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ピカドン!…日本最後の漢詩人とも呼ばれる土屋竹雨のど迫力の漢詩はいかが?=「原爆行」

日本漢詩シリーズの最後は土屋竹雨(1887~1958)の「原爆行」。竹雨という漢詩人については、明治書院・新書漢文大系シリーズ⑦「日本漢詩」(P235)によると、「山形県鶴岡の人。数多くの詩社に関係し、昭和の前半を代表する漢詩人であった」とありますここ。ネットで検索すると「日本の漢詩は竹雨で終わった」のコメントも見えます。庄内藩士の家に生れ、戦後現在の大東文化大の学長も務めました。

前置きはともかく詩を味わってみてください。日本最後の漢詩人はさすがにど迫力ですよ。

怪光一綫下■■
■■地震天日昏
一刹那間陵谷変
城市台榭帰■■
此日死者三十万
生者被創悲且■
死生■■不可識
妻求其夫児覓親
阿鼻叫喚動天地
■■血流屍横陳
殉難殞命非戦士
被害総是■■民
広陵惨禍未曾有
■■更襲崎陽津
A)二都荒涼雞犬尽
壊牆墜瓦不見人
如是残虐天所怒
■■更過狼虎秦
君不聞■■鬼哭夜達旦
■■雨暗飛青燐

怪光一綫1)ソウビンより下る、
2)コツゼン地震うて天日昏し。
一刹那の間陵谷変じ、
城市台榭3)カイジンに帰す。
此の日死する者三十万、
生ける者は創を被り悲しみ且つ4)ウメく。
死生5)ボウボウとして識るべからず、
妻は其の夫を求め児は親を覓む。
阿鼻叫喚天地を動かす、
6)ハクトウ血流れて屍横陳す。
難に殉じ命を殞とすは戦士に非ず、
害を被るは総て是れ7)ムコの民。
広陵の惨禍未だ曾て有らず、
8)コグン更に襲う崎陽の津。
A)二都荒涼雞犬尽き、
壊牆墜瓦人を見ず。
是の如き残虐は天の怒る所、
9)キョウボウ更に過ぐ狼虎の秦。
君聞かずや10)シュウシュウとして鬼哭し夜旦に達し、
11)ザンカク雨暗くして青燐を飛ばすを。





明治書院(P240)によりますと、「漢詩というスタイルがこのような表現力を持っていることに、まず驚きを禁じ得ない。私たちが目にする漢詩の多くは、一言で言えばあらゆる意味において名場面を描いている。春の花、秋の夕暮れ、山中での悠々たる生活。この詩はそうした漢詩の持つイメージを一変させる。すべて一四三字、たったこれだけの文字で原爆の惨状をかくまで写す詩を他に知らない」と解説されています。続けて、「事は誰もが知っている同時代の出来事であるだけに、読者の胸に圧倒的な力をもって迫ってくる。叙事詩とは本来そういったものなのであろう」とあります。

逐一の細かな解釈は省きますが、冒頭の「怪光一綫」はまさに原爆の異称である「ピカドン」と符合する。週刊少年ジャンプで連載された漫画「はだしのゲン」の世界ですね。「一閃」ではなく「一綫」。「綫」は「線」の異体字。ひとすじの怪しい光。「陵谷変じ」は、詩経・小雅にある「高岸為谷、深谷為陵」が出典で「物事の激しい変化・盛衰をたとえる言葉」。滄桑之変ともいう。「陵」は「みささぎ・おか」の意。「台榭」(タイシャ)は「土を盛り上げた見晴らし台と、屋根のある見晴らし台、高殿」。「横陳」は「横たわり並ぶこと」。死体の数が多いさまを言う。「雞犬」は「にわとりといぬ」ですが、陶淵明の桃花源記のタームで「街が平和である象徴」。「壊牆墜瓦」(カイショウツイガ)は「垣根が壊れ、屋根瓦が崩れたさま」をいう。「狼虎の秦」は、米軍の残虐な行為を中国の秦の暴謔に喩えた言葉。狼や虎のように残虐無比である。最後の「青燐を飛ばすを」は明治書院の読み下しでは「青燐飛ぶを」となっていますが、「飛ぶ」は自動詞でなく他動詞で読むべきでしょう。「君不聞」は唐詩で頻出の表現。楽府体の詩の常用語です。読者に向かって「君」と呼びかけて、同意を強く求める効果があり、読者を臨場感たっぷりに詩の世界に引き込んでいくのです。

明治書院には書かれていませんが、この詩は明らかに杜甫の「兵車行」を本歌取りとして詠まれています。杜甫が四十歳の時、出征兵士との問答形式で玄宗皇帝の領土拡大政策を批判しました。兵車行の表現が随所に鏤められています。今回は省きますが、機会があればこの詩もご紹介したいですね。ただ一点だけ。兵車行は唐代の事なんですが、漢代の武皇と称し、漢代の批判をしているところがミソ。竹雨の「原爆行」も「胡軍」や「狼虎の秦」などの言葉を用いており、どこにも米軍の「べ」の字もありません。いかにも中国風にアレンジしているのです。日本の地名も支那風味で採り入れています。恐らく戦後間もなき頃に詠まれた詩であり、GHQの検閲も厳しかったことから、直接的な表現を控えたものと思われます。むろん、元々が漢詩であって支那風味になっているので原爆投下という怖ろしい風景が三国志か何か遠くの国の出来事のようにしている点がさらに恐ろしさを増している。竹雨は決して米軍批判をしたいがためだけで詠んだのではないでしょう。そうした事態を招いた日本政府の無為無策。歴史の隘路。常に政治の犠牲者は罪のない国民であり、国が変わらなければならないことを訴えたかった。「殉難殞命非戦士 被害総是無辜民」。

明治書院の最後には「漢詩というスタイルが今なお重要な表現手段であることを再認識させる詩として長く記憶されねばならない作品である」と結んでいます。この言辞は噛み締めたいと思います。このblogが存在する限り、折に触れて漢詩を紹介していくつもりです。


■下線部A)の具体的都市名を詩中より抜き出して書け。

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「頭数だけ揃えるんじゃねぇ!志持てよ」って言いたくなる憂国の漢詩はいかが?=「党人歎」

「消費増税する前に国民に信問え」「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加なら解散しろ」――。相も変わらず国会論戦が低レベルの極みを続けていますね。今が勝てると思えば(国民の票が取れると思えば)、野党議員は選挙、選挙の連呼です。今の政治家は思考回路が短絡過ぎる。それは政権を獲ることだけが目的化されているからです。二大政党による政権交代が初めて現実化したばかりで「やられたらやり返す」といった怨念しかないのが見え見え。政党ってなんだろう?小選挙区制が政治家の質を落としたと今更詮方ない繰り言も聞かれますが、そんなことはない。小であれ中であれ大であれ、要は個人の資質の問題。志に関わるものです。政治家の質は、政党政治が始まった明治期から低かったのです。そんな混沌とした離合集散が繰り広げられていた創世記に、堕落した政党人を歎いた漢詩人がいました。彼の名は安井朴堂(1858~1938)。明治書院・新書漢文大系シリーズ⑦「日本漢詩」(P223)によると、「朴堂は通称の小太郎を用いて、安井小太郎と呼ばれることが多い。安井息軒の外孫。島田篁村の門に学び、明治・大正・昭和の三代にわたって子弟の教育にあたり、その講義録が主な著作になっている」という人物。

同書に所収されている朴堂の詠じた「党人歎」は、「明治三十一、二年ごろの政党人の対立、抗争、謀略に憤慨して作ったもの。この時期の政界は、伊藤博文の立憲政友会結成の前夜で、大隈重信、板垣退助、山形有朋、松形正義らが抗争をくり返していた」とあります。

【白文】
党人党人汝何職
飢則■■飽則黙
党利甚重国利軽
■■幾百尽臧獲
巧言如■■為烏
手握利権虎有翼
天子待汝以国士
盍致臣節任■■
山可抜兮鉄可磨
嗟乎党人如汝何



【読み下し文】

党人党人汝何の職ぞ、
飢うれば則ち1)ホウコウし飽けば則ち黙す。
党利甚だ重くして国利軽し、
2)トウロ幾百尽く3)臧獲
巧言4)コウのごとく5)サギを烏と為す、
手に利権を握れば虎に翼有り。
天子汝を待つに国士を以てす、
6)ぞ臣節を致して7)ホヒツに任ぜざる。
山は抜くべく鉄は磨すべし、
8)嗟乎党人汝を如何せん。



朴堂は、聊か侮蔑的なニュアンスを含みながら「党人」と呼びかけます。もちろん彼らは国民の代表である代議士でもあります。しかし、何のために政党があって議員がいるのか分からなくなる。そんな風体に呆れて「党利」と「国利」を天秤に掛けます。一体君らはどちらが重いのか分かっているのかい。頭数だけ多い国会議員に業を煮やす。まるで盆暗の奴隷のようだと扱き下ろす。口先だけ御上手。白い物までみんな黒と言い含められるテクニック。奴らは弁論のテクだけは長けているのだ。そして、いったん政権を取ってしまえば鬼に金棒、虎に翼。為虎傅翼。明治時代の風景がそのまま100年以上たった現在の姿に重なりませんか?まるで進歩がないのです。最後の四句はそのままいまの国会議員に贈りたい。天皇陛下はいまや国民の象徴ですが、国民の代表であるはずの「国士」がどこにもいないではないか。国を憂うべきであろう。そうすれば何をどうすればいいか自ずと判然とするではないか。政党や議員は単なる手段にすぎぬであろう。民主主義が数合わせのゲームにすり替えられている。志のある奴はおらんのか。気がつけば国がなくなりかねないとも限らないのに、そうした危機感のある奴は一人もおらんのか?

朴堂は子弟教育に生涯を捧げました。人材の払底こそが国力の衰退を招くとの危惧を持っていたのです。それは眼前の政治に代わる新しい政治の担い手を育てたいという一心しかなかったのではないでしょうか。日本国が大きく姿を変えた幕末維新を目の当たりにした人だからの視点だった。幕末の推進力が変形していったことが看過できなかった。経済破綻が世の中を揺るがす昨今、新しい政治が必要であるのは言うまでもない。それを担える人材を育てることこそ求められているのではないでしょうか。そんな思いを新たにさせてくれた憂国の思いに満ちた漢詩でした。


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「この恨み晴らさでおくべきか」…恐怖のどん底に落ちる漢詩はいかが?=「牛蠱行」

横井也有の「鶉衣」シリーズはまだ終えるつもりないですが、一方で満腹感も出てきたのが正直なところ。一つの作家やジャンルにこだわることなく、鶉衣も含めて、思い付くままにさまざまな文献を不定期に取り上げることといたします。過去に御紹介したものでも面白い物があれば再登場もあるかも。その中で以前連載した日本漢詩シリーズですが、明治以降の作品が疎かでした。欧米文化が浸透するにつれ隅っこに追いやられ現在に至る漢詩。その筋肉質な文体は簡にして要。言いたいことをズバズバと言える勝れ物です。敢えて言います。これを翫わわずして「漢字学習者」を語る勿れ。

今回から三回シリーズで「へぇ~、漢詩ってこんなものまで詠めるんだ」と漏らすこと必定の三作品を取り上げます。第一回は、大須賀筠軒(1841-1912)の「牛蠱行」(明治書院・新書漢文大系シリーズ⑦「日本漢詩」所収)。同書によれば、筠軒は磐城平(現在の福島・いわき市)の人。江戸・昌平黌に学び、安積艮斎の指導を受け、明治維新後、仙台に住み、第二高等学校の教授を務めました。中央に出ることはなく生涯を東北の地で過ごし、子弟の教育に当たりました。

さて、この「牛蠱行」ですが、人間の怨念に満ち満ちており、何ともおどろおどろしい内容になっています。「牛」は「丑の刻」のこと。草木も眠る丑三つ時。「蠱」は「のろい」。もともとは、まじないに用いる虫のこと。一つの器に虫を入れて共食いさせて、生き残った虫の毒気でかたきをのろう迷信から来ています。ここから転じて女性がその色香によって男性を惑わす意味が派生。蠱惑(コワク)の語が生まれました。蠱疾(コシツ)とは、「女性関係から来る心の乱れ」を言います。同じ「コシツ」でも、「煙霞痼疾」とはまた別の代物ですよ??

