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冷静に考えれば結論はあっさりと出るさ…

本日の岩波文庫「菜根譚」(今井宇三郎訳注)は、人間の気持ちの本質を突きます。なまじお金があるが為に、なまじ肉親であるが為に、人に対する気持ちが揺れ動いてしまう。この気持ちの取り扱いを誤ればとんでもないことになってしまうと警告を発します。


【前集一三五】

■■之態、富貴更甚於■■、■■之心、骨肉尤於外人。此処若不当以■■、御以平気、鮮不日坐煩悩障中矣。

1)エンリョウの態は、富貴更に2)ヒンセンよりも甚しく、3)トキの心は、骨肉尤も外人よりも4)し。此の処若し当たるに5)レイチョウを以てし、御するに平気を以てせざれば、日に煩悩障中に坐せざること鮮からん。



【解釈】 人情の暖かさや冷たさの変化は、(利害の対象が大きいので)金持ちの方が、貧乏人よりも一層激しい。また、ねたみそねむ心は、(事情に通じているので)肉親の方が赤の他人よりも一層激しい。この点について、もしも冷静な心で当たり、平静な気持ちで制御していないと、毎日毎日、絶え間なく心身が悩まし苦しめられるだろう。

失敗した人間に対する気持ちの変化はその事情を知れば知るほど激しくなるものです。信頼していればいるほどきつくなる、それが人情というものです。それほど人の気持ちはか弱い。愛が深ければ深いほど裏切られた気持ちになった時、憎しみにも変わってしまう。その起伏をどうすれば抑えられるのでしょう。冷静な気持ちでいられるのでしょう。無関心いればいいのか。なるべく関わらないようにすればいいのか。その点について菜根譚は直接的な解決策は明示していません。逆に言えば、金があるほど、肉親であるほど気持ちが動くことに注意せよと事前に戒めることでそうならないようにさせようとしています。煩悩の俘になってしまうから。それは自分自身のため。利害関係を抜きにして人と付き合うことができるかどうかを問うていると言っても過言ではありません。

支持率低迷に喘ぐ菅政権。必殺小沢切りに動き出しました。輿論に勝てなくなったのです。小沢派の議員も菅首相の本気度を目の当たりにして苦悩し始めていることでしょう。強制起訴の重みを感じなければなりませんから。離党勧告に踏み切る模様です。どんなに小沢が選挙の恩人であれ、選挙民の心が離れて次があるはずはありません。炎涼の態、妬忌の心はそれぞれの議員を苛み始めています。しかし、冷静になれば選挙民の声に耳を傾ければ自ずと答えは出るでしょう。あれだけの金の疑惑が取りざたされた政治家はかつていたでしょうか。たとえ法的な証拠はなくともグレーであれ、ここまで塗れた政治家が生き残れるとは到底思えない。刑事責任は問われずとも道義的責任は回避できまい。菅首相の判断はその一点に収斂してきたようです。


問題の正解などは続きにて。。。




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バブル弾けて後悔残る、後悔残さず日常を慎むべし

本日の岩波文庫「菜根譚」(今井宇三郎訳注)は、“人間バブル”崩壊の戒めとバブルにならないための“行住坐臥”の大切さを説いた連続二編を取り上げます。

【前集一〇九】

老来疾病、都是■■招的。■■罪孽、都是■■作的。故持盈履満、君子尤■■焉。

老来の疾病は、都て是れ1)ソウジに招きし的なり。2)スイゴの3)罪孽は、都て是れ4)セイジに作せし的なり。故に盈を持し満を履むは、君子尤も5)キョウキョウたり。



【解釈】 老後の病気はすべて若い時に摂生しなかった報いであり、下り坂になってからの災いは、すべて盛んな時に無理をした罰である。そこで君子たるものは、羽振りの良い満ち足りた時に当たって、特に恐れ慎むことが求められるのである。




【前集一一〇】

私恩、不如扶公議。結新知、不如旧好。立■■、不如種■■。尚奇節、不如謹■■。

私恩を6)るは、公議を扶くるに如かず。新知を結ぶは、旧好を7)くするに如かず。8)エイメイを立つるは、9)イントクを種うるに如かず。奇節を尚ぶは、10)ヨウコウを謹むに如かず。



【解釈】 個人的な私恩を売るよりは、天下の正論に味方した方が良い。新しい友人を求めるよりは、古い友人とのよしみをあたためた方が良い。はでな名を立てるよりは、かげで陰徳を施しておく方が良い。奇特な節義を尊ぶよりは、日常の行いを慎む方が良い。

諄諄言うのはやめましょう。若いころは無理がきくんですよ。でも、それは後々にちゃあんと付けが回っているんですね。バブルは弾けたあとが怖い。反動が大きいから。要は大局観を持てるかどうかなんです。調子のいい時こそ身を慎めというのは言うは易し行うは難し。できなくてもいいんです。あとで後悔すれば。まだ間に合うでしょう。何度も何度痛い目に遭わないと人間は成長しませんから。羹に懲りて膾を吹くのが結局はいいのでしょうね。

そのためには、天下の正論を唱えたり、古い友人との仲を温めたり、ひそかに善行をしたり、日常生活を慎んで送ったりするのが無難。これらの逆もいいが、長持ちはしませんよ。やってみれば分かる。とにかく突出したことをやるとあとで竹箆返しを食らうのが落ち。委縮する必要はないが、過度な分不相応な行いは身の破滅の元です。菜根譚が教える処世訓は難しいことは何もない。その通りに噛み締めればいいのです。噛んで噛んで味が出てくるまで噛み続けることで身に沁み入るのですから。。。


問題の正解は続きにて。。。


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チャンスはピンチに胚胎する…順風満帆が一番危ういぞ

本日の岩波文庫「菜根譚」(今井宇三郎訳注)は、ピンチとチャンスが交互にやってくるのは当然としても、それぞれの予兆はそれぞれの前の段階で胚胎しているということを説きます。禍福は糾える縄の如し。ピンチはピンチなりに人を磨く。チャンスはチャンスなりに人を盪かす。さてさて、どっちがいいのでしょう。いや、どっちも来ない方がいいのでしょうか。


【前集九九】

居逆境中、■■皆鍼砭薬石、砥節礪行、而不覚。処順境内、■■尽兵刃■■、銷膏靡骨、而不知。

逆境の中に居らば、1)シュウシン、皆鍼砭薬石にして、節を砥ぎ行を礪きて、而も覚らず。順境の内に処らば、2)マンゼン、尽く兵刃3)カボウにして、膏を銷し骨を靡して、而も知らず。



【解釈】 人間、逆境にあるときは、身のまわりのすべてがはりや薬で、それで節操をみがいているのであるが、しかも本人はそれを知らずにいる。これに対して、順境にあるときは、目の前のすべてが、刃や戈で肉を溶かし、骨を削られていることに気付いていない。


逆境と順境。有卦に入る、無卦に入るという易の世界の言葉もあります。それぞれ長く続くことはあっても永遠に続くことはないというのが大前提。少なくとも迂生は一生逆境だった人、一生順境だった人がいたことをしりません。知らないだけかもしれませんが、それを公言した人は知りません。となると、どちらも無い方がいいのかもしれません。平坦に、抑揚無く、生きることができればそれに越したことはないのかも。しかし、残念ながらそうはいかない。人間は喜怒哀楽するために生きていると言っても過言ではない。したがって、順境、逆境は多少の長さにちがいはあれど交互にやってくる。しかも、逆境は人にさまざまな教訓を教えてくれるので、それを乗り越えた暁には一歩成長している。ところが、順境は順境で、人知れず肉を溶かし、骨を削る、つまり、知ってはいけないこと、知らない方が良かったことを教え込んでしまう。慢心ですね。気がつけばとんでもない事態を招いている。高みにあると勘違いしてしまう時が人生で一番危い時なのです。一気に落ちる。速い。ジェットコースターのようです。平坦がいいのですが、それは無理。ジェットコースターは落ちる時は怖いですよね。どうすればいいのか。天狗にならないことです。どんなに自分に有利な風が吹いていようとも、有利だと思ってはいけない。不必要に卑屈になったり弱気になる必要もないが、根拠も無しに、今の自分の境遇を受け入れるのだけはやめましょう。どこに落し穴が潜んでいるかは分からない。どんな利益も不利益になるということを常に肝に銘じることです。人生、何十年なのかは分かりませんが、毎に学ぶことです。いいことも、悪いこともひっくるめて学びなのです。年齢上下は無関係。時間は平等。使い方で差が出る。体も調子も大事だ。心地の良い人生は棺の蓋を覆うまで訪れないと思った方がいいのです。


正解などは続きにて。。。


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心の欲望に打ち勝つには…最悪をシミュレーションせよ

本日の岩波文庫「菜根譚」(今井宇三郎訳注)は、強欲さが身の破滅への入り口であることを戒めます。一生を台無しにする恐れがある。だから、昔の人を引き合いに出して、欲を丸出しにするなと言います。

