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大望抱き亨らざりき 悔恨残し散りにける負けじ魂

橋本左内シリーズも本日が最後です。漢詩人としての彼の才能を味わいましょう。左内は、二百数十年の安逸をむさぼり瓦解寸前だった江戸幕府に対し、天皇を中心に徳川かそうでないかの隔てなくユニティを築き、外の国と付き合い独立国家に生まれ変わることを提唱しただけといえばだけ。歴史を振り返ると、末期症状にある政権中枢の人物、ここは大老・井伊直弼ですが、時々とんでもない“方向違い”のことをしでかすのです。所謂産みの苦しみという奴です。左内はその狭間でちょっとだけ時代を早く読み過ぎました。いつの世も時代を少し早く読む奴はつぶされるのです。残念ながら…。



【書懐】(七言律詩)

ゼイシ 君を得て聖明に逢ふ
躬を撫して常に愧づ恩栄に負くを
書を上りては狂直 庸吏を汰せんとし
乏きを承けては菲才 監黌に職す
誰か祖山に認む鉄礦を穿つを
吾は大海に於いてゲイゲイを掣せん
洋行の禁 紓むこと知る遠きに非ざるを
春帆を掛けて太平に泛ばんと要す



(大意)異例の大抜擢を受け御殿様のお側に仕えることができたが、我が身を振り返れば、その恩遇と名誉にそむいていると、常々恥ずかしい思いでいっぱいである。そこで、無鉄砲なことではあるが御殿様に対して意見書を奉り、役立たずの役人を整理すべきことを具申したのだが、才能乏しきこの身ではあるが藩校・明道館の幹事という要職に任ぜられ、校務を監督することとなった。藩校の教育ではわが故郷・越前の山に鉄鉱脈を発見し採掘もする人物の台頭こそ望まれるのだ。そして私自身は大海に出てそうした暴れん坊を自由自在に支配したいと思っているのだ。わが国の鎖国政策は近い将来、必ずや渡航の禁止令も緩和せざるえまいが、その時は春風を帆にいっぱい受けて太平洋を渡航するつもりでいる。

若くして藩主松平慶永から抜擢され大出世を遂げた左内の気概に溢れる詩です。「学制に関する意見箚子」を具申した安政四年ごろの作ではないかと推察されます。人材発掘の焦りを感じる一方、自分自身は外洋に目を向けており、世界に飛び出したくてむずむずしています。国造りの礎を築きたくて仕方ないのです。わが国の政権中枢を担当させたかったと思わないわけにはいきませんね。


【秋夜】(五言古詩)

絡緯 秋を知るに似たり
悽悽として草中に鳴く
回風 寒葉を掃き
簌簌として雨声かと疑ふ
愁ひ結びて燈火細く
神澄みて魂しばしば驚く
男児 志サタして
三十 未だ纓を請はず
剣を撫して起つてチュウチョウすれば
列星 前楹に燦たり
仰ぎ瞻る天漢の上
愧づ吾が名を記すなきを
歳華 シンシンとして去り
白露 芷蘅を凋ましむ
酒薄くして酔を成し難く
病骨いたづらに崢たり
吾が道 天地に存す
大運いづれの時にか亨らん



(大意)クツワムシが草むらの中で、いかにも秋が来たと分かっているかのように物悲しく鳴いている。凩が雨声にも似た切ない響きを立てて、僅かに残る木の枯れ葉を吹き払って行く。時に自分は暗い燈火のもとに愁い、わだかまり、神の気が冴えてしばしばはっと胸のつぶれる思いがよぎった。男児と生れたのに、その志はつまずきの連続。齢三十にもなろうというのに、仕官も出来ず幽閉の身。剣を持って起ちあがると満天の星がその光を縁の柱に投げかけているのが目に入った。天の川を見上げてわが名が歴史に残るような仕事を成し遂げてないことを恥じた。時の過ぎゆくのは止められず、夜の白露は香高き草草の生長を留め、あたかも我が身の失脚と重なるようだ。心の憂いを銷すために酒を飲んだが薄酒では酔うことも出来ず、心身共に病んだ自分の気持ちだけが高ぶってくる。我が行く道は天地の間にあって方向は間違っていないと確信する。しかし、いつになれば大運が開けその志が遂げられるのだろうか。


一転こちらは悔しさに溢れる詩。安政五年、安政の大獄により謹慎幽居中の作。死の約一年前。魏の時代の阮籍(例の竹林の七賢の一人)の「詠懐」という詩の体裁に倣い、沈痛な懐中を述べたものです。自分の信念は揺るぎなく確かなものだという自信はあるものの、所詮は人に使われる身であり、その思いがどうにもならない歯痒さに打ち拉がれています。酒に酔うことすらできず苛立つちが募るばかり。最後の「亨」は「とおる」と訓読。「易経」の用語で「物事が順調に進むこと」。これを持ち望んで叶うことを見なかった人の悔恨はいかばかりでしょうか。人生において斯様な悔いだけは残したくないものです。


問題の正解などは続きにて。。。


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どっちの「直人」が強いのか?頼りになるのか?=「学制に関する意見箚子」(8)・完

幕末の越前藩士、橋本左内の「学制に関する意見箚子」(講談社学術文庫「啓発録」、伴五十嗣郎全訳注)シリーズの8回目、最終回です。一つにまとまらないのはどの世界にもあるが、こと学校、教育に関して言えば、もしまとまりがなく乱れていると判断されたならば、果断に浄化しないわけにはいかない。人材育成の源泉は基から清めなければいつまでも濁った水が湧き出るばかりである。左内の危機感はピークに達しています。


■…要するところ、政教一致と申す御趣意に御座候はば、教官の1)たる者、政体の宏図を識らずしては相叶はず、文武不岐と申す仰せ出され御座候上は、文武の大体に達し候者、総督いたさずしては、行はれざること当然に御座候。これらの辺は、固より御熟議も御座候て、御心配御座候趣も恐察奉りをり候へども、究竟、なんらの時節に旧弊残らず御2)ソウデキに相成り申すべく、御剛断急度相定りをり候義に御座候か。もし、その御剛断なくして、3)コウショに日を送り月を累ねられ候はば、後には4)ヘイコの憂ひ、安排の御処置のみ相嵩み、今日の所為ことごとく他日の弊端と相成るべしと恐れ入り奉り候。

(要旨)要するに、教官の長、文武それぞれに熟達した者が統率監督しなくてはなりません。既に御熟議なされているところですが、いついつまでに払い清めると明確な決定がないと進歩もないしだらだらと時間が徒に過ぎ、後々とんでもない事態が招かれないとも限りません。

■…これらの患ひ、ただ学校のみならず、諸向にもこれ有り候やう察し上げ奉り候へども、学校は清議の地、教化の源に御座候へば、外向とはこと変りをり候訳も御座あるべくと存じ奉り候。外向は已むを得ざる御寛容御座候もいたし方御座なく候へども、5)カクヘイの表的、造材の基礎なる場所において、かくのごとき模稜の御仕向け御座候ては、人心改観の道6)ヘイソクいたし候義と愚考奉り候につき、旧弊一掃の御勇断御施し御座候やう願ひ奉りたく存じ奉り候。

(要旨)こうした欠陥は学校ばかりではなく、藩内のどの役所にも内在しているのです。人材育成の場でありますことから曖昧な処置であってはなりません。弊害を一掃するために御勇断を施されますことを切に願います。

■…もつとも、右御処置の上には、種々御手段も御座あるべく、小臣もいささか心づき候廉も御座候へども、第一宏遠闊大の御規模ありながら、まま俗情を斟酌して、利弊等分打混じの御処置、向々に往々御座候て、これがために士気振ひ立たざることも、随分これあるやう存じ奉り候ゆゑ、まづ政府においての御見当は、学校においても、やはり俗情相交へ候御処置、当節の釣合ひに相叶ひ、7)イットウの落着き宜しかるべしと思召され候やいかが伺ひ奉り候。御見当の東西により、御処置の義伺ひ奉りたき存念に御座候につき、今般はわざと弊患の大略数へ立て申し候義に御座候。

(要旨)もっとも、利益と弊害が混在した処置が見受けられ、身命を擲って努力しようとする気概が奮い立たないことがあるように思います。ただいまの藩校の処置に於いてもそのような在り方がいいとお考えかどうかという点をお聞きしたい。これを確かめて上で私の処置の考え方を申し上げるつもりでおり、ここでは弊害や欠陥の概略を書き連ねるだけにとどめております。

■…かつまた、この辺の事、わざわざ書取りをもつて申し上げ候までにも及び申さず、直に言上つかまつり候てしかるべしとも存じ奉り候へども、当今のごとく8)カクゼン御打明け御塾評御座候上は、小臣など庸劣愚直の者、ただ隆恩9)カンカの情にめくらみ、声情10)ジンネツの際になじみ、11)リンレツの気12)ザクツつかまつり、13)ケンガクの風衰袪(スイキョ=おとろえさること、「袪」は「去」に当てた用法)いたし候義相覚え候ことも御座候。箇様なりゆき候ては、衆に14)へ人に従ふの御美事よりして、かへつて面従15)バクギャグの邪径を誘出し、上下とも公平の心にて忠論讜言(トウゲン=道理に合った正しい意見)を尽し候やう存ぜられず、篤と省察つかまつり候へば、聖賢相与に警戒する旨に乖き、国家御善政の御徳輝を毀損つかまつり候はんかと、深く恐怖つかまつり候義に御座候ゆゑ、唐突不敬の譲を顧みず、尊厳の御威光をも懼れず、みだりに冗語16)ゼイセツ拝陳つかまつり候。臣紀、頓首々々誠恐謹言


安政四丁巳閏五月十五日

(要旨)このようなことはわざわざ書面に記すまでもないこと。直接言上すればいいことです。私ごときを御登用いただいており、感激のあまり声も上ずり覚悟が衰えてしまうことになりかねません。かえって人前で諂い、よこしまな態度を誘発することにもなっては公平な心で忠誠の正論を尽くすことも難しくなるでしょう。それでは聖人・賢人がたがいに戒めあうというお上の趣旨にも背くこととなり、無益な論を申し述べた次第でございます。臣綱紀、頓首して恐れ多いことでございます。





具体的な固有名詞は登場していませんが、左内の頭には藩校の教官について、あいつを代えてこいつにせよというアイデアがはっきりとあるでしょう。教育をするのもされるのも人であるということですから、ダメだと思ったらあっさり首を挿げ易えるべきです。御殿様に対する意見具申ですから最大限謙ってはいますが、最後の言辞はかなり峻烈な言いぶりです。怒り心頭に発している。藩を動かす最大の武器が教育であり、一歩間違えれば最大の弱点でもあることを知っているからでしょう。人が命の藩。その人材を生かすも殺すも教育なのです。左内の身分は下級武士でしたがあらん限りに才能を発揮して重用されました。聊か方に力が入り過ぎのきらいもあります。出る杭は打たれるの言の通り、井伊直弼に睨まれてこの世を去らざるを得なくなります。二十代半ばですからね。この人の脳味噌には詰まるだけ詰まっていた。嗚呼、勿体ないことです。越前藩では左内に続く人材は現れなかったですが、幕末の推進力として憂国に志士たちにその思想理念は確実に伝播しました。

「伊達直人」運動の環がさらに広がっています。仮面ライダーや鉄人28号、星飛雄馬も登場しているようです。善意の寄付などは今さら感が強く、一過性のブームに終わる公算が大です。悪い話じゃないけど、ことさら騒ぐ話でもない。飽きっぽい国民、いやマスメディアですから、そのうち終熄はしますが、折角のブームの炎が燃えているうちにこれはまじで真の教育の在り方を国民全員が持つ機会としたいもの。福祉的な発想ではありますが、その根本は世代と世代が繋ぐ「ユニティ」です。世代間が分捕り合戦を展開する啀み合いではなく、上の世代から下の世代へ「いい国家を作ってくれ」というメッセージの伝達。その証左であるヒトモノカネの移転。そして、最も重要なのが、そのメッセージを受ける側の気概であり、そこに教育が生まれる。施しやオネダリではないやりとり。国民全員が伊達直人になればこんなに逞しいものはないでしょう。もうひとりの直人、菅首相は「共助の精神を大切にしたい」と記者団とのやり取りで語ったそうです。しかし、国民が一丸となってそうした精神を養うことができるようにするには「直人」の力が必要なのですが、どっちの直人の力の方が役に立つのでしょうかね?見物ですな。


問題の正解は続きにて。。。



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みんなで広げよう「伊達直人」の環=「学制に関する意見箚子」(7)

幕末の越前藩士、橋本左内の「学制に関する意見箚子」(講談社学術文庫「啓発録」、伴五十嗣郎全訳注)シリーズの7回目です。ユニティを築くために藩内の人材を文も武も分け隔てなく登用して一丸となることが求められる。口で言うのはそれほど難しくはない。分け隔てなくできる教官さえいれば……。それに加え、そうした教官が必要であることを全員が思い、全員が口に出さなければだめなのです。


■…右は紙上にて論じ候へば、文武偏廃せずと申すまでにて、さまでむづかしき義にては御座なく候へども、その武と申すも、いたづらに撃刺1)チトツにのみ長じ候とて、真武にてはこれなく、文と申すも、いたづらに記覧2)ショウリョウにのみ達し候とて、真文にてはこれなく候。殊に人の性質は、とかく聞くところに3)れ、習ふところに溺れ候ものにて、自己において切に文武の大体を心得をり申さずしては、なかなか前文のごとく、有用の者を互ひに取り雑へ挙げ候義、至難と存じ奉り候。これらのところは、政教一致・文武不岐の御誂へ蒙りをり候教官なれば、常に胸中に儲へをり、おひおひ御相談の一助にも相成り申し上ぐべき筈のところ、とても当時の教官、この辺に眼力及び申すべくとは存ぜられ申さず候。

(要旨)文武どちらかではなくどちらも大事であるというのは口で言うのは簡単ですが、真の武、真の文というのはなかなかに難しい。慣れてくるとマンネリに陥ってしまいます。国家のために有用な人材を推挙すると言ってもなかなか困難です。教官はこうしたことを理解して、殿様の相談にもあずかり究明しなければならないのですが、いまのメンツを見渡すと眼力不足であることは否めません。

