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麗水の旅ともひとまずお別れです…=「飛騨の山と越の海」(44)

遅塚麗水の紀行文集「日本道中記」(近代デジタルライブラリー所収)シリーズから、「飛騨の山と越の海」の44回目です。飛騨の余話は今回が最後。ひとまず麗水の旅ともお別れしましょう。


 二二 逸話

 智慧者として今尚ほ1)ソンスウさるゝもの高山の照蓮寺十三世の2)ジュウジ明了上人あり、天正十三年金森長近、豊臣秀吉の命を受け、飛騨征伐として白川郷に入る、陣前に旅僧の過るを見て不吉となし捕へて斬らんとす、長近其の凡僧にあらざるを視て、一首の歌を得ば以て活かすべしといふ、3)ゲンカに詠じて曰く

 大将の召した袴はしらかはや、さても見事に取りしひだ哉

と、僧は明了上人なり、孝子の池といふもの益田川の西岸池野に在り、相伝ふ、昔、門原に左近(或は曰ふ作)といふ孝子あり、其の母4)みて病す、好むところを問へば、望むらくは琵琶湖の水を飲むことを得んといふ、左近5)を携へて日夜6)ケンコウし、近江に走り水を盛りて還り此の地を過ぎ、母の既に死したりと聞き7)ツウコクして終に死す、盛り来りし水、湛えて池となりしもの是、8)キュウカンにも涸れずといふ。



雄渾な筆勢でしたためられた麗水の文章と、鏤められた漢籍などに基づいた語彙の数々。ジャーナリストらしい観察眼と好奇心で貫かれてもいます。彼は全国各地を行脚しています。このほかにもたくさんの紀行文があるので近代デジタルライブラリーなどを通じて読めます。自分が行ったことのある土地、あるいは行きたいなと思っている場所の昔の風景などを知る手掛かりにもなります。勉強になります。お勧めします。

さて、人の旅を読んで行った気になれる「紀行文シリーズ」はまだ続きます。

新シリーズはあの“重鎮”が登場します。お楽しみに。。。



問題の正解は続きにて。。。

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下呂温泉、北に行けば中呂、もっと北には上呂あり=「飛騨の山と越の海」(43)

遅塚麗水の紀行文集「日本道中記」(近代デジタルライブラリー所収)シリーズから、「飛騨の山と越の海」の43回目です。もうそろそろ(というかとっくにかも)麗水の旅に飽きも来るころでしょうか。あともう少しだけお付き合いください。月が変われば新シリーズに突入です。

二一 俗謡

 俗謡二三あり、曰く

 広瀬殿のお出でといへば、地も揺げ、木草も1)ナビけ、諸領もナビけ

こは領主の徳を2)するがごとくなれど、実は3)シュウレンの火よりも猛なるを歌ひたるもの。

 伊勢の編笠、ふりに好や、枕に好や

 一味の4)ジョウチあり、

 君は白玉千重の躑躅、見れば折りたしちきりたし、

 さても見事な上呂のつゝじ、枝は宮田に葉は萩原に、花は中呂の寺に咲く、

 凡調



広瀬殿とは飛騨地方を治めた領主。苛政で知られたようです。皮肉の歌です。
下呂温泉は有名ですが、北方に中呂、さらに北方に上呂と呼ばれる地区があります。最後の歌は面白みもない平凡なものだと扱き下ろしています。

問題の正解は続きにて。。。


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貧しい地域でも工夫すれば美味しく食べられるのだ=「飛騨の山と越の海」(42)

遅塚麗水の紀行文集「日本道中記」(近代デジタルライブラリー所収)シリーズから、「飛騨の山と越の海」の42回目は「二〇 食物」の2回目です。飛騨地方の主食について詳述されており、言葉や漢字の勉強になります。麗水の旅に付いていきましょう。

 其の山間1)ヘキユウの村に至りては実に意想の外に在り、家には床なし、木葉、藁を積みて上に蓆を敷くに過ぎず、其の食ふところの物、枝は山躑躅に似、葉は2)木天蓼に似たる3)カンボク4)令法の5)ドンガを食ひ、梠樹(からたち)に似て葉の黄なる窶藪(はや)の葉を6)杵砕して雑炊とし之れを食ふ、山中食塩に乏しきをもて、菜を漬くるに些の塩をも加へず、7)サンパイして奇臭鼻を衝くを却つて8)しとして雑炊とし之れを食ふ、素菜漬といふ、今試みに其の常飯の品目を挙れば、稗飯、割飯、芋飯、大根飯、菜飯、蕪飯、小豆飯、角豆飯、稗粉飯、令法飯、雪花菜飯、小麦の9)ふすまなるカラコ飯、栃粥、稗炒粉、渋柿を臼につき粉としなしたる柿炒粉、10)シイナ炒粉、楢炒粉、菜雑炊、蕪雑炊、夕顔雑炊、素菜漬雑炊等是れなり、別に団扇餅といふものあり、冬春二期に之れを調味して朝飯の代りとなす、米、麦、粟、稗、黍、蕎麦、大小豆、11)エンドウ、12)もろこし、黍の新陳相雑りたるを13)きて粉となし、水を和して平扁なる楕円形を作り、14)でゝ竹串に貫き、味噌を抹して15)アブりたるものなり。