【前集七八】

人只一念■■、便銷剛為柔、塞智為昏、変恩為惨、染潔為汚、壊了一生人品。故古人以不■為宝、所以■■一世。

人は只だ一念1)タンシなれば、便ち剛を銷して柔となし、智を塞ぎて昏となし、恩を変じて惨となし、潔を染めて汚となして、一生の人品を壊了す。故に古人、2)ムサボらざるを以て宝となすは、一世に3)ドエツする所以なり。



【解釈】 人はほんの少しでも欲張る心を起こすと、強い気象も弱くなり、澄んだ知恵もにぶくなり、愛情も残酷な心になり、潔白な心もよごれてしまって、生涯の品格をすっかりこわしてしまう。そこで古人も、欲張らないことを宝としたが、それが俗世間を超越したわけである。

欲張りは人格を変えてしまう。「剛」が消えて「柔」に、「智」が塞がって「昏」に、「潔」が「汚」に染まり、人品が壊れ去る。少しならいいだろうとか思わない方がいい。「剛」「智」「潔」というポジティブな性格がすべてネガティブなものに姿を変えてしまう。ほどほどがいいんです。分不相応の欲を求めても禄な結果にならないからです。だから、昔の人は強欲を戒めて、清貧を宗としたのは俗世間の誘惑から己の身を守るためだったのです。あの陶淵明が田園に帰ったのもそうだというのでしょう。ある意味早々に見切りをつけた。世の栄達の空しいことを見抜き、本分に従って生きることこそ自分自身を守ることだった。物理的な隠者にならなくとも、心の中で隠者になることはできる。世の中から逃避するのではなく、世の危険から身をも守るために。。。



本日は二つ目も。そうした欲をどうすれば防げるのか。

【前集七九】

耳目外聞為外賊、情欲意識為内賊。只是主人翁、■■不昧、独坐中堂、賊便化為家人矣。

耳目外聞は外賊たり、情欲意識は内賊たり。只だこれ主人翁、4)セイセイ不昧にして、中堂に独坐せば、賊便ち化して家人とならん。



【解釈】 聞いたり見たりする欲は外部から侵入する賊で、欲情や我意は心の内部にいる賊である。ただ主人である自分さえ、さとく明らかで欲にくらまされることなく、心の中央に端坐しておれば、内外の賊はそのしもべとなるであろう。

目を閉じて耳を塞いで外の敵を防ぐ。内なる敵は心を静かに澄みきらせて安らかにしておく。そうした敵を奴隷にする。難しいですよ。誘惑は多いし、心は弱いし。水は低きに流れます。大勢に流されます。自分をしっかり持つことしかないでしょう。心の坐禅。外に振らされす、内にたゆたわせず。己を一心不乱に磨く而已。「耳目外聞」や「情欲意識」と言っているうちはまだまだ甘い。万が一、欲を出し過ぎて最悪のケースが起きたことを想定してみる、そうした事態をシミュレーションしてみるのも手かもしれません。怖くなっておのずと心は静まるかもしれません。耳も目もおのずと窒がることでしょう。


問題の正解などは続きにて。。。



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心配の種は奥深く隠さずに適度に表に出しましょう

本日の岩波文庫「菜根譚」(今井宇三郎訳注)は、自分の思う通りになる人生、ならない人生を論じます。暴れ馬を御すにはどうすればいいか。病気がないことは果たしていいことなのかどうか。長い人生における処世訓です。

【前集七七】

泛駕之馬、可就■■、■■之金、終帰型範。只一■■不振、便終身無個進歩。白沙云、為人多病未足羞。一生無病是吾憂。真■■也。

1)泛駕の馬も、2)クチに就くべく、3)ヤクヤの金も、終に型範に帰す。只だ一に4)ユウユウして振わざるもの、便ち終身個の進歩なし。白沙云う、「人と為り多病なるは未だ羞ずるに足らず。一生病なきはこれ吾が憂なり」と。真に5)カクロンなり。




【解釈】 車をひっくり返すような暴れ馬も、御し方一つでうまく走らせることができる。鋳型から跳びはねる金も、最後には鋳型に収めることができる。ただ、のらりくらりと日を過ごし少しも奮起することのない者だけは、一生涯、進歩というものが期待できない。陳白沙が言う所では、「生まれつき多病なことは恥じることではない。むしろ、生涯無病であって、病の何たるかを知らない方が自分には心配の種である」と。ほんとうにしっかりした意見である。


どんな暴れ馬も、人間が鞭なり食べ物なりで御すことは出来ます。それが教育かもしれません。鋳型に入らない冶金だっていつかは大人しく型にはまり立派な金属になって役に立ちます。ところが、ただ徒に生ける屍のように生きているのか死んでいるのか分からない生き方をしていれば、前に進んでいると言えるのでしょうか。多少、口が先走っても自分の主張がはっきりと表に出ている人の方が人間は扱いやすい。御せるから。偶には大声で世の中の矛盾点を叫びましょう。声は出さなければ届かない。どうせ、という台詞は単なる逃げ口上にすぎません。

そして、明代の文人、陳白沙の台詞です。彼の著述である「白沙子」巻六に出て来るものですが、多少病気があった方が手の施しようがある。しかし、病がないということは実は病があることよりもっとひどいのではないかというのです。つまり、病気がちであればケアをするから大事にはならない。一見、何もないといいように思えますが、表面化した時は大事かもしれません。これは日常生活にも当てはまります。適度につまずきを経験することが注意深くさせてくれます。むろん、つまずきはない方がいいに決まっています。人生経験上、それはあり得ないとなれば、災いを転じて福と為すことは必要でしょう。表面的なことと奥深く潜行することは表裏一体です。表面上何もないと云う事は表面化した時に手遅れであることはままあります。なぜか。表面化しない限り気付かないわけですから、病状は進むだけ進むからです。こんなに恐いことはありません。ジェットコースターのようですよ。落ちる時は一気です。容赦ありません。菜根譚はこのように人間の弱さを逆手にとって生きることの大切さを教えてくれます。

人の心に痛みを知りましょう。そして、知るだけでなく、自分に置き換えて痛みを最小限に和らげることが大切です。弱さを隠さずに出しましょう。それは甘えではなくて、身を守るための方便と言ってもいい。人とかかわり、本音をさらけ出し、抱え込まない。抱え込むようなことはしない。密かに潜行することはしない。公明正大に生きることこそ長生きの秘訣です。

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政治家に士君子たることを求めるのは酷なのか?

本日の岩波文庫「菜根譚」(今井宇三郎訳注)は、普段から身綺麗にすることの効用を説いています。人それぞれに限界はあるでしょうが、出来得る限りの節制を心掛けるべきだというのです。事前に予測できない、いざというときにそのことが生きてくる。そうなってみて初めて普段の生活の大事なことを悟るのです。菜根譚の数ある至言のほとんどはシミュレーションをせよと言っている。最悪の事態をどれだけ事前に織り込めるか、そうすれば最悪の事態だけは避けうる。もちろん、自分で最悪と思ってもそれを上回る、さらなる最悪はあるから、つねに想定に満足せずに、リバイズすることが求められるのは言うまでもありません。人生生きている限り、これでいいというのはないのです。常に自分の経験を大事にして、その積み重ねで生きろと叱咤しています。


【前集八四】

貧家浄払地、貧女浄梳頭、景色雖不艶麗、気度自是風雅。士君子、一当窮愁寥落、奈何輒自廃弛哉。

貧家も浄く地を払い、貧女も浄く頭を1)クシケズれば、景色は2)エンレイならずと雖も、気度は自からこれ風雅なり。士君子、一たび窮愁3)リョウラクに当たるも、奈何ぞ輒ち自から4)ハイシせんや。




【解釈】 あばら家でもきれいに庭を掃除し、貧しい女もきれいに髪をとかしておれば、外見はあでやかに美しいとは言えないまでも、品格は自然に趣を得てくるものである。そこで一人前の男として、万一、困窮の憂いや失意の悲しみに落ちたときでも、どうしてそれですぐ、自分から投げやりになってよかろうものか。

ここでいう「景色」(ケイショク)とは「外見、様子」という意。「気度」とは、「品格、度量のこと」。「士君子」とは中江兆民の論文に頻出しますが、「一人前の男子」という言葉です。学問、教養、徳行すべて備わった優れた人物を指しますが、なかなか到達できないレベルではあります。「窮愁」とは「困窮した憂い」のこと。「奈何」(いかん)は反語用法。