■…以上の条件、四綱にして、その要は人材を知り、これを養ひ、これを成し、これを取るの道に止まり申し候。この四綱において、宏遠の御規模、明確の御4)ユウボあらあら相定め候て、御施設の御条理、依然立ちをり申さず候はでは、前件の御大願御大業、御成就のほどはなはだもつて覚束なく存じ奉り候。畢竟、四綱の立たざるは全く三弊の除かざるにより、三弊の脱せざるは志の遠大ならず、学術の純正ならざるに因り候義に御座候。独り教官の責のみにあらず、総教の御上にも関り候こと軽るからずと存じ奉り候へども、教官その人に非らずしては、総教の御心力伸ばされがたき御訳も御座あるべきかに、察し上げ奉り候ゆゑ、指当り教官の任に当らずして、遠大の規模これなき義申し上げ奉り候。かつ、当時のごとき大御処置御手始め御座候上は、目前の御持ち堪へは勿論、この後永続の御見込み、悠久不息の御誠心に発し候御手段に御座なく候ては、功勲いまだならざる内に、過害5)ホウキつかまつるべしと存じ奉り候。

(要旨)人材を得るための四つの根本条件があります。第一に、人材を知ること、第二に、人材を養成すること、第三に、人材を完成すること、第四に、人材を挙用すること。これを基本として、施策の筋道を立てていくことが重要で、文教一致・文武不岐の大事業は成し遂げるためには忘れてはなりません。どうしてこららが難しいのかは、教官と学生の間の問題点があるからです。教官の力不足、何を成すべきかが分かっていないこと、依怙贔屓。教官の志が狭くみみっちいためによるものです。教官ばかりが悪いわけではない。藩校の最高責任者である総教の役職にある御家老様方にも関係のあるところでございます。教官を任命する上で、今のメンバーは不適当であることはここに明言しておきます。永久に大業を継続させるためには誠の心から発したものでなくては思わぬ災いが降りかかりますことを忘れてはなりません。


■…さすれば、一時6)フンジョウの労を厭はれ候よりは、永遠成功の御著眼願はしく存じ奉り候につき、篤と熟考つかまつり候ところ、当今諸向の弊端一ならず候へども、その源を清くすに至り候ては、教化を推明につかまつり候外に出で申すまじく候。教化を推し明らかにいたし候には、学校の政を正し候こと急務にして、すべて学校の盛衰7)オリュウは、教官の上に存し候こと、当然の理に御座候。

(要旨)したがって、一時は揉め事も起ころうかと思いますが、藩内子弟の教育と感化を推し進めることが最も重要であり、そのために学校運営を正しくすることが急務なのです。ひとえに教官の質の向上にかかっているのは言うまでもありません。

■…しかるところ、当今は浅鹵無識の教官に、前件のごとき大業の御誂へ属し置かせられ候は、まことに模稜曖昧の至り、遠大の御8)コウトならざる義と存じ奉り候。その上学校は清議の地、学監は糺弾視察の官に御座候ところ、右様不的切の御処置、手を袖にし傍観いたしをり候ては、上は国家御任用の盛意に背き奉り、下は小臣の衷心に愧怍(キサク)つかまつり候ゆゑ、目今9)タイカンの所在だけ、大略申し上げ奉り候義に御座候。

(要旨)ところが、浅はかで無見識の教官に大業を移植している現況では将来の見込みが立ちません。学校とは俗界からはなれ清らかに議論を行う場であり、私が拝命しております学監の職掌は校内を詳しく視察し、弊害や欠陥をただすことにありますので、今申し上げた不適切な御処置を傍観していては任用された思召しに背くこととなります。そうした欠陥があることを概略申し上げさせていただきました。




人材を宝と見ることができるかどうか。宝は大化けもするが人心を惑わしもします。どちらにころぶか予測がつかないものです。逆の見方をすれば、宝を真の宝と出来るかどうかは、それを磨く人材の力量にかかっていると言っていいでしょう。教育で言えば教官の資質に尽きる。左内の言う人材を得るための四綱と、それを阻む教官の三弊。これが殿様への具真の中で最も伝えたかったことであるに違いありません。当時の越前藩の勢力争いや藩校の状況については詳らかではありませんが、左内の眼からすれば歯痒いことこの上なかったのでしょう。何のための藩なのか、何のための藩校なのか。殿の御意向を知ってか知らでか、保身というか我が身のことばかり考える奴らのなんと多いことか。藩校の水準を均質に向上させるためには、教官を一新してそのレベルアップを図らないといけない。左内自身は教育者ではありませんが、藩の発展のためには教育が欠かせないということは自明でした。

今の日本という国家の置かれた状況も同じです。子供たちを宝と思えるかどうか。そこにヒトモノカネを投じる覚悟を国民が一丸となって持てるかどうか。これに尽きるのです。投資ですから失敗することもある。花が開かずに終わるリスクも十分ある。これを覚悟できるかどうかなのです。

昨今、巷で流行の兆しを見せている「伊達直人」運動、いや「タイガーマスク」運動。これにヒントを見出してもいいでしょうか。何処の誰かは知らないけれど、最初に「伊達直人」を名乗り、児童養護施設にランドセルを寄付した人物がいました。堰を切ったように追随する動きが全国各地で広がっています。善意の寄付行為という単純なムーブメントではあります。古来、人知れず行われていたものでしょう。

俄然、伊達直人という懐かしい名前を思い出した人は多いのではないでしょうか。この名を名乗ったセンスに敬意を表したい。高度経済成長時代を乗り切った人々の琴線に触れたからです。これを一歩進めて、恵まれない子供たちだけではなく、広く教育に金をかけるという発想に開眼できないか。リタイア世代が無心で自分たちの稼いだお金を下の世代に循環させる動きになれば自ずと政治家たちも目覚めるのではないか。駅伝競走の「襷」を繋ぐのです。リレー競走の「バトン」を渡すのです。子供たちを宝と思え。国家を支える人材の源となる子供たちの成長を全員で支えるという意識を持て。♪それだからみんなの幸せ祈るのさ~、それだからみんなの幸せ祈るのさぁ~♪


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新しい日本型の教育システムを構築せよ=「学制に関する意見箚子」(6)

幕末の越前藩士、橋本左内の「学制に関する意見箚子」(講談社学術文庫「啓発録」、伴五十嗣郎全訳注)シリーズの6回目です。前回で一人一人の長所を伸ばし、全員が向上に向けて奮励させるという教育の要諦を左内が説きました。それぞれの持ち味、キャラクターをいかに生かすかが重要で、そのためには教育を施す側の資質の向上が最大のカギとなるのです。いい先生、いい教官を作り上げる。それが教育なのです。


■…いづれ大業を成し候には、一藝一材も捨て置き申す理はこれなき筈に御座候。もし微能なりとて捨て置き候はば、中人以下の者過半自ら望みを絶ち、恃みを失ひ、1)ジキに安んじ、人材の生ずる道、2)ヨウアツつかまつり候こと些かならざるべく存じ奉り候。微能・小長はさて置き、選挙の大体を立て置き候こと、もつとも大切の義と存じ奉り候。この大体一定し候はば、教育の道も趨向区々とならずして、教ふる者学ぶ者、ともにその目的一に帰し申すべく候。この大体定まらずして、いたづらに教導に労し候は、足を知らずして履を作ると同前に御座候へば、選挙の大体をあらかじめ心得をり申すべき事、これまた教官の当務なる義と存じ奉り候。

(要旨)いずれ大事業を完成させるためには、わずかな技能しかない者でも役に立てるようにしなければなりません。そうした者どもを放っておけば、並み以下の者の過半は将来に絶望し、よりどころを失い、捨て鉢になって、その後は人材の生ずる道も長くふさがり止まってしまうものと思われます。人材を推薦し実地に活躍させるための方策は、早急に大筋を確立させておけねばなりません。

■…すべて人材は経世の3)ヤクセキに御座候へば、時態により選挙いたしぶり少々づゝ相変り、あるひは正直剛果を重んじ、あるひは機敏4)ショウキュウを主とし、あるひは道徳を先にし、あるひは気概を択み候やうの小差は、これ有るべく候へども、5)クッキョウ忠義の士・有用の材を採り候より外はこれなくして、その能は文武兼備は勿論、あるひは一方に長け候者にても、随分有用の材と申す者これ有るべく候。


(要旨)およそ人材は治世の上で役に立ち効果のあるものですから、情勢によって推挙の基準も変化するものです。あるときは剛胆さが求められ、あるときは機敏さが必要となる。また、道徳心が重視されることもあれば、血気盛んな気概がなくてはならない場合もあり、小さな差がその時々で生じます。しかし、最終的には不動の忠義心、実地に役立つ才能、これ等のある人物を選ぶことに尽きるのです。文武兼備であることは言うまでもないですが、場合によってはどちらか一方しかない者も役立つ人材となることも多いです。

■…西土は従来文を貴び候国にて、文官を高くして政権を執らせ候ゆゑ、文士中より非常の人材も出、経済有用の大業をなし候につき、世の儒生輩、とかく学者さへ相用ゐ候へば、国は治まり候やう心得をり申し候へども、これは拘泥の甚だしき義に御座候。本朝は元来武を重んぜられ、御政体も6)ブダンを尚ばれ候御風儀に御座候て、習俗も7)カンケイを喜び8)ハンジョクを好み申さず、いづれの代にも、武林より往々9)チュウリョウ明快・廉潔剛正、百里の命を寄せ10)リクセキの孤をも託すべき人物輩出つかまつり候こと自然の勢ひにて、西土と同じからざる訳も数々御座候へども、当時のごとく世風おひおひ打ち開け、人心11)レイメイに相成り候上は、政権は自ら学術ありて、道理に純熟いたし候者に帰すべきは、これまた自然の勢ひに御座候。


(要旨)中国では、古来文事を貴び、文官の権威を高くして政治を執り行ってきましたから、儒学を少しでも学んだ者を登用しさえすれば国が無事におさまると考えられてきました。しかし、昔の風潮にあまりにもこだわり過ぎております。わが国は元来、武を重んじる国柄であり、政治体制上も武事を尚び、剛毅で大まかであれば喜び、細々としてわずらわしいことを嫌う風潮が強いのです。武人が政治を担っており、安心して任せられる人物が十四五の幼君であっても登場したのも無理のないことでございます。中国とは同じに考えてはいけません。次第に世の中が開け人々の心も夜明けに向かういま、政権は自然と学識高く、道理に熟達した人のところに帰すことは当たり前と言えるでしょう。

■…さりながら、上古より近世まで武をもつて天下を定められ候御国体にて、怯懦を悪み、不義を恥じ、君を敬ひ、祖を重んじ候習ひ、約して申し候はば、敬神尚武の風、今日に至り候ても微々ながら存しをり候形勢相見えをり候て、これこそ宇内に卓越すべきところに御座候間、この後も武道を骨とし、文事を12)ジュンショクに取り候者を貴重して、空文浮靡に流れ候者は抑留申してしかるべき義と存じ奉り候。さなくして、ただただ議論口弁のみ覚え込み候者を選挙いたし候はば、平日は必ず労勉冗劇の任に堪へずして、13)アマツサへこれを軽忽にし、一旦緩急ある期に臨み候はば、侍は必ずいたづらなる軍議の外には能なくして、14)陥陳・15)ケンキの勇夫16)モウソツは、かへつて尽く足軽・百姓などより出で申し候はんか。それにては、17)チランとも適用の人物御抜擢任用なされ候とは、申しがたかるべく存じ奉り候。

(要旨)しかしながら、古代より近世まで武を以て天下を平定してきた国家ゆえ、臆病で卑怯な事を憎み、節義に反することを恥じ、君主を敬い、祖先を重んずる習俗、つまりは敬神尚武の風儀がわずかながらも残っております。その精神こそ、世界に超絶する誇るべきものですから、今後も武道を骨とし、文事をその肉付けとして熱心に兼ね修める者を尊び、実用に適さぬ無益な学問に耽り軽はずみで派手な気風に陥る者をしっかりと教育する必要があります。無益な議論や弁舌だけが得意な者を推挙し任用することは平常の仕事はしないばかりか、危機にあっては無用の軍議に明け暮れ、敵陣を攻め破り、敵の軍旗を抜き取ってくるような勇猛な者はむしろ足軽や百姓の中から生まれるのではないでしょうか。そんなことでは平時であれ戦時であれ適材を抜擢し任用したとは到底言えないのです。



今回のくだりの中では、中国を引き合いに出しているのが興味深いですね。文官を重用したきた。すなわち儒学です。翻って我が国も江戸幕府は儒教を重視してきたが、これに対して左内は懐疑的な見方を示しています。以前も出てきたのですが、名立たる儒学者は我が国では数えるほどしか育たなかった。それは武士の世の中が続いてきたあとで、儒教を強引に持ち込んでも馴染まないという。中国と歴史が異なるため、中国だけを模倣していては立ちゆかなくなる。開明の世の中が到来したのだから、これを機に儒教儒教とだけ言うのはやめて、儒教に加え、新しい考え方も持とうではないかという。君主を敬い、祖先を大事にする風習は世界に冠たるものであり、これを生かして、全員が向上に向けて動く。

ユニティ。その精神的支柱は中国で発展した儒教ではない。ここを誤らずに藩校の教官も変わらなければならない。そのエッセンスの一部をベースにしてもかまわないが、やはり日本国の新たな教育とも言うべきものであろう。左内は日本型の新しいシステムを構築するべきだと説いているのです。

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文だ武だ言ってる場合じゃないんだけどね…=「学制に関する意見箚子」(5)

幕末の越前藩士、橋本左内の「学制に関する意見箚子」(講談社学術文庫「啓発録」、伴五十嗣郎全訳注)シリーズの5回目です。越前藩は文武を一体化して文人も武人も関係なく人材育成を進めようとしました。しかし、肝腎の教官がその意図を理解せず、軽視して勝手に自分の究理に専念するばかり。文は文、武は武で乖離した状態が続いていることに左内の不満が頂点に達しているのです。上下一心して事に当たり、一丸とならなければこの難局は乗り切れないことは自明の理なのにあいつらは何をやっているのだ…。


■…しかるところ、過日すでに武藝所肝煎を始め、掛りの面々も仰せつけられ候へども、右等の族、今に一歩も学校へ1)スウコウの念動き申さず、一語も教官へ論談いたさず、詰の者とても、やうやく申し訳のごとくに、細々たる会読いたしをり候までの義にて、なかなか一頓に誰人より道義開明つかまつるべしとも存ぜられず候へども、教官たる者2)テンゼン安居いたしまかりあり候。

