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信ずる道を貫き通した結果に悔いはなし=韓愈「仏骨を論ずる表」9・完

中国の名文を味わうシリーズは、韓愈の「仏骨を論ずる表」(明治書院「新書漢文大系シリーズ30 唐宋八大家読本・韓愈」)の9回目、最終回です。仏教を扱き下ろしているうちに、自らの言辞、論理に酔ってしまった韓愈。皇帝の宸念を忖度することも忘れて、不浄なる「仏の骨」を燃やしてしまうように上奏します。そして、それは自らの運命を大きく変遷させることとなるのです。

乞う、此の骨を以て、之を有司に付し、ア)を水火に投じ、永く根本を絶ち、天下の疑いを断ち、後代の惑いを絶ち、天下の人をして、大聖人の作為する所、尋常を出ずること万万なるを知らしめん。豈に盛んならずや。豈に快ならずや。仏如し霊有り、能くイ)禍祟を作し、凡そ1)オウキュウ有らば、宜しく臣の身に加うべし。上天2)カンリンす。臣怨悔せず。感激3)コンコンの至りにウ)うる無し。謹んで表を奉りて以聞す。

1)オウキュウ=殃咎。わざわいと、とがめ。「殃」は「わざわい」「そこなう」と訓む。禍殃(カオウ=殃禍、わざわい、災難、殃害=オウガイ=)、池魚之殃(チギョのわざわい=罪もないのにその巻き添えに遭うこと)。「咎」は「とがめ」「とがめる」と訓む。咎殃(キュウオウ=さしさわり、災難)、咎悔(キュウカイ=とがめと後悔、さしつかえ)、咎罪(キュウザイ=罪、過失、とがめる、咎過=キュウカ=、咎愆=キュウケン=)、咎徴(キュウチョウ=天のとがめのきざし、災いのしるし)、咎犯(キュウハン=春秋時代、晋の大夫)。

2)カンリン=鑒臨。かがみに照らしよく調べて臨むこと。

3)コンコン=懇悃。ねんごろで真心があること。赤心。やや難語です。「悃」は「まこと」。愚悃(グコン=馬鹿正直、自分の真心の謙遜語)、悃願(コンガン=心をこめてのぞみ願う、懇願)、悃悃(コンコン=ねんごろなさま)。「まこと」はほかに、「允、亶、孚、忱、恂、悾、惇、愨、款、洵、衷、諄、諒、諦、慎」であり、本番でも訓み問題で頻出です。要チェック。

4)諸=これ。近称の指示代名詞。表外訓み。「これ」はほかに、「此、之、是、伊、惟、斯、焉、維、這」などがあります。

5)禍祟=カスイ。わざわいとたたり。「祟」(鬼神が人に得体のしれない災いを及ぼすこと、また、その災い)の音読み熟語は非常に珍しい用例と言えるでしょう。慣れていないからなかなか「スイ」とは読みづらい。しかし「たたり」は必須、是非とも書けるように。「崇」(スウ)と似ているので努々間違えないように。二段目の「山」(もちろん「出」の一部として)と「宀」の微妙な差異です。中国でも間違いやすいようで漢字源にも「参考」とあって、「崇(スウ)と混同しやすい。祟は『出+示』。崇は『山+宗』で『たかい・たっとぶ』などの意味を持つ字」とある。

6)任うる=た・うる。「任える」は「たえる」。重みや仕事を引き受けてがまんすること。表外訓みですがやや特殊。

明治書院の「背景」(P114)によると、「この表を読んだ憲宗は大いに怒り、韓愈に死を申し渡そうとしたが、側近の斐度、崔群が弁明してくれたという(『新唐書』韓愈伝)。果たして、正月14日、韓愈は潮州刺史に任ぜられる。これは左遷ならぬ流罪であり、韓愈は早々に一人、南へ旅立たねばならなかった」とあります。

当然の帰結でしょう。本来なら死罪のところを、周囲の執り成しで辛くも「恩赦」が下った格好です。韓愈も半ば「確信犯」的だったかも知れません。恐らく、憲宗皇帝の日ごろの振る舞いは仏教信奉に限らず、あらゆる点で儒家の彼にとって相容れない部分が目立っていたのではないでしょうか。でなければ、かくも果敢な内容を、筆鋒鋭く突くことはしなかったような気がします。

時の皇帝の“キャラ”によって政治はいとも簡単に翻るのです。しかしながら、歴史は皮肉な物で憲宗皇帝はこの翌年、元和15年(820)正月27日、部下の宦官に毒を盛られ世を去ります。そして、韓愈の身を挺した「諫言」は後に、中国宗教弾圧史上でも名高い「会昌の弾圧」(845年)へと繋がり、実を結びます。そのことは、最後の遣唐使のメンバーの一人、円仁法師の「入唐弘法巡礼行記(ニットウグホウジュンレイコウキ)」に詳しいことが書かれています(エドウィン・O・ライシャワー氏の「円仁 唐代中国への旅」=講談社学術文庫=のP341を参照)。円仁は当時、遣唐使の同僚らが帰国したのをよそに一人だけ、中国本土に残り、悟りの旅をしていました。ちょうどその時に仏教の大弾圧の模様を目撃するとともに、自身も弾圧の一端を体感しています。

ライシャワー氏の同書には韓愈の諫言について次のように書かれています。

……はっきりと仏教に対する知識階級の反撃を惹起する最初の導火線となったのである。そして、その動きは、11世紀と12世紀の新儒教の誕生となってその絶頂に達するのである。すなわち、中国古来の哲学が、中国の知識階級の生活態度を完全に支配する地歩を再び確立することとなるのである。……

韓愈の諫言は少し早すぎただけなのです。中国社会では結局、仏教はそのままの形で根付くことなく、儒教を再興する“起爆剤”として中国風にアレンジされていったのです。この辺りの思想史は門外漢です。いずれまた誰か別の古人之糟魄を借りて紹介する場面もあろうかと思います。

さて、配流された韓愈。「潮州へ向かう途中、藍関(長安東南の藍田関=現在の陝西省藍田県)あたりで韓愈を追ってきた人物がいる」(明治書院P115の「背景」)という。韓愈の二番目の兄、韓介の孫で、十二郎(韓老成)の忘れ形見、韓湘でした。当時の韓愈にとって数少ない戚(みうち)の一人で可愛がっていました。一緒に潮州に連れて行ってほしいと殊勝なことを言うのです。そんな韓湘に贈った詩があります。それを紹介して韓愈の「仏骨を論ずる表」を締め括りましょう。(NHKカルチャーラジオ「漢詩をよむ」テキストP104~106)

「左遷至藍関示姪孫湘」(左遷せられて藍関に至り 姪孫湘に示す)=七言律詩

一封 朝に奏す 九重の天

夕べに潮州に1)ヘンせらる 路八千

聖明の為に弊事を除かんと欲す

肯て衰朽を将て2)ザンネンを惜まんや

雲は秦嶺に横つて 家 何くにか在る

雪は藍関を擁して 馬 進まず

知る 汝が遠く来る ア)に意有るべし

好し 吾が骨を収めよ 3)ショウコウの辺

1)ヘン=貶。官位を下げて流すこと、左遷、配流。貶竄、貶流、貶謫、貶逐、貶斥、貶黜、貶退。「貶」は「おとす」「そしる」「けなす」「おとしめる」「さげすむ」などと訓読みが多いので要注意です。

2)ザンネン=残年。残りの生命、老人の残り少ない寿命。転じて、老い先。残念ながら「残念」では不正解です。

3)ショウコウ=瘴江。毒気の立ち籠める大川。「瘴」は「毒気、マラリアなどの病気の基と考えられた」。瘴毒(ショウドク)、瘴氛(ショウフン)ともいう。熱帯地方、亜熱帯地方の代名詞でもあり、この詩の「PUNCH-LINE」です。都から遠く離れた南方に流される不安な気持ちを込めているのです。おれはそこで死ぬのだ。

ア)応に=まさ・に。「まさに~すべし」と訓読し、「~すべきである」と訳す。当然・認定の意を示す。あるいは「~してやりなさい」と訳し、勧誘を表すこともある。ここはそのいずれも可か。

一通の上奏文を今朝 奥深い宮中の天子様にたてまつった。
夕方にはもう 八千里も南の潮州へ流されることとなった。
徳高き陛下のため よからぬ事を取り除いて差し上げようと思っただけだった。
この衰え疲れた身で 老い先の短い命など惜しむ気はさらさらない。
雲は秦嶺の山並みにたれこめて 我が家はどこにあろう。
雪は藍田の関所を覆い尽くして わが馬も行き倦むばかり。
お前が遠路はるばる来てくれたのは きっと覚悟するところがあるのだろうね。
だったら私の骨は 毒気の立ち籠める南の地の川べりでていねいに拾ってくれたまえ。

あくまで己の信念を貫き通したのだと揺るぎない韓愈の悲壮な気持ちが読みとれます。悔いはない。韓愈の「男気」がたっぷりと感じられます。見習うべき部分と反面教師とするべき部分がありますね。
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忘我の幽体離脱で陥穽に嵌まる=韓愈「仏骨を論ずる表」8

中国の名文を味わうシリーズは、韓愈の「仏骨を論ずる表」(明治書院「新書漢文大系シリーズ30 唐宋八大家読本・韓愈」)の8回目です。「鬼神を敬して之に遠ざかる」――。韓愈にとっては最高の師である孔子様の「論語」(雍也第六)にある弁を持ち出します。仏教は得体のしれないものである。先生は、そんなものは大切にしながらも近づかないのが得策である、それが智であるとおっしゃっているではないか。

況や其の身死して已に久し。1)コキュウの骨、ア)凶穢の余、豈に2)キュウキンに入らしむべけんや。孔子曰わく、鬼神を敬して之に遠ざかると。古の諸侯、弔を其の国に行うや、尚3)フシュクをして先ず桃茢を以て不祥を4)フツジョせしめ、然る後に進み弔す。今故無くして朽穢の物を取り、5)シンリンして之を観る。フシュク先んぜず、桃茢用いず、群臣其の非を言わず、御史其の失を挙げず。臣実に之を恥ず。

