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Twitterよりもっと文章を…=陸機「文賦」番外編5・完

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の番外編の五回目です。

▼…夫の応感の会、通塞の紀の若きは、来れども遏む可からず、去れども止む可からず。蔵るること景の滅ゆるが若く、行くこと猶お響きの起こるがごとし。天機の駿利なるに方たりては、夫れ何の紛たるとして理まらざる。思いは風のごとくに胸臆に発し、言は泉のごとくに脣歯に流る。紛として威蕤として以て馺遝たり、唯ゴウソの擬する所なり。文は徽徽として以て目に溢れ、音は泠泠として耳に盈つ。(第二十一回

▼…其の六情底滞し、志往き神留まるに及びては、兀たること枯木の若く、豁たること涸流の若し。営魂を攬りて以て賾きを探り、精爽を頓めて自ら求む。理はエイエイとして愈々伏し、思いは乙乙として其れ抽きいずるが若し。是を以て或いは情を竭くして悔い多く、或いは意に率いて尤寡なし。茲の物の我に在りと雖も、余が力の勠わする所に非ず。故に時に空懐を撫して自ら惋む、吾未だ夫の開塞の由る所を識らず。(第二十二回

▼…伊れ茲の文の用為る、固より衆理の因る所なり。万里を恢いにして閡無く、オクサイに通じて津と為る。俯しては則を来葉に貽し、仰ぎては象を古人に観る。文武を将に墜ちんとするに済い、風声を泯びざるに宣ぶ。途遠きとして弥らざる無く、理微として綸めざる無し。霑潤を雲雨に配し、変化を鬼神に象る。金石に被らしめて徳広く、管絃に流して日に新たなり。(第二十三回

以上、陸機の「文賦」でした。これ以上は諄諄と申し上げません。人間として生を享けた証として自分の思いをどんどん文章にしようではありませんか。ま、Twitterもいいけどね……。
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陸機「文賦」番外編4

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の番外編の四回目です。

▼…或いは理を遺てて以て異を存し、徒に虚を尋ねて以て微を逐う。言は情寡なくして愛鮮なく、辞は浮漂して帰らず。猶お絃の么にして徽の急なるがごとし、故に和すと雖も悲しからず。或いは奔放して以てカイゴウし、務めて嘈囋として妖冶たり。(第十六回

▼…徒に目を悦ばせて俗に偶するも、固より高声なれども曲下る。防露と桑間とを寤る、又悲しと雖も雅ならず。或いは清虚にして以て婉約、毎に煩を除きて濫を去る。大羹の遺味を闕き、朱絃の清氾なるに同ず。一唱してサンタンすと雖も、固より既に雅にして豔ならず。(第十七回

▼…夫の豊約の裁、フギョウの形の若きは、宜に因り変に適い、曲さに微情有り。或いは言は拙にして喩は巧みなり。或いは理は朴にして辞は軽し。或いは故きに襲りて弥々新たにして、或いは濁れるに沿りて更に清し。或いは之を覧て必ず察し、或いは之を研きて後に精し。譬えば猶お舞う者の節に赴きて以て袂を投じ、歌う者の絃に応じて声を遣るがごとし。是蓋し輪扁の言うを得ざる所にして、故より亦華説の能く精しくする所に非ず。(第十八回

▼…辞条と文律とを普くするは、良に余が膺の服する所なり。世情の常の尤を練い、前脩の淑しとする所を識る。濬く巧心に発すと雖も、或いは「山+欠」いを拙目より受く。彼のケイフと玉藻とは中原の菽有るが若し。橐籥の窮まり罔きに同じく、天地と並び育す。(第十九回

▼…此の世に紛藹すと雖も、嗟予が掬に盈たず。挈缾の屢々空しきを患い、昌言の属り難きを病む。故に短垣に踸踔し、庸音を放ちて以て曲を足らす。恒に恨みを遺して以て篇を終う、豈盈を懐いて自ら足れりとせんや。塵をに叩くに蒙るを懼れ、顧て笑いを鳴玉に取る。(第二十回

陸機「文賦」番外編3

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の番外編の三回目です。

▼…或いは仰ぎて先条に逼り、或いは俯して後章を侵す。或いは辞害ありて理比び、或いは言順にして義妨ぐ。之を離せば則ち双びに美しく、之を合わすれば則ち両つながら傷る。殿最を錙銖に考え、去留を毫芒に定む。苟くもセンコウの裁する所ならば、固より縄に応じて其れ必ず当たる。(第十一回

▼…或いは文繁く理富めども、意指適せず。極まりて両致無く、尽きて益す可からず。片言を立てて要に居らしむれば、乃ち一篇のケイサクなり。衆辞の条有りと雖も、必ず茲を待ちて績を効す。亮に功多くして累寡なし、故に足るを取りて易えず。(第十二回

▼…或いは藻思綺のごとくに合い、清麗千眠たり。炳たることジョクシュウの若く、悽たること繁絃の若し。必ず擬する所の殊ならざれば、乃ち闇に曩篇に合す。予の懐に杼軸すと雖も、佗人の我に先んずるを怵る。苟くも廉を傷りて義に愆えば、亦愛むと雖も必ず捐つ。(第十三回

▼…或いは苕のごとくに発し穎のごとくに豎ち、衆を離れ致すを絶つ。形は逐う可からず、響きは係を為し難し。塊として独り立ちて特り峙ち、常音の緯する所に非ず。心牢落として偶無く、意ハイカイして揥る能わず。石玉を韞みて山輝き、水珠を懐きて川媚し。彼の榛楛の翦ること勿きも、亦栄を集翠に蒙る。下里を白雪に綴るも、吾亦彼の偉とする所を済す。(第十四回

▼…或いは言を短韻に託し、窮迹に対して独り興る。俯しては寂莫として友無く、仰ぎてはリョウカクとして承くる莫し。偏絃の独り張るれるに譬う、清唱を含めども応ずる靡し。或いは辞を瘁音に寄せ、徒に言を靡にして華ならず、妍蚩を混じて体を成し、良質を累ねて瑕を為す。(第十五回

陸機「文賦」番外編2

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の番外編の二回目です。

▼…澄心を罄くして以て思いを凝らし、衆慮を眇かにして言を為す。天地を形内に籠め、万物を筆端に挫く。始めは燥吻にテキチョクし、終には濡翰に流離す。理は質を扶けて以て幹を立て、文は条を垂れて繁を結ぶ。信に情貌の差わざる、故に変ずる毎に顔在り。思い楽しみに渉れば其れ必ず笑い、方に哀しみを言いて已に歎く。或いは觚を操りて以て率爾たり、或いは毫を含みて邈然たり。(第六回

▼…伊れ茲の事の楽しむ可き、固より聖賢の欽む所なり。虚無に課して以て有を責め、寂寞を叩きて音を求む。綿邈を尺素に函み、滂沛を寸心に吐く。言之を恢いにして弥広く、思い之を按じて逾々深し。芳蕤の馥馥たるを播き、青条の森森たるを発す。粲として風のごとくに飛びて猋のごとくに豎ち、鬱として雲のごとくにカンリンに起く。(第七回

▼…体に万殊に有り、物に一量無し。紛紜キカクとして、形状を為し難し。辞は才を程りて以て伎を効し、意は契を司りて匠と為る。有無に在りて僶俛し、浅深に当たりて譲らず。方を離れて員を遯ると雖も、形を窮めて相を尽くすを期す。故に夫の目に夸る者は奢を尚び、心に愜う者は当を貴ぶ。窮を言う者は隘なること無からんや、達を論ずる者は唯曠し。(第八回

▼…詩は情に縁りて綺靡たり、賦は物を体してリュウリョウたり。碑は文を披きて以て質を相け、誄は纏綿として悽愴たり。銘は博約にして温潤、箴は頓挫して清壮なり。頌は優遊として以て彬蔚、論は精微にして朗暢たり。奏は平徹にして以て閑雅、説は煒曄にして譎誑たり。区分の茲に在りと雖も、亦邪を禁じて放を制す。辞達して理挙らんことを要す。故に冗長を取る無し。(第九回

▼…其の物為るや姿多く、其の体為るや屢屢遷る。其の意を会するや巧みなるを尚び、其の言を遣るや妍を貴ぶ。音声の迭いに代わるに曁びては、五色の相宣ぶるが若し。逝止の常無く、固に崎として便じ難しと雖も、苟に変に達して次を識らば、猶お流れを開きて以て泉を納るるがごとし。如し機を失いて会に後るれば、恒に末を操りて以て顚に続く。ゲンコウの袟敘を謬り、故に淟涊として鮮やかならず。(第十回

陸機「文賦」番外編1

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)は番外編として続行します。改めて訓み下し文のみ掲載、これはという言葉だけ漢字問題としておきます。全23回を小分けにしましょう。読めない言葉や意味不明のくだりはそれぞれの回に戻って復習しておきましょう。文賦という名文は何度も何度も搦手からでも玩わうのがお得。漢字学習はもちろん、文章の達人にもなれます。中国の古典にも造詣が深くなりますよ。兎に角お得。お得の一語です。

「文賦」(陸機)

▼…余才子の作る所を観る毎に、窃かに以て其の用心を得る有り。夫れ言を放ち辞を遣るは、良に変多きも、ケンシ好悪は、得て言う可し。自ら文を属る毎に、尤け其の情を見る。恒に意は物に称わず、文は意に逮ばざるを患う。蓋し知ることの難きに非ずして、能くすることの難きなり。故に文の賦を作りて、以て先士の盛藻を述べ、因て文を作るの利害の由る所を論ず。佗日に殆ど其の妙を曲尽すと謂う可し。斧を操りて柯を伐るに至りては、則を取ること遠からずと雖も、夫の手に随うの変の如きは、良に辞を以て逮び難し。蓋し能く言う所の者は、此に具うと云う。(第一回

▼…中区に佇みて以て玄覧し、情志を典墳に頤う。四時に遵いて以て逝くを歎き、万物を瞻て思い紛る。落葉を勁秋に悲しみ、柔条を芳春に喜ぶ。心懍懍として以て霜を懐い、志眇眇として雲に臨む。世徳の駿烈を詠じ、先人のセイフンを誦す。文章の林府に遊び、麗藻の彬彬たるを嘉す。慨として篇を投じて筆を援り、聊か之を斯文に宣ぶ。(第二回

▼…其の始めたるや、皆視を収め聴を反し、思いに耽り傍々訊う。精は八極に騖せ、心はバンジンに遊ぶ。其の致れるや、情曈曨として、弥鮮やかにして、物昭晣として互いに進む。群言の瀝液を傾け、六芸の芳潤に漱ぐ。天淵に浮かびて以て安流し、下泉に濯ぎて潜浸す。(第三回

▼…是に於て沈辞は怫悦として、遊魚の鉤を銜みて重淵の深きより出ずるが若く、浮藻はレンペンとして、翰鳥の繳に纓りて曾雲の峻きより墜つるが若し。百世の闕文を収め、千載の遺韻を採る。朝華を已に披けるに謝し夕秀を未だ振るわざるに啓く。古今を須臾に観、四海を一瞬に撫す。(第四回

▼…然る後義を選びて部を按じ、辞を考えて班に就く。景を抱く者は咸叩き、響きを懐く者は畢く弾ず。或いは枝に因りて以て葉を振るい、或いは波に沿いて源を討ぬ。或いは隠に本づきて以て顕に之き、或いは易きを求めて難きを得。或いは虎変わりて獣擾れ、或いは竜見れて鳥瀾る。或いはダチョウにして施し易く、或いは岨峿して安からず。(第五回

「配霑潤於雲雨 象變化乎鬼神」のごとく変幻自在な文章を書くべし=陸機「文賦」23・完

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の23回目、長かった文章読本も愈々オーラスです。自分の思いだけでもダメ、古人の文章を手本に真似していい部分と反面教師とするべき部分を見極めて生かす。そして、オリジナルなものを生み出す。それを言葉にして後世のために残す。そうやって人類が歴史を繋いでいくことが大事であると陸機は言います。