【白文】
草木夜眠水声冷
神灯欲死痩於星
千年■■半身朽
仄立■■鬼気腥
纏素娘子藍如面
頭戴■■手鉄釘
長髪■風鬅鬆乱
石壇無人影伶仃
泣掣鈴策拝且訴
此恨不徹神無霊
※釘響絶夜■■
■■一声山月青

※=「手ヘン」+「豕の下に一」→「うつ」と訓読。音読みは「タク」。

【読み下し文】
草木夜眠って水声冷やかに、
神灯死えんと欲して星よりも痩せたり。
千年の1)ロウサン半身朽ち、
仄立の2)コビョウ鬼気腥し。
素を纏える3)娘子藍如たる面、
頭には4)ギンショクを戴き手には鉄釘、
長髪風に5)クシケズって6)鬅鬆乱る、
石壇人無く影伶仃。
泣いて鈴策を7)いて拝し且つ訴う、
此の恨み徹らずば神も霊無しと。
釘を※つ響き絶えて夜8)ゲキセキ
9)老梟一声山月青し。



同書によりますと、鬼気迫る「丑の刻まいり」を詠んだ詩とあります。「嫉妬深い女が、人を呪い殺すために、丑の刻(午前二時ごろ)神社に参り、頭上に五徳(三脚の金輪)をのせ、ろうそくを灯して、手に釘と金鎚を持ち、胸に鏡を吊るし、呪う相手の人形を神木に打ちつけると、七日目の満願の日にはその人が死ぬと信じられていた」といいます。京都の貴船神社が有名。

前後の文脈はあるのでしょうが、この漢詩だけいきなりぽんと出されると何とも怖ろしいですね。「伶仃」(レイテイ)は「一人ぽつんと立つさま」。「零丁孤苦」(レイテイコク)という成句が李密の「陳情表」が出典であることは以前学習しました(ここ)が、この「零丁」と同義です。とにかく孤独なのです。

「此恨不徹神無霊」――。聖なる神をも威嚇する鬼気迫るフレーズ。まさに鬼の形相とはこの事を言うのでしょう。最後の「老梟一声山月青」はいかにも漢詩という一節ですが、その情景と余韻はこの詩を読み終えた人を恐怖のどん底に落し入れますね。もしも自分が誰かに恨みを買って呪われていたら…?そんな空恐ろしい妄想すら現実感を伴って襲い来ることを止められません。漢詩の持つ一定の単調なリズムが却って恐怖心を煽ります。七日目の夜の描写なのでしょうね。最後の釘を打ち終えた後、牛と出逢うらしい。そして、その牛を乗り越えた暁に願いがかなうといいます。まさに「牛蠱行」。こんなに怖ろしい漢詩を読んだのは初めてです。人の心理描写にはあまり向いていないとされる漢詩ですが、そんなことはない。かくも内面を描写できる漢詩の持つ潜在力に圧倒されました。少し寒くなってきました。この辺で終えておきましょう。

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あの素晴しい日本漢詩をもう一度=復習篇⑦・完結+新シリーズ予告篇

本日で復習は終了です。日柳燕石、前原一誠、西郷隆盛、桂小五郎、成島柳北、草場船山の6詩人、10作品です。

①「問盗」(日柳燕石)

問盗何心漫害民    盗に問う何の心ぞ漫に民を害すと
盗言我罪是■■    盗は言う我が罪は是れセンジン
錦衣繡袴堂堂士    錦衣繡袴堂堂の士
白日公然剝取人    白日公然人を剝取すと

②「夜登象山」(日柳燕石)

崖圧人頭勢欲傾    崖は人頭を圧し 勢傾かんと欲す
満山霊気不堪清    満山の霊気 清に堪えず
夜深天狗来休翼    夜深く天狗来たりて翼を休む
十丈■■揺有声    十丈のロウサン揺いで声あり

③「逸題」(前原一誠)

■■鉄衣過一春    カンバ鉄衣一春を過る
帰来欲脱却風塵    帰来風塵を脱却せんと欲す
一場残酔曲肱睡    一場の残酔肱を曲げて睡る
不夢周公夢美人    周公を夢みず美人を夢む

④「辞世」(前原一誠)

今我為国死    今我国の為に死なんとす
死不負君恩    死して負わず君の恩
人事有■■    人事ツウソク有り
乾坤吊吾魂    乾坤に吾が魂を吊るさん

⑤「偶成」(西郷隆盛)

幾歴辛酸志始堅    幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し
丈夫玉碎恥■■    丈夫玉碎センゼンを恥ず
一家遺事人知否    一家の遺事人知るや否や
不為児孫買美田    児孫の為に美田を買わず

⑥「山行」(西郷隆盛)

駆犬衝雲独自攀    犬を駆り雲を衝いて独り自ら攀じ
豪然長嘯断峰間    豪然として長嘯す断峰の間
請看世上人心険    請う看よ世上人心の険なるを
■■艱於山路艱    ショウレキするは山路の艱きよりも艱し

⑦「偶成」(西郷隆盛)

再三■■歴酸辛    再三のリュウザン酸辛を歴たり
病骨何曾慕俸緡    病骨何ぞ曾て俸緡を慕わん
今日退休相共賞    今日退休して相い共に賞す
団欒情話一家春    団欒の情話一家の春を

⑧「偶成」(桂小五郎)

一穂寒燈照眼明    一穂の寒燈眼を照らして明かなり
沈思黙坐無限情    沈思黙坐すれば無限の情
回頭知己人已遠    頭を回らせば知己の人已に遠し
丈夫畢竟豈計名    丈夫畢竟豈名を計らんや
世難多年万骨枯    世難多年万骨枯る
廟堂風色幾変更    廟堂風色幾変更
年如流水去不返    年は流水の如く去りて返らず
人似草木争■■    人は草木に似てシュンエイを争う
邦家前路不容易    邦家の前路容易ならず
三千余万奈蒼生    三千余万蒼生を奈んせん
山堂夜半夢難結    山堂夜半夢結び難し
千嶽万峰風雨声    千嶽万峰風雨の声

⑨「那耶哥羅観瀑詩」(成島柳北)

客夢驚醒枕上雷    客夢驚き醒む枕上の雷
起攀老樹陟崔嵬    起って老樹を攀じて崔嵬を陟る
夜深一望乾坤白    夜深一望乾坤白し
万丈■■捲月来    万丈のシュレン月を捲いて来る

⑩「桜花」(草場船山)

西土牡丹徒自誇    西土の牡丹徒に自ら誇る
不知東海有名■    知らず東海に名有るを
徐生当日求仙処    徐生当日仙を求めし処
看做祥雲是此花    看て祥雲と做せるは是れ此の花



草場船山まででお浚いは終了です。ところで、復習をしていて一点、大きな誤りに気付きました。

元幕臣でジャーナリストの成島柳北。彼の詩では、8月16日付の本編の記事ではもう一つ「塞昆」をご紹介いたしました。

夜熱侵入夢易醒    夜熱人を侵して夢醒め易し
白沙青草満前汀    白沙青草前汀に満つ
故園応是■■節    故園応に是れソウコウの節なるべし
驚看蛮蛍大似星    驚き看る蛮蛍の大いさ星に似たるを



その前段の「那耶哥羅観瀑詩」と合わせて明治6~7年(1873~74)に欧米諸国を漫遊した際に詠じたものでした。それは間違っていないのですが、明治書院にあった解説を引用して「…サイゴンはヨーロッパから帰郷する際の寄港地。ここで船を休め、あとは香港に寄るだけ。…」とあったものですから、迂生が勝手に解釈して「先ほどの外遊の帰途の一齣でしょう」とやってしまいました。これは間違いです。柳北はこのサイゴンの時点では欧米の旅に赴く途上にあったのです。帰途ではありません。欧州はまだまだ前途です。明治書院につられ確認もせずに記してしまいました。日本を離れてまだアジアではあるものの、「ああ日本ではそろそろ霜の降りる頃だというのにかくも暑いものだ」と、巨大な蛍の放つ光を見ながら、次第におセンチになって行くさまを描いたものだったのです。

これに何故気がついたか?と言いますと、実は某所の書肆において岩波文庫の「幕末維新パリ見聞記」(井田進也校註)を見つけました。柳北の外遊日記である「航西日乗」のほか、栗本鋤雲の「暁窓追録」が採録されています。これを読み進めたところ、誤りに気付きました。この「航西日乗」は新約克(ニューヨーク)に到着した明治7年6月1日のくだりで終わっており、「那耶哥羅観瀑詩」は残念ながら掲載されていませんでした。

しかし、この日記は面白い。漢文調で(実際に彼が書いたのは漢文なのでしょう)事物や行動が淡淡と書き連ねられているのみならず、いちいち、漢詩も書かれています。柳北の律儀な性格と観察眼が表れているのですが、明治維新初期の日本人が海外で何を思い、何を感じ取ったのかがよく分かります。柳北にとって漢詩は特別なものではなくむしろ日記を書くための道具だったのです。すばらしい教養と言えるでしょう。

この文庫本が刊行されたのが2009年10月ですが、知りませんでした。こんないい本が出ていたんですね。岩波書店に限らず、昔の出版物にもっと容易にアクセスできるよう復刻するなり、どんどん出してほしいと思いますね。「宝の持ち腐れ」ですよ。出版界は、「●上春■」の如き売り上げにばかり阿るような作品ではなく、われわれ素人の知ろうという意欲をどんどん掻き立てる作品をもっと世に出してほしいものです。しかもそれは現代に限らず、過去において既に世に一度は出ていたものなのです。切に願います。お金を出せば読めるのでしょうが、いかに廉価にできるかが勝負ですから。

そこでなんですが、折角の「邂逅」です。この成島柳北の日記「航西日乗」の一端をしばらく味わうことといたします。次回から成島柳北の新シリーズのスタートです。もちろん、漢詩はたっぷり。130年以上前のパリをはじめとする欧州各国やアジア諸国の風物も面白い。そして、元儒学者である柳北の教養あるユーモアも混じった文章。これは面白いですよ。ところで、日本漢詩シリーズは忘れていません。明治期のプロ漢詩人や文化人らの漢詩がまだ残っています。秋めくころにまた戻ろうと思いますので、ご容赦ください。

あの素晴しい日本漢詩をもう一度=復習篇⑥

①「春簾雨窓」(頼三樹三郎)

春自往来人送迎    春は自ら往来して人は送迎す
愛憎何事別陰晴    愛憎何事ぞ陰晴を別つ
落花雨是催花雨    花を落とすのは雨是れ花を催すの雨
一様■■前後情    一様のエンセイ前後の情

②「過函嶺」(頼三樹三郎)

当年意気欲凌雲    当年の意気雲を凌がんと欲す
快馬東馳不見山    快馬東に馳せて山を見ず
今日危途春雨冷    今日危途春雨冷やかなり
■■揺夢過函関    カンシャ夢を揺るがして函関を過ぐ

③「獄中作」(橋本左内)

二十六年如夢過    二十六年 夢の如く過ぎ
顧思平昔感滋多    顧みて平昔を思えば感滋々多し
天祥■■嘗心折    天祥のタイセツ 嘗て心折す
土室猶吟正気歌    土室猶お吟ず正気の歌

