヤナギの花。晩春の風物詩。「絮」は「わた」。ここではヤナギの花についている綿毛のこと
5)タンショウ=淡粧。薄化粧のことで、当然ながら蘇軾の「飲湖上初晴後雨」にある「欲把西湖比西子、淡粧濃抹総相宜」がモチーフ。中国四大美女の西施の薄化粧バージョンですね。晩春の雨に煙る琵琶湖の風景が「淡粧」だということに初めて気がついたというのです。
6)トクカク=犢角。これは難問でしょう。意味はそのまま「仔牛の角」ですが、比喩的表現です。ここではその形状をとらえて「筍」に譬えている。次の「児拳」(ジケン)も文字通りは「子供のこぶし」ですが、「蕨」の比喩。確かに似ていますよね。北宋の黄庭堅の「春陰」に「竹筍初生黄犢角,蕨芽初長小児拳。試尋野菜炊春飯,便是江南二月天。」があり、これを踏まえた表現とみられます。タケノコとワラビはセットです。
7)チュウチン=昼枕。昼寝のことですが浮かびますか?晩唐の趙嘏(806~853)の「杜陵貽杜牧侍禦」に「紫陌塵多不可尋,南渓酒熟一披襟。山當昼枕石床穏,泉落夜窗煙樹深。白首尋人羞問計,青雲何路覓知音。唯君懐抱閑於水,他日門墻許酔吟?」が見えます。
8)イッセツ=一啜。「清茶」とありますから、一説、一節ではありませんね。お茶をひと啜りすること。
ア)間か=しず・か。表外訓み。ほかには、静か、寂か、寞か、寥か、恬か、惺か、澹か、蕭か、謐か、閑か、闃か。「間澹」(カンタン)は、ゆったりしていて欲がないこと。「間園」は静かな庭園。「間房」は静かな部屋。
「京華」は京都、「重城」は城市。古代中国にの城市には外城があり、その中に内城を建てたことから「城を重ねる、重ねた城」という。
「後圃」(コウホ)は裏山のはたけ。
「時新」というのは、時節のはしりの食べ物。
「寺厨」(ジチュウ)は、庫裏(クリ)のこと。お寺の台所です。類義語に要注意。
「清供」(セイキョウ)は、清雅な食物を用意すること。「盤」は皿のこと。
「詩思」は詩作の心が掻き立てられること。如亭によれば、昼寝をして目が覚めると琵琶湖の湖面の照り返しが松の木々の間に射し込んでいるのが見える。そして、お茶を一杯啜ると、体の中に不思議な力が湧いてきて、琵琶湖を取り巻く山々の風景を目の前にして詩作に耽らないわけにはいかないのだというのです。
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