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ピカドン!…日本最後の漢詩人とも呼ばれる土屋竹雨のど迫力の漢詩はいかが?=「原爆行」

日本漢詩シリーズの最後は土屋竹雨(1887~1958)の「原爆行」。竹雨という漢詩人については、明治書院・新書漢文大系シリーズ⑦「日本漢詩」(P235)によると、「山形県鶴岡の人。数多くの詩社に関係し、昭和の前半を代表する漢詩人であった」とありますここ。ネットで検索すると「日本の漢詩は竹雨で終わった」のコメントも見えます。庄内藩士の家に生れ、戦後現在の大東文化大の学長も務めました。

前置きはともかく詩を味わってみてください。日本最後の漢詩人はさすがにど迫力ですよ。

怪光一綫下■■
■■地震天日昏
一刹那間陵谷変
城市台榭帰■■
此日死者三十万
生者被創悲且■
死生■■不可識
妻求其夫児覓親
阿鼻叫喚動天地
■■血流屍横陳
殉難殞命非戦士
被害総是■■民
広陵惨禍未曾有
■■更襲崎陽津
A)二都荒涼雞犬尽
壊牆墜瓦不見人
如是残虐天所怒
■■更過狼虎秦
君不聞■■鬼哭夜達旦
■■雨暗飛青燐

怪光一綫1)ソウビンより下る、
2)コツゼン地震うて天日昏し。
一刹那の間陵谷変じ、
城市台榭3)カイジンに帰す。
此の日死する者三十万、
生ける者は創を被り悲しみ且つ4)ウメく。
死生5)ボウボウとして識るべからず、
妻は其の夫を求め児は親を覓む。
阿鼻叫喚天地を動かす、
6)ハクトウ血流れて屍横陳す。
難に殉じ命を殞とすは戦士に非ず、
害を被るは総て是れ7)ムコの民。
広陵の惨禍未だ曾て有らず、
8)コグン更に襲う崎陽の津。
A)二都荒涼雞犬尽き、
壊牆墜瓦人を見ず。
是の如き残虐は天の怒る所、
9)キョウボウ更に過ぐ狼虎の秦。
君聞かずや10)シュウシュウとして鬼哭し夜旦に達し、
11)ザンカク雨暗くして青燐を飛ばすを。





明治書院(P240)によりますと、「漢詩というスタイルがこのような表現力を持っていることに、まず驚きを禁じ得ない。私たちが目にする漢詩の多くは、一言で言えばあらゆる意味において名場面を描いている。春の花、秋の夕暮れ、山中での悠々たる生活。この詩はそうした漢詩の持つイメージを一変させる。すべて一四三字、たったこれだけの文字で原爆の惨状をかくまで写す詩を他に知らない」と解説されています。続けて、「事は誰もが知っている同時代の出来事であるだけに、読者の胸に圧倒的な力をもって迫ってくる。叙事詩とは本来そういったものなのであろう」とあります。

逐一の細かな解釈は省きますが、冒頭の「怪光一綫」はまさに原爆の異称である「ピカドン」と符合する。週刊少年ジャンプで連載された漫画「はだしのゲン」の世界ですね。「一閃」ではなく「一綫」。「綫」は「線」の異体字。ひとすじの怪しい光。「陵谷変じ」は、詩経・小雅にある「高岸為谷、深谷為陵」が出典で「物事の激しい変化・盛衰をたとえる言葉」。滄桑之変ともいう。「陵」は「みささぎ・おか」の意。「台榭」(タイシャ)は「土を盛り上げた見晴らし台と、屋根のある見晴らし台、高殿」。「横陳」は「横たわり並ぶこと」。死体の数が多いさまを言う。「雞犬」は「にわとりといぬ」ですが、陶淵明の桃花源記のタームで「街が平和である象徴」。「壊牆墜瓦」(カイショウツイガ)は「垣根が壊れ、屋根瓦が崩れたさま」をいう。「狼虎の秦」は、米軍の残虐な行為を中国の秦の暴謔に喩えた言葉。狼や虎のように残虐無比である。最後の「青燐を飛ばすを」は明治書院の読み下しでは「青燐飛ぶを」となっていますが、「飛ぶ」は自動詞でなく他動詞で読むべきでしょう。「君不聞」は唐詩で頻出の表現。楽府体の詩の常用語です。読者に向かって「君」と呼びかけて、同意を強く求める効果があり、読者を臨場感たっぷりに詩の世界に引き込んでいくのです。

明治書院には書かれていませんが、この詩は明らかに杜甫の「兵車行」を本歌取りとして詠まれています。杜甫が四十歳の時、出征兵士との問答形式で玄宗皇帝の領土拡大政策を批判しました。兵車行の表現が随所に鏤められています。今回は省きますが、機会があればこの詩もご紹介したいですね。ただ一点だけ。兵車行は唐代の事なんですが、漢代の武皇と称し、漢代の批判をしているところがミソ。竹雨の「原爆行」も「胡軍」や「狼虎の秦」などの言葉を用いており、どこにも米軍の「べ」の字もありません。いかにも中国風にアレンジしているのです。日本の地名も支那風味で採り入れています。恐らく戦後間もなき頃に詠まれた詩であり、GHQの検閲も厳しかったことから、直接的な表現を控えたものと思われます。むろん、元々が漢詩であって支那風味になっているので原爆投下という怖ろしい風景が三国志か何か遠くの国の出来事のようにしている点がさらに恐ろしさを増している。竹雨は決して米軍批判をしたいがためだけで詠んだのではないでしょう。そうした事態を招いた日本政府の無為無策。歴史の隘路。常に政治の犠牲者は罪のない国民であり、国が変わらなければならないことを訴えたかった。「殉難殞命非戦士 被害総是無辜民」。

明治書院の最後には「漢詩というスタイルが今なお重要な表現手段であることを再認識させる詩として長く記憶されねばならない作品である」と結んでいます。この言辞は噛み締めたいと思います。このblogが存在する限り、折に触れて漢詩を紹介していくつもりです。


■下線部A)の具体的都市名を詩中より抜き出して書け。

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「頭数だけ揃えるんじゃねぇ!志持てよ」って言いたくなる憂国の漢詩はいかが?=「党人歎」

