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登山ワールドをありがとう烏水氏=「鎗ケ嶽探険記」(32)・完

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの「拾遺」の二回目は、いよいよ大団円、オーラスです。

◎鎗ケ嶽表裏の登降中、功一級に値ひするものは足袋(念を入れて能ふだけ、丈夫に刺繍したりしといえへども)なり、始終足を保護して凱旋を獲るに至らしめたるもの、たとひ僅にこの山の上下にて、破れて再び用を為さざるに至りたりといへども、身を殺して仁を成す、殊勲として特筆すべし、而して最も罪を論ずべきものは麦稈帽子なり、風に落ち、枝葉に触れて落ち、絶壁を下れば落ち、拾へば落ち、紐して肩に担へば喉を捉ふ、厳に1)チュッチョクを加ふべし。もしそれ近視眼鏡に至りては、これがために森林の緑闇を物色するを得たれども、またしばしば熊笹や灌木に刎ね飛ばされて、捜索に時を2)やしたること3)きにあらず、故に曰く、功罪相半す、互に償ふて止むべし。

◎凡そ鎗ケ嶽、穂高山附近、濶大の葉に富める樹木甚だ多し、即ちトチ、カシハ、ナラの類これなり、けだし4)フキン入らざること久しく、秋季以後は、落葉厚く5)マンチを掩ひ、能く、地湿の蒸散を防ぎ、地味を6)ホウジョウならしむる故ならむ、この間に生を托する万虫の夢の安らけさは、いかばかりならむ。

◎鎗ケ嶽は、ウヱストン氏一たびその著『日本アルプス』に紹介してより、かへつて外人の間に多く知られ、年々7)タイゴを組みて登山する外客頗る多し、明治三十六年には新来の英人三名、同氏の紹介を以て猟師を傭ひ、信州口より登山を試み、赤岩の小舎まで達したれど、豪雨のため、ここに二泊して8)ソシを遂げず、下山したりと、三十七年にも登りたる英米人あり、余が英人メーソン氏より親しく聴くところによれば、今三十八年に登山したる外客の一隊は、雨のため山中に三昼夜を費やし、天色9)清瑩の朝を待ちて、絶巓をきはめ、写真数葉を獲、下山に方り、大雨のため路を誤まり、谿澗を彷徨して10)コンパイをきはめ、漸く救はれたりと、邦人の登山は、三十七年に、松本なる新聞社の発企に係れる鎗ケ嶽登山会ありしと記憶す、11)ジゴ博物学者の同山にて、講習会を開けるものもあり、登山者漸く多からんとするの傾向あるは悦ぶべし、登山道は、信濃南安曇郡島々村よりするを、最も便利とすること、本文に述べたる如し、この道、近来大に拓け、山麓梓河畔に涌ける温泉の傍には、宿舎さへ建ちて、客を容るに至りしと聞く、これらのものは、余が登山の時には、全く無かりしものなり、されば島々村より鎗ケ嶽を上下するに、おそらく探険なる文字を12)ふ用なからむ、余が白骨温泉を発足の起点として、霞沢を徒渉し、霞沢山を上下し、更に梓川に入り、鎗ケ嶽を上下して蒲田谿谷を13)ギョコウするに至りたる歪線は、これらの厳しき三角塔及びその台礎なる谿谷を、縦面的に踏断したるものにして、日本山嶽の跋渉としては、自ら探険(エキスプロレーシヨン)と称するとも、舞文誇張を以て目せらるる虞れなきを得むか、我は単に鎗ケ嶽の表山を片面的に上下したるのみにあらざればなり、この附近の山嶽と谿谷とを熟知するものは、余が言に首肯すべきを信ず。


烏水ワールドは聊か過剰と思えるほど咀わい尽くしました。

次回は新シリーズです。御期待下さい。

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アルプス一万六千尺余、「小鎗」の上で?=「鎗ケ嶽探険記」(31)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの本編は終わりましたが、几帳面な性格の烏水は「拾遺」として書き漏らしたことなどをメモ的に書き記しています。したがって、同シリーズは続行、その31回目は「拾遺」の一回目です。

◎鎗ケ嶽の「ヤリ」は、前には七、八本ばかりありたりといへど、風雨に頽れ去りて、今剰すところはわずかに二、三本あるのみ、余この山の1)チボウを2)ふるに、剃刀の刃の如き長壁が、万年の風霉日爛に凹凸を生じて、M字をいくつか列ねたる如くになり、その突起(リツジ)が則ち謂ふところの「ヤリ」なるものにして、これすら次第次第に頽れ、今八合目以上に屋堆床畳せる乱石となりたるものにて、現存せる「ヤリ」の鋩も、おそらく余命いくばくも無かるべきか、現に吏員が三角測量標を建つるとき、この一本鎗を鉋削3)フヘキしたるにあらざるかと思はるる痕跡歴然たり、而してこの一本鎗が崩壊したる後は、鎗ケ嶽の高度は、減じて穂高山の下に在ることとなるべし。その他は頂鈍き烏帽子形、もしくは筍形にひしやげて、現存の「ヤリ」の如く尖鋭4)スイタイを成さず。

◎余かつて飛騨平湯に遊び、土人より聴取したることあり。曰く、土人鎗ケ嶽に石神を祀る、偶まその年5)カンバツにしてかつ悪疫流行せるを以て、悪神の祟りとなし、その石神を6)ハキし了んぬと、今破損してわずかに原形を認むべき石神は、即ちこれ悪神なるなからんや。

◎鎗ケ嶽は、信濃南安曇郡と、飛騨吉城郡に跨がる、安曇は今アヅミと訓む、アヅミは綿積の約なり、即ち海なり、今北安曇郡に在る三湖、大を青木湖といひ、次を中綱湖といひ、次を本崎湖といふ、この山下を通じて往古一大湖なりしにあらざりしか、土人今穂高山に祀りたる神を以て、この地草創の水を治めたる神となす、拠る処在るに似たり、鎗ケ嶽絶巓より俯瞰したる、綿の如き暁霧の神秘的光景は敢へてこの山においてのみ望まれ得べきものにはあらざれど、地形上また自らこの山にあらざれば、起るべからざる水蒸気の作用あるが如し、いはゆる綿積の太古的光景は、この山の絶巓に在りて、始めて威厳あるを覚ゆ。