(要旨)役付きの武芸者は自分勝手な行動ばかり。一方、儒官の方も細々と講読会を開いているだけで両者が協力して藩校の教育を盛りたてようなどとは思わず、呑気に構えています。


■…その上また、深く御案じ申し上げ候へば、この儘にて文武掛りの面々、相互に推服倚頼の心なく、各々目の前の御奉公のみ相守りをり候なりゆきに推し遂げ候はば、文武一致はさて置き、かへつて究まるところ文武相輘(きし)り、互ひにその短を3)し、文士は武夫の粗暴偏狭を笑ひ、武夫は文士の柔弱4)キョウダなるを嘲り、生徒などの義につき候ても、双方いささかづつ見込みこれ有る者を、強て引込み取りつけ候やう相成り、その者の所長を達しさせ、国家の御有益になし候ところは打ち忘れ、所詮吾が流儀を推し張りたきやうに成り行き、互に意地をもつて角論に及び、つひに結党の勢ひ成り、門戸の争ひを相始め候はんも計りがたく、これまた恐るべき義に存じ奉り候。


(要旨)憂慮されることには、文事と武事の双方が信頼し合わない状況は互いに欠点をあげつらいあい、生徒のうちから自分の流儀の拡張のために勢力に組み込むような事態になりかねないでしょう。意地の張り合いはひいては党派結成の運びとなり闘争へと発展しないとは言えません。

■…また、古来より5)ウジュの陋見にて、とかく技藝を6)ヒシして、これを力修する者を7)キチョウいたし候。これ誠に8)モウマイ不通の論に御座候。聖人の道と申すも、畢竟人倫日用の外にはこれなく候へば、物外の道にてはなし、物外の道ならねば、事を離れ候ことはこれなき筈にて、所詮、道はかへつて技よりして進み入り候ものと愚考つかまつり候。しかるに、己の不能拙劣を掩ふため、いたづらに空理の談を喜び、着実の技藝を嫌ひ候は、笑ふべきの至りに御座候。古より聖賢の無能なる者、一もこれ有り候やう相見え申さず候。聖賢と申すは、多能にして能を頼まず、能に伐らず、技藝を修めて技藝に局せず、技藝の中において妙理の存するところを知り、衆藝の要、一致に9)ソウカイするところに覚えこれ有る人と考へられ申し候。

(要旨)昔から技能を卑しいと考え、努力して修行する者をあざける風潮が儒学者にありますが、何と世情に疎いことでしょう。彼らの説く聖人の道は人の踏むべき道であり、日常生活のことにほかならないはずです。それなのに自分の無能力を掩い隠すために、空理空論ばかり振りかざし着実な技能技術の習得をおとしめるのは笑止千万なことです。聖人・賢人と呼ばれた人々は不得意のことがなかったかのよう見えますが、極めて多芸多才でありながらそれに頼ることなく慢心することもせずさまざまの技術を修練して、堪能になっても拘泥することなく、そららの中からあらゆる技術に共通する最も重要な一点をきっちりと押さえて確認しているのです。

■…しかるところ、当今の教官右等のところに心づき申さず候や、目今御端立の兵科を始めとして、その他の諸科ともに一向念頭に掛け申さず、かへつて吾が道の10)ひとも相成るべしと存じ候や、それぞれへ人材等御配りなされ候ことなど、館内の妨げにも相成り候やう心得、何となく具憂つかまつりをり候塩梅に察せられ申し候。これらは固陋の最上、笑止の至りに御座候。

(要旨)それなのに、今の明道館の教官ときたら、この辺の勘所に理解がなく、このほど創設した兵科をはじめ、科学技術関係の各科を無視して、自分の学問の障害になるとでも思うのか、適切な人材を配置することすらしません。頑固、偏屈の一語に尽き笑うしかありません。


■…万一、御家中一統に空理の論11)ゴウハツを12)ち候ほど13)セイビに入り候とも、身に覚えたる実藝なく、ことごとく14)ウハツ禅のごとき士のみに相成り候はば、軍攘は誰か当り申すべきや。会計は誰、農田・水利は誰、製械・開物は誰に託し申すべきや。国家を治め候には、色々の道具なくては修まり申さざること、なほ一家にしても様々の15)キジュウなくしては、生命の保続出来申さざるに同じ。これらの事さへ心づき申さず、吾が学に大関係の治事の諸科をも慢看放過しおき、何をもつて治国平天下の業をなし、何をもつて政教一致・文武不岐の御誂え相果し候見詰めに御座候や、甚だ覚束なき義と存じ奉り候。

(要旨)もしもすべての藩士が空理空論ばかり極めつくす一方、実際に役立つ技術が身についておらず中途半端な武士ともいうべきものになったら、藩の軍事、財政、農耕・治水の行政、機械の製造、物産の開発はだれに委ねることができましょうか。国家を治めるというのは、政治・経済学の理論も大事ですが、道具が必要であることは家庭を振り返れば分かること。当たり前です。自分の学問を実践するうえで欠かせない諸技術を教える諸学科を放置してどうやって国を治め天下を安泰に導くことができるのでしょうか。政治と教育を一致させ、文事と武事を一体の物にせよという藩是を実現できるのでしょう。目の前が真っ暗になります。



■…はたまた人材を得候は、ただ教育薫陶の上にこれ有るのみならず、またその材を取りてその長を展ばさせ、あはせて16)ボウジンをして観感憤起せしめ、17)オカに安んぜざらしむるの術、また肝要と存じ奉り候。もし、いたづらに人材を造成するに規々として、これを取り、これを用ゆる道を知らざる時は、人材下に18)エンタイするの患ひ有るのみならず、遂に造成の縁も塞り申すべく候へば、選挙の道もあらかじめ講明いたし置きたく存じ奉り候。これらも、固より上の御著目肝要とは申しながら、人々の小長・微能まで、逐一上聴に達し候ものにてもこれなく候へば、教官たる者目撃透視して、その材その能を捨て置かず推挙いたすべきこと、当務に御座あるべく候。

(要旨)さらに考えれば、人材を得るということは優秀な学生にだけ目を向けるのではなく、長所を伸ばし、低位に甘んじることなく向上のための努力を仕向け底上げを図ることも大事です。人材の登用も欠かせません。連続して登用して活力を与えなければなりません。常々学生を見るのは殿様ではなく藩校の教官ですから、その資質を見極めて才ある者を放置せず推挙することが重要な職務となるのです。





左内が説くのは危機意識の共有化であり、無用な縄張り争いには何の価値もないということです。政治の世界で言う政権交代も目的だったことがはっきりし、与野党ともに自分の延命を図ることばかりに汲汲としていることが眼前で繰り広げられている。相手の足を引っ張り、勢力を拡張することだけしか能がないのです。人材を育てたり、国家を守ったりすることこそ全員が一致して当らなければ時間がないのに。要するに能力がないのです。そんな奴らが政治という名の下に高額の禄を食み無為な行為ばかりを続けているのです。しかし、国民にも非がある。おねだりばかりで投票を餌にしてきたのだから。そんな構図を政治家と共につくってきたのだから。左内の言辞を見ましょう。実学こそ世の中を動かす原動力となる。頭でっかちの空理空論では偉そうにできても何も変えることは出来ない。人を教化することは出来ないのです。左内の儒学批判は痛烈です。彼は医者を志し洋学にも精通していましたから、儒学の空論が何の役にも立たないことを知っている。厳しく律する道具とはなっているので一定の有用性は認めているが、儒学ばかりではダメで世の役に立つものも身につけて両輪の人材こそが求められているという。現代でも詰め込みの教育の限界が取り沙汰され、どんなに名のある大学に入っても、入ることが目的である限りは政権交代と同じで出るときに職にありつけない有様です。それよりはキャリアアップのために海外に出たり、外の人たちと交流して人脈や技術を身にまとうことが自分の人生を彩るうえでは有効だということにそろそろ気が付くだけではダメで、実践しなければ可惜人材が朽ちてしまうのは目に見えています。人材、教育。御題目ではダメ。行動です。誰一人傍観者であってはダメ。全員参加型の社会にしなければだめだ。かつては戦争という「道具」を用いたがいまや通用せず。教育という名の下に全員が心を合わせる必要があるでしょう。


問題の正解などは続きにて。。。



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左内の深い悩み・嘆きは底知れず続く…=「学制に関する意見箚子」(4)

幕末の越前藩士、橋本左内の「学制に関する意見箚子」(講談社学術文庫「啓発録」、伴五十嗣郎全訳注)シリーズの4回目です。儒学者に対する辛辣な言葉を繰り広げつつも、その改心を目指す左内。学問に優れているのは間違いないので、高い志を掲げた行動力さえ具えれば優秀な人材育成は自ずとシステム化されるであろうと。しかし、現状見まわすとその可能性は極めて低いことを憂慮される。この教育の危機から脱するにはどうすればよいのだろうか?



■…しかるところ、今の教官たる者、大言抗論、尽く空理に陥り、聞くべくして行ひがたきことのみ申しをり候上に、その平生の所為等を詳らかに相考へ候はば、いまだ俗情・俗態を1)ハイダツつかまつり候ほどのこともこれなく、その上忠孝・節烈のことなど、毎々口には出し候へども、その自ら守るところ、蹈むところに至りては、いまだ俗見・俗論に拘り、飾偽・畏難・顧望等の心病、尽く克ち去ること能はずして、2)キョウキョウとして凡庸中を超脱いたし候ほどのことも御座なく、右のごとく、すでに人聴を3)ショウドウするの卓論なく、また及びがたきの大節なき者にては、衆人と競ふところの長短は、僅僅言談・文字等分寸の間にこれあり候ゆゑ、君子たる者は、その4)キンボ景仰の心を起し候由なくして、小人たる者も忌憚・畏伏の情を抱き申さず、是により学校の内、諸事彪漫にして、厳整・5)シュクボクの気味一向に相見え申さず、人に道義確信の風乏しく、道義確信ならざるより勇鋭欽化の風振り立ち申さずして、動もすれば、怠慢邪僻に傾くべきの萌御座候。かくのごとき勢ひにては、なかなか前件傑出の人材どころにてはこれなく、中等の人物を仕立て候も覚束なく存じ奉り候。

(要旨)いまの明道館の教官は柄にもない大言壮語をはいているものの、空理空論に陥り、実行が不可能な状況となっています。いまだに名誉や利益ばかりを求めており、忠義や節義を堅く守ろうなどとは口にこそすれ自身が実践することはない。臆病で横並び。見かけ倒しの並みのレベルを抜け出せないでいます。人の心を動かす卓見などありません。わずかに学問上の言論や経書に関する文字上のことだけ競い得るものの、そのほかは何もないに等しいのです。よって君子たる資質を秘めた学生は彼らを敬い慕うことはないばかりか、畏れひれ伏す学生は皆無と言えます。学校の中はしまりなく、怠慢でねじけた気風に傾いていく兆しすら見えます。この情勢下ではとても優秀な人材育成どころではなく中程度の人物を仕立て上げることさえ困難でしょう。


■…右等6)アクセク浅鹵の教官に託し、非常の豪傑、有用の才俊を作り出さしめんと望み候は、たとへば7)バンイツの美玉を8)レンワン痿躄(イヘキ=両足がしびれる病気)の病夫に付して、これを千里の遠きに達せしむるに異ならず。いづれの頃にか届き得申すべき哉と案じられ申し候。傍人より通観いたしをり候はば、愚人といへども、その所志、所為の相反して、ただに所望に充たざるのみならず、かへつて9)キソンの患ひ有らんことを、憂ひ申すべくと存じ奉り候。

(要旨)このようなとかく小事にこだわり浅はかで愚鈍な教官に学生を託し、豪傑や俊才が輩出することの期待感は乏しい。いつになることやら。あたかも重量感たっぷりの美玉を手足のしびれた病人に持たせ千里も先の彼方に運ばせようするが如し。志と行動が相反して目的を見失うのみならず、学校そのものの存続が危ぶまれることを嗟き悲しむこととなりましょう。

■…さてまた、文武一致の御趣意に候ゆゑ、今般武藝所取り立てに相成り、造士の方においては次第にその具備はり、有りがたき御仕向けに御座候へども、第一教官の胸中にその10)トリャク具はりをり申さず候はでは、なかなか武芸一致には相成り申すまじく候。たとへ総教の御方にて、いかほど御気配り御世話等御座候ても、自ら上下11)ケンゼツの勢ひもこれ有り、かつは賤役叢脞(ソウサ=煩雑で統一がないこと)、日々の12)サジは御透かし見御むづかしき訳等もこれ有り候へば、二十分の御探討御注意より出づるところ、御処置にても自ら下方において論談和熟つかまつり候やうに、充分には参り届き申すまじく、その上みだりに御仕向けの迹を13)オクサツして、互にかれこれ御贔屓これあるにてはなきかと申すやうなる14)ギサイの心等相生じ、それよりして、しばしば双方15)ソウタンなど醸し候はんも計りがたく存じ奉り候。



(要旨)さてまた、文武一致の御趣意から、このたび明道館内に総武芸稽古所を付属させることとなり、文武兼備の藩士を養成することは次第に設備は整えられていきます。教官の心の中にそれを生かす計画と覚悟がない限り、その実現は無理です。藩校の上層部と末端の間の意思疎通がなく統一感が見られません。全体を隅々まで調査なされれば分かりますが、学校運営に関して憶測が横行し、贔屓があるのではないかとねたむ心も生じており再三にわたり内紛が勃発しそうな気配も強いのです。


■…かつ、当今学問の道いまだ弘く行はれざるにより、武人なる者往々一種16)コロウ一偏の見に片倚りをり、とてもたやすく自然に洞開通達の識・正大光明の見相立ち、国家の御大願を推し伸べ申すべきほどの頼みは御座なく候。これを導諭候にも、誰ぞ大有力の者、その辺の17)ロウケンを推し破りて、正道に18)ジュンジュンと誘引いたし候者御座なく候ては、目今真武御引立ての大御処置、永々御持ち堪へのほど、はなはだ覚束なく存じ奉り候。これとても、別に望むべき人は御座なく、やはり教官の当任と存じ奉り候。


