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激烈なる言論こそ民衆の権利=兆民「評論集」3・完

中江兆民先生の「中江兆民評論集」(岩波文庫、松永昌三編)から漢字検定1級直前問題演習シリーズの3回目です。本日は「再論言論自由」(P74~77)。今回は少し言っている意味を捉えるのが難しいです。言論の自由の大切さを説いているのですが、同じようなことを諄諄と述べている感じがします。直前演習は今回で終わりです。

▼…道徳政府の1)シリを2)コウキュウするの難きことは前にすでにこれを論ぜり。詩に曰く、切るが如くア)(け)るがごとしと。また曰、他山の石以て玉をイ)むべしと。この故に学士論客いやしくも見る所あるときは、必ず先づこれを口に挙げこれを書に著はし、しかる後そのすでに獲る所の理に因りて益々これを推明して已まず。またひろく益を人に請ふてともに往復弁難するにあらざれば、以てなることあるに至るべからず。詩人の意けだし此を言ふなり。弥児(ミル)氏曰く、真理なる者は一人にしてその全を獲ることあることウ)(な)し。甲の論者その一部を持し、乙の論者その一部を持し、丙丁またその一部を持す、是を以て必ず数人を経て始て完成することを得べしと。それかくの如きなるときは、いやしくも見る所ある者は豈これを衆に示して以て人の質正を求むることを図らざるべけんや。それかくの如くなるときは、政をなす者豈学士論客を奨励してその3)ショカイを尽さしめざるべけんや。それ道徳政術の論たるその意義4)ユウスイ深微にしてややもすれば5)カイジュウに陥ゐりやすし。プラトンの「テルネール」、カントの「クリチツク」の如きも悉くこの弊を脱すること能はず。この故に学士論客いやしくも道徳政術の論に従事する者は、必ずその志気を6)カイカツにし、その言論を7)ショウシにして内にエ)む所なく、外に8)ハバカる所なきにあらざれば、以てその旨趣の快暢なるを望むべからず。しかして志気をカイカツにし言論をショウシにするときは、反覆論述の間あるいは激発に過ぐるなきこと能はず。これ勢の免れざる所なり。

1)シリ=至理
2)コウキュウ=講求
3)ショカイ=所懐
4)ユウスイ=幽邃
5)カイジュウ=晦渋
6)カイカツ=恢豁(快豁、快闊、開豁、開闊)
7)ショウシ=縦恣
8)ハバカる=

ア)瑳ける=みが・ける
イ)攻む=おさ・む
ウ)鮮なし=すく・なし
エ)蘊む=・む

▼…今誠に古人の論を把りてこれを閲するに、その旨義極て温厚にして辞気あるいは9)ゲキレイなる者けだし鮮となさず。柳宗元の封建を論ずる、ルーソーの宗教を論ずる、オ)(か)にこれをカ)るときは、心を動かし気を養ふに足る者ありといへども、キ)にしてこれを考ふるときは、初より平正明白の理にあらざるなし。それ柳宗元、ルーソー彼れク)に10)セキガクの士なりといえへどもいまだ以て聖人の11)モンショウを望むべからず。その論の激烈なること固より怪むに足らず。孔子曰く、12)バクエキなる者あらずや、これをなすもなほ已むにケ)ると。また曰く、いやしくも不欲ならばこれを賞すといへどもコ)まずと。この二語は遽にこれを聴くときは、すこぶる激発なるが如き者あるにあらずや。それ孔子の至聖にしてその言を出すあるいは鋭烈なるに免れざる者あり。いはんやその他おや、要その大旨を採りてその枝葉を棄つるにあるのみ。是に察せずして遽に人の事を談ずるを聞ゐてこれをサ)りて曰く、彼れ云々の言あり何ぞ疎暴なるやと。遽に人の事を論ずるを見てこれをシ)りて曰く、彼れ云々の句あり何ぞ激烈なるやと。その大旨を察せずしてその枝葉を挙げて復た心に省究せず。それ事を論じ事を談ずる者は、必ず思を積み慮を重ね自ら信ずる所あるに及び、しかる後これを発す。故に、いやしくもその疎暴激烈の処を摘発せんと欲する者は、また宜く少く省究を加えへその大旨のある所を考察すべきなり。もししからずして慢然として13)ヒキを致し、また従ふてこれを懲罰するときは、聖人といへどもあるいは14)ルイセツの禍に免れず、これ豈言論を奨勧し真理をコウキュウするの道ならんや。孔子曰く、ス)道なきときは行を危くして言はセ)ふと。ああ一国の才気学識を負ふ者皆自ら戒めてその言を卑順にし、薪木、米塩、財穀、貨物の外絶へて言を出さざるときは、文物の運ソ)に由り以て盛大の域にタ)ることを得んや。

9)ゲキレイ=激
10)セキガク=碩学
11)モンショウ=門牆
12)バクエキ=博奕
13)ヒキ=非毀(誹毀)
14)ルイセツ=縲紲(累紲、累絏、縲絏)

オ)遽かに=にわ・かに
カ)覧る=・る
キ)徐に=おもむろ・に
ク)洵に=まこと・に
ケ)賢る=まさ・る
コ)窃まず=ぬす・まず
サ)誚り=そし・り
シ)毀り=そし・り
ス)邦=くに
セ)孫ふ=したが・ふ
ソ)奚=なに
タ)躋る=のぼ・る

▼…顧ふに言論を奨励し真理を15)キュウサクすることは、世の政をなす者といへども固よりその益あることを知る。唯その言のあるいは直に過ぐるを以てその心に16)キタンすることなきこと能はず。これ乃ち始皇のチ)をツ)むることを求むる所以にして、テ)拿破崙三世の口を錮することを図りし所以なり。それ謗を弭め口を錮することを求むるときは、その勢竟に17)フクヒの法を設くるに至らざれば已まずして、18)ゴクショウ益々繁きを致さん。それゴクショウの繁きは豈ト)国祚長久の基ならんや。かつや道徳の妙義を求め政事の精理をナ)むるは、政をなす者の尤もまさに務むべき所なり。この二つの者にしていまだ得ざるときは、己れを処し身を率ゆるの際令を発し禁を布くの間茫々然として根基とする所あることなし。かくのごときなるときは、19)ショウコ盛なりといえども、20)ノウソウ昌なりといへども、工伎隆なりといへども、竟にニ)蛮貊の風をたるを免れず。それ政をなすに貴ぶ所の者は正さに蛮貊の風を出でて文明の化に遷らんと欲するなり。ああ政をなす者真理の獲がたきを悟らずして、一国人に責むるに聖人の能くせざる所を以てするときは、その弊竟に苛刑煩律を設けて始皇、拿破崙の暴政を追ひ、謗を弭め口を錮しその民を駆りて蛮貊の風に入るに至るときは、何を以て上天の命じて21)シミンを22)シボクせしむる所以の意に答ふるを得んや。何を以てシミンの托を致して福を図るの旨にヌ)ふを得んや。既に上天の命に遵ふこと能はず、また人民の托に副ふこと能はざるときは、それこれを何とかいはんや。今やわが邦の民まさに文運の23)オウセイに際し仁政の恩沢に遭ひ、ここに挙ぐる所の患は万々以て虞となす所にあらず。但言論の自由を極論せんと欲して竟に此に言及ぶことを免れず、24)コウコの君子あるいはその論の激発なるあるを見るもその大旨を察して、その枝葉を窮むることなかれといふのみ。

15)キュウサク=求索
16)キタン=忌憚
17)フクヒ=腹非(腹誹)
18)ゴクショウ=獄訟
19)ショウコ=商賈
20)ノウソウ=農桑
21)シミン=斯民
22)シボク=司牧
23)オウセイ=旺盛
24)コウコ=江湖

チ)謗=そしり
ツ)弭むる=・むる(とど・むる)
テ)拿破崙=ナポレオン
ト)国祚=コクソ
ナ)索むる=もと・むる
ニ)蛮貊=バンバク
ヌ)副ふ=・ふ
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鳩山政権に贈る「農家の声にこそ耳傾けよ」=兆民「評論集」2

中江兆民先生の「中江兆民評論集」(岩波文庫、松永昌三編)から漢字検定1級直前問題演習シリーズの2回目です。本日は「農業論」(P167~170)から。明治政府のスローガンである富国強兵の陰で、古来の伝統産業である農業の活かし方を説いた論文です。国土に根付いたものは永遠に等閑にされてはならないものであるのに、外から種えることばかりを考えた施策の結果は…。その土地、風土に合った作物を育てるべし。そんな当たり前の要諦ができていない。政治家やジャーナリズムは農家本人の声にこそ耳を傾けるべきである。現代の日本農業の在り様を已に予言していたかのように兆民の論旨は明快です。

▼…人生百般の事業の中にてア)農畝の業ほど学術応用の利を享くること難しくして、重もに累年実地の経験に頼りて事をする者はあらず。これ固より偶然にあらずして自からしからざるを得ざる道理の存ずるあるなり。即ち我第十九世紀にありて蒸気機械その他人力を代表する諸種精巧の器具も多くは貨物の製造に用ゆべくして、天然物なる草穀を1)ハショクする上には用ゆる得べからず。故へに泰西諸国に游び汽車中より外辺を眺むるの間、2)イチゾクの人家樹木の間に隠見してその中一箇二箇煙筒の直立するあるを見るときは、問はずしてその必ず工業場にして農畝場にあらざるを知るべし。工学いかに進むも理学いかに開くるも農夫の操る所は3)ジョリイ)畚耜の類に外ならずして、国の開否に由りてこれらの器具の上に幾分精利なると4)ソホンなるとの別あるのみ。まるで類を殊にするにはあらざるなり。

1)ハショク=播植(播殖)
2)イチゾク=一簇
3)ジョリ=鋤犂
4)ソホン=粗笨
ア)農畝=ノウホ
イ)畚耜=ホンシ

▼…原来農畝の事は大仕掛けを要するにあらずして胆(ママ)念にして抜け目なきを要するものなり。例せば麦穂のやや熟するに及びてはその畦間につゐて、5)ナスビ6)キュウリもしくは7)ソバもしくは何甲もしくは何乙の類を種ゆる等時季を考へ利便を慮かり、あるいは多く作りて市場に持出すことを主とする者あり。あるいはわづかに自家数口の用に充つる者あり。その業たるや零々砕々にしてかつ一年中間断とては誠に少く、ほとんど段落なき箇条書きの文章の如き者なり。いはゆる昼はウ)往いて茅刈れ、夜は爾索8)へとは流石に先哲の一言にして実に田畝事業の9)セイコク(ほし)を指したりといふべし。唯それ零々砕々にして一味の胆念を要して10)セツゼンたる段落なきが故に、凡そ天下の事の中にて農事ほど学士11)シンシン坐上の談と相容れざる者はあらず。甚しきに至りては甲地の老農が一日乙地に赴くときは本土少女にすら12)ウセツを笑はるるを免れざることあり。怪むなきなり、地味の性質風土の工合は一山を越へ一水を渉りてエ)劃然相異なること往々にしてしかり。まして数十百里の遠きを隔るにおいては万般の手続の相ひ異ならざるを得ざるは豈怪むに足らんや。

5)ナスビ=茄子
6)キュウリ=胡瓜
7)ソバ=蕎麦
8)ナへ=
9)セイコク(ほし)=正鵠
10)セツゼン=截然
11)シンシン=縉紳
12)ウセツ=迂拙

ウ)爾=なんじ
エ)劃然=カクゼン

▼…われらかつて南海に居て本土農夫の業を執るを観しに、凡百13)ソサイ及びオ)莢科に属する者大抵皆蒔付けにせずして植移(うえかえ)にするなり。因て経験のため自家の畑においてソサイを作りて蒔付と植移と並に試みたるに、植移の分は芃々然(ホウホウゼン=こんもりと草木が生い茂っている様)として緑色人衣に映ずるも、蒔付の分は幹曲がり葉縮まりて遂に14)コウフクに適すべからず。これに反して東京15)キンボウの地にありては多くは蒔付を宜ろしとす。即ち深川の茄瓜三河島のカ)蕪菁皆蒔付ならざるなし。また関西地方にてはキ)人屎を用ひて肥料となし、殊にク)蘿蔔、ケ)葫羅、コ)竜葱等一切重に根を肥やすべきものは例に尿汁を用ゆることなり。もしそれ武相の或る地にあつては尿を単用すること絶てなくして、必ず糞及びその他の物に混化して始て肥料の効を見るべし。また土地により草木の16)ドンヨウを刈り来り土中に埋めて肥料となす者あり。これらの物を用ゆるときは終歳依然として腐壊せざる者あり。土壌にサ)粘鬆の異あるがためか将た土中抱合物調剤の異あるがためか。もしまた別に故あるか。本土老農は皆自然の経験に由りて徴知して各々適当の手段施し来れり。もし深く理を究めてその所以の故を知らんと欲せば、唯泰西農植の学もしくは化学にシ)りてこれを求めんのみ。17)ソウコの文士と高冠の18)シンシとは議案を提出するの権なきなり。

13)ソサイ=蔬菜
14)コウフク=口腹
15)キンボウ=近傍
16)ドンヨウ=嫩葉
17)ソウコ=操觚
18)シンシ=縉士

オ)莢科=キョウカ
カ)蕪菁=ブセイ(かぶら)
キ)人屎=ジンシ
ク)蘿蔔=ラフク(ダイコン)
ケ)葫羅=コラ
コ)竜葱=リュウソウ
サ)粘鬆=ネンショウ
シ)資りて=・りて

▼…かつまた凡そ民業を視察するに農事を視察するほどその実を得がたきものはあらず。工商の徒はその人物大抵皆活潑19)レイリにして最も迂陋なる者にても幾分今代の空気を20)キュウキョし居り、かつ出入の算計、帳簿の記載等財況を検するにおいて一目の間に21)リョウゼンたるを得べきも、農家に至てはしからず。彼輩の生計たるや予じめ雛形あるにあらずして日一日に経営し去り、余りあれば自身もそのス)かなるを知り、足らざるを見て始てその身の貧なるを悟とり、茫々昏々として歳月を送迎して家計の豊否は独り衣食の上に顕はれ来るのみにして、始より有字の簿記あるにあらず。半遊山半視察といふが如き気楽なる事にては到底実を得べからざるなり。