◎富士山の絶巓に生息する動物は、内院燕と鼠なり、鼠は夜は幾んど死し、昼に至りて始めて活動す、浅間山にも岩燕多し、鎗ケ嶽は火山にあらず、随つて彼らが如く7)坎口を有せざるが故に、岩燕の生存に便ならざるためか、この動物を認めず、鼠に至りては人なく、屋舎なきところ故、全く亡し、在るところの動物は、雷鳥と虻と黄蝶となり、仏国の某8)セキジュは一万六千尺余のアルプス山巓に、蝶を認め、風のために下界より吹颺(スイヨウ=すいあげること)せられたるものと断じぬ、しかれども鎗ケ嶽の蝶は、常住の物、高山の草花に栩栩然として飛び、香を9)ひ宿を借る、自ら一種の神話を人に語るに似たり。

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「さらば善人よ、健在なれ」で締めくくる=「鎗ケ嶽探険記」(30)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの30回目は、ラストの章「その十 鎗ケ嶽裏山越えの記」の七回目、いよいよ本編の最後となります。最後というのはいつでも名残惜しいものですな~。

ああ太初以来、万岳を率ゐる高御座の、いかに偉なるかを見よ、雲の八束穂を垂るる夕、先づ聖き眠に就くものはいまし鎗ケ嶽、朝日の金翳1)コンコンとして、かのダイバア河の水をも乾さむずといふ羅馬の巷火のごとく、天を焼くとき、先づ額を照らされて醒むるものはいまし鎗ケ嶽、今や暁星落ちむとしてかの寒剣の尖先にかかれるときや、永劫の精舎、2)承塵に光を放ちて見えたりける、たふとしともたふとし。

蒲田一村人戸八、九戸、昔ながらの共和制度ありて、宿は互に定まりたる客を3)はねば、4)ムツみ合ふこと一家の如く、家屋の建てざま二階はなく、戸々牛小舎を入口に控へるを以て、一種の臭気あり、牛は馬に代りて運搬交通の具となるものあれば、人々その肉を啗はず乳を飲むことなし、行儀作法鄙びたる中にも太古の俗あり、夜臥床に入らむとしたるとき雪洞を以て導かれたるもうれしく、朝いよいよ出立といふときに、結飯を焼かせたるに、木の葉を一枚宛てがひて、炙りたるは焦がすまじとの作法にや、一家の労を5)ネギラひてささやかなる銭取らせたるに「御大風さまに」と恭しく挨拶されたるに慙ぢ入りぬ。着きたる夜、宿帳を認むるとき、免倒なれば余と友と同番地にして退けたるに、同じ番地に家が二軒ありますかと念を押して、不思議さうに首を傾けたる、意外の質問に呆れたれど、荒山乱水の中、一里に二、三戸の6)スイエンを認むるに過ぎざるこの辺なれば、さる疑ひも起らずといひがたし。

しかも乱山環峙の中、荒水を渉りて蒲田谿谷、突如として前に展開するに遇ひては、たとひ笠ケ嶽つづきの大山崇嶺、天を衝いて十二曲の屏風を峭立するにもせよ、山を出でたる水はこれより海に向ひて流れ、人はこれより平原に向ひて奔るかとおもへば幾ど「出門一笑大江横」の感あり。

この日蒲田を発してより十町ばかり、高原川の上流に沿ひ、神崎といふところにて、我らは大石屋及び市三郎の二人と手を別ちぬ、大石屋とは一たび顔を7)らめ合ひて、荒らかに物言ひもしたれ、今となりてはさすがに名残の惜しからぬにもあらず、殊に市三郎の介抱懇篤なる、登山成就の功、大半を彼に帰すとして胆に刻すべし、彼は路々余の鎗ケ嶽行を、新聞へでも書くなら送つてくだされ、私には読めないが、村のものに読んで聞かせてもらひ、大事に保存つて置きますほどにといひ、また横浜へ出て8)ワサビでも商ひたしと熱心にいふに、我その9)シュツザンの不心得なるを諭したるに、聞いて一々「さういふ訳だ」と頷けるなど、二十六歳なほ頑児のみ、鉢巻を外して腰を10)カガめながら、柴の組橋の上に11)タタズみては幾回か振りかへる、げに可愛らしき男なりけり。さらば善人よ、健在なれ。(明治三十五年)


問題の正解は続きにて。。。

本編は終わりですが、小島烏水シリーズはまだ続きます。

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「アサガオ」を書き取り問題にしなかった訳は「朝顔」があるから=「鎗ケ嶽探険記」(29)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの29回目は、ラストの章「その十 鎗ケ嶽裏山越えの記」の六回目です。

大石屋は語りて言ふやう、1)ヤツガレ昨日赤岩の小舎にて、公らに別れ、神河内なる例の小舎に着きて、托したる荷を受け戻したるに、猟人恠(あや)しみて、伴れのお客さまはいかにしたると問ふ、されば2)シカジカなりと答へたるに、彼は円らなる眼を睜(みは)りて、そりや大変だ、蒲田の谿がどうしてあの衆の足で、一日で越えられやう、今夜は必定野宿ならむといへるに駭いて、こりやかうしてゐるところでなしと、一服吸ふ間もなく、荷を担ひて焼嶽の峠へかかりたるが、ヤツガレもはじめての路なり、半里ばかり損してまた引き返し、絶頂にて硫黄臭き噴烟に3)ムセかへるばかりになり、地獄を抜き足するおもひにて、ヤツガレの健脚を以てして唯今ここにて荷を卸したるばかりなり、明日は4)ウラボンといふことにて、どの宿にても客はいたしませぬと断られたれど、宿屋は宿屋同士、強ひて頼みてここに草鞋を脱ぎたるなりと、我らには顔しかめらるる飛騨酒を仰ふりながら、今となりてはさすがに元気よくおもしろをかしく笑ひさざめくに、媼も来り、若主人といふも来り、その子息なるべし、五歳ばかりの小児まで怖る怖る覗ひ寄りて、炉辺の団欒に入りぬ、件の小児に菓子与へたれど5)はず、かへつて白い飯が欲しいとせがみ、叱られて啼く、平生の6)ソレイおもひやられて、鄙びたること信濃の白骨、飛騨の平湯に比してまた一層なり。