伊れ茲の文の用為る、固より衆理の因る所なり。万里を恢いにしてア)無く、1)オクサイに通じて津と為る。俯しては則を来葉にイ)し、仰ぎては象を古人に観る。文武を将に墜ちんとするに済い、風声をウ)びざるに宣ぶ。途遠きとしてエ)らざる無く、理微としてオ)めざる無し。2)テンジュンを雲雨に配し、変化を3)キシンに象る。金石に被らしめて徳広く、管絃に流して日に新たなり。

1)オクサイ=億載。一億年、非常に長い年月のこと。「載」は「年」。千載(センザイ・センサイ=千年、ちとせ)、万載(バンサイ=万年、よろづよ)。

2)テンジュン=霑潤。ひたひたと一面に濡らすこと、湿らすこと。「霑」も「潤」も「うるおう」「うるおす」。均霑(キンテン=平等にうるおう、ひとしく利益を受ける、ひとしく利益を与える)、霑汗(テンカン=にじみ出た汗)、霑濡(テンジュ=びっしょりぬれる、恩恵を受ける)、霑酔(テンスイ=全身にしみわたるほど酔う)、霑被(テンピ=うるおう、うるおす、恩恵をこうむる、恩恵をほどこす)、霑露(テンロ=つゆ、また、つゆにぬれる)。潤膩(ジュンジ=うるおいがあってなめらかなこと、潤滑=ジュンカツ=)、潤下(ジュンカ=水の別名)、潤身(ジュンシン=教養を高め、人格をりっぱにする、みをうるおす)、潤筆(ジュンピツ=筆をしめらせる、書画をかくこと、書画の書き賃で生活すること、揮毫料=キゴウリョウ=)。

3)キシン=鬼神。目に見えない、人間離れしたすぐれた能力を持つ神霊。

ア)閡=かぎり(ガイ)。「とざす」。戸を閉める、つっかえ棒をしてとびらをしめる。「垠」と同義。

イ)貽し=のこし。「貽す」は「のこす」。あとにのこす。「おくる」の訓みもあり。音読みは「イ」。貽訓(イクン=祖先が子孫のためにのこした教え、遺訓)、貽厥(イケツ=子孫、詒厥とも)、貽謀(イボウ=よい計画を子孫に残す、また、その計画)。

ウ)泯び=ほろび。「泯びる」は「ほろびる」。ほろんでなくなる、尽きてなくなる。音読みは「ビン」。泯然(ビンゼン=ほろびるさま、はっきりしないさま)、泯泯(ビンビン=おろかで道理にくらいさま、水の清らかなさま、ほろんでなくなるさま、乱れて見分けがつかないさま)、泯没(ビンボツ=ほろびる、なくなる)、泯滅(ビンメツ=ほろんでなくなる、泯絶=ビンゼツ=、泯尽=ビンジン=)、泯乱(ビンラン=道徳や秩序が乱れる)。

エ)弥ら(ざる)=わたら(ざる)。「弥る」は「わたる」。端まで届く意から転じて、A点からB点までの時間や距離を経過する。音読みは「ビ(ミ)」。弥天(ビテン=空の端から端まで一面、満天、志が高遠なさま)、弥漫(ビマン=一面に広くはびこる)、弥綸(ビリン=あまねくおさめる)、弥歴(ビレキ=月日がたつ)。

オ)綸め=おさめ。「綸める」は「おさめる」。この訓みは手元の漢和辞典(学研の漢字源)には載っていません。漢検漢字辞典の意味欄の②に「おさめる。つかさどる」があり、経綸(ケイリン)が用例にあります。やや特殊な訓みか。音読みは「リン」。「いと」「おびひも」とも訓む。綸言(リンゲン=天子のことば、みことのり、詔勅、綸音=リンイン=、綸旨=リンジ=)、綸言如汗(リンゲンあせのごとし=汗が出たらもどらないように、天子が一度発したことばは、とりけすことができないこと)、綸子(リンズ=地が厚く、つやのある絹織物)、綸綍(リンフツ=青いおびひもと、ひつぎを引く太い綱、転じて、詔勅を指す、「礼記」緇衣篇の「王言如綸、其出如綍」が出典、「綍」(フツ)は「おおづな、太い綱」)。


伊茲文之為用,固衆理之所因。恢萬里而無閡,通億載而為津。俯貽則於來葉,仰觀象乎古人。濟文武於將墜,宣風聲於不泯。塗無遠而不彌,理無微而弗綸。配霑潤於雲雨,象變化乎鬼神。被金石而廣,流管絃而日新。



【解釈】 そもその文の働きは、様々な道理を表現できることにある。万里の遠くにまで、遮られることなく意を伝え、何万年離れた時代をも、結びつけることができる。後の世に教えを残し、過去の聖賢から手本を受け取ることができる。文王・武王の文化が、地に落ちるのを防ぎ、王者の風教を継いで、滅びないようにする。いかなる高遠な道でも包括できるし、いかなる微妙な理でもきちんとまとめられる。文章の徳は、恵みの雨を降らす雲にも似て、変幻自在な鬼神にも似る。金石に刻めば、徳を広く伝えることができるし、音楽に乗せれば、常に新しく理解されていくのである。

「恢萬里而無閡,通億載而為津」。これこそが文章の最大の効用。時代を越えて、過去と現代が思想や考えを共有するのです。過去と現代の対話とでも言えましょう。お互いが認め合い、お互いが役目を果たし合う。バトンを繋ぐ。「配霑潤於雲雨,象變化乎鬼神」と、文章が恵みの雨であり、あらゆるものに姿を変え得る鬼神だともいう。金石に刻みこめば、徳を伝え、音楽に乗せて語れば、新しいく生まれ変わる。文章の効用は一つではない。生活に根差し、心を豊かにし、人間が人間であることの意味を明らかにしてくれる。動物とは違う存在であることを認識させてくれる。自然に対して畏敬の念は持ちつつも、万物に対して優位性をも示す。それが文章です。陸機がわれわれ現代人に教えてくれる文章に対する思い。これを受け止めて、心の奥底にある自分というものに目覚めようではありませんか。そして、今だから表現できるものを精いっぱい文章にしたためて、後世の未来人に残そうではないですか。たとえそれが「反面教師」であってもわれわれが生を享けて古の先輩から教え導いてもらった「恩返し」ではないでしょうか。人類というラインに生きることの証ではないでしょうか。ひとまず文賦の本篇は終わりますが、次回以降且く「番外編」として続けようと思います。折角の名美文です。勿体無いですよね。

「雖茲物之在我 非餘力之所戮」―文章は自ら制御できず=陸機「文賦」22

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の22回目です。

其の1)リクジョウ底滞し、志往き神留まるに及びては、2)ゴツたること枯木の若く、3)カツたること涸流の若し。営魂をア)りて以てイ)きを探り、4)セイソウをウ)めて自ら求む。理は5)エイエイとして愈々伏し、思いは乙乙として其れ抽きいずるが若し。是を以て或いは情を竭くして悔い多く、或いは意に率いて尤寡なし。茲の物の我に在りと雖も、余が力のエ)わする所に非ず。故に時に空懐を撫して自らオ)む、吾未だ夫の6)カイソクの由る所を識らず。

1)リクジョウ=六情。喜怒哀楽愛悪の人間が持つ六つの感情。≠陸上。「六~」(リク~)の熟語は要注意が多い。六言六蔽(リクゲンのリクヘイ=六つのことばがあらわす六つの害→仁・知・信・直・勇・剛を好んでも学問を好まないならば、愚・蕩(とりとめない)・賊(人や自分をそこなう)・絞(きゅうくつ)・乱(乱暴)・狂(狂気の沙汰)という弊害に陥ると、孔子が子路におしえたことば、論語・陽貨)、六尺之孤(リクセキのコ=十四、五歳で父に死別したみなしご)、六纛(リクトウ=六本の大きな旗、天子や諸侯が軍隊で用いた)、六韜三略(リクトウサンリャク=兵法書)、六花(リッカ=雪のこと→結晶が六角形)、六合(リクゴウ=東西南北上下の六つの方角)、六義(リクギ=「詩経」の詩に見られる三種の詩体、風・雅・頌と、三種の表現方法、賦・比・興とをいう)、六軍(リクグン=天子の軍隊、周代の制度では、一軍は一万二千五百人、天子は六軍で七万五千人をもつ、≠陸軍)、六芸(リクゲイ=君子の教養とされた六つの技芸、礼・楽・射・御(馬車を御す術)・書・数)。

2)ゴツ=兀。高く突き出たさま。突兀(トッコツ=突き出ている)、兀兀(ゴツゴツ=山などの上が高くて平らなさま)、兀坐(コツザ=からだを動かさずにじっとすわっている、ぼんやりとすわる)、兀者(ゴッシャ=足をきる刑を受けて、一本足になった者)、兀然(コツゼン=無知であるさま、自分勝手でおごるさま、孤立して動かないさま、高く突き出ているさま)、兀立(コツリツ=一つだけ高く突き出ている)。

3)カツ=豁。からっとひらけたさま。「ひろい」の意。あけすけであるさま。豁爾(カツジ=ひろびろとひらけたさま、酔いや眠りなどからさめて、さっぱりするさま)、豁如(カツジョ=心がひろくて大きいさま)、豁然(カツゼン=土地などがひろびろとひらけているさま、疑いや迷いが、さらりと解けて物事がはっきりするさま、豁然貫通)、豁達(カッタツ=けしきなどがひろびろとしているさま、心が大きく物事にこだわらないさま)、豁達大度(カッタツタイド=ひろくて大きな度量)、豁然大悟(カツゼンタイゴ=とつぜんさとりをひらくさま、豁悟=カツゴ=)。

4)セイソウ=精爽。心が明るくさわやかである。後に「精神」を指すようにもなる。ここも「精神」の意味に近い。

5)エイエイ=翳翳。物事の本質が奥深くにあって知りにくいさま。もともとは「ほの暗い影の生じるさま」をいう。翳然(エイゼン=かげに隠れたさま、荒れ果ててひっそりしているさま)。

6)カイソク=開塞。開いたりとじたりするさま。開闔(カイコウ)、開閉ともいう。≠楷則、快速、快足、会則。「開~」の熟語では、開筵(カイエン、むしろをひらく=宴会の敷物を広げる、宴席を設けること)、開豁(カイカツ=心が広くて物事にこだわらない、豁達=カッタツ=)、開闊(カイカツ=ひろびろとしている、押し開いて広くする、開廓=カイカク=、開曠=カイコウ=)、開顔(カイガン=表情を明るくする、楽しく笑うこと、開顔一笑=カイガンイッショウ=)、開襟(カイキン=えりをひらく、本心を打ち明けて話すこと、胸襟を開く)、開欠(カイケツ=官吏が職をさる、退職)、開寤(カイゴ=さとりをひらく)、開春(カイシュン=春になる、春の初めごろ)、開霽(カイセイ=雨がやんで、すっかり晴れ渡る)、開拆(カイタク=荒れ地や山野をはじめてきりひらいて田畑をつくる、転じて、これから活動すべき新しい分野・方法を見つけて、その基礎を築くこと)、開龕(カイガン=ふだん閉じておく厨子の戸を開いて仏体をおがませること)、開誘(カイユウ=導いてさとあらせる)、開闢(カイビャク=天地ができた世界のはじまりのとき)、開敏(カイビン=心が広くさとい)、開緘(カイカン=手紙や封印されたものの封を解く、開封)、開物成務(カイブツセイム=世の中の人知を開発し、それによって世の中の事業を成し遂げる、ものをひらきつとめをなす、開成、開務)、開落(カイラク=花が咲くことと散ること、開謝=カイシャ=)、開朗(カイロウ=あけっぱなしで明るい)。