敢えて問題にしませんでしたが「稗飯、割飯、芋飯、大根飯、菜飯、蕪飯、小豆飯、角豆飯、稗粉飯、令法飯、雪花菜飯、小麦のふすまなるカラコ飯、栃粥、稗炒粉、渋柿を臼につき粉としなしたる柿炒粉、シイナ炒粉、楢炒粉、菜雑炊、蕪雑炊、夕顔雑炊、素菜漬雑炊」を読んでください。


団扇餅は「うちわもち」。形がうちわそっくりの楕円形。材料は麗水が書いている通り、とにかく穀物類を粉にして水を混ぜて餅状にするのです。

貧しいながらも最大限工夫した食物の数々。飽食の現代こそ思いだすべきではないか。大震災後に求められる日本人が求めるべき道筋の一つとも言える。贅沢は敵だとまでは言わないが、価値観の最上のものではないという事だけは言えるでしょうね。今一度、シンプルな生活に戻るべし。そこから初めて次のステップが見えてくるような気がします。

麗水が歩いた全国各地の風物を味わっていますが、たかだか100年ちょっと前の日本の現実。すこしだけ時計の針を戻してみると見えてくるものもあるでしょう。いましばらく、麗水の紀行文を味わうことによって、言葉や漢字だけなく日本の原点を見つけることが出来るかもしれません。

問題の正解などは続きにて。。。



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トイレで紙がない時あなたはどう拭く?=「飛騨の山と越の海」(41)

遅塚麗水の紀行文集「日本道中記」(近代デジタルライブラリー所収)シリーズから、「飛騨の山と越の海」の41回目です。今回の余話は飛騨の食べ物。一部の地域を除いて山間部のやせた土地の多い土地柄ですから、食べ物も貧しいのは致し方なし。

二〇 食物


 高山、船津、古川、其の他の二三の1)メイユウを除けば、文久ツウホウ、寛永ツウホウ日常の2)ツウホウたるなり、米飯は3)セイキャクにあらざれば饗せず、食ふところの飯は稗と麦、若くは黍と麦とを4)和炊したるもの、中流以上の家といへども、米に稗と麦、若くは米と粟と麦とを等分に和したるものを食ふ、之れを三分飯といふ、其の生活の5)テイドなるは、あ)圊に上りて矢を揩浄するに木片を以てするを見ても知るべし。



下線部、あ)を解釈せよ。

文久通宝、寛永通宝とも江戸時代に流通した貨幣。混ぜ物が横行し価値が低い。これがいまだに流通しているのが飛騨地方だというのです。米も簡単に口にできるわけではありません。よほどの御馳走を食べる時でないと出せない貴重な物。通常は、稗と麦のブレンドか、黍と麦のブレンドが主食です。中流家庭でも「三分飯」というのがせいぜい。すなわち、「米に稗と麦」、あるいは、「米と粟と麦」のイコールブレンドなのです。そして、最後にトイレの描写。麗水にとってはかなりのショックだったようで、今回の旅で何度か見かけており記述しています。みっちゃんみちみち○○○して、紙がないから、手で拭いて、、、云云の子供のころに口ずさんだ莫迦歌の一節を思い出しました。人間の生活水準を計るうえでは排泄場所の風習は馬鹿に出来ないですよね。中国でもドアがないと聞くと吃驚しますもん。麗水は聊か侮蔑的に見ているようです。この項はもう一回続きます。

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TDLの新アトラクションとして提案しようよ「籠渡し」=「飛騨の山と越の海」(40)

遅塚麗水の紀行文集「日本道中記」(近代デジタルライブラリー所収)シリーズから、「飛騨の山と越の海」の40回目です。飛騨地方の名物の風習というか、ならではの風物と言えるものに「籠の渡し」というのがあります。wiki なかなかに面白い仕組みで、かなりのスリルも味わえます。麗水の説明を読みましょう。