④「絶命詩」(黒沢勝算)

呼狂呼賊任他評    狂と呼び賊と呼ぶも他の評に任す
幾歳妖雲■■晴    幾歳の妖雲 イッタンに晴る
正是桜花好時節    正に是れ桜花の好時節
桜田門外血如桜    桜田門外血桜の如し

⑤「出郷作」(佐野竹之助)

決然去国向天涯    決然 国を去りて天涯に向かう
生別又兼死別時    生別 又た兼ぬ死別の時
弟妹不知阿兄志    弟妹は知らず阿兄の志
慇懃牽袖問■■    慇懃に袖を牽きてキキを問う

⑥「竹」(藤森天山)

■■千竿竹    ユウケイ千竿の竹
相依積雪時    相依る積雪の時
低頭君莫笑    低頭君笑う莫かれ
高節不曾移    高節は曾て移さず

⑦「獄中作」(児島強介)

愛読文山正気歌    愛読す文山正気の歌
平生所養顧如何    平生の養う所顧うに如何
従容唯待就刑日    従容として唯だ待つ刑に就くの日
含笑■■知己多    笑いを含むキュウゲン知己の多きに

⑧「送吉田義卿」(佐久間象山)

之子有霊骨    之の子霊骨有り
久厭蹩★群    久しく厭う蹩★の群れ(★=薛+足=サツ)
振衣万里道    衣を振るう万里の道
心事未語人    心事未だ人に語らず
雖則未語人    則ち未だ人に語らずと雖も
忖度或有因    忖度するに或いは因有り
送行出郭門    行を送って郭門を出ずれば
孤鶴横■■    孤鶴シュウビンに横たわる
環海何茫茫    環海何ぞ茫茫たる
五洲自成隣    五洲自ら隣を成す
周流究形勢    周流して形勢を究めよ
一見超百聞    一見百聞に超えん
智者貴投機    智者は機に投ずるを貴ぶ
帰来須及辰    帰来須らく辰に及ぶべし
不立非常功    非常の功を立てずんば
身後誰能賓    身後誰か能く賓せん

⑨「囚中作」(高杉晋作)

君不見死為忠鬼菅相公    君見ずや死して忠鬼と為る菅相公を
霊魂尚在天拝峰       霊魂尚在り天拝峰
又不見懐石投流楚屈平    又見ずや石を懐いて流れに投ず楚の屈平
至今人悲汨羅江       今に至るまで人は悲しむ汨羅江
自古■■害忠節       古よりザンカン忠節を害す
忠臣思君不懐躬       忠臣君を思うて躬を懐わず
我亦貶謫幽囚士       我亦貶謫幽囚の士
憶起二公涙沾胸       二公を憶起して涙胸を沾す
休恨空為■■死       恨むを休めよ空しくザンカンの為に死するを
自有後世議論公       自ら後世議論の公なる有らん

⑩咏西行(高杉晋作)

破衣破笠一■■    破衣破笠一ソウアイ
到処青山骨欲埋    到る処の青山骨を埋めんと欲す
石枕夢冷孤渓月    石枕夢は冷かなり孤渓の月
古寺魂暗五更懐    古寺魂は暗し五更の懐
見生如死死即生    生を見ること死の如く死は即ち生
自言我是方外客    自ら言う我は是方外の客
無情淡心玩咏歌    無情淡心咏歌を玩ぶ
曽拠高位不肯惜    曽て高位を拠り肯えて惜しまず
休道老仏虚無術    道うを休めよ老仏虚無の術
天下能害幾何人    天下能く幾何の人を害す
雖然使僧不学仏    然りといえども僧をして仏を学ばざらしめば
千載誰称西行僧    千載誰か称せん西行僧

あの素晴しい日本漢詩をもう一度=復習篇⑤

本日の「命をかけて詠んだ」漢詩は、藤田東湖、広瀬淡窓、梁川星巌・紅蘭夫妻、野田笛浦(2作品)、佐藤一斎、吉田松陰、梅田梅浜(2作品)の8詩人、10作品です。

①「題菊池容斎図」(藤田東湖)

■■得雲雨    コウリョウ雲雨を得ば
非復池中物    復た池中の物に非ず
如何風塵裡    如何ぞ風塵の裡
徒使英雄屈    徒に英雄をして屈せしむる

②「桂林荘雑詠示諸生」(広瀬淡窓)

休道他他郷苦辛    道うを休めよ 他郷苦辛しと
■■有友自相親    ドウホウ 友有り自ら相親しむ
柴扉暁出霜如雪    柴扉 暁に出ずれば霜雪の如し
君汲川流我拾薪    君は川流を汲め 我は薪を拾わん

③「紀事」(梁川星巌)

当年乃祖気憑陵    当年の乃祖 気 憑陵
叱咤風雲巻地興    風雲を叱咤し地を巻いて興る
今日不能除外■    今日外キンを除く能わずんば
征夷二次是虚称    征夷の二字は是れ虚称

④「牡丹蝴蝶図」(梁川紅蘭)

■■驚世俗    グウゲン世俗を驚かす
周也果何人    周や果たして何人ぞ
怪爾為蝴蝶    怪しむ爾が蝴蝶と為り
偏尋富貴春    偏に富貴の春を尋ぬるを

⑤「画竹」(野田笛浦)

落落胸中竹    落落たる胸中の竹
一揮応手成    一たび揮えば手に応じて成る
湘雲凝不散    湘雲凝って散ぜず
■■起秋声    マンプク秋声起こる

⑥「昌平橋納涼」(野田笛浦)
夏雲擘絮月斜明    夏雲綿を擘いて月斜めに明らかなり
細葛含風歩歩軽    細葛風を含んで歩歩軽し
数点■■橋外市    数点のコウトウ橋外の市
籠虫一担売秋声    籠虫一担秋声を売る

⑦「太公望垂釣図」(佐藤一斎)

謬被文王載帰得    謬って文王に載せ得て帰られ
■■風月与心違    イッカンの風月心と違う
想君牧野鷹揚後    想う君が牧野鷹揚の後
夢在磻渓旧釣磯    夢は磻渓の旧釣磯に在りしならんと

⑧「磯原客舎」(吉田松陰)

海楼把酒対長風    海楼酒を把って長風に対す
顔紅耳熱酔眠濃    顔紅に耳熱して酔眠濃かなり
忽見雲濤万里外    忽ち見る雲濤万里の外
巨鼇蔽海来■■    巨鼇海を蔽うてモウドウ来る
我提吾軍来陣此    我吾が軍を提げ来りて此に陣す
貔貅百万髪上衝    貔貅百万髪上り衝く
夢断酒解灯亦滅    夢断え酒解けて灯亦滅す
濤声撼枕夜鼕鼕    濤声枕を撼がして夜鼕鼕

⑨「訣別」(梅田雲浜)

妻臥病牀児叫飢    妻は病牀に臥し児は飢えに叫ぶ
挺身直欲払■■    身を挺して直ちにジュウイを払わんと欲す
今朝死別与生別    今朝死別と生別と
唯有皇天后土知    唯だ皇天后土の知る有り

⑩「訣別」(梅田梅浜)

■■欲支奈力微   タイカ支えんと欲するも力微なるを奈んせん
此間可説小是非   この間説く可けんや小是非
賤臣効国区々意   賤臣国に効す 区々の意
憤激臨行帝闈拝   憤激行に臨みて帝闈を拝す


この復習の編集作業をやっていると、どうしても「鼻歌」が出てしまうのですがこれって致し方ないでしょ?

♪「あの素晴しい愛をもう一度~」

♪「あの素晴しい日本漢詩をも・う・い・ち・どぉ~」♪


読者諸氏も恐らく鼻歌歌いながら復習されていることと存じます(出てないって?

あの素晴しい日本漢詩をもう一度=復習篇④


①「鹿児島客中作」(亀井南冥)

誰家■■散空明    誰が家のシチクぞ空明に散ず
孤客倚楼夢後情    孤客楼に倚る夢後の情
皎月南溟波不駭    皎月南溟波駭かず
秋高一百二都城    秋は高し一百二都城

②「江月」(亀田鵬斎)

満江明月満天秋    満江の明月 満天の秋
一色江天万里流    一色の江天 万里流る
半夜酒醒人不見    半夜酒醒めて人見えず
霜風■■荻蘆洲    霜風ショウシツたり 荻蘆洲


③「冬夜読書」(菅茶山)

雪擁山堂樹影深    雪は山堂を擁して樹影深く
檐鈴不動夜沈沈    檐鈴動かず夜沈沈
閑収乱■思疑義    閑かに乱チツを収めて疑義を思う
一穂青灯万古心    一穂の青灯 万古の心

④「偶作」(良寛)

歩随流水覓源泉    歩して流水に随って源泉を覓む
行到源頭却惘然    行きて源頭に到って却って惘然
始悟真源行不到    始めて悟る真源行き到らざるを
倚笻随処弄■■    筇に倚り随処にセンエン(センカン)を弄せん

⑤「下翠岑」(良寛)

担薪下翠岑    薪を担って翠岑を下る
翠岑路不平    翠岑路平かならず
時息■■下    時に息うチョウショウの下
静聞春禽声    静かに聞く春禽の声

⑥「遊山」(田能村竹田)

落落長松下    落落たる長松の下
抱琴坐晩暉    琴を抱いて晩暉に坐す
清風無限好    清風無限に好し
吹入■■衣    吹き入るヘイラの衣

⑦「題自画墨竹」(渡辺崋山)

鄭老画蘭不画土    鄭老蘭を画いて土を画かず
有為者必有不為    為す有る者は必ず為さざる有り
酔来写竹似■葉    酔い来って竹を写せば葉に似たり
不作鷗波無節枝    作らず鷗波無節の枝

⑧「秋尽」(館柳湾)

■■空驚歳月流    セイリ空しく驚く歳月流るるに
閑亭独坐思悠悠    閑亭独坐すれば思い悠悠
老愁如葉掃難尽    老愁は葉の如く掃えども尽くし難し
簌簌声中又送秋    簌簌声中又秋を送る

⑨「秋日臥病有感」(松崎慊堂)

故園何日省慈闈    故園何れの日か慈闈を省せん
多病多年■■違    多病多年シンジ違う
雲路三千夢至難    雲路三千夢至り難し
秋天無数雁空飛    秋天無数雁空しく飛ぶ

⑩「范蠡載西施図」(朝川善庵)

安国忠臣傾国色    国を安んずるの忠臣国を傾くるの色
片帆俱趁五湖風    片帆俱に趁う五湖の風
人間倚伏君知否    人間の倚伏君知るや否や
呉越存亡■■中    呉越の存亡イッカの中

本日は以上、九詩人の十作品です。

あの素晴しい日本漢詩をもう一度=復習篇③


①「九日」(梁田蛻巌)

樹連雲秋色飛    樹雲に連なりて 秋色飛ぶ
独怜細菊近■■    独り怜れむ 細菊のケイヒに近きを
登高能賦今誰是    登高能く賦す 今誰か是なる
海内文章落布衣    海内の文章 布衣に落つ

②「夜下墨水」(服部南郭)

金竜山畔江月浮    金竜山畔 江月浮かぶ
江揺月湧金龍流    江揺らぎ月湧いて金竜流る
■■不住天如水    ヘンシュウ住まらず 天水の如し
両岸秋風下二州    両岸の秋風 二州を下る

③「詠詩」(秋山玉山)

昨日割一県    昨日一県を割き
今日割一城    今日一城を割く
割到壮士胆    割いて壮士の胆に到れば
■■易水鳴    ショウショウとして易水鳴る

④「鴻門高」(秋山玉山)