されど夜具の清潔にして膚さはりのよき、この夜の夢の円かなるは、緑葉を床にし、彼の蒼を7)キュウリュウとしたる昨夜のうつつなりしに似ず。

翌朝早く覚め、下駄を借りてまた湯小舎に赴く、村人の甲乙も未だ起き出ぬとおぼしく人のけはひもなければ我らのみにて悠々閑々と四ツの大字を泳がしぬ、かくて裸体のまま湯を拭きつつ立ち出づれば、筧を8)ケンジョして9)牽牛花の夢の色に咲き出でたるをおもふにつけ、昨夜は夕月その夢よりも淡く、鎗ケ嶽の肩に休らひゐたりしに、今朝ははや水のごとき空の色と一つに融け去りにけむ、月は落ちて水に入り、水は流れて鍋に入り、我らに月の雫を飲ませけむよと、仙薬を服したらむが如く心地清々しくなりて高く仰げば、げにおもひもかけざりし、土地が「無限」に向けたる鉾の一つよ鎗ケ嶽、神秘の四壁を踏まへて、天の逆鉾の如く凛として10)セイメイに立ちたりける。

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草鞋の数え方は?=「鎗ケ嶽探険記」(28)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの28回目は、ラストの章「その十 鎗ケ嶽裏山越えの記」の五回目です。

日も昏れたれば、急げや急げと、疾駆して下るに、だらだら下りの阪道にして、路も埋まるばかりにオンバコ1)ソウセイしたれば、悦ぶこと限りなし、およそその畔たると堤たるとを問はず、オンバコは必ず人に踏まれたる土ならでは、生えぬものなれば、路に迷ひたる人はオンバコを道知るべの草として、その在るが方へ辿れば、人里に出でずといふことなし、漸く一軒屋を見つけ、強ひて剰れる草鞋を2)イッソウ乞ひ受け、二人各片方づつ穿きかへ、提灯に火をもらひてまた下る。

時に夕霧はしツとりと3)に沈みて、4)キヌを裂く谿流の声は人語を乱り、瑠璃玉くす玉の湧きかへりて仄立する四壁中に物言ふ如くなるに、山頂より崖を伝ひて、音もなく下り来れる夕闇は、いつしか天領を蝕みつくしつ、我らが背を望んで圧し伏せる如く追ひつかんとす、我らはいよいよ走れり。

林径にて、はたと行き違ひたるは猟士と覚しきもの連れ立ちて三、四人、先づ人を獲たるに安堵して、蒲田温泉までなほ何里ありやと問へば、直ぐにそこなりといふ、皆我らの服装を怪しみて「お前へツちどこから来さツした」と口々に訝る、鎗ケ嶽をこえて来れりと答ふれば、吃驚して「そりやお前ツち、どえらいこと、出来さツしたなあよ」「ひえい、剣ケ峰まで、上んなすつたかよ」(鎗ケ嶽の最高点三角測量標の在るところを、剣ケ峰といふことを、ここに至りて初めて知りぬ)など口々に賞めそやしぬ。

これらの人々に導かれて蒲田に入れば、はや夜目ながら黍や稗の火田水田を見るやうになり、路左渓流に沿ひたるところより、白烟蒸々すさまじき音させて5)衝つ立ち昇るは湯涌谷と知られて、硫黄の気紛として鼻を撲つに、立山の地獄谷より小に、箱根の大地獄よりは大ならむと思はる、山の裾開けて二渓流A形に合し、一本の尖りを作りて石は天に叫び、水はよどみの声を作るところ、板橋ゆらりと渡れば、提灯を振り翳して遠くより呼ぶものあり、近けば大石屋の主人なり、互に無事を祝し合いつつ、導かれて、とある宿へ草鞋を釈き、重さ6)バンキンの双脚を曳きつつ、二、三間ばかり離れたる浴泉小舎に入る、湯は二槽に別れて溢る、しかも熱くして堪ふべからず、往々湯殿に引きある筧の水を酌み入れて加減を作るに、四肢7)びて我膚ながら玉の如し、村人また仰向けになりて湯に浮び、悠々村歌を謡ふ、立ち出づるとき一群の村童七夕と書きたる提灯を手にしながら、板の上に蠟燭を点火したるを、8)寒筧の流水に浮べ、どよめいて去る。

一同座敷に通り、囲炉裏を囲みて飯したたむ、塩豆、塩菜、大根の古漬と、いづれも塩づくめにて醬油を用ひざるが中に、別けて嬉しかりしは9)キュウリの大さ、白瓜の如きものを生のまま、塩にて揉みたるにて、数日来肉も菜も、鑵詰に飽きはてて、青物を見るを得ざりし、我らなれば、何よりの珍味と、キュウリのみ三椀を所望したり、茶は何の葉とも知らねど、10)トソの如く衣に包みて湯にひたすなれば、ただ麦酒の如く赭く濁りたるばかりにて香はなく、味によりて察するにおそらくは半年前の出し殻ならむ。

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人に物を頼む時にする「シショウ」とは?=鎗ケ嶽探険記」(27)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの27回目は、ラストの章「その十 鎗ケ嶽裏山越えの記」の四回目です。

既にして導火者は漸く材木小舎を発見しぬ、余ら雀躍疾駆してこれに就けば、栃の木を井桁に高く組みたるものにして、人の1)セキエイを見ざるに聊か失望したれど、既に材木の在るところ蒲田と相距る遠からざるや知るべきのみと、狂気2)ベンブす。

しかも悦びはあだなりき、水は益す深く、崖は益す峻しく、森は益す密やかに、迷ひに迷ひてあるひは瀑布を乱り、あるいは栗の梢に懸りて悶えつ、地を離るること三尺ばかりの空を逍遥ひ、3)ホウコウ一、二時間、各人ともに多少の手傷を負はざるなく、余の洋服の如きは鍵裂きにて胴に口を呿(ひら)き、岡野氏の4)半穿袴は5)カンピョウの如く白条となりて叩頭す、互に見交はすとき、人々の唇は蒼うして血の通ふともおもはれざりき。

されど人里の近きたる嬉しさには、林もやや路らしく細径を有するに至り、路の尽くるところにはことさらに枝を折りて迷途の標を作る、6)コウリョウ無人の山中に「枝折り」を作れるなんど、太古の7)イフウを見るべし、これのみならず谿澗に下りて、往々洲を幾処に作れるところに到れば、何人のすさびにや、8)ドマンジュウ形に円石を積み累ねて「この方面へ」と導くに似たり、余かつて乗鞍嶽に登れるとき、同じ石の積みさまを見て、指南車の便を得たりしが山国無人の境を跋渉するものは、これらの些細事を看過すべからず。

この時、草鞋は扯(ちぎ)れて踵に穴を生じたれども、他の準備したるものは燃料に、もしくは穿き換へに用いつくしたれば、今如何ともしがたし、漸く林尽くるに及びて、山中隔絶の一孤屋に行き当り、覗へば荒くれ男三、四人、9)フルイ(材木のままにては険流を搬ぶこと能はざるを以て、製品として牛に積み、人里に出だすなり)を作りゐたり、市三郎10)シショウして草鞋を11)らむことを乞ひたるに12)アイニク持ち合せなしといふ、しかもこの先にまた小舎あればそこにて尋ねられよと、至つて懇ろなり。