(要旨)学問が行き渡っていない現状では、武芸者と称する人は頑固で視野が狭いので考えに偏りが見られます。開けた見識を持ち国家の大目標達成のために積極的に協力させるのはなかなかに難しい。これを諭し正しい道に導いてやらねばなりません。これも藩校の教官の役目ではないでしょうか。





左内の嗟きが続きます。まずは、藩校の教官のレベルが低いと嘆く。自分で何ができるかも分かっておらず偉そうに説くだけだと。学生に対し示しが付かないではないか。藩校の雰囲気が悪くなっているだけ。中程度の人材もはぐくむことができない。どうして瑣末なことばかりに囚われるのだろう。宝であるはずの学生が朽ちてしまうだけだ。折角、お殿様が教育を重視されてヒトモノカネを投じて充実を図ろうと御英断なされたのにこれではその甲斐がないばかりか、ばらばらの態勢で教育など実行できるはずもない。

要するにリーダーとなるべきカリスマ性を備えた教育者がいないというのです。先を見通して大局的に物事を進められる人材が不足している。お殿様の高い志がいまだ末端まで浸透しきっていない。何を為さねばならぬのか、その危機感が欠如している。人材の大切さは自らがその危機意識を持てるかどうかに懸かっている。厳しい自己統制と研鑽以外にあり得ない。手練手管ばかり弄して小手先の処世術を身につけても藩を、国家を前に進める力たりえないのである。文武の一体感を生むにはどうすればよいのでしょう。頭だけでもダメ。力だけでもダメ。そのバランスを図るには何が必要なのか。人心を掌握するトップの力が求められるのは間違いない。この人のため、この人が言うことは間違いない。そういう意識をお互いが持ちあえる関係をいかにして構築するか。上も下も真ん中もないでしょうね。一人ひとりが考えること。尊敬しあい、励まし合い、一つの目的に向かえる態勢。

まさに、教育とは今の日本が必要な物です。空理空論を振り翳すのではなく、一人ひとりが行動すること。頭がいいとか、力があるとか、金があるとか関係ない。危機意識の共有化。他人任せにしないこと。自分ひとりじゃどうせなどと思わないことです。全員が一致して自分がやらねば誰がやると思うこと。

左内はそうした意識付けをまず教官にしたいと考えていると言っていいと思います。

しかし、かれの嘆きはまだまだ続くのです。。。。


問題の正解などは続きにて。。。。







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上っ面を齧るだけの猿真似…手厳しい言辞に覚醒=「学制に関する意見箚子」(3)

幕末の越前藩士、橋本左内の「学制に関する意見箚子」(講談社学術文庫「啓発録」、伴五十嗣郎全訳注)シリーズの3回目です。古の学問を真似るのはいいが上っ面だけ齧る猿真似ではだれも教育できない。。。。耳の痛い言葉の連続です。本日のくだりは心して熟読しましょう。


■…さすれば、今の学校にては、有用の人材を造成するの望みはさて置き、かへつて他日1)紛挐の論を来し、人材を2)ひ候大害を胚胎いたし候3)エンゲンと相成り申すべく存じ奉り候。この義は、ただ明道館に限り候義には御座なく、従来の諸藩の学校、ことごとく太平を飾る文具と相成り候も、西土の学校後世に至りては、あるひは興し、あるひは廃し候も、全くこれよりの義にて、一言に申し上げ候はば、学務を督する教官、その人に非ざるにより候と存じ奉り候。

(要旨)このようなことから、現在の明道館では有用の人材育成の望みはさておき、将来の紛争の議論を生じ、貴重な人材を失う結果が深く根ざしているのであります。これは我が藩に限らず、諸藩の藩校が、太平の世のうわべだけを飾るどうぐとなったことや、中国の学校が後世、興隆したり廃絶したりした訳も同様なのであります。つまり一言で言えば、教官の質。人材が堪えなかったためなのです。


■…しかしながら、推して論試候へば、右様傑出の材を養成する道を知らざる義は、あながち当今の教官のみ責め申すべきことにても御座なく候。その訳は、本朝において儒学に志し、経済大作用のところに、卓見確識御座候もの、慶・元御治世以来二百五十年の間、熊沢了介・新井白石・頼山陽等、わづかに数輩のみに止り申し候。その故は、元来儒者の学に志し候は、もとより天下有用の事を起し候深慮・遠志これあると申すにて御座なく、また自分深慮・遠志これあり候へども、4)バンガクなるか、または官職相当ならざる等より、5)イッコにては事なしがたき義を洞察し、何とぞ傑出の材を造成して、己の宿願を遂げさせたしと申すにてもこれなく、または最初はさまでの志これなくとも、おひおひ道理純熟・義理精明なるに随ひ、6)シュクゼン旧非を覚り、勇猛に省察して、道に進み、徳積り、天下国家のことを担当いたすと申すにてもなく、畢竟その家学にて拠なくいたしをり候か、または癃疾・癈病・身体7)尫弱等にて、人並みの操作力役に堪へざるにつき、自然やむを得ず書物嗜に相成り候義に御座候へば、国にこそ治国の、平天下のと申しをり候へども、その腹は本来無一物にて、事業作用の上に施行候やうの確見等はこれ無く、いたづらに古人の糟粕をなめ、文字上にて8)コウコツに、いささか相覚え候口真似にて、すなはち9)オウム藝とも申すべきものに御座候。

(要旨)昨今の教官ばかりに非があるのではありません。徳川幕府草創のころより二百五十年間で学問を究め卓抜した見識を示したのはほんの数人にすぎず、儒学者というのは元来、深い思慮があってのことではないケースがほとんどなのです。多くの学者は父祖以来の家に生まれたために過ぎないか、虚弱体質か何か体の事情でやむなく志したかのどちらかなのです。ですから、口でこそ国家を治めるにはとか、天下泰平の世のためにはなどと言うが、その実何の見識も持っていない。彼らの学問は酒のかすをなめているようなもので、古の聖人・賢人の教えを文字の上でなぞり一人でうっとりしているに過ぎず、暗記して口真似する猿真似とも言うべきものなのです。



■…いかほど利口に言ひ廻し候ても、下地オウムに御座候ては、人の説き及ぼし、人に解得せしめて、徹底いたさせ候ことは望みがたく候。まして造材の道は、いたづらに口舌に挙げ候のみにては、こと足り申さず、第一に我が身に卓行ありて、衆心を服し、衆耳目を10)かし候ほどのことなくては、相叶ひ申さず候。

(要旨)どんなに利口な言い回しでも、精神の伴わない口真似では人を説き諭し論旨を理解させることができようもない。優秀な人材を育て世に送り出し活躍させるには単に文字上のことでは効果なし。第一に教官自身に誰が見ても納得する優れた行いがあってその耳目を驚かすようでなくてはとてもかなわないでしょう。




左内の言辞は手厳し過ぎる。古人之糟魄を嘗めるのみ、鸚鵡藝。。。口や文字や言葉で飾ってもその中身がないことを見抜いている。儒学者がその家に生まれただけで儒学を治め将軍家に偉そうなことを説いているが自分自身は何もできないというのは現実かもしれないが、これを御殿様に具申するというのは相当な感奮興起がないとできないでしょう。心底から抱いている不満だということです。彼自身、医者の家に生まれたものの、どうやら医学には向いていないことを悟り、政治の世界を志し方向転換。運よく上司に恵まれ若くして相応の地位を得ましたが、それに慢心することなくむしろ現状を冷静に見詰め、必要な改革を即座に断行すべしと説いている。学問の世界の厳しさはこんなものではないだろう。儒学界に鉄鎚を食らわしている。ある意味、爽快に思う人もいるでしょうが、翻って自分自身に置き換えてみれば耳が痛いことこの上ない。弊blogも古人之糟魄を嘗めることを目論んで続けていますが、上っ面だけではないのか?猿真似ではないのか?お前は人の意見ばかり論っているが、それではお前自身はどうできるかアイデアがあるのか?そう問われて堂々と反論できるかどうかは自信がありません。左内の弁はそうした矛盾点や自己反省の心を突いて、慙じ入り覚醒させてくれます。


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教育は教官の質こそ大事なり=「学制に関する意見箚子」(2)

幕末の越前藩士、橋本左内の「学制に関する意見箚子」(講談社学術文庫「啓発録」、伴五十嗣郎全訳注)シリーズの2回目です。藩校・明道館の教官のレベルが一様でないため、教育の質が定まらず、人材育成に支障をきたすと訴えます。現代の公教育でも言えることであり、依怙贔屭や趣味嗜好が優先された教育の怖さを排除する必要を切々と述べます。


■…それに引替へ、豪放磊落・跌蕩1)フキ・純正剛毅・果烈2)ケンカイの性質こそ、末頼母しく思はれ候。しかし、これ等の人物は、生来人に傑出いたしをり候者ゆゑ、自分に恃むところありて、人に就き人に屈し申さず、動もすれば庸人を軽蔑し、衆論に牴触する患ひ御座候者にて、すなはち古より英雄豪傑の人、毎度危禍に出逢ひ候は、畢竟ここに根ざし候ことに御座候。右様の性質に御座候ゆゑ、とかく節を折き、書を読み、理を講ずる等のことは好み申さず、学問は厭棄いたしやすくして、度外に3)ホウテキ候弊も往々これあり候へども、いかに豪放・磊落・剛毅・ケンカイなればとて、道理に熟せず学術に明ならずしては、大節義・大機略を具へ、大作用・大処置をしでかし候義、甚だもつて、覚束無く存じ奉り候。

(要旨)豪放磊落で意志の強い人物もいて、こちらは末頼もしいですが、うまれつき優れているため他人を頼りにはせず、人に従属もせずややもすれば軽蔑しがち。常識論とは対立するという欠点があります。古来、英雄豪傑が思いがけない災難に遭うのはここに原因があるのです。こうした人物は信念を曲げたり、物事の道理を調べ極めたりはしない。どんなに豪胆で小事にこだわらなかろうが、学術に暗いのでは偉大な事業を完成して難問を解決するといった業績を上げるのは困難でしょう。

■…これ等の人物を誘導して、これを心折せしめ、これに学を積ませ、藝術を礱磨いたさせ候てこそ、国家の御有用にも相成り、学問の光も顕はれ申すべしと存じ奉り候。さなくして、局々4)ワイサの人物に小廉曲謹だけ教へ込み候は、小人の腹赤なる上に、5)ヒョウショクの道具を添へさせ候までにて、外に益もなき義、学問と申すものは世にある方、結句害と相成り申すべく候。


(要旨)こうした人物を誘導し、弊害を取り除き、学問に研鑽させてこそ、国家にとって有用な人材となるのです。もともと器量の小さな人物にいくら教え込んでも限界がある。学問の本当の意味を教えることは出来ず、害となるだけです。

■…私に相考へ候に、当今の御仕掛けにては、いづれ行く行くは御家中の子弟輩一統、学校へまかり出で、学ばざる者なき勢ひに相運び申すべく候。さすれば、多勢の中には自然右様傑出の人物もこれ有るべく候。万一、右様の人物幸ひにこれあり候ても、方今の学校にては、急度その材を成させ候見込み御座なく候。その訳は、教官に霊活眼・大規模これなきゆゑ、大才を看破すること能はざる弊あり。また人を取るに、細行・小事を苛督して、その大処を忽略する弊あり。また己に同じき者を好み、異論異見あるものを嫌ふ弊あり。この三弊除かざる内は、とても傑出の人材を心服せしめ、我より6)ヤヨウいたし候ことは出来申さず、およそ人を識るにも教へえるにも仕立て揚げ候にも、己の分量だけにて、英雄ならば英雄を知り、聖賢ならば聖賢を知り申すべく、7)トショウ之人にて、英雄聖賢を知り、これを仕立て揚げ候ことは、勿論これなき筈に御座候。

(要旨)個人的な意見ですが、今の藩校の創建の趣旨が行きわたればいずれ藩内に学風が浸透してぬきんでた人物がたくさん輩出致しましょう。しかし、いまの藩校の状況では人材育成には支障があります。何故かと言うと、教官の中にすぐれて機敏な眼力を有し、気概のある人がいないからです。学生の折角の才能を見抜けないばかりか、どうでもいいことばかりにとらわれて本当の伸ばして上げなければならないところに気付かず、おろそかにしてしまう欠点があるのです。自分と同じ考えのある学生を可愛がり、異論を唱える者を遠ざける傾向も強い。この三つの欠点を取り除かない限り、とても優秀な学生を心服させて育成することなど不可能であります。教官の器量が英雄豪傑に値してはじめて英雄豪傑を認識できるのであって、凡人では到底無理なことです。

■…ただ今の学校の有様にては、非常の材これあり候はば、我より彼を看破して籠絡し、これを心服せしめてこれを薫陶すること出来申さず、かへつて彼より我を見すかし候て、侮慢不遜の振舞ひ等、品により相始め申すべく候。その時に到り候はば、教官の威軽く相成り候につき、必ず憤怒・8)フツレイの心盛んに相成るべく候。その心をもつて接待するよりして、磊落剛毅の人を9)ヨクウツいたさせ候弊害相生じ、惜しむべき人材を瑕物にいたし、その人善道に向ふ心を断ち、かへつて10)ジャケイへ逐ひ込み候やう相成り申すべく存じ奉り候。


(要旨)いまの藩校の状況を見ると、教官側からすぐれた学生の力を見抜いて感化することなどできるはずがありません。かえってその力量を見すかされあなどられ不遜な態度をもって振る舞われかねません。教官の威信は地に落ち、教官の心にも道理にもとる感情が湧きおこり、そうした教官が学生を押さえつけ、伸び伸びと精神が発達することを妨げることとなり、大切な人材を瑕物にしてしまうでしょう。


■…彼の傑出非常の材なる者は、もとより有為の性質に御座候へば、必ず徒然には生を送り申すまじく、必ず己が党を結び、己が欲することを行ひ、あるひは道を非り、政を議し、あるひは無頼の所業を相働き、法禁に触れ候やう相成るべく存じ奉り候。右様相運び候頃に及び、御戮罰なされ候はば、材を棄つるの悔免れがたく、御打捨て置きに相成り候はば、11)ガコを12)ふ同前にて、久しからずして禍害を惹き出し申すべく、もし御13)テキヨウに相成り候はば、政教一致の御趣意には14)ソゴいたし候と、管窺15)レイソクの教官輩、16)チョウチョウしく申し立ていたすべく候。

(要旨)こうして邪道に追い込まれた学生たちは、必ずや新たな党派を結成し、無法なふるまいに転じて法律禁制に触れることでしょう。そうなってから刑罰に処したのでは得難い人材をみすみす捨て去ってしまうことへの後悔がしきりでありましょう。かといって、放置しておくのは危険極まりない虎を身近で飼っておくようなもの。遠からず災害が引き起こされる。才能を惜しんで無理に登用すれば、見識の狭い教官が政教一致の御方針に違うなどと騒ぎ立てること必定です。


教官の質向上も必要である。折角の人材が花開かないのは藩の損失であるという。人を操り、動かし、育てることのむずかしさ。しかし、それをやらねばまとまりが生まれない。教える方も教えられる方も心が離れ離れになって別のエネルギーを生んでしまうのです。教育界。政界。いままさに左内の危惧する状況が展開されている。こんな国にしたのは誰のせいか?教育が間違っていたとは言えないか?