鴻門高 高且雄    鴻門高し 高くして且つ雄なり
天暦数指顧中     天の暦数指顧の中
謀臣不語目屢動    謀臣語らず目屢々動く
剣舞双双闘白虹    剣舞双双白虹を闘わす
屠児一入四座傾    屠児一たび入りて四座傾く
巵酒彘肩■■生    巵酒彘肩セイフウ生ず
君不見俎上之肉飛生翼 君見ずや俎上の肉飛んで翼の生ずるを
却望天際成五色    却って天際を望めば五色を成す

⑤「思郷」(龍草廬)

総角辭家客洛陽    総角家を辞して洛陽に客たり
秋風一望白雲長    秋風一たび望めば白雲長し
歸心不爲■■美    帰心はジュンロの美なるが為ならず
衰白慈親在故郷    衰白の慈親故郷に在ればなり

⑥「寄題豊公旧宅」(荻生徂徠)

絶海楼船震大明    絶海の楼船大明を震わす
寧知此地長■■    寧ぞ知らん此の地サイケイを長ぜんとは
千山風雨時時悪    千山の風雨時時に悪し
猶作当年叱声    猶作す当年叱の声

⑦「大偃川上即事」(六如)

清流奇石緑縈彎    清流の奇石 緑縈彎
隊隊香魚往復還    隊隊の香魚 往き復た還る
忽有■■穿峡下    忽ちショウシュウの峡を穿って下る有り
軽篙蹙破水中山    軽篙蹙破す 水中の山

⑧「姫島」(宝月)

大海中分玉女峰    大海中分す玉女峰
蛾眉■■為誰容    蛾眉スイタイ誰が為にか容づくる
我将明月遙相贈    我明月を将って遙かに相贈る
影湧瑶台十二重    影は湧く瑶台の十二重

⑨「月夜歩禁垣外」(柴野栗山)

上苑西風送桂香    上苑の西風 桂香を送る
承明門外月如霜    承明門外 月霜の如し
何人今夜清涼殿    何人か今夜 清涼殿
一曲■■奉御觴    一曲のゲイショウ 御觴を奉ず

⑩「富士山」(柴野栗山)

誰将東海水    誰か東海の水を将って
濯出玉芙蓉    濯い出す玉芙蓉
蟠地三州尽    地に蟠って三州尽き
挿天八葉重    天に挿んで八葉重なる
■■蒸大麓    ウンカ大に蒸し
日月避中峰    日月中峰を避く
独立原無競    独立原競う無く
自為衆嶽宗    自ら衆嶽の宗と為る



本日は以上の十作品です。

あの素晴しい日本漢詩をもう一度=復習篇②

「命かけてと」。

①「対花懐旧」(義堂周信)

紛紛政事乱如麻    紛紛たる政事乱れて麻の如し
旧恨新愁只自嗟    旧恨新愁只自ら嗟く
春夢醒来人不見    春夢醒め来って人見えず
■■雨洒紫荊花    ボエン雨は洒ぐ紫荊の花

「誓った日から」。

②「雨後登楼」(絶海中津)

一天過雨洗新秋    一天の過雨新秋を洗う
携友同登江上樓    友を携えて同に登る江上の楼
欲寫仲宣■■恨    写さんと欲す仲宣センコの恨み
断烟疎樹不堪愁    断烟疎樹愁いに堪えず

「素敵な思い出」。

③「山居」(藤原惺窩)

青山高聳白雲辺    青山高く聳ゆ白雲の辺
仄聴■■忘世縁    仄かにショウカを聴いて世縁を忘る
意足不求糸竹楽    意足りて求めず糸竹の楽しみを
幽禽睡熟碧巌前    幽禽睡りは熟す碧巌の前

「残して来たのに」。

④「送熊沢子還備前」(中江藤樹)

旧年無幾日    旧年 幾日も無し
何意上旗亭    何ぞ意わん旗亭に上らんとは
送汝雲霄器    汝が雲霄の器を送りて
嗟吾■■齢    吾がケンバの齢を嗟く
梅花鬢辺白    梅花 鬢辺に白く
楊柳眼中青    楊柳 眼中に青し
惆悵滄江上    惆悵す滄江の上
西風教客醒    西風 客をして醒めしむ

「あの時」。

⑤「自題肖像」(新井白石)

蒼顔如鉄鬢如銀    蒼顔 鉄のごとく鬢 銀のごとし
紫石稜稜電射人    紫石 稜稜電 人を射る
五尺小身渾是膽    五尺の小身 渾て是れ膽
■■何用画麒麟    メイジ 何ぞ用いん麒麟に画かるるを

「同じ花を見て」。

⑥「富士山」(室鳩巣)

上帝高居白玉台    上帝の高居 白玉台
千秋積雪擁蓬萊    千秋の積雪 蓬萊を擁す
金鶏咿喔■■夜    金鶏 咿喔 ジンカンの夜
海底紅輪飛影来    海底の紅輪 影を飛ばして来る

「美しいと言った二人の」。

⑦「即事」(伊藤仁斎)

青山簇簇対柴門    青山 簇簇として柴門に対す
藍水溶溶遠発源    藍水 溶溶として遠く源を発す
数尽■■人独立    キアを数え尽くして人独立す
一川風月自黄昏    一川の風月 自ら黄昏

「心と心が」。

⑧「秋郊閑望」(伊藤東涯)

一村桑柘暗    一村 桑柘暗く
千畝稲粱肥    千畝 稲粱肥ゆ
藍水流紅日    藍水 紅日を流し
白雲住■■    白雲 スイビに住まる
征途栄願薄    征途 栄願薄く
今古賞音稀    今古 賞音稀なり
尚愧機心在    尚お愧ず機心の在るを
山禽驚却飛    山禽 驚きて却飛す

「今はもう通わない」。

⑨「八島懐古」(桂山彩巌)

海門風浪怒難平    海門の風浪怒りて 平らぎ難し
此地曾屯十萬兵    此の地曾て屯す 十万の兵
金鏑頻飛■■窟    金鏑頻りに飛ぶ ギョベツの窟
樓船空保鳳凰城    楼船空しく保つ 鳳凰城
宋帝遺臣迷北極    宋帝の遺臣 北極に迷い
周王君子盡南征    周王の君子 尽く南征
不識英魂何處所    識らず英魂 何処の所ぞ
月明波上夜吹笙    月明波上 夜笙を吹く

「あの素晴しい愛をもう一度」。

⑩「秋夕泛琵琶湖」(梁田蛻巌)

湖北湖南暮色濃    湖北 湖南 暮色濃やかなり
停篙囘首問孤松    篙を停め 首を回らして孤松を問う
■■兩岸秋風起    ソウハ 両岸秋風起こり
吹送叡山雲裏鐘    吹き送る 叡山雲裏の鐘

「あの素晴しい愛をもう一度」。

本日は以上、十作品です。

あの素晴しい日本漢詩をもう一度=復習篇①

残暑お見舞い申し上げます。

立秋過ぎてもこの猛暑。いや、酷吏がいまだのさばりかえっておりますが、弊blogを毎度ご覧になっていただいている皆様も、ネット検索で偶立ち寄ってくださった皆様も御機嫌いかがでございましょうか。努々熱中症などには罹らぬよう、お体をご自愛くださいませ。

このところの暑さを吹き飛ばすびょう、渾身の思いを込めて日本漢詩シリーズを続行させていただいています。これまで空海をはじめとして昨日の草場船山まで多士済済の詩人の手による作品をご覧いただきました。

暫くの間、ニューコンテンツの更新が難しくなることを余儀なくされます。したがいまして、ここらで振り返りながら、もう一度味わっていただく趣向はいかがでしょうか。古人の心の迸りでもある漢詩です。今一度、声を大にして吟じるとともに、なぜ彼らがその詩を詠じたのか、往時に思いを馳せてみてください。彼らの糟魄をご自身の心にも沁み渡らせてみてください。

題しまして「あの素晴しい日本漢詩をもう一度」。あれれ、似たような題のフォーク・ソングが1970年代にありましたよねぇ。ほぅ~ら、聞こえてきましたよ。耳を澄ませてみてくださいな。

漢字書けてと誓った日から
素敵な対句を残して来たのに
あの時同じ絶句見て
難しいと言った律詩の
韻と平仄が今はもう揃わない
あの素晴しい日本漢詩をもう一度
あの素晴しい日本漢詩をもう一度~

【注:「あの素晴しい愛をもう一度」(作詞・作曲 北山修、加藤和彦)を捩りました】(「つまんない」って言わないでね)

漢字の問題は各作品一問限定に改めてあります。

①「後夜聞仏法僧鳥」(空海)

閑林独坐草堂暁    閑林独坐す草堂の暁
■■之声聞一鳥    サンポウの声一鳥に聞く
一鳥有声人有心    一鳥声有り人心有り
声心雲水俱了了    声心雲水俱に了了

②「銜命使本国」(阿倍仲麻呂)

銜命将辞国    命を銜んで将に国を辞せんとするに
菲才恭侍臣    菲才侍臣を恭うす
天中恋明主    天中に明主を恋い
海外懐慈親    海外に慈親を懐う
伏奏違■■    伏奏してキンケツを違り
騑驂去玉津    騑驂もて玉津に去る
蓬萊郷路遠    蓬萊の郷路遠く
若木故園隣    若木は故園の隣
西望懐恩日    西望して恩を懐うの日
東帰感義辰    東帰して義に感ずるの辰
平生一宝剣    平生の一宝剣
留贈結交人    留贈す交わりを結ぶの人に

③「不出門」(菅原道真)

一從謫落在柴荊    一たび謫落せられて柴荊に在りしより
萬死兢兢■■情    万死兢兢たりキョクセキの情
都府樓纔看瓦色    都府楼は纔かに瓦の色を看
観音寺只聽鐘聲    観音寺は只鐘の声を聴くのみ
中懐好逐孤雲去    中懐は好し逐わん孤雲の去るを
外物相逢満月迎    外物は相逢う満月の迎うるに
此地雖身無検繋    此の地身に検繋無しと雖も
何為寸歩出門行    何為れぞ寸歩も門を出でて行かん

④「題可休亭」(円旨)

孤松三尺竹三竿      孤松三尺竹三竿
招我時時來倚欄      我を招けば時時来りて欄に倚る
細雨随風斜入座      細雨 風に随って斜めに座に入り
軽煙籠日薄遮山      軽煙 日を籠めて薄く山を遮る
沙田千畝馬牛痩      沙田 千畝馬牛痩せ
野水一渓鷗鷺間      野水 一渓鷗鷺間なり
自笑可休休未得      自ら可休を笑う休すること未だ得ざるに
浮雲出■幾時還      浮雲 シュウを出でて幾時か還る

⑤「海南行」(細川頼之)

人生五十愧無功    人生五十功無きを愧ず
花木春過夏已中    花木春過ぎて夏已に中ばなり
満室蒼蠅掃難去    満室の蒼蠅掃えども去り難し
起尋■■臥清風    起ってゼントウを尋ねて清風に臥せん



以上、本日は五作品です。

ボタンかサクラか日中代理戦争勃発?=「徐福伝説」持ち出し口撃した草場船山

♪ぽんぽんぽん、ぽんぽんぽん(以上、琴の音色風の前奏のつもり)♪

♪さくら~♪さくら~♪弥生の空は~♪見わたすかぎり~♪

花と言えば、日本では桜なら、中国では牡丹と相場が決まっています。どっちが素晴らしいなどと優劣を競っても仕方ない。それぞれの風土や生活、文化に根差した名花なのですから、それぞれの良さを味わえばいいのです。それでも桜と牡丹の「愛で方」に違いがあるのはお気づきか?肥前出身の儒者だった草場船山(1819~87)の漢詩に「桜花」があります。まずはこれを味わうことから始めましょう。明治書院「新書漢文大系7 日本漢詩」(P171~172)から。