ア)攬りて=とりて。「攬る」は「とる」。集めて手に持つ、とりまとめて持つ、とり集める。音読みは「ラン」。攬筆(ランピツ=筆を手に取る、詩や文を作る、ふでをとる)、収攬(シュウラン=とりまとめる)、承攬(ショウラン=一手に請け負う)。

イ)賾き=ふかき。「賾い」は「ふかい」「おくぶかい」。幽深で、はっきりと見定めにくい。また、そのような道理のこと。音読みは「サク(ジャク)」。「賾」は配当外で部首は「貝」、画数は十九画。玄賾(ゲンサク=おくぶかくて真理が見えないこと)。

ウ)頓め=とどめ。「頓まる」は「とどまる」。ずしんと腰を下ろす、腰をおろして動かない、とんとおく、とんととまる。音読みは「トン」。困頓(コントン=疲れて止まり、動きがとれない)、整頓(セイトン=ととのえて落ち着ける)、頓躓(トンチ=どんとつまずく、つまずいてたおれる、転じて、苦しい境遇におちいること)、「頓」の和訓はおおくあり、「ぬかずく」「とみに」「ひたぶる」「とんと」「ひたもの」。頓挫(トンザ=文章の調子が急に変わってゆるやかになること)、頓萃(トンスイ=苦しむ、また、苦しめる)、頓弊(トンペイ=物がいたんでだめになる)、頓仆(トンボク=どすんと倒れる)。

エ)勠わする=あわする。「勠せる」は「あわせる」。分散した力を寄せ集めて一つにする。音読みは「リク」。「戮」(リク、ころす)にも同様の意味があります。戮力=勠力(リクリョク=協力する)、勠力協心(リクリョクキョウシン=力をあわせ心をそろえる、戮力協心)。

オ)惋む=うらむ。残念がる、もだえて惜しがる。「怨」と同義。惋惜(ワンセキ=残念なことだと惜しむ)、惋恨(ワンコン=残念なことだとうらむ)、惋傷(ワンショウ=嘆き悲しむ、惋嘆=ワンタン=、惋慟=ワンドウ=、惋怛=ワンダツ=)。「惋」は配当外ですが覚えたいところ。


及其六情底滯,志往神留。兀若枯木,豁若涸流。攬營魂以探賾,頓精爽於自求。理翳翳而愈伏,思乙乙其若抽。是以或竭情而多悔,或率意而寡尤。雖茲物之在我,非餘力之所戮。故時撫空懷而自惋,吾未識夫開塞之所由。



【解釈】 反対に、あらゆる感情が鈍り、意志だけ先に進んでも、精神がついてこない状態になると、心は枯木のように動かず、干上がった谷川のように空虚になってしまう。自らの魂をつかんで、心の奥底を探ってみるのだが、文の発想は隠れ去ってしまい、無理に引き出そうとしても出てこない。そういうわけで、ある場合には、情熱を傾けて書いても、不満が残り、ある場合には、意の赴くままに書いても、欠点が無い。文章というものは、自らの手で作るものではあるが、意図的な努力でどうにかなるものではない。そこで、時には空っぽの胸を撫でながら、怨み悲しむこととなる。このように創造力の淵原が開閉する。その原因は、わたしにはまだよく分からない。

「底滞」(テイタイ)は「ふさがって滞ること、停滞」。「底」は「とどまる」とも訓む。「涸流」(コリュウ)は「水が無くなって流れなくなった川」で、ぞの前段の「枯木」(コボク)と対比しています。うつろな状態で生気が無くなるさま。ここでは書きたいという意欲があっても、精神が病んでいると文章が生まれないことを戒めている。営魂(=営魄)、たましいを込めようとしても浮かばない。スランプ……。文章を書く場合は精神の安寧が大切です。ところが、「是以或竭情而多悔,或率意而寡尤」といい、そんな状態で書き上げた文章ではあるが、時には満足することができなかったりするが、かといってさらさら書いた割には失敗も無くうまいこと行く場合もあったりする。意図していい文章を書こうとしてもその通りにはならないし、勝手に名文ができ上がったりもする。陸機は半ばあきらめ気味に「吾未識夫開塞之所由」と、文章を思い通りに制禦なんてできないと言っております。さぁ、いよいよ次回最終回です。いい文章を索めるべく、最後まで気を引き締めましょう。

心中に浮かびし思いは「来不可遏 去不可止」書くべし!書くべし!!=陸機「文賦」21

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の21回目です。

夫の1)オウカンの会、2)ツウソクの紀の若きは、来れどもア)む可からず、去れども止む可からず。蔵るること景の滅ゆるが若く、行くこと猶お響きの起こるがごとし。3)テンキの4)シュンリなるに方たりては、夫れ何の紛たるとして理まらざる。思いは風のごとくに5)キョウオクに発し、言は泉のごとくに6)シンシに流る。紛としてイ)威蕤として以てウ)馺遝たり、唯6)ゴウソの擬する所なり。文は徽徽として以て目に溢れ、音は泠泠として耳に盈つ。

1)オウカン=応感。心が物事に接して反応し、何かを感じること。感応(カンノウ)の方が一般的ですがこれもありです。≠皇侃、王冠、王翰。

2)ツウソク=通塞。物事が思うように運ぶことと、行き詰まって思うように運ばないこと。通窮(ツウウキュウ)ともいう。この「通」は「すらすらと事が運ぶ、さわりなく出世する、つかえることがないさま」の意。亨通(コウツウ=運がよい)。「塞」は「ふさぐ」と訓み、「すきまなく詰めて通れなくする」の意。この意味で音読みは「サイ」ではなく「ソク」。厄塞(ヤクソク=運勢がふさがって悪い、≠約束)、塞源(ソクゲン=害を防ぐためその物事の根源をふさぐこと、抜本塞源=バッポンソクゲン=、塞原とも)、塞責(ソクセキ=責任を果たすこと)。≠通則。

3)テンキ=天機。自然のからくり、万物を作る、目に見えない自然のはたらき。天から与えられた機能、自然に備わっているはたらき。「機」は「からくり、はたらき」の意。≠天気、天機、転機、転記。

4)シュンリ=駿利。すぐれていてするどいさま。「駿」は「すぐれる」とも訓む。駿雄(シュンユウ=才知が優れている人)、駿逸(シュンイツ=他の人より才能などがすぐれていること、飛び抜けてすぐれた人)、駿敏(シュンビン=すぐれてさとい、頭がよくすばしこいこと)、駿蒙(シュンボウ=たよりにできる、徳の高いすぐれた人、駿厖=シュンボウ=)、駿良(シュンリョウ=すぐれた人材)。

5)キョウオク=胸臆。むねの中の思い、自分の考え。胸奥は「キョウオウ」(=心中)。「胸」も「臆」も「むね」。重ねることで「こころの奥」といったニュアンスを強める。「臆」は「おしはかる」とも訓み、臆出(オクシュツ=かってにおしはかり説を立てる)、臆度(オクタク=自分の考えだけでおしはかる、臆測=オクソク=)、臆断(オクダン=自分だけの推量で決断する、臆決=オッケツ=)、臆見(オッケン=自分ひとりのかってな考え)。

6)シンシ=脣歯。くちびると歯。非常に密接な関係にある二つのものに喩える言葉。脣歯輔車(シンシホシャ=互いに密接な関係にあり、助け合うこと)から来ている。「脣」は「くちびる」。脣亡歯寒(くちびるほろびてはさむし=利害関係を同じくする密接な者同士は、一方が滅びると、他の一方がじかに脅威にさらされるたとえ)、脣舌(シンゼツ=くちびると舌、弁舌の上手なこと)、脣吻(シンプン=口先、「吻」→「くちさき」)。≠真摯、襯紙、参差。

7)ゴウソ=毫素。筆と紙。紙筆。毫楮(ゴウチョ)ともいい、「楮」は「紙の原料となるコウゾ」。「毫」は「ふで」。「素」は「しろ」から「紙」を意味する。≠嗷訴、強訴。

ア)遏む=とどむ。「遏める」は「とどめる」。「さえぎる」とも訓み、「おしとどめる、おさえて防ぐ」の意。音読みは「アツ」。遏止(アッシ=一族を残らず滅ぼす、おしとどめて物事をさせない、遏絶=アツゼツ=とも)、遏密(アツミツ=鳴り物をやめて静かにする)、遏雲(アツウン=空を流れゆく雲までもおしとどめる、すぐれた音楽や歌声を形容する、列子・湯問篇の「振林木、響遏行雲」が出典)。

イ)威蕤=イズイ。草木などがおごそかにむれ垂れ下がっているさま、ここでは文章が立派なさまを譬えています。「蕤」は既出です。

ウ)馺遝=ソウトウ。これは難読漢字。馬がさっと素早く駆けるさま。ここでは、文章があとからあとからどんどん生まれてくるさまをたとえている。「馺」は「おう」「はやい」とも訓み、「馬がさっと走る、さっとかけるさま」。馺娑(ソウサ・ソウシャ=馬がはやくはしるさま)。「遝」は「およぶ、あとからあとから追いかけ、追いつく」。


若夫應感之會,通塞之紀。來不可遏,去不可止。藏若景滅,行猶響起。方天機之駿利,夫何紛而不理。思風發於胸臆,言泉流於脣齒。紛威蕤以馺遝,唯毫素之所擬。文徽徽以溢目,音泠泠而盈耳。



【解釈】 物と心が感応して創造力が生れる法則や、その創造力の淵源が開閉する原理についていえば、それが現れる時に抑えることはできず、消え去る時に引き留めることはできない。火が消えるように去り、響きが起こるように現れてくる。心の中に創造の力が働く場合は、いかに複雑なものでも、秩序づけることができる。思いは風のように、胸中に生じ、言葉は泉となって、口から流れ出す。そうなれば、次々に勢い良く溢れてくる文章を、筆と紙とを用いて書き記すばかりである。こうして書かれた文は、華やかさで目を眩ませ、読み上げれば、音は清らかに耳に響くのである。

陸機の思いは突然にやってきます。不意を突く。来た時が書き時。それは、いつ消え失せるともしれないはかない、切ない「迸り」でもあるので、思いが沸いた時は一気に書き上げるのです。そのパワーたるや、「思風發於胸臆,言泉流於脣齒」だという。言葉の泉が溢れ出る。あとは「紛威蕤以馺遝,唯毫素之所擬」するのみ。筆を紙に走らせるだけ。陸機の書いた文章は「文徽徽以溢目,音泠泠而盈耳」だという。「徽徽」(キキ)は、「目をくらませるほど細やかで美しいさま」。「徽」は「よい」とも訓む。「泠泠」(レイレイ)は「清らかな音の鳴るさま、琴や風などの音のさわやかな形容」。「泠」は「きよい」とも訓む。泠人(レイジン=楽官、音楽を演奏する官人)、泠然(レイゼン=ひややかで清らかなさま、行動がかろやかなさま)、泠風(レイフウ=さわやかなそよ風)。

彼が縷縷述べてきた「文章論」ですが、内なる自分の思いの発露がすべてだというのがどうやら結論のようです。そして、何度も書いては失敗して、失敗してはまた書き続ける。そうした中で記録に残して読み手に伝えていく。それが文章の役割であり価値である。それを紡ぐためには古の人の文章を味わい、言葉を習得する。一見、同じように見えても己のオリジナルをとことん追求する。古の思いを自分の思いへと昇華させるのです。そうやって人類は歴史を築き、未来への存在を確かなものにするのです。聊か、哲学チックではありますが、人間が人間である以上、言葉から逃れる術は無く、言葉とともに歩むのです。……「文賦」はまだクライマックスではありません。陸機の文章への思いはもう少しだけ続きます。

たとえ「缶」でも鳴らし続ければ「玉」の音を奏でられようぞ=陸機「文賦」20

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の20回目です。長かったシリーズも後数回です。ここにきてテクニカルな内容は有りません。精神論が中心です。いい文章を追い求める陸機の厳しい姿勢が続きます。