一九 籠の渡し

 大礀1)シンタン、橋を架すべからざるところ、『2)籃渡』をもて交通す、其の最も人に知られしは、飛騨の谷村と越中の蟹江村の境なる神通川の渓谷にありしもの是れなりしが、今や長橋を架し国境橋と称せり、然れども3)キュウザン幽谷数家の村の交通は今尚ほ此の籠の渡に頼るものあり、余の見たるは船津の北一里、餅が淵の上に在りたりし、籠の渡の制は、先づ両岸に井字形に木を構へて太き4)苧綱を張り5)す、之れを命綱といふ、籠は獼猴(しら)口藤をもて作り大いさ膝を抱いて坐するに足る、籠に四条の獼猴口藤を附す、これを柱藤といふ、命綱に懸く、籠の前後には二条の綱を結びて之れを両岸に引く、渡る人籠の中に立ち、両腕6)しく桂藤に絡みて中心を誤まらざらんことを勉む、渡守乃ち綱を引いて人を渡すなり、命綱は常に緩みて弓のごとくなれば、渡る時、岸を離れて渓の半に至るまでは、其の疾きこと箭のごとしと、別に藤橋といふあり、獼猴口藤の数条を合せて巨綆を作り、両条並び懸けて上に木板を敷くもの是れなり。

★「獼猴」は「大きなサル」。「しら」は「ましら」でサルの異称。「しら口藤」は「白口藤」という植物。その蔓は強靱でつり橋の縄にはもってこい。

★「巨綆」(きょこう)は「巨大な縄」。「綆」は「いどのつるべのなわ」。



Wikiにもありますが、安藤(歌川)広重が描いた六十余州名所図会「飛騨 籠渡図」が有名です(ここ)。

一度乗ってみたいものですが、残念ながら現在は危なくて存在するわけはありません。ディズニーランドのニューアトラクションとして提案してみたらいかがでしょうか?

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飛騨山中にいるという「大人」という怪物に会ってみたいものじゃ=「飛騨の山と越の海」(39)

遅塚麗水の紀行文集「日本道中記」(近代デジタルライブラリー所収)シリーズから、「飛騨の山と越の海」の39回目です。今回の余話は荻生徂徠が「飛騨山」という文章を書いた中で、飛騨地方に住む原人「大人」(おおひと)について、麗水がそのまま引用しているくだり。さながら雪男といったところでしょうか。あまり漢字はありませんがご容赦のほどを。。。



一八 徂徠の飛騨山


 『飛騨の山に大人といふ者あり。長け九尺ばかり、木の葉を綴りて衣とす、物を言ふにや聞きたる人なし、或猟師山ふかく分入りて獣多き処を尋ねけるに、思はず行逢ひける、其の走ること飛ぶがごとく、逃るべきやうもなければ、詮方なくせめては斯くしてもやと飢の用意に持ちたる団飯を取り出でゝ手にすゑて差し出しつ疾く食ひて得ならず悦べるやうなり、誠に深き山中に自づから生れ出でたるものなれば、1)コウコウとかやいふ世のためし思ひ出でられて、斯る物食ひたらんは始めての事なるべしと思はる、暫くありてしゝむじな2)オビタダしく殺しても来り与へぬ、団飯の恩に報ゆるなりけり、猟師労なくして獲物多きを悦び思ひて、夫れより日毎にまろめ飯を包み行きて獣に易て帰りける、隣なる猟師怪しみて窃かに窺ひ置き、夜深に先立ち行きて俟つに、思はず例の者に逢ひぬ、鬼となりと思ひけん、玉そろへて打ち、打たれて逃げゝれば猟師も帰りぬ、初めの猟師、此の事をききてあな不便の事かなと奥深く尋ね入り、峯より覗き見れば谷底に倒れ伏し居たるを、同じやうなる者の傍に添ひ居たるは介抱するなるべし、されど近づきなば、人に打れし仇を我にも怨みむずらんと、誠に怖ろしくて止みぬ、斯くては死につるなるべしと、後に此事を人に語りける』



☆団飯は「まろめめし」。今でいう握し飯、御結びのことです。

ストーリーはそれほど難解ではないでしょう。身長2メートルを遥かに超す巨大な「大人」と、猟師の人間との触れ合い。握り飯と獲物とを交換するといった、ささやかな交流が描かれている。お約束の妬んだ猟師の「横槍」「介入」によってその交流が崩壊することとなりました。飛騨地方にはそんな「怪物」がいたという伝説です。
麗水が何を言いたかったのかは定かではありませんが、人里離れた寂しい飛騨の道を歩いていて、この徂徠のお話を思い出し、大人という奴に会いたいやら会いたくないやら、複雑な思いが去来したのかもしれません。

問題の正解は続きにて。。。




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ひだひだひだ…飛騨の由来は何ぞや?=「飛騨の山と越の海」(38)

遅塚麗水の紀行文集「日本道中記」(近代デジタルライブラリー所収)シリーズから、「飛騨の山と越の海」の38回目です。越後・小千谷に在す母上様の許に預けていた子供を迎えに行く旅は無事終わり、既に東京への帰途に就いております。旅のお話はひとまずさて置き、これから暫くは飛騨地方に関する補遺というか、余話のようなお話が続きます。