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日本国再建のため教育論を再考しよう=「学制に関する意見箚子」(1)

橋本左内が教育について意見具申した「学制に関する意見箚子」というのがあります。明治政府は殖産興業を進め、国民のレベルを上げるため、教育制度改革に力を入れましたが、その十年以上も前に左内が教育の重要性を説き、安政四年(1857)五月、殿様に提言していたのです。資源のない国であり人材こそ宝。いまでも言い古されたフレーズですが、左内は当時、藩校明道館の学監の職にあり政治と教育の一致という藩是を実現するための方策として意見具申しました。講談社学術文庫「啓発録」(全訳注)に採録されており、同書の解題(P236)には「藩校教官の無能力を辛辣な語調で叱責しつつ、人材育成の要点を説き、国家興隆の基盤となるべき教育の重要性について、論及している」と解説されており、「今日の混迷した疆宇行く問題を考える上でも、重要な指針を示すもの」と言います。教育施策を重視する民主党政権、そして、文部科学省のキャリア官僚にも左内の熱弁を今一度提示しようではありませんか。聊か長めなので7~8回に分けてロングラン連載します。

■…明道館御取立ての義は、深き思召も在らせられ、政教一致・文武不岐と申す御標準にて、後々は士大夫仁譲節烈の風に興り、庶民時雍文化に移り候やう、年来御労思あそばされ候御大願・御1)コウギョウは、明道館中より御成就の2)キシを開き候やうにとの御趣意に御座候やうに欽承し奉りをり候。右は、中々尋常容易の御趣向にては御座なく、実に古今の聖主・賢補も難んじをられ候義に御座候へば、御処置の次第において、まづ3)コウエン明確の御定案相定まりをり候て、一切模稜安排の御仕向け等、御脱却御座候はでは、とても御満願の期これ有るまじくと存じ奉り候。さて、いよいよ右の御趣意に相極り候上は、人材を得るの道を開き候こと、肝要に愚考し奉り候。

(要旨)藩校明道館の設立目標は、政治と教育の一致、文武の不離一体であります。各藩士におごることなく節度ある態度を身につけ、庶民に和らぎを与え学問が興隆することを望まれた結果、ようやくここに結実したものです。


■…人材の義は、古今必須のものにて、いづれの時代にても不用と申すことは御座なく候へども、当今新政を御4)コウチョウ、百廃を御振起の折柄において、殊に御規模・御区画等、すべて小成に御安著の御姿にこれ無き御様子に御座候へば、昔より只今ほど人材を得ること急用専務となりをり候時節は、これ有るまじくと存じ奉り候。さりながら、目前に成り立ちをり候人材は、既にあらあら御細択御精選相成りをり候上、おひおひ御研究御論じ詰めも御始めに御座候へば、最早これを得、これを成すの道、すこぶる開けをりし申し候。この上は学校において、おひおひ年少の者養育・薫陶つかまつり、非常傑出の材に仕立て揚げ、行末当今御趣意のところ、ますます御手広かつ御手厚に相成り候やう、今日より御配慮御座あるべく候こと、時勢に適切なる義と存じ奉り候。

(要旨)しかしながら並大抵のことでは実現はしません。ですから、最初が肝心、曖昧な態度は脱却し、反対意見をあしらうことで妥協するようなことは擺脱しなければなりません。この方針を決めた暁に大事なことは、人材を獲る道筋を開くことです。

■…もつとも、人材を得、人材を成し候には、種々手段もこれ有り、学校のみに限り候訳はこれ有るまじく候へども、有用の大材を造成いたし候は、必ず教化の道より外に5)セイロ捷径これ有るまじく候へば、やはり学校をもつて上田といたすべき義と存じ奉り候。この義はただに小臣の6)オッケンのみならず、恐らくは7)ウダイの道理ここに漏れ申すまじくと、年来信じ込み罷りあり候。

(要旨)人材はいまだかつて不用であった時代はありません。越前藩もこれまでの弊政を改め、新政を断行する折、小さな成功に甘んじてはいけません。大事業を成そうという心づもりの下、いまほど人材の獲得が急務であったことはないでしょう。当藩の人材はおよそ選択は済んだものと思われ、人材育成の道は開かれたと言えるでしょう。今後は明道館において少年を養育し、正しい方向に教化し、優秀な人材に仕立て上げ、目下ご推進されている各事業がより大きなものとなるようにするのがよろしいでしょう。

■…さて、この一事すこぶる至重の難事に御座候。就中、当今の明道館においては、難事中の最大難事と存じ奉り候。大抵人材を得るには、四箇条の要件が御座候ものにて、これを尽さずして材を得んとするは、夜行して日を見んと思ふ者と同様の愚と申すべく存じ奉り候。四箇条の要件と申し候は、

 第一。材を知るの道。即ち、その人の長ずる所を知りて、また、その短なるところをも看破いたしをり候事。

 第二。材を養ふの道。すでにその材を知り候はば、また、これを生育・長養して、害を避けしめ、難を去らしめ、かつその支捂・8)カンカクの患ひを除くの術を尽して、その志を遂ぐることを得せしめ候事。

 第三。材を成すの道。養ふの方、すでに具はらば、これに藝を教へ学を植ゑ、それを正道に誘き、実事に試み、つひにその材を練熟して、有用の者とならしむる事。

 第四に材を取るの道。材すでに用に堪ふるの地に到り候はば、久しく下に9)エンタイ廃棄いたさせ申さず、それを朝に薦めて、その堪ふべきところの任に当らしむべき事。

(要旨)人材を得て育てるためには、学校教育に於いて次の四つが大事となります。私見であはなく天下の王道でありましょう。
 第一に、人材を知ること。その長所を見出し、また短所をも見抜くこと。
 第二に、人材を養成すること。その人物の長所・短所を確認した後は、長所を伸ばし、短所を改めるような養成に注力する。成長を妨害することのないよう、内部から起こる反抗心やひねくれ根性を取り除き、立派に志を遂げられるようサポートすることが大事です。
 第三に、人材を完成すること。養成が終われば、いよいよ学問と技能を教育し、その成果を正しい方向に開花させ、実際にその能力を試し、熟練させて、有用な人材として完成せなければなりません。
 第四に、人材を挙用すること。実際の用に堪えうるところまで完成したら、長期間挙用もせず棄て去っておくことはせずに、ただちに推薦してしかるべき任務につけて活躍させなければなりません。

■…この四道を兼ね行はざれば、材を得るの道は尽き申さず候へども、四道の内においても、知材・成材の二道を尽し候こと、最も難しと存じ奉り候。その仔細は、千里の馬は必ず踶囓(テイゲツ=ひづめで踏み、牙でかむこと)の病ありて、「足+斥」弛(タクシ=才能があり、世俗に束縛されることを嫌う)の士には必ず負俗の累御座候こと、今古の痛患に御座候上、兎角衰世の風儀・迂俗の旧習にて、怠懦・畏怯・平弱・10)ジュウビの性質は大抵人にも愛され、その上目立ちたる過失もなきやうに相見え候へども、これ等の輩は、皆一生己の為にする貪利と申す病根全治つかまつらざる者にて、学問に熟し候ほど面諛11)トンジに長じ、古人のいはゆる12)キョウゲンなるものに陥り、なかなか安心して倚頼すべき者にては御座なく候。

(要旨)このなかでも特に第一の人材を知ることと第三の人材を完成させることの二つの要件が非常に難しいのです。なぜなら、一日に千里を走る馬はひづめで蹴ったりかみついたりする欠点があり、小事にこだわり萎縮することのない人物は世間から悪く言われるものです。世の中が衰えてくると、なまけ者でも、臆病ものでも、普通以下の能力しかなくても、物腰柔らかく媚び上手ならばたいてい好かれます。一見過失はないようですが、一生自分の利益の為だけに行動する貪利という病気が治っていない者です。学問に熟達すればするほど、人前で媚び諂うことや、言い逃ればかりが横行し、孔子の云う「郷愿」、つまり偽善者になりはててしまい、安心して仕事を頼めないのであります。



最後のくだりは耳が痛い人も多いのではないでしょうか(かくいう迂生もその一人です)。自分の利益ばかりを考える人物。学を獲るほど媚び諂いが上手になる。左内は教育の「甘い罠」を見抜いている。憖、知恵が授かったばかりに処世術だけが身についてうまく世を渡ることができてしまう。そんな人材を育てる教育のあり方は失敗だというのでしょう。鋭過ぎる指摘です。

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イギリスかロシアか幕末に手を結ぶべき同盟国はどっち?=左内書簡

橋本左内が残した書簡に、同じ越前藩士の先輩、村田巳三郎氏壽(うじひさ)にあてたものがあります。講談社学術文庫の「啓発録」(伴五十嗣郎全訳注)に採録されており、その「解題」(P232)によりますと、「安政四年(一八五七)八月以降、江戸にあって主君松平春嶽を助け、対米条約勅許をめぐる外交問題と、内政充実のための将軍後継者決定という、内外二大案件を解決するため、寝食を忘れた活動を展開中の先生(迂生注・左内のことをいう)が、その抱懐しておられた内政外交策を、国許福井の同志村田氏壽に、余すところなく論じられたもので、現存する書簡中、最も名高い」とあります。さらに、「洋学者としても、当時一般の学力を有していた先生ならではの的確な世界情勢の分析や、幕府・親藩・外様といった個々の利害を超越して、日本国中を一家とみなし、世界の中の日本という立場を自覚した気宇の壮大さには驚歎せざるを得ない」と続け、瞠目しています。

「西城」とは解題にいうところの「内政充実のための将軍後継者決定」、すなわち徳川将軍家の世継ぎ問題であり、「亜墨利加一条」とは「対米条約勅許をめぐる外交問題」、すなわち日米修好通商条約勅許のことであり、いずれも当時の日本国にとって国の進路を左右する一大事です。左内の国家観、世界観が綴られていますが、明らかに徳川幕府を軽視する内容で、為政者サイドからすれば「目の上のたん瘤」となっていたことが伺えます。二年後に斬首されるわけですが、命を賭けた若者の迸りでもあり、現代社会においてこうした提言の声が上がることを期待したい。

聊か長いですが、それほど驚嘆すべき語彙はありません。漢字学習には丁度よいでしょう。全文を一挙掲載します。細かな字句の解説は講談社学術文庫などを参照してください。幕末史の苦手な方は苦痛かもしれません。御飛ばしください。


安政四年(1857)十一月二十八日

村田氏壽あて

書籍二冊相廻し申し候。これは復斎へ、包物は宿へ願上げ奉り候。相替らず復君・長谷へは宜しく願ひ奉り候。

 本月十一日発の御翰相達し、厳寒の節に御座候処、先づ以て恐悦し奉り候。随つて拝賀し奉り候。次に御休情下さるべく候。井上・埴原着の由云々拝承。助教仰付けらるの一条、これ亦拝承。外塾へ出張の事、これ又拝承。何れもおひおひ御都合宜しかるべしと同慶し奉り候。今便は殊の外取込み候間、一々詳答仕らず候。

 さて、西城一件は、過日石原罷越し大半御瞭然と存じ奉り候。昨廿七日朝始めて上田へ御逢対入らせられ候処、誠に御都合宜しく、先より今日は西城の義にて入らせられ候やと尋ねられ、さてそれにつきては段々の御懇志、誠に感服に候。何分この度亜墨利加一条相澄み候はば、直ちに上様思召をも伺ひ、何とか趣向相付け候積りに御座候。過日来、堀田・久世へも御咄の趣、実に以て感心云々と申す事、くりかへし申し述べられ候。

 因りて橋公御様子御咄し御座候処、これも貴慮の如く、水老公とは模様相違の由、如何にも御温順なりに御気象は御1)タクリツの由に候へば、至極御尤もなる御見込みに候。さて老公とは如何様の御交に候やと問はれ候につき、至つて懇意に候へども、老公は一寸時世に暗き御人かと存じ奉り候。それ故議論合はざる事どもも数々これ有り、さりながら中々御英物には相違なく存ずる由仰せられ候処、上田申され候は、如何にも左様、この方も老公には毎々困り切り申し候。全く時勢は御了解なき御方にて、御果断は格別なる御方に候。この節も大船御作り成され度き御願ひこれ有り候へども、これも只だ沿海警衛と申すまでにて、さしたる御見留はこれ無き塩梅に候。何分橋公とは大御相違に御座候。

 且又貴兄亜米利加への御返答、御相談の御返答未だこれ無し、外々はおひおひ相済み、貴兄御一人遅延致し候故、もしや御時態に合はざる無理論仰立てられ候にてはこれ無きやなど、御懇話これ有り候由、依りて御答に、小拙は別段見詰これ有り、態と晩れて指出し申し候。即ち廿六日指出し申し候。その趣意は云々と仰せ述べられ候処、誠に御同意の由、その趣ならば安心に候と仰せ聞かされ候旨に御座候。先づ右の御様子、御同慶の至りに御座候。

 さて又去る十三日夕、亜米利加使節申立並に応対書和解二通御渡しに相成り候。直ちに拝見仰せ付けられ、例に依り事理分明。その中英夷とは段々内談もこれ有る塩梅、且は2)キョカツも御座有るべく候へども、何分一々我が弊に中り候処、恐るべし恐るべし。この義は実に神州の御大事、今度彼の二個条御許しに相成り候と、即ち御国体変遷の姿に候。さりながら只今と相成り候て、鎖国独立致すべからざるは、固より識者に於ては瞭然にこれ有るべく候へば、固より拒絶相成らざるは論を俟たず候へども、唯如何せん、3)ビョウドウ上の小児輩、とてもその辺の咄出来候者一人もなし。