1)コキュウ=枯朽。かれ腐る。枯魚銜索(コギョカンサク=親には孝養を尽くすべきであるという教え、枯魚は「魚の干物」)、枯槁(ココウ=痩せ衰える、槁項黄馘=コウコウコウカク=)、冢中枯骨(チョウチュウのココツ=無能で役立たず、枯骨は「死人、故人」)、古木栄を発す(枯木に花が咲く、衰えた物が再び盛んになるたとえ)、枯落(コラク=おちぶれる)。古邱、姑舅、狐裘、胡弓ではないですが、いずれも重要です。

2)キュウキン=宮禁。宮中のこと。一般の人が入ることを禁じていることから。窮窘、球菌、給金、泣菫、九听ではない。

3)フシュク=巫祝。神に仕えて祭事や神事をつかさどる者。みこ、はふり、かんなぎ。「巫」は一字で「みこ」「かんなぎ」。

4)フツジョ=祓除。神に祈って、けがれ・災いをはらい除く、また、その儀式。「祓」は「はらう、はらえ、はらい」と訓む。祓禊(フッケイ=けがれをはらうため川で身を清める行事、みそぎ)、祓禳(フツジョウ=神に祈り、災いをはらい除く)、祓飾(フッショク=古くなったものを取り払って新しくかざる)。

5)シンリン=親臨。天子などがその場に臨むこと。

ア)凶穢=キョウアイ。不吉でけがれているさま。凶訃(キョウフ=悪い知らせ、訃報、凶音=キョウイン=、凶聞=キョウブン・キョウモン=、凶報=キョウホウ=)、凶旱(キョウカン=ひでり)、凶瑞(キョウズイ=わるい前兆、凶兆=キョウチョウ=)。「穢」は「けがれ」。

仏陀は外国の賓客であるのは言うまでもないが、加えて、既に骨になっていることがどうしても韓愈には許しがたいことでした。そんな垢れた仏骨を宮中に迎え入れるという行為が、如何に儒教の道から外れたことであるかを孔子の言葉を引いて皇帝に説諭するのです。「鬼神である」と。。。そしてまた、古の葬礼の在り方を「礼記」檀弓篇にも求めます。後半のくだりにある「桃茢」(トウレツ)は、「桃の木と、アシの穂で作ったほうき、ともに悪気を祓うのに用いる」。不祥なものを取り払って葬祭を執り行うどころか、陛下のおやりになっていることは自ら進んで穢らわしい物を手にとってご覧になっておられる。回りの群臣も誰も何も言わない。だから、不肖この韓愈が恥ずかしながら諫言申し上げるのです。。。

ここの言辞はもうアウトですね。憲宗皇帝は怒り心頭に発しているでしょう。この「表」を持っている手が小刻みに震えている姿が目に浮かびます。「朽穢じゃとぅ?どの口が朕に向かっていっておるのか?」其の非、其の失……明らかに言葉が過ぎる。韓愈も自分のロジックに酔っているとしか思えないですね。言葉は選ぶべきだ。同じことを伝えるにもほかに言い様はあるでしょう。自信家・韓愈の「坎穽」は、その「饒舌」に在ったと言えるでしょう。失言、舌禍。。。。自らに厳しい儒家は人にも厳しいのです。孔子先生の「仁」の精神がこの時ばかりは「幽体離脱」してしまったようですね。忘我の境地で陶酔する韓愈でありました。

口にするのも悍ましい仏の教え…=韓愈「仏骨を論ずる表」7

中国の名文を味わうシリーズは、韓愈の「仏骨を論ずる表」(明治書院「新書漢文大系シリーズ30 唐宋八大家読本・韓愈」)の7回目です。ここで韓愈は仏陀(ブッダ)が異国の人物であり、中国固有の教えである儒教のことを何も知らないことを強調します。あくまで外国人の賓客の一人として接するべきであると、況んや……。

夫れ仏は本夷狄の人なり。中国と言語通ぜず、衣服製を1)コトにし、口に先王の法言を言わず、身に先王の法服を服せず、君臣の義、父子の情を知らず。ア)仮如其の身今に至るまで尚在り、其の国命を奉じて2)ケイシに来朝すとも、陛下イ)れて之に接するに、宣政に一見し、礼賓に一設し、衣一襲を賜い、ウ)って之を境に出だすに過ぎず、衆を惑わしめざるなり。


1)コト=殊。「殊にする」は「異にする」と同じ意で「普通と全く違う」。殊裔(シュエイ=遠い果ての国)、殊遇(シュグウ=特別の礼を尽くしてもてなす待遇)、殊寵(シュチョウー天子の特別の寵愛、殊眷=シュケン=)、殊尤(シュユウ=特に優れている)、殊死(シュシ=死に物狂い、死刑、死刑囚)。

2)ケイシ=京師。天子のいるみやこ、首都のこと。京洛(ケイラク)、京都(キョウト)、京兆(ケイチョウ)、京城(ケイジョウ)ともいう。

ア)仮如=たとい、もし。物事を仮定していうときのことば。たとえ~であっても、もし~ならば。仮令、縦令、仮若、仮使。「仮」は「いとま」と訓む時がある。

イ)容れて=い・れて。ゆるす、ききいれる、受け入れる。容喙(ヨウカイ=くちばしをいれる、そばから口出しすること)、容膝(ヨウシツ=ひざをいれる、場所が狭いたとえ)。

ウ)衛って=まも・って。「衛る」は「まもる」。「まもる」はほかに、「戍る、捍る、擁る、秉る、防る」などがある。

仏陀(ブッダ)がもし生きていたとして、インドの国王の命を受けてわが中国に派遣されたと仮定しよう。陛下のなさるべきことは、①宣政殿で一度会見する②礼賓殿でひとたび賜宴を設ける③衣服をひとかさね賜る④護衛をつけて国境まで送ってあげる――この4つだけでいいのだ。仏陀を礼拝して民衆を惑わせることはしてはならない。

あくまで仏教を小馬鹿にして軽く扱う。国賓として最低限の接遇はするものの、その教えをどうのこうのと口にするのも悍ましい。。。

「陛下、漢民族の誇りをお見せくだされ」=韓愈「仏骨を論ずる表」6

中国の名文を味わうシリーズは、韓愈の「仏骨を論ずる表」(明治書院「新書漢文大系シリーズ30 唐宋八大家読本・韓愈」)の6回目です。仏教如き如何わしい宗教に民が戯れているのをいいことに放っておかれている。「冗談が過ぎますよ、陛下」と韓愈はシニカルな笑いを浮かべて「仏教弾圧」を促します。その言いぶりはもはや皇帝に対するものではないですね。心の底から仏教が憎いのです。儒教にとっては相容れないものだからです。言論弾圧、思想信条の自由を侵すことすら厭わない。古来、中国にはそうした「癖」があったのでしょうね。おっと迂生もあまり強く書くと「検閲」を受けそうですが。。。あくまで「韓愈」のこと以外に何も含意はないですからね。

然れども百姓は1)グメイにして、惑い易くア)し難し。苟くも陛下の此の如くなるを見ば、将真心仏に事うと謂い、皆言わん、天子大聖すら猶一心に敬信す。百姓何人ぞ。豈にイ)に更に身命を惜しむべけんと、頂を焚き指を焼き、百十群を為し、衣を解き銭を散じ、朝より暮れに至り、転た相2)ホウコウし、惟時に後れんことを恐れ、老少3)ホンパして、其の4)ギョウジを棄てん。若し即ち5)キンアツを加えずして、更に諸寺を歴ば、必ず6)ダンピ7)レンシン、以て供養を為す者有らん。風を傷り俗を敗り、笑いを四方に伝うるは、8)サイジに非ざるなり。

1)グメイ=愚冥。おろかで物の道理に暗いさま。愚昧(グマイ)、愚蔽(グヘイ)、愚蒙(グモウ)、愚暗(グアン)ともいう。

2)ホウコウ=倣傚。くらべてまねること。倣効(ホウコウ)。倣模(ホウモ=模倣)ともいう。「倣」は「ならう」。「傚」は「まねる」「ならう」。「効」も「ならう」。傚古(コウコ=いにしえにならう、古人を真似て学ぶこと)、傚慕(コウボ=人と同じようになりたい、したいと思う、この「慕」は「手本としてまねる」)。さまよう「彷徨」、雄たけびを上げる「咆吼・咆哮」、宝ばこの「宝匣」とは違うので要注意。いずれも重要。

3)ホンパ=奔波。波が打ち寄せるようにどっと押し寄せること。「奔」は「はしる」。奔渾(ホンコン=川の流れが急ですさまじい)、奔竄(ホンザン=走り逃げ隠れる)、奔車(ホンシャ=無鉄砲な状態を譬える→奔車之上無仲尼、覆舟之下無伯夷=危難のおそいかかる国には賢者聖人がいなくなること「韓非子・安危」)、奔湍(ホンタン=早瀬)、奔馳(ホンチ=馬に乗り勢いよくはしり駆ける、奔駛=ホンシ=)、奔北(ホンボク=戦いに負けて逃走すること、敗走=ハイソウ=、敗亡=ハイボウ=)、奔浪(ホンロウ=激しく荒れる波)。

4)ギョウジ=業次。仕事のある場所、仕事そのもの。やや難語。この場合の「次」は「広く物のやどる場所」という意。胸次(キョウジ=むねのところ)、席次(セキジ=席のある場所)。

5)キンアツ=禁遏。行為を差し止めてやらせないこと、禁止すること。「遏」は「とどめる」「さえぎる」とも訓む。遏悪揚善(アツアクヨウゼン=悪事を禁じ善行を勧める)、遏雲(アツウン=空を流れゆく雲までもおしとどめる、すぐれた音楽や歌声の形容、出典は「列氏・湯答篇」)、遏絶(アツゼツ=一族を全滅させる、押しとどめて物事をさせない、遏止=アッシ=)、遏密(アツミツ=鳴り物をやめて静かにする)。

6)ダンピ=断臂。千切れた腕、あるいは腕を切り落とすこと。「臂」は「うで」「ひじ」。慧可断臂(エカダンピ=なみなみならぬ決意を示すこと)、猿臂(エンピ=さるのうで)、臂環(ヒカン=腕環)、臂使(ヒシ=思うままに人を使うこと、下級官僚、臂指)、剋臂(ひじにこくす=固く約束すること)、把臂入林(ひじをとりてはやしにいる=親しい者といっしょに俗世間から離れて住む)。「ひじ」は「肘、臂」もある。