「消費増税する前に国民に信問え」「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加なら解散しろ」――。相も変わらず国会論戦が低レベルの極みを続けていますね。今が勝てると思えば(国民の票が取れると思えば)、野党議員は選挙、選挙の連呼です。今の政治家は思考回路が短絡過ぎる。それは政権を獲ることだけが目的化されているからです。二大政党による政権交代が初めて現実化したばかりで「やられたらやり返す」といった怨念しかないのが見え見え。政党ってなんだろう?小選挙区制が政治家の質を落としたと今更詮方ない繰り言も聞かれますが、そんなことはない。小であれ中であれ大であれ、要は個人の資質の問題。志に関わるものです。政治家の質は、政党政治が始まった明治期から低かったのです。そんな混沌とした離合集散が繰り広げられていた創世記に、堕落した政党人を歎いた漢詩人がいました。彼の名は安井朴堂(1858~1938)。明治書院・新書漢文大系シリーズ⑦「日本漢詩」(P223)によると、「朴堂は通称の小太郎を用いて、安井小太郎と呼ばれることが多い。安井息軒の外孫。島田篁村の門に学び、明治・大正・昭和の三代にわたって子弟の教育にあたり、その講義録が主な著作になっている」という人物。

同書に所収されている朴堂の詠じた「党人歎」は、「明治三十一、二年ごろの政党人の対立、抗争、謀略に憤慨して作ったもの。この時期の政界は、伊藤博文の立憲政友会結成の前夜で、大隈重信、板垣退助、山形有朋、松形正義らが抗争をくり返していた」とあります。

【白文】
党人党人汝何職
飢則■■飽則黙
党利甚重国利軽
■■幾百尽臧獲
巧言如■■為烏
手握利権虎有翼
天子待汝以国士
盍致臣節任■■
山可抜兮鉄可磨
嗟乎党人如汝何



【読み下し文】

党人党人汝何の職ぞ、
飢うれば則ち1)ホウコウし飽けば則ち黙す。
党利甚だ重くして国利軽し、
2)トウロ幾百尽く3)臧獲
巧言4)コウのごとく5)サギを烏と為す、
手に利権を握れば虎に翼有り。
天子汝を待つに国士を以てす、
6)ぞ臣節を致して7)ホヒツに任ぜざる。
山は抜くべく鉄は磨すべし、
8)嗟乎党人汝を如何せん。



朴堂は、聊か侮蔑的なニュアンスを含みながら「党人」と呼びかけます。もちろん彼らは国民の代表である代議士でもあります。しかし、何のために政党があって議員がいるのか分からなくなる。そんな風体に呆れて「党利」と「国利」を天秤に掛けます。一体君らはどちらが重いのか分かっているのかい。頭数だけ多い国会議員に業を煮やす。まるで盆暗の奴隷のようだと扱き下ろす。口先だけ御上手。白い物までみんな黒と言い含められるテクニック。奴らは弁論のテクだけは長けているのだ。そして、いったん政権を取ってしまえば鬼に金棒、虎に翼。為虎傅翼。明治時代の風景がそのまま100年以上たった現在の姿に重なりませんか?まるで進歩がないのです。最後の四句はそのままいまの国会議員に贈りたい。天皇陛下はいまや国民の象徴ですが、国民の代表であるはずの「国士」がどこにもいないではないか。国を憂うべきであろう。そうすれば何をどうすればいいか自ずと判然とするではないか。政党や議員は単なる手段にすぎぬであろう。民主主義が数合わせのゲームにすり替えられている。志のある奴はおらんのか。気がつけば国がなくなりかねないとも限らないのに、そうした危機感のある奴は一人もおらんのか?

朴堂は子弟教育に生涯を捧げました。人材の払底こそが国力の衰退を招くとの危惧を持っていたのです。それは眼前の政治に代わる新しい政治の担い手を育てたいという一心しかなかったのではないでしょうか。日本国が大きく姿を変えた幕末維新を目の当たりにした人だからの視点だった。幕末の推進力が変形していったことが看過できなかった。経済破綻が世の中を揺るがす昨今、新しい政治が必要であるのは言うまでもない。それを担える人材を育てることこそ求められているのではないでしょうか。そんな思いを新たにさせてくれた憂国の思いに満ちた漢詩でした。


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「この恨み晴らさでおくべきか」…恐怖のどん底に落ちる漢詩はいかが?=「牛蠱行」

横井也有の「鶉衣」シリーズはまだ終えるつもりないですが、一方で満腹感も出てきたのが正直なところ。一つの作家やジャンルにこだわることなく、鶉衣も含めて、思い付くままにさまざまな文献を不定期に取り上げることといたします。過去に御紹介したものでも面白い物があれば再登場もあるかも。その中で以前連載した日本漢詩シリーズですが、明治以降の作品が疎かでした。欧米文化が浸透するにつれ隅っこに追いやられ現在に至る漢詩。その筋肉質な文体は簡にして要。言いたいことをズバズバと言える勝れ物です。敢えて言います。これを翫わわずして「漢字学習者」を語る勿れ。

今回から三回シリーズで「へぇ~、漢詩ってこんなものまで詠めるんだ」と漏らすこと必定の三作品を取り上げます。第一回は、大須賀筠軒(1841-1912)の「牛蠱行」(明治書院・新書漢文大系シリーズ⑦「日本漢詩」所収)。同書によれば、筠軒は磐城平(現在の福島・いわき市)の人。江戸・昌平黌に学び、安積艮斎の指導を受け、明治維新後、仙台に住み、第二高等学校の教授を務めました。中央に出ることはなく生涯を東北の地で過ごし、子弟の教育に当たりました。

さて、この「牛蠱行」ですが、人間の怨念に満ち満ちており、何ともおどろおどろしい内容になっています。「牛」は「丑の刻」のこと。草木も眠る丑三つ時。「蠱」は「のろい」。もともとは、まじないに用いる虫のこと。一つの器に虫を入れて共食いさせて、生き残った虫の毒気でかたきをのろう迷信から来ています。ここから転じて女性がその色香によって男性を惑わす意味が派生。蠱惑(コワク)の語が生まれました。蠱疾(コシツ)とは、「女性関係から来る心の乱れ」を言います。同じ「コシツ」でも、「煙霞痼疾」とはまた別の代物ですよ??