一七 飛騨雑俎

 飛騨は古、斐陀(ひだ)と書きたり、万葉集には斐太(ひた)、和名抄には比太(ひた)、山岳重畳して国の形宛がら衣の襞襀(ひだ)のごとければ1)か名けたりともいひ、工匠の木材を造る者を挽手人(ひきびと)又は挽板人(ひたびと)といふに起り、やがて国の名となりしといひ、或は山田磽确(げうかく)、樋を以て水を引くに依りて名けたりともいひ、高山四境に2)ちたれば夜明くれども日出でず、其の日を仰ぐは常に中天に在るを以て国の名は応に日高に基づけるなるべしなどいへる、若くは天智の帝近江大津の宮を造営したまひし時、此の国の人良材を3)コウノウし、六十里の山河、馬に駄して走しること飛ぶがごとく、一日にして達せるをもて帝大に4)タンショウし、飛騨の名を賜ひしといへるに至りては、説くこと愈々牽強附会なり。

 国を挙げて皆な山なり、唯だ高山附近数里に平野を見るのみ、5)チョウラン複嶺は世と相隔絶して斯蕞爾(さいじ)たる山国を別乾坤となし、人文の発達を6)ソショウしたれば、高山大沢英霊の気7)りて傑人を出すといふにも関せず、余の寡聞なる、飛騨の木匠(たくみ)といふのみ人口に8)カイシャし居るの外、大人物の出でたるを記せざるなり、されば物の本にも此の国に人を称して、愚痴にして迷信多く、道理を識らずなどいへり、9)ジョコン文教10)カジに普及し、数家村といへども亦た校舎を見るの有様なれば、昔此の国を罵しりし人は、重泉の下にて其の文を焚かんと思ひ居るなるべし、而も猶悍(くわうかん)親しむべからざるの民ありとは信乎、若しあらば、葢(そ)は仁徳帝の御宇、一体にして両面四手、手毎に弓箭刀戟を執りて山谷を走しること平地のごとく、蹻捷(けふせう)比なく、婦女を掠め財宝を奪ひ、終に難波根子武振熊の11)チュウリクするところなりし宿儺(しゅな)の12)ビョウエイか、或は徂徠の記するところ大人(おほびと)の遠孫か、非乎。

★「蕞爾」(さいじ)→国やからだなどが小さいさま。「蕞」は「小さいさま、ひとつまみの」。

★「悍」(こうかん)→荒々しくて凶暴なこと。「」は「わくにはまらない、荒々しいさま」。

★「葢」は「蓋」の異体字。

★「蹻捷」(きょうしょう)→走るのが速いさま。




「別乾坤」は「別天地」。飛騨の名前の由来が幾つも書かれています。山の多い地方で他国から隔絶されたため、大人物の出ない地方だと小馬鹿にする人もいたとありますが、いまや学問は普及しそんなことはないといいます。
気性の荒い民族だともいいます。その伝説の由来は、最後にある「徂徠の記するところ大人」。これは荻生徂徠の解説で次回詳細に説明があります。

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お元気な母上様にお目にかかれてこの旅は終わります…=「飛騨の山と越の海」(37)

遅塚麗水の紀行文集「日本道中記」(近代デジタルライブラリー所収)シリーズから、「飛騨の山と越の海」の37回目です。母上との再会、相も変わらぬお元気な様子を見ることが出来ました。夏の間、健康のすぐれない我が子を避暑のために預かってもらっていたんですね。彼を迎えに行くのも、今回の10日間の旅の大きな目的だったのでした。


一六 帰途

 七日朝六時、汽車に搭じて来迎寺駅に下り、車を僦ふて小千谷町に入り少弟の家に到る、北越鉄道の沿線は、1)ソウユウの地たり、記すべきの事なし、初夏より2)ショウショの為めに児を3)ラッして来り居たまふ母甚だ4)セイケン、児も亦5)癒ゆ、都て喜ぶべし。

 翌早、少弟に導かれて、其の自から役を督せる信濃川水力電気工事の作業を観る、斯の大工事は実に新潟県の巨家山口権三郎氏の巨万の資を擲つて独力経営するところなり、6)シュンコウは応に明後年なるべしと、氏歯7)ジジュンを過ぎ長身清癯(せいく)、美8)シュゼンあり、自から奉ずること甚だ9)ケンソ、博愛衆に施す、凡て県下の殖産興業の事、一として斯の翁の参与せざるはなく、又た力を育英に致し、毎歳五千金を出して有為の人才に資給すといふ、誠に偉人なり。