19)レイリ=怜悧
20)キュウキョ=吸嘘
21)リョウゼン=瞭然

ス)優か=ゆた・か

▼…彼れ農夫をしてその22)ボクトツなる弁舌を以てその愛すべき憐れむべき恐るべき警しむべき真情を発せしめんと欲するか。高帽を脱せざれば不可なり。濶套を脱せざれば不可なり。セ)洋管やソ)洋梃や八字髯や随行官や農夫の大禁物なり。彼れ農夫は一たびこれらの怖らしきものを見るときは決して正真の供状を呈せざるなり。もしそれ郡長村長戸長の輩の過半に至ては、既に視察官その人に益するを願ふにあらず、また農民その者に利することを求むるにあらず、彼れは唯自身一己の便を求めむるなり。

22)ボクトツ=朴訥(木訥、樸訥)

セ)洋管=パイプ
ソ)洋梃=ステッキ

▼…われらの考にては今日農業を奨進せんと欲せば、各府県勧業課にせよまた別に官を置くにせよまた純然民間の業とするにせよ、本土の老農と泰西的農学士と23)コウケツして、即ち実験と学術との24)コンコウを図りてなるべきだけ今代学術の獲物を利用し、かつ封建割拠の遺習より各土皆地味の適否を問はず務めて百般の草殻を種へて、欠乏なきを求め来りたる風を一変して、重に土地に適するものを種へて農畝的分業の理になるたけ近寄るこそ肝要ならん。学士紳士畑水錬の名案は恐くは商鞅、安石の新法の如く、徒に農畝社会を25)ジョウランせんのみ。

23)コウケツ=交結
24)コンコウ=婚媾(昏媾)
25)ジョウラン=擾乱

鳩山政権に贈る「個人あっての国家なり」=兆民「評論集」1

漢検直前演習問題シリーズは、久しぶりに中江兆民先生を取り上げましょう。2009年7月19日付の記事「続一年有半」21の最後で「兆民先生ありがとう、さようなら。また会う日迄…。。。。」と別れたのですが、再会する日が訪れたようです。今回は「中江兆民評論集」(岩波文庫)からランダムにピックアップします。これも余計な解釈、語釈は無しで行きましょう。以前も扱っているのでダブらないように注意が必要ですね(「category」欄の「中江兆民」で検索してください)。

やっぱ兆民先生はいいわ。歯切れがいい。語彙もまさに一級品です。本番演習にはもってこい。


本日は「国家の夢、個人の鐘」(P265~268)。

▼…「東洋自由新聞」「自由新聞」、今まこの「自由新聞」、自由の二字を冠むりたる新聞これまでに三箇生出せり。新聞は紙なり。「自由新聞」を発行するには皮肉ある自由なるべからず。皮肉ある自由とは人なり。即ち智慧ある、感覚ある、1)カンゼイをア)む、2)ケイダンを好む、3)タイカ高楼を喜ぶ、境遇を造作する、境遇に支配せらるる、至て強きかと思へば至てイ)(ろ)き、弱点と号する無形の気孔にて充たされたる、一言すれば神と悪魔とより愛せられて常々これが4)ガンロウブツとなる、一種不可思議の動物なり。彼れそれ自由を喜びて乃ち自己の総ての発達を喜ぶと同時に、ややもすれば他人の自由を害し他人の発達を害す。彼れ心ありて善く思ひ、口ありて善く言ひ、腕ありて善く書き、自ら迷ふに由つてもしくは他人を迷はさんと欲して、ここに即ち是を非とし非を是とし、自由の二字を把り来りその意義を去りて文字だけの物となし、この二字に冠むらすに極て不適当なる題辞を以てし、この題辞もて自由の意義を破滅し、しかる後天下に呼号して曰く、我らもまた自由主義を貴ぶ者なりと。主義的5)ゲンギ師なるかな。彼らが冠むらしたる題字は、早すでに自由の意義を破滅し去れり。残る所は題字のみなり。その題字は何といふか、国家、……国家とは音調佳き語なり、6)ギリシャ7)ローマ以来その音響8)リュウリョウたり。

1)カンゼイ=甘脆
2)ケイダン=軽煖(軽暖)
3)タイカ=大廈
4)ガンロウブツ=玩弄物
5)ゲンギ=幻戯
6)ギリシャ=希臘
7)ローマ=羅馬
8)リュウリョウ=瀏亮(劉喨、嚠喨、瀏喨)
ア)嗜む=この・む
イ)脆い=もろ・い

▼…国家なるものは、近時独逸二三学士の脳髄もて発明されたる9)シンキの品物にはあらず、亜当(アダム)□遏以来、盤古氏以来、国常立尊以来、この地球上到る処、10)オヨそ人類の聚まりて、多少法度の約束ありて、腕力の使用に幾分の紀律を置きたる団結をなして、乃ち社会の存する所ろの処には国家あり。国家……国家……さまでに脳を絞り喉を脹らし腕を張りて呼号せざるも、国家は今日まで存在し来れり。今後も存在すべし。国家はこれ数千年来の品物なり。国家てう文字もまたこれ数千年来の品物なり。
 斯抜答国中国家の声音11)インインたりし、国家の元素たる個人これがために犠牲となりし。ローマ国中国家の声音インインたりし、国家の元素たる個人これがために犠牲となりし。国家の声音、中古まで響き来りて個人の声音為めに百雷中の虫声にだも値せざりし。英吉利人先づ奮発して個人の声音始て発越し、仏蘭西人次に奮発して個人の声音益々発越し、12)ジライ欧洲大陸諸国においても個人の多数は常に自己の声音を発越せんと務めたり。ウ)墺地利の国家的宰相メテルニッキが国難を避けて英国に出走したるは、激発したる個人の声音に吹飛ばされての事なり。13)ケンソウ、エ)讙譁、14)キョウゴウ、15)トッカン、オ)麵麭と呼び米と呼び憲法と呼び革命と呼ぶ、忌はしき畏ろしき、筆にするさへ不祥なる、血の逬ばしる声、肉の飛ぶ音は、皆国家てふ過大の声音の反響なりと知らずや。

9)シンキ=新奇
10)オヨそ=
11)インイン=殷々(殷殷)
12)ジライ=爾来
13)ケンソウ=喧譟
14)キョウゴウ=叫囂
15)トッカン=吶喊
ウ)墺地利=オーストリア
エ)讙譁=カンカ
オ)麵麭=パン

▼…歴史もし功なくんば、実跡もし力なくんば、16)メイモク澄坐して想像の一能に依頼せよ。人なくして国あるを得べきか。英人をなくして英国をあらし、仏人をなくして仏国をあらし、独人をなくして独国をあらす、彼らの想像は能ふか、吾人の想像は能はず。国をなくして人をあらす、諸国境上の標木を取去るも諸国人民これがために一時に消滅すべしとは、吾人は想像せず、彼らは想像するか。
 政治学者に誤られたる政治家ほど、人を殺すものはあらず。
 極端と極端とを並べて見せる、頑人の夢を覚ます唯この一法あるのみ。
 彼ら満面得々然としていはん、政府の設け、兵馬の蓄へ、鉄道の布設、官立学校、皆これ国家的の表発にあらずや。国家的にあらざれば国家は保つべからずと。少く考へよ、カ)ぐことなかれ。割出すものと割出されるものと、実に実に少しの区別あり、少しなれども区別は区別なり。17)ゴウリ千里、新羅大唐。
 割出すものこれ個人、割出されたるものこれ国家、政府の設けは個人を安んずるがためなり。兵馬の設けは個人を護るがためなり。鉄道の布設は個人を運ぶがためなり。官立学校は個人を教ゆるがためなり。
 目的と手段と、貴君これを知れりや、大兄これを省せりや。個人これ目的なり、国家これ手段なり。国の中には人実に元素たり、世界の中には国実に元素たり。
 ここより以後は黄河万里の勢、千編筆すべし、万編論ずべし。

16)メイモク=瞑目
17)ゴウリ=毫厘(毫釐、豪釐)
カ)躁ぐ=さわ・ぐ

「チロウ」は中々出ないんじゃないぞ!もっと己を「攻く」「攻める」べし=兆民「続一年有半」㉑・完

 

中江兆民の「続一年有半」シリーズの第21回です。竟にオーラスです。621日からスタートした兆民大先生の最後の著作物を問題形式で翫わうシリーズも愈々大団円を邀えました。ほぼ1カ月、、、思ったよりも時間がかかりました。それは兆民先生の語彙が、今際の時にもかかわらず質量共に圧倒的に豊富だったからです。かたや同じ言葉が何度も盛り込まれていることから、いわゆる「兆民語」なるものが我々読者にも多少なりとも感覚的にせよ身に付いたのではないでしょうか。いや、少なくとも抵抗感が薄れたのではないでしょうか。漢学、漢籍に裏打ちされた兆民先生の語彙は、漢検1級で求められる語彙に称っていると確信します。是非とも本番前に再び目を通して、復習することをお勧めいたします。

 

「続一年有半」の最後で、兆民先生が「神の有無、霊魂の滅不滅、世界の有限無限、及び始終ありやなきや、その他無形の意象等、古来学者の聚訟する五、七件を把て意見を述たに過ぎない」と述べています。自身の哲学、いわゆる「ナカエニスム」は孝徳秋水ら弟子が集大成してくれるように託しているのです。こうした漢字学習という形ではあるにせよ、21世紀の現代人が彼の作品を、彼の思想を学び、翫わうことでその一端(ナカエニスムの集大成)をになうことができればハッピーですね。いや、になうだけではいけない。さらに発展させなければ。政治、社会、経済、家庭…現下の日本の危機的状況を克服するヒントが秘されているとすら思うのですが、うまく言葉に言い表せない。。まだまだ精進が足りません。

 

 

 さて、本日は前回の「十七 自省の能」の続きからです。

 

 吾人は則ち言ふ、これは決して未来の裁判を要する所の条件ではない。そもそも自省の一能がイメツして自身の行の善悪を感ぜぬほどの人物は、世界の最も憐れむべき人物である。世人皆爪弾きして憎悪しつつある中に立て己れ独①シャゼンとして自省せぬのは、これは最早人間とは言はれない、②ガンメイなる一肉塊と言はねばならぬ。それ人間の徳行に最も必要なる、即ち人として③キンジュウと区別するに唯一の具たる自省の神火が④ソクメツしてわが法身全く暗黒を成せるが如きは、世界でこれに上㋐す懲罰のあるべきはずがない、精神的に無形の⑤チロウに投ぜられたものといはねばならぬ。自省の明の貴尚すべきはかくの如きものである。

 

 ㋐〔・す〕→音読みは〔ユ〕・「踰月」(ユゲツ)=その月をこして、次の月になる、「踰越」(ユエツ)=自分の本分・職分をこえる・「日月踰邁」(ジツゲツユマイ)=月日がどんどん過ぎること、年老いて死期が近くなること=「日月逾邁」とも、「踰閑」(ユカン)=守るべききまりを守らない

 ①〔 洒 然 〕→意味〔心がさっぱりとしてわだかまりのないさま、全く気にせずそこ吹く風といったさま〕・「」は〔あら・う〕〔そそ・ぐ〕とも訓む・「サイ」の音読みもあり、「洒掃」(サイソウ)=水を蒔き、ほうきではく、「洒濯」(サイタク)=あらいすすぐ

 ②〔 頑 冥 〕→意味〔かたくなで道理にくらい、がんこで愚かなこと〕・「頑迷」(道理をわきまえない)とも似ているので要注意です。「がんめいころう」は〔頑迷固陋〕、「めいがんふれい」は〔冥頑不霊〕、「ころうかぶん」は〔孤陋寡聞

 ③〔 禽 獣 〕→意味〔とりや、けもの〕・「鳥獣」ともいう・「禽息鳥視」(キンソクチョウシ)=いたずらに生活の糧を求めるだけで高い志のないことをたとえる

 ④〔 熄 滅 〕→意味〔ほろびてなくなる、物事が止む・やめる〕・「」は〔や・む〕〔き・える〕とも訓む・「熄火山」(ソッカザン=休火山)

 ⑤〔 地 牢 〕→意味〔地下牢〕・「遅漏」ではない

 

 

 かつ懲罰を以て復讐的のものとしやうとして、ここに以て犯と罰とが相ひふのを重要視するが如きは、尤も⑥ロウケンといはねばならぬ、虫の喰つてる旧思想といはねばならぬ。死刑を廃せんとの傾向正に㋑なる今日において、復讐的刑法を割出しとして哲学の一説と為すが如きは、尤も⑦ビュウレイといはねばならぬ。

 

 ㋑〔さかん〕→音読みは〔イン〕・「殷賑」「殷軫」「殷盛」「殷富」「殷阜」「殷雷」「殷盛」「殷昌」・「おお・い」とも訓む・「あか・い(黒みがかった赤)」との訓みもあるが、この場合の音読みは「アン」→「殷紅」(アンコウ

 ⑥〔 陋 見 〕→意味〔せまくてつまらない意見・考え、自分の意見を謙遜していう言葉〕・「」は〔せま・い〕〔いや・しい〕とも訓む・「陋廬」(ロウロ)=「矮屋」(ワイオク)、「陋賤」(ロウセン)=むさくるしくて下品、「賤陋」(センロウ)とも・「老犬」ではない

 ⑦〔 謬 戻 〕→意味〔あやまって道理にもとる、道理と食い違うこと〕・「」は〔あやま・る〕と訓む、「」は〔もと・る〕

 

 

 (十八)帰納、エンエキ

 

 余は前章で既に推理の一力を論述したが、更に細に論ずれば、推理の方法に自ら二種ありて、一は⑧エンエキで、一は帰納である。

 