此の世に1)フンアイすと雖も、ア)予が2)キクに盈たず。イ)挈缾の屢々空しきを患い、3)ショウゲンの属り難きを病む。故にウ)短垣にエ)踸踔し、庸音を放ちて以て曲を足らす。恒に恨みを遺して以て篇を終う、豈盈を懐いて自ら足れりとせんや。塵をオ)に叩くに蒙るをカ)れ、顧て笑いを4)メイギョクに取る。


1)フンアイ=紛藹。みだれるばかりに盛んなさま。ここでは、名分がたくさんあるさま。「藹」は「樹木がこんもりとふさがって茂るさま」。蔭藹(インアイ=)、藹藹(アイアイ=元気いっぱい、草木がこんもりと茂るさま)、藹蔚(アイイ=樹木がしげるさま)、藹然(アイゼン=気持ちがやわらいで穏やかなさま、雲の集まるさま)。

2)キク=掬。両手いっぱいほどの量。春秋・戦国時代の一掬(イッキク)は約0・2リットル。「すくう」の訓みもあり、「片手または両手をまるくして、その中へ水をすくいとる、また、手のひらをまるめて、その中にのせる」の意。掬水(キクスイ=両手で水をすくうこと、両手ですくった水)。

3)ショウゲン=昌言。りっぱなことば、公明正大なことば、美言。≠証言。「昌」は「さかん」「あきらか」とも訓む。堂々として包み隠さない、公明正大なさまをいう。昌運(ショウウン=物事がさかんになる回りあわせ)、昌昌(ショウショウ=物事がさかんなさま)、昌盛(ショウセイ=さかんなこと)、昌平(ショウヘイ=国が栄えて世が静かにおさまること)、昌黎(ショウレイ=中唐の詩人・韓愈の号)。

4)メイギョク=鳴玉。玉が鳴るよい音。よい音を鳴らす玉。「鳴」は「楽器などを鳴らす」。鳴神(なるかみ=かみなり)、鳴珂(メイカ=珂を鳴らす、また、音をたてる珂、「珂」は貴人の馬のくつわにつける、玉や貝などでつくられた飾り)、鳴禽(メイキン=よい声でさえずる鳥)、鳴琴(メイキン=琴をひくこと、また、鳴っている琴のこと)、鳴弦(メイゲン=弓づるを鳴らす、また、鳴る弓づる)、鳴絃(メイゲン=琴を鳴らすこと、弦楽器)、鳴号(メイゴウ=泣き叫ぶ)、鳴糸(メイシ=琴のこと)、鳴条(メイジョウ=風に吹かれて音を立てる枝)、鳴鏑(メイテキ=射たときに、うなりをたてるかぶらや、なりかぶら、鳴箭=メイセン=)、鳴吠(メイハイ=鶏が鳴き、犬が吠える、鶏鳴狗盗=ケイメイクトウ=、反乱のたとえ)、鳴鑾(メイラン=天子の車につける鈴、転じて、天子の乗り物、天子が車に乗って出かけること)。

ア)嗟=ああ。感嘆語。感動した時に舌打ちのちぇっという音をあらわす。音読みは「サ」。嗟哉(ああ・あなや=なげく声をあらわすことば)、嗟嗟(ああ=感嘆する声をあらわすことば、舌打ちするさま)、嗟吁(サウ・ああ=なげいて発する声、嗟乎=ああ=、嗟呼=ああ=、嗟夫=ああ=)、嗟咨(サシ=ああといってなげく)、嗟称(サショウ=感心してほめる、ほめたたえる、嗟賞=サショウ=)、嗟嘆(嗟歎=サタン、舌打ちしてなげく、感心してほめる)、嗟悼(サトウ=なげきいたむ、なげき悲しむ)、嗟服(サフク=感服する、感心して人に従う、嗟伏=サフク=)、嗟来(サライ=さあ、そら、ああ=なげく声をあらわすことば)、嗟来之食(サライのシ=「さあ食らえ」と無礼な態度で与える食べ物のこと)、嗟惋(サワン=舌打ちして残念がる)。

イ)挈缾=ケッペイ。手でさげる小さなかめ。ちっぽけなもののたとえ。「挈」は「ひっさげる」「たずさえる」とも訓む。挈瓶とも書く。挈缾之知(ケッペイのチ=わずかな才知、小智)。「缾」(ヘイ)は「水を汲むための器、また、水がめ、小型の酒器」。面白い成句に「缾之罄罍之恥」(ヘイのつくるはライのはじ)があり、「小さい缾の酒がつきると、大きい罍から補給する。だから、缾の酒がなくなることは罍からの供給が無いからで、罍にとって恥である、富者が貧者に財を分けないことなどを風刺したことば、罄はからになること、罍は大きい酒器」。

ウ)短垣=タンエン。背の低いかきねのこと。「垣」は「エン」と読む。垣牆(エンショウ=かきね、かこい)、垣籬(エンリ=まがき、かきね、籬垣=リエン=、籬藩=リハン=、籬牆=リショウ=)、牆垣(ショウエン=かきね、牆籬=ショウリ=)、省垣(ショウエン=省城のこと、省城は城壁でとり巻いてあるのでいう)。

エ)踸踔=チンタク。片足でぴょんぴょんと飛ぶようにして行くこと。また、そのさま。「踸」は「足でささえて、からだを低く下げる」、「踔」は「足でささえてからだを高くあげる」で、両語は対義語の関係に在ります。踔風発(タクレイフウハツ=ひとりだちして他人をおそれず、盛んに議論する、文章や話の勢いが激しく雄弁なこと、韓愈の「柳子厚墓誌銘」に出典あり)、踔遠(タクエン=はるかに隔たっていて遠い)、踔絶(タクゼツ=ずばぬけてすぐれている、卓絶)、踔然(タクゼン=ぬきんでているさま、卓然)。

オ)缶=フ。ここは「カン」ではなく呉音で「フ」と読むべき。「ほとぎ」とも訓み、「楽器の名称、まるくふくれた形をした瓦製の打楽器、趙の藺相如が、趙の恵文王のために、秦の昭王に缶を打たせた物語は有名」。

カ)懼れ=おそれ。「懼れる」は「おそれる」。びくびくする、目をオドオドと動かす。音読みは「ク」。懼然(クゼン=おどおどするさま、意外な物を見てびっくりするさま)。危懼(キク)、愧懼(キク)、疑懼(ギク)、怖懼(フク)、畏懼(イク)、慴懼(ショウク)、竦懼(ショウク)、聳懼(ショウク)、悚懼(ショウク)など下付き熟語が多いです。

雖紛藹於此世,嗟不盈於予掬。患挈缾之屢空,病昌言之難屬。故踸踔於短垣,放庸音以足曲。恆遺恨以終篇,豈懷盈而自足。懼蒙塵於叩缶,顧取笑乎鳴玉。



【解釈】 しかし、この世にいくらでもあるはずの、その名文が、私の手には入らない。私の才能は、小さな水瓶のように、すぐに空になり、立派な文章が作り難いことを嘆くばかりだ。そこで結局は、ひくい垣根を乗り越えることもできず、平凡な音を奏でるだけで、一つの曲を終えてしまう。文章を書き終えても、不満が残る。意に叶って満足することなどありはしない。素焼きの壺を叩きつつ、ほこりをかぶるのを恐れるばかりで、玉を打ち鳴らす人からは笑われてしまう。

書きたい気持ちが空回りしてもどかしいさまを、「患挈缾之屢空,病昌言之難屬」と言っています。ちっぽけな才能しかないこの私だが、すぐに言葉が出尽くしてしまう。言葉が継げないのである。なんと菲才であることか。音楽の演奏に喩えて、「故踸踔於短垣,放庸音以足曲」という。大してハードルが高くはないのに、自分の出した音は平凡の一語。あっさり終わってしまう。物足りない。自分が本当に言いたかったことはこの程度のことなのか?己の文才の無さに愕然とし失望します。自分の叩く楽器は「缶」でしかない。「玉」を鳴らし、爽やかな響きを奏でる名人の域には到底達しないのだ。それでも、たとえ「缶」であっても己の思いを世に問いたい。その渇望がある限り、再び楽器を演奏しなければなりません。才能のある無しではない。諦めること無く続けること。それしかありません。文章を書くということは斯くも辛く、厳しい道なのです。その先にある世界は果たして天国なのでしょうか。地獄なのでしょうか。それは誰にも知り得ない。ほかならぬ自分以外は到達できない世界なのです。

拙目なる人に嘲笑われても名文を書きたい気持ちで勝つ=陸機「文賦」19

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の19回目です。失敗にもめげずに精進していればいくらでもいい文章は書けるという陸機の叱咤激です。

辞条と文律とを普くするは、良に余がア)の服する所なり。世情の常のイ)をウ)い、前脩の淑しとする所を識る。エ)く巧心に発すと雖も、或いは「山+欠」(わら)いを拙目より受く。彼の1)ケイフと2)ギョクソウとは中原のオ)有るが若し。カ)橐籥の窮まり罔きに同じく、天地と並び育す。

1)ケイフ=瓊敷。玉を敷き詰めたように美しい文章のたとえ。「瓊」は「たま、に」とも訓み、「光り輝く玉」の意。美しい物を譬える言葉として重用されます。瓊筵(ケイエン=玉で飾った美しい敷物、華やかな宴会の席、瓊席=ケイセキ=、瓊座=ケイザ=)、瓊音(ケイオン、ぬなと=宝玉の鳴る音、転じて玉のように美しく清らかな声・音)、瓊瑰(ケイカイ=美しい宝玉や石などのこと、転じて立派な贈り物)、瓊玖(ケイキュウ=美しいおびだま、転じて立派な贈り物)、瓊宮瑶台(ケイキュウヨウダイ=玉で飾った美しい御殿)、瓊姿(ケイシ=玉のように美しい姿)、瓊枝玉葉(ケイシギョクヨウ=玉の実が成るという珍しい木と、玉のように美しい葉、皇族の子孫のたとえ)、瓊樹(ケイジュ=想像上の木の名、玉を生ずるという崑崙山の西にあるという、玉のように美しい木、転じて人格が優れていることのたとえ)、瓊觴(ケイショウ=玉で作った杯、瓊杯=ケイハイ=)、瓊草(ケイソウ=玉のように美しい、よい香りのする草)、瓊葩(ケイハ=玉のように美しい花)、瓊瑶(ケイヨウ=美しいおびだま、腰に付ける玉、人からの贈り物・詩文・手紙などの尊称)、瓊林(ケイリン=玉のように美しく雪の積もった林、唐代の宮中の庫の名)、瓊林の宴(ケイリンのうたげ=清代、会試に合格した者をもてなした宴会)、瓊楼玉宇(ケイロウギョクウ=月の中にあるという美しい御殿)。

2)ギョクソウ=玉藻。玉のように美しい文章のたとえ。「藻」は「文章で修辞が巧みなさま、ことばのあや」。藻詠(ソウエイ=表現の優れた詩文、詠藻=エイソウ=)、藻雅(ソウガ=詩文に優れていて、風流なこと)、藻絵(ソウカイ=詩文の美しい修辞、文采=ブンサイ=)、藻翰(ソウカン=はなやかで美しい文章、立派な文章)、藻思(ソウシ=表現の優れた詩文をつくる才能)、藻(ソウレイ=美しくみがきたてる、行いなどを立派にすること)。

ア)膺=むね。とんと、ものをうけとめるむね、物をかかえこむ、むな板。膺腫(ヨウシュ=むねのはれる病気)、膺受(ヨウジュ=むねでうけとめる、ひきうけること)、膺懲(ヨウチョウ=敵をうけとめてこらしめる、外敵を打ち払うこと、出典は「詩経・魯頌・閟宮」の「戎狄是膺、荊舒是懲」から)、拳拳服膺(ケンケンフクヨウ=常に銘記して、決して忘れないこと)。