 還る時、工夫をして10)サクヤクを信濃川の淵に投ぜしめ、鯉魚、香魚及び11)ザツリン約そ一籃を獲て帰り、大に晩餐の膳を賑はす。

 九日朝、母に陪し児を拉して終に帰途に上る、少弟送りて塚山駅に到りて相分る、直江津に至るの間は力士梅が谷一行と車を同して些の12)セキリョウを覚えず、善光寺は、来時母の既に詣でたまひければ今宵は上田に宿らんと思ひしが、駅を過る頃ひ児の睡りたるをもて更に数駅を渡り、六時軽井沢に至りて車を下る、細雨淋冷、寒きこと冬の俄かに来りしかを訝かる、十日の清游此に終る。

★「清癯(せいく)」→やせてはいるがすっきりとしたからだつき。「癯」は「やせる」の意。



本シリーズの第一回(ここ)に立ち返ってみますと「程を計るに往還約三百里、其の中舟車の便のあるは二百四十里、他の六十里は荒山乱水」とありました。八月三十一日の午後六時に東京・新橋駅を出立し、美濃・岐阜、飛騨・高山、神通川、越中を歴て、越後・小千谷まで十日間かかりました。仔細に見ますと「児と共に在す老母に陪して…」ともありました。この児は自分の息子だったんですね。なぜに東京から離れた越後にいたのかは冒頭には書かれていませんでしたが、病弱で避暑のためだったんですね。

ちなみに、山口権三郎(やまぐち・ごんざぶろう、1838~1902)とは明治時代の実業家、政治家。越後横沢村(現新潟県村上市)の庄屋の出身。県議会議長も務め、日本石油や越後鉄道、長岡銀行などの創設にかかわった。学校を創設し、子弟教育にも熱心な篤志家でもあったようです。

「少弟」とは、弟が二人いて若い方、すなわち下の弟ということなのでしょう。第一回では「次弟」となっていました。


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体が揺れて物が動いて見える?三半規管がいかれたらしい…?=「飛騨の山と越の海」(36)

遅塚麗水の紀行文集「日本道中記」(近代デジタルライブラリー所収)シリーズから、「飛騨の山と越の海」の36回目は「一五 暁の直江津」のその2です。荒れ狂った海に漸く静謐が訪れます。死を覚悟した麗水ら船客たちが地獄から生還した瞬間です。

 午前三時風波漸やく静かなり、船客気始めてA)■し、手を額にして相B)■す、暁四時直江津の沖に停り、汽笛を鳴して舟を1)ぶ、俟つこと一時、波尚ほ高きが為めに舟終に来らず、乃ち復た還りて直江津を2)ること二里の郷津の沖に泊し、3)りに汽笛を鳴らし舟の来るを促す、黒山黒水看るところなし、鹹光閃青、船を繞りて燃ゆ。

 俟つこと良や久しうして、遥かに一燈現はれ、4)少時して両燈相次で出で、海浜を往来するを見る、やがて海に浮ぶもの双燈、5)ロセイ吚軋之れに伴ふ、舟終に来る、郷津の浜に上りし時、正に五時半、直ちに車を僦ひて五智観音の門前を過り、六時半、直江津の町に入り、旅館に投ず、眼猶ほC)■し、楣間の額字、6)を定めて視れども7)ヨウドウす。

★「吚軋」(イアツ)→馬車や牛車が進む時の車の軋る音。「吚」は「人の声、動物の声、物の音をあらわす擬声語、イイ・キイなどの音」。

★「楣間」(びかん)→玄関の出入口上にある横ばり。窓・出入り口などの上に渡した横木。「なげし」の熟字訓もあり。


■に入る漢字一文字を以下のカタカナ群から選択し、漢字で記せ。いずれも音読みである。

A) サ・シ・ス・セ・ソ→ヒント・海が静まり船客たちがようやく一息ついたのです。

B) カイ・キイ・クイ・ケイ・コイ→そうした船客たちがお互いに額に手を当てながらよろこび合っているのです。

C) カ・キ・ク・ケ・コ→ヒント・扁額の文字がゆらゆら読めないほど目がちかちかしているのです。



ジェットコースターから降りた直後にふらふらと真っ直ぐに歩けないように船の揺れによって体がバランスを失っています。三半規管がやられたのでしょうか。物を見ても揺れて見えます。母上のいる小千谷町はすぐそこです。

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生きている間に死はなく死は生の終わる一刹那に過ぎず=「飛騨の山と越の海」(35)

遅塚麗水の紀行文集「日本道中記」(近代デジタルライブラリー所収)シリーズから、「飛騨の山と越の海」の35回目です。荒れ狂う日本海の船上のシーンが続きます。麗水は完全に「死」を覚悟しています。