7)レンシン=臠身。身をズタズタにすること、あるいはズタズタにした体。「臠」は「細かく切れ目を入れた肉、挽き肉、肉の切り身」のことで「きりみ」とも訓む。特殊な読みとして「みそなわす=見るの最高敬語、ご覧になる」とも訓む。臠巻(レンケン=互いに絡み合い、引き合っていること、攣巻=レンケン=)、臠殺(レンサツ=ずたずたに切り裂いて殺す)、臠婿(レンセイ=天子のむすめむこ、また、後世、科挙の、進士の及第者の中からむこをえらぶこと)。

8)サイジ=細事。ささいな事柄。細故(サイコ)ともいう。「肌がきめ細かいさま」をいう「細膩」、疑う意の「猜弐」とは違うので要注意ですが、両熟語とも超重要です。

ア)暁し=さと・し。「暁す」は「さとす」。はっきりと分からせる、明白に知らせる。「さとす」はほかに、「諭す、喩す、譬す」。暁示(ギョウジ)、暁暢(ギョウチョウ=物事や道理によくつうじている、暁達=ギョウタツ=、暁通=ギョウツウ=)、暁寤(ギョウゴ=はっきりと悟る、暁悟=ギョウゴ=、暁解=ギョウカイ=)、暁喩(ギョウユ=よくわかるようにさとす、暁譬=ギョウヒ=)。

イ)合に=まさ・に。漢文訓読語法。「まさに~すべし」と訓み、「~すべきである」と訳す。当然の意を表す。「まさに」は「将に、当に、且に、応に、方に、鼎に、雅に」もあります。


韓愈が最も心配しているのは、愚昧な人民が熱狂的になり国に反旗を翻すことです。自分の身をも顧みず、むしろ犠牲になってまでも仏に帰依しようとする。その見境のない態度は身分制度を根幹とする中国王朝、儒教にとっては最大の脅威。皇帝自らが心酔するとは呆れてものが言えないのでしょう。仏教による「鎮護国家」という政治のやり方も本邦ではありました。中国でも時の政権によっては仏教を利用した時もあった。

しかし、仏教の隆盛によって風俗が乱れ、ひいては王朝の滅亡に至ってしまうと韓愈は考えています。仏の骨を宮中に迎え入れるという「愚行」こそが、人民を惑わす大元。だから皇帝としての威厳を見せて、率先垂範して仏教を排除してほしいと考える。それが人民の上に立つものの務め、国家元首たる責任ではないかと韓愈はいうのです。

それにしても過激な言辞の連続。いかにも漢民族の宮廷官僚らしいスタンスですね。

皇帝の供養命令に唖然忿怒=韓愈「仏骨を論ずる表」5

中国の名文を味わうシリーズは、韓愈の「仏骨を論ずる表」(明治書院「新書漢文大系シリーズ30 唐宋八大家読本・韓愈」)の5回目です。819年、憲宗皇帝が「鳳翔」(地名、現在の陝西省にある県。唐代から府が置かれた=恐らく大きな寺院があるのでしょう)にある「仏骨」を、多くの僧侶を派遣して宮中に運ばせてご自身は「楼」から、それをご覧になっているという。そして、各地の寺に順繰りに(=逓)供養の儀式を執り行わせているということを韓愈が聞きつけたのです。

今聞く、陛下群僧をして仏骨を鳳翔に迎えしめ、楼に御して以て観、ア)きて大内に入れ、又諸寺をして逓迎供養せしむと。臣愚なりと雖も、必ず陛下の仏に惑いて、此の崇奉を作し、以て1)フクショウを祈らざるを知るなり。イ)年豊かに人楽しむを以て、人の心に狥い、京都2)シショの為に、3)キイの観、4)ギガンの具を設くるのみ。安んぞ聖明此の如くにして、肯て此等の事を信ずること有らんや。

1)福祥=幸い。福祚(フクソ)ともいう。「祥」は「さいわい」とも訓む。

2)シショ=士庶。士人と庶民。官吏と一般大衆のこと。日本の場合は、江戸時代の武士と百姓・町人。

3)キイ=詭異。普通と違っていてあやしいこと。詭怪(キカイ)、詭譎(キケツ)ともいう。「詭」は「いつわる」「せめる」「たがう」とも訓む。ここでは「普通と違うさま」の意。詭遇(キグウ=正しくないやり方で狩りをして獲物をとる)、詭計(キケイ=悪だくみ、詭策=キサク=、詭謀=キボウ=)、詭激(キゲキ=言うことや行いが普通の程度をこえてはげしい、言行が過激であるさま)、詭詐(キサ=いつわりあざむく)、詭辞(キジ=うそ、こじつけ)、詭随(キズイ=人の善を悪く言い、人の悪に従う)、詭説(キセツ=うその話、こじつけ、キゼイ=こじつけて説明する)、詭答(キトウ=こじつけて答える、詭対=キタイ=)、詭道(キドウ=いつわりの道、近道)、詭服(キフク=いつわって表面だけ付き従う)、詭弁(キベン=正しくないことを正しいように言う言葉、道理に合わないこじつけの論理)、詭妄(キボウ・キモウ=こじつけたうそ、出鱈目、詭誕=キタン=)。

3)ギガン=戯玩。たわむれもてあそぶこと、なぐさみもの、おもちゃ。戯弄(ギロウ)ともいう。ペットは正に戯玩物ですね。「戯」は「ざれ」とも訓む。

ア)舁きて=か・きて。「舁く」は「かく」。二人で物を担いで運ぶこと。駕籠舁き(かごか・き)。音読みは「ヨ」ですが、熟語は見当たりません。もし見つけたら大発見です。

イ)直=ただ。漢文訓読語法。「ただ~だけ」と訳す。通常は文末に「~のみ」と訓読する。

皇帝の行為に耳を疑った韓愈。よもや心の底からご信奉遊ばせているのではあるまいと畏れます。京都、すなわち長安の都の人民が太平をむさぼっており、あたかも見世物や娯楽を楽しんでいる慰みのために付き合って居られるだけであろう。これほど聡明なお方が、こんな噓っぱちの物の言うことを心から信ずるものか――。言っているうちに体のうち震えが止まらなくなるのを禁じ得なかったのではないでしょうか。人民らの熱狂的な姿に唖然とする韓愈でした。

ちなみに、見慣れない漢字ですが「狥」は「したが・う」と訓む。「徇」の異体字です。音読みは「ジュン」。徇行(ジュンコウ=あちこりめぐり歩く)、徇斉(ジュンセイ=うまれつき才能がととのっていること)、徇地(ジュンチ=めぐり歩いてその地方を服従させること)、貪夫徇財(タンプジュンザイ=欲深い者は、金の為なら何でもする)⇔烈士徇名(レッシジュンメイ=道理の通った正しい行いをする人は名誉の為に命を賭ける)=徇利(ジュンリ=利益の為に命懸けで努力する)、徇道(ジュンドウ=正義を守るために命懸けで努力する)。「殉」と同義です。

時の皇帝に「諷り」が過ぎやしませんか?=韓愈「仏骨を論ずる表」4

中国の名文を味わうシリーズは、韓愈の「仏骨を論ずる表」(明治書院「新書漢文大系シリーズ30 唐宋八大家読本・韓愈」)の4回目です。ここからは身近な唐王朝、延いては憲宗帝と仏教の関わり方について論じます。最初は帝を高く持ち上げるのですが、次第に激昂する韓愈。かなり危険コードすれすれの「きわどい表現」が続きます。

高祖始めて隋の禅を受け、則ち之を除かんと議す。当時群臣、ア)材識遠からず、深く先王の道、古今の宜を知り、聖明をイ)推闡し、以て斯の弊を救う能わず。其の事遂に止む。臣常に恨む。

伏してウ)るに、睿聖文武皇帝陛下、神聖英武、数千年已来、未だ1)リンピ有らず。即位の初め、即ち人を度して僧尼道士と為すを許さず。又2)ジカンを創立するを許さず。臣常に以為らく高祖の志し必ず陛下の手に行われんと。今エ)い未だ即ち行う能わずとも、豈に之を恣にし、3)ウタた盛んならしむ可けんや。

1)リンピ=倫比。仲間、同類。倫匹(リンヒツ)、倫輩(リンパイ)ともいう。ここでは「並ぶ物がいない」という意。

2)ジカン=寺観。仏教の寺と道教の寺。「観」は、道士が修行した高い見晴らし台のことを言う。

3)ウタた=転た。副詞用法。時が起つにつれて程度がだんだん激しくなるさま、ますます。「愈」が類義語。

ア)材識=サイシキ。才智と識見。「素質や才能」の意味の場合は「サイ」と読むことに留意。「才」に充てたものでしょう。材幹(サイカン=すべて物事を処理する能力、腕前)、材質(サイシツ=うまれつきの素質)、材武(サイブ=才能があって武勇にも優れていること)、材吏(サイリ=能力のある官吏、腕利きの役人)。

イ)推闡=スイセン。おしひらくこと、真理などを深く尋ね窮める。推究闡明(スイキュウセンメイ)の省略。やや難語。「闡」は「ひらく」「あらわす」と訓む。闡究(センキュウ=研究して明らかにする)、闡校(センコウ=明らかにしてただす)、闡発(センパツ=ひらきあらわす、はっきりと表に出す、明らかにする)、闡明(センメイ=わかりにくいものをはっきりと明らかにする、闡揚=センヨウ=)、闡幽(センユウ=かくれたことを明らかにする、潜んでいるのをはっきり表に出す)。

ウ)惟る=おもんみ・る。和訓。思うに~である。音読みは「イ、ユイ」。既に何度も取り上げています。書き問題でも要注意でしょう。

エ)縦い=たと・い。接続語法。「たとえ~とも」「万が一~とも」。縦令、縦使と用いても同じ意味。

唐の初代皇帝・李淵(高祖=隋王朝から禅譲を受けた)は仏教を擺脱しようとしたのだが、当時の群臣に慧眼鋭い者はおらずに、それは叶わぬこととなった。このことを平素からわたくし韓愈は口惜しいと考えていた。「睿聖文武皇帝陛下」、すなわち今の憲宗皇帝が即位なされた。その高祖にも匹敵する志の高いお方であられるから、高祖の宿志を陛下こそが自らの手で行われるものと常々思っていた。。。

「褒め殺し」という言葉もありますが、ここのくだりがまさにあてはまります。シニカルな見方をすれば「当て擦り」(=諷り)か。さんざん賞め倒して、それなのにどうして仏教を野放図にされているのであろうかと言うのです。唐王朝の初代皇帝の気高い志を努々お忘れではありますまいに……。何を愚図愚図されておられるのか?