【白文】
草木夜眠水声冷
神灯欲死痩於星
千年■■半身朽
仄立■■鬼気腥
纏素娘子藍如面
頭戴■■手鉄釘
長髪■風鬅鬆乱
石壇無人影伶仃
泣掣鈴策拝且訴
此恨不徹神無霊
※釘響絶夜■■
■■一声山月青

※=「手ヘン」+「豕の下に一」→「うつ」と訓読。音読みは「タク」。

【読み下し文】
草木夜眠って水声冷やかに、
神灯死えんと欲して星よりも痩せたり。
千年の1)ロウサン半身朽ち、
仄立の2)コビョウ鬼気腥し。
素を纏える3)娘子藍如たる面、
頭には4)ギンショクを戴き手には鉄釘、
長髪風に5)クシケズって6)鬅鬆乱る、
石壇人無く影伶仃。
泣いて鈴策を7)いて拝し且つ訴う、
此の恨み徹らずば神も霊無しと。
釘を※つ響き絶えて夜8)ゲキセキ
9)老梟一声山月青し。



同書によりますと、鬼気迫る「丑の刻まいり」を詠んだ詩とあります。「嫉妬深い女が、人を呪い殺すために、丑の刻(午前二時ごろ)神社に参り、頭上に五徳(三脚の金輪)をのせ、ろうそくを灯して、手に釘と金鎚を持ち、胸に鏡を吊るし、呪う相手の人形を神木に打ちつけると、七日目の満願の日にはその人が死ぬと信じられていた」といいます。京都の貴船神社が有名。

前後の文脈はあるのでしょうが、この漢詩だけいきなりぽんと出されると何とも怖ろしいですね。「伶仃」(レイテイ)は「一人ぽつんと立つさま」。「零丁孤苦」(レイテイコク)という成句が李密の「陳情表」が出典であることは以前学習しました(ここ)が、この「零丁」と同義です。とにかく孤独なのです。

「此恨不徹神無霊」――。聖なる神をも威嚇する鬼気迫るフレーズ。まさに鬼の形相とはこの事を言うのでしょう。最後の「老梟一声山月青」はいかにも漢詩という一節ですが、その情景と余韻はこの詩を読み終えた人を恐怖のどん底に落し入れますね。もしも自分が誰かに恨みを買って呪われていたら…?そんな空恐ろしい妄想すら現実感を伴って襲い来ることを止められません。漢詩の持つ一定の単調なリズムが却って恐怖心を煽ります。七日目の夜の描写なのでしょうね。最後の釘を打ち終えた後、牛と出逢うらしい。そして、その牛を乗り越えた暁に願いがかなうといいます。まさに「牛蠱行」。こんなに怖ろしい漢詩を読んだのは初めてです。人の心理描写にはあまり向いていないとされる漢詩ですが、そんなことはない。かくも内面を描写できる漢詩の持つ潜在力に圧倒されました。少し寒くなってきました。この辺で終えておきましょう。

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無力な人間どもよ 大自然を前に神に祈るしかないのだ=「鶉衣」(26)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの26回目は、「送咳気神表」(後編下一七九、下巻217~219頁)を取り上げます。「咳気神」とは「せきの神」。現代で言うインフルエンザのことでしょう。「秋の初かぜ」とあるから七月の比。この文章が書かれたのが也有、三十二歳・享保十八年(1733)のことで、インフルエンザが大流行しました。この間、所謂江戸四大飢饉の一つ、「享保の大飢饉」の真っ最中でもあり、天変地異に人々が苦しんだのです。

今年秋の初かぜ身にしみわたるより、老となく若きとなく1)エッキになやみて、注1)清涕(みづばな)の露草葉を争ひ、穂薄のかしらふらつきて、喰物の味もいさしら河のそれならずも、とめがたきA)●●に苦しみぬ。上は玉だれのひまより2)センヤクのかほりほのもるゝより、下はあやしの柴ふる人までも、かしらをからげずといふ事なし。芝居入りなうして盆狂言の3)ヤグラマクいたづらにしぼり上げ、色里客たえて夜見世の行燈かゝぐるによしなし。葛西の瓜畑も下冷に守る人なければ、隅田川の渡守も発熱にこがれこがれて、水馴竿のB)細元でを流す。祈禱の法師も長髪に4)ニンニクの姿を失ひ、注2)貴禰(きね)の祝詞の声うらがれたり。医者・売薬の門のみ賑ひて、C)きのふ剃りの匕先も、5)ショウキサンにやすむひまなく、かれらは時を得たるに似たれど、さして手柄の療治ならねば、はかばかしき薬代もよるまじ。

噫、此秋いかなればかゝる災を下して、6)リミンにくるしみをかけ給ふぞ。願はくは天神7)チギ愛愍の注3)眸(まなじり)をめぐらして、咳気の8)ジャシンを速かに西の海へ送り給へ。さらば臣等9)幣帛のむつかしきわざはしらずとも、笹の葉にしで切りかけ太鼓をならして、及ばずながらちからを合せ奉るべしと、10)タンセイを抽でて、告げ奉る。11)ビシをそれみそなはし給へ。




この文章の表題にある「表」は、「臣下が王を悟らしめるために明白に文章に表わして奏上する意」(岩波)。血気盛んな也有が神に祈って、この流行を遏めていただきたいと上申したことを含意しているのです。当時彼は江戸で勤務していました。神に祈るしか手がなかったのでしょう。それほどインフルエンザが流行し、拱手傍観するばかりだった。ちっぽけな人間たちは、自然の猛威が当時のみならず現代社会においても収まることはことはないことを身に沁みるのです。地震の揺れ、津波、大震災を受けた原子力の恐怖などもその類でしょうか。「笹の葉にしで切りかけ太鼓をならして、及ばずながらちからを合せ奉るべし」――。無力な人間はここにおいても神頼みしか手はないのか。


注1) 「清涕」の「涕」は「なみだ」。「はな」ならば通常「洟」の字を充てますが、涙と洟が一緒に出てくるのは生理上の道理。「清」を被せて、じゅるじゅると粘りがあるよりは透明感の強いさらさらの「みずばな」と訓ませている。

注2) 「貴禰」は、「禰宜」(ねぎ)をひっくり返した「宜禰」(きね)に同じ。神主の意。「巫覡」(フゲキ)を「きね」とも訓むのでここからの連想も。

注3) 「眸」は通常、「ひとみ」。目玉の意味ですが、ここは「まなじり」と訓ませています。これは「目じり」のことで通常は「眥」か「睚」を充てる。素直に「ひとみ」と訓ませていいのではないでしょうか。それとも当時は「ひとみ」の訓みはなかったのか?「ボウす」と読めば、「目を見開いてよくみる」の意。恐らくこの連想から、決眥(まなじりをケッす)を充てたものと思われます。

下線部A)●●には、平仮名で二文字の掛け言葉が入る。記せ。
下線部B)の意味を記せ。
下線部C)の意味を記せ。

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今度は虫だ!也有が注ぐ温かい眼差しの意味を知れ=「鶉衣」(25)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの25回目は、「百虫譜」(前編下四七、上巻213~229頁)を取り上げます。魚の次は虫です。われわれが日常目にする虫にほとんどを網羅していると言っていいでしょう。也有がこんな小動物にも温かい眼差しを注いでいるのはなぜなのでしょうか。単なる虫オタクではなさそうです。一番最後のくだりにそのヒントが隠れているようです。かなり長い文章ですが一挙掲載。問題数がいたずらに細かく多いので多少読みにくくなっていることをお許しください。できうれば岩波文庫で原文を改めて読み通して見ることをお勧めいたします。