貧乏や外見の貧しさは実はマイナスではない。そのこと自体を卑下する必要は全くない。卑下した時点で負けだと思います。貧乏に満足するのではない、貧乏を卑下するなということを迂生は言いたい。そうではなくて、日常の行いこそが大事となる。引け目に感じる暇があれば自らを厳しく、正しく律して最大限の力を発揮して生きる姿勢が求められる。貧乏でも身綺麗に。不細工でも小奇麗に。これは勿論喩えですから、それぞれの一見、引け目に感じられがちなことを引き合いに出していいのですが、品格を重んじて、他者から後指が刺されないように振る舞うこと。必要以上の富や美は要らないのです。前段と後段のつながりがスムーズではないですが、ピンチになっても冷静になれというのは当たり前としても、普段の行いが生きてくるということを言いたいのでしょう。


政治家一人一人はもちろん、国民一人一人が普段の行いを慎み、過度な贅沢を求めず、身綺麗に小奇麗に生活を送る、仕事をする、子育てをする、趣味をする。いまこの国はそうした節度を求められているのではないでしょうか。所詮多少儲けても人の金を掠めたにすぎません。そんな金は身につくはずがない。借金だらけの上辺だけの辺幅を飾ってもいつか破綻するのは目に見えている。国民がためたお金をどう使うのか。国家は自暴自棄になってはいけない。そうならないためにも普段の行いが大事。老若男女、斉しく士君子になる必要はないですが、政治家に士君子たることを求めるのは酷なことなのでしょうか。菅政権はとっくに正念場に立たされています。ここからが真価の発揮どころではないでしょうか。


問題の正解などは続きにて。。。



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打算の無い愛なんて無いさ…

本日の岩波文庫「菜根譚」(今井宇三郎訳注)は、親子であれ友人であれ、組織であれ、人間関係の要諦を説きます。人と人の間に介在する物質的なつながりと精神的なつながり。恩恵、打算、無償、有償。世の中金で買えない物はないと嘯いた者もいましたが、金は物は買えるが、その価値は金の額面通りとは限らないのです。金銭の多寡に価値を見出すのではなく、人とつながれることに大いなる有り難さを感じ取るべきでありましょう。


【前集五二】

施恩者、内不見己、外不見人、即■■可当■■之恵。利物者、計己之施、責人之報、雖■■難成一文之功。

恩を施す者は、内に己を見ず、外に人を見ざれば、即ち1)トゾクも2)バンショウの恵みに当たるべし。物を利する者は、己の施を計り、人の報を責むれば、3)ヒャクイツと雖も一文の功を成し難し。



【解釈】 人に恩恵を施す者は、心の中に施す自分を意識せず、施される相手の感謝を期待しないようであれば、たとえわずかな恩恵であってもその価値は莫大である。ところが、人に利益を与える者は、自分の与えた利益を計り、その報いを要求する心を起こすようであれば、喩えどれほど莫大な大金を得たとしても一文の価値もない。

人は人と関係を持とうとするもの。そのアプローチの仕方は千差万別ですが、本当に相手のことを思えば滅私の行為となる。なかなか簡単ではないでしょう。無償の愛というのもそれだけ空しいことか。相手が応えてくれないことほど憎いものはない。たとえ親子間であっても打算貫の関係は本当にあり得るか。親は、期待にこたえてくれない子供に愛情を注ぎ続けることができるのだろうか。よしや利益を期待する心が少しもないと言えるかどうか。自分の胸に問いかけて自信満々で諾することができるでしょうか。お為ごかしという言葉は、情は人の為ならず。自分の為に情をかける。このくだりは当たり前のことを説いているのは間違いないですが、本当にやれるかどうかは怪しいものです。

政治の世界で言えば選挙のマニフェストというのがこれにあてはまります。みなさんのためにと公言し、当選の暁にはお約束しますと言いながら、選挙民、国民とかかわろうとする。お約束?お為ごかしですね。自分の当選と行為を計りにかけている。こんなことやっているからオネダリ国民が生まれてしまうのです。国民の生活の為になどと偽らないで正直に自分が当選したいから票を入れてくれという潔さの方がよほど美しい。恐らく当選はしないでしょうけれど。とどのつまりはマニフェストは絵に描いた餅でしかなく、そんなものを政治家の側に書かせるから信用のできないものになってしまう。国民自らが描かなければだめだ。そんな打算の産物であるマニフェストは何の価値もない。どんなに大勝しようとも、オネダリ国民をつくるだけのものでしかない。ほんとうに国民のことを思うのなら、なぜにあれほどの高い歳費が必要なのか。政治に金がかかると云うのも詭弁だ。何百人もの議員なんていらない。国民は怒りを通り越しているのです。その諦めがオネダリという歪な方向に向いているのです。これは政治家はもとより国民が肝に銘じなければなりません。ほんとうに純粋なほどこし、ああ、してあげているんだわという打算など無い社会をつくりたい。歴史に名を残したいという名誉欲、総理大臣、国務大臣に成りたいだけの輩。一兵卒という奴ほどお山の大将だという現実。嗚呼、この邦の行方に未来はあるのでしょうか。



問題の正解は続きにて。。。




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師匠が弟子の鏡になり弟子も師匠の鑑になる

本日の岩波文庫「菜根譚」(今井宇三郎訳注)は、弟子を養う上での要諦を説きます。交友関係が最も大事です。師匠の目配りはどうすれば行き届くのでしょうか。



【前集三九】

教弟子、如養■■、最要厳出入謹交遊。若一接近■■、是清浄田中下一不浄種子、便終身難植■■。


弟子を教うるは、1)ケイジョを養うが如く、最も出入を厳にし交遊を謹むを要す。若し一たび2)ヒジンに接近せば、これ清浄の田中に一の不浄の種子を下すなり、便ち終身、3)カカを植え難し。




【解釈】 弟子を教育するのは、ちょうど箱入娘を養育するのと同じで、最も大切なことは、その出入りを厳重にし交友に注意することである。もしこの点をおろそかにして、一度、よからぬ者に近づいたら、必ずその悪風に染まってしまう。それは清浄な田地に一個の不浄な種子をまくようなもので、必ず不浄な種子がはびこって、それこそ一生、よい稲の苗など植えられなくなるのと同じである。


たくさんの誘惑がある中で弟子が悪の手に染まらないようにすることを留意しなければならない。それは娘に悪い虫が付かないようにするのと同じ。「出入りを厳重にせよ」と言いますが、これが難しい。若者は放っておいても成長します。どこまで管理できるかは限界があるからです。そして、悪は向こうからやってくる。いや、自分の内なる所に潜んでいる。何も人とは限らない。甘い誘惑。誰も見ていないからいいだろう。自分は見つからない。若いうちにいったん染みついた悪習は一生ものとなり、人生を台無しにしてしまうことを切に認識するべきであるということです。不浄な種子を播くな。天網恢恢疎にして漏らさず。悪事は見られている。

大事な若者を一人前の社会人に育てることは国家にとって最大の課題と言えるでしょう。したがって教育の有り様が大事になる。学力も大事だが、高い倫理観。自らを厳しく律せられる自制心。学校の先生に求められる教育者としての理想。自分たちが接している子供は、いずれ国家の担い手となるということ。中国や韓国と国際社会で伍していかなければならないのですから。先生自身が厳しい存在として、子供に鑑を見せることが求められます。そして、子供もその鑑を手本に真似をして逞しくなる。

このように国民の一丸となった姿こそが国家の将来を支えると思います。本来は清浄な田地であった我が国が、斯くも落ちぶれてしまったのはなぜでしょうか。もう一度、最初からやり直すくらいの気構えで臨もうではありませんか。それは子供も大人も、弟子も師匠も、人民も為政者も関係ありません。上下一心でやらないと手遅れになるぞ。政争に明け暮れている場合ではない。国民全員がお互いに鑑になっていい国をつくっていきたいものです。




問題の正解は続きにて。。。





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白が皆黒になるオセロゲームの恐ろしさ=菅か?小沢か?大勝負!