韓愈の歯軋りが聞こえてきます。。。

都合のよいロジックを構築、それが宗教論=韓愈「仏骨を論ずる表」3

中国の名文を味わうシリーズは、韓愈の「仏骨を論ずる表」(明治書院「新書漢文大系シリーズ30 唐宋八大家読本・韓愈」)の3回目です。伝説の時代より下っても古代中国の皇帝の長寿の歴史はまだまだ続きます。殷湯、太戊、武丁、文王、武王、穆王。彼らは仏教をまだ知らない頃のことであります。

其の後殷湯も亦年百歳、湯の孫太戊位に在ること七十五年、武丁位に在ること五十九年、書史其の年寿の極まる所を言わざれども、其の年数を推すに、蓋し亦俱に百歳に減ぜず。周の文王年九十七歳、武王年九十三歳、穆王位に在ること百年なりき。此の時仏法亦未だ中国に入らず。仏に事うるに因って然るを致すに非ざるなり。

中国の国家は「殷」が始まり(その前の「夏」も実在性が向上)、「周」と続き、この前半が西周、後半が春秋・戦国時代となります。ここはまだ仏教が伝来していない。だから仏教に帰依することが長寿を齎すのではないという証明だと言うのです。いささか強引ですが、長寿を極めた古の帝に対する畏敬の念が大層強かったのでしょう。そして、仏教伝来後の皇帝がどうだったかを検証します。

漢の明帝の時、始めて仏法有り。明帝位に在ること纔に十八年のみ。其の後乱亡相継ぎ、1)ウンソ長からず。宋・斉・梁・陳・元魏以下、仏に事うること漸く謹むも、年代尤もア)る。惟梁の武帝位に在ること四十八年、前後三度身を捨てて仏に施し、2)ソウビョウの祭に、3)セイロウを用いず、昼中一食、菜果に止まる。其の後竟に侯景のイ)まる所と為り、台城に餓死して、国も亦ウ)いで滅ぶ。仏に事えて福を求めて、乃ち更に禍を得たり。此に因って之を観れば、仏の事うるに足らざることも、亦知る可きなり。

1)ウンソ=運祚。天から授けられた、天子としての運命。御代、御世、在位。類義語問題に注意。「祚」は「祖先から伝わる王朝の君主の位」。「さいわい」とも訓む。

2)ソウビョウ=宗廟。祖先の位牌を祀るみたまや。転じて、国家を指す。天子・諸侯が宮殿を建てる時には、まず宗廟を建て、それをすべてに優先させて重んじていた。したがって、宗廟が破壊されたときは国家が滅びたときと考えられており、国家=宗廟という意識が強かったため。類義語は社稷(シャショク)ですね。

3)セイロウ=牲牢。いけにえ、犠牲。常用漢字である「牲」ですが表外では「いけにえ」と訓む。牲殺(セイサツ=いけにえ、必ず殺して用いるから)、牲牷(セイセン=祭りに用いるいけにえ、「牷」<配当外>は、毛の色が一色で、まだらのない、五体そろって完全な牛のこと)、牲幣(セイヘイ=いけにえと、供え物)。「いけにえ」はほかに、「牢、犠、生贄」。

ア)促る=せま・る。表外訓み。長さや幅がぐっと縮むことをいう。促坐(ソクザ=間隔をつめてすわる)、促膝(ソクシツ=ひざをつきあわせてすわる、間柄が親密なことを言う)、促歩(ソクホ=せわしく歩く)、促急(ソッキュウ=せっかち)。「せまる」はほかに、「逼る、薄る、拮る、拶る、拶る、瀕る、煎る、窘まる、蹙る、遒る、遽る、齪る」などがあります。

イ)逼(ま)る=せま・る。すぐそばまで近づく、言うことを聴くように強いる。音読みは「ヒツ」。逼近(ヒッキン=ひたひたとせまる、危険な物が近づく)、逼塞(ヒッソク=蛭間の出入りを禁じる刑罰)、逼迫(ヒッパク・ヒョクハク=金銭が乏しく苦しいこと)、逼奪(ヒツダツ=君主に迫って君位を奪うこと、簒奪=サンダツ=)。

ウ)尋いで=つ・いで。接続詞用法での特別な表外訓み。「それに続いて、間もなく」という意。よく出ます。

明治書院の「背景」(P108)によると、「仏教が中国に伝来した時期については諸説あるが、韓愈は後漢の明帝の時代を挙げている」とあります。「後漢書」西域伝には、「明帝の夢枕に後光のさした金人が立った。群臣にあれは何であったかと意見を求めたところ、一人が『ブッダです』という」と記されており、韓愈はこの逸話をベースにしているようです。

その明帝は在位18年に過ぎませんでした。国が乱れ始めて、南朝の宋・斉・梁・陳や北朝の元魏より以降は、仏に帰依することが次第に減っていくものの、王朝の年代が短く短くなっていきます。ただ例外は梁の武帝。在位48年と長かったのです。三度も仏に身を捧げ、僧侶となった。昼間の一食だけの食事は野菜や果物だけ。その後は餓死しててしまい、国も滅びたのです。

韓愈は言う。「仏に仕えて幸福を求めた結果が、より一層の災いを蒙ったではないか。仏に仕える値打ちなど一銭も無いではないか」。牽強付会の感も否めないですが、都合のよい事実だけを切り取って論じれば「仏教は国家にとって繁栄を齎すものとは限らない」とは言えるでしょう。しかしながら、逆も真なりですけどねぇ~。仏教が嫌いな人の論理としては仕方ないでしょう。ところが、仏教信者は全く逆のロジックで果敢に攻めると思いますよ。儒教や道教がいかに国家をダメにしたかを。。。。宗教や思想は信奉するか否かで全く立場を異にするものです。論理じゃない、結論ありきです。堂々巡りの水掛け論か…。政教分離なんてありえへんなぁ。。

五帝のみならず民衆は皆「ジュコウ」だった=韓愈「仏骨を論ずる表」2

中国の名文を味わうシリーズは、「信念と硬骨の人」韓愈の「仏骨を論ずる表」(明治書院「新書漢文大系シリーズ30 唐宋八大家読本・韓愈」)の2回目です。俠気のある韓愈が時の憲宗皇帝に仏教の信奉を諫めた上奏文。聊か筆鋒が鋭過ぎた結果、皇帝の逆鱗に触れて、即座に南海地方の潮州に流謫されてしまいます。前回は潮州で詠んだほんわかムードいっぱいの詼けた詩を味わいましたが、52歳の官僚詩人の「本心」は如何ばかりだったでしょうか?

さて、前回の復習です。明治書院の「背景」(P105)に藉りましょう。「長安の西、鳳翔の法門寺に釈迦の指の骨が収められていた。時の皇帝・憲宗はその釈迦の骨を宮中に迎え入れ、三日間内裏に留め置いた後、諸寺へ巡回させるようにと下賜した。果たして正月一三日、仏骨は宮中にむかえられたのである」。元和14年(819)のことです。仏舎利の供養を大々的に宮中で采り行ったのです。「三十年に一度のことに加え、皇帝もお迎えしたとなれば、是非とも拝みたいと民衆は寺に詰めかけた。中には財をなげうってお供えしたり、身を焼いて供養する者もいる始末」だったといいます。熱狂的な仏教信者が数多くいたのです。儒家の韓愈には我慢がならなかった。当時の彼は刑部の次官に在り、司法と警察を司っていました。恐らくは皇帝への諫言なども業としていたのでしょう。冒頭の一説は、仏は「夷狄」と貶んだ上で、後漢に輸入されたものであり、古代中国にもともと存在していた代物ではないと嘲りました。本日はその次から。

昔は黄帝位に在ること百年、年百一十歳。ア)少昊位に在ること八十年、歳百歳。顓頊(センギョク)位に在ること七十九年、年九十八歳。帝嚳(コク)位に在ること七十年、年百五歳。帝尭位に在ること九十八年、年百一十八歳。帝舜及び禹、年皆百歳なり。此の時天下太平、百姓安楽1)ジュコウなりき。然り而うして中国に未だ仏有らざりなり。


1)ジュコウ=寿考。長生きのこと。「考」はやや難語で「老、腰の曲がった年寄り、高齢の」といった意味があります。確かに部首は「おいがしら(老)」ですね。「亡くなった父」という意味もありましたね。先考(センコウ=亡父、対義語は先妣=センピ)。

ア)少昊=ショウコウ。人名ですが「昊」はなかなか「コウ」と読めませんね。どうしても音符である「天」が「コウ」とは読めない。かなり練習して慣れる必要があります。「なつぞら、おおぞら、そら」という意味もあって、昊天(コウテン=空、おおぞら)、蒼昊(ソウコウ=青空)。「あかるい」とも訓む。

「中国最初の正史『史記』は五帝本紀、黄帝の記述から始まる」と明治書院の「背景」(P106)にあります。ここのくだりは、中国本来の大元を繙いています。すなわち、黄帝(在位100年、御年110)、少昊(在位80年、御年100)、顓頊(在位79年、御年98)、帝嚳(在位70年、御年105)、帝尭(在位98年、御年118)、帝舜及び夏の禹(ともに御年100)と、中国の始祖である帝方はいずれも長寿を誇ったというのです。中国人民ならだれでも知っている歴史です。韓愈は敢えて記することで中国の正当性を明らかにしようとしました。天下泰平で人民も皆長寿であった。そう、まだ仏教は伝来していなかったから。ああ、それなのに、それなのに……。短めですが続きは次回にて。