A)■の花に飛びかひたる、やさしきものゝかぎりなるべし。それも啼く音の愛なければ、α)★にくるしむ身ならぬこそ猶めでたけれ、さてこそ荘周が夢も此物には託しけめ。只B)■のみこそかれにはやゝ並ぶらめど、糸につながれ、1)にさゝれて童のもてあそびとなるだにくるしきを、「あほうの鼻毛につながるゝ」とは、いと口おしき諺かな。美人の眉にたとへたるC)■といふ虫もあるものを。

子を持てるものは、その恩愛にひかれてこそ苦労はすれ。D)■の他の虫をとりて我子となす、老の行衛をかゝらんとにもあらず。何を譲らむとてかくはほね折るや。「我に似よ似よ」とは、いかにをのが身を思ひあがれるにかあらむ。「花に狂ずる」とは詩人の称にして、歌にはさしもよまず。2)ミツをこぼして世のためとするはよし。只人目稀なる薬師堂に大きなる巣作りて、掃除坊主をおびやかさんとす。それも針なくば人にはにくまれじを。

E)■は『古今』の序にかゝれてより、歌よみの部に思はれたるこそ幸なれ。朧月夜の風しづまりて、遠く聞ゆるはよし。古池に飛んでa)翁の目さましたれば、此物の事さらにも謗がたし。

F)■はたゞ五月晴に聞きそめたるほどがよきなり。やゝ日ざかりに啼きさかる比は、人の汗しぼる心地す。されば初蝶とも初かはづともいふ事をきかず。此物ばかり初F)■といはるゝこそ大きなる手がらなれ。「やがて死ぬけしきは見えず」と、此ものゝうへは、翁の一句に尽きたりといふべし。

G)■はたぐふべきものなく、景物の最上なるべし。水にとびかひ草にすだく。五月の闇はたゞこの物の為にやとまでぞ覚ゆる。しかるにb)貧の学者にとられて、油火の代にせられたるは、此ものゝ本意にはあらざるべし。歌にG)■火とよませざるは、ことの外の不自由なり。c)俳諧にはその真似すべからず

H)■は多きもやかましからず。暑さは昼の梢に過ぎて、夕は草に露をく比ならん。I)■といふせみは、つくし恋しともいふ也。筑紫の人の旅に死して此物になりたりと、世の諺にいへりけり。哀は3)ショッコンの雲に叫ぶにもおとるべからず。

J)■はたくみに網をむすんで、ひそまつて物を害せんとす。待つくれの歌によまれ、又は4)タイインの媒ともなりたれど、ひとへに5)カンゾクの心ありていとにくし。古代朝敵の始として、頼光をさへおびやかしたる、いと怖ろし。さはいへ6)ハイタクの荒れたる軒に、蝉の羽などかけ捨てたるは、いさゝかあはれそふ折もあらんか。かれはかひがひしく巣つくりてこそあれ、東海道にちりぼひたる宿なし者をば、J)■とはいかでいふやらむ。

K)■は腹だつものにたとへ、L)■はむつかしき親仁の号とす。背むし・吝むしは名のみして虫ならず。M)■といふは、虫にありてにくまれず、人にありてきらはる。

N)■の生涯は世の為に終り、O)■はたがために身をこがすや。P)■ははかなきためしにひかれ、7)タデくふむしは、不物ずきの謗となれり、さは俳諧するものを、俳諧せぬ人のかくいふ折もあるべし。

おなじ宝石の名によばれて、Q)■はやさしく、R)■はいやし。

S)■は明くれにいそがしく、世のいとなみに隙なき人には似たり。東西に聚散し、餌を求めてやまず。いつか8)カイアンの都をのがれて、その身の安き事を得む。さるもたよりあしきかたに穴をいとなみて、9)センジョウの堤を崩すべからず。

T)■は欧陽氏に憎まれ、U)■は長嘯子にあはれまる。

狗の歯に噛まるゝV)■はたまたまにして、猿の手にさぐらるゝW)■は、のがるゝ事かたかるべし。

W)■を千手観音と呼ぶに、X)■は梶原といへり。さるは梶原が異名なりや、X)■が異名なりや、先後今はしりがたし。

Y)■は只水に有べきものゝ、いかで草葉に遊ぶらん。家は持ちだれども、ゆく先々を負ひあるくは、水雲の安きにも似ず。

蛇・Z)■の足なくてもあるくべくば、甲)■・をさむしの数多きは不用の事なり。

乙)■の痩せたるも、10)オノを持ちたるほこりより、その心いかつなり。人のうへにも此たぐひはあるべし。

丙)■のあゆみにたとふべきものこそなけれ。たゞ原・吉原をβ)★にのりて、富士を詠めゆく人には似たり。

11)促織・鈴虫・くつわ虫は、その音の似たるを以て名によべる、松むしのその木にもよらで、いかでかく名を付けたるならん。毛生ひむくつけき虫にも同じ名有りて、松を枯し人にうとまる。一在所にふたりの八兵衛ありて、ひとりは後生をねがひ、ひとりは殺生を事とす。これまつむしのたぐひなるべし。

きりぎりすのつゞりさせとは、人のために夜寒をおしへ、藻にすむ虫は、我からと、只身の上をなげくらんを、丁)■の父よと呼ぶは、12)ヤモリの妻を思ふには似ず。されど父のみこひて、などかは母をしたはざるらん。

戊)■はにくむべき限ながら、さすが卯月の比、端居めづらしき夕べ、はじめてほのかにきゝたらむ、又は長月の比、ちからなくのこりたるはさびしきかたもあり。■屋釣りたる家のさま、■やり焼く里の烟など、かつは風雅の道具ともなれり。藪■は殊にはげしきを、かの七賢の夜咄には、いかに団の隙なかりけむ。

むかし銀に執心のこせし住持は、蛇となりて銭箱をまとひ、花に愛着せし佐国は、蝶となりて園に遊ぶ。そも俳諧に心とめし後の身、いかなる虫にかなるらん。花にくるひ月にうかれて、更行く行灯の影をしたひ、なら茶の匂ひに音を啼くらんこそ哀なるべけれ。