 ⑧〔 演 繹 〕→意味〔一般的な原理をおしのばして特殊の事象を導き出すこと、また、そのような考え方〕・対義語は「帰納」・「」は表外訓みで「の・べる」・1級配当の「」は〔たず・ねる〕とも訓む

 

 帰納は箇々の道理を⑨コウキュウし⑩ソウルイして上つて、これら道理を包容する所ろの大理に㋒するをいふのである。エンエキは正にその反対で一の大理を前に置きソウルイして下つて、これが包容する所ろの箇々の道理を㋓するをいふのである。この両事は普通一般のものであつてほとんど知らない者はないのだから、ここにはただその目を挙ぐるだけで最早詳論する必要はあるまいと思ふ。

 

 ㋒〔そかい〕→意味〔水の流れにさからってぐるぐる回りながらのぼること、さかのぼって思い起こすこと〕・「溯」は「遡」・「」は配当外で「川の流れをさかのぼる」

 ㋓〔さいせき〕→意味〔ひろいあつめること〕・「」は配当外で「寄せ集める」

 ⑨〔 攻 究 〕→意味〔突っ込んで研究すること〕・「」は「おさ・める」「みが・く」と表外訓み・「攻学」(コウガク)=学問を研究する、「攻玉」(コウギョク)=智徳をみがくこと、「攻心」(コウシン、こころをおさむ)=心をきたえ徳をみがくこと・「後宮」「惶急」「遑急」「好逑」「好仇」「羔裘」「恒久」「高給」「高級」「購求」「降級」が同音異義語です

 ⑩〔 層 累 〕→意味〔幾重にもかさなること〕・類義語は「層畳」(ソウジョウ)、「層沓」(ソウトウ)・「藻類」「瘦羸」「走塁」ではない

 

 

 第三章 結論

 

 かくして道徳論理と順次論道すべきはずではあるが、元これ組織的に哲学の一書を編するのではない、組織的に一書を編するのは、著者今日の境遇の容るざる所ろである、故に首章より輒ち雑乱を極めて居る。但大体趣旨とする所ろは、神の有無、霊魂の滅不滅、世界の有限無限、及び始終ありやなきや、その他無形の意象等、古来学者の聚訟する五、七件を把て意見を述たに過ぎない。他日幸にその人を得てこの間より一のナカエニスムを組織することがあるならば、著者に取て⑪ホンカイの至りである。

 

 ⑪〔 本 懐 〕→意味〔本来のおもい、宿志、宿願〕

 

 

 兆民先生ありがとう、さようなら。また会う日迄…。。。。

「ジチ」って自治?いいや放っておいても分かることさ=兆民「続一年有半」⑳

 中江兆民の「続一年有半」シリーズの第20回です。ラス前です。

 

 (十七)自省の能

 

 自省の能とは、己れが今ま何を為しつつある、何を言ひつつある、何を考へつつあるかを自省するの能を言ふのである。

 

 自省の一能の存否、これ正に精神の健全なると否とを徴すべき証拠である。即ち日常の事に徴しても、酒人が杯を挙げながら「大変に酔ふた」または「大酔ひである」などと明言する間は、さほどに酔ふては居ない、少くとも自身の能がいまだ①イメツしないのを証するもので、決して乱暴狼藉には至らぬのである。また精神病者が自身に「己れは少し変だな」などと言ふ中は、やはり酔漢と同じで、いまだ自省の能を喪失しない、乃ち全然狂病者とはなつて居ない徴候である。

 

 ①〔 萎 滅 〕→意味〔しおれてなくなること〕・「」は〔しお・れる〕〔な・える〕〔しぼ・む〕と訓む・「萎禾」(イカ)=枯れてしおれた苗、「萎靡沈滞」(イビチンタイ)=物事の動きに活気や勢いがないこと

 

 吾人はただこの自省の能があるので、およそ己れが為したる事の正か不正かを皆②ジチするのである。故に正ならば自ら誇りて心に愉快を感じ、不正ならば自ら悔恨するのである。この点からいへば、道徳といはず、法律といはず、およそ吾人の行為は、いまだ他人に知られざる前に吾人自らこれが判断を下して、これは道徳に反する、これは法律に背くと判断するのである。故に道徳は正不正の意象とこの自知の能とを③キシとして建立されたるものである。啻に主観的のみならず客観的においても、即ち吾人の独り極めでなく、世人の目にも正不正の別があつて、而してまたこの自省の一能があるために、正不正の判断が公論となることを得て、ここに以て道徳の根底が樹立するのである。

 

 ②〔 自 知 〕→意味〔おのずから自然と知ること、放っておいても分かること〕・辞書には没い兆民語・四字熟語に「冷暖自知」(レイダンジチ)があり「自分のことは他人から言われなくても自分でわかることのたとえ」・「自治」ではないので要注意

 ③〔 基 址 〕→意味〔建物の土台、転じて物事が成り立つもと〕・「基趾」とも書く・「」は〔あと〕とも訓む・「城址」(ジョウシ)、「旧址」(キュウシ)、「遺址」(イシ)

 

 世にはこの自省の能の極て微弱な人物が多々あるが、その人は恐くは世界不幸の極といはねばならぬ。たとひ身④チョウキを極め⑤フコウを㋐ねても、徒らに㋑々然として世を送りて、人てふものは皆かくあるべきはずだと思つて居る風で過ぎ去る者がいくばくなるかを知らぬのである。これ皆食ふに味を知らざると一般で、わが日本旧華族の大旦那は大抵この一輩の人物である。これに反し、たとひ一⑥タンシ一⑦ヒョウインでも時々自ら⑧テイセイして、即ち自省の能を使ふて自己の位地を点検して、いはゆる⑨フギョウ天地に愧ぢぬのを以て自ら楽み、いはゆる「採菊⑩トウリ下悠然見南山」底の境界に⑪ユウユウしたならば、その幸福は如何であるか。自省の能の有無は賢愚の別といふよりはほとんど人獣の別といふても良いのである、これあれば人でこれなければ獣である、世間如何して獣的人物が多いであらう。

 

 ㋐〔かさ・ね〕(表外訓み)→「かさねる」はほかに「褶ねる、荐ねる、套ねる、複ねる、畳ねる、塁ねる、襲ねる」

 ㋑〔ぼうぼうぜん〕→意味〔目が見えないさま、くらくてぼうっとしているさま〕・「」は配当外で「ボウ」・「蒙」「盲」が類義語・「騰」(ボウトウ)は「うっとりする、頭がぼんやりとしてふらふらするさま」

 ④〔 寵 貴 〕→意味〔世に持て囃され、たっとばれること〕・「寵姫」「長跪」「趙岐」「肇基」「朝暉」「長期」「兆寸」「弔旗」ではない・「」(大切に可愛がる)の反対は「」(粗末に扱う)

 ⑤〔 富 厚 〕→意味〔財産が多く、豊かなこと〕・「富実」(フジツ)ともいう・「不幸」「阜康」「溥洽」「誣構」「普洽」「孚甲」「不苟」ではない

 ⑥〔 簞 食 〕→意味〔竹の器の飯〕=清貧に甘んじるたとえ・四字熟語で「簞食瓢飲」(タンシヒョウイン)・孔子が弟子の顔回の清貧ぶりをたたえた語・「論語・雍也」に出てくる・類義語に「一汁一菜」(イチジュウイッサイ)、「顔回簞瓢」(ガンカイタンピョウ)、「羹藜含糗」(コウレイガンキュウ)、「朝齏暮塩」(チョウセイボエン)、「断薺画粥」(ダンセイカクシュク)・「覃思」「潭思」「耽嗜」「譚詩」「耽思」「端子」短資」ではない

 ⑦〔 瓢 飲 〕→意味〔ひょうたんに入れた飲み物〕=同上・「」は〔ひさご〕〔ひょうたん〕とも訓む・「豹隠」ではない

 ⑧〔 提 醒 〕→意味〔はっきりと自覚すること〕・辞書にはない兆民語・「鄭声」「訂正」「鼎盛」「提撕」「帝政」ではないが、「提撕」(テイセイ)は「後輩や後進の者を教え導くこと」

 ⑨〔 俯 仰 〕→意味〔うつむここととあおぐこと〕・「俯仰天地に愧じず」は成句で「仰いで天に対しても、ふして地に対しても、心に疾しいことがないから恥じることがない、自分の心や行いに少しもやましいことがないこと」=出典は「孟子・尽子」

 ⑩〔 東 籬 〕→意味〔東のかきね〕・出典は陶淵明の「飲酒」です・「偸利」「桃李」「董理」「蹈履」「凍梨」「党利」ではない

 ⑪〔 優 游 〕→意味〔ゆったりとしているさま、こだわらないで自分の身を運命や世の成行にまかせるさま〕・「悠悠」「黝黝」「邑邑」「悒悒」「囿游」ではない

 

 未来の裁判の説を主張する者、動もすれば言ふ、世にはその自省の能のない者ともが、⑫インゼン大悪を為しつつ⑬ホウショウの⑭チュウに漏れて、平気で少も悔ゆることを知らず、かへつて自ら㋒として居るものが寡くない。此輩にあつては道徳自身の裁判は㋓に微弱であるが故に、必ず未来の裁判を待て始て罪過と懲罰と相ひ㋔ふことを得るので、さなければ自省の能のイメツしたものは、この世においては言はば道徳的の「フヂミ」である云々。

 

 ㋒〔ほこり〕→音読みは「コ」・「夸者」(コシャ)=ほこりたかぶる人、「夸毗」「夸毘」(以上コヒ)=へつらい従うこと

 ㋓〔まこと・に〕→音読みは「ジュン」・「洵美」(ジュンビ)=ほんとうに美しいこと

 ㋔〔かな・ふ〕(表外訓み)→意味〔つりあうこと〕

 ⑫〔 隠 然 〕→意味〔とくに表面にあらわれないが、重み・勢力を中にひめているさま〕

 ⑬〔 法 章 〕→意味〔規則、法律〕・類義語は〔法度、法典〕

 ⑭〔    〕→意味〔死刑〕・訓読みは〔ころ・す〕〔せ・める〕〔ほろ・ぼす〕・「誅求」(チュウキュウ)=税金を厳しくとり立てる、「誅翦」(チュウセン)=罪をせめて罰としてころす、「誅戮」(チュウリク)=罪のある者をころす、「誅殄」(チュウテン)=罪をせめてころす

「呶々」は五月蠅いわ!「カグ」?…って臭くはないのに=兆民「続一年有半」⑲

 中江兆民の「続一年有半」シリーズの第19回です。

 

 (十五)意象の聯接

 

 また意象のレンセツなる者がある、乃ち甲の意象が乙の意象を牽引し、丙に丁に波及するのである。

 

 ①〔 聯 接 〕→意味〔つながり続くこと、また、つらね続けること〕・「」は「連」が書き換え字です、「聯袂辞職」(レンベイジショク=大勢が行動をともにし、そろって職を辞すこと)も「連袂辞職」

 

 夢中で見る所ろはこの意象のレンセツに由ることが多いので、即ち㋐に考へれば極て縁由のないやうな意象でも、その同時に記性中に入たとか、相継で入たとか、必ず幾分の因縁があつたがために、記性中に相並びて蓄蔵せられて居たのがその夢に由りてまたは思考に由りて惹出される時に、牽聯して出て来るのである。彼の狂病者が甲の事を㋑呶々するかと思へば、また乙の事を呶々して、その間少も縁故がないやうではあるが、彼れ病者自身にあつては恐くはこの意象のレンセツに由りてかくそれからそれと移り往くのであらう、②キョウシツを専門とする医人は宜く深く研究すべきである。

 

 ㋐〔にわか〕→正確には「遽か」と送る・ほかに「俄、霍、驟、駛、溘、伜、倅、卒、倉、猝、暴」がある

 ㋑〔どうどう、どど〕→意味〔くどくど言うこと、やかましく言うこと、また、そのさま〕・「」は〔かまびす・しい〕とも訓む・「喧呶」(ケンド、ケンドウ)は「やかましく叫ぶさま」

 ②〔 狂 疾 〕→意味〔精神障害、神経障害〕

 

 また記憶は意象のレンセツに由りて成立ちて居るといふても可いやうである。幼時書を読みて記憶に存せんとする時に音訓の似たものまたは形質の類したものを切掛けとして、記憶を助けることがある、これ正に意象レンセツの理に㋒るのである。推理の事、想像の事は、前に已に叙述したので最早ここに言ふの必要はない。

 

 ㋒〔・る〕→意味〔かこつけること〕・「藉」を〔よる〕と訓むのは珍しい、通常は「・く、・す、・りる」

 

 

 (十六)断行、行為の理由、意思の自由

 

 また断行の一事について古来相応に議論があつて、これに由りて行為の理由と意思の自由との二項が出来て、随分争論の種となつて居る。

 

 行為の理由とは、吾人が何か為さんとするの場合には必ず一定の目的がある。この目的が乃ち云々せしめまたは斯々せしめるので、これ正に行為の理由である。而してこの行為の理由即ち目的がただ一箇であればそれまでだが、二箇以上である時には、わが精神は果て自身に選択してその一を取り、少も目的から制せらるることはないのであるか。即ちわが精神にはいはゆる自由の意思があるか、またさはなくて目的一箇なる時に論なく二箇以上が前に臨来つた時において、わが精神はその一を択ぶやうでも、実はその中の尤もわが精神を誘ふ力のあるものが、他の一を排斥して己れを択ばしたのであるか。即ち吾人が自ら択んだのではなくて、目的の誘導力が吾人をして択ばしめたのであるか。これを要するに、行為の理由が実に全権を有して居て、意思の自由は名のみであるか、または意思の自由は真に存在して、目的は吾人の選択に任されつつあるか、これ実に大困難事である。

 