 就きては、責めて我が君なりともと存じ奉り候故、参政と共に種々苦言直言毎々高聴に入れ奉り、おひおひ御工夫も在らせられ候処、流石にほぼ御考も相立ち候。さりながら兎角4)ジュウダイの御旧弊、未だ5)カクゼン御脱却成されかね、只管参政並に小拙辺申上げ候処にのみ、御手寄せ遊ばされ御6)カノウと申すまでにて、御自身様より御発出薄き姿に御座候、近来は一切この方より申上ぐるは相止め、頻りに御難詰のみ申上げ居り候。しかしこれまでよりは一段御工夫は絶えず遊ばされ御塩梅、御策の程は実に感じ入り奉り候。尤も御上書も十が九は御自身様にて遊ばされ候丈にて、当日までには凡そ四五度も御草稿相替り、色々御7)スイコウ御座候故、御当日に到り小拙聊か御添削申上げ、今般の運びに相成り候。これは執政より御内見成さるべく候。

定めて御地執政方も、御上書は一寸御退避成さるべく存じ奉り候。君上にはその辺の御勇断は充分在らせられ候へども、天下の8)カンユウ豪傑をも、9)ロウラク遊ばされ候御手段に御乏しく、唯御誠心一片に帰し、仁柔の風勝ち10)ハツランの御器量に相成らざるかと存じ、その処を不足に存じ奉り候。

 さて海外の御処置に付きては、君上にも種々御考へ在らせられ候へども、近来は先づ小拙の所見と御同様に成らせられ候故、先づ小拙の存じ申上げ候。御賢判の上、御可否仰せ下さるべく候。

 当今の勢ひ、日本の事務、国内の御処置と、外蕃御待遇との二件に帰すべく存じ奉り候。外蕃御待遇に付きては、海外の事情第一に御推察これ有り度く候。方今の勢ひは行々は五大洲一図に同盟国に相成り、盟主相立て候ひて四方の11)カンカ相休み申すべく相運び候はんと存じ奉り候。右盟主は先づ英・魯の内にこれ有るべく候。英は12)ヒョウカン貪欲、魯は13)沈鷙厳整、何れ後には魯へ人望帰すべく存じ奉り候。

 さて日本はとても独立相叶ひ難く候。独立に致し候には、山丹・満洲の辺・朝鮮国を併せ、且亜米利加洲、或は印度地内に領を持たずしては、とても望みの如くならず候。これは当今は甚だ六ケ敷候。その訳は、印度は西洋に領され、山丹辺は魯国にて手を付掛け居り候。かへつて今の内に同盟国に相成り然るべく候。

 然る処、亜国その外諸国は交り置き候も苦しからず候へども、英・魯は両雄並び立たざる国故、甚だ以て扱ひかね申し候。その意は既に「ハルレス」口上にも歴然、その上近来争闘の迹にて明白に御座候。これに依り、後日英より魯を伐つ先手を頼み候か、又は蝦夷・箱館借し呉れ候旨願ひ出づべく候。その時、断然英を断り候か、又は従ひ候か、定策これ有るべき事。

 小拙は是非魯に従ひ度く存じ奉り候。その訳は、魯は信あり、隣境なり、且魯と我れとは14)シンシの国、我れ魯に従ひ候はば、魯我れを徳とすべく候。さすれば、英怒り我れを伐つべし、これ我が願ひなり。我れ孤立にて西洋同盟の諸国に敵対は致し難く、魯の後援有れば、たとひ敗るるも皆滅に至らざるは了然に候。然れば、この一戦、我が弱を強に転じ、危を安に変じ候大機関に御座候て、これより我が日本も真の強国に相成るべく候。その上、その戦争までには、是非魯国並びに亜国より人を倩ひて、我が国の大改革始め、水軍陸戦とも精励致さすべしと存じ奉り候。

 さて右様魯の15)シンジツを得候には、所謂報じ難きの恩これ無くしては相済まず候。魯国へ我れより使節を以て和親を乞ひ候積り、その段には種々心算これ有り候へども、筆にては述べ難く候。

 さて魯に国を託し候までに、外より16)ジョウラン致され候ては相成らず候故、それまでは何分亜墨利加を願ひつけ、英夷の17)バッコ18)キョウリョウ等は成るたけ拒み貰ひ候事。これ亦色々の工夫も御座候へども、何も応答言辞の間になくしては、口にも述べ難く存じ奉り候事。これに依り交易、ミニストル指置の二ケ条相許し、その中交易は矢張り官府交易に致し度く候間、勝手交易は相断り申し度く候事。阿片並に借地の事は断り、港は堺・神奈川・箱館・長崎の四個所位に極め置き申し度き事。何分亜を一ケの東藩と見、西洋を我が所属と思ひ、魯を兄弟シンシとなし、近国を掠略する事、緊要第一と存じ奉り候。

 さて、右様大変革始め候に就きては、内地の御処置、これまでの19)キュウトウにては相済まず、第一建儲、第二我が公・水老公・薩公位を国内事務宰相の専権にして、肥前公を外国事務宰相の専権にし、それに川路・永井・岩瀬位を指添へ、その外天下有名20)タッシキの士を御儒者と申す名目にて、陪臣処士に拘はらず撰挙致し、これも右専権の宰相に派別に致し付け置き、尾張・因州を京師の守護に、その指添に彦根・戸田位、蝦夷へは伊達遠州・土州侯位相遣し、その外小名有志の向を挙用候はば、今の勢ひにても随分一芝居出来候はんかと存じ奉り候。

 その上魯西亜・亜墨利加より、諸藝術の師範役五十人ばかり借り受け、諸国に学術稽古所相起し、物産の道を手広に始め、内地の乞食雲介の類に頭を立て、相応の賄遣し蝦夷へ遣し、山海の営致させ、往来は重に海路より致し候はば、蝦夷も忽ち開墾相成るべく、航海術も直ちに熟すべく存じ奉り候。因りて一句を吟じ申し候。

  人間自ら適用の士有り 天下何ぞ為すべきの時無からん(人間自有適用士、天下何無可為時)

 嗚呼これ等の事、夢にも見難く存じ奉り候。その中、薩の事は御不同意にもこれ有るべく候へども、これは小拙大いに所見これ有る事に御座候。畢竟日本国中を一家と見候上は、小嫌21)サイギには拘るべからざるは、勿論に御座候。

 昨日も川路の咄聞き候処、これも右までの見は承らず候へども、何分日本に於て遠大の処置これ無くしては相済まず、就きては魯と和親を結び、且建儲を致し、根本を固め候腹はこれ有る塩梅に御座候。さりながら、全く風波を恐れ居り候由、その内、実に難渋なる咄どもこれ有り、計らずも感慨落涙仕り候。何分この後何等の辺へ落付き申すべきや、22)トンと計られず、実に志士憤慨すべきの秋に御座候。

 因州・土州二侯には、容易ならざる御感慨、土州などは御国政一変の御思召候由、この間中、我が君上と頻りに御高論御座候。小拙も蔭ながら周旋仕り、折角我が君を23)セイコクに仕り掛け申し候。これ聊か賤臣の微忠にて、これにて何卒御英果御憤の御覚相立ち、已後如何様の大事落ち来り候とも、御踏堪らへ出来候やう致し度き心得に御座候。

 出立前御用立申し置き候『回天詩史』、御廻し下され候やう願ひ奉り候。相成り候はば、次鴻に願ひ度く候。『野史』の事おひおひ相調べ候処、この地には一向これ無く候。水府も同断。熊本一条、縷々御示諭の趣、承知致し候。如何様御尤に存じ奉り候。しかしこの表の御評議、唯見込過ぎと申すにてこれ無く候へども、過日彼方よりの追書の趣にては、先づ別段一応御往復御座候方、然るべく存じ奉り候。この節は西城やら、亜墨利加やら、一橋公の御講究やら、列公の御研究やらにて、御暇これ無く候。小拙も分外取込み候故、ここに24)カクヒツ仕り候。

 十一月廿八日          景鄂
 戇堂兄

 再伸、御国は雪も少く候由、この表は異常の暖気、この間は日々降雨、寒暖計四十七八度、五十度位に御座候。以上




注目してほしいのは左内の世界観、国家観のエッセンス。面白いのは、当時の世界を牛耳っていたイギリスとロシア。このいずれかを選ぶかについてはロシアと関係を深くするべきであるという点です。国境も接していることから馴染みのあるのはこちらだという。殖産興業・雇用創出の観点から、蝦夷地の開拓にも目を付けており、さらには中国やモンゴル印度などにも目星を付け、将来的には日本国の「領土拡大」を目指すべきであると考えています。長らく鎖国をしていたせいで国力が弱いのでアメリカなどと同盟を結んで、その力を借りなければならない。しかし、いずれは外に打って出るべきであると考えている。その手段としてアメリカと貿易の関係を結ぶべきだ。ただし、あまりに広げ過ぎると反って乗っ取られるので、開港する港を極力絞るべきだ。亜米利加を我が日本の東の一藩と見る位の気概が必要であるというのも興味深い。ロシアは兄弟、唇歯輔車の関係である。遠くの親戚より近くの他人ということでしょうか。

人材の養成も大事である。日本が足りない分野の人材をロシアやアメリカから借りてきて全国各地に広める。上意下達、国が一つにまとまって外と対峙しなければならない。薩摩藩も仲間に取りこまなければならない。この点はやはり外様の雄だけに幕府内にも懐疑的な声は強いことを左内は十二分に承知しています。西郷などとの親交で得たことでしょう。結局は幕府を倒す方に動くのですから、左内の死は痛かった相違ありませんね。結局、大局観のない幕府は目先の小事に拘泥し、自らの首を絞めたのです。ロシアとの和親は結局、不孝な日露戦争という形になって現れ、現在も領土問題という深い溝を抱えています。左内存命であればこの点でも違った展開があり得たでしょう。それほどに彼を失ったこの国は大きな損を抱えたのです。中国についてはあまり触れていませんが、アヘン戦争でぼこぼこにされた大国を目の当たりにして反面教師として西洋列強と付き合うべきだという考えに傾いていったのです。日本は中国に対しやや務りの態度を見せたのでしょう。その意味でも不孝な大国との関係ではありました。現在までに暗い影を投げかけている。ロシア、中国の問題は現在の局面打開に於いては重要なカギを握っているのは間違いなく、左内があと五十年存命であればと思わずにはいられません。



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「真の友」を饑渇して追い求めよ!=学習継続の決意へ「啓発録」(5)・最終回

あけましておめでとうございます。新しい2011年が訪れ、またひとつ無事に年を重ねることができました。今年の弊blogの運営方針はマンネリ打破。鳶肩、厭倦、偃蹇という、三つの「エンケン」を排除しながら、恬淡として更新を続けることを旨とさせていただきます。3月末には3年目に入ることから、自己内部に於いて何かしら“変化”があることを期待しつつ。

さて、昨年末来連載しております幕末の越前藩士、橋本左内の「啓発録」(講談社学術文庫、伴五十嗣郎全訳注)シリーズは5回目、最終回を迎えました。左内の漢詩を日本漢詩シリーズで味わったことがあります(ここ)。安政の大獄に連坐し可惜二十六年の命を失いました。彼の国家観、愛国心を今一度現代人も学ぶことには閉塞感打開の一幇助となりはしないか。彼や吉田松陰がもし幕末維新を乗り切っていたなら新たな歴史が刻まれたのは想像に難くないです。彼の死後、その考え方は幕末の志士達の精神的支柱となったことは間違いない。そうだとしても実際に政権を担う場合は全く異なるでしょうから、それを想像することしかできないのは忸怩たる思いに拉がれてしまいます。

左内の原点とも言える、十五歳に自らを奮い立たせるために認めた「啓発録」。書かれていることは一々基本的なものばかり。それほど奇を衒ったものではありません。厳しい自己統制を求めているだけなのです。国民一人一人がそれぞれの学びについて今一度、この2011年の年頭に当たり黙考してみる価値はありそうです。あまりにも経済優先で発展してきたこの国の限界が見えている。それではどうすればいいのか。結論は簡単には出ないが、その機会すら避けようというのであればもはや存在する意味はないのかもしれません。左内の激励でインスパイアされるかされないか。そこから「岐」は分かれるのです。

左内が最後に訴えるのは「択交友」。学びを継続する上で、学びから外れた時に叱咤してくれる朋友を選びなさいという。これは待っていて得られる存在ではありません。飢渇し求めなければ手に入らない。能動的な渇望、葛藤からしか生まれないものなのです。


■交友を択ぶ(択交友)

 交友は、吾が連・朋友の事にて、択ぶとはすぐり出す意なり。吾が同門同里の人、同年輩の人、吾と交りくれ候へば、何れも大切にすべし。さりながら、その中に損友・益友あり候へば、則ち択ぶと申す事肝要なり。損友は、吾に得たる道を以て、その人の不正の事を矯め直し遣すべし。益友は、吾より親を求め、事を1)り、常に兄弟の如くすべし。世の中に益友ほど有り難く得難き者はなく候間、一人にてもこれ有らば、何分大切にすべし。

 総て友に交るには、飲食2)カンゴの上にて付合ひ、遊山・釣魚にて狎合ひ候は宜しからず、学問の講究、武事の練習、侍たる志の研究、心合の吟味より交りを納れ申すべき事に候。飲食遊山にて狎合ひ候朋友は、その平生は腕を3)り肩を拍ち、互に知己知己と称し居り候へども、無事の時、吾が徳を補ふに足らず、有事の時吾が危難を救ひくれ候者にてはなし。これは成り丈屡出会致さず、吾が身を厳重に致し付合ひ候て、必ず4)コウジツ致し吾が道を5)さぬやうにして、何とか工夫を凝して、その者を正道に導き、武道学問の筋に勧め込み候事、友道なれ。

さて益友と申すは、兎角気遣ひな物にて、折々面白からざる事これ有り候。それを篤と了簡致すべし。益友の吾が身に補ひあるは、全くその気遣ひなる処にて候。「士、6)ソウユウ有れば、無道と雖ども令名を失はず」と申すこと経にこれ有り候。ソウユウとは即ち益友なり。吾が過ちを告げ知らせ、我を7)キダン致しくれ候てこそ、吾が気の付かぬ処の落ちも欠けも補ひたし候事相叶候なり。もし右の益友の異見を嫌ひ候時は、天子諸侯にして、諫臣を御疎みなされ候と同様にて、遂には8)ケイリクにも罹り、不測の禍をも招く事あるべきなり。