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「業を煮やしても」なかなか征服できないのが鎗ケ嶽=「鎗ケ嶽探険記」(26)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの26回目は、ラストの章「その十 鎗ケ嶽裏山越えの記」の三回目です。

いつまでかくてあるべきにあらねば、相促して出立す、導者はここにて兎の死骸を発見し、杖にて敲くに1)ミイラの如く乾固まりて在りき、単にこれのみにはあらず、その後も往々兎の足痕のあざやかに、沙に印するを杖にて指され、始めてそれと知りたるもをかし。

路いよいよ濶くして二又に別れたるに、濶き方を取りて次第に下れば、水の出つるもの漸く多く、★々潺々(★=サンズイに「還-シンニョウ」。水がぐるぐる回ってわきおこるさま。「潺湲」と同義。)として崖より走り、木の間の葉の茂みを潜りて、ちよろちよろと落ち、行く途に当つて2)カンヌキを横へたるが如く、向ひの崖よりこなたへと僵れたる檜の、おのづと洞を成せるを筧にして下る、始めはひたひたと草鞋の底を浸すほどなりしが、後には3)より「くろぶし」に及び、加ふるに崖劖(サン=とがったものを刺して入れる)して削るが如くなるところより瀑となりて雲を吹くに及びてや、水いよいよ深くして膝の皿に及ぶ。

ここに至りて一同路を崖上に取らざるべからざるに至り、昼なほ暗き夏木立に分け入りたりしが、たとへば嵐に遭ひたる舟の、渚へ渚へとおもひながら、沖の方へ吹きつけらるる如く素より路もなき木下闇を、方角も解らで右へ左へと木々を揺りながら、廻旋するなれば、しんしんたる樅や、栂や、殊に唐松唐檜の如きは、本州に在りても東は磐城岩代を限りて奥羽以北になく、西は信飛の境上を界として立山以西南になき者なれば、こここそは我が主領なれといはぬばかりに密生して、その間木曾に多きネヅコを交へ、毿々(サンサン=毛がふさふさしたさま)として山男の髯の如きサルノヲガセを垂れたるもあれば、朽ちて年久しき僵木の交叉したる間に、4)に倚りたる如くなりて足を踏み入れ、抜かむとして傍の大木に蜿ねれる蔓に5)スガれば、苔ぬらりとして大蛇の鱗の逆立けむ6)きに、冷いやりとしたることあり、或時は栂の針多き枝に襟を縫はれて、鉄楯を担ひたる如く、いかに7)けども動かざるに呆れ、枝をぽきりと折りて思はずも前に8)めれば、葉はさつと揺れて光を飜(こ)ぼすこと一斗、空間冴えて三尺の乱れ焼刃、晃りと閃きたるかとおもふに、また閉ぢて葉は光を夢み、人は夢を追ふて、両ながら恍として相知らざるに似たり、木漸く疎らになりて、鞺鞳(トウトウ=つづみをうつ音の形容)たる水音に谿近きかとおもはるるところは、熊笹犇々として、その間に「熊の糞があるぞ」と導者の指すに胆を冷やしたることありしがそれも暫時、独活や9)オニアザミの、洋服の上より脛を嚙むところを、力任せに敲き伏せ、縦横に荒れて、早く日光を見るところへ出でたしと、面も振らず緑濤翠波の中に跳り入り、磁石を便りて崖へ近く近くと下り、楢の梢を猿の如く伝はりて、再び谿谷の河原へ飛び下りたりしが、半時間ばかりかかりて、渓流の直径四、五丁ばかりの所を、超えたるに過ぎざりしと知りて、呆れはてぬ。

かくてまた水深ければ、崖に上り、密樹を掻き分け、隔たること七、八歩なれば、互に人の在るところを失はむばかり、喘ぎ、苦しみ、悶えて「熊飛び」といふところに到れば、両崖聳えて額を合はさむばかり、10)ザンゼン水を夾んで莢を縦に割りたる如く屹立し、その下巨石は11)テンピを蔵する函の如く挿みて、流水溯一道の白気騰上して木葉に白雨を弾く、熊の、こなたの崖よりかなたへと飛びゆくを以て、この名ありと。

ここに至りて一行大に沮み、進む能はず、退くに術なし、時計を12)すれば午後二時夏の日長しといへども、甕の底の如き谿谷なればにや、黄昏に近きたるかとおもはるるまで光弱く、靄ははや谿を渉りて白く、混沌としてただ急瀬雷吼の如くおどろおどろと鳴りはためくを聴くのみ、しかれども蒲田の荒村は未だ何里の先にあるかを知らず、日いよいよ昏れてここなる谿澗に13)ヤエイを張ることともならば、米の残りなほあれば饑こそ凌ぎ得べけれ、外套も毛布も、今朝大石屋に持たせて別路を先発せしめたれば、いかでか高寒を防ぐことを得むと、気遣ふこと甚だし、市三郎は悠然迫らず、いつも先頭に立ちて崖下りに、瀬踏みに、はた熊笹に、路を拓くこと頗る努む、余は森道の捗取らざるに業を14)やし、むしろ一気に荒水を乱りて、魚と運命を伴にせむといきまけど、友は余よりも体軀短くして、水の余が胸部に来るときは、彼の喉に及ぶ比例なるを以て、従はず、余また大に15)うて止む、しかも谿流かくの如く深くして迅かに、仄崖かくの如く高くして急ならんか、余らおそらくは竟に16)シショを知らざらむなり、ここに至て始めて飛騨方面より登山の到底不可能なるを知り、さきの広舌を悔いぬ。



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ヒキンなヒキンは鶩かな?=「鎗ケ嶽探険記」(25)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの25回目は、ラストの章「その十 鎗ケ嶽裏山越えの記」の二回目です。



山巓より飛騨方面に向ひて捌ける山の裾は、うち見たるところ二十五度ほどの傾斜にして、満山は何といふ名か知らねど、麦の穂波を1)ミナギらすやうなる青草にて、光沢ある2)ビロードをけば立て、下山いと易げに見えたれば、市三郎を先頭として次第に下りかくるに、草と草との間には窪穴あるかとおもへば、また石の凸出せるもありて、その上を草にて覆ひたれば、柔綿にて石を包みたる上を歩む如く、躓くこと幾回といふを知らず、友人岡野氏の如きは、ために右脚の拇指を擦破し血滲み出でたれば、手巾(ハンカチ)を裂いて早速の繃帯を作り、これを緊縛したるが、草鞋の紐喰い入りて痛むこと甚だしといふに、下山遅々として大に悩む。