本日の岩波文庫「菜根譚」(今井宇三郎訳注)は、人が蹴躓く際の留意点を説いています。七転び八起きは転び過ぎかもしれませんが、転んで初めて知る教訓の持つ意味は大きいことがあります。むろん、転ばぬ先の杖が大事で、転んではいけないでしょうが、人はどうしても転んでしまうもの。転ぶ前提を予見しておけと菜根譚のいつもの箴言です。

【前集一〇】

恩裡由来生害。故■■時、須早回頭。敗後或反成功。故■■払心処、莫便放手。

恩裡に由来害を生ず。故に1)カイイの時、須らく早く頭を回らすべし。敗後に或は反って功を成す。故に2)フッシンの処、便ち手を放つこと莫れ。



【解釈】 恩情の厚いときに、昔から、ややもすれば思わぬ災害を生ずることが多い。それゆえに、恩情が厚くて得意な境遇のときに、早く反省して後々の覚悟をしておくがよい。また物事は失敗した後に、かえって成功の機をつかむことが多い。それゆえに、失敗して思うにまかせぬときにこそ、手を放し投げ出してしまってはならない。


「恩裡」とは、人の気持ちをいう。愛する、憎い。二つの相反する感情は糾える縄の如し。愛は即ち憎、憎は則ち愛。人の気持ちは移ろいやすいものです。その気持ちが高ぶって恩寵が厚いうちに、薄くなる状況を想定せよ。って、できますぅ?男女間であれ同性間であれ、お互いが上手くいい関係を築けているのならば、普通はそれが永遠に続くと思いがちですよね。とくに男女の間ではちょっとしたことで心変わりした途端、それまで許せたことがすべて憎くなる。オセロゲームの黒が角を取った瞬間、シロがずべてクロになるようなものです。もう無条件。愛情の絶頂期にこそ、それが失せた場合の対処を覚悟しておけ。以前も似たような戒めがありました。それと同じように、失敗した場合は投げ出さないよう、逃げないようにしなければならない。一時的に糊塗することなく、この失敗から学べるだけ学ぶような姿勢が大事となります。長い目で見れば成功への秘訣を手にするかもしれない。愛憎と同じで失敗は成功、成功は失敗の繰り返し。失敗しないに越したことはないけれど、失敗しないわけにもいかないのが人間です。どうせ回避できないなら、失敗を前提に成功を考えてみなさいということです。難しですよ。民主党の菅政権が正念場を迎えています。小沢の政治倫理審査会招致を求めて菅が直接説得に乗りだします。万が一もの別れに終われば、党内分裂の現実性が高まること必至です。偖、菅の秘策はあるのか。成功には失敗が大事だというのなら、説得が不調に終わったことを想定しましょうや。さあ、どうなりますか?小沢の説得失敗こそ菅政権、いや、日本の成功なのではないか。それとも、小沢の拒否が失敗、すなわち招致に応じるということが、日本にとって益なのかどうか?両論の成功と失敗がある。ということは、成功も失敗も紙一重に過ぎないということ。要するに国のリーダーが国民に姿勢を見せられるかどうかということですよ。どっちにしろ。。。国民の愛は憎しみに変わり、憎しみは愛に変わる。飽き気味の国民から再び愛を取り戻すには乾坤一擲の“菅マジック”が必要でしょうね。兎にも角にもリスクの大きいマジックです。いや、小沢が菅に、菅が小沢に取って代わるかもしれない。重大なゲームです。





問題の正解は続きにて。。

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金も頭もさらりとちらりとあっさり味がいいのです。。。

本日の岩波文庫「菜根譚」(今井宇三郎訳注)は、人間に幸福をもたらすはずのお金と知恵の正しい在り方を説きます。菜根譚には論理構成にパターンがあるように思えます。「A⇔B」「C⇔D」、「A>B」、「C>D」。相反するAとBを比べる。AとBを別の状況に言い換えてCとDとして繰り返して言いたいことを強調する。金持ちでも心が貧しい。賢くてもおバカである。Aは金持ち、Bは貧しい、Cは賢い、Dはおバカ。AとBは物質的豊かさをもたらすお金であり、CとDは精神的な豊かさをいう知恵という感じかな。なかなか上手く表現できませんが、AやCの方が本来はすぐれているはずなのに、どうしてか本来なら劣るはずのBやDと大して変わらない、いやむしろすぐれているだけに同じというひどさがある。だから、AやCは気をつけなければならないのです。BやDにならないようにするために、という戒めです。





【前集三一】

富貴家、宜■■而反■■。是富貴而貧賤其行矣。如何能享。聡明人、宜■■而反■■。是聡明而愚懵其病矣。如何不敗。



富貴の家は、宜しく1)カンコウなるべくして反って2)キコクなり。これ富貴にしてその行を貧賤にするなり。如何ぞよく享けん。聡明の人は、宜しく3)レンゾウすべくして反って4)ゲンヨウす。これ聡明にしてその病を愚懵(グモウ)にするなり。如何ぞ敗れざらん。



【解釈】 金持ちで地位の高い人は、当然、こころがゆったりとして手厚いはずなのに、かえって猜疑心が強く無慈悲である。これは物質的に恵まれていても、精神的にその行為を貧賤にしている。これではどうして真の幸福を受けることができようか。また、聡明な人は、当然、その才智を収め隠し控えめにするはずであるのに、かえってこれ見よがしに利口ぶる。これは才智の方では聡明であっても、欠点の方では暗愚の人に異ならない。これではどうして失敗せずにおられようか。


真の豊かさとは何でしょうか。真の賢さとは何でしょうか?物質的なものよりも精神的なものを強調するのは勿論です。真の豊かさは真の幸福をもたらすもの。真の賢さは失敗しないことです。金や知識ではない。必要以上のものを手に入れてしまったとき、人は自分でも気がつかないうちに落魄れるのでしょう。お金はあった方がいいに決まっているが、必要以上に使わない方がいい。お金なんかよりゆとりを持ちましょう。知恵はあった方がいいに決まっているが、必要以上に見せつけるのはやめにした方がいい。こっそりと勉学に励み、必要なときにだけちらりと見えてしまうというくらいがちょうどいいのです。


」は「道理に暗い、おろか、無知なさま」。


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国民は飽きが来るのが早いのよ~、さっさと次の一手を考えてね

本日の岩波文庫「菜根譚」(今井宇三郎訳注)は、ちょうっとだけ艶っぽい一節。情事の後の空しさを、情事の前に思えという。しかし、そしたら情事は情事として成り立たなくなってしまうのでは??

【前集二六】

■■思味、則濃淡之境都消、色後思婬、則男女之見尽絶。故人常以事後之■■、破臨事之■■、則性定而動無不正。

1)ホウゴに味を思えば、則ち濃淡の境都て消え、色後に婬を思えば、則ち男女の見尽く絶ゆ。故に人常に事後の2)カイゴを以て、臨事の3)チメイを破らば、則ち性定まりて動くこと正しからざるはなし。



【解釈】 食欲を満たした後に味のことを思ってみると、うまいまずいの区別もすっかりなくなり、情事を満たした後に色欲のことを思ってみると、男女の欲もすっかり消えてなくなる。それゆえ、人は常にその事が終わった後の気まずさを思い浮かべて、その事に臨んで、その場で起こる愚かな心の迷いを醒ますようにすれば、本心がしっかりと定まって、行動に間違いがなくなる。



人間の欲望には必ず頂点があります。そこに向かって突き進むうちはいいが、いったんピークを過ぎると飽きが来るのは早いものです。したがって、ピークが過ぎた状態を事前のうちに想定しておくといいという。目標に到達する前に、既に到達後のことを考えるようなもので、聊か早計ではないかとも思われますが、予測はその後の行動を確かなものにするのは間違いないです。例えば、仕事。さまざまな雑務の中で自分の持ち分は捌かねばならない。お尻がきっちりと決められているから、やらなければならないのです。逃げるわけにはいかないので、やるのですが、やった後の達成感よりも空しさを事前に想定しておけば、きっちりと決められるのではないか。やや自虐的ではありますが、最悪を一度描くのは悪いことではない。萎縮してしまうかもしれないが、その後の展開がトントンと見えて来ることがある。自分に自信を持ちましょう。一点も疾しい気持ちがないのならば。欲望は欲望、限りがあるのです。とことん追い求めても所詮は空しい。その盛りが過ぎて空しい気持ちを常に見通すことがこの世を心安く生き抜く秘訣かもしれません。

政治の世界もピークがある。それにしても民主党のピークは早過ぎ。その想定をする前にピークが過ぎてしまった感がありあり。国民は飽きるのが早いのです。さあて、これからの一手はどうする?「小沢」的な物を切るのか、表層的な党内融和を演出するのか。ここも別の意味でピークを過ぎたことを想定してみると見えて来るものがあるかも。う~ん、小沢の出方次第ですね。彼は「選挙に勝てるなら国会に出る」と言っている。あの総選挙大勝の後の選挙ですよ。あの参院選挙惨敗の後の選挙ですよ。もう出涸らしでしょ。となると、違う組み合わせで無いと「勝てる」とは言えんよなあ。彼の頭には別の組み合わせができているのでしょうか?


問題の正解は続きにて。。。



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とにかく政治にオネダリするのはもう輟めにしません?