西土牡丹徒自誇    西土の牡丹徒に自ら誇る
不知東海有名■    知らず東海に名有るを
徐生当日求仙処    徐生当日仙を求めし処
看做■■是此花    看てショウウンと做せるは是れ此の花



【解釈】 中国では牡丹を、これこそ花の王者として自慢しているけれども、東海の日本にすぐれた名花があることを知らない。徐福が秦の始皇帝の命をうけて仙人のすみかを尋ね歩いた当時、山に瑞雲のたなびくと見たのは、実はこの花であったというのに。

ハ=葩。はな。ぱっと咲いたイメージが強い言葉です。「葩なり」と形容詞で用いた場合は「はなやかさま、あざやかなさま」。葩卉(ハキ=美しい花が咲く草、草花、花卉=カキ=)、葩経(ハケイ=「詩経」の別名、韓愈の「進学解」の「詩正而葩」による)。

ショウウン=祥雲。めでたいときにあらわれる雲。瑞雲(ズイウン)の方がポピュラーか。祥風(ショウフウ=めでたいときに吹く風、瑞風=ズイフウ=)、祥瑞(ショウズイ=吉兆、祥応=ショウオウ=)、祥気(ショウキ=めでたいけはい、祥氛=ショウフン=)。



船山は聊か興奮気味か。中国に対して対抗意識をめらめらと燃やしています。「徒自誇」とは強い調子の表現ですな。牡丹は唐代以降、美人に喩えることが多く、李白が楊貴妃を牡丹になぞらえた詩(清平調詩、この記事)もあります。牡丹は、一輪の花が大きくて、その目鼻立ちの作りの艶やかさがポイントになる。つまり、アップで楽しむのです。これに対して、桜は花弁一つ一つは小さいがその集合体が婉然。遠くから引いて眺めるのが最高です。それがまるで「祥雲」のように棚引いているというのです。

そこで冒頭に掲げた「さくら」。明治書院によれば、「明治二十一年に、お琴の入門曲として発表されたもの。歌詞の作者は未詳だが、そこに流れる感覚は意外と古くからのものであろう」とあります。船山が作詞したのではないので念のため。そこで歌詞の続きです。

♪霞か雲か~♪匂いぞ出ずる~♪いざや~♪いざや~♪見にゆ~か~ん♪

♪ぽろろ~ん♪

「霞か雲か」――。桜は古来、単体の美人の形容にはあまり用いられない感じがします。花々、枝々、木々の集合体として楽しむものです。いわばアップには向いていない。色合いの朧な加減がいい。原色ではない。

ところで、船山が転句、結句で持ちだした「徐生」の故事。一般には「徐福伝説」と呼ばれているものです。徐福(徐巿=ジョフツともいう)は秦代・始皇帝の時代の方士(道教の僧)。始皇帝の命令で、男女数千人を伴って不老不死の霊薬を求める旅に出て、東海の仙島(日本のこと)に渡り、そのまま帰らなかったと『史記・秦始皇本義』に記載されています。その際、瑞雲があらわれ仙人になったというのですが、船山にかかればそれは霞か雲か見紛うばかりの桜の景色だったというのです。この「徐福伝説」はなかなかに面白く、日本各地に徐福が辿り着き定住したといった伝承が残されています。

なにせ、紀元前3世紀ころの話ですから、もしかしたら日本の天皇の祖先かもしれません。古来、多くの漢詩人も中国と日本の関係を詠む際に引き合いに出しています。五山の僧侶、絶海中津も留学先の明で太祖・洪武帝との間で、三重・熊野にある「徐福祠」をテーマに漢詩の掛け合いをやってるほか、北宋の詩人、欧陽脩も「日本刀歌」という題詩で詠じています。日宋貿易で日本刀が珍重されていたことが分かる貴重な資料でもありますが、残念ながら今回は触れません。また何れかの機会での宿題ということでご容赦を。。。

草場船山について少しだけ触れておきます。明治書院によると、「(草場)佩川の子。古賀侗庵、篠崎小竹、梁川星巌などについて詩文を修めた」とあります。父佩川と同様、生涯子弟の教育に努めた人です。京都時代には梁川星巌や頼三樹三郎とも交わり、「謀議」に参加したということで、下手をすれば「安政の大獄」に連座しかねないところでしたが、父親の危篤により帰郷を余儀なくされ、あと一歩のところで踏みとどまった格好でした。明治9年(1876)には京都・本願寺の漢学教授に招聘されましたが、維新後に特筆すべき活躍はないようです。

本日は話があちこち飛ぶのですが、最後に牡丹で締めましょう。

「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」ときれいなお姉さまの立ち居振る舞いや容姿を誉めそやす成句があります。この中で牡丹は三つの花の並列という位置づけにすぎません。これはまたいかにも日本らしいのですが、中国ではそうはまいりません。やはり牡丹が一番でなきゃ嫌なのです。中唐の劉禹錫(772~842)に「賞牡丹」(牡丹を賞す)があります。これを味わいましょう。講談社学術文庫「漢詩鑑賞事典」(石川忠久氏、P416~417)から。

■■芍薬妖無格    テイゼンの芍薬妖として格無し
■■芙蕖浄少情    チジョウの芙蕖浄くして情少なし
唯有牡丹真■■    唯だ牡丹のみ真のコクショク有り
花開時節動■■    花開くの時節ケイジョウを動がす



【解釈】 庭に咲く芍薬の花はあだっぽすぎて品がなく、池に咲く蓮の花はきよらかすぎて、色気がない。ただ牡丹だけは、まことに国一番の美人とも言うべき美しさ。花が咲くころともなれば、都じゅうを騒がせるのだから。



テイゼン=庭前。庭先のこと。≠挺然。難問か。

チジョウ=池上。池の水の上、池に浮かぶさま。引っ掛けです、地上に蓮は浮かばないですな。

コクショク=国色。国じゅうで最もすぐれた美人。このまま牡丹の意味ともなる。国容(コクヨウ)、国香(コッカ)、国姝(コクシュ)

ケイジョウ=京城。天子の居る都、首都のこと。ここは洛陽か長安か。京洛(ケイラク)、京兆(ケイチョウ)、京師(ケイシ)ともいう。≠形状、警乗、桂城、刑場、啓上。



起句の「芍薬」はまたも登場でどうやら牡丹の最大のライバルのようです。牡丹と似ており、クサボタンとも称されます。でも、妖艶ではあるが「格」(=品格)に欠けるんですって。承句の「芙蕖」は「蓮の花」。もちろん、「芙蓉」もありですが「芙蕖」の方がぴったり。でも、清楚だけど「情」(=色香)が乏しいんですって。男って難しい、というか、結局、自分勝手。色気があればあったでうざったいぃ~?色気がなきゃないで物足りないぃ~?一体何様のつもりなの?ぷんぷん。だから、転句の「牡丹」が一番だってよ。どうしてかしら……。女子としては素朴なる疑問。さあさあ、お教えいたしましょう。モテ女になる秘訣を。。。

漢詩鑑賞事典の「鑑賞」によると、「芍薬」は「じつの姿は牡丹とかわらない。だが、この花は『詩経』鄭風・溱洧(シンイ)の詩で、春に男を野に誘い恋を楽しんだ女が、別れに男から贈られる花としてうたわれている。いわば触れなば落ちんという女を連想させる」とあります。だから芍薬は淫靡な尻軽女の代名詞。「芙蕖」も「艶っぽい花。だが、この花は『楚辞』離騒で、『芙蓉を集めて以て裳を為る』とうたわれ、高潔で孤高に生きる君子の袴とされた花。清らかで男を寄せつけぬ風情を連想させる」とある。だからお高く止まって近寄りがたい女の代名詞。起句、承句はそうした「連想を楽しみながら下された品評」だというのです。

さて、核心である転句、結句です。牡丹が連想させるものは、先ほども述べましたが李白の「清平調詩」にうたわれて有名な、かの楊貴妃。劉禹錫の友人・白居易の「長恨歌」にも傾国の美女という表現がある。「真の国色ゆえに、京城を動(ゆる)がす、とは、楊貴妃の色香に迷う連想から、世間の上っ調子な牡丹狂いを揶揄したのである」といいます。あれれ、牡丹は邪揄の対象ですか。やはり余りにも美しいがゆえに危険な存在だというのでしょうか。

「補説」によれば、「唐代の牡丹ブームは異常だった」と指摘する。すなわち、中唐のころともなると、宮廷・寺院などのほか各家庭も競って植えたため、花市は盛況を極め、シーズンの晩春には都じゅう花見客でゴッタ返し、ものによっては価格が数万銭もの高値と鰻上りに。白居易も「花を買う」の詩を作り、牡丹に利殖を求める人々を攻撃したとあります。したがって、劉禹錫の詩もこの流れに沿って読むことが大事です。国一番の美人の花であるが、余りにも人の気持ちを惑わし揺るがし過ぎており、大概にしないと国を滅ぼしてしまいますよと警告を鳴らしているのです。

のちに宋の儒者・周敦頤(1017~73)は、「愛蓮説」をしたため、菊・蓮・牡丹の三つの花を品評し、牡丹を「花の富貴なるもの」と貶めているとあります。梁川星巌の妻・紅蘭が詠じた詩でも、夢で蝴蝶になった荘子が牡丹の花を飛び巡っている態を平生の御高説とは余りにも掛け離れていると揶揄したのを思い出します(この記事)。時代が巡って近世にはいつの間にやら牡丹は贅沢で驕慢な女の代名詞へと様変わりをしていたのです。だから、船山も牡丹を誇る中国を“口撃”して、本邦の桜こそ一番であるのだと豪語していたのですね。いまや、中国のバブル長者も投機目的で日本の不動産を買い漁っていますが、桜は牡丹に勝てないのでしょうか……?

周敦頤の「愛蓮説」でフィニッシュです。明治書院「新書漢文大系8 古文真宝」から。

水陸草木之花、可愛者甚蕃。晋陶淵明独愛菊。自李唐来、世人甚愛牡丹。予独愛蓮之出■■而不染、濯■■而不妖、中通外直、不■不枝、香遠益清、亭亭浄植、可遠観而不可■■焉。予謂菊花之■■者也、牡丹花之富貴者也、蓮花之君子者也。噫、菊之愛陶後鮮有聞。蓮之愛同予者何人。牡丹之愛宜乎衆矣。

水陸草木の花、愛すべき者甚だし。晋の陶淵明は独り菊を愛す。李唐より来、世人甚だ牡丹を愛す。予独り蓮のオデイより出でて染まらず、セイレンに濯われて妖ならず、中は通じ外は直く、ツルあらず枝あらず、香り遠くして益々清く、亭亭として浄く植ち、遠観すべくしてセツガンすべからざるを愛す。予謂えらく、菊は花のインイツなる者なり、牡丹は花の富貴なる者なり、蓮は花の君子なりと。噫、菊を之れ愛するは、陶の後に聞くこと有ることなし。蓮を之れ愛するは、予に同じき者何人ぞ。牡丹を之れ愛するは、宜なるかな衆きこと。



久しぶりの中国名文でした。やっぱいいね。漢詩が落ち着いたらまたやろうっと。。。




こたえ)▼蕃し=おおし▼オデイ=淤泥▼セイレン=清漣▼ツル=蔓▼セツガン=褻翫▼インイツ=隠逸▼鮮なし=すくなし

王昭君の墓の秘密を暴け!=維新後は下野し風刺文を書いた元幕臣の成島柳北

幕末維新に生きて死んだ志士を中心とした漢詩シリーズは明治期に突入します。明治書院「新書漢文大系7 日本漢詩」によると、この時期の作者は「幕末に旧体制の下で漢学の教養を身につけた人々と、洋学の波に洗われながらも漢詩の面白さにとりつかれた人々である」とあります。前者の代表が森槐南らプロ漢詩人であり、後者は夏目漱石ら文人や知識人だといいます。続けて、「欧米の学問が主流となる時代において、漢詩の道はしだいに廃れてゆき、大正に入ると特別な教育を受けた者でなければ漢詩を作れなくなってしまう。今や日本の漢詩は遠い時代の遺物になろうとしている」と危惧も示されています。