崖を下り終ればその下は石道、大石机の如きもの、廈屋の如きもの、床の如きもの、乱堆して自然の危磴を作り、路3)くして見上ぐれば鎗ケ嶽の絶壁は、今にも4)ビショウを蹴らんとす、石道迂回するに随ひてますます濶く、傾斜も漸く緩やかとなり、飛ぶが如く石より石を伝はりて、全く水の気なき谿谷の底を行くに、これを前日の登山道に比すれば、大道砥の如きおもひあり、我はじめ飛騨蒲田の谿谷より、鎗ケ嶽登山の不可能なるを聴きて、思をこの方面に断ちたりしに、ここに至りてあまりに与みしやすきに呆れ、窃に飛騨5)ジンシの為す無きを嘲りぬ。

往けども往けども石は6)ヤグラを突起し、城砦を左右に築き、人の奔ると共に転輾して、低きもの隠れ、高きもの現はれ、その上の天壁一万尺、蜿蜒として雲を呑み、7)ムヘンサイ空に出没して、8)ヒキンもたゆたふ長城ぞや。

時既に午に近し、石間水の湛ふるものあり、天雪の融けたるものか、浄きこと水晶の如く、塵子なく、これを吹けば9)レンレンジョとして瑠璃の波を立てむかとぞおもふ、水の石を繞ぐりて上下乱流するもの、声漸く10)し、ここにて11)チュウサンを喫することに決し、市三郎は担荷を石上に卸し、鍋に米を容れてかつ洗ひかつ磨き、手頃の石を三方に囲みて早速の12)カマドを作り、このわたりには、はや部落を作れるタケ樅の林を背に負ひて、自然の大殿を食堂厨室となしぬ。我らはこの林間より、去年の枯木を拾ひ来り、草鞋に13)スイカを点して、杉の葉代りに燃やしたる上に加へてこれを扇ぐや、バチバチと音して烟は直上し、樅の梢より梢を伝ふよと見る間に、罅隙を索めて林の奥深くへと分け入りつ、白衣の物の怪、緑雨を浴びて、いづくにか消えぬ。ただ飯の炊ける間に、市三郎が石に敲く煙管の音のみ、コチコチとして無住の大14)ガランに、鼠の何物かを噛むらむ寂しさを味ひぬ。

我らはこの林間に踞れる大石の上に這ひ上り、「いま暖けえ飯よ喰はせるてや」といひながら鉈にて箸を作れる彼の甲斐甲斐しさに引き替へて、頤を支へて腹匐ひつつ心地よき日暖りに眠たくなりぬ、一昨夜も昨夜も、碌々睫を交へざりければなり。

飯成ると告げられて、まことは空腹に15)ムシズを呑みこみゐたる我らなれば、16)俄破と居直り、瞬く間に四、五碗を代へ、牛の鑵詰一個、奈良漬二本、乾魚六枚を退治したるこそめざましかりけれ。

仰げば大空17)アイダマを溶きて、ここなる甕底を望んで流れ入るらむ如く、崖の突き出たるに一尺二尺と天領を蹙められて、熱情の気欝として谿に満つるや、我は恍としてオルヅヲルスの「真美は谿谷に住む」True beauty dwells in deep retreats を想ひ出でぬ。

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烏水ワールドを味わうには荘子ワールドも必須です=「鎗ケ嶽探険記」(24)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの24回目は、いよいよラストの章、「その十 鎗ケ嶽裏山越えの記 下」に突入です。

時に午前九時を過ぐること、四分の一時。

霧の澎湃として脚下にひたうつ鎗ケ嶽の絶巓を、南へと伝ひて辿るに、心地愴然として1)ソウヨウの渚に沿ひて歩むごとく、これ平地か、これ高嶽かのけじめを忘る、頭上はこれ第一の無限、脚下はこれ第二の無限、彼は水の如くこれは鏡の如く、相磨し相反して、現世の深淵と未来世の清潭と、一髪の汀線に劃せらるるところ、生命の2)ヨドみ死の色は沈む。

我初め山の高きに登りて、他の引くきもの小なるものに、王者の威を挿んで臨まむことをおもひぬ、3)底事ぞ、鎗ケ嶽彼自身は、自己のいかばかり高きかを知らざるが故に、我もいつしかその高きを忘れぬ、山に入りて山を知らざるはなほ凡境、山に登りてなほかつ山を知らざるに至りて、我や4)ムカユウの帝郷に5)ショウヨウユウをなしぬ。

よしや天の才は徴されて天上の6)シュウブンロウともなれ、我らは到底永くこの7)高御座を領するの人にあらじ、かくて8)遠謫の命運今や我に迫りぬ。



問題の正解は続きにて。。。

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空の雲には形や高さで分類して十種類あるそうです…=「鎗ケ嶽探険記」(23)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの23回目は、「その九 鎗ケ嶽二回登山の記 下 第二回の登山」の四回目です。


おののく足を踏みしめつ、三角測量標を建てたる一1)皴峰に蝸附して上る、絶巓より突兀たること約二百尺、胆沮みて幾回か落ちむとしてはしがみつき、瞑目して漸く攀ぢ了りたるところ、我が鎗ケ嶽の最高点にして、海抜実に一万一千六百五十二尺、山は遠く遠く2)ジンケンを隔てて、高く高く3)シュウビンに入り八月炎帝の威、今果していくばくぞとばかり……。

見よ。

西の方蒲田谿谷を控へて、大屏風を截りて立てたるは笠ケ嶽にして、直径僅に何十町、臂を伸ぶれば彼の膏なげなる兀頭を撫するを得むのみ、その一帯の蜿蜒する上に、4)の簇生する如く、向背相望んで立てたるは、横嶽、高辻山、薬師嶽などにして、その北肩より揺る落されたる5)霏蕪は数十里の外に飛び、尖端茫として烟らんとし、富山平原に至りては、はや水平線下のものたり、有耶無耶。

正東には一万尺余の常念ケ嶽あり、我去年松本平原より鎗ケ嶽と、この山とを仰観して、その荘厳に打たれたることありしが、今は霧のためにかの欖黄色を以て代表せられたるトウ画的平原を、波底に6)ボッキャクされたるを憾むのみ。