成島柳北の新シリーズはもうしばらくお待ちください。陶淵明先生に引き続き、繋ぎのネタは久しぶりに菜根譚でいきましょう。このblogのスタート直後に数回連載して以来のことです。久しぶりに繙いてみたのですが、やはり「頂門一針」ですね。簡にして要。その至言の数々は現代に生きる我々にも新鮮な「喝」を入れてくれます。なるべく今の社会・政治情勢に絡めて味わってみましょう。岩波文庫「菜根譚」(今井宇三郎訳注)によります。読み下し文に加え、漢文の原文も併載し、旧字体は新字に改めました。解釈は今井氏の訳を大いに参考にしています。

【前集二七】

居■■之中、不可無山林的気味。処林泉下、須要懐廊廟的■■。

1)ケンベンの中に居りては、山林的の気味なかるべからず。林泉の下に処りては、須らく廊廟的の2)ケイリンを懐くを要すべし。



【解釈】 高位高官の地位にあるときは、隠遁者の如く振る舞わないとだめである。世を逃れて山林に籠っている時は、毎に天下国家の政治を担うが如き見識を身につけていなければならない。

与党と野党それぞれの要諦を示した至言とみました。昨年の政権交代は夢か影か―。自民党に飽き飽きした国民は恐いもの見たさも含め「変化」に一票を投じた。寄せ集めの「烏合の衆」であることには目を瞑った。而して、案の定と云うべきか、三百議席の地滑り勝利は脆くも崩れました。もろもろの「拙さ」の中でも、とりわけ外交面での定見の無さぶりは目を覆わざるを得ない。権力を握った者が失政を繰り返すとき、驕りが驕りを呼ぶことは止められないのでしょう。与えられたはずの四年間が急速に萎んでいく。いま民主党に求められるのは「山林的気味」ではないでしょうか。いつ下野してもおかしくないという覚悟、いや気概か。「小沢的」な物を切る勇気ではないか。たとえ「民主党」と名乗れ無くなろうとも。翻って、野党勢力。とくに自民党。「野」に転落した訳ですが現状、迚、天下国家を論じる受け皿に成り得ているとは思われません。野党慣れしていないのか、まさに野党然としかしていないのは人材不足の為せる業か。敵失ばかりで吠えまくる。国会審議を見ていれば瞭然です。国家論が語られていない。与党を上手く利用する議論ができていない。誹謗中傷の嵐而已。他の小党も然り。いずれ大連立か再編か知りませんが、与謝○や舛×などキャスチング・ヴォートを狙うさまがありあり。まさに田夫野人そのものではないか。この国には人材が育っていないのではないか。このまま単純に政権「再」交代になるとも思えず、「政治家不要論」と諦めモードも現実味を帯びてきそうですな。誰が悪いのでしょう。オネダリバカリノ国民か。。。一人ひとりが「オネダリ」マインドを閑却するのが捷径ですかね。さすれば政治家も変わる?





【前集一一】

■口莧腸者、多氷清玉潔、■■玉食者、甘婢膝奴顔。蓋志以澹泊明、而節従■■喪也。

3)レイ口莧腸の者は、氷清玉潔多く、4)コンイ玉食の者は、婢膝奴顔を甘んず。蓋し、志は澹泊を以てして明らかに、しかして節は5)ヒカンよりして喪うなり。



【解釈】 平素、粗衣粗食に甘んじている人には、氷のように清く玉のようにけがれのない心の持ち主が多いが、美衣美食に奢る輩には、甘んじて奴婢のようなお追従を上位の者に用いる卑賎な態度の者が多い。思うに、人の志は、淡白な生活によってますます磨かれるが、その操は、豪奢な生活によって次第に失われていくものである。

金持ちがいいのか貧乏がいいのか。比べればお金はあった方がいいに決まっています。しかし、お金は人の人格を変えてしまう魔物。あればいいというものでもない。媚び諂い手に入れるという行為が人の心を荒ませてしまう。これはとても危険なことです。国家財政の厳しい折、政治家が有権者に媚び諂い、ばら蒔きの政策ばかりしていると、気がつけば借金の山。財政再建という節度を優先させて、票にはならないかもしれないが、将来を見通した国家観のある政策を打ち出して、実行してほしい。有権者も、オネダリばかりするのではなく清貧を甘受しようではありませんか。目先の安逸欲しさに囚われて心や操という人として最後まで持ち続けなければならないものが失われるよりはいいでしょう。気がつけば自分の存在は無くなりますよ。

問題の正解などは続きにて。。。




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漢検試験、6月開催は殆うし=「菜根譚」シリーズも終焉へ

 本日も財団法人日本漢字能力検定協会の話から始めないわけにはいきません。文部科学省が同協会を巡る問題で、大鉈を振るう「強硬」な姿勢を示し始めました。塩谷大臣が記者会見で、漢検が過日提出した運営改善方策に強い疑義を差し挟み、「今のままではだめだ。6月の検定試験もできるかどうか、中止・延期ができるかどうかも含め、強く指導をしていきたい」などと述べ、6月21日に開催を予定している2009年度第1回検定試験の開催の中止・延期の要求も辞さない構えを示したのです。

 つまり、大久保前理事長のファミリー企業「オーク」と「日本統計事務センター」との取引を切れということですわ。これが実行されない限り、どんどん指導を強化ずるぞ、協会の解散命令も視野に入れるぞ、という警告を発したのです。

 鬼追新理事長が来週早々にも、文部科学省を訪れることになっており、その場でこうした「指導強化」の方針が伝えられることになりそうです。そうなると、会場設定や採点などの業務を新たに請け負う相手を見つけなければならず、少なくとも6月には間に合わないでしょうね。しばらく、検定試験の開催ができないことになりますね。いや、今年度は無理かも。。。

 一方、いよいよ大久保親子に対する司直の手が伸びてきそうです。読売新聞のスクープを受け各紙、TV、通信社が一斉に追随しています。ほぼ間違いない。想定したより早い時期となりそうです。これも来週中にもあるかもしれません。背任容疑は確実ですね、もしかしたら脱税もあるかも知れない。事件の進展が検定試験の開催に与える影響も甚大でしょう。逮捕者を出しても、試験をやれるのかということですね。文科省の強硬姿勢の背景には、こうした司直の動きも影響しているでしょうね。

 迂生が疑惑発覚の当初から心配した通りの展開になってきました。漢検受検者にとっては「激震」でしょう。6月に検定試験があるという前提で学習を進めてきた人の努力が水の泡と消え、あるいはこれから学習を進めようとする人の意欲さえも殺がれてしまいます。完全に漢検ブームは、冷や水を浴びせられるどころか下火は必定ですね。「New漢字検定」として出直すしかありませんよ。時間はかかりますけどね。

 文科省も漢検が提供しているコンテンツには高い評価を下しています。運営主体が生まれ変わればまた元のように事業を継続することを認めるでしょう。「膿」を出せということですな。本来の公益事業の原点に立ち返り、地味にやれということですよ。漢字検定に集っていたメディア連中も頭を冷やせということですな。

(■注意■ 以上、ここまではかなりの「主観」と「臆測」が入っており、いささか先走っているのは事実です。必ずしも「事実」とは限りませんのでその点を銜んでお読みください。ただし、「情報元」も含め、うそを書き飛ばしているのではなく、その方向性は間違っておりませんので悪しからず。。。。)

 ということで「菜根譚」を咬むシリーズも7回目。もうそろそろ佳境かな。翫わい尽くすにはまだまだですが、飽きも出てきた。飽きたら捨てるではないけれど、違う味もほしくなってきますよね。まだ考えてないけど。。。まずは「前集47条」から。

 吉人無論作用安祥、即ムビ神魂、無非和気。凶人無論行事ロウレイ、即声音ショウゴ、□是殺機。

 岩波文庫「菜根譚」の訳註者である今井宇三郎氏の解釈はこうです。

 吉人というものは、日常の動作が安らかで静かであることはいうまでもなく、たとえその眠りも魂までも、それこそ和気に満ちて安心そのものである。(これに反して)凶人というものは、日常の行為がねじけてあくどいことはいうまでもなく、たとえその声音も笑い声までも、それこそすべてとげを含んでいて油断ができない。

 ■「ムビ」は1級漢字では基本でしょう。ノーヒントで。ちなみに解釈は、「眠り」とある。


 正解は「夢寐」。眠って、夢を見る。また、そのあいだ。「寐」は「ね・る」と訓む。「寤寐」(ゴビ)、「寤寐思服」(ゴビシフク)、「夙興夜寐」(シュクコウヤビ)、「寐語」(ビゴ=寝言)。

 ■「ロウレイ」の同音異義語は「醪醴」「瘻癘」「瓏玲」「牢礼」「老齢」。解釈を見れば「ねじけてあくどい」とある。これで「ロウレイ」が浮かぶかどうか。浮かぶよねぇ。


 正解は「狼戻」。オオカミのように心がねじけている。オオカミは冷酷、欲深い、獰猛といったイメージで捉えられている。あまり、いい意味はないです。「狼火」(ロウカ、のろし)=「狼煙」(ロウエン、のろし)、「狼牙」(ロウガ)、「狼虎」(ロウコ)、「狼顧」(ロウコ=臆病)、「狼疾」(ロウシツ)、「狼子野心」(ロウシヤシン)、「狼心」(ロウシン)、「狼藉」(ロウゼキ)、「杯盤狼藉」(ハイバンロウゼキ)、「狼貪」(ロウタン)、「羊很狼貪」(ヨウコンロウドン)、「狼狽」(ロウバイ)。