 古来宗旨家及び宗旨に魅せられたる哲学家は、皆意思の自由を以て完全のものとなして居る。而して吾人の行為を出すには、その目的とすべき所ろのものが二箇三箇前に臨んでも、吾人は自由自在にその一を択びて少もこれが制を受けない、これ正に自由の尚ぶべき所ろである。もし左はなくて吾人が常に目的即ち行為の理由のために誘はれて、それに由りて断行するとした時は、善を為しても必ずしも賞すべきでない、悪を為しても必ずしも罰すべきでない、エンゼン磁石と鉄との如く、思ふに任せぬ事と言はねばならぬ。吾人の精神は決してかかる薄弱なものではないと言て居る。

 

 ③〔 宛 然 〕→意味〔さながら、まるで、あたかも〕・「嫣然」「婉然」「艶然」などと書き分けられるようにしておこう

 

 これ一応尤もである。吾人の行為が一々目的に誘致せられて、自然に云々し自然に斯々するとした時には、吾人の精神はあたかも風に従ふ柳の如くで、極て価値のないもののやうに思はれる。けれども深く事項を研究したならば、奈何せん、実際意思の自由といふものは極て薄弱なものである。

 

 近く譬を取れば、ここに酒一樽と④ボタモチがあるとせよ。上戸は必ず酒樽を取るであらう、下戸は必ずボタモチを取るであらう。もしさはなくてその上戸が㋔らに意表に出でてボタモチを取たとすれば、これは必ず一座の様子を見てかくしたもので、やはり自己以外に行為の理由があつて、純然意思の自由から割出したのではないのである。もしまた上戸が他にためにする所ろもないのに、自分の意思から平生に反してボタモチを取たとすれば、これ意思の自由とは意味のない事にならねばならぬ。

 

 ㋓〔ひとさら〕→意味〔一皿〕・「」は配当外で「チョウ」と読み、「薄く小さな皿」

 ㋔〔ことさ・ら〕→正確には「故に」と送る・意味〔わざと、故意に〕・「殊更」とも書く

 ④〔 牡丹餅 〕→意味〔糯米に粳米を少し混ぜて炊き、軽く搗いて摶め、小豆餡・黄粉などをつけた食物、おはぎ〕・ま、書き問題で出ますね

 

 また道徳に渉る目的が二箇あつて前に臨み来つたとせよ。即ちその一は明に正で、その一は明に不正で、その中の一に決すれば法律若くは道徳の罪人になるといふが如き場合では、ソクラットや孔丘は直にその正なる者に決するであらう、盗跖や五右衛門は直にその不正なる者に決するであらう。㋕にこれのみでない、ソクラットや孔丘は、たとひ洒落に物数奇に、一たび故らにその不正なる者を取らうとしても、必ず自ら忍ぶことが出来ないで、必ず竟にその正なる者を取るに相違ない。これは即ちソクラット、孔丘、盗蹠、五右衛門の意思に自由はない証拠である。

 

 ㋕〔ただ・に〕→音読みは「シ」・意味〔ただ単に、~だけ、後にのならずなどの言葉と伴って使用する〕・「啻ならぬ」との用法もある

 

 しかればソクラットや孔丘は鉄に惹かれる磁石の如きもので、別に聖人とか賢人とか称讃すべきでないのであるか、盗蹠、五右衛門も同く鉄に惹かるる磁石であつて、こまた憎むべきではないのであるか。否々々、彼らは彼らの素行において、正に⑤ホウすべきと⑥ヘンすべきとの別がある。彼らの平生⑦シンドクの工夫の有無において、正に賞すべきと罰すべきとの別がある。ソクラット孔丘は、平生身を修め行を㋖くの功で、竟に善にあらざれば為さんと欲するも為すに忍びざるまでに、良習慣を作り来つて居る処が、これ正に⑧キショウすべきである。これに反して盗蹠五右衛門は、悪事を好むこと食色の如き平生の悪習慣が、正に憎むべきである。故に吾人の目的を択ぶにおいて果て意思の自由ありとすれば、そは何事を為すにも自由なりと言ふのではなく、平生習ひ来つたものに決するの自由があるといふに過ぎないのである。

 

 ㋖〔みが・く〕→音読みは〔れい〕・訓では〔あらと〕〔といし〕とも訓む・「淬礪」(サイレイ)、「砥礪」(シレイ)・ほかに「研く、磋く、瑩く、擂く、砺く、砥く、瑳く、琢く、攻く、磨く」がある

 ⑤〔  〕→意味〔ほめること〕・↓と対の語・「褒貶」(ホウヘン)

 ⑥〔  〕→意味〔けなすこと〕・訓では〔けな・す〕〔おとし・める〕〔お・とす〕〔さげす・む〕と訓む

 ⑦〔 慎 独 〕→意味〔独りを慎む、独りで居るときこそ行動を慎むべきである、出典は「中庸」の「君子は其の独りを慎むなり」〕・兆民語

 ⑧〔 貴 尚 〕→意味〔貴重なものとして尚ぶこと〕・兆民語・「気象」「奇聳」「毀傷」「譏誚」「譏笑」「企踵」「饋餉」「熙笑」「稀少」「嬉笑」「餽餉」「跂踵」「記誦」「騎牆」「起牀」「麾招」「愧悚」「奇峭」「奇捷」「危檣」「卉裳」ではないですが、これほど1級配当絡みの同音異義語があるのも珍しいですね、裏を返せば本番で狙われるということで、克服し甲斐がありますなぁ…

 

 もし行為の理由即ち目的物に少も他動の力がなくて、純然たる意思の自由に由て行ひを制するものとすれば、平生の修養も、⑨シイの境遇も、時代の習気も、およそ気を移し体を移すべき者は皆力なきものとなり了はるであらう。これは歴史の実際において打消されて居る。

 

 ⑨〔 四 囲 〕→意味〔周囲、ぐるり、まわり〕・「思惟」「脂韋」「尸位」「四夷」「鴟夷」「恣意」「徙倚」「肆意」「祗畏」「緇衣」ではないが、これも多い…

 

 これ故に人をして道徳的二個以上の事項が目前に臨む時に、必ずその正なる者について不正なる者を避けしめやうとするのには、幼時よりの教育が極て大切である。平時交際する所ろの朋友の選択が大に肝要である。もしかくの如き修養なくして漫然事に臨んだ日には、その不正の者に誘惑されないのは㋗れなのである。⑩セイチアンコウの大聖人と、移らず済度すべからざる⑪カグとのほかは、平時の修養如何に由りて善にも赴き悪にも赴むくこととなるのである。我れに意思の自由があるといつて、㋘りに自ら㋙みて事に臨めば、その邪路に落ちないものはほとんど希れなのである。即ち強窃盗の罪人が下層社会に多くて、詐偽⑫ガンゾウの罪人が中産以上に多いのは、その境遇階級が乃ち然らしむるのである。意思の自由を軽視し行為の理由を重要視して、平素の修養を大切にすることが、これ吾人の過ちを寡くする唯一手段である。

 

 ㋗〔・れ〕→通常は一字で「罕」・音読みは「カン」・「稀、少、希」も「まれ

 ㋘〔みだ・り〕→意味〔いじきたない、不相応に恩恵を受けるさま〕音読みは「トウ」・ほかに「胡り、漫り、浪り、乱り、猥り、妄り、濫り」・「むさぼ・る」との訓読みもある・「叨恩」(トウオン)=みだりに恩恵を受けること、「叨窃」(トウセツ)=分不相応なものを持つ、不当に高い地位を得る、「叨冒」(トウボウ)=「叨貪」(トウタン)=官吏が私利を貪り、賄賂をほしがること=類義語は「貪冒」(タンボウ)

 ㋙〔たの・み〕→音読みは「ジ」「たよ・る」とも訓む・「怙恃」(コジ)=たよりになるもの、父母のこと、「恃頼」(ジライ)=たのみとすること=「恃憑」(ジヒョウ)、「恃気」(ジキ)=勇気をたのむ

 ⑩〔 生知安行 〕→意味〔生れながらにして人のふみ行うべき道を熟知し、心安んじてそれを行うこと、出典は「中庸」〕・類義語は〔良知良能〕(リョウチリョウノウ)

 ⑪〔 下 愚 〕→意味〔話にならないほどの愚か者〕・兆民語・「家具」「嗅ぐ」ではないよね

 ⑫〔 贋 造 〕→意味〔本物そっくりに似せてつくること、また、そのにせもの〕・「」は〔にせ〕と訓む

「ニッカン」って日刊?日韓?肉感?いえ…=兆民「続一年有半」⑱

 中江兆民の「続一年有半」シリーズの第18回です。

 本日は前回の「(十三)神の意象」の続きからです。

 

 

 元来吾人がその軀体の作用たる精神を、体外に発出するは何如してである、取も直さず五官と号する窓を経て発出するではないか。もし目がなければ何に由りて色彩に関する影象を得やう、耳がなければ何に由りて音韻に関する影象を得やう、①シュウコウの影象、②シミの影象、③ケンゼイ、寒熱等④フキに関する影象、皆この窓より惹き入るるのである。吾人もし仮りに㋐たる⑤コントン的肉塊であつたならば、何の影象も得るに由なくて、乃ち吾人の記性は常に㋑として無一物であらう、海に浮ぶ海月と一般だらう、何の先天的の意象もあるべき道理はない。

 

 ㋐〔たいぜん〕→意味〔あとに退いてすなおにしたがうさま、退然〕・「」は配当外で「くずす、くずれる、おちる」という意味・「瘁」(タイスイ)=物が崩れてこわれる=「頽瘁」(タイスイ)

 ㋑〔りょうぜん〕→意味〔ぼんやりしたさま〕・「」は配当外で「かどばった、いかつい」

 ①〔 臭 香 〕→意味〔におい〕・「衆口」「羞紅」「就航」「修好」「醜行」「周航」ではない

 ②〔 旨 味 〕→意味〔あじ、うまみ〕・「蠹魚」「紙魚」ではない

 ③〔 堅 脆 〕→意味〔かたいこととやわらかいこと〕・「」は〔もろ・い〕とも訓む・「脆味」ゼイミ)は「歯切れが良くて美味である」・「脆美香味」(ゼイビコウミ)・「香美脆味」(コウビゼイミ)は「豪華でぜいたくなすばらしい食事のこと」・「県税」ではない

 ④〔 膚 肌 〕→意味〔はだ〕・「棋譜」「寄付」「亀趺」「欺誣」「鬼斧」「貴腐」ではない・

 ⑤〔 混 沌 〕→意味〔形がはっきりしない様子、雑然として区別がつかないさま〕・「渾沌」(コントン)、「混淪・渾淪」(コンリン)とも書く

 

 プラトンは実質を不完全とし、意象を完全とし、意象なるものは吾人前世にあつた時、即ちいまだ罪を獲て娑婆に⑥タクせられざる前、即ち常に神の⑦シッカに侍して、完美⑧ホウスイの物のみ見聞した時の遺物として今なほこれを有して居るので、即ち意象なるものはこの世の実物を形写するではなくて、前世の完美ホウスイの物を影写して出来たのであると言つた。而して世の哲学者皆プラトンを以て病狂者と為さずして、高遠無比の大哲学者と為してこれを崇拝するとはむしろ笑止の極ではないか。

 

 ⑥〔    〕→意味〔官職を落として地方に流すこと、罪を責めて罰すること〕・「謫落」(タクラク)=罰して辺境に左遷すること、「謫徙」(タクシ)=とがめを受けて官位を落とされ地方に左遷されること、「謫居」(タッキョ)=罪をおかしその罰として遠方へ流されること、また、そこでの侘び住まいのこと

 ⑦〔 膝 下 〕→意味〔ひざもと、主君・親などのそば近く〕・「膝癢搔背」(シツヨウソウハイ)=ひざがかゆいのに背中をかく、見当違いのことをするたとえ

 ⑧〔 豊 粋 〕→意味〔豊かで立派なこと〕・辞書にはない兆民語・「豊瘁」「烽燧」「烹炊」「放水」「豊水」ではない・ちょっと難しいですね…

 

 以上論ずる所ろに由れば、意象の系図知るべきである。実物に関するものは無論のこと、即ち無形で殊に実物とは何の交渉もなきかの如く思はれるものでも、その始めは必ず五官の窓から吾人の精神を誘発し⑨カンコウ(カンキョウ)し来る所の外物が、先づこれが模型となり、ケンレンし、変化し、絪縕し、化醇して影象となり、記性中で若干時月を経る中に、また変じて純然抽象的となりてここに以て意象を作成するのである、しかれば意象の作成には記性最も与りて力ありといはねばならぬ。

 

 ⑨〔 感 興 〕→意味〔物事に興味を覚えること〕・ルビは「カンコウ」と振られていますが、辞書には「カンキョウ」で載っていました、どっちでもいいのでしょうかね?どっちしろ「観光」「環境」ではない

 

 (十四)記 憶

 

 記性または記憶は精神の一方面で、総て五官の窓から入り来る外物の絵画、即ち影象を蓄へてこれを消化し、これを⑩ソシャクし、これを整列し、新旧を別ち各々歳月日時を附して、他日の用に備ふる能力である。記性の強弱は或点までは吾人人類⑪ケングの別を為す財料の重なるものとなつて居る。彼れ白痴者病狂者は多くは記性の完全ならざる徴候を見はして居る。ハツクスレー、リツトレーの属がその記性中に⑫チクゾウした意象の数は、凡そいくばく千万億であつたらう。而して田舎の翁媼の如きはその有する所ろの影象たる、米麦その他の物類に過ぎないのである。その優劣果して如何である、記性中の意象の多少は、あたかも商家⑬コチュウ品物の多少もて貧富を別つと一般である。

 

 ⑩〔 咀 嚼 〕→意味〔良くかんで消化すること、物事や文章などの意味をよく考えて味わうこと〕・「」も「」も「か・む」

 ⑪〔 賢 愚 〕→意味〔かしこいこととおろかなこと、賢者と愚者〕

 ⑫〔 蓄 蔵 〕→意味〔たくわえしまっておくこと〕

 ⑬〔 庫 中 〕→意味〔くらの中〕・これはひっかっけ問題で「壺中」ではない・「壺中天」(コチュウのテン)は押さえて…

 