さはれ遥に遠く、浅間山はこの銀に閃く霧の海より烟を吐ける――あるいは雲なりしやも知るべからず――小7)トウショの如くして、はてはおのが吐ける雲か烟の中にすがれゆく。その附近の群山は紫の穂を立つるもあり、藍の8)を露はすもあり、南の方我と隣りて比肩せる穂高山と、大に隔たりて仁王立ちたる御嶽とは、乗鞍嶽を両腋に夾みて、三巨人相笑みて、我を招くが如し、南東に方りては甲斐の駒ケ嶽を初めとして、これに列なれる鳳凰山、地獄嶽などは、別派の聚落を作りて、その多角形なる大塊は、波を踏んで、今にも9)ビウの間に迫り来る如く、そぞろに手を額に加へしむ、もしそれ赤石山、白峰の磽确を尖峰として、水か空かを弁へざるスカイラインに一朶の藍靛(ランテン=あいいろ)色を潜める甲斐以南の山に至りては、層々としてこれ宛如たる10)ウンキュウ図。

頭を回らせば正北には越中群山の覇王たる立山は、当面搶目(ソウモク=目をつく)に屹立し、雲底を撫でて、意気頗る雄なり、恨むらくは西境の大君たる加賀の白山を瞰るを得ざりしことや、しかも万山の中、幾何学的円錐形を整へて、端厳微妙、我をして11)ハイキせしめたるものこそあれ、誰かは讃せざらむ、ああ、大慈大悲の不二の山!

この間、欲弁已忘言(べんぜんとほつしてすでにげんをわする)。

おもへらく、自然は地に在りて絶大至高なる紀念碑を建てぬ、美なるかな12)蜻蛉洲、その嵩高美は一に萃めてここなる中央大山系に存ず、しかもその大観を、一目に縦にせしむるため中央にいや高き聖壇を築くにあらざりせば、そはあまりに統一を欠きたらずや。

故に鎗ケ嶽は、一片孤聳的に臨座すべき運命を負ひ、生れてここに13)トクリツしぬ。

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意外と読めない?「破罅」「乱斫」「長鬣」「顧盻」=「鎗ケ嶽探険記」(22)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの22回目は、「その九 鎗ケ嶽二回登山の記 下 第二回の登山」の三回目です。

上ること二里、水涸れて水源なる雪洞となる、雪は氷源の如く山の裾と共に1)エンエンす、しかもその2)破罅の危岩には、ギバナノコマノツメ、タカネスミレ、クルマユリなんどの簇がり咲くを観る、七分の冷血質と三分の多血質。

左右皆絶壁、交も裾を、蹴合はむばかりに入れ違ひたる間を、石を拾ひ雪に辷べりて、之字に攀づ。

七合目ほどのところとなれば、北西に乗鞍の大嶽、赤裸臂を延べて霄漢を摩し、穂高山はまたその北に斜伸して、肩を半天に3)ソビやかす、而して額越しに鎗ケ嶽の絶頂、4)セキジュン五、六本を駢べ立て、その右のもの最も高うして、尖先鋭く磨ぎ立てたる寒剣の、半天に瀰りて空を削るを仰ぐ。

これよりは偃松帯となり、起伏狼藉せる石よりは、皆吹息するかの如く、5)カオク乱堆せる状を成し、ポムベイ市の廃墟もかくやとばかり、石は高寒の気を宿して、冷いやりと人の膚に迫まる。この石の巨大なるものを組み合せて、猟師の野営に充つるコヤ(山間にてコヤといふは、必ずしも家屋をのみ指していふにあらず)を作りたるものあるを発見し、いかにしてここに6)キガし得るかを恠しむのみ。

偃松帯尽き、峰頭の隆起(リッジ)を作るもの、敢へて四、五といはず、その鋸歯状に虚空を7)乱斫せる間の窪口に達したるところは、最高点にはあらねど、ともかくも絶頂にして、幅薄くして狭長なるプラットフヲームを作れり。

我はいつしか鞍上に立つ人の如く、8)長鬣風なくして左右に披靡するは皆鎗ケ嶽の支峰傍嶽にして、眼下に懸垂せる絶壁の下なる渓谷は、信濃越後と飛騨越中との分水点となる、右の方に向つて放射するものは荒蕩たる野口の大谷、無人の境を渉ること二日にして、信越環山中の寒村に出づべく、左の方は飛騨に向つて乱山囲繞の中を悍流する蒲田の深谿、一歩を右すると左するとは、則ち呉に之くか越に之くかの境なり、さすがの市三郎も舌を捲いて9)ガイタンしていへらく「山路を一分八間とはよく言ったなあ」と。腕を組むで動かざること石人の如し。

しかも見よ。

天地間何物かこの絶大観あらむ。

中央大山系に一万尺を出入してエンエン起伏する大山、崇嶺、攢峰、列岳は、虚空を涵せる暁霧の10)テイセンを突破して、万浪前に飜へり、千波後に立つ如し、その暁霧はきはめて濃くして厚く、宇宙を11)ハンセツして上に碧天、下は銀霧、混沌として綿の如く、氷の如く、湖の如く、海の如く、山肩以下に屯ろして、凝滞動かず、試に拳石を投じたるに、白濤12)ホウハイとして氷山見る見る兀立す。

時に天風冷やかに13)ホオゲタをなぐつて、霧に浸れる万山は、各氷山と倶に二体となり、互に14)顧盻して頷き、粛として沈黙す。

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「バンセン」は「TV番組の宣伝」の略ではありませぬ=「鎗ケ嶽探険記」(21)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの21回目は、「その九 鎗ケ嶽二回登山の記 下 第二回の登山」の二回目です。

しかれども荷の大部分は神河内の小舎に寄托しあるを以て、ひと先づこれを齎し来らざるべからず、ここにおいて導者二人を二手に分ち、一は余らを1)キョウドウして鎗ケ嶽の絶頂より裏山を踰え谿谷伝ひに蒲田温泉へ出づる任に2)り、他の一人はこれより昨日の来路を神河内まで下り、荷を取り戻して焼嶽の3)テンケンを踰え、中尾の荒村に下り、今夕を以て両軍蒲田温泉に4)カイコウするに決し、しかも後者は稀に猪熊を追ふ猟師の、踏み入ることもありといふところなれど、前者に至りては懸崖囲繞の間なる急湍激流を5)ホシュウせざるべからず、導者の大役ここに至りて極まる、しかも市三郎は自ら奨めて曰く、奴乞ふ敢へて当らむと、即ち急に残飯を嚙み、結束して起つ、主人は固く市三郎を6)めていふ、ゴテンへ上つたら左へと下りるだよ、右へ下りたら野口谷だて、取り返しがつかねえことになるぞよと、山民は峻嶽嶮峰の頂上をゴテンまたはテンヂヨウといふ、けだし「御天」「天上」の意義にして、山嶽崇拝の風を見るべし。この山の脈つづきに大天上嶽といふあり、海抜また一万有余尺気象自ら雄なるをおぼゆるに、さすがにその名を羞かしめず。