南方に配流されカブトガニと友達に…=韓愈「仏骨を論ずる表」1

NHKラジオ第2放送で毎週土曜日夜8時半から9時まで「漢詩をよむ~漢詩の来た道(唐代後期)」という番組をやっています。残念ながら3月いっぱいで終わります。迂生は聞いてはいませんがテキストだけは買って読んでいます。李白、杜甫、白居易ら超有名な人も扱えば、銭起、杜光庭ら聞いたことのないマイナー詩人も取り上げており、読み物としても十分に面白いです。その中で弊blogの名文シリーズの「圬者王承福伝」と「師の説」で取り上げた中唐の韓愈(768~824)も題材となっています。講師である宇野直人氏(共立大学国際学部教授)が「信念と硬骨の人」と称しています。元和14年(819)に左遷された先の潮州(いまの広東省潮州市)で、海産物ばかりを取り上げて詠じたユニークな詩があります。NHKカルチャーラジオ「漢詩をよむ」のテキスト(P108~111)から引用します。

「初南食貽元十八協律」(初めて南食し 元十八協律に貽る)=五言古詩

ア)鱟実 恵文の如し

骨眼 相負うて行く

蠔(ゴウ=牡蠣) 相粘して山と為り

百十 各々自ら生く

蒲魚 尾は蛇の如し

口眼 相営まず

蛤(=ガマガエル)は即ち是れイ)蝦蟆

実は同じうするも ウ)りに名を異にす

章挙(ショウキョ=タコ) 馬甲柱(タイラギ)

闘つて 怪を以て自ら呈す

其の余 数十種

嘆驚す可からざるは莫し

我 来つて1)チミを禦ぐ

自ら宜しくエ)南烹を味わふべし

調ふるに2)カンと酸とを以てし

芼(と)る(=和える)に3)ショウと4)トウとを以てす

オ)腥臊 始めて発越し

5)ソドンすれば面は汗騂(カンセイ=汗が出て顔が赤らむ)す

唯 蛇のみ 旧 識る所

実に憚る 口眼の6)ドウなるを

籠を開いて其の去るに聴す

7)ウックツして尚ほ平らかならず

カ)を売るは我が罪に非ず

8)ホフらざれば 豈 非情ならん

霊珠の報いを祈らず

幸ひに9)ケンエン キ)すこと無からんことを

聊か歌うて以て之を記し

又 以て同行に告ぐ


1)チミ=魑魅。化け物。

2)カン=鹹。塩味。次の「酸」が酸味。

3)ショウ=椒。山椒のこと。

4)トウ=橙。だいだい(柑橘類)。

5)ソドン=咀呑。咀嚼して呑みこむ。

6)ドウ=獰。獰猛であるさま。性質が荒っぽくたけだけしい。

7)ウックツ=鬱屈。とぐろを巻くこと。

8)ホフらざれば=屠らざれば

9)ケンエン=嫌怨。嫌悪の情と恨みの情。

ア)鱟実=コウジツ。「鱟」は「かぶとがに」。文中の「恵文」は「恵文冠」。戦国時代・趙の恵文王が考案した武官の冠で、蟬の羽のような飾りと貂の尾をつけた。「貂蟬」ともいう。ちなみに「鱟」の音読みは「コウ」(漢検漢字辞典では「ゴウ」となっているが…?)

イ)蝦蟆=ガマ

ウ)浪りに=みだ・りに。やたらに。

エ)南烹=ナンポウ。南方地方の料理。

オ)腥臊=セイソウ。なまぐさいこと。

カ)爾=なんじ

キ)幷す=あわ・す。重ね合わせること。

いかがですか?面白い詩でしょう。中国地図で確認しますと、韓愈が流された潮州は東都の洛陽からみるとちょうど南方のはるか先に位置しています。気候は亜熱帯に属し、海の幸の宝庫。韓愈にとって睹る物、食べる物すべてが瞠目の連続だったのでしょうね。ややお茶らけながら「擬人化」している描写はくすりと笑えます。とても左遷された官僚の落胆ぶりが見えない諧謔ぶり。いや、流されたからこそ諧謔ないとやってられなかったのかもしれませんね。

最後の長安でもお馴染みだった蛇を罠にかけてしまい、売り捌いたシーンは何ともユーモラス。「ご免ね。蜷局なんか巻いちゃって。怖いったらないなぁ。いいじゃん。売ったのは悪かったけど殺さなかったんだからさ許してよ。真珠を作れなんて言わないからさ」―。南海の珍品の中で唯一蛇だけは昔からよく見ていたものだというのです。カブトガニ、カキ、蒲魚、タコ、タイラ貝…その他数十種の海の幸に目を丸くする韓愈の姿が髣髴としますね。。。

と、ここで終わらないのがこの「髭鬚髯散人之廬」のマニアなところですわ。実は韓愈がこの潮州に流された原因となった上奏文があるのです。彼はいわば「舌禍事件」を引き起こしました。その文章を名文シリーズで玩わおうという趣向です。それが、時の皇帝、憲宗に奉った「仏骨を論ずる表」。例によって明治書院の新書漢文大系シリーズ「30 唐宋八大家読本韓愈」から引用いたします。本日は冒頭の一説だけ。

臣某言う、伏してア)う仏は1)イテキの一法のみ。後漢の時より流れて中国に入る。上古未だ嘗て有らざるなり。

1)イテキ=夷狄。外国人を軽蔑した言い方。ここでは中国周辺異民族の総称。漢族に対して言う侮蔑表現です。夷蛮戎狄(イバンジュウテキ)。

ア)以う=おも・う。表外訓み。「以為らく」=おもえらく。

当時の中国では仏教が流行していました。身分制度を否定し、誰もかれもを極楽浄土に誘う仏教。真っ向から対抗する儒学を信奉する韓愈は仏教を毛嫌いしていました。皇帝があまりにも「異国の宗教」にご執心であるさまに我慢がならず怒りの具申となったわけです。仏教に頼る政治は堕落だ。日頃から「師の道」を説く韓愈だけに、インド如きの教えにわが卓越したる漢民族の国土が瀆されてなるもんかいと啖呵を切るのです。

「古の文」を復活させた「師の道」=韓愈「師説」4・完

中国名文を噛み締めるシリーズは、韓愈の「師説」(明治書院「新書漢文大系30・唐宋八大家文読本<韓愈>」など)の4回目、最終回です。前回迂生は新聞記者を引き合いに出して「師」をもっと身近に求めるべきであることを述べましたが、勿論、自らが高みに到達するための手段であるに過ぎないことは論を待たないです。「聞く」ということは手段であって目的ではありません。「師」を見つけることは一見すると能動的にも見えますが、所詮は受け身の行為。聞いたネタを記事にするのは並大抵のことではありません。この記事化するということが難しいのです。呟きを書くわけでも作文でもない。読み手がいて初めて成り立ちうる文章である事が最大のポイント。つまり、読んでもらわなければ、読まれなければ何の意味も持たない。「メディア」と言われる所以でもあります。「師」から学んだエッセンス、すなわち読者が知りたいと思うことを文章にするという「能動的な行為」。これができれば記者は一歩だけ高みに行けるのです。記者に限らない。身近な「師」から学んだことは、その次の一歩につながる。そして気づけば「道」ができている…。焦っちゃあいけません。まずは一歩から。身近なところから兀兀と…。

【5】
聖人に常の師無し。孔子は郯子(タンシ)・萇弘(チョウコウ)・師襄(シジョウ)・老耼(ロウタン)を師とす。郯子の徒は、其の賢孔子に及ばず。孔子曰わく、三人行えば則ち必ず我が師有りと。是の故に弟子は必ずしも師に如かずんばあらず。師はかならずしも弟子より賢ならず。道を聞くに先後有り、術業に専攻有りて、是の如きのみ。

ここでは、孔子の例を引き合いにダメを押します。明治書院「新書漢文大系8・古文真宝」(P51)によると、「孔子は音楽を萇弘に、琴を師襄に、礼を老子に、官制を郯子に学んだとされる」との解説があります。さらに、孔子のいう「人間で三人で行けばそのなかには必ず自分の師たり得る人がいるものだ」は、論語「述而」に出てくる謙虚なる持論です。どこにでもいるありふれた存在。弟子が師にかなわないこともないし、必ずしも師の方が弟子よりも賢いとも限らない。道を聞き知るのに先か後か、学術や事業に専門範囲があるだけ。それが師弟関係の基本であるという。

【6】
李氏の子蟠、年十七。古文を好み、六芸経伝皆通じて之を習えり。時にア)わらずして、余に学ぶ。余其の能く古道を行うを1)ヨミし、師の説を作って以て之にイ)る。

1)「ヨミする」=嘉する。よいと認めてほめる。音読みは「カ」。「めでたい、さいわい、よい」とも訓む。嘉筵(カエン=めでたい酒盛り)、嘉禾(カカ=穂のたくさん付いたりっぱな稲)、嘉卉(カキ=美しい草花)、嘉耦(カグウ=仲の良い夫婦、嘉偶)、嘉肴(カコウ=けっこうな料理)、嘉祚(カソ=幸福、嘉祉=カシ=)、嘉饌(カセン=立派なご馳走、嘉膳=カゼン=)、嘉禎(カテイ=めでたいこと)、嘉遯(カトン=人としての正しい道を行うために世を逃れること、嘉遁=カトン=)、嘉猷(カユウ=よいはかりごと、嘉謨=カボ=、嘉謀=カボウ=、嘉算=カサン=)、嘉頼(カライ=気に入って頼りにする)。

ア)「拘わらず」=かかわ・らず。「拘わる」は「かかわる」。こだわること、かかずらうこと、狭い枠に縛られること。表外訓みです。「とらえる」とも訓む。拘攣(コウレン=筋肉の収縮、道徳や官職などの制約から自由に行動できないこと)、拘泥る(こだわ・る)、拘繋(コウケイ=つかまえて、つないでおく、拘絆=コウハン=、拘縛=コウバク=)。

イ)「貽る」=おく・る。人に物を贈ること。「のこす」とも訓む。音読みは「イ」であることに注意。「よろこぶ」の「怡」も「イ」です。貽訓(イクン=祖先が子孫に残した教え、詒訓=イクン=)、貽厥(イケツ=子孫、詒厥=イケツ=、詩経にある歇後語の一種)、貽謀(イボウ=好い計画を子孫に残すこと、その計画、詒謀=イボウ=)、お分かりのように「詒」も同義で「のこす」という意味です。