 記性はまた夢と密接の関係を有して居る。夢なるものは記性中にある意象を引出して、現にその意象の源頭たる実物に接するが如く自信するのである。即ち死だ父母または友人に係る影象を引来つて、その夢の間はあたかも直ちにその生時に父母に逢ひ友人に逢ふが如くに信じて、決して死人としてこれを遇せぬのが例である。

 

 また脳神経⑭キョウケンの時は、多くは遠い過去の事、即ち幼時の事を夢みるので、⑮ニッカン遭遇した所ろの事柄は、殊にこれが誘因と為るに過ぎないのである。乃ち場所の如きでも、多くは童子の時⑯チョウユウした処とか幼時居住した家とかを夢みることが多くある。これに反して脳神経の疲労した時は、直ちに近事(時カ)の事を近事として夢みるのである。これは神経過敏になつて日常遭遇する所ろの事物でも、深く神経を動かしてここに至ると見ゆるのである。

 

 ⑭〔 強 健 〕→意味〔がっちりして健康であること、強壮〕・「驕蹇」「矯虔」「狂狷」「恭虔」「強権」「狂犬」「強肩」ではない

 ⑮〔 日 間 〕→意味〔ふだん、ちかごろ、このごろ〕・「日刊」「日韓」「肉感」ではない

 ⑯〔 釣 游(遊) 〕→意味〔釣りをしてあそぶこと〕・「長揖」ではない

「ホウカ」?下膨れは富貴の人相だぁ!=「続一年有半」⑰

 中江兆民の「続一年有半」シリーズの第17回です。

 

 (十二)無形の意象

 

 吾人幼時から見物する所ろの物、例へば馬牛犬豕の如き皆一の絵画となりて、記性中に印せられて居る。即ち生れていまだ絵を学んだことのない者でも、一たび①メイモクして馬の事を思ふ乎、犬の事を思ふ乎、何日か見た所ろの馬犬の影象が儼然として意念中に現出すること、極て巧みな画工の描ける絵を異ならぬ。また書を読み字を識る者は、あるいは絵でなく字で現出する、また抽象的に馬または犬の事が浮出する、これがいはゆる意象である。これらは勿論五官に接触する実物だから論はないが、さて正不正、義不義、美不美等のいはゆる無形の意象でも、その実やはり五官を経由して出来て居る、五官に関せぬなどといふのは②フセン極まる言事である。

 

 ①〔 瞑 目 〕→意味〔目をつむること〕・「」は〔つむ・る〕〔つぶ・る〕〔くら・い〕〔くら・む〕と訓む・「」「」「」がとてもよく似た漢字で意味も似ており、区別には注意が必要です。「目」扁なので「つむる、つぶる」の意味は浮かぶでしょう残りはすべで「くらい」の意味があります。「瞑眩(メイゲン、メンゲン)=めがくらむこと、めまい、特に強い薬で起こるめまいのこと

 ②〔 膚 浅 〕→意味〔あさはかなこと、物事を深く考えず思慮に欠けること〕・類義語〔浅薄〕・「」は〔はだ〕とも訓む

 

 けだしおよそ意象といひ影象といひ、皆三、五歳の幼時より漸次に記性中に印せられて居るものである。彼れ幼童が怒て他の童を㋐つとか、両親の命に背きて何か㋑曲事を為すとか、いづれ絵に写されべき、形を図せられべき、具体的の行事よりして、正不正の意象が源頭し来るのである。観劇の際、由良之助の城渡を見て具体的に義の意象を生じ、斧九太夫を見て具体的に不義の意象を生じ、小野の小町が美の意象のモデールとなり累ねの顔が醜の意象のモデールとなる等、とにかく即時事に遇ひ物に接し、具体的に即ち影象的に絵図的に記性中に捺印して、その後は実物を離れて直に記性中の影象と交渉するに至りて純然たる無形の意象を成すのでも、その源頭はここに述る如く必ず五官を経由して来たのに相違ないのである。

 

 ㋐〔・つ〕→「打つ」と同義・「撾」は配当外の漢字で「タ」。「撾殺」(タサツ)=なぐり殺す

 ㋑〔くせごと〕→意味〔正しくない事柄、道理に背いた事〕・「曲」を「くせ」と訓むのは表外訓み・「曲者」「曲舞」「曲人」「曲形」

 

 (十三)神の意象

 

 特に神の如き、幼時両親の③ゴワを聴き、これ極て慈善なる、温和なる、愛らしき顔の、色の白き面の、④ホウカで福々しい、⑤シュゼン雪の如き、常に⑥カンジとして㋒みつつある、老後旅行中の水戸西山公にも似たらんかと思ふ老人を想像して、その具体的絵画が㋓穉弱なる記性中に深く㋔滲入して抜くべからずなりたるものである。勿論欧米の児童には、水戸西山公ではなく、また他に適当なるそれぞれのモデールがあつて出来たことはいふまでもない。かくの如く昧者が全然実質と関係なき如く思惟して居る無形の意象も、その源頭に溯り⑦コウサクすれば、必ず具体的のものより生じ、実質より成り来れるものたるは無論である。

 

 ㋒〔・み〕→「咲む」は「笑う」と同義

 ㋓〔ちじゃく〕→意味〔おさない、いとけない、幼稚であるさま〕・「穉」は配当外で「おさない、まだ成長していないわかい作物」

 ㋔〔しんにゅう〕→意味〔液体が浸み入ること〕・「滲」は〔・みる〕〔にじ・む〕とも訓み、「」が書き換え字・「滲出」(シンシュツ)=にじみ出ること、「滲漏」(シンロウ)=ある程度の悟りを得た人に残っている、煩悩の余り

 ③〔 語 話 〕→意味〔語り話し合うこと〕・兆民語

 ④〔 豊 下 〕→意味〔下膨れ、頰の下部のふくれていること、富貴の人相とされる〕・同音異義語は「法化」「放火」「蜂窩」「蓬顆」「苞裹」「縫罅」「鋒戈」「包裹」「匏瓜」「放下」「放歌」「法科」「烽火」「法家」

 ⑤〔 鬚 髯 〕→意味〔あごひげとほおひげ〕・「髭鬚髯」の後二語・2009年度第1回試験では「鬚髭」(シュシ)が出題されたようです・「ひげ」関連の熟語は今後も要注意かも…「紫髯」(シゼン)、「虎鬚」(コシュ)、「髯鬚」(ゼンシュ)、「髯蘇」(ゼンソ=宋代の蘇軾のこと)、「髯奴」(ゼンド=西洋人の蔑称)=「髯虜」(ゼンリョ)、「鬚眉」(シュビ=男子のこと)、「鬚髪」(シュハツ)、「払鬚塵」(シュジンをはらう=権力者にこびへつらうさま)

 ⑥〔 莞 爾 〕→意味〔にっこりと笑うさま、莞然ともいう〕・「」は〔い〕=「藺」

 ⑦〔 考 策 〕→意味〔物事を明らかにするため考えること〕・辞書にはない兆民語・類義語は〔考 覈〕(コウカク)

 

 更に助語の辞即ち「直ちに」「即ち」「速に」「徐々に」「より多く」「より少く」「責めては」「なるべく」等の如きは、実物と何の交渉もないやうだが、これまた大に然らずである。幼時母親に何か求むる所ろでもあれば、母が「直ちに云々せん」とか「速に斯々せん」とか言ふのを聴きて、当時乞ひ求めた蜜柑とか林檎とかを、これら助語と⑧ケンレンして、即ち蜜柑林檎の影象を仮り来て、「直ちに」「速に」等の意象を記性中に入れたので、「徐ろに」「より多く」「より少く」等の助語でも皆この例である。然らずしてもし宗旨家言ふ所ろの如くに諸無形の意象が先天的であつて、五官の経由を㋕らず、⑨コンゼン意念中に全成して欠くる所ろがないとすれば、児童は皆信者なるべきに、皆正義者なるべきに、さはなくて日々⑩キョウチの態を現出して両親を苦しめ、また助語の辞等に至ては時々大に誤用して、一座⑪ダンランの長年をして⑫コウショウせしむる愛嬌があるではないか。

 

 ㋕〔・ら(ず)〕→「藉りる」は「借りる」

 ⑧〔 牽 聯 〕→意味〔つらなること、一体的に続くこと、関連し合うこと〕・「」は「連」と同義で書き換え字・「」は「ひ・く」で「牽攣乖隔」(ケンレンカイカク)=心が惹かれあっているが身は遠く離れ離れになっていること、「拘文牽義」(コウブンケンギ)=細かい文句にとらわれすぎること、「牽強付会」「牽強傅会」(ケンキョウフカイ)=自分の都合よいようにこじつけること、「牽糸」(ケンシ)=はじめて官職に就くこと、婚姻を定めること

 ⑨〔 渾 然 〕→意味〔異なったものが一つに溶け合っているさま〕・この場合の「」は「すべ・て」とも訓む・「渾身」(コンシン)=からだ全体、全身

 ⑩〔 驕 痴 〕→意味〔おごり高ぶって莫迦をさらけ出すさま〕・「」は〔おご・る〕と訓む・「驕蕩」「驕宕」(以上キョウトウ)=おごり高ぶっていて我が儘なこと、「驕汰」「驕泰」(以上キョウタイ)=おごり高ぶっていて自分勝手な振る舞いをすること、「驕誇」「驕夸」(以上キョウコ)=おごって、実際以上に大げさなことをいう、得意になって自慢すること、「驕蹇」(キョウケン)=おごり高ぶって、道理に外れること=「驕横」(キョウオウ)、「驕盈」(キョウエイ)=自身がありすぎてえらそうにするさま=「驕溢」(キョウイツ)・「」は〔おろか〕〔たわけ〕と訓む・「痴鈍」(チドン)=愚かで智の働きが鈍いこと、「痴呆」(チホウ)=愚か、愚か者

 ⑪〔 団 欒 〕→意味〔親しい者の楽しい会合、まどい、だんご〕・「」はこの場合は「もつれてからみあう、人の集まりのなごやかなさま」・「ひじき、梁を支える弓型の横木」や「ふたご」の意味もある・「欒子」(ランシ)=ふたご

 ⑫〔 哄 笑 〕→意味〔大勢が一斉にどっと笑うこと〕・「」は「どよめく」・「哄然」(コウゼン)=たくさんの人が声をあげてどっと笑う様子・「交渉」「高尚」「工廠」ではない

 

(この項は次回に続きます)

「ハイダツ」は今や基本の1級熟語、「ハイハツ」「ハイラク」「ヨウハイ」も書けてね=兆民「続一年有半」⑯

中江兆民の「続一年有半」シリーズの16回目です。

 

 (十)(再び)主観、客観

 

 繰返して言ふ、世の中に純然主観的のものも実に寡い、純然客観的のものも実に寡い、万物皆客主相映じて、両鏡の①センエイなきが如くである。

 

 ①〔 繊 翳 〕→意味〔空のわずかなかげり、世の中の心配事のたとえの意もある〕・「」は〔ほそ・い〕〔こま・かい〕と表外訓み・「」は〔かげ・る〕〔かげ・り〕〔かざ・す〕〔かざ・し〕とも訓む・「翳薈」(エイワイ)=「草木が茂って葉がおおいかぶさり状況が判然とし難い状態」・「尖鋭」「鮮鋭」「船影」ではない

 

 釈迦老子も初年の間は、専ら天下人心の妄念妄想を②イッセンし、根本的にその自説を蒔き付けやうとして、諸行無常とか、唯此一事余二即非真とか、都て世界万物を一無に帰せしめて、ただ心のみを有したやうだが、これも実はやはり方便であつた。而してその最後の考は、遂に万物と我れと、共にこれが世界大経済中の具と為したる如くに見ゆる。故にこの点よりいへば、釈迦も頻りに主観説を主張した後客観説を取りて、両造相調和せしめて始て真乗門を打出したと言ても良い。

 

 ②〔 一 洗 〕→意味〔一気に洗い流すこと〕・「一線」「一閃」「一戦」「一銭」「一選」などの同音異義語と区別できるように訓練しましょう・兆民語

 

 耶蘇はこの辺の事には何も言て居ないやうだ。それもそのはず、耶蘇は一無害の長者、一多情多血の狂信者で、③クドン氏のやうな博学の哲学者ではなかつたのである。ルナンの耶蘇の伝は真を得たものだらうと思ふが、一の極て無邪気の、極て感情に富だ人物、いはば男性のジャンヌダルクとも見るべきであると言て居る。かくの如き人物に、主観の客観のとやかましき議論は固より待つべきでない。

 

 ③〔 瞿 曇 〕→意味〔釈迦のこと〕・「」は〔み・る〕〔おそ・れる〕とも訓む・「瞿麦」は熟字訓で〔なでしこ〕〔クバク〕とも・「瞿然」(クゼン)=「目を見開いて驚くさま、びっくりして顔色を変えるさま」

 

 

 (十一)意 象

 

 それから諸種の意象であるが、草木禽獣といへる如き一切吾人の五官に触るべきものは、その記憶に上りて意象と為るには、固より五官を経て来るに相違ない。これは議論も何もない、ただ不正とか、義不義とか、仁とか善とか、諸種無形の意象に関しては、例の宗旨家及び宗旨混同の哲学家は皆五官を排斥して、乃ち五官の捕捉に繋るが如き人寰臭き意象とは違ひ、人生先天的の意象である、神が吾人の精神に印してあるといふ塩梅に、勿体らしく論じて居る。而して最後に神といへる意象の如きは、およそ意象中の最も高尚なるもので、到底物の一性を感ずるに止まりたる、汚れたる血肉に成れる五官の如きものの関与すべきでなく、吾人人類が生れながら有して居る意象である云々。

 