イ)尤=とが。災い、失敗のこと。音読みは「ユウ」。「とがめる」とも訓む。尤隙(ユウゲキ=郤い、いさかい)、尤悔(ユウカイ=後悔している事柄)。

ウ)練い=ならい。「練う」は「ならう」。通常は「ねる」。よいものを選び出す。簡練(カンレン=よく選びわける)、練悉(レンシツ=ある物事になれ通じている、物事によくなれて知りぬいている)。

エ)濬く=ふかく。「濬い」は「ふかい」。水かさがふかいさま、奥ふかいさま。「さらう」とも訓み、音読みは「シュン」。濬源(シュンゲン=ふかいみなもと、転じて物事の起源)、濬潭(シュンタン=ふかいふち、深淵)、濬哲(シュンテツ=ふかい知恵があること、また、その人)。「叡」は「エイ」で似ているので弁別しておきましょう。

オ)菽=まめ。マメ類の総称。音読みは「シュク」。菽水歓(シュクスイのカン=マメを食い、水を飲む貧しい生活をしていても親を喜ばせようとすること、貧苦の中でも親孝行を尽くすこと)、菽粟(シュクゾク=人間の常食としてのマメ類と穀物類、≠シュクリツ→菽栗)、菽粒(シュクリュウ=マメ粒のこと)。

カ)橐籥=タクヤク。橐(ふくろ)の中に籥(くだ)をしかけて、火を吹き起こす道具。ふいごう、鞴(ふいご)。「橐」は「ふくろ」。筒型の布の中へ物を詰め、両端をひもでくくるふくろ。鍛冶屋が火を起こす時に用いる、風を送る道具。両側の口のあるふくろ状の箱であるところから。橐駝(タクダ=ラクダ、背中にふくろ状のコブがあることから)、橐中装(タクチュウソウ=袋に入れて持ち歩く物、金銀宝玉などをいう)。「籥」は「ふえ」。穴が三つ、あるいは、六つある短いふえ。

普辭條與文律,良余膺之所服。練世情之常尤,識前脩之所淑。雖濬發於巧心,或受(山+欠)於拙目。彼瓊敷與玉藻,若中原之有菽。同橐籥之罔窮,與天地乎並育。



【解釈】 言葉や文章の法則を知り尽くすことは、私の常日頃からの願いである。そのために、世間によくみられる失敗例と、先人の優れた成功例について、熟知しているつもりだ。しかし、自分では技巧の限りを尽くしたはずの作品も、時には目の無い連中に嘲笑される始末である。一体、宝玉の如き立派な文章は、野原に生える豆のように、いくらでも生れてくる。万物と同様に、無限に増えていき、天地のある限り、永遠に作り出されていくものだ。

「普辭條與文律」――。言葉や文章の法則を世の中に広めることが宿願であるといます。「練世情之常尤」、すなわち世間の人が犯しがちな失敗例(既に多くのサンプルを紹介)を取り上げ、「識前脩之所淑」、すなわち先人の素晴らしい成功例(これも多く紹介済み)を知らしめた。「山+欠」は漢和辞典にも掲載が無い難語。「嘲笑」という意味のようです。「拙目」は「めくら」。どんなに技巧をこらした文章を書いても、めくらの連中には理解されないことだってあるという。それでも、いい文章はいくらでも書くことができる。それは無限。この世のある限り、人間のいる限り、次から次へと文章は澎湃と生まれるのです。どんなに人から理解されなかったとしても書き続けること。陸機は、文章のそんな特性を見抜いており、思いを表現することが無限であることを説く。成功も失敗もある。とはいえ、連戦連勝は無理。一回成功しても十回は失敗するくらいの低確率ではないでしょうか。それであったとしても一生涯精進あるのみです。

輪扁の言う「古人之糟魄」も無いよりましさ、残すぜよ!=陸機「文賦」18

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の18回目です。

夫の豊約の裁、俯仰の形の若きは、宜に因り変に適い、ア)さに微情有り。或いは言は拙にして喩は巧みなり。或いは理は朴にして辞は軽し。或いは故きにイ)りて弥々新たにして、或いは濁れるにウ)沿りて更に清し。或いは之を覧て必ず察し、或いは之を研きて後にエ)し。譬えば猶お舞う者の節に赴きて以てオ)を投じ、歌う者の絃に応じて声を遣るがごとし。是蓋し1)リンペンの言うを得ざる所にして、故より亦2)カセツの能く精しくする所に非ず。


1)リンペン=輪扁。人名。春秋時代、斉の人。車輪を作る名人。斉の桓公に対し、自分の仕事をたとえにして、書物を古人が残した糟にすぎないと言った。弊blogの唯一にして最大のコンセプトである「古人之糟魄」の故事に登場します。詳しくは↓後段の迂生の解説コーナーにて。。。

2)カセツ=華説。はなやかなうつくしいことば。美辞、麗句。うわべは派手で美しいが、内容のない空言。華辞(カジ)ともいう。「華~」の熟語は、華腴(カユ=着物や食べ物の立派なこと、転じて貴族をさす)、華髪(カハツ=しらが、転じて老人)、華靡(カビ=はでなこと、はでやかなこと)、華贍(カセン=文章が華やかで意味が豊かである)、華饌(カセン=りっぱなご馳走)、華箋(カセン=詩や文を書く美しい紙、人からもらった手紙の尊称→華翰=カカン=、華墨=カボク=)、華簪(カシン=りっぱなかんざし、転じて高い地位)、華艶(カエン=はなやかである、派手で美しい、華婉=カエン=)、華袞(カコン=王公のはでやかな礼服、転じて、王公のこと、非常に高価な品物、華袞之贈=カコンのゾウ=)、華綺(カキ=はなやかに飾ること)、華奢(カシャ=はででおごっているさま、華侈=カシ=)、華顚(カテン=白髪頭、華首=カシュ=)、華胄(カチュウ=貴族の子弟・子孫)、華誕(カタン=うわべはりっぱだが内容が無い)。

ア)曲さに=つぶさに。既出。表外訓みですが「具に、備に、悉に」の方が一般でしょう。「曲」は「まがって入り組んださま、こまごまとこまかく複雑であるさま」の意。この意味の熟語は「曲尽」(キョクジン=細かい所まで言い尽くす、委曲を尽くす)、曲礼(キョクレイ=行事に関するこまかい作法)。

イ)襲りて=よりて。「襲る」は「よる」。今までのやり方やポストの上にかさなる。転じて、従来の方法や地位をそのまま引き継ぐ。「かさねる」「おそう」「つぐ」の訓みの方が一般的。襲因(シュウイン=受け継いで従う、従来通りに行うこと)、襲沿(シュウエン=以前の例に従って行うこと、沿襲=エンシュウ=、↓も参照)、襲継(シュウケイ=あとを受け継ぐ)、襲雑(シュウザツ=かさなって乱れる)、襲爵(シュウシャク=父祖の爵位を受け継ぐ)、襲封(シュウホウ=封土を受け継ぐ、親の代からの諸侯の領地、その支配権を受け継ぐ)、襲名(シュウメイ=親または師匠の名を受け継ぐこと、なをおそう)、襲用(シュウヨウ=これまでどおりそのまま用いること、踏襲)。

ウ)沿りて=よりて。「沿る」は「よる」。通常は「そう」。すでにある形式やルートに従ってすること。類義語は「順」「循」、「革」が対義語。沿革(エンカク=物事の移り変わり、変遷、「革」に重きのある偏義複詞です)、沿習(エンシュウ=古くからのならわし)、沿襲(エンシュウ=古くからのならわしに従う、↑を参照)。

エ)精し=くわし。「精しい」は「くわしい」。手が行き届いていてきれいなさま、また、巧みですぐれているさま。「粗」「雑」が対義語。精明強幹(セイメイキョウカン=ゆきとどいて、やり手である、事務処理能力にすぐれている)、精確(セイカク=精しくて確かなこと)、精覈(セイカク=くわしく調べる)、精舎(セイシャ=学校、精神の宿る心)、精麤(セイソ=細かいことと、あらいこと、詳しいことと、ぞんざいなこと)、精暁(セイギョウ=ある事柄について詳しく知っていること)。

オ)袂=そで。衣服のそで。和訓では「たもと」。和服のそでで、袋状になった部分、かたわら。音読みは「ベイ」。聯袂・連袂(レンベイ=たもとをつらぬ、何人かがいっしょに同じ行動をすること、聯袂辞職=レンベイジショク=)。


若夫豐約之裁,俯仰之形,因宜適變,曲有微情。或言拙而喻巧,或理朴而辭輕。或襲故而彌新,或沿濁而更清。或覽之而必察,或研之而後精。譬猶舞者赴節以投袂,歌者應絃而遣聲。是蓋輪扁所不得言,故亦非華說之所能精。



【解釈】 文章における、繁と簡の度合いや、前後の対応の形というものは、時宜にかない、変化に応じるべきもので、言い尽くせない微妙な点がある。表現は稚拙ながら、比喩が巧妙な場合もあれば、構想は素朴であるが、言葉が軽快な場合もある。古いものを基礎にしながら、新鮮な作品を作り上げる場合もあるし、混濁した表現が、次第に明瞭になる場合もある。読みさえすれば理解できる文章もあり、熟読してはじめて理解できる文章もある。このようにさまざまな文体を駆使していく様子は、あたかも、舞いを舞う者が、調子に合わせて袖を振るい、歌を歌う者が、演奏にのせて声を発するようなものである。これこそ、かの輪扁が、口では伝えられないと言ったところであり、美辞をいくら費やしたとしても、精確に述べることはできない。

陸機が述べている一連の文章の「掟」。いろいろな文章スタイルがあって、さまざまに伝えたい思いを言葉にして列ねるのですが、そのさまを「譬猶舞者赴節以投袂,歌者應絃而遣聲」と称しています。音楽に合わせて舞いを舞い、演奏に合わせて歌を歌うさまに喩えるのですが、ここで大きなポイントとなるのが、最後の「是蓋輪扁所不得言,故亦非華說之所能精」というくだりです。

荘子「天道篇」に出てくる「輪扁」の故事。書物はことばをつらねたものであるが、肝腎なのはその意味内容のはずである。とかく世間ではことばを尊重しがちであるが、本当の意味内容はことばでは伝えられないものである。本当に分かっている人はことばで説明しようとはしない、ことばで説明する人は本当は分かっていないのだと言える。

車輪大工の扁さんは、畏くも斉の桓公に対して、このようなことを言った後で「然らば則ち君の読む所の者は、古人の糟魄のみ」と断じました。大工の技術にはコツがあるのですが、それをことばでは表現できないのです。だから七十歳のこのかた子供に伝授できないのです。老いさらばえても大工仕事一筋に生きている次第なのです。むかしの聖人の残したことばとて、真に彼の思いを伝えているものではありません。そうして死んでしまう。だから、書物に書いてあることは単に残り滓に過ぎないのです、と。

陸機は荘子のこの輪扁の説明を持ちだして「文章論」を説くことの難しさを論じています。こうなると、職人の「求道」の困難さに思いを致さなければなりません。人を教えるということがいかに虚しいことか。言葉は信用できない。技術を伝えることができない。

輪扁を通じて荘子が伝える厳しい言葉は、このblogを書いている迂生にも「冷や水」を浴びせますね。事物の実情を伝えるのにことばは信用できないというのですから、何も書けなくなってしまいます。

「お前の書いていることは誰にも伝わらないのだぞ」と言われているかのようです。しかし、迂生はあえて反論します。そう、確かに無理かもしれない。しかし、それがたとえ「糟魄」であったとしても迂生は嘗めるし、自分の「糟魄」にすぎないとしても、それを残す。