最後にこの「師説」がなぜ書かれたのか理由が明らかになります。子蟠というのは、のちに科挙に及第し、白居易や元稹(ゲンジン)らと一緒に吏部省の試験にも合格し、官途に就いた韓愈の門弟です。17歳と年若いのに、時流に逆らって韓愈に弟子入りを志願しました。見上げた根性の持ち主だと韓愈はこの文章を書き留めて子蟠に贈りました。古の聖人の書いた文章を勉強し、そして私の教えを警めとして常に座右に置くように。。。

同シリーズの「30・唐宋八大家文読本<韓愈>」(P77~79)によりますと、「この説の内容は、無知、未知の事柄は先人に教えを乞うのがよいというものである。当代の人々もこれを拒否したのではなかろう。問題は、だから自ら師となろうと韓愈が宣言したことにあったと思われる」と指摘しています。「師の道」を宣揚するにとどまらず、自らを師匠呼ばわりしたことに官僚諸侯らが一斉に反発の声を上げたというのでしょう。時代に迎合する文章は書かないというのが韓愈の主張であり信念でした。形式にとらわれない内容を重視した「古の文章」を再興する運動を行いました。そして、韓愈が弟子を取ることでこうした動きは広がりました。

「師説」は韓愈の書いた文章の中でも著名な物であって、明治書院のシリーズで迂生の手元にあるだけで3つに採録されています。厳しい口調ながら、古を尚ぶ姿勢には共感できる部分が多い。古に帰れとは言わないけれど、古をもう一度振り返る必要が今の日本にはあるような気がします。

自分の知らないことを知っている人が「師」=韓愈「師説」3

中国名文を噛み締めるシリーズは、韓愈の「師説」(明治書院「新書漢文大系30・唐宋大家文読本<韓愈>」)の3回目です。理想の師弟関係を築くことのできた孔子の時代ですら、自らが師であると同時に、自らも師と仰ぐ人がいた。それなのに今の人ときたら、自分が人に付き従って師と仰ぐことをしないのはどうしてか――。韓愈の不満が爆発します。

【3】
其の子を愛しては、師をア)んで之に教う。其の身に於ては、則ち師とするを恥ず。惑えるかな。彼の童子の師は、之に書を授けて其の1)クトウを習わしむる者なり。吾が所謂其の道を伝え、其の惑いを解く者に非ざるなり。クトウの知らざる、惑いの解けざる、或いは師とし、或いはしかせず。小は学んで大はイ)る、吾未だ其の明なるを見ざるなり。

1)「クトウ」=句読。「。」や「、」などのしるしをつけて文章を区切ること。また、文章の区切り方。「句」は一つの文が終わったところ、「読」は一つの文の中の息の継ぎ目。句度(クト)、句逗(クトウ)、句投(クトウ)ともいう。転じて、文章の読み方をいう。とても簡単な漢字ですが、こういう奴こそ本番で狙われます。狗偸、狗竇、狗盗、瞿唐など逆に難しいのしか浮かばないかも。。。韓愈先生に習いましょう。

ア)「択んで」=えら・んで。「択ぶ」は「えらぶ」。表外訓み。「えらぶ」はほかに、「揀ぶ、簡ぶ、刪ぶ、掏ぶ、撰ぶ、柬ぶ、詮ぶ、銓ぶ」。択交(タッコウ=交際してもよい国・友人をえらぶこと)、択材(タクザイ=りっぱな人材をえらぶ)、揀択(カンタク=区別すること、えりわける)。

イ)「遺る」=わす・る。疎かにすること。表外訓み。「のこる」とも訓むがここは前者。

自分の子供には家庭教師をつけたり、塾に通わせたりして「師」を与える。ところが、自ら「師」を選んで習うことは恥ずかしいと考える。韓愈に言わせれば、それは「惑」の為せる技。理性を失っているのだという。しかし、子供に教える「師」は本当の意味で「師」ではない。彼はいわば、読み書きそろばん、学問のイロハを授けるにすぎない。「道」を知っているものではないのだから、本当は「師」と言うべきではないであろう。

世の中には教育熱心な親も多いでしょうが、経済力があれば多少の「学問」らしきことを与えてはやれます。しかし、肝心の子供本人はノー天気。金をかければいいってもんじゃないのよね。親の自己満足、エゴに過ぎません。子供にどれだけの意欲を喚起し、持続させられるかが最大のポイントですが、他人がとやかくできるものではないでしょう。自らの発露があるのみ。知識への渇望、危機意識のないところに「道」は生まれないでしょうね。まぁ、刺激は必要と言えば必要ですが…。啐啄同時じゃないとね。。。

【4】
2)フイ・楽師・百工の人、相師とするを恥じず。士大夫の族、曰わく弟子を云わば、則ち群がり聚まりて之を笑う。之を問えば則ち曰わく、彼と彼とは年相若けり、道相似たりと。位卑しければ則ち羞ずるに足り、官盛んなれば則ちエ)うに近し。噫乎、師道の復せざること知る可し。フイ・楽師・百工の人は、君子齢せず。今其の智は乃ち反って及ぶ能わず。其れ怪しむ可きかな。

2)「フイ」=巫医。みこと医者。転じて、医者。古代、みこは祈りで病気を治したことから、医者と同類としてみられていた。「巫」は「みこ」「かんなぎ」。巫覡(フゲキ=巫は女みこ、覡は男みこ)、巫咸(フカン=殷代の伝説上のみこの名)、巫峡(フキョウ=四川省巫山県の東にある峡谷)、巫蠱(フコ=祈禱やまじないで人を呪うこと)、巫山戯(ふざけ)、巫山之夢(フザンのゆめ=男女の情事)、巫史(フシ=みこと記録係、古代の神職)、巫祝(フシュク=みこ、はふり、かんなぎ)、巫術(フジュツ=みこのまじない)、巫女(フジョ、みこ)、巫匠(フショウ=みこと大工、孟子が仁を説いた時のことば、どちらも人の為になる存在)。「フイ」といえば「布衣」がうかびますが、庶民という意味でここは違います。

エ)「諛う」=へつら・う。ことばを曲げて相手の隙に付け込む、人の機嫌を取るように媚び、おもねるさま。音読みは「ユ」。阿諛(アユ=おもねる)、諛悦(ユエツ=こびへつらって喜ばせる)、諛言(ユゲン=こびへつらうことば、諛辞=ユジ=)、諛臣(ユシン=こびへつらう家来)、諛佞(ユネイ=くねくねとして、相手にこびへつらう、諛媚=ユビ=、諛諂=ユテン=)、諛墓(ユボ=ことさらに死者の生前の実際の事柄と違った墓誌を作って死者を賛美すること)。阿諛便佞、阿諛追従、讒諂面諛。All WRITING OK?

韓愈は続けて言います。「みこや医者、音楽師、諸種の技術者たちは、人を師とすることを恥じない」――。徒弟制度が染みついた世界と言えばそうですが、彼らは皆「道」を極めることが技術を高めていくことだと知っているのなのです。だから、道の先達者として師に倣うことを厭わない。

それに対して、韓愈によれば「士や大夫などの身分のある者たちは、師と言い、弟子と言うならば、群がって笑うのみ」といい、それが何故かと言えば、「年齢が同じくらいだから、極めた道も似ているだろう。また、身分が卑しければ、彼を師とするのは恥である。さらに、官職が高位であれば、彼を師とすることはへつらい、おもねり、こびである」。つまり、世間体や己の体面を重んじるあまり、師たる人を師として見るという正常な判断ができなくなっているのです。恥かしいのはどっちだよ~。韓愈は読者の羞恥心を煽って、もっと素直に、肩の力を抜いて、師を見つけることを提唱する。当時の唐王朝では身分がすべてを決していたから、身分を超越した師と弟子という関係には何の価値も見出せなかったのでしょう。身近に師のいることの意味をもう少し考えてみましょう。それほど深く思う必要はない。

例えば新聞記者。彼らはとにかく人の話を聞いて記事にする。分からないという前提で人に聞きまくるのが仕事なのです。だから、彼らにとって取材先はすべて「師」と言えるでしょう。自分の知りたいことを知っている人は「師」なのです。知らないのが当たり前。こう考えたらもう少し気楽に「師」というものを見詰めることができるのではないでしょうか。

「俺に付いて来い」孔子一門の師弟関係が理想=韓愈「師説」2

中国名文を噛み締めるシリーズは、韓愈の「師説」(明治書院「新書漢文大系30・唐宋大家文読本<韓愈>」)の2回目です。道を知る人が師であって、その年齢や身分は無関係であるという儒家・韓愈の「真骨頂」が披露されています。

【2】
ア)嗟乎、師の道の伝わらざるや久し。人の疑惑無からんと欲するや難し。古の聖人、其の人に出ずるや遠し。猶お且つ師に従って問えり。今の衆人、其の聖人を去るや亦遠し。而も師に学ぶを恥ず。是の故に聖は益々聖に、愚は益々愚なり。聖人の聖たる所以、愚人の愚たる所以は、其れ皆此より出ずるか。

ア)「嗟乎」=ああ。嘆息の擬声語。「嗟」は「ああ」「サ」「なげ・く」。嗟于、嗟吁、嗟呼、嗟夫、嗟来、嗟嗟のいずれも「ああ」。嗟哉は「あなや」。嗟咨(サシ=ああと言ってなげく)、嗟称(嗟賞=サショウ、感心してほめる)、嗟嘆(サタン=舌打ちしてなげく、感心して褒める)、嗟悼(サトウ=なげきいたむ)、嗟伏(嗟服=サフク、感服する)、嗟来(サライ=さあ、そら)、嗟来之食(サライのシ=さあ食らえと無礼な態度で与える食物)、瞻望咨嗟(センボウシサ=溜息をついて見上げる)。

明治書院(P74)によると、「四門博士となって教鞭を執り始めたとはいえ、それは国士監での話。韓愈の時代、私的に師弟関係を結び学問を伝授するという風潮はなかったようである」とあります。韓愈の同僚である柳宗元は、そうした彼の姿勢を「狂」と評し、孟子が「人の患いは好んで師と為るに在り」と言って以来、「後世の人々は、人の死となることを避けてきたのだ」として、韓愈の師道を批判したという。

韓愈は昔の聖人を引き合いに出して、今の衆人と比べて、師に対する態度が根本的違っていると説きます。聖人ですら師に付き随って「道」を学んだというのに、もっとできの悪い愚人が師に教えを請わないとは何事ぞ。「是の故に聖は益々聖に、愚は益々愚なり」と述べて、聖人と愚人の“格差”がますます広がるばかりと嘆くのです。格差と言っても出来不出来ではなくて、処世の態度と言えましょうか。生き方そのもの。延いては社会のレベル。