明治期以降の漢詩も面白い。幕末のような「わくわく感」は無いかもしれないが、あらゆる卑近な出来事や事物も漢詩で詠もうとする“チャレンジング”な存在足り得ている。こうした例を見ていると、われわれ現代人にとっても漢詩はもっと身近な存在となる可能性を秘めていると思います。これまでと同じようなことを何度も述べて恐縮ですが、漢詩は作れなくてもいい。やはり古人之糟魄として味わえる素養だけは身につけ、養いたいところです。そのためには古来の作品を何度も何度も読むことです。歴史を学びましょう。思想を学びましょう。文化、芸術、宗教の知識も必要だ。……勿論、漢字であり言葉も習得しなければならないことは言うまでもありません。国粋主義者でも何でもない迂生ですが、自国の文化の一角を担ってきた漢詩を通して自国を学ぶことは、これから益々国境の意識が薄れゆく国際社会において、自国のアイデンティティを確立し、その存在を確実に残していく上で重要なプロセスの一つだと考えます。すなわち「己の存在」を知ることです。とりわけ、大国・中国との関係を考える際に、漢詩の知識や味わい方を知ることは不可欠でしょう。いい関係をキープしなければ恐らく日本は生き残れないでしょう。もっと謙虚に、そして、発展的に漢字や漢詩の学習を捉えてよいのではないでしょうか。そうでなければ本家本元の中国には到底かなわないでしょう。戦うという意味ではありませんので念のため。国際社会を生き抜く競争という意味です。

さて、本日は成島柳北(1837~84)の「那耶哥羅観瀑詩」。「那耶哥羅」、読めますか?外国地名の当て字読みですが、なんとなく音読みを当てはめれば朧げながら浮かんでくるでしょう。最大のヒントは「観瀑」。「瀑」は「巨大な滝」ですから…、「ああ~、ナイヤガラかぁ」ですな。

客夢驚醒■■雷    客夢驚き醒むチンジョウの雷
起攀老樹陟■■    起って老樹を攀じてサイカイを陟る
夜深一望■■白    夜深一望ケンコン白し
万丈■■捲月来    万丈のシュレン月を捲いて来る



【解釈】 わが旅の夢も枕もとの雷の響きに驚きさめ、起き出でて老木にすがりつつ、けわしい山坂を登ってゆくと、深夜だというのに見渡す限り天地も白く、万丈の珠すだれが月光を巻き込んだように美しく輝いて、眼中に飛びこんでくるのだった。



チンジョウ=枕上。まくらの上、寝床に居る時のこと。まくらもと。枕頭、枕辺ともいう。

サイカイ=崔嵬。岩石がごろごろしているうずたかい山。山がでこぼこで険しいさま。崔崔(サイサイ)、崔巍(サイギ)ともいう。

ケンコン=乾坤。天と地。あめつち。

シュレン=珠簾。真珠で飾ったすだれ。珠箔(シュハク)ともいう、珠履(シュリ=宝玉で飾ったくつ)、珠楼(シュロウ=真珠で飾ったたかどの、美しい宮殿、珠殿=シュデン=、珠閣=シュカク=)、珠瓔(シュエイ=真珠の首飾り)、珠纓(シュエイ=真珠で飾ったかんむりのひも)、珠樹(シュジュ=真珠をちりばめたように美しい木)、珠唾(シュダ=真珠のような美しいツバキ、美しい語句のたとえ)、珠珮(シュハイ=真珠のおびだま)。



明治書院によると、この詩は「明治六年(1873)、本願寺の法主大谷光瑩と海外を旅行した折の作」(P169)とあります。ナイヤガラの滝は米国、カナダの国境に在り、高さ50メートル。「乾坤白し」というフレーズはナイヤガラ瀑布を形容したものです。夜暗いはずなのに一瞬にしてぱっと明るくなった世界を詠じています。結句の「珠簾月を捲く」については、「滝に月の光がきらめくさま。単なるダイナミックな表現ではなく、同時に神秘的な雰囲気を醸し出して効果的」と讃嘆しています。「捲」は「簾」の縁語です。なかなかのやり手漢詩人ですね。

柳北は東京生まれ。ジャーナリスト、漢詩人、随筆家。もと幕臣。代々幕府の奥儒者の家に生まれ、安政3年(1856)奥儒者に任命され、徳川家定・家茂に経学を講じました。幕末には外国奉行、勘定奉行、会計副総裁などの要職を歴任し、そのかたわら洋学を修めました。維新後は下野して世相を痛烈に批判しました。明治7年(1874)刊行の「柳橋新誌」は戯文の代表作です。同年9月には「朝野新聞」の主筆として迎えられ、諷刺に富んだ文章で名声を博しました。ジャーナリストとして文章を物するのが上手だったようです。華麗なる転身か?

明治書院にはもう一作品が見えます。詩題は「塞昆」。

夜熱侵入夢易醒    夜熱人を侵して夢醒め易し
■■青草満前汀    ハクサ青草前汀に満つ
故園応是■■節    故園応に是れソウコウの節なるべし
驚看蛮蛍大似星    驚き看る蛮蛍の大いさ星に似たるを



【解釈】 夜に入っても昼間の蒸し暑さは衰えず、人に迫って寝苦しく、旅の夢も醒めがちである。窓から外を見やると、白い砂と青い草が水際に盈ちみちている。考えてみれば、故国日本では、もうそろそろ霜の降りる時節だというのに、驚いたことにこの南の蛮地では大きな星のような蛍がスイスイ飛び交っているのが見えるのだ。


ハクサ=白沙。白い砂、白い砂地。白砂とも。

ソウコウ=霜降。霜が降りること。二十四節気の一つ。寒露と立冬の間、陽暦の十月二十三日ごろ。≠草稿、壮行、走行、滄江、蒼昊、綜絖、蒼庚、叢篁、妝匣、漕溝、痩硬、箱匣、糟糠、艙口、蒼惶、蚤甲。




明治書院によると、「場所はサイゴン、現在のホーチミン市である。この港は鷗外の『舞姫』冒頭の描写で名高いが、サイゴンはヨーロッパから帰郷する際の寄港地。ここで船を休め、あとは香港に寄るだけ。作者が立ち寄ったころのサイゴンは、それほど大きな町ではあるまい。船窓から見える岸辺は、白い砂と青い草ばかり。夜のせいもあるが、昼とて船荷を上げ下ろしする人夫と物売りのおばさん以外それほどの人ではないはず。異国で見る蛍の大きさが、はや霜降りているだろう故国を思い出させる」と解説されています。

先ほどの外遊の帰途の一齣でしょう。視るもの聞くもの珍しい風物ばかり。明治維新期の日本人が見聞を広げていくさまが髣髴とします。それにしても、この柳北ですが、なかなかの“書き手”であることが分かってきました。幕末を乗り越え維新期を迎えた一人ではあるが、さすがに幕臣であったがために新政府の要職に就くべくも無く、むしろ野に下りて自ら文筆業で名を成しました。近代デジタルライブラリーに柳北全集(ここ)が見え、漢詩も多数詠じるとともに、「雑文」と称してさまざまな随筆というか、日記というか、心に浮かびしよしなしごとを書き連ねています。じっくりと読み切れていないのですが、一つだけサンプル的に小文を問題形式で紹介しておきます。旧字体は新字体に改めました。カタカナは明治期の雰囲気を残すため、そのままにしておきます。

題は「青塚ノ記」。中国四大美女の一人、王昭君のお話。漢代にあって友好の印として、不本意ながら夷狄・匈奴族に嫁がされた悲運の女性ですが、恨みを残してこの世を去った証として、彼女の墓は砂漠のど真ん中にあるのにいつも青々とした草が生い茂っているという。この伝説の真偽を文献に当たって検証したものです。あちこちで遊ぶのがお好きな柳北のことですから、本音で言えば自分の足で飛んで行って確かめたかったでしょうな。ジャーナリストらしく冷静に分析している姿勢が印象的な文章です。(先のアドレスの38コマ目をご覧ください)

佳人ノ薄命、古今何ゾ限リ有ラン、而シテ文士才人ヲシテ、長クコンショウシ腸ケシムルモノハ、リ馬嵬ト青塚トニ在リ、然レドモ太真罪業甚ダ重シ、其ノ花鈿委地ノサンカ、亦深ク哀シムニ足ラザルモノ有リ、昭君ガ漢宮ノ姫人ニシテ、遠ク胡地ニチンリンシテ死スルニ至テハ、誰カ之ガ為メニアンルイ滴々タラサルヲ得ン、千載ノ下猶多情ノ人ヲシテ、冷風淡月ノ夕、香ヲ焚キ花ヲ奠シ、遠ク青塚ヲ望ンデ、其艶魂ヲ吊セシムルニ至ル、亦宜ナリ、古来説者云フ、胡地草白クシテ此塚独リ青シ、以テ昭君漢ヲ慕フノ心ヲ標スル也ト、此ノ説頗ルコウトウニ属ス、余嘗テ清人ノ書ニ於テ其説ヲ得タリ、録シテ以テ世ノ雅流ニ告グ、張鵬翮ノ使俄羅行程録ニ云、十八日行十五里、次帰化城、蒙古語庫々河屯也、城南負郭有黒河青塚、遠望如山、策馬往視、高二十丈、闊数十畝、頂有土屋一間、四壁累砌、蔵以瓦兌云々、塚前有石虎、双列白獅子、僅存其一、光瑩精工、必中国所製以賜明妃者也、緑玻璃ガレキ狼藉、似享殿遺址、惜無片碣可考、余曩キニ印度羅馬ノ諸地ニ遊ビ、コビョウ老塚ヲ目撃スルニ往々是レに類スルモノ有リキ、又宋牧仲筠廊偶筆ニ云フ、曹秋岳先生、嘗至昭君墓、無草木、遠而望之、メイモウ作黛色、古云青塚、良然、而シテ述本堂集従征百首ニ云フ、大青山下古青城、青塚依山一例名、祗為才人多伝会、便敢春草亦含弟情、注云、大青山、在帰化城北三十里、産石青、帰化城旧名枯々河屯、蒙古謂青為枯々謂城為河屯、蓋因山得名也、故明妃塚亦称青、非冬草猶青之説、此ノ説最モ確実ナルニ似タリ、然レドモ昭君ハ三十六宮第一ノ佳人ニシテ、胡児ノ婦ト為リ、琵琶ヲ羅帳ニ弾ジ、ヒソウシテ以テ死ス、死シテ骨ヲ絶域に瘞ム、而シテ其ノ地ハ則チ支那上国ノ人多ク往来セザル所ナリ、終天ノ恨其レ果シテ何如ゾヤ、古人故サラニ塚草独青ノ説ヲ作ルモ亦謂ハレ無キニ非ズ、而シテ青塚ノ字面太ダ好シ、シ之ヲ名ヅケテ黒塚ト云フガ如キ有ラバ、則チ是レ鬼女ノ窟ニ適当スルモノ、何ゾ絶代ノ麗姝ガ艶魂ヲ葬ルノ地ト認ル者アランヤ、古人ノ名ヲ下ス、其ノ妙其クノ如キ者有ルナリ、今シゴウ墓銘等ニ於テ、ユビフモウ毫モ其ノ人ニセザルノ標目ヲ以スル者往々少ナカラズ、豈啻黒白青黄ノ其ノ色ヲ失スルガ如キ而已ナランヤ、噫、