「糟魄」イコール「無価値」というわけではないでしょう。伝わるか伝わらないかは迂生が決めることではない。それを受け取った側の問題だから、そこに焦点を当てた議論に何の意味がありましょうか。伝わるか伝わらないかを考えるよりも、己が真に残したいものは何なのかを突き詰めた方がいい。それこそが「糟魄」だ。

伝わらないから何も残さないというのであれば古人の糟魄は何もなくなってしまう。未来の人にとっては汚物か遺物か知らんが、歴史を残すことはできなくなってしまう。教訓も、失敗も、残されない未来人に未来は無いでしょう。そうした思いを込めて日夜blogを更新し続けます。

「桑間濮上」と「太羹玄酒」の中間を心掛けよ=陸機「文賦」17

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の17回目です。ここはすいませんでした。文脈の流れからいって「切り」が悪かったです。もう一度、前回の最後の続きから書きます。「或いは奔放して以て諧合し、務めて嘈囋として妖冶たり(奔放にして調子がよく、饒舌さと美麗のみを追求している)」といった文章について、「阿世(よにおもねる)の文章である」と断じます。

或いは奔放して以て諧合し、務めて嘈囋として妖冶たり。徒に目を悦ばせて俗に偶するも、固より高声なれども曲下る。防露と桑間とをア)る、又悲しと雖も雅ならず。或いは1)セイキョにして以て2)エンヤク、毎に煩を除きて濫を去る。イ)大羹の遺味をウ)き、朱絃の清氾なるに同ず。一唱して3)サンタンすと雖も、固より既に雅にしてエ)ならず。

1)セイキョ=清虚。さっぱりとして、何の私心もないこと。「清~」の熟語は、清夷(セイイ=賊を平らげて、その地を平和にする)、清婉(セイエン=きよらかでなまめかしい)、清介(セイカイ=清廉潔白で他人に影響されないこと、「介」は、ひとりだち)、清暉(セイキ=明るくてきれいな輝き、顔つきや風采のっとえ、山水の別称)、清瘦(セイソウ=やせてすらりとしていること)、清香(セイコウ=すがすがしい香り)、清灑(セイシャ=飾り気が無く、さっぱりしているようす、清洒=セイシャ=)、清醇(セイジュン=濁りもまじりけもないこと)、清晨(セイシン=きれいに晴れ渡った早朝、すがすがしい朝、清旦=セイタン=、清暁=セイギョウ=)、清爽(セイソウ=きよくさわやかなさな)、清談(セイダン=竹林の七賢らが行った魏・晋のころの老荘思想に基づく哲学的な談論)、清澄(セイチョウ=一点のくもりや、けがれもなくすみきっていること)、清泰(セイタイ=世の中がよくおさまってきよらかであること、清寧=セイネイ=)、清蹕(セイヒツ=天子の行幸などのとき、先払いをすること、先払い役、清道=セイドウ=)、清廟(セイビョウ=おごそかで清潔なみたまや)、清芬(セイフン=きよくかんばしい香り、転じて、人のすがすがしい人柄をいう)、清眸(セイボウ=すみきったひとみ)、清穆(セイボク=手紙で、相手の健康・幸福をいうことば、清祥=セイショウ=、清勝=セイショウ=)、清友(セイユウ=梅の別名、清客=セイカク=)、清冽(セイレツ=水がすんで冷たいこと)、清漣(セイレン=すんだ水の表面にたつさざ波)、清和(セイワ=陰暦四月一日)。

2)エンヤク=婉約。角立たず穏やかで、慎み深いこと。「婉」は「おだやかなさま、しなやかでかどばらない」の意。婉婉(エンエン=しなやかに、曲がりくねっているさま、すなおであるさま、まるみがあって美しいさま)、婉曲(エンキョク=柔らかく、かどだたないこと。遠回し、やさしくすなおなこと)、婉言(エンゲン=遠回しにいうことば、遠回しに言うこと)、婉然(エンゼン=しとやかでやさしく、うつくしいさま)、婉転(エンテン=まといからまること、しなやかで美しいさま、曲がりくねるさま、話しぶりが遠回しでおだやかなさま)、婉美(エンビ=しとやかで美しい、婉麗=エンレイ=)、婉娩(エンベン=おとなしく、すなおなこと)、婉容(エンヨウ=角立たず穏やかでおとなしいさま、しとやかな姿)、婉娩聴従(エンベンチョウジュウ=心がやさしく素直で、人の言うことに逆らわずに従うさま)。

3)サンタン=三歎。何度も感心してほめること、非常に感心すること。三嘆もOK。ここはその前の「一唱」と成句で「一唱三嘆」(イッショウサンタン)と捉えてほしい。すぐれた詩文を賞賛する、一度詠み上げれば何度も感嘆する意。ここの「三」は「たびたび、何度も」の意。もともとは宗廟の祭りで楽を奏するに当たり一人がうたうと、三人がこれに和してうたったことをいいます。一倡三歎、一倡三嘆とも書く。一読三歎ともいう。「サンタン」は「讃嘆」「惨憺」などに引っ掛からないでほしい。

ア)寤る=さとる。はっと気づく。「悟」に当てた用法。通常は「(目が)さめる」。音読みは「ゴ」。対義語は「寐」(ねる、ビ)。寤言(ゴゲン=眠りから覚めて独りごとをいう、忘れ難いたとえ)、寤生(ゴセイ=足から生れる逆子)、寤嘆(寤歎、ゴタン=目覚めて溜息をつく、忘れているのは眠っている間だけであるということ)、寤寐(ゴビ=目覚めることと眠ること、寝ても覚めても→日本語とが逆になることに要注意)、寤夢(ゴム=昼の出来事を、その夜、夢に見る、目覚めることと眠ること、≠護謨)。

イ)大羹=タイコウ。味のついていない肉汁。あっさりスープ。太羹とも書く。太羹玄酒(タイコウゲンシュ=規則のみにしばられた淡白で面白みのない文章のたとえ→「玄酒」は、古代、祭りに供える水のこと、色が黒く見えるから。太古には素朴で祭礼の時水を用いたが、後世になって酒ができてからからも水を供え玄酒といった)は必須四字熟語。「羹」は「あつもの=肉と野菜を入れて煮た吸い物」。懲羹吹膾(チョウコウスイカイ=あつものにこりてなますをふく)は基本四字熟語。

ウ)闕き=かき。「闕ける」は「かける」。かく、完全に備わっているべきものが足りない、また、除く。「欠」と同義。音読みは「ケツ」。闕文(ケツブン=あるべき字句がぬけおちている文章、文章中の疑問の字を、書かないであけておくこと)、闕如(ケツジョ=かけて不完全なさま、かけたままにしておくこと、さしひかえること、闕焉=ケツエン=、闕然=ケツゼン=)、闕本(ケッポン=そろっているべき巻数の一部がかけて完全にそろっていない書物、端本=はホン=)、闕漏(ケツロウ=かけて不足している部分、手落ち)、闕失(ケッシツ=あやまち、過失、かけてなくなる)。「闕」には「宮殿の門」「宮城」の意味もあるので要注意。

エ)豔=エン。「艶」の異体字。つややか、なまめかしい、エロチックであるさま。

或奔放以諧合,務嘈囋而妖冶。徒目而偶俗,固高聲而曲下。寤防露與桑間,又雖悲而不雅。或清虛以婉約,每除煩而去濫。闕大羹之遺味,同朱絃之清氾。雖一唱而三歎,固既雅而不豔。


【解釈】 ある場合は、奔放にして調子がよく、饒舌さと美麗のみを追求している。ひたすらに俗人の目を喜ばし、世間に迎合するものであり、評判は良くても品位には欠ける。「防露」や「桑間」のごとき、淫らな曲を思わせるものであり、人の心を悲しませることはできても、典雅なものとはいえない。またある場合は、すっきりと簡潔な文章で、無駄や余分を常に排除している。味付けをしない大羹ほどの味も無く、朱弦の瑟の響きのように単純である。一人が歌い、三人が応じるとしても、あまりにも典雅に過ぎて、豊かなつやに欠けているのだ。

ここで注目すべきは「防露與桑間」。「防露」と「桑間」は「淫らな曲」。このうち、「防露」は残念ながら手元の辞書にも掲載が無くネット検索でもうまいこと見つかりませんでした。「桑間」は「桑間濮上」(ソウカンボクジョウ=中国で世の乱れを反映したみだらな音楽をいう言葉)が由来。「礼記・楽記篇」に、「鄭衛の音は乱世の音なり……桑間濮上の音(イン)は亡国の音なり」とある有名な成句です。衛の国の君主・霊公が晋に赴く途中、濮水(ボクスイ)の上流のほとりで、桑林の間に琴の音を聞いたが、この譜を写し取り、晋の平公の前で演奏させたところ、師曠が「これは殷が滅亡を招いた音楽であるから縁起が悪いといってやめさせた故事があります。「鄭衛の音が具体的に何を指すかについては、詩経の鄭風や衛風だとする説や、鄭の国で盛んであった男女の歌垣の歌をいうなどの説があるが、むしろ、春秋戦国時代に、黄河中下流域の鄭や衛で栄えた都市文化に対し、古い農本的な心情をもつ儒家層の、反感をこめた言葉だと理解されよう」(世界大百科事典)とある。論語にも「鄭聲之雅樂ヲ亂スヲ悪ム也」とある。「濮上之音」(ボクジョウノイン・オン)、「桑濮之音」(ソウボクノイン・オン)とも書く。聊か長くなりましたが、表面上は聞こえがいいが内容の空虚な文章を陸機は亡国の曲に喩えています。品位が無いと。


それともう一つ。「太羹玄酒」のような、あっさりと味付けの薄い文章も今いちだといいます。飾りも修辞も何もない平淡な文章。瑟(おおごと)のように単純な音しか奏でられないかのようだ多くの人が唱和できても艶がない。難しいですね。ぎとぎとに飾りつけては迎合する淫らな文章だし、あっさりし過ぎても色っぽくないという。その中間がいいのでしょうが、そうそうやすやすと書きあげられるものではないですね。ここでは「桑間濮上」と「太羹玄酒」を是非とも習得し、文章を書く際はこの中間を目指すように心掛けましょうね。

美辞麗句のみ列ねた空虚な文章は厳に戒めよ=陸機「文賦」16

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の16回目です。浮いている文をいかに扱うかのこたえはありませんでした。恐らく対処法は無くそんな文章を書いてはいけないと陸機は戒めているのでしょう。引き続いて内容よりも表現で奇を衒う文章です。陸機は「そんな文章は情も愛もない」と嘆いています。


或いは理を遺てて以て異を存し、徒に虚を尋ねて以て微を逐う。言は情寡なくして愛鮮なく、辞は1)フヒョウして帰らず。猶お絃のア)にしてイ)の急なるがごとし、故に和すと雖も悲しからず。或いは2)ホンポウして以て3)カイゴウし、務めてウ)嘈囋として4)ヨウヤたり。

1)フヒョウ=浮漂。うわついて実質が無いさま。「浮~」の熟語は、浮淫(フイン=舟に乗り魚をとって楽しむこと、行いが軽薄でみだらなこと)、浮雲(フウン=あてにならないことのたとえ、縁遠くてまったく関係の無いことのたとえ)、浮栄(フエイ=はかない世俗的な栄華)、浮華(フカ=うわべばかりきれいに飾って実質がないこと)、浮気(フキ=空に漂う気、蜃気=シンキ=)、浮言(フゲン=根拠のないうわさ、流言、デマ)、浮誇(フコ・フカ=うそをいう、文章などで、内容が無くはでで大袈裟なこと)、浮浅(フセン=あさはかで物事の表面しかみないこと)、浮疏(フソ=軽軽しくておおざっぱなこと)、浮躁(フソウ=うわっ調子。軽薄なこと)、浮屠(フト=仏、僧侶)、浮蕩(フトウ=うかんでゆらゆらと動くこと、うわついていて信用できない)、浮嚢(フノウ=泳ぐとき使う浮き袋)、浮泛(フハン=舟遊び、かるはずみで中身が確実でないこと)、浮白(フハク=酒を飲み残した者を罰するために飲ませる杯、「浮」は、罰として酒を余計に飲ませること、「白」は、杯)、浮靡(フビ=うわついてぜいたくなこと)、浮萍(フヒョウ=池などの表面に浮かんで生える草、ところさだめずさすらうこと)、浮沫(フマツ=水に浮かんでいる泡)、浮誉(フヨ=実績のない栄誉)、浮梁(フリョウ=舟を並べその上に板などを置いてつくった橋、浮橋=フキョウ=)、浮弄(フロウ=鳥が水に浮かんでたわむれていること)。