韓愈が言う聖人というのは、恐らく孔子を指すのでしょう。その門人との自由闊達な議論ができる師弟関係を羨望している。自分もその理想を体現すべく役所で後進の指導に当たるのみ。誰が何と言おうと貫くだけだ。

「さあ、若者よ俺に付いてこいや」。

伯楽不在の日本 実は名馬もいない?=韓愈「雑説下」(番外篇)

中国名文を噛み締めるシリーズは、韓愈の「師説」(明治書院「新書漢文大系・30 唐宋大家文読本<韓愈>」)の2回目をお休みして、われわれ日本人の間で最も人口に膾炙されている韓愈の作品の一つとされる「雑説下」(同・9 文章規範)を紹介します。「師説」は諸事情あり次回に回すことをお許しください。「雑説」とはいわゆる「随筆」のこと。心に浮かんだ「よしなしごと」をさらりと書き留めるもの。今回紹介する物は4篇ある「雑説」の最後。轗軻不遇を喞つ韓愈が、「人材登用」という要諦を君子に訴えることもできず、自らが天にぼやくばかりです。

世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。故に名馬有りと雖も、ア)に奴隷人の手に辱められ、1)ソウレキの間に2)ヘンシし、千里を以て称せられざるなり。

馬の千里なる者は、一食に或いは粟一石を尽くす。馬をイ)う者は、其の能く千里なるを知りて食わざるなり。是の馬や、千里の能有りと雖も、食飽かず、力足らずんば、才の美外にウ)れず。且つ常馬と等しからんと欲するも、得べからず。安んぞ其の能く千里なるを求めんや。

之をエ)うつに其の道を以てせず、之を食うに其の材を尽くす能わず、之に鳴くも其の意に通ずる能わず。策を執りて之に臨んで曰わく、天下に良馬無しと。嗚呼、其れ真に馬無きか、其れ真に馬を識らざるか。

1)「ソウレキ」=槽櫪。馬のかいばおけ、転じて馬小屋。「槽」も「櫪」も一字で「かいばおけ」。牛馬の餌を入れる容器。まぐさおけともいう。櫪馬(レキバ=うまやにつながれている馬、転じて、自由の利かない身の上のたとえ)。

2)「ヘンシ」=駢死。首を並べて死ぬこと、多くの者が死ぬこと。「駢」は「ヘン、ベン(呉音)」「ならべる」「ならぶ」とも訓む。駢脅(ヘンキョウ=一枚あばら)、駢偶(ヘングウ、ベングウ=語句を対句にしてならべる)、駢肩(ヘンケン=たくさんの人でこみあう)、駢植(ヘンチ=ならびたつ、いっしょに立つ)、駢田(ヘンデン=たくさんのものがならぶさま)、駢文(ベンブン=四字と六字の対句を並べそろえて用い、音調を重んじ故事を多く引用した技巧的な文章、四六駢儷体、四六駢儷文ともいう)、駢拇枝指(ヘンボシシ=いずれも役に立たない物)、駢羅(ベンラ=ならびつらなる)、駢列(ヘンレツ=たくさんのものがならぶ、駢比=ヘンピ=)。

ア)「祇に」=ただ・に。ひたすらに、ただ~だけの意を表す。どちらかというと「祗」の方が一般的で、これとの混同から生じた誤用だと思われます。音読みは「ギ」で「地祇」(チギ)、「祇園」(ギオン)、「神祇」(シンギ)を忘れずに。ちなみに「祗」は「シ」と読むので要注意。

イ)「食う」=やしな・う。食物を与えてやしなう、たべさせる。稍特殊な表外訓み。ここは、素直に「くう」と読んでしまったら意味が通らないですね。「飼」に当てた用法です。「やしなう」はほかに、「畜う、餔う、牧う、嘔う、豢う、鞠う、頤う、飼う」。

ウ)「見れず」=あらわ・れず。「見れる」は「あらわれる」。表外訓み。おもてに出てくること。

エ)「策」=むち。表外訓み。馬の腹を刺激する方の鞭。罪人を罰する「笞」(チ)とは違う。策鞭(サクベン)。韃、捶も「むち」。

ざっと解釈しますと、名馬はいても伯楽はいないものだから、たとえ名馬であっても見出されることなく、平凡な馬と首を並べて死ぬことがほとんどなのである。名馬は伯楽がいてこその名馬なのである。千里を走ることのできる馬も、十分な食料が与えられなければその能力を発揮することはできない。その飼い主も、自分の馬が千里も走ることなど知る由もないからである。すぐれた才能があってもそれを見出す人がいなければただの平凡な馬なのだ。それなのに「この世に優れた馬はいない」と嘆くとは。ああ、ほんとうに名馬がいないのではなく、名馬を見分けれらないだけなのに。

「伯楽」とはもと星の名で、天界の馬を司っているとされました。春秋時代、秦の孫陽は馬の鑑定に長けており伯楽と呼ばれました。

伯楽は君主、名馬は良臣を譬えるのは言うまでもありません。人材は市中にたくさん眠っているのに、上に立つものがそれを見出す力がなければ、才能は埃をかぶったまま、闇に葬られてしまうのです。錆び付いたまま、日の光の当たらない蔵の中でひっそりと一生を終える刀のままなのです。

韓愈は自らを名馬に譬え、どうして自分を重用してくれないのかと嘆いている。

翻って、日本社会。伯楽は勿論いないでしょう。しかし、名馬も本当にいないのではないか。人材の手詰まり感は色濃いぞ。本当に「教育」を何とかしないととんでもないことになるぞ。その時気づいても遅い。。。今ならまだ、いや、まだはもうかも。。。

求道の師は年齢貴賤に囚われず=韓愈「師説」1

中国名文を噛み締めるシリーズは引き続き韓愈から、今度は「師説」(シのセツ)を紹介いたします。明治書院の「新書漢文大系9・文章規範」(P8)によりますと、「韓愈は親分肌の人物で、多くの弟子を養成していた」とあります。石川忠久氏の漢詩鑑賞事典(講談社学術文庫)の韓愈の解説欄(P392)によると、「彼はよく後進を導き、詩人孟郊・賈島・張籍・王建・李賀、儒学者李翺らを門下から輩出した」。「圬者王承福伝」でも王承福の言辞を耳にして自らの鑒と反面教師としたように、人を教えたり、人から教えられたりするのが好きだったのでしょう。人間同士が上下の身分によらない関係を構築しながら、教えつ教えられつ道を進むことを実践しました。

題材として選んだ「師説」で韓愈は、「師の道」を宣揚し、師弟関係を結ぶことの意味を説きます。しかしながら、明治書院には続けて、そうした韓愈の態度は「当時の貴族的な人々の、嘲笑と攻撃の的となった。彼らからすれば、師とは子供に本の読み方を教える技術を授ける者であれば良いのであって、若僧(韓愈は当時34、5歳)がしたり顔で道を説くなど、笑止千万だった」とあります。若者を集めて徒党を組む韓愈に鼻持ちならなかった官僚たちが多くいたのです。それは、「そのような師弟関係による政治的発動も危惧され、非難と嘲笑がますます高まっていく」という危機意識が根底にはあったようで、韓愈の言動は当時の唐王朝でも無視できない存在だったのは間違いないところ。それに対して韓愈は真っ向から反駁するのです。

底本は明治書院「新書漢文大系」シリーズから、「30・唐宋代家文読本<韓愈>」を基盤としながら、「9・文章規範」の手も借りながら進めようと思います。3~4回シリーズで。漢字や言葉はそれほど難解なものは多くありません。

【1】
古の学者は必ず師有り。師は道を伝え業を授け惑いを解く所以なり。人は生まれながらにして之を知る者に非ず。ア)か能く惑い無からん。惑いて師に従わずんば、其の惑いたるや、終に解けじ。吾が前に生まれて、其の道を聞くや、固より吾より先ならば、吾従って之を師とせん。吾が後に生まるとも、其の道を聞くや、亦吾より先ならば、吾従って之を師とせん。吾は道を師とするなり。夫れイ)ぞ其の年の吾より先後生なるを知らんや。是の故に貴と無く賤と無く、長と無く少と無く、道の存する所は、師の存する所なり。

ア)「孰か」=たれ・か。疑問・反語の助字。誰が、誰を。音読みは「ジュク」。

イ)「庸ぞ」=なん・ぞ。反語の助字。どうして~か。表外訓み。「なんぞ」はほかに、「奚ぞ、那ぞ、奈ぞ、寧ぞ、曷ぞ、渠ぞ、烏ぞ、盍ぞ、胡ぞ、何遽、奚為、奚而」がある。いずれも読めるようにしましょう。

冒頭の「古の学者」とは、「論語・憲問」にある「古の学者は己の為にす」がモチーフ。所謂研究者や学識経験者ではなく、仁を取得するために日々学びを実践する人のことを指しています。韓愈自身が目指すべき求道者の姿です。その道を学ぶ上では「師」という存在が大きいという。

人は生まれながらに道を知っているわけではなく、師に随って学びとっていくものである。そして、ここで重要なのは年齢の上下や身分の貴賤は関係ないということです。縦んば、年下でも下賤な身分でも、自分より先に道理を知っている人であるならば、師として仰ぐべきであると言います。言い換えれば、道そのものが師である。人間の属性はどうでもよい。道理のあるところが師のあるところなのである。

導入部分としては非常に明瞭ですね。何が言いたいかはすっきりと入ってくる。ただ、どうしてわざわざこのくだりをイントロに持ってきているのかは韓愈なりの思いがありそうです。

明治書院「新書漢文大系30」(P73)によると、「貞元18年(802)、35歳になった韓愈は、遂に中央への任官を許される。職は四門博士。国士監(大学)は、身分の上の者から国士学、太学、四門学、律学に別れて学ぶ。韓愈はこの四門学の教員に任じられたのである」と解説が見えます。「師説」は、その意気揚々たるころに編まれたものです。儒学に傾倒した韓愈は孔子を師と仰ぎ、道の体得を追い求めました。果たして、師の神髄とは何でしょうか…?