一五 暁の直江津

 秋の初めなり、日本海の魚龍是れより驕るの時なり。

 余は後檣の下なる、1)巨蟒の2)盤踞を巻るがごとき錨綱に身を3)せて、静に海と船との闘争を観じたり、生あるの間に死なし、死の来るは是れ生命4)シュウエンの一刹那なりと、5)テツジン曾て余に6)ジャクメツイラクの理義(ことわり)を教へたることを聴けど、此の時、此の際、余は実に風濤怒号の声に7)センリツしたることを明らかに白状す、甲板の人、いつしか船室に8)躱避して、剰すところの者は蒲伏するさへ能はざる人のみ也、ばらばらと顔に降掛るは雨か将潮の華か、衣袂は全く沽ふて風に向ひて9)バサの声を作さず、陰寒の気は10)ゴナイに透れど、避けて船房に入らんには鬱蒸なること甕に坐するがごとくなるべきを想ひ、身を横へて11)キュウガしたり、俄かにして激浪舷を越え、12)ソウゼンとして一白、13)キュウライ脚を没して去る、終に船房に入る。



甲板にいた船客たちの中には船室に戻っている者もいます。何となれば、水しぶきがひどく、冷えたからだで悪寒がするからです。ところが、残っている者も立っていることは出来ません。全員がそろって船室に避難。蒲伏は匍匐と同じ。これも麗水が何度も用いている言い回しです。

ちなみに、文中の「沽ふ」に「うるおふ」のルビが振られていますが、これは恐らく「霑ふ」の紕繆ではないかと思われます。何となれば「沽」は「うる」の意味しかありません。麗水が間違うのか、出版社がいい加減なのか、結構、漢字の誤りや読み間違いなどが多い。しかし、逆に、これが勉強になります。流石は麗水、誤りすら血となり肉となるのです。そうした貪欲さこそが読者には求められるのです。

果して、無事にこの窮地から脱することは出来るのでしょうか??。。この項は次回まで続きます。結論を乞うご期待。。。

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生きていれば地獄よりましなのか?死んだ方が楽なのか?=「飛騨の山と越の海」(34)

遅塚麗水の紀行文集「日本道中記」(近代デジタルライブラリー所収)シリーズから、「飛騨の山と越の海」の34回目は、「一四 夜の日本海」のその4です。船上の客たちは宛ら戦場の生ける屍状態。何時なんどき死に至るかどうか分からないのです。そんな中船長だけは余裕を見せながら冗談ばかりかまします。


 1)る中にも水夫どもは流石に健気なり、『一層吹くなら唐天竺へ、持つて往つてお呉れよ此の船を』など歌ひながら打ち働きぬ、お客さん此の風雨ぢア、佐渡へ行かなきやならないよ、地獄へ往くよりまだ増しだろうなど。

 頼み少なの船長の言を聞きては、息ある屍とばかり2)チンセキし居たりし乗客は一斉に起き上りて、船長さん、大丈夫かね、低き、太き、3)れたる、濁りたる、疳走りたる声は暗中より起りたり、難船するまでは大丈夫ですよ、と高けれど力なげなる笑声を残して、手にせる丸き4)ケイトウの、宛がら流星のごとく5)の方へ走り行く、風は愈々急なり、帆柱も弓と曲りて、雲怖ろしき天を6)ムチウつばかりならんとぞ思はれたる。



風に流されて佐渡ヶ島に着いてしまうと船長。地獄よりはましだとは生きていればのこと。生きてさえいれば未来はある。。。のかどうか昨今の状況からして確かなことは言えないのがもどかしく怖ろしいです。いっそ地獄に行った方が楽なのではないか。そんな自暴自棄の言葉すらはいてしまう。兎に角、自然の猛威にひれ伏すしかない人間は、その猛威が収まるのを待って復旧、復興に向けて起ち上がり、進み続けなければならないのです。ただ、生きるための希望がほしい。。。


それよりも何よりも今は、余震はもう勘弁してほしい。。。。


問題の正解は続きにて。。。


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阿鼻叫喚!信州の善光寺に参るまでは死ねません…=「飛騨の山と越の海」(33)

遅塚麗水の紀行文集「日本道中記」(近代デジタルライブラリー所収)シリーズから、「飛騨の山と越の海」の32回目は、「一四 夜の日本海」のその3です。海上の低気圧は、浮かぶ船をただの木片のように漂わせます。横殴りの雨風。きしむ音。そこにいる人間は無力。泣き叫ぶか、念仏を唱えながら、嵐が過ぎ去るのを祈るしかありません。岸までたった4キロにも満たないところだというのに。。。。