2)ホンポウ=奔放。勢いよく走ること。ここでは、詩や文章の勢いのよいさまをいう。「奔」は「はしる」とも訓む。奔佚(ホンイツ=非常に速く走る、走って逃げ去る、自由気ままに行動する)、奔営(ホンエイ=利益を得ようとして忙しくつとめること)、奔渾(ホンコン=川の流れが急で凄まじいさま、≠香港)、奔趨(ホンスウ=はしっておもむく、≠本数)、奔川(ホンセン=勢いよく流れる川、≠本線・本戦・本選)、奔湊(ホンソウ=はしりあつまる)、奔湍(ホンタン=川の水流の急な所)、奔馳(ホンチ=馬に乗って勢いよく走りがける)、奔北(ホンボク=戦いに負けて逃走すること、奔敗=ホンパイ=)、奔命(ホンメイ=主君の命令を果たすために忙しく努力する、≠本命)、奔雷(ホンライ=激しく轟く雷鳴、≠本来)、奔浪(ホンロウ=激しく荒れる波、≠翻弄)。

3)カイゴウ=諧合。調和すること。「諧」は「やわらぐ」「ととのえる」とも訓む。調子を合わせて打ち解ける状態をいいます。諧謔(カイギャク=人を笑わせるような、おかしみのあることば、冗談)、諧協(カイキョウ=よく調和する)、諧語(カイゴ=たわむれにいう、調子のよい滑稽な言葉)、諧声(カイセイ=六書の一つ、形声のこと)、諧調(カイチョウ=やわらぎととのう、調和してやわらぐこと、よくととのった音楽の調べ)、諧比(カイヒ=やわらぎ親しむ、うちとけて肩をならべる)、諧和(カイワ=調和してよくととのう、調和させてととのえる、やわらぎ、よく調和していること)。

4)ヨウヤ=妖冶。人の心を惑わすほどあでやかなこと。妖艶(ヨウエン)、妖婉(ヨウエン)ともいう。「妖」も「冶」も「なまめかしい」と訓む。妖異(ヨウイ=不思議な出来事、怪奇現象)、妖魅(ヨウミ=人をたぶらかすあやしい化け物、妖怪、妖鬼)、妖氛(ヨウフン=よくないことがおこりそうなあやしい気配、戦乱、妖気)、妖孼(ヨウゲツ=災い、また、災いの起こるきざし)、妖言(ヨウゲン=人を惑わすことば)、妖蠱(ヨウコ=人を惑わせるほど美しくあでやかでなこと)、妖倖(ヨウコウ=気に入りの美人)、妖姿媚態(ヨウシビタイ=なまめかしい姿かたちと、人に媚びるような態度)、妖祥(ヨウショウ=災いと幸福、禍福)、妖彗(ヨウスイ=彗星)、妖童(ヨウドウ=美少年)、妖妄(ヨウボウ=あやしげで、でたらめなこと、≠容貌)、妖民(ヨウミン=あやしい術を使う人間)。

ア)么=ヨウ。「麽」の簡体字、「麽」は「麼」の異体字。「麼」は「マ・バ」。細かい、かすか。細麼(サイマ=こまかいこと)。似ている字に「幺」もあります。これも「ヨウ」で「ちいさい」。幺麼(ヨウマ=小さい、細かい、価値の無いつまらないこと、幺微=ヨウビ=)、幺弱(ヨウジャク=おさなくてかよわい)。このほかに、「一部の指示詞や疑問詞に付き語調を整える言葉」の意もあり、什麼(ジュウマ、ソモ、いかん=なに)、什麼生(ソモサン=なぜ、どうして、どのように)。

イ)徽=キ。琴の音の高低をつけるため、左手の指で弦を押さえる所を示すしるし、琴の糸を支える台(ことじ)のこと。「しるし」とも訓む。徽音(キイン=美しくすぐれた内容のことば、美しい音楽)、徽言(キゲン=ためになるよいことば、善言)、徽号(キゴウ=色、模様などによって区別した旗じるし、徽章=キショウ=)、徽幟(キシ=自分の所属・官位などを明らかにするための旗じるし、めじるし・標幟)。

ウ)嘈囋=ソウサツ。がやがやと騒がしいさま。「嘈」(ソウ)は「ざわつく」、「囋」(サツ)は「口数の多いこと」。嘈雑(ソウザツ=がやがやと騒がしいこと、嘈砕=ソウサイ=)、嘈嘈(ソウソウ=声の騒がしいさま、嘈然=ソウゼン=、→白居易の「琵琶行」に「大絃嘈嘈如急雨」がある)。

或遺理以存異,徒尋虛以逐微。言寡情而鮮愛,辭浮漂而不歸。猶絃麽而徽急,故雖和而不悲。或奔放以諧合,務嘈囋而妖冶。


【解釈】 ある場合は、内容を犠牲にしても、奇抜な修辞を好み、空虚で曖昧な表現を求める。このような言辞には、実感がこもらず、愛情も感じられない。表現がうわついて落ち着かない。あたかも、細い弦を急な調子で弾くようなものであり、調和するとしても、人の心を悲しませるものではない。ある場合は、奔放にして調子がよく、饒舌さと美麗のみを追求している。

うつろに響く文章というのがあります。一見すると、美辞麗句が列ねられていて華やか。しかし、その実は何の中身も欠片もない。真に伝えたいことそのものではなく、それを飾るべく修辞を凝らすことに主眼が置かれている美文とでも言えましょうか。例えば、本日の国会の代表質問。質問する側も答える側も空々しい響きしかありません。野党側はとにかく揚げ足を取ることに専念する。菅首相は応じる姿勢を見せつつもはぐらかして躱そうとすることに汲汲とする。実感もなく、愛情のない質疑応答。今回に限らないですが、一方通行の空しい議論です。「奔放以諧合,務嘈囋而妖冶」と陸機が呆れるのも無理からぬところ。実質のない空虚な文章は厳に戒めなければなりません。人を拊心する文章は、そんなに簡単に書けるはずがありませんよ。そんな失敗を積み重ねてこそ産み出すことのできる難物ではないでしょうか。やはり、ここでも古の名文を玩味することが捷径かもしれません。お手本は身近にあるのです。

言葉が浮いてしっくりこないならクールダウンを=陸機「文賦」15

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の15回目です。文章の失敗例はさまざま。陸機自身の「体験」から来るものばかりです。ここでは、ぽつんと浮いた文・字句(前回のように飛び抜けて秀でているものではない)をいかにして扱うか?聊か長いので三回に分けます。流れが分断されますが、ご容赦を…。

或いは言を短韻に託し、1)キュウセキに対して独り興る。俯しては2)セキバクとして友無く、仰ぎては3)リョウカクとして承くる莫し。偏絃の独り張るれるに譬う、清唱を含めども応ずるア)し。或いは辞をイ)瘁音に寄せ、徒に言を靡にして華ならず、ウ)妍蚩を混じて体を成し、良質をエ)ねてオ)を為す。下管の偏に疾きにカ)る、故に応ずと雖も和せず。

1)キュウセキ=窮迹。行き詰まった足あと。つまり、袋小路か行きどまりに追い込まれている状態をいうか。休戚、旧蹟、旧迹、穹石、九隻ではありませんが、辞書には掲載が無い言葉です。「窮」は「きわまる」、「迹」は「(あし)あと」。窮巷(キュウコウ=むさくるしげな場末のまち)、窮海(キュウカイ=遠い海、遠い辺鄙な土地)、窮陰(キュウイン=陰気のきわまったとき、冬の末のこと)、窮裔(キュウエイ=きわめてへんぴな土地)、窮居(キュウキョ=貧乏暮らし)、窮人(キュウジン=貧乏で、生活に苦しんでいる人、卑しい身分の人)、窮賤(キュウセン=貧乏)、窮廬(キュウロ=貧乏住まい)、窮民(キュウミン=貧乏人)、窮髪(キュウハツ=きわめて遠くへんぴで草木の生えない土地、不毛の土地)。事迹(ジセキ=物事の歴史)、迹状(セキジョウ=人の行いやありさま。やった仕事ぶり、行迹)、不践迹(あとをふまず=先人のやり方に従わず、全く自分独自のやり方で事を行う、論語「先進」が出典)。

2)セキバク=寂莫。ひっそりして静かなさま。寂寞・寂漠とも書く。「ジャクマク」の読みもOKです。ただし「ジャク」だと呉音でやや仏教臭が漂います。寂念(セキネン=しんみりと静かに思う、ジャクネン=悟りの境地(静寂)を目指す心)、寂寥(セキリョウ=音も無く人影も無く、ひっそりとしているさま、寂歴=セキレキ=)、寂寂(セキセキ=ひっそりと静かなさま、寂爾=セキジ=、寂然=セキゼン=、寂如=セキジョ=、寂乎=セッコ=、ジャクジャク=この世の人間的な欲望や悩み・苦しみなどから離れて、悟りを開いた境地)。

3)リョウカク=寥廓。なにもなくてうつろである。むなしいほどに大きい。「寥」は「さびしい」とも訓み「うつろである」の意。「リョウたり」と読めば、「すきまだらけで詰まっていないさま、まばらなさま、がらんとしているさま」。寂寥(セキリョウ=↑)、寥落(リョウラク=落ちぶれたさま、荒れ果ててさびしいさま)、寥亮(リョウリョウ=声や音が澄んだ音色で響き渡るさま、寥戻=リョウレイ=)、寥寥(リョウリョウ=うつろでひっそりしているさま、空虚なさま、数が少ないさま)。

ア)靡し=なし。漢文訓読用法で「ない」と訳す。否定の意。「無」に同じ。音読みは「ビ」。「なびく」「なびかす」とも訓む。靡敝(ビヘイ=おとろえる)、靡曼(ビマン=きめこまかで柔らかく美しいこと)、靡爛(ビラン=ただれてぼろぼろになる)、靡麗(ビレイ=はなやかで美しい)。

イ)瘁音=スイイン。つかれた音。「瘁」は「つかれる」「やつれる」とも訓む。焦瘁(ショウスイ=やつれる)、尽瘁(ジンスイ=心を尽くして苦労する)、瘁瘁(スイスイ=やつれはてるさま)。

ウ)妍蚩=ケンシ。美しいことと醜いこと。これまで何度も出ている。復習です。

エ)累ね=かさね。「累ねる」は「かさねる」。他の物事をかさね加える。「積」が同義。累次(ルイジ=災難などが連続して何度もおこること)、累葉(ルイヨウ=何代も続くこと、代々、この「葉」は「時代」、累代=ルイダイ=、累世=ルイセイ=)、挈累(ケイルイ、ルイをたずさう=足手まといになる妻や子供たちを連れる)。

オ)瑕=カ(きず)。玉の表面についたきずや、ひび。また、それがあるさま、欠点のあるさま。瑕穢(カアイ=きずと汚れ、転じて、欠点)、瑕瑾(カキン=欠点)、瑕釁(カキン=あやまち、すきま、人に対するうらみ)、瑕疵(カシ=宝玉のきず、欠点)、瑕適(カテキ=宝玉の傷、欠点、瑕謫=カテキ=)、瑕瑜不相揜(カユあいおおわず=欠点も美点もありのままにしておいて隠さない)、瑕尤(カユウ=ちょっとした欠点と、あやまち)、匿瑕含垢(トッカガンコウ、きずをかくしあかをふくむ=美しい玉にもきずが中にかくされており、悪いあかがある、すこしの欠点があっても人としての立派さを損なわないたとえ)。