かくて大石屋とは南北に別れ、日なほ低ければ足許のをぐらき深林を掻き分け行く、恠鳥一文字に飛び立ち、7)バンセンしてまた下る、暫くして赤児の啼くがごとき声あり、一山の寂びを破りて尖り鋭く耳に入る。

森の脇腹を破りて氷流に出づ、日本に氷河こそなけれ、この峻絶なる高山の氷雪は、融けて急河を成し、迷石を運びて驚盪奮躍、峡を劈く声は吼雷の如く、石は苔を被ぶるに遑あらずして、兀立、乱立、屹立、悍流に逆らひて巨石は怒り小石は跳躍し、水は激射して雪を飜へし珠を吹く、その激迅なる水を8)カカンして、石上に踞し、冷々白石の奔泉を汲み、飲んで脾肝を爽やかにす、時に紅嘴翠頭にして、白翎(ハクレイ=白くすっきりした鳥の羽)の小禽あり、石上に点じて、9)インライの雹の落ちたるかと疑はる。

暫くは鎗ケ嶽の中腹を縦に、長袗緩帯の懸かるが如くなるこの犇湍に沿うて往く、10)漸く低く、石次第に多く、崖には深刻なる無数の皺を折り、風雨万年、精苦なりし閲歴の11)モクシを刻めるを観る。


問題の正解は続きにて。。。


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チョウショウ≠嘲笑、コウキ≠好奇…じゃあ何??=「鎗ケ嶽探険記」(20)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの20回目は、「その九 鎗ケ嶽二回登山の記 下 第二回の登山」の一回目です。

さらぬだに露の1)つるにさへ、心を置く山中の旅客なり、高寒に2)蟄蛇の夢を破られて起き上れば、一天霽れて繊雲なく澄みたること水に似たり、何物の恠禽ぞ、頻にけたたましく爛星に叫び、一木惨として3)ビセンせず、ほがらなる(=朗らか、曇りなく晴れわたるさま)暁や、深沈たる白檜黒檜の聖なる天杖を、4)ヒシヒシと隙間なく駢べて、高く5)ショウカンに入り、その梢に支へられたる天外の6)サンポウ列岳は、堆藍水に溶けやらず、7)サイカイ東を屹たり、領巾を振つて立つて8)ベンブす、曦車の出づるを迎ふにやあらむずらむ。

我らはまたこれより昨日の来路を取りて、神河内へ下らんとする身なり、おもへば今の今まで、乱山荒水の間を風に梳り雨に9)モクして、さすらひたるも実にこの高嶽の絶巓に立ち、天風に10)チョウショウして11)コウキを養はむとするにありたるものを、登山といふ名はありながら、霧のために一切茫々、何物をも観ず、12)ショウコとして下らば、少しは髭を立てたる男一疋、いかで口惜しからざるべき、況いて爽空一碧、灝気13)ヒカンに沁み入りて、天地一片眉間に落つるこの朝ぼらけ下るをや。いで、いで、今より第二回の登山を試みてくれんずるはと、勇み立ちたれど、またここまで下らむはおもしろからず、鎗ケ嶽の裏山なる千丈の絶壁を、逆毛吹かるる野猪の如く、驀地に下りて深谿窮谷を乱り、飛騨の国は吉城郡蒲田の温泉に出でむはいかにと、市三郎を麾いて14)るに、さしも胆気を負へる彼も、頗る難色あり、沈吟やや久しうして、巌屋の主人を顧み「どうだ往けるだらうかの」と促すに、彼は馬子張の煙管を一服吹いて焼木に丁(とん)と叩き、「造作もねえこつた、おれツちや、毎日のやうに往んだり来たりしてますさ」と。そのさま日和下駄を15)穿ツかけて、隣家へ通ふより容易(たやす)げなり。すはやと血気に逸る胸を押し鎮め、しかし谷の中で野宿をするやうになつても困るが、一日程(みち)で往けるかねと、念を押すに、大丈夫だよ、その方が神河内へ下りて往くのより、どのくれえ近いか知れねえと、余ら雀躍して曰く、しめた!


問題の正解は続きにて。。。



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「瀰」「咀」「豁」「齎」…訓読みは独特、紕繆も?=「鎗ケ嶽探険記」(19)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの19回目は、「その九 鎗ケ嶽二回登山の記 上 第一回の登山」の五回目です。

時に大霧海の如くして音なく大荒を1)り、鎗ケ嶽の最高点なる奇痩の尖峰は、霧を呵し雲に駕して半天を渡る。その頂上なる三角測量標の尖端は、難破船の檣の如く聳えて、見る見る無慙の大波に没し、乱山荒水は路と共に回転して、霧の裂け目の上下に継ぎ合されてはまた裂くるところより、山容水声をうちあげ、うち下され、山より谷底を目がけて驀地に駈け下りる霧は雨の如く、谷はこれを容れじと逆しまに追ひ戻すや、霧また騰りて2)バイを銜める白馬の如く、疾駆して前後皆一白。

八合目ほどのところに到る、大石は鮪の切味をぶちまけたる如くに乱堆し、人より高きもの十を以て算ふべく、偃松その間に点々し、石楠の白花交はり咲き、雷鳥人に駭きてチヨコチヨコと小走りに走り去んぬ、人を3)ふにあらずやと疑はる。

絶巓に達したるときは、午後三時半、上下左右ただ濛々として白霧のみ、山高きか4)深きか、我ただ卵の白味の如きもの混沌として大虚を涵せるを知るのみ、時に余は頻に歯痛をおぼえ、加ふるに空気稀薄にしてかつ気圧の力低きを以て、心臓は促鼓し、呼吸は5)ヒッパクす、顧れば家郷を出でてよりここに十日、身は天漢に入りて雲を6)ひ霧を吸ひ、木魅石鬼に囲繞せられたる仙となり、火食の人なるをおぼえず、しかもただ泫然(ゲンゼン=)として涙下る。7)ふるところの蠟燭に火を点じ、幾度か消えなんとするを、壊敗したる石祠のささやかなる断片に囲ふて立て、8)メイモク天を仰いでしばらくは黙禱す、ヴオルテールなほかつ崇拝す、我今に迨びて初めて人間の弱きを知んぬ。