 乗客の多くは信州善光寺へ1)サンケイする人なり、皆な2)センウンを感じて唲々(あいあい)の声は四(よも)に起り、中にも3)ネンジュを推し揉んで六字の宝号を唱ふるものあり、船は今、糸魚川の沖二4)ばかりのところを過れるなり、船長の号令、水夫の叱咤して暗中に奔走するを見るにつけても、此の船正に5)キチに入れるを感じたる余は、6)のごとき7)キシンに駈られて、僅かに前程一日の短を貪りしが為めに此の船に搭じたるを悔ひたれども、今は唯だ身を天に任せて一船の人と共に其の運命を同じうするあるのみ。

 8)トウセイの鞺鞳(たうたふ)、風声の9)セキレキ、10)アイツウ骨に入るがごとき念仏声、雨さへ次第に烈しくなりて、四に顧りみれば海気森然として物を見ず、其の巨浪の横ざまに11)に激するの時に当りては、満船の物皆な震動して、12)アツアツとして心地好からぬ響を発するなど、人々心を空に伏し転ぶ、女人の号泣するさへ聞えたり。

★唲々(あいあい)=子供の片言の声。ここは、船酔いで気持悪くて吐きそうになるのを留める声。

★鞺鞳(たうたふ)=つづみを打つ音の形容、また、かねをうつ音の形容。ここは荒波の音をいう。




船上は正に阿鼻叫喚。地獄絵図そのもの。「僅かに前程一日の短を貪りしが為めに此の船に搭じたるを悔ひたれども」と麗水は己の行動を悔みます。たった一日を約めようと船に乗ったばかりにこんな目に遭ってしまった。一日かけてでも陸路を取れば多少の雨風も凌げることは、飛騨道中で経験済みです。海は恐いのです。穏やかな表情も持ち合せるだけに余計に憎い。海自身が悪いわけではないのですが、気候の変化や地震などの手を借りてしまえば天使が悪魔に変貌する。人間の愚行をあざ笑うかのように。

問題の正解などは続きにて。。。


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自然の猛威の前に無力な人間は煙草を吹かすしか能がない=「飛騨の山と越の海」(32)

遅塚麗水の紀行文集「日本道中記」(近代デジタルライブラリー所収)シリーズから、「飛騨の山と越の海」の32回目は、「一四 夜の日本海」のその2です。辺りが闇に隠れる頃おい、次第に海の天候が変化し始めます。


 船は錨を揚げたり、風は1)ホウホウゼン、仰ぎ見れば暮れ行く天に崢(そうこう)たる立山あり、2)ザンショウ尚ほ在り峯角燃えんとし、而して中腹以下は凝紫3)杳然たり、日の全く沈みし頃ほひ、立山の峯吹き白めて夕立したり、4)莽々たる5)ホンウン忽ち山を偸却して看れども見えず、天半遥かに断虹を懸けたるが、其の色の6)せ去りし後、夜は7)周章しくも迫り来りて、海はさながら漆のごとし、8)チョウボウはA)■(やみ)に奪はれたれど、船房に入るものなく、煙草の火をば相乞ひて暗中に語り合ひつゝ、人皆な飽まで海上風露の気を攬つて脾肝入らんとするなり。

 夜の十二時、やがては一時とも覚しき頃、急颷(はやて)は忽ち吹き来りぬ、テントは為めに破られて半ば飛び去り、9)まれたる檣頭の帆は吹解かれて空に舞ひ、目には見えねど10)ツブテのごとかるべき大粒の雨は人の面を撲ちきぬ、正しく低気圧の襲ひ来りしなり、四方の浜を出でし時は、11)コビるがごとき美霽なりしを、斯くとは知らで此の船に乗りたること一期の不覚と、言ひ合さねど人々安き心もなし。

★「崢」=山がとり巻いてきそいたつ。
★「急颷」=つむじかぜ。

和訓語選択

A) 「やみ」→マイ・メイ・ガイ・サイ・タイ



「正しく低気圧の襲ひ来りしなり」――。ゆっくりと、そして着実に自然の猛威が頭を擡げます。「斯くとは知らで此の船に乗りたること一期の不覚」と後悔しても時すでに遅し。夕刻の夕陽は明らかに罠でした。人々をこの船旅に誘うための。。。。次回は死を覚悟する麗水たち。

問題の正解は続きにて。。。


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一見すると穏やかなる日本海 このまま行けば東北中国に…=「飛騨の山と越の海」(31)

遅塚麗水の紀行文集「日本道中記」(近代デジタルライブラリー所収)シリーズから、「飛騨の山と越の海」の31回目です。越中・富山から越後・直江津を目指して海の旅。飛騨道中は山岳の旅でしたが、一転、海洋の描写が新鮮です。全国を行脚して数々の紀行文をものした麗水は、代表作として名高い富士山を描いた「不二の高嶺」など山岳コースにとりわけその深遠かつ雄渾な文章が発揮されました。さりながら、山陰紀行文でも見られたように、海の記述も味わい深いものでした。今回もよく見ればタイトルも「飛騨の山」と「越の海」。このダイナミックなコントラストこそ今回の日本横断の旅の魅力と言えるでしょう。さて、麗水が対面した日本海の航行はどうやら快適なものではないようですが…、どんな旅が俟っているのでしょう。