 さて益友の見立て方は、その人剛正9)キチョクなるか、温良篤実なるか、豪壮英果なるか、10)シュンマイ明亮なるか、11)カッタツ大度なるかの五つに出でず、これ等は何れも気遣ひ多き人にて、世間の俗人どもは、甚しく12)エンキ致し居り候者なり。彼の損友は、13)ネイジュウ善媚・14)アユ逢迎を旨として、15)フソウ弁慧・軽忽16)ソマンの生質ある者なり。これは何れも心安く成り易き人にて、世間の女子小人ども、その才智や人品を誉め居り候者なれども、聖賢豪傑たらんと思ふ者は、その択ぶ所自ら在る所あるべし。





交友にも損友と益友がいることに留意する必要があると左内は言います。損友だと分かったら自分の力でいい方向に導いてあげるべきだし、益友と言うべき人に出遭ったら、積極的に交際を求めて相談に乗ってもらい、兄弟のように交わるべきである。しかし、益友に遭う確率は相当に低いことを覚悟しておかねばならない。

飲み食いや歓楽の為に付き合う友を択ぶべきではない。学問を極め、武芸に励み、武士として備えるべき志や精神を求める中でこそ交わりを深めていくのがいい。快楽の為だけに付き合う友はやはり損友。いざというときに助けてはくれない。出来る限り正しい方向へ導いて上げ、自分と一緒に武道や学問の道を志すように歩むのがいい。

損友は一見、すぐに仲良くなれて気楽でいいように見える。一方、益友は時として気難しく面白くないことも多い。「孝経」にある「争友があれば、無道の人物でも名声を失うことはない」とのフレーズこそ噛み締めるべきである。争友とは自分の悪い点を遠慮会釈なく指摘して正してくれる益友のこと。益友の指摘は真摯に耳を傾けねばならず、耳に痛いかもしれないが、思わぬ災難から身を救ってもくれる。

どうやって益友を見分ければいいのでしょうか。五つの点があると左内は言う。厳格で意志が強いかどうか、温和で人情厚く誠実であるかどうか、勇気があり果断であるかどうか、才智が冴えわたっているかどうか、小事に拘泥せず度量が広いかどうか――。正直言っていずれも付き合うには気難しい要素かもしれません。世間の人からは嫌われがちの人物とも言えるでしょう。それに対して、損友は、他人に諂い媚び、気に入られるように阿ることばかりに専念して、小悧巧で落ち着きもなく、軽々しくていい加減な性質である。だから、かえって心安くなれるので一見付き合い上手とも言える。世間一般には褒められがち。しかし、聖賢豪傑であれば看破ることができるはずだ。友人として選ぶべきはどちらかということを。

左内の言辞は単純明快と言えるでしょう。恐らく現代の学校教育でもこうしたことをあらゆる機会を通じて教えているはずです。しかし、それが実際に出来ているかどうかは甚だ疑問です。友達を選べというのはなかなか難しい。孤独を避けるため、安易な交わりを結んでしまうのは致し方ない所でしょう。いずれ気が付くのですが、若いうちは仕方ないでしょうか。真の友人、益友はそうそう簡単に見つかるわけがないです。見つかればいいが見つからない。したがって、いろんな人と付き合ってみることも大事だ。自分の眼で耳で肌で感じる益友を自ら見つけるというプロセスが大事になるのです。失敗の中から成功を導きだす以外に道はない。「A friend in need is a friend indeed.」という格言はまさに至言。困った時こそ友人の一言に助けられることは多い。安易な爾汝の交わりもいいが、そろそろ本格的に自分を律するために何をどうしたらいいかを能動的に考え追い求めるように変えるべき時期に来ているのではないでしょうか。安佚の有効期限は短いのですから。。。。



 以上五目、少年学に入るの門戸とこころえ、書き聯ね申し候者なり。

 右、余、厳父の教を受け、常に書史に渉り候処、性質疎直にして柔慢なる故、遂に進学の期なきやうに存じ、毎夜17)ガキン中にて18)テイシにむせび、何とぞして吾が身を立て、父母の名を顕し、行々君の御用にも相立ち、祖先の19)イレツを世に輝かし度しと存じ居り候折柄、おひおひ吾が身に解得致し候事どもこれ有り候やう覚え申すに付き、聊か書き記し、後日の遺亡に備ふ。敢て人に示す処にあらず。

嗚呼、如何せん、吾が身20)トウケイの家に生れ、21)センギに局局として、吾が初年の志を遂ぐる事を得ざるを。然れども所業はここに在りても、志すところは彼に在り候へば、後世必ず吾が心を知り、吾が志を憐み、吾が道を信ずる者あらんか。
 嘉永戊申季夏
                       橋本左内誌



嘉永五年(1848)、十五歳で思いを書き連ねたもの。左内の後悔の跡が偲ばれる文章になっています。怠け者で気が弱いため、将来学問で身を立てたいと考えているが進歩できないのではないかと夜ごと枕をぬらしたという。成長するにつれて悟るものがあり、改めてこの「啓発録」を書きとどめて自分の胸に刻もうとしたのです。だから、世間に示す目的ではない。
医者を継ぐ宿命を背負って生まれてきた自分だが、これは本意ではないという。いつか本当の自分を理解してくれる人が現れて認めてくれることを祈願しつつ。。。

右「啓発録」は今を22)つること十許年前、余が手記するなり。その言浅近なりと雖も。当時を顧みるに憤恌の奮ひ且つしき、反つて今日の及ぶ所にあらざるなり。近頃たまたま旧「竹+貢」を撿してこれを獲たり。因りて一本を浄写し、愛友子秉及び弟持卿に示し、以て啓発の地と為す。嗚呼十年前、既に彼の如し、而して今日此の如し。則ち今よりして十年の後、それ将た何如ぞや。23)ハンエツの間、覚えず24)タンゼンたり。

 丁巳皐月

      景岳紀識す
時に年二十又四


安政四年(1857)の跋文です。十年前を振り返り認めた幼稚な文章ではあるが、その気概の激しさに於いては現在の自分を完全に凌駕している。たまたま古い書類を整理していて見つけたので新に清書してみた。ああ、思えば十年前、十五の私はこのような気概に溢れていたのだ。しかるに今の自分の体たらくには恥ずかしい思いでいっぱいだ。さあ、これから十年後の自分はどのような自分になり果てているのか。それを思うと赤面するしかない。



むろんその思いは叶えられるべくもなく散り果てます。しかし、明治維新のうねりの中で左内のスピリットは確実に精神的支柱となりました。西郷隆盛です。彼は左内の考えを受け継いで江戸から明治への政権交代を結実させました。愛国心です。西郷ほど国を愛した人を知りません。自らが生まれた国を愛せない奴がどうしてこの世に存えることができましょうか。もっと足元を見詰めましょう。足元がない奴にどうして先を見通すことができましょう。いまこそ左内の言辞に着目する意味はありそうです。

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「学ぶ」こととは詩文をつくり本を読むことではない!=学習継続への「啓発録」(4)

2010年の大晦日です。幕末の越前藩士、橋本左内の「啓発録」(講談社学術文庫、伴五十嗣郎全訳注)シリーズの4回目は「勉学」。最後まで手を抜かず勉めましょう。


■学に勉む(勉学)

学とはならふと申す事にて、総てよき人すぐれたる人の善き行ひ善き事業を迹付して習ひ参るをいふ。故に忠義孝行の事を見ては、直にその忠義孝行の行為を慕ひ1)ひ、吾も急度その人の忠義孝行に負けず劣らず、勉め行ひ候事、学の第一義なり。然るを後世に至り宇義を誤り、詩文や読書を学と心得候は、笑かしき事どもなり。詩文や読書は、右学問の具と申すものにて、刀欛鞘や、二階の2)カイテイの如きものなり。詩文読書を学問と心得候は、恰も欛鞘を刀と心得、カイテイを二階と存候と同じ、3)センロ4)粗麤の至りに候。

 学と申すは、忠孝の筋と文武の業とより外にはこれ無く、君に忠を竭し親に孝を尽すの真心を以て、文武の事を骨折り勉強致し、御治世の時には、御側に召使はれ候へば、君の御過ちを補ひ5)し、御徳を6)イヤマシに盛んになし奉り、御役人と成り候時は、その役所役所の事首尾能く取修め、依怙贔屓致さず、賄賂請謁を受けず、公平廉直にして、その一局何れもその威に畏れ、その徳に懐き候程の仕わざをなし申すべき義を、平生に心掛け居り、不幸にして乱世に逢ひ候はば、各々我が居場所の任を果して、7)コウゾクを討平げ、禍乱を克ち定め申すべく、或ひは太刀鎗の功名、組打の手柄致し、或ひは陣屋の中にありて謀略を賛画して敵を8)にし、或ひは兵糧小荷駄の奉行となりて万兵の飢渇致さず、兵力の減らざるやうに心配致し候事など、かねがね修練致すべき義に侯。

これ等の事を致し候には、胸に古今を包み、腹に形勢機略を9)ソランじ蔵め居らずしては、叶はぬ事ども多く候へば、学問を専務として勉め行ふべきは、読書して吾が知識を明らかに致し、吾が心胆を練り候事肝要に候。然る処年少の間は、兎角打続き業に就き居り候事を厭ひ、忽ち読み忽ち廃し、忽ち文を習ひ武を講ずといふやうに、暫くづつにて10)ケンタイ致すものなり。これ甚だ宜しからず。

勉と申すは、力を推し究め打続き推し遂げ候処の気味これ有る字にて、何分久しきを積み思ひを詰め申さず候はでは、万事功は見え申さず候。まして学問は物の理を説き、筋を明らかにする義に候へば、右の如く11)ケイコツ粗麤の致し方にて、真の道義は見え申さず、なかなか有用実着の学問にはなり申さぬなり。且又世間には愚俗多く候故、学問を致し候と兎角12)キョウマンの心起り、浮調子に成りて、或ひは功名富貴に念動き、或ひは才気聡明に13)り度き病、折々出で来候ものにて候。これを自ら慎み申すべきは勿論に候へども、茲には良友の14)キシン、至つて肝要に候間、何分交友を択み、吾が仁を輔け、吾が徳を足し候工夫これ有るべく候。






この項の劈頭で左内は厳しい一言を我々に与えてくれます。
「然るを後世に至り宇義を誤り、詩文や読書を学と心得候は、笑かしき事どもなり。」

学の意味を取り違えてはいけないという。詩や文をつくったり本を読むことは学ではない。あくまで手段であって目的ではないということを強調します。おっしゃるとおりでしょう。詩文や読書は、刀の外装を飾る欛(つか)や鞘(さや)であり、二階に上がるための階段である。刀の本分は切れ味鋭い刃であり、二階は高みの位置をいうのであってその道程は目的ではない。したがって、左内によれば、学はまねること、ならうこと。優れた人物の跡を追うこと。そこに到達できるよう負けじ魂を発揮することこそが学問の目的であると言い切ります。学ぶことの意味をもう一度ここに原点に立ち返り噛み締めたいと思います。

忠孝の精神と文武の道。この二つを追い求めることに尽きる。戦時であれ平時であれ、どちらにあってもこの二つを心掛け念頭に置くこと。そのために日頃の修練がある。その手段として読書がある。知識を広め深め心胆を練り上げておくこと。一心不乱に続けることが大事である。継続が勉めること。学問を鼻にかけたくもなろう、出世や富、名声を求めたくもなろう。しかし、これは病気だ。慎むべきであるのは論を待たない。誰にでもあるので悲観することはない。病気だから。良い友人から戒めてもらうのが一番だ。だから、こうした友人を択び、自分の徳を補ってもらうよう心掛けることが必要となる。


問題の正解は続きにて。。。




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人はどうでもいい、世の中と関わろうと志を立てよ!=学習継続へ「啓発録」(3)

幕末の越前藩士、橋本左内の「啓発録」(講談社学術文庫、伴五十嗣郎全訳注)シリーズの3回目は「立志」。心の甘えを捨て去り、自分に負けまいと心に決めた次に大事なことは自分の心を何処に持っていこうかと決めることです。揺るぎない方向性をはっきりと見出すことです。ぶれない。簡単ではありませんよ。厳しく身を律しながら、どんな困難にも立ち向かい、逃げずに一歩一歩前にだけ進むことが求められるのです。さあ、振り返りましょう。自分が志した物は何だったのか?