かくの如くして下山に決し、後向きになりて雪道を辷べりつつ下る、石、偃松、石楠花、倏ち尽きて前の急流、乱石の間を渉り、巌屋に帰りぬ。

主人は自在木(山中熊笹根曲り竹などの外に竹なし)の鍵にかけたる大鍋に、熊の肉汁(ソップ)を煮ながら、杓子にてドロドロと搔き廻はしゐたり、炉辺には熊の肉のボツボツ切を串刺にして列ねありしを、晩餐の肴に乞ひ得て、9)数臠を喫す、昨日は山鯇(やまめ)を味ひ、今は熊肉に飽く、山中の珍味これに過ぎたるはなし。炉辺には剥ぎたるばかりなる熊の皮を木骨に張りて、爪ある10)シシの伸びて鋭きが、火気強きにつれて、パチパチと音すること、麦稈を焼く如し。大石屋は彼と11)ジゴしたりしが、やがて件の熊の皮をおのが荷に巻きをさめて、独り会心の笑ひを洩らしぬ、けだし温泉の旅舎を生業とせる彼は、猟人何日の湯治料と交換するの約を訂したるならむか。猟人の語るところによれば、この熊は「タナカラオツテ」死しゐたるを発見して、皮と肉とにしてここまで搬び来りたるなりといふ。「タナ」は崖の方言、「オツタ」は「落ちた」の意義なることを後にて知りぬ。彼の語るところに拠るに、彼はかつて乗鞍嶽なる硫黄谷にて、大熊と小熊と累なり合つて死してゐたるを発見したることありしが、親子狎戯して絶壁より足を踏み外したるならむといふ。要するに余が今までしばしば見たるこの辺の熊の皮は、北海道産のものと違ひ、毛薄くして黒沢美ならねば、革としては知らねど、敷物としては妙ならざるべし。

前に霞沢の小舎を原始的なりとおもひたる余は、この巌屋に至つて更に一千年を溯りたる心地しぬ、猟人は大野川村の人、赤痢の12)ショウケツなるを避けて、この夏をここに閑居するなりといふ。さるにても我少年にして教へを受けたるとき、知命の者は13)ガンショウの下に立たずとこそ聞きたりしに、と微笑をとどめあへざりき。

夜に入りて主人白樺の皮を附木代りに点火するに、青熒(セイケイ=)白昼の如く、14)コウキ石油に勝る、いよいよ山中の風流をたたへながら寝に就く、蓆僅に二枚にして五人を覆ふに足らねば、あるいは山毛欅の葉を採り来りて地に敷き、あるいは担荷を枕代りにして横になる、主人は木枕に手拭あてて、仰向けになりしが、やがて四傍(あたり)かまはぬ大15)イビキとなりぬ、我らのみ寒うして睫を交へられねば、焚火を掻き起してのみゐたりける、蓆の戸の隙間とり沁み入る大山深谷の噫気、神骨を冷殺するとき、千樹万禽、片唾を呑んで静まりかへりぬ。

されど、疲労は竟に寒気を征服しぬ。



問題の正解は続きにて。。。


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「砲」と「艦」、普通に読んじゃ詰まらないなぁ~=「鎗ケ嶽探険記」(18)

明治のアルピニスト、小島烏水の「鎗ケ嶽探険記」(岩波文庫、「山岳紀行文集「日本アルプス」所収、近藤信行編)シリーズの18回目は、「その九 鎗ケ嶽二回登山の記 上 第一回の登山」の四回目です。

初めの予定はここにて一泊するに在りしが、時漸く1)なるを以て、余らは登山説を主張し、大石屋はここに一泊して新鋭の気を養ひ、明朝を以て絶巓を窮めむといふ、さきに急湍を渉るとき、彼は少壮より「川飛び」「山駈け」の名人なりしを負ひて、屈曲斗折せる山流を先駆し、つねに我らを七、八間後に捨て去りて、はては影をも見せざることあり、幾ど自己のために登山するものに似たり、ひとり市三郎の我らを懇ろに2)フエキするものありて、幸ひに全きを獲たるなり、而して今俄に沮むものは、行を緩うして3)ヒヨウ銭を多く貪らんがためのみ、余が性気急短は彼がおもしろからぬ挙措によりて、一倍の熱を加へたれば、今日これより絶巓に登り、蒲田の谿谷を4)りて、飛騨に入るに何の手間暇あらむといきまく、大石屋はひた呆れに呆れて円らなる5)ドングリマナコを張り「おめへッち、途方もねえことを、どうして往かつしやるだ」と冷笑す。余また怒る、刀あらばまさに按じたるなるべし、市三郎間に介まりて交も6)キュウカイし、一個の折衷案を提出して曰く、ともかくも日なほ高ければ今日これより絶巓へ登ることとすべし、しかれども蒲田越えは到底むづかしければ、ここまで引き返して、今夜はここにて一泊することにすべしと、衆議即ちこれに一決し、鍋や米やを挙げて、この巌屋に托し、結飯をのみ腰に括りて直に発す。

深林の間の7)サイケイ――おそらくは巌屋の主人が拓きたるものならむ――に踏み入り、「タケ8)グミ」といひて、9)ヤマブドウめきたる黒紫の実を結べるものを採りて、行々これを10)ふ、はじめは気味悪しくおもひて毒なきやと問へるに、市三郎は「嶽に11)るものに、毒のあるもなあ、ねえだよ」と。その12)コウフン殆ど我らの無知を憫れむごとし、林ははや白檜(しらべ)帯に入りて、朽ちたる13)僵木路に横はりて交叉し、スギゴケの潤苔を14)て辿るに足を辷べらす、頻に啼くものは閑古鳥かあらぬか、15)メイドよりの使者に似たり。

深林を突破してまた川となる、山頂の雪は日に溶けて、魔女の紡げる白髪の如く、取次に乱流して歩々量を増し、石を盪かして風雨の声をなす、しかも大石16)犖确として上下に突兀し、17)を抛ち18)を倒しまにして水を逆ふるを以て、前の川の如く足を濡らすに及ばず、石より石を伝ひてはや七合目ほどのところに到れば、水19)れて雪は瑠璃洞を作る、その上を渉るに固きこと冷鉄の如く、歩々杖にて二、三寸を掘り、足場を作りてはまた上る。



問題の正解は続きにて。。。

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不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
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