最後のくだりに出てくる「むかし銀に執心のこせし住持」と「花に愛着せし佐国」はともに物にこだわって虫になった人の代表格。前者は今昔物語、後者は鴨長明の発心集。強欲な僧侶が金を隠して死んだ後も、執念が現世に残って大蛇となった。佐国が花を愛して死後もあの世で花を賞で続けている。それでは俳諧にのめり込んでしまうとどうなるのか。どんな虫になってしまうのであろうかと也有は考えます。花に狂うのか。月に取りつかれるのか。夜更けに行灯の下で句作を練るのか。奈良茶づけの香りに鼻を鳴らすのか。俳諧師を虫に喩えているのです。よほどのリアリストですね。和歌のように美化することはしないのです。綺麗事を並べ立てることのなんと虚しいことか。俳諧とは生きることそのものを写し取ることなのでしょう。腹がすいたら音を鳴らして食べる。それすらも句にできるのです。身の周りに題材にならないものなど一つとしてない。下賤なものも下等なものも何でもに気を配り、心を遣り、極小の世界に落とし込んでいく。数々の貪生の虫たちに生きることの意味を見出すのはそれほど難しいことではないのかもしれません。それは自らの姿に過ぎないからなのでしょう。金にせよ色にせよ出世にせよありとあらゆる欲望も所詮は生きることの変化形。虫たちと何ら変わりない。改めて生きることの虚しさと楽しさを教えてもらったような気がします。以上です。



■A)~C)に適切な虫の名を入れよ。

■D)に入る虫の名を入れよ。漢字一字。

■E)には虫というよりは小動物の名が入る。入れよ。

■F)に入る虫の名を入れよ。

■G)に入る虫の名を入れよ。

■H)~I)には、セミの種類が入る。

■J)に入る虫の名を入れよ。漢字二字或いは二字。

■K)~M)には、「油むし」「芋虫」「毛虫」のいずれかが入る。それぞれ適切な虫を選択せよ。

■N)~P)には、「蚕」「火とりむし」「蜉蝣」のいずれかが入る。適切な虫を選択せよ。

■Q)とR)には、かたや「こがね虫」、こなた「玉むし」が入る。選択せよ。

■S)~乙)に入る虫名を漢字一字で記せ。但し、S)、T)、V)、W)は漢字一字、U)、X)、Y)、Z)、甲)、乙)は漢字二字。

■丙)には、虫ではなく海の生き物が入る。漢字一字で記せ。

■丁)には、虫の名が入る。漢字二字で記せ。

■戊)には、虫の名が入る。漢字一字で記せ。

■下線部a)は誰のどういうことを言っているのか、記せ。

■下線部b)は、蒙求の題名にもなっている有名な四字熟語がある。記せ。

■下線部c)はなぜか。記せ。

★αとβにはそれぞれ「かご」と訓む漢字が一文字ずつ入る。前後の文脈から適切なものを考えて入れよ。

問題の正解などは続き以下にて。

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魚は美味い!だから詠むのか?詠まないのか?=「鶉衣」(24)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの24回目は、「百魚譜」(前編下四四、上巻191~204頁)の3回目です。とにかく魚に綢わる故事来歴を交えながら魚を語ります。たくさんの漢字が出てきますので、熟字訓も含めて読めるのは勿論として、書けるかどうかをチェックしておく好機としましょう。

1)は鵜川の2)カガリビに責められ、3)ナマズは濁江の瓢簞におさへらる、比目魚は黒白に裏表をあらはし、4)ナマコは跡も先もなし。

歯にもたまらぬゑいの骨は何の為に持ちたるや、それも5)クラゲのなきにはまされるか。

こゝに蛸の入道は壺に入りてとらるゝこそ愚なれ。那智の滝壺ならば、文覚が行力をも伝ふべきを、一休の口にはほめられながら、まさなの法師の身の果かな。

かながしらといふ名のめでたくてぞ、産屋の祝儀にはつかはれ侍る。さるを石持といふものゝかね持ともいはゞ、世にいかばかりもてなされむを、益なき名をもちて口をしとや思ふらん。

6)キス・さよりはをさなき心地ぞする。大男の髭口そらしてくふべきとも覚えず。

7)ハゼはたゞ釣る比の面白きなり。里は砧に蚊屋しまひて、木曾に便よき人は、まだき新蕎麦喰ひたりなどほのめかされて、うらやましき比ならん。

8)ドジョウは酒の上に赤味噌ほどよく調じて、唐がらしくはへたるこそよけれ。白味噌がちなる大みや人は、いかに喰ふらんとさへ覚束なし。

9)フグとは先名のふつゝかなり。いかで無比の美味をそなへてあやしき毒をもたりけむ。その味ひと毒の世にすぐれたれば、くふ人を無分別ともいひ、くはぬ人を無分別ともいへり。

10)イワシといふものゝ味ひことにすぐれたれども、崑山のもとに玉を11)ツブテにするとか、多きが故にいやしまる。たとへ12)は田畠のこやしとなるとも、頭は門を守りて天下の鬼を防ぐ。其功、13)ワニ・鯨も及ぶべからず。

されば歌人は鳥虫に四季をわかちて、魚に四時の題詠はなし。俳人兼て魚を品題とするは、もつぱら味ひの賞翫を捨てざる故なり、しかれば歌よみは耳目の愛にとゞまりて、食は野卑なりとてとらざるに似たれど、「かの喰ふべき若菜をもつぱらによみて、菜の花のうつくしきを歌の沙汰に及ばぬは、喰はれぬ故によまざるにや、無下に口惜し」と人のいひたる、さがなき詞ながらおかしかりけり。


和歌に於いて春夏秋冬、それぞれの季節ごとに鳥や花を賞でていますが、魚を四季で分けて詠むことはないと也有は言います。俳諧の世界では魚を題材に取り上げるのはもっぱらその美味なる味を惜しむからである。鳥のさえずりや花の艶やかさだけを和歌の世界では第一とするのに対して、食べることや味はあまり取り上げないのに似ているかもしれません。生きる上で大切なはずの「食」ですが、歌に詠むのは「野卑」であるととらえているからでしょう。「かの喰ふべき若菜をもつぱらによみて、菜の花のうつくしきを歌の沙汰に及ばぬは、喰はれぬ故によまざるにや、無下に口惜し」とあるのは誰の言辞か分かりませんが、也有の壺に嵌まったフレーズのようです。「さがなき詞」とは「皮肉が効いている悪口」くらいの意味でしょうか。「若菜」は本来食べるもの、「菜の花」は本来美しいもの。しかし、和歌の世界ではもっぱら若菜ばかり詠んで菜の花を詠むことは少ない。本来逆ではないのかと揶揄している。和歌の世界の形式ばかりを重んじる堅苦しさをあざ笑うと同時に、俳諧の自由闊達さを誇っているのかもしれませんね。しかし、その俳諧の世界にも形式主義が訪れようとしているとの危惧も包含されているのかも。