 ■「ショウゴ」。この条のハイライトはこれ。難しいですよ。漢字は簡単だけど。まず、インズピレーションで浮かびますか?。。。同音異義語なら「祥吾」「正午」「小五」「省吾」「章吾」「尚吾」。。。人名が多いなぁ。。ヒントは解釈にある「笑い声」。ん?じゃぁ「笑語」じゃん、簡単じゃんか。。。で終わればいいんですが、それならわざわざ問題にはすまい。さて。。。。


 正解は「咲語」。うへっ、「咲く語」と書いて「ショウゴ」?聞いたことないなぁ。第一、「咲」に音読みがあるなんて、知らなかったわ。と思って、漢検辞典見ました。おっ、音表外読みに「ショウ」とあるぞ。熟語例の記載はありませんでしたが。ほぉ~、珍しいですね。と思って、漢字源見ました。なんと「咲」の第一の意味に「わらう、えむ、口をすぼめてほほとわらう」とありますね。同義語に「笑」とある。元々の意味は「わらう」で、日本に入って「(花が)さく」の意味が出来たんですね。参考には「日本では、『鳥鳴き花笑ふ』という慣用句から、花がさく意に転用された。「わらう」意には笑の字を用い、この字を用いない」と見えます。ちなみに、「わらう」では「粲う」「唹う」「哄う」「咥う」「呵う」「听う」「唖う」「啞う」「嗤う」「哂う」があり、同じ「わらう」でも、「わらい方」が微妙に異なります。ここでは一々触れませんが自分で調べてみましょう。

 この問題は書きと言うよりむしろ、読み問題で要注意かもしれません。「咲」が「わらう」という意味だと知っていれば「ショウ」とは読めるでしょう。

 ■ □には、漢字一字が入ります。解釈によると、「すべて」。さぁ何?1級配当漢字です。


 正解は「渾」。音読みは「コン」ですね。「にご・る」「にご・す」「まじ・る」「す・べる」とも訓む。熟語には「渾厚」(コンコウ)、「渾渾」(コンコン)、「渾身」(コンシン)、「渾大」(コンダイ)、「渾天」(コンテン)、「渾天儀」(コンテンギ=地球儀)、「渾名」(コンメイ、あだな)、「渾淪」(コンリン、コンロン)、「渾沌」(コントン)、「渾崙吞棗」(コンロンドンソウ)。


 この条では「吉人」と「凶人」のコントラストがポイント。それぞれ、どのような人間を象徴しているのでしょうか?気持ちがゆったりとしている人と、齷齪として落ち着かない人。起きていても寝ているように静かな人、寝ていても起きているように忙しない人。どちらがどれだけ優れているかは言う迄もないですが、人がそう簡単に「吉人」になれるはずがないのも現実。この世に「凶人」が如何に多いかは、一連の漢検騒動を見ていればお分かりでしょう。つまりは、「吉人」がいつ何時「凶人」に変貌するやもしれないということですよ。大久保親子だって、大昔に苦労したのでしょう。漢字の検定を世の中にどう広げるか、日夜蹇んだ時期はあるのではないでしょうかね。アイデア、知恵を絞り、金策にあちこち駈けずり回ったんじゃないでしょうか。そうしたベンチャースピリットがあったころはむしろ「吉人」と言えたのではないか?ところが、一発山を当てて、追い風がびゅんびゅん吹き出した途端に、色が渝わってしまった。金がどんどん入り始め、「凶人」に豹変してしまったんでしょう。

 彼らが今更、「日本文化、漢字文化云々」を語るのは烏滸がましいと思いますが、そんな純粋な時代はあった。そして、彼らのベクトルは当たっていた。世の流れにマッチした。そこまではよかった。しかし、人間、不相応な富を手にすると狂う。「吉人」も「凶人」になってしまうんですよ。他人事と思わずに常に戒めなければなりません。いつ何時自分の身に降り掛かるかもしれないんですから。。。
 本日は以上です。菜根譚ももう終わりかなぁ。。。

 【今日の漢検1級配当漢字】

焉、鉈、銜、寐、寤、醪醴、瘻癘、瓏、獰、藉、貪、很、粲、唹、哄、咥、呵、听、唖(啞)、嗤、哂、渾、淪、崙、棗、齷齪、蹇、渝、滸

分相応の楽しみこそが永続的…=咬んでみたら「菜根譚」はいいお味

 「検定ブームは風が吹いたね。テレビ番組でも数多く取り上げられたしね。想定していた以上に受検者が増えたのも事実なんですよ。固定費の部分は受検者が増えてもそれほど増えないものだから収支が拡大してしまった」――。

 多額の利益を挙げている財団法人「日本漢字検定協会」の大久保昇・前理事長と息子の浩・前副理事長が15日に文部科学省で行った記者会見の続きなんですが、昇氏は「想定以上に受検者が増えた」と何度も何度も口にしたそうです。「想定以上」ですか。。。途中から止められなくなったでしょうねぇ。。捕らぬ狸の皮算用よろしく、黙っていても金が入ってくるんだからねぇ。。。そりゃ、止まらんわ。いろんな仕組みを使って、「懐」に入れたくなるわなぁ。歯止めが効かなくなった。って、誰も言う人はいなかったんでしょうなぁ。子飼いの理事、評議員連中の責任も重いよなぁ。。。

 さらに、文部科学省の清水潔局長宛に提出した運営改善報告書には「第5.最後に」として、「幸いに皆様に受け入れられ、受検者も年間280万人、志願者累計26,279,867人を数えるまでとなり、漢字の復権ともいうべき状況を作り上げることができました」との記述を盛り込んでいます。風が吹いて、2600万人が志願かぁ。。受けも受けたりですな。こりゃあ、儲かるわ。大博奕が成功したんですね。大久保親子だけが悪いんじゃないけどね。受検者の思惑というか、ねぇ。。。純粋に漢字を学習するというだけでない思惑。。商売っ気たっぷりのメディアサイドの思惑。。。まぁ、ここから先は言及するのは野暮ですね。

 報告書は続けて「弊法人は、公益法人として、漢字という日本の言語文化の基本に対する国民の再認識を促し、生涯学習の向上をはじめ、教育・文化の分野で大いに社会的役割を果たすことができたと自負しております」と謳い上げます。自信満々ですなぁ。別に手前味噌でもいいけど。。。。

 検定ビジネスを仕掛けた側、そして、文部科学省やメディアなど「後押し」した勢力の動き、そしてまた、子供の受験に少しでも有利に働くようにと親や学校をはじめとする受検する、受検させる側の思惑もしかり。。。この三者が一体となって構築した「徒花」と言っていいのではないですか、この漢字検定ブームの正体は。。。

 今回の一連の騒動によって、誰が「損」して、誰が「得」したかは知りませんよ。それぞれの立場に立ってみないと分からないでしょうしね。受検者が支払った検定料によって潤った奴がいる。税金も支払わないで「濡れ手に粟」状態だ。しかし、金を支払った人々も相応のメリットを享受しようとの思惑の上でだし、そして、何人かは実際に享受したし。。。文科省は生涯学習推進の御旗を掲げ、公益法人のお墨付きを与えたのだが、セットであるべきの監督官庁の責務遂行は怠ってしまった。。。さらに、漢検ブームに乗って視聴率や御零れに与かろうと走ったメディア連中の浅ましさは言う迄もない。。。

 漢字検定という「まやかし看板」に、誰もが目を晦まし、「虚構の世界」を作り上げてしまった。意図しようと、意図せざるとにかかわらず多くの人が「手」を貸したんですよ。平和だなぁ、日本って。御人好しだなぁ、日本人って。。 

 さて本題。菜根譚を咬むシリーズの六回目は「前集128条」。

 吾身一小天地也。使喜怒不愆、好悪有則、便是ショウリ的功夫。天地一大父母也。使民無エンシ、物無フンシン、亦是トンボク的気象。

 岩波文庫「菜根譚」の訳注者・今井宇三郎氏の解釈はこうです。

 このわが身は一つの小さい天地である。喜怒の感情をほどよくし、好悪の感情を法則に合うようにすれば、それがわが身の調和をはかるうえでの工夫である。また、天地はこのわが身を包む一つの大きい父母である。一人も恨み嘆くものがなく、万物もそれぞれに障りがなく所を得ておれば、それが天地の平和な姿であるのだ。

 ■「愆」(ケン)は、あやまり。訓読みでは「あやま・ち」「あやま・る」。「愆怠」(ケンタイ)、「愆尤」(ケンユウ)、「罪愆」(ザイケン)。「あやまち」はほかに、「瑕ち」「跌ち」、「あやまり」は「謬り」「紕り」「騫り」「蹉り」「譌り」「訛り」「繆り」「舛り」「錯り」などがあります。