 かく論じて、その意には挺然高く人間塵埃の表に出でて、一切土臭き臭気を④ハイダツしたる考へであるが、何ぞ知らんこれ正にその極て⑤ソンショウする所ろの神に附与するに、人間の情欲を以てするもので、前後矛盾自家撞着の為たるを暴露して居るのだ。第一血肉が汚らわしいの、無形の物が高尚なの、塵埃の、土臭のと、これ正に吾人人類中での言事である、否な吾人人類中でも不学無術なる人物中での言事である、試に理化学の目から見よ、血でも膿でも、㋐でも尿でも、七色⑥サンゼンたる宝玉⑦キンシュウと、何処に美悪の別がある、小野の小町と⑧ヒヒザルと、㋑那辺に⑨ケンシュウの差がある。憐むべし公らの精神は半ば⑩フカイした軀体より噴出する所の⑪リンカで、正に臭気紛々として居るのだ、これはこれ清浄なる⑫シンカでなく、㋒腌脂極まる⑬ヨッカである。共に意象の事を語るに足らぬが故に、謹で下文に垂示するのを聴け。

 

 ㋐〔くそ〕→音読みは〔〕・類義語は〔〕・「屎尿」は〔しにょう〕

 ㋑〔どこ〕(宛字)→音読みなら〔なへん〕・通常は「何処」「何所」と書く

 ㋒〔えんじ〕→意味〔塩漬けにした肉の脂、この場合は肉欲に塗れきたないもののたとえ〕・「腌」は配当外で「肉を塩漬けにすること」

 ④〔 擺 脱 〕→意味〔古い習慣などをおしのけて抜け出すこと〕・いまや「」は読めるのはもちろんのこと、書けなければ成らない1級配当漢字でしょう・訓読みは〔ひら・く〕〔・るう〕・「擺撥」(ハイハツ)=「払いのけ、振り捨てること。また、ほうっておいて相手にしないこと」、「擺落」(ハイラク)=「払い落とすこと」、「遥擺」(ヨウハイ)=「肩を左右にゆすっていばるさま」

 ⑤〔 尊 尚 〕→意味〔尊敬してたっとぶこと〕・「尊称」「損傷」ではない

 ⑥〔 燦(粲) 然 〕→意味〔あざやかに輝くさま〕・類義語は〔燦燦・粲粲・燦爛・粲爛〕・「」は「あざ・やか」「きら・めく」と訓む

 ⑦〔 錦 繍 〕→意味〔にしきのぬいとりのある絹織物、美しくて豪華なものの形容〕・四字熟語に「綾羅錦繍」(リョウラキンシュウ)がある

 ⑧〔 狒々猿 〕→意味〔オナガザル科の哺乳類〕

 ⑨〔 姸 醜 〕→意味〔うつくしいこととみにくいこと、好ましいことと憎らしいこと〕・類義語は〔妍 蚩〕(ケンシ)・「」は〔うつく・しい〕と訓む・「妍和」(ケンワ)は「景色などが美しくて和めるさま」

 ⑩〔 腐 壊 〕→意味〔ものがくさりこわれ、崩れること〕・「不快」「傅会」「付会」ではない・「腐渣」(フサ)=「おから」・「腐鼠」(フソ)=「くさったネズミ、取るに足らない賤しい者のたとえ」

 ⑪〔 燐 火 〕→意味〔墓地などで燃えてつらなるリンに青い火、おにび、きつねび〕

 ⑫〔 神 火 〕→意味〔神聖なるものを火にたとえた言葉〕

 ⑬〔 欲 火 〕→意味〔はげしい欲情を火にたとえた言葉〕

JARO?「ジャロ」ってなんじゃろ?=兆民「続一年有半」⑮

 中江兆民の「続一年有半」シリーズの15回目です。忘れていませんよぉ~。

 

 

 (八) 主 観

 

 主観とは、吾人が事物に対して視聴し若しくは思考判断することがあつても、その事物が真に①ガイカンに存在するのでなくて、ただこの観念の主たる吾人の精神の構造、自らこれありと認むるやうに為され居るが故に、かくは存在するかの如く②シイするといふ説である。即ち或る論者の意において、空間、時の二者は正に主観的である、即ち実際に存在するのではないのである。

 

 ①〔 外 間 〕→意味〔当局者以外の人々の間、その事に関係のない人々〕・「概観」「外患」「外艱」「駭汗」「外観」「漑灌」「外姦」「凱還」「外環」などが浮かぶが意味がね。。。・でも、兆民語でしょうね

 ②〔 思 惟 〕→意味〔心に深く考え思うこと〕・「緇衣」「祗畏」「肆意」「徙倚」「恣意」「鴟夷」「四夷」「尸位」「脂韋」なども同音異義語として押さえておきたいところです

 

 

 (九) 客 観

 

 客観とは、ガイカン現にその物があつて、その③エイショウを吾人の精神に写し来るのである、吾人の、空間の、時の二者における、正に客観的である、即ちこの二者④ゲンゼン存在して居るとの説である。

 

 ③〔 影 象 〕→意味〔すがたかたちのイメージ〕・兆民語

 ④〔 儼 然 〕→意味〔いかめしく、おごそかなさま。動かしがたいさま〕・常用漢字なら「厳然」が書き換え・「」は〔おごそ・か〕〔いかめ・しい〕とも訓む・「儼恪」(ゲンカク)は「おごそかでしんがかたい」・「儼乎」(ゲンコ)は「いかめしいさま、おごそかなさま」

 

 しかし彼れ奇を闘し新を標する哲学の大家先生連にあつては、主観客観の別はなかなか箇様の無造作な訳ではない、嗷然聚訟して⑤テイシする所ろを知らない。乃ち正にいはゆる道近にあり之を遠きに求むるので、吾人は箇様の物数奇を為す必要はない。

 

 ⑤〔 底 止 〕→意味〔いきついてとどまること、やむこと〕・「停止」「諦思」「涕泗」ではない・でもやっぱり兆民語でしょうね、こんな言葉は普段は使わんですよ…

 

 吾人を以てこれを言へば、およそ意象の過半、否な殆ど全数は皆客観的で、而してまた主観的である。もしそれ純然たる主観的は、病狂者の目に⑥ゲンシュツする種々の浮動物、及び宗教家のいはゆる独立不滅の霊魂等の如く、実際その物なくしてただ或る者の精神にのみ⑦エイシュツせらるるものをいふのである。純然たる客観的ともいふべきは、ガイカン実にその物ありて、而して吾人の精神いまだこれを⑧ショウチ(?セイチ)し得ないものをいふべきである。惟ふにかくの如き者、果て実際あるであらうか、例へば光温電の分子の如きはこの中に入れても良いのである、その他は客観主観相映じて⑨リョウキョウの如くにして、始て学術の強固なるを得べきである。

 

 ⑥〔 幻 出 〕→意味〔まぼろしのようにあらわれること〕・「病狂者の目」とありますから「現出」でないことに注意しましょう

 ⑦〔 影 出 〕→意味〔すがたかたちがあらわれること〕

 ⑧〔 省 知 〕→意味〔かえりみて知ること〕・「承知」「招致」「勝地」「小智」ではない・兆民語でしょうね→注意・「ルビではショウでしたが、かえりみるの意味ではセイの方が正確かもしれません。ですからセイチと読むのが正しいでしょうか」

 ⑨〔 両 鏡 〕→意味〔二つの鏡、相照らし無限であること〕・「両頰」もあり得るが違います・「碧巌録・第24則 劉鉄磨、台山」の「本則」に「両鏡相照して、影像の観るべき無きが如し。」とありますから、兆民もここを参照したかもしれません、あるいは熟読の結果自然と身に付いた言葉でしょうか?

 

 主観的の説を主張するのが甚しくて、終に天下過半の事物、否なほとんど全数を挙げて客観的には存しないでただ主観的にのみ存するとする者、即ちいはゆる懐疑派である、その最も極端に㋐せたのは、ピロニズム派である。都て哲学者の多くは⑩テンシ高邁で奇を好むより、従前の⑪トテツに㋑ふのを㋒しとしない。異を立て新を⑫テラはんとして思索を凝らし、遂に目前無造作の事物でも非常に奇怪視して、いはゆる謬巧錯雑の言を為し、自分も知らず識らずの際、⑬ジャロに陥りて自ら出ること出来なくなるのが往々である。吾人は務てこの弊を去らうと欲するので、古人の聚訟した事条についても、ただ務めて当面明白の道理を発して絶て新奇をテラはぬのである、また時として吾人一箇の解釈を与へて前人のテツを㋓まぬこともある。

 

 ㋐〔・せ〕→意味〔思いをはせる、ほしいままにする〕訓読みは難しくはないでしょうが注意すべきは音読み〔てい〕・「聘」と音符が同じため〔へい〕と読んでしまう虞があります・「騁馳」(テイチ)・「駆騁」(クテイ)・「騁懐」(テイカイ)・「馳騁」(チテイ)

 ㋑〔したが・ふ〕(表外訓み)→ほかには〔伏う、陪う、服う、率う、殉う、蹤う、跟う、扈う、婉う、隷う、賓う、徇う、順う、随う、遵う〕

 ㋒〔いさぎよ・し〕→意味〔通常は本文のように否定文で使用する。細かいことにとらわれないこと、こせこせしないこと、いさぎよしとしない、不屑いさぎよしとせず)とも〕・音読みは〔せつ〕・「竹頭木屑」(チクトウボクセツ)=詰まらない人物、「屑意」(セツイ)=思い煩うこと、「屑雨」(セツウ)=小糠雨、「屑然」(セツゼン)=こまごまと数が多いさま、突然

 ㋓〔・ま〕→「蹈む」・意味〔足でふんでいくこと〕・ほかには〔躡む、踏む、蹂む、駘む、廸む、躔む、躇む、迪む、履む〕・音読みは〔とう〕・「蹈海」(トウカイ)=海に身投げすること、「蹈常襲故」(トウジョウシュウコ)=従来の習慣やしきたりを守ること

 ⑩〔 天 姿 〕→意味〔うまれつき、天資〕・「天使」「天子」でないのは言う迄もない・類義語は〔天性、天賦、天質、天稟

 ⑪〔 途 轍 〕→意味〔物事の道理、すじみち〕・「途轍もない」は「まったく理屈に合わない、とんでもない」・麻生太郎の著書は「途轍もない日本」って、あんたが一番「途轍もない」やん・この場合の「」は〔わだち〕

 ⑫〔    〕→意味〔知識や才能をひけらかす、えらそうに見せかける〕・音読みは〔げん〕・「衒耀」(ゲンヨウ)=「自分の才能や学問などをひけらかしたがる気持ち」

 ⑬〔 邪 路 〕→意味〔道理に外れたこと、道理に外れた良くないやり方〕・類義語は〔邪 道〕・ちなみに誇大広告の改善を指摘する社団法人日本広告審査機構の「JARO(ジャロ)」ではない

 

「デンシャ」が走る?いえ垢抜けないんです=兆民「続一年有半」⑭

中江兆民「続一年有半」シリーズの14回目です。兆民シリーズもお忘れなく。。。迂生も忘れていませんよ。。。忘れかけても思い出して。。。

 

 

 (六) 空 間

 

 前にほぼ一、二言して置た空間と時との二意象である。空間とは、文字の指示せる如く、目前実物の占取し居る場所、即ち①イッシの筆あればその筆が容れられて居る場所等より広漠たる太虚を幷せて、およそ大小実物の容れられつつあり、また容れられ得べき②キョゲキを合しての総称である。

 

 ①『一子、一矢、一糸、一指、一紙、一枝、一誌、一死、一視』から適切な「イッシ」を選べ

〔 一 枝 〕→意味〔一本、「」は筆を数える言葉〕・「巣林一枝」(ソウリンイッシ)は〔分相応に満足すること、「荘子」が出典で「飲河満腹」も同義〕

 ②〔 虚 隙 〕→意味〔うつろなすきまのこと〕

 

 道近きにありこれを遠きに求むで、古来達識の哲学者がこの空間てふ一事について、③ゴウゴウシュウショウして居るけれど、吾人を以てこれを観れば誠に見やすき事である。そもそも空間なるものは、世界の容器と言へば一番早分りである。万物いやしくもあれば場所を㋐げつつあるに極つて居る、而してこれら場所の総べてを指して空間といふ以上は、これ空間は正に世界と一を為して居る、即ち空間も無辺無限であつて、パスカルの言つた如く、到る処真中で縁なき円球である。

 

 ㋐〔ふさ・げ〕→「塞ぐ」が正式・「ふさぐ」は他に〔雍ぐ、閼ぐ、錮ぐ、湮ぐ、栫ぐ、怫ぐ、壅ぐ、堙ぐ、欝ぐ、柴ぐ、杜ぐ、塡ぐ、抑ぐ〕などがある

 ③〔 嗷 々 〕→意味〔やかましく大声で騒ぐさま〕・「」は〔かまびす・しい〕とも訓む・「嗷訴」(ゴウソ)は〔集団となって訴え出ること、強訴とも〕

 ④〔 聚 訟 〕→意味〔みんなでわいわいといいはる、あつまって言い争う〕・「就牀」「習誦」「周浹」「周章」ではない

 

 或る者はいふ、空間とは真にその物のあるのではなく、特に吾人の精神がこの物あるが如くに想像して万事を理会することとなつて居ると。これ何たる言ぞ、世界万物なるものは、真にこれあるに違ひない、よも③クウゲ幻影とは言はれまい、いやしくも世界万物ある以上は、或る場所をいで居るに違ひない、即その場所は空間であるとすれば、吾人の精神を離れて、別にいはゆる空間なるものが存在して居ることは言ふまでもない。然るをかくの如く論道するときは、その弊や竟に医すべからざる懐疑の一派に陥いることを免れない。

 

 ③〔 空 華 〕→意味〔かすんだ目で見ると、空中に華があるように見えること、仏教語〕・類義語は〔妄 想

 