 一四 夜の日本海


 黄昏の海に端艇(はしけ)を浮けて、沖にかゝれる越後行の汽船渡津丸に乗りこみしは六時を過ること半なりき。

 船客は室を虚しうして皆な甲板の上に集い、テントの下、荒波の辺、1)コウリ、2)、蝙蝠傘などを雑陳して個々身を居くの境域を作り、膝を抱いて坐するもの、肱を曲げて臥するもの、3)ケンゼンとして談笑し、脚を着くるの余地もなし、船僮(ぼーい)を呼びて銀貨を窃かに握らずれば、甲板の彼方へを走せ去りしが、4)て新らしき5)を持ち来り、之れを後檣の下に敷きて、余が為めに納々たる一6)ラクドを開拓しくれたり。

 水、天に連なるところ是れ古の粛慎、靺鞨か、夕栄に7)タダるゝごとき雲の峯、水と天との間に低く簇りたり、呼べば応へんとする四方の町、これに続ける広瀬の町は人烟甚だ盛なるやう看めらる、防風林の松黒く絶えては復た続き、神通川の長橋半規の落日を喞(ふく)みて、水は8)エンジを流すがごとく、海浜一帯の9)蟹荘蜑家に映射するところ、風景甚だ美なり。






★粛慎(しゅくしん)は春秋・戦国時代から秦・漢時代にかけて、現在の松花江・ウスリー江・黒竜江のあたりにすんだ周辺民族。ツングース系の狩猟民族。息慎(ソクシン)・稷慎(ショクシン)ともいう。靺鞨(まつかつ・まっかつ)は中国北方のツングース系諸族の隋・唐代における総称。長白山以北の地に住み、大きく七つの部に分かれていた。そのうちの粟末部が勃海国を打ち建てた。いずれも日本海を隔てた中国大陸の地、満洲当たりをイメージして出た言葉でしょう。このまま日本海を辿っていけば到達する。

★「喞む」が「ふくむ」となっていますが、恐らく「ふくむ」は「銜」か、その異体字である「啣」の紕繆でしょうね。「喞」は「かこつ」の意ですから、この文脈には似わないでしょう。


船室は甲板上で船客がそれぞれ陣取っています。麗水はボーイに袖の下を渡して絶好のポジションと敷物をゲット。この辺りは機を見るに敏。神通川に懸かる橋を照らす夕陽も綺麗。一見するとここまでは船旅は順調のようです。ところが、…、自然は制御できない。人知を超えて動き出します。この項は暫く続きます。



問題の正解は続きにて。。。


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日焼して黒き顔を日本海の塩で仕上げてさらに黒くする=「飛騨の山と越の海」(30)

遅塚麗水の紀行文集「日本道中記」(近代デジタルライブラリー所収)シリーズから、「飛騨の山と越の海」の30回目は、「一三 四方の浜」のその3です。直江津行きの汽船に乗ることが今の最大の課題です。伏木の港に辿り着きました。きれいな浜辺は海水浴客で賑わっています。汽船を俟つ料理屋の部屋では若者たちがぐーぐー鼾を立てて寝ています。ひとり醒めている麗水は何を思っているのか?なんと、自分も海に入るのです。


 1)コクテン郷裡、覚むるものは独り余のみ、汽船発着所に行きて乗船券を求めたるのち、海水浴を試みたり、海甚だ深からず、底は細砂、折から2)タイチョウなりしかば波低うして3)ぐに便り好し、而も4)鹹気は極めて辣、さなきだに色黒き5)メンボウは、風日に暴露していよいよ6)くなりしが上に、日本海の潮に色揚げしたることなれば、我ながら膚を撫して呆れ驚くばかりとなりたり。

 六時になりたれど汽船はいまだ来らず、7)青魚麺を夕餐とし、俟つ間程なく8)ヨウハの上に一抹の烟を見、又9)海馬の啼くがごとき汽笛の鳴るを聞きたり。





好奇心旺盛な麗水は日本海で海水浴に挑戦。夕方ですが気持ちよかったのでしょう。ところが、ただでさえ日焼けした真っ黒な顔であるのに、今回の旅で黔さは一段と増した上、「日本海の潮に色揚げしたることなれば、我ながら膚を撫して呆れ驚くばかりとなりたり」と、仕上げに塩辛い日本海の海で完膚無き迄に黒んだというのです。どんだけ黒いのやら…。


と、6時過ぎに待望の汽船が汽笛を鳴らしてやってきました。次回は夜の日本海を航行します。お楽しみに。。。。



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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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