■志を立つ(立志)

 志とは、心のゆく所にして、我がこころの向ひ趣き候処をいふ、侍に生れて忠孝の心なき者はなし。忠孝の心これ有り候て、我が君は御大事にて我が親は大切なる者と申す事、聊かにても合点ゆき候へば、必ず我が身を愛重して、何とぞ我こそ1)キュウバ文学の道に達し、古代の聖賢君子・英雄豪傑の如く相成り、君の御為を働き、天下国家の御利益にも相成り候大業を起し、親の名までも揚げて、酔生夢死の者にはなるまじと、直ちに思ひ付き候者にて、これ即ち志の発する所なり。

志を立つるとは、この心の向ふ所を急度相定め、一度右の如く思ひ詰め候へば、弥々切にその向きを立て、常常その心持を失はぬやうに持ちこたへ候事にて候。凡そ志と申すは、書物にて大に発明致し候か、或ひは師友の2)コウキュウに依り候か、或ひは自分患難憂苦に迫り候か、或ひは憤発激励致し候かの処より立ち定まり候者にて、平生安楽無事に致し居り、心のたるみ居り候時に立つ事はなし。志なき者は、魂なき虫に同じ。何時まで立ち候ても、丈ののぶる事なし。志一度相立ち候へば、それ以後は日夜おひおひ成長致し行き候者にて、萌芽の草に3)コウジョウをあたへたるがごとし。

古より俊傑の士と申し候人とて、目四つ口二つこれ有るにてはなし。皆その志大なると、逞しきとにより、遂には天下に大名を揚げ候なり。世上の人、多く4)ロクロクにて相果て候は、他に非ず。その志太く逞しからぬ故なり。

志立ちたる者は、恰も江戸立ちを定めたる人の如し。今朝一度御城下を踏み出し候へば、今晩は今荘、明夜は木の本と申すやうに、逐々先へ先へと進み行き申し候者なり。譬へば、聖賢豪傑の地位は江戸の如し。今日聖賢豪傑に成らん者をと志し候はば、明日明後日と、段々にその聖賢豪傑に似合はざる処を取去り候へば、如何程段短才5)レッシキにても、遂には聖賢豪傑に至らぬと申す理はこれなし。丁度足弱な者でも、一度江戸行き極め候上は、竟には江戸まで到達すると同じき事なり。

扨右様志を立て候には、物の筋多くなることを嫌ひ候。我が心は一道に取極め置き申さず候はでは、戸じまりなき家の番するごとく、盗や犬が方方より忍び入り、とても我一人にて番は出来ぬなり。まだ家の番人は随分6)ヨウジンも出来候へども、心の番人はヨウジン出来申さず候。さすれば自分の心を一筋に致し、守りよくすべき事にこそ。兎角少年の中は、人人のなす事、致す事に目がちり、心が迷ひ候て、人が詩を作れば詩、文をかけば文、武藝とても朋友に鎗を精出す者あれば、我が今日まで習ひ居たる太刀業を止めて、鎗と申すやうに成り度ものにて、これは7)ショウガク取らぬ第一の病根なり。

故に先づ我が知識聊かにても開け候はば、8)トクと我が心に計り、吾が向ふ所、為す所をさだめ、その上にて師に就き友に謀り、吾が及ばず足らはぬ処を補ひ、その極め置たる処に心を定めて、必ず9)タタンに流れて、多岐10)ボウヨウの失なからんこと、願はしく候。凡て心の迷ふは、心の幾筋にも分れ候処より起り候事にて、心の11)フンラン致し候は、吾が志未だ一定せぬ故なり。心定まらず心収まらずしては、聖賢豪傑には成られぬものにて候。

 何分志を立つる近道は、経書又は歴史の中にて、吾が心に大に12)カンテツ致し候処を書抜き、壁に貼じ置き候か、又は扇などに認め置き、日夜朝暮夫を認め13)め、吾身を省察して、その及ばざるを勉め、その進むを楽しみ居り候事肝要にして、志既に立ち候時は、学を勉むる事なければ、志弥々ふとく逞くならずして、14)ヤヤもすれば聡明は前時より減じ、道徳は初めの心に慚づるやうに成り行くものにて候。





左内は武士ですから、これから自分が為すべきことを十五歳の時点ではっきりとさせたのです。主君と両親を大事にして、その両者に自分がいて良かったと思って貰えるようにする。そうすれば、つまらぬ一生を終えることができなくなる。志を高く掲げて、地に足を付けることから始めようではないか。呑気に安逸をむさぼっていては魂のない虫螻と同じ。十五歳で目標を決めて進めというのは多様化した価値観の広がる現代社会ではなかなか困難です。しかし、一つに決めることはない。社会とどうやって関わろうかという一点でいいと思います。左内が言った主君と両親。これこそが社会との関わりではないでしょうか。シンプルでいい。あれこもれもやろうとするから虻も蜂も取れないのである。何でもかんでもできるスーパーマンは今の世の中には必要ないでしょう。自分はこれで生きる、これこそが自分だとう確乎としたものがあればいいのではないか。心の迷いにつながるから。志が立たないのは迷いが多い証左でもあります。左内は言う。志を立てる上での捷径は、聖賢の教えや書物を読んで深く感じ入ったことを書き抜いて壁に貼り付けておいたり、いつも使う物、扇だとか、に書き記しておいたりすることだという。常にそれを眺めて内省を繰り返す可し。自分には足らないことが多いことを自覚して、それを埋めていく努力を続けること。それこそが学問であるという。学習であるという。自己の存在を世と関連付けて歩むこと。結果は付いてくる。結果を追い求めることが志を立てるのではないということは留意する必要がある。学問に励むこと、学問とは俗に言う勉強ではない。ここの勘所が難しいのです。左内の次の弁に依りましょう。


問題の正解は続きにて。。。



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今こそ負けじ魂を見せてくれようぞ=学習継続への「啓発録」(2)

幕末の越前藩士、橋本左内の「啓発録」(講談社学術文庫、伴五十嗣郎全訳注)シリーズの2回目は「振気」。稚心を棄て去った後になすべきことは、精神を奮い立たせて持続することです。高みへ高みへと自らを鼓舞することのなんと難しいことでしょう。去ったはずの甘えの心がまたぞろ頭を擡げてくるのを禁じ得ないばかりか、徒に安きに流れてしまうことも止めようがないのです。士気が低下しないようにするにはどうすればよいのでしょうか。左内の熱弁に耳を傾けることと致しましょう。

■気を振ふ(振気)

 気とは、人に負けぬ心立てありて、恥辱のことを無念に思ふ処より起る意気張りの事なり。振ふとは、折角自分と心をとゞめて、振ひ立て振ひ起し、心のなまり油断せぬやうに致す義なり。この気は生ある者には、みなある者にて、1)キンジュウさへこれありて、キンジュウにても甚しく気の立ちたる時は、人を害し人を苦しむることあり、まして人に於てをや。人の中にても士は一番この気強くこれ有る故、世俗にこれを士気と唱へ、いかほど年若な者にても、両刀を帯したる者に不礼を致さざるは、この士気に畏れ候事にて、その人の武藝や力量や位職のみに畏れ候にてはこれなし。

 然る処、太平久しく打続き、士風柔弱2)ネイビに陥り、武門に生れながら武道を忘却致し、位を望み、女色を好み、利に走り勢ひに付く事のみにふけり候処より、右の人に負けぬ、恥辱のことは堪へぬと申す、雄雄しき丈夫の心くだけなまりて、腰にこそ両刀を帯すれ、太物包をかづきたる商人、樽を荷うたる樽ひろひよりもおとりて、纔に雷の声を聞き、犬の吠ゆるを聞きても3)キャクホする事とは成りにけり。4)偖々嘆くべきの至りにこそ。

 しかるに今の世にも猶未だ士を貴び、町人百姓などお士様と申し唱ふるは、全く士の士たる処を貴び候にてはこれ無く、我が君の御威光に畏服致し居り候故、拠どころ無く5)のみを敬ひ候ことなり。その証拠は、むかしの士は平常は鋤鍬持ち、土くじり致し居り候へども、不断に恥辱を知り、人の下に屈せぬ心逞しき者ゆゑ、まさか事有るときは、吾が大御帝或ひは将軍家などより、募り召し寄せられ候へば、忽ち鋤鍬打擲げて、物具を帯して千百人の長となり、虎の如く狼の如き軍兵ばらを指揮して、6)ヒジの指を使ふごとく致し、事成れば芳名を7)セイシに垂れ、事敗るれば屍を原野に暴し、富貴利達死生患難を以て、その心をかへ申さぬ大勇猛・大剛強の処これ有るゆゑ、人人その心に感じ、その義勇に畏れ候へども、今の士は勇はなし、義は薄し、8)ボウリャクは足らず、とても千兵万馬の中に切り入り、縦横9)ムゲに駈廻る事はかなふまじ。況や10)イアクの内に在りて、11)を運らし勝を決するの大勲は、望むべき所にあらず。

 さすればもし腰の両刀を奪ひ取り候へば、その心立て、その分別、尽く町人百姓の上には出で申すまじ。百姓は平生骨折を致し居り、町人は常に職業渡世に心を用ひ居り候ゆゑ、今もし天下に事あらば、手柄功名はかへつて町人百姓より立て、福島左衛門大夫・片桐助作・井伊直政・本多忠勝等がごとき者は、士よりは出で申さゞるべきかと思はれ、誠に嘆かはしく存ずる。

 け様に覚のなきものに高禄重位を下され、平生安楽に成し置かれ候は、扨扨君恩のほど申す限りなきこと、辞には尽しがたし、その御高恩を蒙りながら、不覚の士のみにて、まさかのときに我が君の恥辱をさせまし候ては、返す返す恐れ入り候次第にて、実に寝ても目も合はず、喰うても食の咽に通るべきはずにあらず。ことさら我が先祖は国家へ対し奉り、聊かの功もこれ有る可く候へども、その後の代代に到りては、皆皆手柄なしに恩禄に浴し居り候義に候へば、吾吾共聊にても学問の筋心掛け、忠義の片端も小耳に挟み候上は、何とぞ一生の中に粉骨砕身して、12)ロテキほどにても御恩に報ひ度き事にて候。

 この忠義の心を13)タワまさず引き立て、迹還り致さぬやうに致し候は、全く右の士気を引き立て振ひ起し、人の下に安んぜぬと申す事を忘れぬこと肝要に候。さりながら只この気の振ひ立ち候のみにて、志立たぬ時は、折節氷の解け酔のさむる如く、迹還り致す事これ有る者に候。故に気一旦振ひ候へば、方に志を立て候事、甚だ大切なり。



負けじ魂を奮い立たせて弛緩することなく奮励することを説きます。武士が本来備えていた士気がいつしか失われたしまったことに危惧の念を強めます。出世や遊興、損得勘定ばかりが優先される。武士の本文を見失った輩は町人百姓よりも劣るのだと扱き下ろします。伴食宰相ではないか。人には負けないという気概こそ今再び思い起こせ。安きに流れるな。世のため人のためとは言わない。まさに自分自身の価値のために粉骨砕身、主君の忠義に報い切る覚悟こそ必要であろう。途中に出てくる「福島左衛門大夫・片桐助作・井伊直政・本多忠勝」は豊臣秀吉に仕えた福島・片桐、徳川家康に仕えた井伊・本多のこと。武士の代表であり、いまこそ見習うべき存在として出しています。

悔しさを忘れてはいけません。長い人生です。偶には失敗もあるでしょう。しかし、負け癖がついてしまったら何の前進もないのです。失敗から最大限学ぶこと。負けたら次は勝つという気概が必要。この世に生を享けた証です。気持ちを強く持つこと。そして、志をしっかりと立てること。何のために己は存在するのか、行動するのかをしっかりと見極めよと左内は言う。次回は「立志」です。「志」こそが学習の継続には最も欠かせないことでしょう。


問題の正解などは続きにて。。。



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稚心を捨て去ることから始めよう=学問の道を志す「啓発録」(1)

本日から数回にわたり、幕末の越前藩士、橋本左内の「啓発録」(講談社学術文庫、伴五十嗣郎全訳注)を取り上げます。これは嘉永元年(1848)左内が十五歳の時に、偉人英傑の言行や精神を学んで、自らを鞭撻するための「戒め」としてメモっておいた文章ですが、あらゆる学問を志す者のための「手引書」とも言える単純明快な内容です。「啓発」の二字は「論語」述而篇に見える孔子の言葉「憤せずんば啓せず、悱せずんば発せず」から取られたものです。いまここに学習者としての原点に立ち返るために味わってみることにします。2010年も終わり、新しい2011年を新たな気持ちで迎えることを祈念してしたためます。啓発録は五つの内容で構成されています。まずは学問に対する甘えの心を棄て去るために「去稚心」を説きます。


■稚心を去る(去稚心)


 稚心とは、をさな心と云ふ事にて、俗にいふわらびしきことなり。菓菜の類のいまだ熟せざるをも稚といふ。稚とはすべて水くさき処ありて、物の熟して旨き味のなきを申すなり。何によらず、稚といふことを離れぬ間は、物の成り揚る事なきなり。

 人に在りては、竹馬・紙鳶・1)ダキュウの遊びを好み、或ひは石を投げ虫を捕ふを楽み、或ひは糖菓・2)ソサイ・甘旨の食物を貪り、怠惰安佚に耽り、父母の目を窃み、藝業職務を3)り、或ひは父母によしかゝる心を起し、或ひは父兄の厳を4)ハバカりて、兎角母の5)シッカに近づき隠るゝ事を欲する類ひ、皆幼童の水くさき心より起ることにして、幼童の間は強ひて責むるに足らねども、十三四にも成り、学問に志し候上にて、この心毛ほどにても残り是れ有る時は、何事も上達致さず、とても天下の大豪傑と成る事は叶はぬ物にて候。源平のころ、並に元亀・天正の間までは、随分十二三歳にて母に訣れ、父に暇乞して初陣など致し、手柄功名を顕し候人物もこれ有り候。これ等はみな稚心なき故なり。もし稚心あらば、親の6)の下より一寸も離れ候事は相成り申すまじく、まして手柄功名の立つべきよしは、これなき義なり。
 且つまた稚心の害ある訳は、稚心除かぬ時は士気は振はぬものにて、いつまでも腰抜け士になり居り候ものにて候。故に余稚心を去るをもつて、士の道に入る始めと存じ候なり。




「わらびしき」とは「わらべしい(童しい)」の俗語。子供じみた、おさないという意味。物が熟して美味しくなる前、すなわちまだ完成しない水っぽい感じであることをいう。遊びばかりに夢中になり、食べ物も甘い者や好物ばかりをお求める年頃です。親の眼を偸んでは勉強や稽古事をなまけて母親の陰に隠れて甘える甘ちゃん。これらはすべて「稚心」から生じていると左内は言う。しかし、十三四歳にもなって学問を志すとき、この心がちょっとでも残っていたら何をしても上達しない。源氏や平氏が活躍した時代、織田信長ら戦国武将が群雄割拠したころまでは子供も親元を離れ初陣に参加し、敵を討ち取っては武名を轟かせる者も多少はいたものだ。それは稚心がすっかり取り払われていたからである。腰抜け侍から一生脱しきれなくなる。学問を志すにはまずこの稚心を棄てるべきだ。孤独な学問に身を投じる覚悟を問うています。だれに頼ることもできない。信じるのは自分だけ。成功しても失敗しても自分の責任であり手柄である。人に凭り掛かる姿勢を根本から拭い去らなければ学問をやる価値がない。適当に遊びでお茶を濁せばいい。それは単なる飯事でしかないのだが、それはそれで遊ぶ価値はある。一生甘えていれば楽だよね。左内は最後武士道に入る覚悟が稚心と永訣することが第一歩だとしていますが、武士道は現代社会にそぐわない。やはり学問でしょう。厳しい道を選ぶべきであり、一歩入ったが最後戻ることは許されない。誰も助けてはくれない。政治家にも与えたい言葉です。「稚心を捨てよ」。

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言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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