カ)象る=かたどる。かたちを似せる、なぞらえる。音読みは「ショウ」(「ゾウ」は呉音)。象形(ショウケイ=物の形をまねてかたどること)、象魏(ショウギ=宮城の門、象闕=ショウケツ=)、象繋(ショウケイ=「易経」の、象伝と繋辞伝のこと、いずれも「周易」の十翼の一つ)、象胥(ショウショ=周代の官名、通訳官)、象人(ショウジン=人の形に似せる、ひとにかたどる)。


或託言於短韻,對窮迹而孤興。俯寂寞而無友,仰寥廓而莫承。譬偏絃之獨張,含清唱而靡應。或寄辭於瘁音,徒靡言而弗華。混妍蚩而成體,累良質而為瑕。象下管之偏疾,故雖應而不和。



ある場合は、短い言辞による表現が、発展性も無いまま孤立している。下文に対応する箇所はなく、上文から継承するところもない。弦が一本だけ張られた楽器のようなもので、音色は清らかかもしれないが、対応するものは無い。ある場合は、疲れ衰えた調子の文であり、うわついているばかりで輝きが無い。美しい語と醜い語が混じって構成されているので、良い部分が多くても、結局は欠点が目立つ。下管の音楽がやたらに速いのに似ている。対応するものは有っても、調和するものは無い。

「俯寂寞而無友,仰寥廓而莫承」――。突出しているというよりは浮いている一文。楽器に喩えるならば、弦はたったの一本しかない。音色は平坦で唱和する楽器もなく変化に乏しい。一本調子で平凡。「混妍蚩而成體,累良質而為瑕」――。いい言葉悪い言葉が混在している一文。どんなにいい字句があろうとも欠点となっている。唱和する楽器はあるが、全然調和していない。一人勝手に進行する。難しいですが、日常茶飯事で起こりうる事象です。いい文章を書きたいという思いが強いほど、言葉や文が上滑りしてしまう。空回り。こんな時は焦らないことです。一旦頭をクールダウンして、もう一度自分の書きたいことを整理するのがいい。言葉は後から付いてくるくらいに鷹揚に構えた方がいい。言葉が足りないならば、古の文章を熟読玩味しましょうよ。書きたいこととどう書くかは分断されても仕方ないと考えます。迂生はそう思います。陸機さんはどうでしょうか。この問題の対処法はまだ先に続きます。次回にて。

石は玉を韞みて山輝く、水は珠を懐きて川媚し=陸機「文賦」14

陸機の「文賦」シリーズ(明治書院「新書漢文大系26・文選<賦篇二>」)の14回目です。文章の失敗シリーズ。「ワンフレーズ・ポリテイックス」。小泉純一郎が「郵政」の一点張りで世の中の人を誑かした政治を指したりしますが、文章の世界でもあります。今回は、あまりに飛び抜けて素晴らしい「フレーズ」(文、辞、句など)があるため、ほかと調和しないケース。これをどう生かして全体をまとめるかが問われます。孤高の人は衆人とは交わらないのです。いや交わることができないのです。どうすればいいのでしょう、陸機さん?結論は意外に単純ですが……。

或いはア)のごとくに発しイ)のごとくに豎ち、衆を離れ致すを絶つ。形は逐う可からず、響きは係を為し難し。塊として独り立ちて特りウ)ち、常音の緯する所に非ず。心1)ロウラクとして偶無く、意徘徊してエ)る能わず。石玉をオ)みて山輝き、水珠を懐きて川カ)し。彼のキ)榛楛のク)ること勿きも、亦栄を集翠に蒙る。下里を白雪に綴るも、吾亦彼の偉とする所を済す。

1)ロウラク=牢落。心がうつろなさま。「牢」は「ひとや」のことで「かたい」とも訓む。ここでは「とじこめられたさま」をいう。牢乎(ロウコ=かたくてしっかりしたさま)、牢固(ロウコ=かたくまとまって、動きがとれない、堅固、牢堅=ロウケン=)、牢愁(ロウシュウ=心がとじこめられたように憂える)、牢騒(ロウソウ=不平なさま)、牢籠(ロウロウ=ひとまとめにしてとじこめる、他人を思いのままに使うこと)。ロウラクには「籠絡」もありますが、こちらは「他人を巧みに言いくるめて、自分の思う通りにあやつる、他人をまるめこむ」。

ア)苕=チョウ。細く伸びたアシ・オギなどのほ。「ほ」とも訓む。「苕苕」(チョウチョウ)は「高くのびたさま、細長くて遠いさま」。

イ)穎=エイ。ほさき。穀物のほさき。ほさきのようにとがった物のさき。筆の先、錐の先など。穎異(エイイ=かしこくてすぐれている)、穎悟(エイゴ=才知がすぐれてかしこい、穎敏=エイビン=)、穎秀(エイシュウ=才知が鋭く秀でていること)、穎脱(エイダツ=袋に入れた錐の先が突き抜けて袋の外に抜け出る、才気が多くのひとに抜きん出て外に表れていること)、穎哲(エイテツ=すぐれてかしこい)、穎抜(エイバツ=多くの人に抜きん出ていること)。

ウ)峙ち=そばだち。「峙つ」は「そばだつ」。じっと動かないで、まっすぐに立つ。音読みは「ジ」。峙立(ジリツ=じっとそびえ立つ)、対峙(タイジ=相立ち向かうこと)。

エ)揥る=とる。ひきしめて一つにまとめる。「揥」は「飾りのついた帯締め、髪を締めてまとめるくし」。音読みは「テイ」。

オ)韞み=つつみ。「韞む」は「つつむ」。「おさめる」とも訓む。入れ物におさめてかくす。音読みは「ウン」。韞価(ウンカ=価値のあるものをしまっておく、才能や知識がありながら、世に知られないことのたとえ)、韞玉(ウンギョク、ギョクをつつむ=玉を包み隠す、美しい質を中にひめるたとえ)。韞櫝(ウントク=ひつ(櫝=匱)のなかにしまっておく、才能があるのに認められずにいることのたとえ、「論語・子罕」が出典)。

カ)媚し=うるわし。宛字チックな訓み。通常は「こびる」「こび」「みめよい」。音読みは「ビ」。媚子(ビシ=君臣を和合させる賢人、髪飾り)、美辞(ビジ=こびへつらうことば、媚語=ビゴ=)、媚承(ビショウ=こびへつらい、他人の意にしたがうこと)、媚態(ビタイ=こびへつらうさま、色っぽくあでやかなさま)、媚附(ビフ=こびへつらい、つき従う、阿附=アフ=)、媚薬(ビヤク=情欲を増進する薬、惚れ薬、バイアグラ)。

キ)榛楛=シンコ。ハシバミやヤマエノキ。詩経の「大雅・旱麓」に「榛楛済済」が出てくる。「榛」は、落葉低木で、枝葉の生長がはやい、実は食用。和訓は「さいばり・はり・はん」。「榛穢」(シンアイ=草木が入り乱れる、転じて悪い風習や乱れた政治を言う)、「榛棘」(シンキョク=いばらなどが乱れ茂った所、榛荊=シンケイ=)、「榛荒」(シンコウ=草木が乱れ茂って荒れ果てた所)、「榛蕪」(シンブ=草木が乱れ茂って、荒れ果てた所、邪悪、不正、未開、乱雑、物事の障害のたとえ)、榛莽(シンボウ=草木の乱れのびた所、やぶ、榛叢=シンソウ=)、榛薈(シンワイ=草木が乱れ茂って、荒れ果てた所、「薈」は「草木があつまってしげる」の意)。「楛」は和訓で「なばえ・なまえ」。ニンジンボクに似た落葉小高木。材は矢幹にする。「楛耕」(ココウ=ぞんざいに耕す)、「楛矢」(コシ=楛を幹に使ってある矢)。

ク)翦る=きる。端を揃えてきる。「剪」と同義。音読みは「セン」。翦夷(センイ=滅ぼし平定する、全滅させる)、翦裁(センサイ=樹木や布などを断ち切る、草木をきりそろえて手入れする、文章に手を入れて直す)、翦綵(センサイ=あやぎぬを裁断して衣服をつくる、造花)、翦紙(センシ=紙をきる、切り紙、切り紙細工)、翦截(センセツ=はさみで断ち切る)、翦翦(センセン=よくそろうさま、知恵が足りず劣っているさま、風が颯と吹く形容)、翦定(センテイ=賊などをうち平らげる、果樹などの生長・結実を助けるために余分な枝を切ること)、翦屠(セント=きり殺す)、翦刀(セントウ=はさみ)、翦伐(センバツ=枝をそろえて木をきる、賊をすべて平定する)、翦滅(センメツ=うち滅ぼす、また、滅びる)、翦余(センヨ=きりとった余り)。いずれの熟語も「剪」の置き換えができます。この言葉は詩経の勿翦(ブッセン、きるなかれ)に由来する由緒正しい漢字です。


或苕發穎豎,離衆絕致。形不可逐,響難為係。塊孤立而特峙,非常音之所緯。心牢落而無偶,意徘徊而不能揥。石韞玉而山輝,水懷珠而川媚。彼榛楛之勿翦,亦蒙榮於集翠。綴下里於白雪,吾亦濟夫所偉。



【解釈】 第四は、一つの文が全体の中から、穂先のように飛び抜け、他の部分とは趣が全く異なっている場合である。それは、追いつくことのできない姿、つなぎ止められない響きのようなものであり、孤立して独りそびえ立ち、平凡な音色(言葉)と組み合わせることなどできない。心の中を探っても、もはやそれに匹敵する表現を見出すことはできず、あれこれ思い悩んでも、うまくまとめることはできない。しかし、考えてみれば、石の中に美玉を蔵するからこそ、山全体が輝くのであるし、水の底に真珠が沈んでいるからこそ、川全体が美しくなるのである。つまらない雑木林でも、美しいカワセミが巣食っていればこそ、そのおかげで切り倒されないですむ。それゆえ、下品な「下里」の曲を、上品な「白雪」の曲につなげるような結果になったとしても、優れていると思える箇所を生かして、残すようにするのである。

飛び抜けていい一文。ありますよね~。お気に入りのフレーズが。それは「形不可逐,響難為係」。ほかの文がいくら輝いても追いつかない素晴らしい内容なのです。「塊孤立而特峙,非常音之所緯」。超然として平凡なものとは交わることができないもの。かと言って、その生れたフレーズはもはやほかで置き換えるなど不可能。時々あるんですが、「これだっ」と浮かんだフレーズを書きとめておかないでいて、いざ書こうとしても思い出せない。何度も振り返ってもダメ。「ああ~、なぜにメモっておかなかったのかぁぁあ~」。呻吟、苦吟しても如何ともすることができない。そんな素晴らしい一文はどう扱えばいいか?陸機は言います。「石韞玉而山輝,水懷珠而川媚。彼榛楛之勿翦,亦蒙榮於集翠」。美しい物は触らない方がいい。下手にいじっても禄な事にはならない。そのまま生かすことだけ考えなさい。折角浮かんだ名フレーズ。これを中心に文章を展開させるのが一番いいのだと。それがたとえ、「綴下里於白雪」となろうとも「吾亦濟夫所偉」とするがいい。「下里」(カリ)は死んだ人の魂が行くという所。きっと寂しい曲なのでしょう。曲と曲がうまくつながらなかろうとも、美しい方の曲を残して全体をまとめるのがいい文章になる近道だというのです。な~るほど。こだわりの文章ですね。
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
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2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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