 ■「ショウリ」は同音異義語が「勝利」「小利」「鍾離」「牆籬」「掌理」「小吏」とありますが、普通、漢検1級で言ったらこれしかないですよね。漢字そのものは日常生活で絶対に目に触れることのない超難しいものですが、1級受検者にとっては基本です。読めるだけでは駄目で、書けなければいけません。


 正解は「燮理」(原文では「燮」は異体字の「又」→「火」)。やわらげおさめる、宰相が国をおさめること。解釈では「わが身の調和を図る」と訳しています。「燮」は、調和という意味。「燮和」(ショウワ)、「陰陽を燮理する」(インヨウをショウリする)という決まった言い方がある。陰陽の二気をやわらげととのえ、立派な政治を行うこと。出典は書経「周官」で、「古代中国では、政治の根本がこの世を形成している陰と陽との二気をやわらげ調和させることだと考えられていた」(以上、成語林の引用)。覚え方は「ヒ(火)、ゲン(言)、ヒ(火)、マタ(又)」で、そのまんまですな。。でも、これで覚えたら忘れないっす。

 ■「エンシ」は、同音異語後が「艶詩」「燕脂」「燕子」「淹漬」「臙脂」「淵旨」「艶姿」「燕支」「圜視」「掾史」「怨刺」「冤死」「遠視」と、これまた多いですね。解釈に依れば、「恨みを嘆く」とある。これは大ヒントです。「恨み」が「エン」、「嘆く」が「シ」。「シ」はもちろん、1級配当漢字ですよ。


 正解は「怨咨」。成る程でしょ。漢字自体はそれほど難しくない(無論、「咨」は見慣れないですが、「瞻望咨嗟」(センボウシサ)を知っていればどうってことない)。でも、「エンシ」という熟語で出されるとそう簡単には浮かばないですね。そこでヒントとのコラボレーションが重要になるのですね。「嘆く」。これで「シ」が出てくるかどうか。日頃の訓練が必要なんです。文字と意味と音の三位一体。「咨」は「なげ・く」「はか・る」「ああ」と訓む。「咨嗟」(シサ)=「咨歎」「咨嘆」(以上シタン)、「咨咨」(シシ)、「咨美」(シビ)、「咨問」(シモン)、「咨詢」(シジュン)。「はかる」という意味では「咨」=「諮」なんですね、覚えてほしい。

 ■「フンシン」。これは難問です。同音異義語は「焚身」「分針」くらいしかない。解釈によると、「障り」とある。でもこれで浮かべというのは酷ですね。「フン」は1級配当。「シン」は準1級配当。。。あまり根詰めて考えない方がいいでしょうか。。。

 正解は「氛疹」。いや~、むずいね。浮かぶわけないですね。これは辞書にはない。邪気、悪気という意味です。「氛」は「悪い気配、凶気」。「き」「わざわ・い」とも訓む。熟語では「氛埃」(フンアイ)、「氛囲気」(フンイキ)、「氛翳」(フンエイ)、「氛気」(フンキ)、「氛祥」(フンショウ)、「氛霧」(フンム)。

 「疹」は、皮膚にできる小さな吹き出物のできる病気。特に、はしか。「麻疹」「痲疹」(以上マシン、はしか)、「湿疹」(シッシン)、「発疹」(ホッシン)、「風疹」(フウシン)。

 ■「トンボク」は浮かびそう。ノーヒントで。。。


 正解は「敦睦」。えっ?難しいって?う~ん、解釈では「天地の平和な姿」か。少し意訳が入っていますね。それに「トンボク」と言えば普通、「敦朴」「諄朴」「敦樸」ですわ、辞書見ると。。「睦」を使うのは少しハイレベルか?まぁ、この三つを覚えた上で、余裕があればこれも覚えるということでよろしいですねぇ。

 喜怒哀楽の感情や、好き嫌いを極力抑え、気持ちをいつもやわらげましょうということ。誰も恨んだりせず、邪気も払い捨て、ゆったりと生きる。そこに平和がある。誰とでも上手く付き合え、争いごとが無くなるんです。大久保親子には、悔い改めてほしいと思いますが、その前には一山、二山越えてもらわなければなりませんけどね。

 続いて「後集30条」。

 貪得者、分金恨不得玉、封公怨不受侯、権豪自甘キッカイ。知足者、レイコウ旨於コウリョウ、フホウ煖於コカク、編民不譲王侯。

 (人間の欲望には限りがない)物を得たいと欲張る者は、金を分けてもらっても、その上の玉をもらえなかったことを恨み、公爵の爵位を与えられても、その上の領土を持つ諸侯にしてくれなかったことを恨む。このようにして権門豪家でありながら、我からこじき同然の心ねに甘んじている。(これに反して)ほどほどで満足することを知る者は、あかざのあつものでも、よい肉や米よりもごちそうであると思い、布で作ったどてらを著ても、高価なかわごろもよりも暖かいと思う。このようにして貧しい庶民でありながら、心ねは王侯貴族よりも満ち足りている。


 ■「キッカイ」「レイコウ」「コウリョウ」「フホウ」「コカク」の5問は基本問題ばかり。余計な解説なしでトライしていただこう。解釈を参考にして、どうぞ。

 正解は「乞丐」「藜羹」「高粱」「布袍」「貉貉」。最初の三つは正解できなければいけませんが、最後の二つは稍難問。

 ■「乞丐」は「こじき」。「丐」は「こ・う」「こじき」とも訓む
 ■「藜羹」は「あかざのあつもの」。粗食のこと。「藜」は「あかざ」とも訓む。「羹」は「あつもの」とも訓む。
 ■「高粱」は「肥えた肉とよい米」。美食のこと。以上二つは対義語の関係にあると言っていいでしょう。「粱」は「あわ」「こくもつ」とも訓む。
 ■「布袍」は「布製のどてら」。粗衣のこと。「袍」は「すその長い綿入れの上衣」。「袍」は「わたいれ」「ぬのこ」「うわぎ」とも訓む。
 ■「貉貉」は「きつねやむじなの皮ごろも(裘)」。美衣のこと。論語の「子罕」に出てくる言葉。「貉」は「むじな」とも訓む。「むじな」は「狢」もある。どっちでもいいでしょう。

 まさに大久保親子に送る条ですね。ほどほどで「満足」していれば、こんなことにはなっていない。たとえどれほど「想定」を上回ったとしても、検定料を引き下げるなり、冷静に対処しておれば、金が積みあがることは無かった。よしんば、金が使い切れなかったとしても、個人の懐にいれるスキームを作っちゃいかんわ、素人が。。公益事業だろうよ。ほどほどが一番なんですよ。フルコースのごちそうはいらない。高級紳士服もいらない。だって、似合わんよ、あんたらには。相応の楽しみこそが真の楽しみ。一つのことを深く深く追い求める楽しみこそが人間の心を豊かにするんです。分不相応な欲望は身を滅ぼす。肝に銘じましょうね。

 本日は以上です。

 【今日の漢検1級配当漢字】

奕、亦、愆、尤、瑕、跌、謬、紕、騫、蹉、譌、訛、繆、牆籬、燮、臙、圜、掾、冤、咨、瞻、嗟、詢、氛、翳、痲、諄、樸、煖、丐、藜羹、粱、袍、貉、狢、稍、罕、裘

「終わり」という名の「始まり」=大久保親子も「菜根譚」咬みなさい!!