▼コンショウ=魂銷▼摧ケ=くだけ▼特リ=ひとり▼青塚=セイチョウ▼サンカ=惨禍▼チンリン=沈淪▼アンルイ=暗涙▼コウトウ=荒唐▼ガレキ=瓦礫▼コビョウ=古廟▼メイモウ=冥濛▼ヒソウ=悲愴▼設し=もし▼シゴウ=諡号▼ユビ=諛媚▼フモウ=誣罔▼倫=たぐい▼而已=のみ



王昭君の墓だけ青草?…んな馬鹿なと思いつつも、蒙古の言い伝えをヒントにその墓の謎を解き明かしています。面白いのは、冒頭のくだりにある楊貴妃と王昭君の対比です。貴妃は国家衰退の原因をつくった「悪女」として捉えられているのに対し、昭君は身を犠牲にして国を守った「義女」として祭り上げられています。貴妃は男を俘にする淫靡でエロチックな女性。昭君は国家の為に義理堅く、背筋がピンと張った女性。対照的な美女二人です。

愚者が才子に勝つには倦まず撓まず努力せよ=五山の禅僧のような漢詩を詠じた桂小五郎

桂小五郎(1833~77、のちの木戸孝允)は、松下村塾門下生ではなかったものの、吉田松陰が二十歳の時に開いていた兵学塾の門下生であり、やはり松陰の薫陶を受けた志士でした。西郷隆盛、大久保利通と並び「維新三傑」と称され、長州閥の中心人物として明治政府で重き役目を果たしました。しかしながら、後世の歴史好きからすれば、木戸としてよりも寧ろ桂のころの活躍の方が目覚ましく印象に残ります。晩年に病に倒れ「ここぞ」という時に働けなかったことによるものでしょう。明治書院「新書漢文大系7 日本漢詩」(P160~161)によると、「桂小五郎としての活躍は映画、芝居でよく知られる。藩論定まらず、藩士同士が殺し合い、また外国船の攻撃を受け、幕府と戦うはめに陥る長州藩を巧みにまとめたのは桂であった。その生涯のハイライトは坂本龍馬の斡旋による薩長同盟」とあります。NHK大河ドラマ「龍馬伝」でも恐らく近日中にはそのハイライト・シーンが見られるのではないでしょうか。

さて、桂(木戸)もまた一流の漢詩人でした。号は松菊といいます。

まずは「偶成」。明治書院から。

才子■才愚守愚    才子は才をタノみ愚は愚を守る
少年才子不如愚    少年の才子愚に如かず
請看他日業成後    請う看よ他日業成るの後
才子不才愚不愚    才子は才ならず愚は愚ならず



【解釈】 才子は才をたのんでつとめる気がなく、愚者は己れの愚かさを知って人一倍努力する。だから少年時代に才子であった者は愚者にかなわなくなる。他日事業を成し遂げた後を見たまえ。少年時代の才子が今は才子でなく、愚かに見えた者が実は愚かではなかったのだ。まったくその逆であったことに気づかされることはたびたびである。



タノみ=恃み。「恃む」は「なにかをあてにすること」。「頼・依」と同義。音読みは「ジ」。恃気(ジキ・キをたのむ=勇気をたのむ)、恃頼(ジライ=たのみとする、恃憑=ジヒョウ=)、恃力(ジリョク・ちからをたのむ=勢力や権力をあてにする)。「恃」が「あてにしてじっと待つ」の意であるのに対し、「頼」は「自分が責任を負うのをなまけて、他人に転嫁する」のニュアンスが強いです。


漢字学習上は正直、それほどの語彙は無いです(「タノみ」も無理矢理問題化しました)。しかし、このシンプルな言葉、内容に桂の性格が滲み出ていると思われます。ウサギとカメの競争のように、スタートダッシュを決めても、途中で懈け癖を覚えたが最後、いつ何時も休まず弛まず前に進んでいる者には負けてしまう。まさに駑馬十駕。刻苦勉励の「駑馬」は、才能依拠の「駿馬」を凌駕するとでも言いたげ。前回みた西郷の詩の「幾歴辛酸志始堅」、則ち「辛酸」を嘗めてこそ人間の志操が堅固となり大業を成すことができるのだという“哲学”に通じています。そういう意味では桂も駑馬であり、辛酸を嘗めに嘗めた人生でした。「五百金」で落籍し、妻に迎えた芸妓・幾松との「らぶすとおりぃ」も名高いですね。松は桂のピンチを何度も救っており、まさに内助の功ですが、そのくだりは今回は無しです。別の機会にでも…。

さてさて、桂(木戸)の「偶成」と言えば、詩吟の世界で有名なものがもう一つあります。明治書院には掲載がないので、このサイト(ここ)を利用して採録しておきます(旧字は新字に改めました)。

■■寒燈照眼明    イッスイの寒燈眼を照らして明かなり
沈思■■無限情    沈思モクザすれば無限の情
回頭知己人已遠    頭を回らせば知己の人已に遠し
丈夫■■豈計名    丈夫ヒッキョウ豈名を計らんや
世難多年万骨枯    世難多年万骨枯る
■■風色幾変更    ビョウドウ風色幾変更
年如流水去不返    年は流水の如く去りて返らず
人似草木争■■    人は草木に似てシュンエイを争う
邦家■■不容易    邦家のゼンロ容易ならず
三千余万奈■■    三千余万ソウセイを奈んせん
山堂夜半夢難結    山堂夜半夢結び難し
■■万峰風雨声    センガク万峰風雨の声



語彙や言い回しが熟れており完成度が高く、宛ら五山の禅僧が詠じた漢詩のようです。


イッスイ=一穂→菅茶山の「冬夜読書」の第四句である「一穂青灯万古心」が想起されます(この記事)。
モクザ=黙坐
ヒッキョウ=畢竟
ビョウドウ=廟堂→天下の政を行う場所、政府。あるいは、先祖を祀るみたまやの意もあるがここは前者。
シュンエイ=春栄(春英)→時めいて栄えること。
ゼンロ=前路→「前途」の意。おそらく平仄の関係で用いたのでしょう。
ソウセイ=蒼生→人民、蒼民、蒼氓ともいう。
センガク=千嶽(千岳)→これも含めて最後の句は荻生徂徠の「寄題豊公旧宅」に「千山風雨時時悪」がありました(この記事)。



さてさてさて、明治4年(1871)11月から同6年(1873)9月にかけて、岩倉具視を特命全権大使とする欧米列強諸国の視察団に参加した折、ロシアで詠んだ珍しい詩(1873年)もあります。近代デジタルライブラリー(ここ)から採録。訓み下し文は迂生の独自ですので紕繆やセンスの無さはご容赦ください。

「露国客中作」。

鉄道暮発巴里府    鉄道暮に巴里府を発し
車窓暁望梨水煙    車窓の暁 梨水の煙を望む
千里行程一夢裏    千里の行程一夢の
知是已入露国辺    是知る已に露国の辺に入ることを
憶起遠辞東京去    遠きを憶い起さば東京を辞し去り
屈指■■已三年    指を屈するところソウソウたり已に三年
天子詔命尚在耳    天子の詔命尚耳に在り
愧吾深情有誰憐    吾が深情を愧ずる有り誰か憐れむ
百慮謀治国無益    百慮 国を治むる謀は益無く
千思救飢民難安    千思 飢えし民を救うは安きに難し
緩歩落日心自嬾    緩歩せば落日心自ら
練鉄橋頭夏猶寒    錬鉄の橋頭夏猶お寒し
■■砕月月影乱    ヘキリュウ月を砕き月影乱れ
波瀾纔収月依然    波瀾かに月を収め依然たり
此中感慨無所訴    此の中感慨訴うる所無く
独指東天立風前    独り東天を指し風前に立つ



センチメンタルジャーニーでしょうか。なんとも物悲しい雰囲気です。さすがに足掛け3年も日本を離れているとおセンチになることは必定か。木戸は、何のために外遊しているのか段々わけが分からなくなってきたのでしょうか。元々反りが合わなかった大久保との仲が外遊中に険悪になります。道中は恐らく国造りを忘れた、空しい游蕩三昧だったのでしょう。征韓論で割れた内閣を処理するため二人は帰国を促されたのですが、何だかんだ理由を捏けて同じ船でなく別々のルートを取ることになったほどでした。余談ですが、この使節団にはあの中江兆民や津田梅子ら向学心に燃えた留学生もいたのです。






裏=うち
ソウソウ=匆匆
嬾し=ものうし
ヘキリュウ=碧流
纔かに=わずかに

じゃっど~ん、銭ば残したら子供らのためになりもはんぞ?=幕末維新の終わりを告げた西郷隆盛

幾歴辛酸志始堅    幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し
丈夫玉碎恥■■    丈夫玉碎センゼンを恥ず
一家遺事人知否    一家の遺事人知るや否や
不為■■買美田    ジソンの為に美田を買わず



これは西郷隆盛(1828~77)の有名な「偶成」という漢詩です(明治書院「新書漢文大系7 日本漢詩P157~」)。薩摩藩の盟友、大久保利通にあてた書簡に記したものだといいます。左提右挈して明治新政府を築いた二人でしたが、質素な生活を旨とする西郷に対して、大久保をはじめ新政府高官たちの驕奢な生活ぶり。どうにも西郷は是認することができず、その巨体の中に瞋恚の炎が萌し始めました。特に、大久保が東京・芝に建てた豪華な邸宅は反吐が出そうになるくらい不愉快な出来事でした。そうしたエピソードと重ね合わせてもう一度冒頭の詩を読んでみてください。


【解釈】 幾たびか困苦艱難を経て意志も強固となり、不撓不屈の精神も養われるものである。男児たるものは、縦令、玉となってくだけるとも、瓦となって身の安全をはかるのを恥とするものである。わが一家の遺訓を知っているのかね、知らないのかね。わが家では児孫のために立派な田地を買い残すことはしないことになっているのだ。

センゼン=甎全。役に立たない者がむだに存えること。「甎」は「しきがわら」。こちらは「瓦全」(ガゼン)の方が有名でしょう。その前の「玉碎」は「玉となって砕け散ること。名誉や信念を守るため、潔く死ぬことのたとえ」。「碎」は「砕」の旧字です。「玉砕」の方がポピュラーかもしれません。以上の二つは、「北斉書・元景安伝」に見える「大丈夫は寧ろ玉砕すべく、瓦全たる能わず」から来ています。幕末の皇国の志士たちは好んでこのフレーズを用いております。

ジソン=児孫。子と孫。子孫。児輩(ジハイ=子供たち、児曹=ジソウ=)。



艱難辛苦を乗り越えて初めて身につくものがある。最初からあったものではない。西郷の人生は挫折の繰り返しです。遠島への配謫、自殺未遂もありました。西郷は第三句で家訓を持ちだしていますが、先祖代々伝わるものではなく、彼が一代で拵えた家訓と言えるでしょう。財産も成したのは目的ではない結果なのだ。孫子がどんなに可愛くとも、艱難辛苦を越えてこそ得る価値があるのだ。だから、わたしは財産は残さない。次世代にモラルハザードを惹起することにもなるので無駄な金は残さないというのです。西郷のストイックな人生を凝縮した詩と言えるでしょう。

明治6年(1873)、西郷は征韓論に敗れ、下野し、故郷・鹿児島に帰って悠悠自適の生活を送ることを決めます。明治政府にとって対朝鮮外交は富国強兵策を進める上でのポイントの一つともなっていました。これは幕末の吉田松陰や橋本左内らも日本国の独立のためには朝鮮の領土化が欠かせないことを説いており、尊王攘夷運動の「歯車」の一つだったのです。左内と親交のあった隆盛は恐らく、影響を受けていたはずで対朝鮮外交の解決こそが維新を次のステージに上げるものだと考えていた。出兵というよりは自らが特使として赴き、円満に属国化を図ろうという算段でした。