 また空間は紙に譬へても良い、而して万物は絵に比しても良い。空間なる紙の上に④スンゲキもなく描かれてある絵が、即ち万有の森然たるものである。仮にこの世界に人類なしとしてもいやしくも他物ある以上は空間のなき訳には往かぬ、かつたとひ世界茫々無一物でも空間のなき訳にはやはり往かぬ。物あると物なきとに管せず、物の容れられ得べき場所の総てを空間と号する以上は、到底如何に想像するもこの物なき訳には往かぬ。

 

 ④〔 寸 隙 〕→意味〔ちょっとのすきま〕・当然ながら「寸劇」ではない

 

 

 (七) 時

 

 また時といふ問題がある。これまた空間と同じく古来シュウショウの一問題であつて、やはり吾人の精神にのみ存するもので、真にその物があるのではないといふ哲学者がある。これまた懐疑の一派に陥いる恐れがある。

 

 いやしくも物があればその物が経過する時間がある。たとひその物は不滅にして窮已なしとしても、甲の形を保つ間の時間があり、また乙の形を保つ時間がある。山の芋の時間もあれば、鰻の時間もあるといふ勘定だ。即ち時とは万物を載せて、この刻限より彼の刻限に運び行く車の如きものである。

 

 これに由て言へば、空間は世界の大いさを意味して居り、時は世界の久しさを意味して居る。

 

 それ空間なり、時なり、或る哲学者は、真にその物があるのではなく、特に吾人の精神がこれありとして、事物を了解する根本的条件となして居るのだ、といふかと思へば、また他の哲学者は、空間の意象や、時の意象や、吾人の生れざる以前より伝はり来つたもので、いはゆるセイチの意象である、人より告知せられて始て得たる意象ではない、而してこの意象こそ、唯一神が吾人の精神に対してその兆朕を見はして居るのだといふ。乃ち空間と時とを以て神の一資格と為し居る、奇怪の極といふべきではないか。

 

 ⑤〔 生 知 〕→意味〔生れながらにして仁道を知っていること〕・「中庸」に「生知安行」(セイチアンコウ)があり〔生れながらにして人のふみ行うべき道を熟知し、心安んじてそれを行うこと〕

 

 おおよそ生知の意象といふべきは一もないはずである。人生れて後、日々種々の事物を視聴し、⑥キュウミし、接触して、各種物体の意象自然に発生して深く記憶に入るのである。生れながらにして即ちいまだ外物に接せずに居て、一の意象も生ずべきはずがない。かつ空間といひ時といひ、少数なる哲学者にして始て理会すべき、否な哲学者の講釈を聴きて理会すべきもので、児童や⑦デンシャジンの徒は始よりこの意象は所持して居ない。然るを生知の意象とは何に㋑りて言ふのであるか、これ皆荒誕無稽の甚だしい〔も〕のである。而してかく謬戻を致すについてはまた主観客観の論がシュウショウして居る。

 

 ㋑〔・り〕→「縁る」→「縁木求魚」(エンボクキュウギョ)は〔りてむ〕=〔不可能なことのたとえ〕=「敲氷求火」(コウヒョウキュウカ)

 ⑥〔 嗅 味 〕→意味〔においをかいであじわうこと〕

 ⑦〔 田舎人 〕→意味〔粗野で愚直な、いなか者〕・「田舎漢」(デンシャカン)ともいう・無論「電車人」ではない

「ショウジン」して「テイトウ」せよ!=兆民「続一年有半」⑬

中江兆民「続一年有半」シリーズの13回目です。

 

 

 (五) 精神の能

 

 それ世界万有は無始無終であつて、創造するの必要はないから、神を①エイセンするの必要もない、即ち神は絶対にないのである、而して精神は如何であるか。

 

 ①〔 影 撰 〕→意味〔その姿をイメージして描くこと〕・兆民語

 

 余はいふ、不滅としての精神はないのである、しかし軀体の働らき即ち作用たる精神は、軀体の解離せざる間は立派に存在して、常に光を発して居る。これ当然の訳で、そもそも吾人の身が生きている消息を示すは、何に由てであるかといへば、その働らき即ち精神の発揮に由つてである。目は視、耳は聴き、鼻は嗅ぎ、口は味ひ、手足皮膚は捕捉し、②コウホし、触接し、また感覚し、思考し、断行し、想像し、記憶する等、皆精神の発揮である、炭より発せる焰と一般である、薪より生ずる火と同様である。

 

 ②〔 行 歩 〕→意味〔足を動かして歩くこと、あゆむこと〕

 

 そもそも薪は③ショウカイの聚りに過ぎないが、これより発する焰はあるいは天を焦がすに至る、薪は山川の断片に過ぎないが、これより生ずる火はあるいは一都を④ショウジンするに至る、精神の軀体におけるもまたかくの如くである。彼の推理の一力を看よ、この理より彼理に赴き、⑤ソウルイして上りて乃ち十八里の雰囲気を透過して、㋐に太陽系天体の外にも馳騁するではないか。想像の一能を看よ、その働らきは更に自由自在で、あるいは天上に城市を建立し、海底に楼閣を幻出し、虎に翼を㋑け、狐を馬に乗せ、剣山を㋒だて、血海を湛へ何を為して成らざるなく、何を欲して得ざる莫く、而してこれ皆五尺の小軀体から発する作用にほかならぬのである。

 

 

 ㋐〔はるか・に〕→正確な送り仮名は「夐かに」・音読みは「ケイ」・「夐然」(ケイゼン)は〔はるかに遠いさま〕、「夐絶」(ケイゼツ)は〔非常に遠くへだたっているさま〕、「夐古」(ケイコ)は〔遠い昔、はるか昔

 ㋑〔・け〕→「傅ける」は「付ける」・「かしずく」とも訓む・音読みは「」。「傅育」(フイク)は〔そばについていて身分の高い人の子を守り育てる〕・ここでの出典は「韓非子・難勢」に出てくる四字熟語の「為虎傅翼」(イコフヨク)=〔強い者にさらに力をつけること〕から取っている

 ㋒〔そば・だて〕→正確な送り仮名は「峙つ」(そばだ・つ)・「そばだつ」はほかに〔岨つ、欹つ、屹つ、聳つ、崛つ、仄つ〕・音読みは〔ジ〕で「対峙」「峙立」は押さえましょう

 ③〔 小 塊 〕→意味〔ちいさなかたまり〕

 ④〔 焼 燼 〕→意味〔もやして炭火にすること〕・「」は「もえさし、もえのこり」・「燼滅(ジンメツ)は〔ほろび尽きること〕、「燼余」(ジンヨ)は〔燃えさし〕

 ⑤〔 層 累 〕→意味〔幾重にもかさなること〕・類義語は〔層畳・層沓

 

 記憶の能を看よ、三、四歳の幼児に見聞した事物より、六十、七十の高齢に至るまで、およそその経過せし事の⑥イショウは一々蓄へて逸しないで時に応じて引出さるるでないか。また一時わが記憶より⑦イッキョしたものが、思考の末再び浮出さるるなどは、随分奇な事ではないか。啻これのみでなく、吾人の智識の進歩し行くは記憶の能があつて、およそ経験して得るごとに脳中の倉庫に仕舞ひ込みて失はない、以て温故知新の財料と為すからである。即ち人の賢愚の別はその大部分において⑧キセイの強弱に関係して居る。

 

 ⑥〔 意 象 〕→意味〔観念、イデー、意識したイメージ、記憶〕・兆民語

 ⑦〔 逸 去 〕→意味〔のがれさること〕

 ⑧〔 記 性 〕→意味〔記憶力〕・「棋聖」「規制」「奇声」「麾旌」「既成」「既製」ではない

 

 その他感情や、感覚や、断行や、皆精神の発揮の種類である。それ若干元素の抱合より成れる語釈の軀から、かくの如く⑨サンランたる⑩コンペキの光彩が放たれて居るので、⑪マイシャはこの光彩を認めて本体と為し、主人と為して、五尺軀を以て奴隷と為して、彼の虚霊説の囈語が出来たのである。夜光珠の光が余り美麗なるが故に、珠よりも光が貴ばれて、光てふものが珠を離れて別に存在して居ると思ふたのも、やや無理もないといふても良い。

 

 ⑨〔 燦 爛 〕→意味〔あざやかにかがやいていてあきらかなさま〕・「」も〔〕も〔あざ・やか〕と訓む

 ⑩〔 金 碧 〕→意味〔きんいろにかがやくみどり〕とあるが、通常は〔紺碧〕→〔やや黒みを帯びた青色〕

 ⑪〔 昧 者 〕→意味〔おろかな人〕・類義語は〔愚 人〕・「」は〔道理にくらい〕〔おろか〕〔くらい〕の意・ちなみに「昧爽」(マイソウ)は〔夜明け方、早朝、暁、未明〕で類義語は〔昧 旦

 

 かくの如く精神即ち軀体の作用は、軀体より発しながら、これが本体たる軀体の中に局しないで十八里の雰囲気を透過し、太陽系の天体を透過し、直ちに世界の全幅をまで⑫リョウリャクするの能がある。即ち吾人が宗旨家の⑬ヒロウの見を打破して世界の⑭タイリを捕捉せんと擬するは、正に精神にこの振抜⑮テイトウの能力があるから出来るのである。ここにおいて乎、また古今哲学家の極て思を㋓し慮を労する事項がある、以下順次に論ずるであらう。

 

 ㋓〔ふかく・し〕→正確な送り仮名は「覃くし」・音読みは「たん」・「およ・ぶ」とも訓む・「覃及」(タンキュウ)は〔のびひろがって及ぶ、その物事の影響がそこまでふかくおよぶこと〕、「覃思」(タンシ)は〔ふかく思う、沈思黙考〕・「ふかい」はほかに〔邃い、窖い、窕い、穹い、澳い、潭い、淹い、窖い、浚い、泓い、汪い、湛い、淵い、濬い

 ⑫〔 領 略 〕→意味〔充分に理解してのみこむこと、なるほどと悟ること〕・類義語は〔領会、領解、領悟

 ⑬〔 卑 陋 〕→意味〔心根や身分が卑しいこと〕・「」は〔いや・しい〕〔せま・い〕と訓む・「陋廬」(ロウロ)・「陋宇」(ロウウ)は〔せまくむさくるしい家〕

 ⑭〔 大 理 〕→意味〔大きな道理〕

 ⑮〔 挺 騰 〕→意味〔独りぬきんでて飛び上がること〕・兆民語

人事院勧告でない「ジンカン」とは…=兆民「続一年有半」⑫

中江兆民「続一年有半」シリーズの12回目です。

 

 (二)無 始

 

 世界万有既に無始である以上は、造といふ事はないはずである。何となれば甲の形の前には、必ず何らかの形で存して居たものであれば、別に新に造る必要はないのである、自然に摩蘯化醇して他の形に転ずる以上は、何を苦しんで他の形を造ることを為さんやである。吾人死して形軀解離するが故に、精神独り存して生前の記憶を保つやう致したいといふ乎、それは都合は好いかは知らねど真面目には言へぬ不道理である。かつこの希望といひ都合といひ、吾人五尺の身に執着しての言ひ事であるといふことは、くれぐれも記憶して居てもらいたい。

 

 無始とは何であるか、およそ物は大小を問はず、皆無始でなければならぬはずだ。何故かといへば、始とはこの人界の語で、他にあつたものが目前に来るのか、他の形のものが目前の形に変じたのか、即ち蛾が卵を生じ卵が蚕を生ずる如く、一の形から他の形に変じても、吾人の①センチでかかる成行に気附かずしてまるでなかつたものが出来たかの如く思ふよりして始といふ語が意義を見はして来るのである。その実およそ何物も無より有なる道理はなく、研究を加ふれば必ず卵の蛾における、蚕の卵におけるが如くである。だから始といふ語は、真の意義即ち哲理的の意義はないのである。

 

 ①〔 浅 智 〕→意味〔あさはかな考え、奥行きのない表面的な智識や物の見方〕・類義語は〔浅 識・浅 陋〕・「糎」ではない

 

 翻て②ジンカン中の事物について言へば、「始て何々した」「始て爾々した」「始て来た」「始て去た」の如く、立派に意義を有して居ても、いやしくも実質即ち元素の抱合に成るものに関して、形色ばかりでなく本質にも始があると思ふと③タイビュウである。それでは真空より何かが出来て、排気鐘中より駒が飛出すといふが如き荒誕無稽の言となり了はるのである。

 

 ②〔 人 寰 〕→意味〔人の住む区域、人境、世の中〕・「人間」(ジンカン)ともいう・「塵寰」だと〔俗世間〕・この場合の「」は〔天下〕・「寰宇」(カンウ)は〔天下、世界〕

 ③〔 大 謬 〕→意味〔おおきなあやまち、大過〕

 

 (三)無 終

 

 されば世界万有が無始であるのは当然明白の事である。もし始があつたら大変で、意義もなき非論理となる。またこの世界万有は無終でなければならぬのである、有が無になる道理はない。

 

 およそ「無」といふ語は人寰中の語で、目前に見えなくなつた時に遣ふ語である。「金がなくなつた」「米がなくなつた」これ俗用の語としては意味があるが、哲学的では意味はない。金がなくなりはしない、己れの手より他人の手に移つたのである、米がなくなりはしない、己れの腹中に入りて滋養分と糞尿とに変じたのである。

 

 かくの如き訳合ひで、世界の大は愚ろか塵一つもなくなるものではない、即ち終のあるべきはずでない。もし一物でも無よりして有で、即ち始めがあつてその有が、また無になりて即ち終があるといふと大変な事で、非論理、非哲理、③ホウマツ、幻影、前後矛盾、自家④ドウチャク、大混雑、大混乱となり了はるのである。

 

 ③〔 泡 沫 〕→意味〔あわ、うたかた、はかないもののたとえ〕

 ④〔 撞 着 〕→意味〔考えなどの前後のつじつまがあわないこと〕・この場合の「」は〔つ・く〕類義語は〔矛 盾〕・「同着」ではない・「撞著」とも書く

 