国民のモラトリアムから食らう「竹箆返し」=韓愈「圬者王承福伝」4・完

中国名文を囓んで玩わうシリーズは、韓愈の「圬者王承福伝」(明治書院の「新書漢文大系30・唐宋八大家文読本<韓愈>」)の4回目、最終回です。いきなり結論チックですが、左官職人である王承福さんの職業観や自己規制に満ちた処世観に共感できる部分は多々あれども、その家族観を承服するわけにはいきません。職業と家族という別次元のものを天秤に掛けており、家族よりも職業の方が「主導権」を握っているという考え方は明らかに間違っている。人間が本来持っている可能性を一方的に、あるいは逃避的に排除している点に於いて、社会の構成員としては質的な水準が劣っていると思います。

もしかしたら王さんの言辞から滲み出る虚無的な「モラトリアム」は当時の唐王朝の社会風潮を象徴しているのかもしれません。社会的な貧富の差は極端だった。富める者は富み、貧する者は貧す一方。未来が開けない社会。そんな長らく続いた頽廃的な宮廷文化が廃れ始めて、新たな変革が起ころうとしていた時代背景。当時蔓延していた「手詰まり感」は、王さんのように一人一人は立派だが社会の構成員としては弱い、萎縮する国民を数多く生んでしまったのかもしれません。王さんのような国民ばかりだったら自分たちの代で社会は滅んでしまうのに。。。

デフレ経済、少子高齢化社会、格差社会に直面する現代の日本でも、「過大に物事を望んではいけない」というネガティブな国民が増えている。家族は要らないだとか、子供は欲しくないなどと考える向きが余りにも多い。生活の苦しさ、経済性だけを考えれば確かに家族は重荷だ。食い扶持があって初めて生きていけるという単純な摂理は抗いようもありません。しかし、人間としての損得は金や職業や経済だけでないことを改めて想起する必要があると思う。「楽」とか「苦」とかを二律背反的に余りにも対比しすぎている。楽も苦も生活に付き物であると考えれば、どちらも素直に受け入れられるもので、どちらが優位劣位ではない。苦しさから逃げ、楽しさを求めるのは自然なことではあるが、それは家族を持とうが持つまいが同じことなのです。苦楽と家族の有無とリンクさせること自体はは無意味なのです。いや、寧ろ家族を持つことの方が楽も苦も熟し得ると思うべきだ。そのことを人生の先輩である我々はもっと若者に分かりやすく訴える必要があるでしょう。

韓愈もそうした点に於いて王さんの言辞を全否定も、全肯定もできずに、自分がこれから生きていく上での「戒め」として残すために、この伝記を書き記したのだと言います。今から1200年ほど前の中国で…。日本は平安王朝が始まったばかり…。

【4】
愈始め聞いて之に惑う。又従って之を思うに、1)ケダし賢者ならん。ケダし所謂独り其の身を善くする者ならん。然れども吾はア)有り。其の自ら為にするや多きに過ぎ、其の人の為にするや少なきに過ぐるを謂う。其れ楊朱の道を学ぶ者か。楊の道は、肯て我が一毛を抜いて天下を利せず。而うして夫れ人家有るを以て心を労すと為す。肯て一たび其の心を動かして、以て其の妻子をイ)わず。其れ肯て其の心を労して以て人の為にせんや。然りと雖も其の世の之を得ざるを患えて、之を失うことを患うる者、以て其の生の欲を済し、2)タンジャにして道亡く、以て其の身をウ)す者に賢ること其れ亦遠し。又其の言に以て余をエ)む可き者有り。故に余之が伝を為って自ら鑒みるなり。

1)「ケダし」=蓋し。漢文訓用法で「思うに、たぶん」と訳すとぴたりとはまる。全体を見渡して推量する意。通常は文頭、あるいは述語の前に来る。または「そもそも、一体」と訳せば、議論を起こしたり、結論を導き出す意を表す。ここでは前者。

2)「タンジャ」=貪邪。強欲でけがれている、欲が深くよこしまなさま。「貪」は「むさぼる」とも訓む。音読みでは「タン、ドン、トン」。貪位(タンイ=実力も無いのに地位を焦り求める)、貪汚(タンオ=汚職、欲深く心が汚い、貪悪=タンアク=)、貪枉(タンオウ=欲が深くて心の曲がった人)、貪猾(タンカツ=欲深くてずるい)、貪看(タンカン=むさぼり睹る、くいいるように見る)、貪競(タンキョウ=むさぼり競う)、貪残(タンザン=欲深くてむごい、貪虐=タンギャク=、貪酷=タンコク=)、貪色(タンショク=女色を非常に好む)、貪生(タンセイ=何とかして生き長らえようとする)、貪叨(タントウ=欲が深い)、貪鄙(タンピ=欲深く心が卑しい、貪卑=タンピ=)、貪夫(タンプ=欲深い人、貪夫徇財=タンプジュンザイ=)、貪冒(タンボウ=むりをしてむさぼり求める、貪墨=タンボク=)、貪暴(タンボウ=欲深くあらあらしい)、貪名(タンメイ=名声や評判をむりして求める)、貪慾(タンヨク、ドンヨク=自分の心の欲するものをむさぼり求めること)、貪吏(タンリ=欲深く、わいろをとる役人、貪官=タンカン=)、貪利(タンリ=利益をむさぼる)、貪吝(タンリン、ドンリン=欲深くケチ、貪悋=タンリン=)、貪戻(タンレイ=欲深く道理に負いている)、貪恋(タンレン=ひどく物事にひかれること)、貪狼(タンロウ=欲深なオオカミ、欲深くえげつない人)、貪見(ドンケン=物事に執着しておこす、さまざまな悪い考え)、貪著(トンジャク=度を越して物事に執着する)、貪食(ドンショク=やたらにむさぼり食う)、貪婪(ドンラン、タンラン=非常に欲深い)。

ア)「譏」=そしり。非難、ケチをつけること。「とがめる」とも訓む。音読みは「キ」。譏呵(譏訶)=キカ、きつくそしりしかる、非難して責めること、譏議(キギ=過失や欠点を挙げて非難する)、譏嫌(キゲン=そしりきらうこと)、譏察(キサツ=罪などを細かくとがめて調べる)、譏讒(キザン=告げ口する、そしり)、譏刺(キシ=きつく相手の欠点をつく)、譏揣(キシ=人の長所・短所を非難してもみくしゃにする)、譏誚(キショウ=とがめてけなす)、譏排(キハイ=非難して退ける)、譏評(キヒョウ=事物の欠点などを挙げて批評する)、譏諷(キフウ=遠回しにそしる)、譏謗(キボウ=きつくそしる、悪口をいう、譏誹=キヒ=)。「そしり」「そしる」はほかに「毀、誚、誹、謗、詆、讒、刺、詛、詬、誣、譖、譛、貶、非」もあります。いずれも送り仮名「り」「る」が付くケースも多い。

イ)「畜わず」=やしな・わず。「畜う」は「やしなう」。大切にしてかばう。また、かばってやしなう。表外訓み。この意味の音読みは「キク」。畜養(キクヨウ=かばってやしなう、大事に育てる)。「やしなう」はほかに「牧う、嘔う、豢う、鞠う、頤う、飼う、餔う」がある。

ウ)「喪す」=ほろぼ・す。やや特殊な表外訓み。見放す、見捨てる。喪亡(ソウボウ=ほろびる、喪滅=ソウメツ=)。「ほろぼす」はほかに、「亡ぼす、剪ぼす、剿ぼす、勦ぼす、殱(殲)ぼす、翦ぼす、誅ぼす」がある。

エ)「警む」=いまし・む。「警める」は「いましめる」。はっと身を引き締めさせ、用心させる。表外訓み。警飭(ケイチョク=油断をいましめる)、警抜(ケイバツ=油断が無く賢い)。「いましめる」はほかに、「撕める、箴める、縛める、誡める、鐫める、飭る」。

韓愈は言う。恐らく王さんは「賢者である」と。しかし、全面的に賛成できない部分がある。「彼が自分の為にすることが多いのに比して、彼が人の為にすることが少なすぎる」と断じます。ここで古代中国・春秋戦国時代の有名な利己主義である「自愛説」を唱えた学者、「楊朱」を引き合いに出します。楊朱の道理によると、一本の毛でさえ、自ら抜いて天下の利益になることはしないという。そして、妻子を持つことを心を労する厄介なことだと思う。人の為に何かをするという発想がないのです。己の欲望の赴くままに行動することを是とするのです。

現代の日本社会もそうかもしれません。戦後、経済発展一本鎗で進んできただけに、経済が倒け始めると、その対症法に手詰まりが生じている。若者が家族に魅力を感じなくなっている。仕事に夢を抱かなくなっている。自分が楽しければそれでいい。「どうせ」が口癖。投げ槍。心の荒み。教育が間違っていたとしか言わざるを得ません。アメリカの個人主義や利己主義に癆れ過ぎました。喜びを見出すべきポイントを誤った。ここで滅私奉公とは言わないが、改めて家族のつながりを考える好機が到来したと考えてみてはどうでしょうか。

韓愈は一方で、王さんの言辞には一定の真理があるとして肝に銘じておきたいと言います。栄達を索め、求めては失うまいと、飽くなき欲望を貪り邪な道に入り込んで、剰え身を滅ぼしてしまう奴らよりは王さんの方がよほど優れている。現実からは逃避傾向にある王さんだが、人の道から外れているのではないから、まだ立て直す可能性はあるということでしょう。

明治書院(P52)によると、「『愈始めて聞く……』と始まるこの部分は、正史の列伝に倣っての論賛部である。韓愈は、王承福が「人の為にする」ことが少なすぎる事が気に入らないと言う。それもさることながら、本心は最後の部分にある。名誉と富貴を捨て、左官を生業とし、身の丈で生きる王承福。韓愈は王承福の口を借りて、地位を得た者の在り方を問い質しているのである」とあります。

暴利をしゃぶり尽くし、人民を顧みず自分らの安佚だけに関心を寄せる官僚、諸侯ら。彼らは破滅への「竹篦返し」をモラトリアムに陥った人民から食らうことになります。政治家は国民によって選ばれ、国民によって落とされる。政治家が勝手に没落するのは構わないが、国家が衰退し、消えて行くのは許せるのか。明日を夢観ない国民が今日を生きることはできるのでしょうか?
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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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