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「しら」か?「しろ」か?That's the question!=「鶉衣」(23)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの23回目は、「百魚譜」(前編下四四、上巻191~204頁)の2回目です。とにかく魚、魚、魚のオンパレード。それぞれに綢わる故事来歴や伝承を交えながら魚の特徴を綴ります。今回は趣向を変えてA)~L)に当てはまる魚は何かを考えながら読んでみてください。ノーヒントではありません。選択肢は【鯖・鱒・鰆・鮟鱇・鰍・鰻・鰹・鱈・白魚・鮭・鰤・鮒】を与えますので、この中からチョイスしてください。ダミーはないので仮に分からなくても素っ飛ばして分かる物から埋めて行くと、・・・・・・・・・・・、ほ~らなんとなく浮かび上がってくるでしょう?迷ったらあとはあなたの勘次第!漢字の問題は読みの3問だけ。いずれも平易です。




A)■は近江に洞庭の名をくらべたる、鯉に似て位階おとれり。名には紅葉をかざしたれど、鱠は春の賞翫となれり。

B)■は節饗の比もてはやされ、梅咲くころ世に匂ふ。

C)■は初秋に祝はれて、空也の蓮のはに登るは、後生善処の契もたのもし。

D)■は芥子酢の風味、上戸は千金にかえむとも思ふらむを、鎌倉の海の素性を兼好にいひさがされたる、いと口おし。D)■節となりては、木の端のやふにも思はれず、その梢とも見えずして、花の名をさへ世にちらしぬる。

E)■の唐めきて子細らしきに、つるし切とはいぶせくして、桀紂が料理めきたり。かれは本汁にゑらまれ、F)■はかならず二の汁の大将にて、1)搦手をぞうけ給はりぬ。

もしは文字の理屈によらば、紫の上にはG)■をめでさせ給ひ、中宮の御膳にはことにH)■をやめさせ給ひけん。

I)■は越路に名ありて其国の雪にも似ず、色は入日の雲を染めて、うるはしく照りたるこそいみじけれ。たまたまJ)■といふものも、その色はまけじとやいどむらんを。狭夜姫は石となり、山のいもはK)■となる。かれは有情の非情となり、これは非情の有情となれり。石となりて世に益なく、K)■となりて調法多し。

牡丹は花の一輪にて賞せられ、梅桜は2)千枝万葩を束ねて愛せらる。それが勝れりとも劣れりとも、更に衆寡の論には及ばず。L)■といふものゝ世にもてはやさるゝは、かの鯛・鱸の大魚に比すれば、今いふ梅桜の類と等し。しかるに国俗のとなへ異にして、しろ魚ともしら魚ともいへり。是いづれならんといふに、されば「しろ菊ともしろ鷺ともいはねば、しら魚といふこそよからめ」といへば、かたへの童のさし出でて、「いなとよ、世にしら猫ともしら鼠ともいふにこそ」とうちこまれて、3)に物定の博士しばらく黙然たり。


続き以下に正解と詳しい解説を載せています。あしからず。


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寄ってらっしゃい!獲れたて新鮮な魚がより取り見取りだよ~=「鶉衣」(22)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの22回目は、「百魚譜」(前編下四四、上巻191~204頁)を取り上げます。この段は別名、「衆魚譜」とも言います。冒頭なんの前文もなくそれぞれの魚の説明が始まり、途中まとめもなく20種類以上が羅列されて、最後に魚の俳諧における題材としての特色について解説されて締めくくられます。俳諧師にとって魚をどう句に詠むのかといった思いなどを斟酌しながら読むのも面白いかもしれません。いずれも中国の故事、日本古典の来歴が盛りだくさんです。迚勉強になります。割と長編ですので都合3回に小分けして進めることといたします。

A)人は武士、柱は檜の木、魚は■とよみ置きける、世の人の口にをける、をのがさまざまなる物ずきはあれども、此魚をもて調味の最上とせむに1)トガあるべからず。糸かけて台に据ゑたる、男ぶりさへ外に似るべくもなし。しかるをもろこしには、いかにしてか、ことに2)ショウガンの沙汰も聞えず、是に乗りける仙人もなし。されば夷三郎殿も、他の葉武者には目もかけず、たゞ是にこそ釣もたれ給へ。

B)■を3)の司といふは、食味はなれたる理屈にして、さは是を料理せんと学びたる人は、むかし愚なる名をこそとゞめたる。

C)龍門滝にのぼらんとする魚有りて、おほけなくもα)大聖の御子にも、此名をからせ給へる。されば世の名声はかの鯛にも並ばむとす。かれはいかなる幸にかあらむ。味ひ美なりといへども、鯛の料理の品々なるにはにるべくもなし。4)乾物・5)炙物にせず、6)すましによろしからず、くずし7)カマボコに用ひがたく、塩にも調ぜず。只さし身・あつ物にとゞまるは、多能を恥づといひけんを、中々ほまれと思へるにや。昔平家に悪七兵衛景清と名乗りて、今民間には泣く子をも8)すべく、朝比奈・弁慶に肩をならべんとす。しかるに記録の上にしては、しころ曳の外はさせる働きなくて、只二郎兵衛も五郎兵衛もおなじつらなる侍なり、「いかに世に名のことごとしきぞ」と、ある人評したるものあり。β)かれたゞ七兵衛が類なるべし

D)松江の名産、我朝にも品くだらず。γ)張氏は是を秋風に思ひて9)シトを辞し、平家は是を船中に得て10)カンロに進む。進退いづれをかうらやむべき。




■A)~D)はそれぞれある魚(ただし魚でないものも含む)を説明したくだりである。それぞれ漢字一文字で記せ(ただしA)、B)は■に漢字が入る)。

■下線部α)は、誰のことか。

■下線部β)は何を言おうとしているのか、「かれ」「七兵衛」がそれぞれ何であるかに注意しながら、説明せよ。

■下線部γ)の故事に基づいた四字熟語とその意味を記せ。

まずは四種類。そのいちいちは解説を付けませんが、いずれも故事来歴を味わいながらその魚の特徴を彷彿とさせてみてください。もちろん、漢字も。。。

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物忘れの激しい人は何度聞いても新鮮のメリットあり=「鶉衣」(21)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの21回目は、「物忘翁伝」(前編中三〇、上巻139~143頁)を取り上げます。惚け老人、認知症、アルツハイマー病、…、老いの最大の恐怖は「生きる屍状態」になってしまうことでしょう。家族の顔も分からない。朝食べたものが夕方に覚えていない。体は勿論、脳みそが『健康』でないならば、老いさらばえて生きることに何の価値があるのでしょう。自分は何のために長生きしているのか。誰しもが抱くそんな不安を逆手に取った今回のお話は半分笑えるが、半分眉根を曇らさざるを得ないです。漢字の問題は僅少です。

