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「寒盟に感銘」でインスパイアされる=露伴の時代に戻れるか?

 「寒盟に感銘」――。昨日(5月31日付)の日経新聞の俳句・短歌投稿欄の紙面を読んでいたら、特別編集委員・安岡崇志氏のコラム「遠みち 近みち」の見出しに目が止まりました。「かんめいにかんめい…」、洒落だなぁ。。。ん?「寒盟」。。。あまり見慣れない言葉だけどどこかで見た記憶があるな…と思って読み始めたら、「江戸時代のグルメ本『詩本草』を繰っていて、筆者柏木如亭自作の漢詩に寒盟という語を見つけた」とありました。あ、そうそう、「詩本草」(岩波文庫、揖斐高氏校注)だ。慥か弊blogでも採り上げたなぁと思い出して、探してみました。ありました。「第40段 吉原詞」の七言絶句20首のうち19首目(5月5日付)です。

 「怨殺す郎君の太だ不情なるを 今宵招き得て寒盟を数む」

 「たーさん」(ダーリンの方が分かるか?)から逢いに来る約束をいつも反故にされている遊女。やっと顔を見せた旦那に「ツレナイお方、今日こそはとっちめてやるから」と恨み言をぶつけるシーンで使われていたんです。

 この「寒盟」は簡単な漢字乍らお目にかかることがなかなかに珍しい言葉で、迂生も持っている辞書では見つけることができませんでした。弊blogには、「約束に背いたり、約束を忘れたりすること。この場合の『寒』は『そむく』、『盟』は『ちかい、約束』」と、揖斐氏の註釈をそのまま載せてあります。調べる努力を怠っていますな。反省。。。

 安岡氏のコラムによると、「国語辞書に、これ(迂生注:寒盟)がない。日本国語大辞典にもなかった。ようやく諸橋轍次『大漢和辞典』の寒の項に発見した」と出ています。さらに、安岡氏は「森鷗外の史伝『伊沢蘭軒』にも、漢詩の中に寒盟が現れる。筑摩書房版の注釈は『盟約を誠実に守らぬこと』だ」と調べられております。どうやらこの「寒盟」、中国でも漢詩にくらいしか使われないほどの古めかしい言葉のようです。

 柏木如亭と日経新聞で出遭えた僥倖に悦びを感じたのは言うまでもありません。この新聞は経済ニュースだけでない。文化・芸術面でもこうした格調の高さを誇っているので購読しているのです。

 些か前置きが長くなってしまいました。安岡氏のコラムはこうも続けます。少し長いですがそのまま引用します。

 作家古井由吉さんは講義録を本にした「漱石の漢詩を読む」で「漢詩・漢文が庶民の生活からそれほど遠いものではなかった、そんな時代があったようなのです」と記し、難しい史伝を、鷗外は大正年間に新聞に連載したと指摘して次のように書く。「いくら今に比べると小部数とはいえど、新聞連載ですからかなりの読者がいたはずなのです。多くの漱石の漢詩も、そういう時代に作られたものなのです」
 明治の文章、言語と比較して「私たちの言葉はかなり曖昧で取り留めがなくなってしまっている」。そうみる古井さんは、日本語文章が衰弱した原因の一つに「漢文あるいは漢文的要素から遠ざかったということ」をあげている。…云々(引用終わり)

 この件を読んでいて「そうだ」と迂生も快哉を叫んでしまいました。安岡氏の言うところの「日本語文章が衰弱」は言い得て妙な表現です。英語など他言語と比べてというのではない。和漢混淆で生まれた日本語が本来持っていた表現力や言葉の奥深さが衰えたのだと思います。「寒盟」などの言葉がいつの間にか消えて亡くなってしまった。と同時に、語彙が不足し表現力に乏しい文章しか生み出せなくなった。外来語の輸入と連動しているとは思います。

 ここで唐突なんですが、松岡正剛氏のサイト「千夜千冊」の第983夜 「連環記」(幸田露伴、ここ)で、「幸田露伴論」をぶちかましていたのを思い出しました。何箇所かを断続的に羅列的に引用します。

 「露伴は少年のころから漢籍が大好きで、ほとんど毎晩にわたって埋没しているようなものだったから、その漢文ベースが厚い。あれほどに漢籍に通じていたのは、富岡鉄斎と幸田露伴くらいなものでしょう。その二人とも、目がおかしかったことに、ぼくは注目してるんだけどね。」

 「唐木順三さん(第85夜)がおもしろいことを言っていて、明治20年代生まれまでの日本人は本気の教養があったけれど、それ以降の世代はむりやり修養を必要としたというんだね。つまり、おベンキョーしないと何もわからなくなった。云々」

 「文化が水や風で見えているのと、外まわりでベンキョーするのでは、だいぶん違う。漱石が漢詩を書けたのは、そういう水がまだ近所にも流れていたからです。」

 慶応3年生まれの露伴をはじめ明治初期の日本人には、日常に漢籍が、漢文が、漢語が溢れていた。だから、何も無理することなく水や空気のように自然と「教養」が涵養されていった。それは漱石が漢詩を認める下地につながっているというのです。惟るに、鷗外が「寒盟」という言葉をさりげなく自身の作品の中で漢詩に盛り込んだのも至って自然なことだったのでしょうね。そして、当時の日本人にはそれを受ける「キャパシティ」がまだ少なからず残っていたということなのでしょう。

 迂生が追い求めるものはこれなのです。日本語が、いや日本人が本来持っていたはずの「能力」を覚醒させたい。DNAはなくなったはずがない。環境が、いや刺激がなくなっただけなのだと。。。その力を発露させるためには、明治初期には当たり前のように日常に溢れていた素材を身近で感じる、すなわち古人の糟魄を嘗めるしかないと考えています。「言葉」にとことんこだわり、物事を見詰めていきたい。思索に耽りたい。文学を翫わっていきたい。そうすれば将来に向けて、新たに見えてくるものがあるはずだと信じています。日本人が忘れていた大切な何かが見えてくるのではないか。ここは、このblogでこだわっていきたい最大のポイントです。そして、その「手立て」として漢字検定1級を筆頭とする漢字学習がある。

 本日は漢字学習に懸ける迂生の思いの一端を、日経新聞のコラムを契機に披露させていただきました。この辺りはまだ言い尽くせていません。また、おいおいと。。。今後の弊blogの予告なのですが、漢字検定試験の2009年度第1回が、漢検協会のごたごたという紆余曲折を経つつも6月21日に迫っております。10問目に出る文章題を意識して、これまでの試験でも登場することの多かった中江兆民、幸田露伴の作品を題材に使ってみようと思います。お楽しみに。。。
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char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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