 

 (四)無辺無限

 

 さてまた世界は前に現実派を駁した時に論じた如く、無辺無限である。

 

 これはさうなくてはならぬ。この世界は包容せざる莫きもので、もし千里、万里、億里、百億里で、世界の辺極があつてその外は真空であるといへば、真空もまた世界の領分であるが故に、終に辺極のあるはずはない。地球とか太陽とか太陽系天体とかは、㋐に限極であるであろうが、世界は限極であるべきでない。かつまた今日までの学術で真空といふものも実は極微⑤シヨウの気体の一団で、真の無ではないかも知れぬ。今日までの学術で一切万事を解決せんと欲するは⑥センモウといはねばならぬ。

 

 ㋐〔まこと・に〕→音読みは〔じゅん〕・「洵美」は〔ほんとうに美しい〕・「まこと」はほかに〔諒、款、諄、詢、摯、愨、悾、悃、恂、忱、亶、衷、孚〕などがある・この中から「誠悃」(セイコン)、「端愨」(タンカク)、「真摯」(シンシ)、「忱款」(シンカン)は熟語として覚えましょう

 ⑤〔 至 幺 〕→意味〔とても小さいさま〕・「」は〔ちい・さい〕と訓む

 ⑥〔 僭 妄 〕→意味〔分不相応ででたらめなさま〕・この場合の「」は〔いつわり〕・ちなみに「譫妄」だと〔意識障害の一種、意識が混濁し、錯覚や妄想などを伴う〕でここでは意味が不適当、「繊毛」だと〔非常に細かく短い毛〕でやはり不適切、「旃毛」だと〔けおりもの〕でダメ

 

 以上論ずる所ろに由れば、世界は無始無終である、即ち悠久の大有である、また無辺無極である、即ち博広の大有である。而してその本質は若干数の元素であつて、この元素は永久⑦ユウリし、抱合し、解散し、またユウリし、抱合し、解散し、かくの如くして一毫も減ずるなく増すなく、即ち不生不滅である。草木人獣皆これ物の抱合に生じ、解散に死するのである。

 

 ⑦〔 游 離 〕→意味〔原子が結合せずに存在すること、遊離とも〕・「」は〔あそ・ぶ〕〔およ・ぐ〕と訓む・「游弋」(ユウヨク)は〔狩などをしてのんびり游んで暮らすこと〕、「游鱗」(ユウリン)は〔とびうお〕、「游讌」(ユウエン)は〔酒盛り〕、「游禽」(ユウキン)は〔水鳥〕、四字熟語に「優游涵泳」(ユウユウカンエイ)があり〔ゆったりとした気持ちで学問や技芸の深い境地を味わうこと〕で「論語・為政・集注」の言葉

「タイキョ」は宇宙の根源、空の意味も=兆民「続一年有半」⑪

 中江兆民「続一年有半」シリーズの11回目は、「第二章 (一) 世界」の続きからです。

 

 

 この輩輒ちいふ、世界は無限である乎、世界は如何なる原因で出来て、如何なる原因で終るべき乎は、これ吾人の①ヨウカイすべき所ろでない。千数太陽が旋躔する②タイキョの一隅に③ヘイソクするこの太陽系の、そのまた一小球の住民たる吾人人類がかくの如き問に遇ふて、如何の答を与ふべき乎。もし漫然これが答を与ふれば、④センにあらざれば妄である、わが現実派哲学の本旨に背反するのである云々。その意けだしこれらの事は、彼の理化、数、天文、生理、社会の六科に由りて検証し得ないがために到底確実の答を為すべきにあらずとの考である。

 

 ①〔 容 喙 〕→意味〔横合いから口を出すこと、さしでぐち〕・訓読では〔喙を容れる〕(くちばしをいれる)

 ②〔 太 虚 〕→意味〔宇宙の根源、おおぞらを指すこともある〕

 ③〔 屛 息 〕→意味〔息をころしてじっとしている〕・この場合の「」は「とじる」という意・「屛気」ともいう

 ④〔    〕→意味〔おごり、身分不相応なことをするさま〕・「僭踰」(センユ)は〔身分・権限以上に過ぎたことをすること〕、「僭擬」(センギ)は〔身分を越えて上の者のまねをすること〕、「僭縦」(センショウ)は〔身分を越えてかって気ままにふるまうこと〕

 

 惟ふに今日世の中の事、必ず目視て耳聴き科学検証を経たるもののみ確実で、余は悉く不確実だといはば道理の半以上は抹殺せねばならぬこととなり、極て偏狭固陋の境に自画せねばならぬこととなる。かつ日常の事、必ずあり得べきもの、または必ずあるべからざるものは、皆直ちに人言を信じて、必ずしも検証を施さないで、それで己れも許し人も許して、而して真に確実で動すべからざるものが幾何もある。且つたとひ科学の検証を経ずとも、道理上必ずあるべき、またあるべからざる事も、幾何もある。即ち世界が無限であるといふ事の如き、たとひ科学の検証がなくとも限極があるといへば、大変大怪大幻詭であるといはねばならぬ。世界とは唯一の物で、およそ容れざる所ろないもので、有も容るべく無も容るべく、空気も容れ㋐依天児も容れ、太陽系天体も容れ千数太陽系の天体も容れ、もしこの系の外真空界なりとせば、この真空界をも容れて居るはずである。かくの如きものに限極のある道理がない、もし限極ありとの科学の検証があつても信ずべからずではないか、何ぞ現実派の想像に⑤キョウダなるやといはねばならぬ。

 

 ㋐〔エーテル〕(宛字)→意味〔酸素原子に二個の炭化水素基の結合した形の有機化合物の総称、一般に中性で芳香ある液体だが、固体のものもある〕

 ⑤〔 怯 懦 〕→意味〔 臆病で意志の弱いこと 〕・「」は訓読みで〔よわ・い〕・類義語は〔 柔 弱・懦 弱 〕

 

 かつ現実派が、およそ科学中最も確実と称すべき算数について言ふなら、物の数もし限りあり、即ち十億百億十兆百兆といへるが如く限りありといはば、現実派はこれを信ぜんとするのである乎、もし世界森然元素を以て充たさるるにおいて、これが原子の数は無限にあらずとすることを得る乎、限りなきこそ当然ではない乎。

 

 またこの無限無極の世界が何らかの原因ありて、無中に有とせられて即ち創造せられて出来たといはば、たとひ千百科学の検証ありても信ずべきでない、吾人がしばしば論じた如く、無よりして有とは道理においてあるべきではない。故に世界が今日の状を為す前には、何の状を為したかは知れないが、とにかく何らかの状を為して居たには相違ない、畢竟創造せられたるものではなく、固より無始のものでなければならぬ。

 

 またこの世界が何らかの原因ありて終るべきもの、即ち有より無に入るべきものといへば、これまた道理上あり得べからざる事である。何となれば、実質が如何にするも消滅すべき道理がない、場所を替へ形を易ゆることはあつても、純然消ゑて無となる道理がない。この道理は決して吾人人類中の道理でなく、十八里の雰囲気中の道理でもなく、直に世界の道理である、何ぞ現実派の推理に怯懦なるやといはねばならぬ。世界の無限、無始無終なるべきは、なほこの先において論述するであらう。

 

 世界はかくの如く広大無辺でも、万有はかくの如く⑥バンショでも、その形状かくの如く⑦バンシュであつても、若干元素の抱合によりて成れるものである。いはゆる元素はその数六十余であるも、学術更に進みたる上は、あるいは増して七十、八十、百数となるかも知れぬ、また減じて五十、三十となるかも知れぬ。要するに若干数の元素が或る割合に相聚りては甲の形色を為し、相離れて他の割合に再び相聚りては乙の形色を成し、かくの如くに万物変化し進化し将ち行くのである。故に今の大陽や地球や、億万⑧シネンの後一旦解離するやも知れないのである、しかし解離したとて毫末も消滅するのではなく、必ずまた何処かに何種類かの物体を形成してるに違ひない。故にいふ実質は㋑て不滅であると。

 

 ㋑〔すべ・て〕(表外訓み)・外には〔渾て、闔て、惣て、凡て〕がある

 ⑥〔 蕃 庶 〕→意味〔しげっておおいさま〕・この場合の「」は表外訓みで〔おお・い〕

 ⑦〔 万 殊 〕→意味〔よろずとくべつなさま〕

 ⑧〔 斯 年 〕→意味〔長い年月がしばらくたつこと〕・ただし、この場合の「」は〔特別の意味はなく語調を整える助辞〕・「斯民」(シミン)は〔この民〕、「斯螽」(シシュウ)は〔いなご〕、「斯須」(シシュ)は〔しばらく、ひと時、暫時〕

 

 かくの如く元素相抱合して人獣草木ここに形ち〔はカ〕され、太陽系天体ここに形されて居る。輒ち周囲何千里何万里といふ宏大なる星宿も馬糞も一片も、同じく若干元素が相抱合して形されて居る。もし太陽系天体以上、更にこの天体を一部分として他に幾多の部分を㋒せて包容せる一系の天体ありとせば、その天体中のものもやはり元素の抱合物でなければならぬ。要するにこの無始無終無辺無極の世界は、畢竟有数元素の抱合にほかならぬのである。而して地球十八里の雰囲気中に⑨シュンドウして居る人類もこの大理を免がるる訳には往かぬのである。彼れ独り勝手に不朽不滅の霊魂、虚霊真空の精神、軀殻の中に居て軀殻を支配し、軀殻死すれば独存して記憶を存する精魂を有するてふ不論理非哲理は、決して容るされぬのである。

 

 ㋒〔あわ・せ〕→意味〔一つにすること〕・音読みは〔へい〕、四字熟語に「倍日幷行」(バイジツヘイコウ)があり、意味は〔昼夜をわかたず急いで行くこと〕→〔日をして行をす〕と訓読する

 ⑨〔 蠢 動 〕→意味〔虫がうごめくこと、無知の者が騒ぎ立てること〕・「」は訓読みで〔うごめ・く〕・「蠢爾」(シュンジ)とも書く・類義語は〔蠕 動

「ホウカ」は放火?放っておいて…=兆民「続一年有半」⑩

 中江兆民「続一年有半」シリーズの10回目。前回から「第二章」に入っています。本日は短い割に書き取り問題が多いです。

 

 (一) 世 界

 

 

 前章では宗旨家及び虚霊派哲学者の説を①バクして、反対に霊魂の死滅と肉体の不滅、並に神のあるべきはずはないといふことを論道したが、本章においては、更にまた世のいはゆる現実派哲学なる者をバクせねばならぬ。

 

 ①〔    〕→意味〔他人の意見などを批判・攻撃して論破すること〕

 

 この一派の哲学は、仏国サーンシモンより②ランショウし、オーギュストコントこれを③ショウドウし、従前虚霊派の説を④バクトウし、一切幽怪⑤キゲンなる想像に⑥カシャクせずして、およそ唱ふる所ろは一々実験を以てこれを確かめとするのがこの派の特色である。また各種科学、殊に理、化、数、天文、生理、社会の六つの者を以て重なる学科と為して、これが⑦ガイカクしたものを綜合して、即ちそのいはゆる現実派哲学を組織するのがこの派の特色である。故にこの一派に属する者は皆⑧コウラン博物の学士であつて、専ら詩韻的想像力を資実とする虚霊派人士とは、大に選を異にして居る。即ちリツトレーの如き、この派に⑨シンインした人で、博識匹儔なしと称せられ、この派諸説を伝ふるにおいて、尤も力があつたと称せられて居る。

 

 ②〔 濫 觴 〕→意味〔物事の最初、起こり、起源〕・「」は〔さかずき〕と訓む・類義語は〔蒿矢・劈頭

 ③〔 唱 道 〕→意味〔意見などを人の先に立ってとなえること〕・類義語は〔鼓 吹

 ④〔 駁 倒 〕→意味〔反対意見を述べてやりこめること

 ⑤〔 詭 幻 〕→意味〔普通と違ってあやしいこと

 ⑥〔 仮 借 〕→意味〔許すこと、見逃すこと。多く否定形で用いる〕・類義語は〔容 赦〕・「訶責」ではない、「苛責」でもない、「呵責」でもない

 ⑦〔 刈 穫 〕→意味〔かりとること〕・「」(ガイ)は表外の音読み・「芟刈」は〔さんがい〕

 ⑧〔 宏 覧 〕→意味〔智識が広くあふれているさま、物知り

 ⑨〔 浸 淫 〕→意味〔段々深くしみこむ、また、じわじわ進行する

 

 かく論ずる時は、この一派は極めて確実拠るべきが如くに見えるが、その現実に⑩コウデイするの余り、⑪キョウゼン(コウゼン)明白なる道理も、いやしくも実験に徴し得ない者は皆抹殺して、自ら⑫キョウアイにし、自ら固陋に陥りて、その弊や大に吾人の精神の能を⑬いて、これが⑭セイカを減ずるに至るのである、これ正にこの派において⑮ホウカすべからざる欠失である。

 

 ⑩〔 拘 泥 〕→意味〔こだわること、固執して融通がきかないこと〕・対義語は〔恬 淡

 ⑪〔 皎 然 〕→意味〔白く明るいさま〕・「皎如」(コウジョ)ともいう

 ⑫〔 狭 隘 〕→意味〔度量がせまくて窮屈なさま〕・対義語は〔寛 大・快 闊

 ⑬〔 いる 〕(訓読み)→意味〔人を窮地に追い込むために事実でないことを言う、偽って言う〕・音読みは〔ふ・ぶ〕・「誣告」(ぶこく)は〔他人を陥れるため、故意に偽った事実を告げること〕・「誣謗」(ふぼう)は〔事実を曲げて言うこと、誹謗

 ⑭〔 声 価 〕→意味〔世間一般でのよいという評判

 ⑮〔 放 過 〕→意味〔放置、ほうりだす、看過する〕・兆民語

 

次回「第二章 (一)     世界」はまだ続きます。

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不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
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