わすれ草生ふる住よしのあたりに住みわびたる物わすれの翁あり。さるは健忘などいへる病の筋にはあらで、只身のおろかに生れつきて、物覚えのおろそかなるにぞありける。昔は1)ケイガクの道をもとひきゝ、作文和歌の席などにも、さそふ人あればまじらひけれど、きく事習ふ事のさすがに面白しと思ふ物から、夕べに覚えしことごとも、朝ぼらけにはこぎ行舟の跡なくて、身にも心にものこる事すくなし。されば是を書付置かむと、しゐて硯ならし机によれば、春の日はてふ鳥に心うかれて過ぎ、秋の夜は虫なきていとねぶたし。かくてぞ老曾の森の草、かりそめの人のやくそくも、小指を結び手のひらにしるしても、行水の数かくはかなさ、人もわらひても罪ゆるしつべし。

さればその翁のいへりける、身のとり所なきを思ふに、若きにかずまへられしほどは、人やりならずはづかしかりしが、A)つんぼうの雷にさはがず、座当の蛇におどろかざるこぼれ幸なきにもあらず。よのつねきゝわたる茶のみがたりも、はじめ聞きける事の耳にのこらねば、世に板がへしといふ咄ありて、またかの例の大阪陣かと、若き人々はつきしろひて、小便にもたつが中にも、我は何がし僧正のほとゝぎすならねど、きくたびにめづらしければ、げにときくかひある翁かなと、かたる人は心ゆきても思ふべし。ましてつねづね手馴れ古せし文章物がたりの双紙も、去年見しことはことし覚えず、春よみしふみは秋たどたどしく、又もくりかへしみる時は、只あらたなる文にむかふ心地して、あかず幾たびも面白ければ、わづか両三2)チツの書籍ありて、心のたのしみさらに尽くる事なし。むかし炎天に腹をさらしたるおのこは、人にもおりおり物をとはれて、とりまがはしいひたがへじと、いかにかしましき心かしけん。B)今は中々うれしき物わすれかなとぞいひける。猶かの翁が家の集に、何の本歌をかとりけるならむ、

 わすれてはうちなげかるゝ夕べかなと

 物覚えよき人はよみしか


今回のお話の主役は健忘症などという生易しいものではなく、生れついての忘れんぼさん。片っぱしから物を忘れ。メモろうとしても眠りこけてしまうから、筋金入り。どんな約束事も覚えていることがないのに、呆れて人も笑って許してしまうほどで、ある意味羨ましい限り。

その翁が言うには「若いころは恥ずかしかったが、いろんな人生経験を積んで、これはこれでめりっともありました」とはちょっと驚き。同じ話を聞いても読んでも新鮮この上なく、何度でも味わえる。「むかし炎天に腹をさらしたるおのこ」とは蒙求の「郝隆曬書」(カクリュウサイショ)に出てくる漢「郝隆」。短いのでそのまま引用します。「世説に、郝隆七月七日、日中に出でて仰臥す。人其の故を問う。曰わく、我は腹中の書を曬すなり、と」。もともとは世説新語にあるようで、晋の郝隆は腹を炎天下にあてて寝ていた訳を問われ、「わたしがこれまで覚え込んだ書物を虫干ししているのだ」と豪語し、自分の博覧強記ぶりを自慢したのです。物忘れの翁と比べれば何とも大層な話で、あまりに多くの書物が入っているので人から聞かれるたびにどこぞから引っ張り出さなければならず、御苦労なことだわい。也有のシニカルな笑いが窺えます。シニカルと言ったのは翁と郝隆の両方に対してです。

開き直り、諦めの境地。ある限界点を越えれば人間は楽になれるのかもしれません。世をはかなんで隠遁するのと似ているかもしれません。生まれつきの忘れんぼという点では宿世なのかもしれませんが、後天的に、意図的に忘れんぼになった場合に人はどう対応できるのでしょうか。抗うのか、委ねるのか。あるいはそうなる前に手を打つのか。きのうしたことも、朝食べたものも覚えていない。臆面もなく言えるかどうか。

翁が物を忘れることのメリットをいくつか挙げていますが、同じことを何度聞いても新しいことにしか感じないというのはどうなんでしょうか。同じことを聞かなければいいのでしょうね。そうすれば普通の人と同じだ。しかし、日常、同じことの繰り返しで厭き厭きするばかりなのも偽りの無いことです。同じことをいつも同じ物としてとらえるかどうかなんでしょうね。物忘れの翁はある意味、正直なだけ。同じものを同じものとできずにいるだけ。退屈な日常などあり得ない。聞くもの、見るものすべてが新鮮ですから。

年老いて物を忘れていくというのはもしかしたら日常を新鮮にすることなのかもしれません。幼き頃、好奇心に満ちていた。知りたい。見たい。そうしたピュアな渇望の原点に戻っていくこと。

最後に也有が詠んだ歌は物覚えの悪い自分の気楽さを楽しんでいます。年をとることが必然なら、記憶が薄れていくのも不可避なのでしょうね。也有は自分がそうなっても悔いることなく最後まで生き切ることを提唱しているのかもしれません。


■下線部A)は何を言いたい喩えか。

■下線部B)はどうしてか。

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あなたも自分だけのとっておきの七景を選んでみませんか?=「鶉衣」(20)

江戸中期の俳人、横井也有の「鶉衣」(岩波文庫上・下巻、堀切実校注)シリーズの20回目は、「七景記」(続編下一五〇、下巻146~155頁)を取り上げます。

中国の「瀟湘八景」を源とする風景羅列の妙味は我が国でも盛んにおこなわれました。琵琶湖の近江八景や鎌倉の金沢八景が名高い。読者諸氏の御当地にもあるのではないでしょうか。也有も自ら住む「知雨亭」(またの名を「半掃庵」という)から見える七つの景色に名付けてここに列記しました。

知雨亭とは、1)に其訳たゝはへるが如く、務観が詩によせて静かなる心をいへり。今又半掃庵とは、我物ぐさの明くれ、掃く日よりははかぬ日多く、床は塵、庭は落葉に任せがちなる庵のだゞくさをいふ也けり。名は二ツにして物二ツならず。さればこれに七景を撰ぶ。