 「菜根譚」の白文を咬むシリーズ第五回なんですが、本日はまず、皆さんもご関心の高い財団法人「日本漢字能力検定協会」のお話を少しだけしましょう。同協会の正副理事長を務める大久保昇、浩の親子が文部科学省を訪れ、本日を期限に提出を求められていた協会運営の改善策について報告。そして、発覚した一連の疑惑についてこれまで一度も記者会見などに応じてこなかったのですが、同省記者会見場にて説明責任を果たすべく、初めて親子が雁首揃えてメディアの前に姿を現わしたのです。既に、一部テレビやネット記事ではニュースとして報じられています。まぁ、迂生が何でこのことをこんなにも早く弊blogで語れるのかについては多くは明かせませんが、たまたま、「知り合い」がその場にいることができたとだけ申しておきましょう。

 いずれにせよ、迂生は本日午後5時過ぎから同8時前までおよそ3時間にわたった記者会見の模様の一端を、とある「伝手」を通じて知ることができました。詳細は明らかにしませんが、なにせ、問題が発覚した1月中旬以降、大久保親子が公の場でこの問題について口を開くことがなかったことから、マスコミサイドの不満は鬱積しており、3時間ものロングラン会見と相成ったわけです。放っておけばまだまだ延延と続いたかもしれないほど、記者の質問は細部にわたり、しかも執拗だったようです。いつもは文科省記者クラブに常駐していない京都からも記者が大挙して押し寄せたほか、ワイドショーのレポーター、雑誌記者らも加わり、賑やかしい雰囲気に包まれたそうです。

 10日の臨時理事会・評議員会で理事長と副理事長・事務局長の職は辞するものの、理事職には残る意向が了承された両氏でしたが、会見の冒頭、文科省に対し、理事も辞する考えを伝えたことを明らかにしたそうです。これは「ニュース」です。職にしがみつく二人が遂に観念したのですから。本来、とっくに辞任していてもおかしくないので往生際の悪さを露呈していましたが、これで漸くスタートラインに立った気がしますね。日弁連会長も務めた鬼追明夫新理事長の下で新しい協会として今後、失った信用をどう回復するかに焦点が移ります。検定料の引き下げも行います。1~2級が各500円、準2~7級が各200円、8~10級が各100円、現行から下がります。6月の試験から実施します。

 大久保親子は理事辞職によって一定の責任を取ったことにはなるでしょう。しかし、これは「終わり」という名の「始まり」であることは論を待ちません。なぜなら、渠らが公益事業を隠れ蓑に「私腹」を肥やしたのは明らかで(会見では、「私的流用は一切ない」「警察当局から事情を聴かれたことは一切ない」などと述べたようですが)、今後、その「刑事的責任」の所在が明らかにされていくでしょうから。文科省も今後、これまでの協会運営、とりわけ、大久保親子が代表を務める、いわゆるファミリー企業との取引関係については疑問の点があると強調しているようです。最終的な判断を司直の手に委ねるシーンがあるのかないのか、協会の行方とは別に大きな焦点となることでしょう。

 大久保昇氏は会見でこう大見得を切ったそうです。

 「日本文化を支えるのが国語であるという強い信念、そして、漢字が基本、日本文化を支える哲学は前も今も同じ気持ちだ」。

 まぁ、確かに「綺麗事」と言えばそれまでですが、本心ではあるでしょう。噓を言っているとは思いません。しかし、本来利益を出すべきではない公益事業で、貲の山を掘り当てたかのごとく大博奕が当たったかのような振る舞いで、自身の私的企業との取引を進めたり、訳のわからん土地を購入したり、直接的ではないにせよ、漢検からの業務委託で潤った利益が、趣味のカーレースのスポンサー料に投じられたとか、「金」に狂ってしまった申し開きはできないでしょう。いかに、高邁な意志を標榜しようともそれは言うだけ空しい響きしか持たない。言い訳にもなっていない。

 漢字のシールが沢山貼られたレーシングカーが協会本部2階にある漢検資料館に飾られているのですが、公私混同の象徴ではないかと詰め寄られた大久保昇氏は「あれはデモンストレーション。車偏の漢字がこんなにも随分とあることを示したかったんだ」とやって記者側の失笑を誘ったそうです。なるほど、あの貼られたシールの漢字は全部車偏だったんだ。。。。カーレースは息子の浩氏の趣味だそうで「レーシングカーは無料でもらってきた。私はスポーツの教育的効果を重要視しており、各所でスポーツの取り組みを進めている一環だ。公私混同には当たらない」と反駁したそうです。

 まぁ、細かいことはいいや。漢検協会はあすから新体制でスタートします。検定そのものも受験者は大幅に減るでしょうが、ともかくなくなることはなさそうです。今後とも注目していきましょう。知り合いを通じて情報は入手できるでしょう。弊blogはこの問題でも今後とも注目してくださいな。


 漢字学習に一つも触れないのは迂生のポリシーに反するので、菜根譚の「前集177条」から、大久保親子に送る送別の辞ということで。。。。

 一念慈祥、可以醸両間和気、スンシン潔白、可以昭垂百代セイフン。

 いつものように岩波文庫「菜根譚」の訳注者である今井宇三郎氏の解釈はこうです。

 わずかな慈悲の心が、天地の間のおだやかな和気を醸し出すことができるし、また、潔白な心が、百代の後までも清く芳しい名を明らかに伝えることができる。


 ■「慈祥」(ジショウ)は、慈悲の心と訳されている。「祥」は「さいわい、めでたい姿、めでたいしるしのあらわれ」の意。「祥氛」(ショウフン)は、めでたいけはい。

 ■「醸」(ウンジョウ)。酒をかもす。いつのまにか、状況ができてくる。「」は配当外で「ウン」。両字とも「かもす」という意味。「藉」(ウンシャ)=「蘊藉」「温藉」「藉」。

 ■「スンシン」はノーヒント。漢字は簡単。でも意味は難しい。


 正解は「寸心」。心のこと。方寸ともいう。「寸志」や「寸誠」のように、自分の気持ちを遜る意味とは少し異なります。漢字源によると、心の大きさを一寸四方であると考えたことからこういう。「小ささ」を言うのではなく、「心の形」を言うのです。列子に「吾、子の心を見たり。方寸の地虚し。ほとんど聖人なり。子の心は六孔流通して、一孔のみ通ぜず。……」(仲子)とあり、心は方寸と見られており、聖人の心には七孔あったとされているとの解説が見えます。
 ただし、一般に「寸」と言えば、わずか、謙譲を表わす言葉であり、「寸毫」(スンゴウ)、「寸草春暉」(スンソウシュンキ)、「寸楮」(スンチョ)=「寸箋」(スンセン)、「寸善尺魔」(スンゼンシャクマ)。

 ■「セイフン」は浮かびますか?「製粉」ではありませんよ。解釈では「清く芳しい名」とある。「セイ」は「清」でいいですね。問題は「フン」だ。これは1級配当で「芳しい名」。。。「氛」「糞」「賁」「濆」「枌」「忿」「吩」「刎」のほかに、もう一つありますね。「フンプン」。。。。


 正解は「清芬」。「芬」は「かお・る」「かお・り」「こうば・しい」「おお・い」とも訓む。よい評判という意味もあり、今回はまさにそれ。「芬香」(フンコウ)、「芳芬」(ホウフン)、「芬芬」(フンプン)、「俗臭芬芬」(ゾクシュウフンプン)、「芬芳」(フンポウ)、「芬郁」(フンイク)=「芬馥」(フンプク)、「芬華」(フンカ)、「芬菲」(フンピ)、「芬馨」(フンケイ)、「芬烈」(フンレツ)。

 潔白の心があって初めて百代のあとまでも綺麗な名を残す。出発点でどんなに偉そうなことを言っても晩節を黷してしまっては残るはずの名前は清芬とは言えなくなる。泡銭を手にしてしまった人間は狂ってしまうんだよなぁ。。何人も見てきていますよ。「そんなつもりはなかったんだが。。。」―何度この台詞を聞いてきたか。。。人間とはかくも弱い存在なのか。

 こんな漢検の話で終わるのは後味が悪いので、本日はさらに「オマケ」で締め括りたい。。。

 「NHK BS hi-vision」の午前7時25分から漢詩紀行という5分間番組をやているのをご存知でしょうか?迂生は最近知ったのですが、あれ、朝のひとときに見るのはいいですね。心がゆったりとする。しかも、気持ちが小締まる。もっと前からやっていたんだろうなぁ。もっと早く知っておけばと悔やまれる。。

 で、本日は初唐の四傑の一人、王勃(オウボツ)の「滕王閣」(トウオウカク)を採り上げていました。以前、唐詩選で読んだことがあり、思わず聞き惚れていました。俳優の加藤剛の朗読なんですよね。何度も何度もゆったりと語られる。画像は、詩の舞台となった滕王閣周辺の風景を映すだけで女性ナレーションの解説がゆったりと流れる。余計な演出がないだけに「濃厚」な5分間を過ごせました。いいね、毎日観ようっと。。。

 で、で、その「滕王閣」なんですが、いいですよ、やはり。技巧もたっぷり。情景も饒か。そして、漢検1級試験に出そうな言葉ばかり。最後に余計な解説なしで、そのまんま挙げて置きます。じっくりと翫わいましょう。問題にもしませんから、読めるかどうかも含めて朗読してみましょう。まさに七言律詩の典型ですね。

 滕王の高閣江渚に臨み

 珮玉 鳴鸞 歌舞罷みたり

 画棟 朝に飛ぶ南浦の雲

 珠簾 暮に捲く西山の雨

 閑雲 潭影日に悠悠

 物換り星移り幾度の秋ぞ

 閣中の帝子今何くにか在る

 檻外の長江空しく自から流る


 【今日の漢検1級配当漢字】

綺、貲、奕、邁、榜、氛、藉、蘊、縕、毫、暉、楮、箋、糞、賁、濆、枌、忿、吩、刎、芬、馥、菲、黷、滕、饒、鸞、簾、潭、檻
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char

Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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