ところが、いったんきまった征韓論は結局、大久保らの反対に遭い、頓挫します。盟友が袂を分かった瞬間でした。お互い気に食わないながらも即座に戦うことを考えていたわけではありません。隆盛が西南戦争で玉砕した明治10年(1877)までの4年間を振り返れば、紆余曲折があります。弊blogはあくまで漢字・漢詩blogであって歴史を振り返るものではないので敢えてここでは触れません。しかし、幕末維新はこれを以て終了することとなります。隆盛の死は時代の変革期のピリオドであり、新しい近代の幕開けを告げるものでもあったのです。

本日のオマケ。隆盛の漢詩を幾つか味わいましょう。「南洲翁遺訓」(角川ソフィア文庫のビギナーズ日本の思想シリーズ、猪飼隆明訳・解説)のP161~162によりますと、「西郷が書き残した漢詩で、一番多いテーマは秋で三一篇、次が春・梅の二六篇、そして次に多いのが山・猟の一八篇だと言う(山田尚二『新版 西郷隆盛漢詩集』財団法人西郷南洲顕彰会)」といいます。山田氏の西郷の漢詩集の一部は、ネットのサイトにもあるものです(ここ)。これによって隆盛の詩を幾つかテーマ順に採録しておきましょう。

まず、秋から。

「秋暁」。

■■声喧草露繁    シッシュツしくして草露繁く

残星影淡照■■    残星影淡くしてタイモンを照らす

小窓起座呼児輩    小窓座を起ちて児輩を呼び

■■督来■魯論    オンシュウ督し来たって魯論をヒモト

【解釈】 こおろぎが鳴きたてているあたり、草はしっとりと露に濡れている。夜明けの空に消え残る星の光は淡く、我が家のくずれかかった門を照らしている。窓辺から立ち上がって子供達を呼び、勉強のおさらいをいいつけて『論語』を開いた。

シッシュツ=蟋蟀
喧しく=かまびすしく
タイモン=頽門
オンシュウ=温習
ヒモトく=繙く

続いて、春。

「偶成」。


再三■■歴酸辛    再三のリュウザン酸辛を歴たり

病骨何曾慕俸緡    病骨何ぞ曾て俸緡を慕わん

今日■■相共賞    今日タイキュウして相い共に賞す

■■情話一家春    ダンランの情話一家の春を

【解釈】 再三にわたって流罪となり、つらい苦しみを経てきた。病みつかれてしまったこの体で、もはや出世して高給を得ようという気もあるはずがない。今日、仕事から退くことができて、一家団欒の中で心のこもった話を交わしながら、春の日を楽しんででいるのだ。

リュウザン=流竄
俸緡=ホウビン
タイキュウ=退休
ダンラン=団欒



次は山・猟。

「山行」。

駆犬衝雲独自■    犬を駆り雲を衝いて独り自ら

豪然■■長嘯断峰間    豪然としてチョウショウす断峰の間

請看世上人心険    請う看よ世上人心の険なるを

■■艱於山路艱    ショウレキするは山路の艱きよりも艱し

【解釈】 猟犬を駆り立て雲を突き抜けて、だひとり攀じ登って行く。そして、切り立った峰々の間で、意気高らかに四週を見渡し、悠々と詩を吟ずる。見たまえ、世間の人々の心はなんと険しいことか。その中を渡ってゆくのは、こうして山路を越えてゆくよりも更に困難なことではないか。

ヨじ=攀じ
チョウショウ=長嘯
ショウレキ=渉歴



最後は征韓論。

「朝鮮に使いするの命を蒙る」。

酷吏去来秋気清    コクリ去り来たって秋気清く

鶏林城畔逐涼行    鶏林城畔涼を逐いて行く

須比蘇武歳寒操    須く比すべし蘇武サイカンの操

応擬真卿身後名    応に擬すべし真卿シンゴの名

欲告不言遺子訓    告げんと欲して言わず遺子の訓

雖離難忘旧朋盟    離ると雖も忘れ難し旧朋の盟

胡天紅葉凋零日    胡天紅葉チョウレイの日

遥拝雲房霜剣横    遥かに雲房を拝して霜剣を横たう

【解釈】 酷しい夏の暑さも過ぎ去って、秋の気配が涼やかにただようようになった。このたび朝鮮の都までは、涼しさを追いかけての旅だ。国の使者としては、いかに困難にあっても屈することのなかった漢の蘇武に、また、死をもって大義を顕した唐の顔真卿にみならわねばならない。
子どもたちに言い残しておきたいことは、なくもないが、もはや言うまい。遠く離れ去るとはいえ、旧友諸君との交誼は忘れがたい。異国の空の下、紅く色づいた木々も葉を散らす頃、傍らには白くひかる鋭利な剣を横たえて、私は遠く祖国の宮城を遥拝していることだろう。

コクリ=酷吏
サイカン=歳寒
シンゴ=身後
チョウレイ=凋零

戦いやめて美人の膝枕で眠りたい…=維新の理想と現実に夢破れた前原一誠

前原一誠(1834~76)も長州生まれで、綺羅星如く人材が輩出した「松下村塾」の門下生です。幕末を乗り切り、明治維新も迎え、要職に就いた人ですが、残念ながら理想と現実の乖離に堪え切れず、新政府を飛びだしました。そして不平士族の先頭に立って政府に楯突いたのです。「幕末・維新」という大きな時代変革の波に翻弄され、適合できなかった一人と言えるでしょう。

「逸題」。号は梅窓。

■■鉄衣過一春    カンバ鉄衣一春を過る
帰来欲脱却■■    帰来フウジンを脱却せんと欲す
一場残酔■■睡    一場の残酔ヒジをマげて睡る
不夢周公夢美人    周公を夢みず美人を夢む



【解釈】 汗血馬(駿馬)にうちまたがり、鉄衣(甲冑)を着け、戦場を駆逐して、わが青春はあっという間に過ぎ去ったが、今はなつかしの故郷に帰ってきた。これより後は、俗界をよそに悠々と自適の余生を送りたいものと思う。そこでまず一杯を傾け、肱を曲げて枕として眠れば、もとより孔子ならぬ小生のこと、夢に見るのは周公ではなく、むしろ美人ばかりであった。

カンバ=汗馬。乗っている馬に汗をかかせてかけずりまわり、力を尽くす。転じて、戦場で手柄を立てること。「汗血馬」という言葉も寓意するか。これは血のような汗を流す馬のことで、優れた才能、功績を挙げた人を譬える。汗馬之労(カンバのロウ)と言えば「戦功」。≠悍馬、扞馬、駻馬、神庭。このあとの「鉄衣」は「甲冑」の意。

フウジン=風塵。わずらわしい俗事をいう。「帰来」は「帰郷」。

ヒジをマげて=肱を曲げて。ひじをまげること。「曲肱之楽」(キョクコウのたのしみ)から「貧しいながらも道を行う楽しみ」をいう。孔子の弟子である顔回が、ひじを曲げて枕にしたということが「論語・述而」にある。



ちょっとおどけた感じの詩です。戦で功を遂げたあと、故郷に帰ってほろ酔い加減で眠っていると、美人の膝枕で寝ている夢でも見たいものだ。間違っても周公の夢など見たくもないさ。結句で出てくる「周公」とは、「殷の紂王を倒して周王朝の基礎を作った聖人」のこと。儒教の世界では偉いお人でしょうが今の私には無縁もいいところ。きれいなお姉ちゃんでも侍らせたいのぉ~。忙中有閑。幕末・維新の戦乱からほんのひと時だけ解放されてのんびりとしている一誠の姿が髣髴とします。いつの時代も、戦士には休息、息抜きが必要なのです。

一誠は討幕を果たした後、慶応3年(1867)12月には海軍頭取となり、明治元年 (1868) 6月には干城隊を率いて北越に転戦し、7月には北越軍参謀に任ぜられた。 翌2年7月、参議に補せられ、12月、兵部大輔にまで上り詰めます。とんとん拍子の出世と言えるでしょう。明治の元勲と呼ばれるのも間近。しかし、木戸孝允や大久保利通と意見が合わず、3年9月、職を辞して萩に帰ってしまいます。病気が表向きの理由。4年正月8日、最も親しかった参議広沢真臣(兵助)が暗殺され、広沢は木戸と対立しており、当時、広沢を暗殺したのは木戸ではないかという噂があがりました。よほど木戸と折り合いが悪かったのでしょう。

明治書院によれば、詩は「前原一誠が明治政府から下野した直後に作られたものと思われる」とあります。起句の「汗馬鉄衣」は「朝廷方として佐幕の諸藩と戦ったことを指す」。そして、故郷の萩に帰ってのんびりと余生でも送ろうかと思ったものの、6年10月になると、征韓論に破れた西郷隆盛・板垣退助・江藤新平・後藤象二郎・副嶋種臣らも聯袂辞職して下野。明治新政府内の混迷の度が深まり、処遇に不満の持つ士族が続々と政府に反旗を翻します。

承句にある「風塵」を離れて暮らすことは一誠にとって叶わないことだったのです。理想の政治は訪れなかった。眼前で行われたものは腐敗しきった政治でしかなかった。政府の不正・不善と大官の私利・私欲にふけるのを黙視できず、これを糾弾したのです。翌7年10月に至り、即ち24日、熊本に太田黒伴雄・大野鉄平らの神風連の乱、27日、福岡に宮崎車之助らの秋月の乱、31日、一誠もついにこれに策応して萩に乱を起こした。しかし、11月6日、一誠は石見・出雲の国国境付近で捕らえられ、12月3日、斬罪に処せられた。享年43歳のことでした。



近代デジタルライブラリーで検索すると、「近世英傑詩歌集」の【第2冊・坤】に前原一誠の漢詩が4句掲載されていました(ここ)。いずれも白文のみ、旧字体です。新字体に改め、訓み下してみました。誤りがあるやもしれませんがご容赦を。


「失題」。

■■未定事如麻    カンカ未だ定まらず事麻の如し
身委■■不思家    身はカンナンに委せ家を思わず
獣斬姦臣数暦月    獣は姦臣を斬ること数暦月
十年永負故山花    十年永に故山の花を負う


「偶成」。

水濁無由濯我■    水濁りて由無くも我がエイを濯う
行吟沢畔歎則生    行吟し沢の畔にて則ち生を歎ず
従今脱却■■事    今従りジンカンの事を脱却し
売剣賈牛自在耕    剣を売り牛をいて自在に耕さん

「辞世」。

欲掃元悪不顧身    元悪を掃わんと欲し身を顧みず
死生得失風前塵    死生得失風前の塵
生来初灑丈夫涙    生来初めて灑ぐ丈夫の涙
不孝兄弟殉国人    不孝なる兄弟国に殉ずるの人

「辞世」。

今我為国死    今我国の為に死なんとす
死不負君恩    死して負わず君の恩
人事有■■    人事ツウソク有り
■■吊吾魂    ケンコンに吾が魂を吊るさん

明治維新の初期は幕末の皇国の香りがまだ芬芬としていました。明治政府が絶対的な存在ではなかったため、そこから離れた志士は自らの価値観が定まらない中、命を惜しんで「瓦全」たらんよりも、潔く国のために「玉砕」せんという道を選ばざるを得なかったのでしょう。それは次回ご紹介する西郷隆盛で最高潮を迎えます。日本国が生まれ変わるための、「産みの苦しみ」。お楽しみに。






こたえ)カンカ=干戈
    カンナン=艱難
    エイ=纓
    ジンカン=人間
    賈う=かう
    ツウソク=通塞
    ケンコン=乾坤
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char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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