東嶺孤月 路傍古松 蓬丘烟樹

海天帰雁 龍興寺鐘 市門暁鶏

隣舎舂歌

「東嶺孤月」とは、嶺は三河の猿投山なり。遠き山々の夫より北につらなりて、此山のあはひより、十月ばかりのよく晴れたるには、2)シホウのいたゞきもみゆる事あり。夫かあらぬかと、昔は人の疑ひしが、宝永の比、かの山の焼ける時、夫とは定まりしかと、古き人のいへりけり。さればさなげ山とは、名のをかしくて歌などにも読むべきを、文字を猿投と書けるは少しくちをし。たゞ万葉にぞかゝまほしけれ。されど月には猿の名もよそならず。ほとゝぎすも3)ショッコンと書き、朝がほも4)ケンギュウとかけばむくつけきたぐひにや。A)清氏の女も画にかきておとるものといひしが、字に書きて劣るさたはなし。月は夜の長短によりて、此山の南北より出でて、清光ことにさはる物なし。此府下に月の名所をえらまば、此地をこそいふべかりけれ。

「路傍古松」とは、世に七本松とよべり。あるは5)アイオイめきてたてるもあり、又程へだゝりてみゆるもあり。染めぬ時雨のゆふべ、積る雪の朝、ながめことに勝れたり。草薙の御剣のむかし語を追ひて、もしは此七ツを以て辛崎の一ツにかへむといふ人ありとも、我は更におもひかへじ。

「蓬丘烟樹」は、則ち熱田の御社なり。高蔵の杜は猶ちかくて、春の霞、秋の嵐、此亭の南の観、たゞ此景にとゞまる。しばらく杖を曳けば、あけの6)華表も木の間にみゆめり。鳴海は熱田につらなりて、松風の里・夜寒の里・呼継浜・星崎など、我国の歌枕は、皆此あたりにあつめたり。すべて是熱田の浦辺なれば、海づらもやゝみゆべきほどなれども、家居にさわり森にへだちて、一望のうちにいらず。されば、「海天新雁」も、此あたりをいへるなりけり。

「龍興寺鐘」は、庵の東よき程に隔たる木立一村の禅林なり。ある日客ありて物語しける折しも、此鐘のつくづくと雲よりつたふを聞きて曰く、「けふ此声の殊に身にしめる何ぞ然るや」と。我是に答へて曰く、「客もかの7)廿年の昔をしるならん、此あたりはしばし歌舞の遊里となりて、あけ暮8)シチクのえむをあらそひ、月雪花もたゞ少年酔客の遊にうばゝれしが、其世は此鐘の暁ごとに別を告げて、幾B)衣々の腸をたちけむ。世かはり事あらたまりて、今は其形だになく、蛾眉9)センビンも今いづくんかあるや。されば、つく人に心なくとも、聞く人の耳にのこりて、10)イキョウを悲風に託せるならん」と。客も実にと聞きて、かついたみ、かつ笑ひにき。さてや、「市門の暁鶏」は、此西の方、あやしの小借屋といふ物、軒をならべ、おのがさまざまの世渡り佗しげなれど、かゝればおのづから遠里小野のかはりかりの声も、事かゝぬ程に音づれ、はかばか敷商人は来らね共、海老・鰯・小貝やうの物、名のりて過ぐる事も明くれなり。さればたまたまとふ人ありて、みさかなに何よけんなど、一盃をすゝむるには、こゆるぎのいそぎありかねども、居ながら求め得る日も有るべし。家ゐは是より市門へつらなれば、暁の鳥も枕につたへて、老のね覚のちからとはなれる也。

「隣舎の舂歌」は、もとより農家の間なればいふにも及ばず。かのからうすのこほこほとなりし夕がほの隣どのは、なほゆたかなる家ゐにてもやありけん。こゝらは唯手杵の業わびしく、麦の秋・稲の秋、あはれは11)キヌタの丁東にもゆづらず。是をならべて七景とはなせりけり。さるはいとをこがましく、12)リョウトウの豕にも似たれど、賞心は必ずしも山水の13)キゼツにもよらじ。名にしあふみの人のみるとも、おのが八所の14)コウミにあかば、かゝる淡薄のけしきも又まづらしきにめでゝ、一たびの目をとゞめざらめや。



前回ご紹介した「法楽俳諧序」でも「此地に名におふ富士の高根を、こと山の間よりわづかに望めば、かねて富士見原ともいへりけり」とあったように、尾張・前津からは富士山が見えるのです。これは驚きです。富士山の裏と言ったら失礼かもしれませんが、猿投山など山々の間から名古屋方面からも見えるのは意外でした。当地の方々は御存じなのでしょうけどね。歌枕に採用されてもおかしくないほどの名所で詠んだ歌が残っていてもおかしくないのに、猿投山と漢字で書くと「猿」なので「少しくちをし」と也有。「万葉」とかなで書いた方が味が出るという。月夜の風景が一番であるのは間違いない「さなげやま」。

「草薙の御剣」とは、古事記にある日本武尊の伝説。東征を終えて、伊勢の尾津前の一つ松のほとりに帰り着いたとき、草薙の御剣がなおそのままにあったので、「尾張に 直に向へる 尾津の崎なる 一つ松 吾兄(あせ=囃子詞)を 一つ松 人にありせば 大刀佩けましを 衣着せましを 一つ松 吾兄を」との歌を詠まれたという。「辛崎」は「唐崎」。「唐崎の夜雨」は近江八景の一つで有名です。七本の松を唐崎の一つ松に倣って一本に替える人にわたしは大反対するよという也有でした。

「蓬丘烟樹」は熱田神宮の森のこと。熱田神宮は蓬莱とも蓬が島ともいうことが岩波に書かれています。松風の里・夜寒の里・呼継浜・星崎など、尾張国の歌枕の多くがこの辺りの海岸に連なっていることを也有が認めています。

也有の住んだ前津のあたりに一時、遊廓ができていたことを記しています。それが「龍興寺鐘」。その昔の華やかな音が鐘となって聞こえてくることがあるというのですが、それは余りにも短い華であり、何とも物悲しい響きがある。遊廓が禅寺にかわり、まさに物換星移、栄枯盛衰ですなぁ。

「市門の暁鶏」と「隣舎の舂歌」はそれぞれ商人と農家の風景。「舂歌」はやや難しい。「臼搗歌」。臼で米や麦をつきながらうたう。也有の住んだ前津には当時のあらゆる階級の人々が生活していたことを表しているのでしょう。近江八景のようにただ単に綺麗な景色を集めたのではない。人々の息づかいもみている也有。最後のくだりはあくまで独り善がりではあるけれど、近江八景にはかなわないまでも、濃厚な味に飽きた人は私の選んだ七景もたまには味わいに来てほしいですね。味は薄いがさっぱりするよ。



■下線部A)は誰のことか?



■下線部Bの意味は。また、別の熟字訓で書け。

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Author:char
不惑以上知命未満のリーマンbloggerです。
言葉には過敏でありたい。
漢検受検履歴
2006.3  漢字学習スタート
2006.6  2級合格
2006.10 準1級合格
2007.10 1級合格①
2009.2 1級合格②

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